LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
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深田作品に在る不条理は人間の迷いそのものだ
ほとりの朔子(2013)で出会い、さようなら(2015)、淵に立つ(2016)、よこがお(2019)、本気のしるし(2020)の4本を公開年の日本映画マイベストワンとしてきた深田晃司監督。
今作もまたベストワン候補だ。
木村文乃さん演じる主人公に訪れたこの世の中で考え得る最大の悲劇、そしてその後の不条理な行動。
そう、深田作品の根底に常に存在する不条理。
それはこの世の中で生きる人間の迷いそのものに思える。
矢野顕子さんの名曲「LOVE LIFE」をモチーフにしたということだが、温かい愛に包まれるような顕子さんの曲とは真逆の感触。
温かな幸せを木っ端微塵に壊した。
何の希望もなかった。
『映画は悲劇だ』という心の声が聞こえた。
登場人物の中の愛が掴みづらい
割と冒頭から木村文乃が不憫だ。もう木村文乃を守ってあげたい気になってる時にまさかの息子の死。それまでの連れ子のいる女性との再婚によるギクシャクした家族の問題から息子の父と知られざる妻の姿へとシフトしていくのだけど、息子が消えてからの展開がなかなか定まらない。元夫が韓国籍の聾唖者(そして再婚)、しかも行方不明、設定としてはかなり特殊だ。ともなれば人の恋愛は人それぞれだとは思うけどどんな経緯があったのかと思うし、現在の夫とはどんな恋愛があったのか(どこが気に入ったの?)しかもその夫は直前まで若くかわいい彼女がいたということだし、まだふらふらしている。というここからの展開に集中力が切れる。ラブ、と言ってるくらいなので省略するにせよ、ここが匂ってないのが乗り損ねる感じになるのかな。
深田晃司監督は、常にこの「得体の知れない人間」というのを出してくる監督だと思うので、基本スリラー的な話法の人で、夫婦の対面にある親たちのマンション、そしてぶら下がったCD、正体が掴めない旦那の父母のグロテスクな様、などイヤミスやったら相当いいような気がする。ただ今回はやっぱり「目を見て話す」=ぶつかってくる人間関係に光を感じる主人公であるなら、韓国籍という設定があまり効いてない気がする。結婚式で後ろ姿で踊る木村文乃の踊りはとてもいいのだけど、この韓国へ行ってしまって戻ってくる辺りも性急な感じでもったいない。
幸せな時間は一瞬にして悲しい過去になる
愛と人生に向き合う夫婦の姿を描いた人間ドラマ。どこにでもあるような身近な問題を題材にしているので非常に共感しやすい。幸せな時間は一瞬にして悲しい過去になってしまうことを改めて考えさせられた。
2022-156
LOVE LIFEってタイトルからは全く想像もつかない不穏な雰囲気の作品
とにかくオープニングから不穏な雰囲気が漂いまくっていた。
表面上は平和そうに見えて、どこか不協和音が鳴り響いているような人間関係。
そして、全く予想もつかない悲劇的な出来事。
この映画は常に観客の予想を裏切る展開が繰り広げられていた。
そのなかでも特に驚いたのは木村文乃が元夫と一緒に韓国に行くシーン。
危篤の父親に会いに行くと思ってたら、実は前妻との間の息子の結婚式に参列するという時点でかなり意外性があるが、凄いのは結婚式の長回しのシーン。
韓国歌謡が流れるなか木村文乃の背中を映し出す。
だんだんと雨が降ってきて参列者たちは屋内に駆け込んでいくが、木村文乃は雨に打たれながら曲に身を任せて踊り続ける。
このシーンを見れただけでも凄い映画を観たという気持ちになれました。
全体的に不穏な雰囲気の漂う深田晃司監督らしい作品だと思いました。
君は敬太の死を乗り越える必要はない。敬太のことを忘れてはいけない。君の人生にとって大事なことだから。
深すぎて意味不明のエンディング。だけど、こういう観客を試すラストは嫌いじゃない。なぜなら、その後もじっくりと味わえるから。あれはどういう意味か、あのあとどうなるのか、そんな放置がごろごろしているけれど、それは日常だって同じだ。隣の家族、自分の親兄弟、どんな過去を抱え、どんな気持ちで暮らし、どんな秘密を隠して生きているのだろう。つい、そう振り返ってしまう。
はじめから、なにか良からぬことが起きそうな空気に満ちていた。そして、事件の起こったあとも、まだまだ何かが潜んでいるように怯えてしまっていた。その警戒は杞憂に終わったようにも見えるし、波乱の人生がリスタートしたとも見える。それは、当人同士でしかわかり得ないことかもしれない。
とにかく、不穏。慎ましげに見える奥に潜む闇。なのになぜだろう、嫌悪感は薄い。それは、妙子の性根が善人だからだろうか。しょせん、庶民に起こる程度のさざ波だからだろうか。
それにしても、元夫役の砂田アトム、いい役者をつかったものだ。誰だ?と思って検索すると、そこには全く別人にしか見えない本人の動画がいくつか上がっていた。そして思う。あの演技はニワカ仕込みではないのだろうなと。映画に深みを添えていたのは、この役者の人間味なのかもしれない。
ふと感じるのは、「怒り」の感情の根源には「愛」があるということ。愛があるから、怒りが湧く。愛があるから、関わらざるをえない。そして「愛」がなくなってしまったとき、人は興味も薄れ、秘事のやましさも芽生え、「目を合わさなくなって」いくのだろう。
心地よい感じ
守ってあげなきゃいけない理由は?
「彼は弱いんだから、私が守ってあげなきゃダメなの」
このセリフの気持ち悪さがずっと残ってる。
なぜ弱いのか?
外国籍で耳が聴こえないから?仕事も家もないから?
そう言っているようにしか見えなかった。
なんというエゴ。
とはいえ、人間誰しもそういうエゴを知らず知らずのうちに抱えているものなのかもしれない。
ろう者の役を実際にろうの役者さんが演じたのは素晴らしいことだと思うけど、
わざわざ韓国籍とする必要性はあったのかなあ…というのも疑問。
その設定がマストだったのなら、韓国のろうの役者さんをキャスティングすべきだったのでは?
物語・映画としての構成はすごくいいし、考えさせられた、でも共感できない
思いは一方通行
神野三鈴さん
今作も深田さんの脚本は独特な世界観で目が離せません。
予定調和な展開はなく、適度な複雑さとカルト味。容赦のない残酷さと、グッとくる展開からの、意外な可笑し味。そしてまた日常と現実。
盛り沢山なんだけど、きっちりまとまっている物語は「ザ・深田ワールド」と言っていいでしょう。
そして、深田映画のもう一つの妙は「外れのないキャスティング」。
主演の木村文乃さん。どんな役も器用にこなす印象があり、意外と「代表作」が思いつきませんが、今作こそは単に「主演」ではなく、彼女の「代表作」になるのではないでしょうか。
そして、やはり似た印象がある永山絢斗さんも今回は「内面」と「外面」を巧く演じ分けるなど、この物語にしっかりとした厚みを持たせています。
さらに、こういう役はまさに「鉄板」と思わせる存在感の神野三鈴さん、実に素晴らしい。効いてます。
ヴェネツィアは残念でしたが、日本の映画賞はきっちりこういう「映画らしい作品」をノミネート出来るかな?
あえて
愛情と同情の違いって何なんだろう
深田監督の穴
観ていてこの監督の一筋縄ではいかない、ストーリーテリングが気になり、15分でもいいから頭の穴に入ってみたくなる映画でした。
よこがおや淵に立つも観ていて、ここぞというところで、ガツンとくる展開は、さぞや激しい人間観察をされる方なんだろうなと・・
恐くもありしかし人生 人間の業について考えてみると個々の孤独が浮かび上がるという今までの深田映画の集大成みたいな映画だと感じた次第。
好きなシーンは木村さんが釜山の結婚式の雨に佇むシーン
ラストシーンの散歩に行く二人を俯瞰したシーン まだまだありそうで
嘘をつく人というもの 目を合わさない関係性 まことに現代にマッチングした主題でした。とにかく観てみて下さい。
ソーシャルワーカーと集合団地のシーンも、ありえないんだけどすべて伏線だし、参りました。
色々な「愛」が感じられる自分的良作! 本年度ベスト!!
若い方には刺さらない作品かも(汗)
好き嫌いの別れる作品って感じ。
出だしは幸せの家族を表現していたけどそれ以降は終始クソ映画(笑)
観賞後、冷静になって振り返り実は愛に溢れた作品だと感じた時の「やられた!」感がハンパ無い!
観賞中は登場人物達がみんなクソ。
気分が悪くなる程の展開。
全く共感出来ないままに進むストーリー。
そんな中、実は世の中には色んな愛が溢れている事を表現したかった作品と解釈。
振り返ってみれば全てのシーンに愛に溢れていた感じ。
木村文乃さん演じるオセロの上手い子持ちのバツイチの妙子。
っか木村文乃さん。
こんなに素敵な役者さんだったっけ(笑)
元カノを捨て妙子と結婚した旦那。
旦那の両親。
妙子が捨てられた元旦那。
色んな登場人物の行動が実は愛に溢れている。
それを裏付ける終盤に絶妙なタイミングで出てくる
「LOVE LIFE」
のタイトルにやられました。
愛に溢れた作品の認識でもう一度、登場人物の目線を意識しながら鑑賞したい作品でした( ´∀`)
目と目で通じ合う、そ~ゆ~仲になりたいの?
少し前に流行った{楽曲インスパイア系}も、
最近はあまり目にしないなと思っていたら、
本作のようなカタチで繰り出されるとは、
完全に意表を突かれた。
『矢野顕子』の〔LOVE LIFE〕は聴いたことがあるものの、
内容はかなり抽象的。
それをよく、ここまでのストーリーに膨らませたな、と
先ずは感心する。
連れ子の『敬太』と
新しい夫『二郎(永山絢斗)』と幸せに暮らしていた『妙子(木村文乃)』だが
ある日不慮の事故で愛息を亡くしてしまい、
そのことが夫婦の関係に影を落とす。
果たして二人は悲しみを乗り越え、
互いの間にできた溝を埋め、
再生することができるのか?がテーマ。
そこに前夫の『パク・シンジ(砂田アトム)』が不協和音の様に絡む。
『パク』は妻と息子を捨て、数年前に突然失踪。
必死に捜したにもかかわらず、行方は杳として知れなくなっていたのに、
息子の死を契機に、突然姿を現す。
『パク』は聾唖であり、
単独では他者とのコミュニケーションがかなり不便なことも背景にあり、
最初は戸惑っていた『妙子』も、前夫の今の境遇を知り、
人が変わったように面倒を見だす。
昨今言われている「ケアラー」としての役割を
率先し果たす元妻の姿は
息子を失ったことの「代償行動」や「昇華」或いは「母性」の発露にも見え。
一方の『二郎』も結婚前に付き合っていた元カノ『山崎(山崎紘菜)』と
再び交流を持つように。
しかしこちらの方は、やや淡い関係にも見え。
入れ込み過ぎた『妙子』の『パク』への思いは、最後には痛烈なしっぺ返しを喰らう。
彼女が考えていたほど、元夫は弱者ではなく、かなりしたたかに生きて来たのだ。
そのことを理解した後の彼女の行動は、傍目にはかなり欺瞞に映る。
が、自身も後ろめたさがある『二郎』は、果たしてそれをどう受け取るか。
余地をたぶんに残したラストシーン以降の解釈は、
どうやら鑑賞者に委ねられたよう。
現夫と前夫には、演出でも科白でも散々示されている通り、
視線を合わさない・合わすとの、大きな違いがあり。
製作サイドは
交わすこと=善
交わさないこと=悪、と
ステレオタイプに切り分けたいようだが、
聾唖であれば、
限られたコミュニケーションの手段として必然的に向き合わざるを得ないだろう。
ましてや己の体験として
「※※クンは、話す時に目を真っ直ぐに見るので、こちらの方が気恥ずかしくなる」と
言われたことがある身としては、全く肯定できぬのだが。
鑑賞前に何本かの評を読んだが、
その何れもが『敬太』が亡くなるくだりを暗喩としている。
しかし前後の文脈からは、そうした事件が起きたことは明らかで、
何故そのような書き方にこぞってするのか、隔靴搔痒の感あり。
それが制作サイドの要請の結果だとしたら、
正鵠を射ていない気もするが。
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