LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
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光と猫と中古
オッパ、オッパ、オッパ♪何なんだ、この曲は。序盤で義父(田口トモロヲ)が歌っていた7番もある演歌も意味不明だったけど、逆に矢野顕子の“LOVE LIFE”が際立ってしまった。ジャズ色の強いこの曲の歌詞も「どんなに離れていても愛することはできる」という歌詞によって、映画全体のテーマにもなっています。
最愛なる息子敬太の突然の事故死。妙子(木村文乃)の連れ子になるのだが、再婚相手の二郎(永山絢斗)にも懐いているし、二郎の両親にもようやく母子ともに認められようとしていた矢先のことだった。悲しみに暮れる夫婦の前に行方不明となっていた前夫のパク(砂田アトム)が現われ、不穏な空気に包まれる。風呂場での事故だったため、二人とも自宅の風呂には入れず、団地の隣の棟に住む両親の風呂を借りる日々が続いていた。そして両親は田舎の方に引っ越しが決まり・・・といった展開。
パクがろう者であるため、日本語、韓国語、韓国手話が使われているが、障がい者を扱うというより、言葉、手段が違うだけといった雰囲気にも納得。むしろ、妙子を中古品扱いする義父の嫌味が強烈に映る。いや、俺なら木村文乃がバツイチでもバツ3であっても大歓迎だけどね。中古といえば、パクの再就職先も中古品を扱っている業者さんだった。
社会問題要素も豊富で、妙子が勤める市民相談センターでのホームレス支援や在日外国人が生活保護を受けられない問題などが伝わってくる。また、パクの前妻との息子がコーダであったり、ろう者文化も当たり前のように扱われていました。
砂田アトム本人もろう者であり、手話にしてもちょっとした行動にしても自然に演じられていた。また、ろう家族のCODAが目を合わせてコミュニケーションを取ることが、学校の先生に注意されるといったことがパンフに書かれていましたけど、それに対して二郎が妙子の目をそらして会話するといった対照的な性格も描かれていました。
とにかく、映画の中で細かなことが奥深いため、なかなか一度に理解できるものじゃなかった。『よこがお』のような時間のギミックはないものの、深田監督の思いがあちこちに詰まっていると思われす。パクの放浪癖や孤独感は理解しがたいものがあったけど、本来人間は誰でも孤独なもの。死ぬときは誰かがそばにいても一人なんだと。だけど、愛することは離れていても(死んでいても)できる。死んだことを忘れたい、前を向いて歩かなきゃいけないことはわかるけど、忘れちゃダメなんだというのも理解できる。“LOVE LIFE”の歌詞は人によって色んな意味を受け取ることができるだろうけど、戦争によって離ればなれになってる人たちのことまで考えてしまいました。
パクが上着の中に隠した猫が顔を出して引っ込めるシーンは秀逸(偶然の賜らしい)。その猫が懐いている二郎に差し出すところも意味深。また、鳥除けのために吊したCDの光があざといほど上手く使われ、常に光のバランスが揺れ動く心を表現しているようで興味深かったです。じわじわと様々な思いを交錯させ、まるで文学的映画のような内容でもあったけど、これが深田流の新しい形なんだろうなぁ。
人は皆1人なのです。
幸せに見える夫婦に突然おそいかかる不幸と共に、何かが少しづつ崩れていく話。
この作品妙子の母が言う「誰かがいても結局死ぬ時は1人」という言葉がすべて。登場人物達は全員誰かと一緒にいるのに疎外感を感じもするし、ここが自分の居場所だと感じもする。毎日一緒にいても所詮はお互い他人、お互いがお互い全く知らない世界を持っている。
例えば冒頭、妙子の息子敬太のオセロ優勝大会おめでとう会を身内だけでやっている時義父はどことなく浮いているけど、この集まりが同時に義父の誕生日会だったため職場の人達が合流した瞬間、完全にその場は義父のホームになり妙子は端に追いやられる。
こういう誰かが影になったり陽のあたる場所を得たりは繰り返されていて、結局誰かの100を独占することは出来ない。2人の住む家が元々義理の父と母が住んでいた場所であるように、かつては居場所だったところが失われることもある。こんなん、1人でいるより孤独が強調されて辛すぎる。
恐らくこの家族の中で妙子が居場所を作れたのは敬太がいたから。その存在が無くなった時、前の夫との絆を感じ始める。でも面倒を見てあげられるのは自分しかいないと思っていた元旦那にも、ちゃんと居場所があって妙子には知らない世界があった。そもそも敬太にもオセロ仲間という妙子が知らない世界を持っていた。それを悟った時に表れるタイトル『love life』が清々しかった。
個人的に、敬太の死は不運の事故というのは大前提として、義父がアホみたいな演歌大音量で歌ってなかったら倒れた時の衝撃音ですぐ駆けつけられたんじゃないか?ってだれか言ってよ!!と思った(笑)
胸に突き刺さる感情の変化
ひとりで立つ。
2022年。深田晃司監督。役所勤めの夫と、息子連れで再婚した妻。夫は結婚寸前までいった同僚の女性と二股の末に今の妻と結婚していて、妻は突然蒸発した元夫を探す過程で今の夫と出会っていた。夫の両親はこの結婚に完全には納得していない。そんななか、家族一同が集まる機会から物語が始まる。結婚しているから愛している(愛すべき)とか、別れても思いが残るのは未練だとか、境界線を前提にした心の揺れをあれこれを描くのではなく、人と人の間に生まれる思いの濃淡を静かに描く。
誰もが一筋縄ではいかない想いを静かに抱えていて、夫婦も親子も確固とした支えにはなってくれないなか、それでもなんとかお互いを思いながら生きようとする人々の姿を描く。聾唖だったり外国籍だったりするから多様性が描かれるのではなく、ただ単純にみんな多様であることが「ほいっ」という手軽さで提示されている。誰もが、圧倒的に、ひとりであるのに(この監督の特徴)、この多様さのせいで、どこまでもすがすがしい。終わり方がハッピーかどうかとは全く関係なくハッピーな気分になる。
長回しが多用されるなかでそれぞれの人物がひとりでカメラに収まるときのたたずまいがいい。
深田作品に在る不条理は人間の迷いそのものだ
ほとりの朔子(2013)で出会い、さようなら(2015)、淵に立つ(2016)、よこがお(2019)、本気のしるし(2020)の4本を公開年の日本映画マイベストワンとしてきた深田晃司監督。
今作もまたベストワン候補だ。
木村文乃さん演じる主人公に訪れたこの世の中で考え得る最大の悲劇、そしてその後の不条理な行動。
そう、深田作品の根底に常に存在する不条理。
それはこの世の中で生きる人間の迷いそのものに思える。
矢野顕子さんの名曲「LOVE LIFE」をモチーフにしたということだが、温かい愛に包まれるような顕子さんの曲とは真逆の感触。
温かな幸せを木っ端微塵に壊した。
何の希望もなかった。
『映画は悲劇だ』という心の声が聞こえた。
「LOVE LIFE」って曲、矢野顕子だったんだ。この夫婦の場合はかなり特殊なケースだとは思うけど、“人生こういうことってあるよな”と思わされるところはある。秀作とは言えないまでも佳作。
①“90年代のヒット曲です”とラジオから流れてきたけど「知らねえぞ、でも声は聴き馴染みはあるなァ、誰だろう」と思っていたら矢野顕子でした。②ごく初めの方で子供が死んでしまうから、此れは重たい話かな、と思ったけれども、少し違って何とも不思議な感触の映画。③『よこがお』はヒロインにどうしても感情移入出来なかったが、本作では妻の妙子の気持ちも夫の二郎の気持ちも理解できる範囲内である。しかし、何と言ってもパクの存在が秀逸。④先ずは、敬太の葬儀に闖入、この時点で妙子の前の夫で敬太の父であることは察しがつくが、いきなり妙子にビンタ(お前に妙子何故かに怒る資格ねえだろ、と反感)し、その後何故か「おうっ、おうっ」と変な嗚咽をした後飛び出して行って“なんや、あのオッサン?”と思わせる。⑤その後、聾唖者(「おうっ、おうっ」という泣き声にも納得)でかつ韓国籍の韓国人と日本人とのハーフとわかり一気に心の振り子は同情に振れる(我ながら単純)。妙子の“あなたのことは絶対に許せないけれど、誰もが気遣って何も言わず、敬太の死を早く過去の事にしようとしているなか、あなただけが怒ってくれて嬉しかった”という台詞が更に後押し(この台詞はとてもリアル)。それまで涙を見せなかった妙子がパクに叩かれた後はじめて号泣したのもこの台詞で納得がいく。⑥いつも暗い顔をして無愛想な妙子だけれども根は困った人をほっておけない性格なんだろうね(私がいなければ、という変に頑固な一途さと正義感もあるようだし)。元夫で家出した時は必死で捜した(二郎の言)くらいだから、やはりほってはおけず空き家になった義理の両親の家に済ませるくらい(二郎に相談せずにするのは流石に如何かと思うが)。それを見つけて怒鳴り込んだ後の二郎の独白(パクさん耳聞聴こえないから)も夫の気持ちと観客の気持ちとを代弁していて永山絢斗好演。“でもね、二郎君、パクさん耳聴こえないし、日本で暮らすの大変だから許してやろうよ”とこちらも甘くなって声をかけたくなる。“あんたも気の迷いで元カノにキスするくらいだしさあ。”と。永山絢斗、『ふがいない僕は空を見た』(原作大好きです)の時は如何にも高校生だったのに大人になりましたねェ。⑦で、韓国にいる父親が帰国なので韓国に帰りたいから旅費を貸して欲しい、とパクさん。フェリーの港まで送りに行ったら“あたし、やっぱりあの人を一人にしておけない”と過去の愛情が蘇ったのか、同情や正義感なら夫を置いていくのは行き過ぎだよなァと思いつつ、この夫婦此れで終わりかと心配していたら・・・⑧で、パクさん、韓国にいる父親が危篤だからと韓国までの旅費を貸して欲しいと妙子達にねだる。フェリー乗り場まで送りに行ったら、妙子さん、“私、やっぱりあの人を一人にしておけない”と爆弾発言のうえパクさんと韓国までついて行ってしまう。愛情が蘇ったのか、同情心や正義感からなら夫を置いていくのはちょっとどうだろう、この夫婦此れで終わりかと心配していたら・・・。⑧韓国に着いた途端、パクさんが二郎が言ったとおり、本当に勝手過ぎる男だったことが判明。結婚式で韓国にいたチマチョゴリを着た女の人(前の前の妻?親戚のおばさん?)に飛び蹴り喰らうのもわかるわ。もう一人の息子の結婚式に出たい為に父親が危篤だと嘘をつくは、韓国でも妻子を置いて失踪していたは、一人の息子を亡くしたからもう一人の息子に会いたくなったは、結婚式に呼ばれたら20年ぶりなど何のそのホイホイでかけていくは、身勝手のし放題じゃないですか。しかも、旅費を出してくれて韓国までついてきてくれた(パクさんにしてはありがた迷惑だっただろうけど)妙子を雨の中に置き去りにして自分だけ雨宿りに行くは、何ともはや泣くにも泣けず、笑うにも笑えない。⑨でも、こういう人って実生活にもいるよね。本作では聾唖者ということで目隠しされちゃったけど、本人に悪気はないけれども周りを振り回す人(男女を問わず)。私の周りにも振り回されたひとが何人もいるし、私も一度か二度は振り回された(私は振り回してはいないと思うけど、多分...)ホント、泣くにも泣けず笑うにも笑えず(まあ苦笑いくらいはするかな)。⑩さて、この夫婦、今後どうなるのだろう。私は元の鞘に戻るような気がする。「おかえり」と言った妙子に対して「おかえり」で返した二郎。そして「ただいま」と返した妙子。人生いろいろあるよね。でも愛しいから『LOVE LIFE』?
だんだんじわじわ
傑作「本気のしるし」に続きメ~テレ制作。木村文乃のポスターで期待が盛り上がる。そして期待通りの力作でした。
冒頭からこれでもかと複雑なベクトルが絡み合う個々の関係性も素直に頭に入ってくるので難解にはならない。
役者は主役陣はみな良く、実は心配していた木村文乃も自然だった。子役がすごく良かった。
木村文乃の妙子にはどんな性格形成上の背景があるのか、困っている前夫を援助せずにいられない。また現在の夫には言えないことも前夫には話せたりする。なぜかこちらも現夫視点でめちゃめちゃ妬けたりする。山崎紘菜も良かった。奥さん絶対気づいてる、なんて。
しかし妙子の性格や行動、夫に相談もせず前夫を義父母の部屋に保護したり突然何も語らずフェリーで渡韓を決めたり、自分の妻だったら流石に腹が立って仕方ないだろう。鑑賞直後はここに引っかかってレビューがかけなかった。一週間経って少し冷静になったがやっぱり妻だったら困るなあ。
登場人物の中の愛が掴みづらい
割と冒頭から木村文乃が不憫だ。もう木村文乃を守ってあげたい気になってる時にまさかの息子の死。それまでの連れ子のいる女性との再婚によるギクシャクした家族の問題から息子の父と知られざる妻の姿へとシフトしていくのだけど、息子が消えてからの展開がなかなか定まらない。元夫が韓国籍の聾唖者(そして再婚)、しかも行方不明、設定としてはかなり特殊だ。ともなれば人の恋愛は人それぞれだとは思うけどどんな経緯があったのかと思うし、現在の夫とはどんな恋愛があったのか(どこが気に入ったの?)しかもその夫は直前まで若くかわいい彼女がいたということだし、まだふらふらしている。というここからの展開に集中力が切れる。ラブ、と言ってるくらいなので省略するにせよ、ここが匂ってないのが乗り損ねる感じになるのかな。
深田晃司監督は、常にこの「得体の知れない人間」というのを出してくる監督だと思うので、基本スリラー的な話法の人で、夫婦の対面にある親たちのマンション、そしてぶら下がったCD、正体が掴めない旦那の父母のグロテスクな様、などイヤミスやったら相当いいような気がする。ただ今回はやっぱり「目を見て話す」=ぶつかってくる人間関係に光を感じる主人公であるなら、韓国籍という設定があまり効いてない気がする。結婚式で後ろ姿で踊る木村文乃の踊りはとてもいいのだけど、この韓国へ行ってしまって戻ってくる辺りも性急な感じでもったいない。
幸せな時間は一瞬にして悲しい過去になる
愛と人生に向き合う夫婦の姿を描いた人間ドラマ。どこにでもあるような身近な問題を題材にしているので非常に共感しやすい。幸せな時間は一瞬にして悲しい過去になってしまうことを改めて考えさせられた。
2022-156
LOVE LIFEってタイトルからは全く想像もつかない不穏な雰囲気の作品
とにかくオープニングから不穏な雰囲気が漂いまくっていた。
表面上は平和そうに見えて、どこか不協和音が鳴り響いているような人間関係。
そして、全く予想もつかない悲劇的な出来事。
この映画は常に観客の予想を裏切る展開が繰り広げられていた。
そのなかでも特に驚いたのは木村文乃が元夫と一緒に韓国に行くシーン。
危篤の父親に会いに行くと思ってたら、実は前妻との間の息子の結婚式に参列するという時点でかなり意外性があるが、凄いのは結婚式の長回しのシーン。
韓国歌謡が流れるなか木村文乃の背中を映し出す。
だんだんと雨が降ってきて参列者たちは屋内に駆け込んでいくが、木村文乃は雨に打たれながら曲に身を任せて踊り続ける。
このシーンを見れただけでも凄い映画を観たという気持ちになれました。
全体的に不穏な雰囲気の漂う深田晃司監督らしい作品だと思いました。
君は敬太の死を乗り越える必要はない。敬太のことを忘れてはいけない。君の人生にとって大事なことだから。
深すぎて意味不明のエンディング。だけど、こういう観客を試すラストは嫌いじゃない。なぜなら、その後もじっくりと味わえるから。あれはどういう意味か、あのあとどうなるのか、そんな放置がごろごろしているけれど、それは日常だって同じだ。隣の家族、自分の親兄弟、どんな過去を抱え、どんな気持ちで暮らし、どんな秘密を隠して生きているのだろう。つい、そう振り返ってしまう。
はじめから、なにか良からぬことが起きそうな空気に満ちていた。そして、事件の起こったあとも、まだまだ何かが潜んでいるように怯えてしまっていた。その警戒は杞憂に終わったようにも見えるし、波乱の人生がリスタートしたとも見える。それは、当人同士でしかわかり得ないことかもしれない。
とにかく、不穏。慎ましげに見える奥に潜む闇。なのになぜだろう、嫌悪感は薄い。それは、妙子の性根が善人だからだろうか。しょせん、庶民に起こる程度のさざ波だからだろうか。
それにしても、元夫役の砂田アトム、いい役者をつかったものだ。誰だ?と思って検索すると、そこには全く別人にしか見えない本人の動画がいくつか上がっていた。そして思う。あの演技はニワカ仕込みではないのだろうなと。映画に深みを添えていたのは、この役者の人間味なのかもしれない。
ふと感じるのは、「怒り」の感情の根源には「愛」があるということ。愛があるから、怒りが湧く。愛があるから、関わらざるをえない。そして「愛」がなくなってしまったとき、人は興味も薄れ、秘事のやましさも芽生え、「目を合わさなくなって」いくのだろう。
心地よい感じ
守ってあげなきゃいけない理由は?
「彼は弱いんだから、私が守ってあげなきゃダメなの」
このセリフの気持ち悪さがずっと残ってる。
なぜ弱いのか?
外国籍で耳が聴こえないから?仕事も家もないから?
そう言っているようにしか見えなかった。
なんというエゴ。
とはいえ、人間誰しもそういうエゴを知らず知らずのうちに抱えているものなのかもしれない。
ろう者の役を実際にろうの役者さんが演じたのは素晴らしいことだと思うけど、
わざわざ韓国籍とする必要性はあったのかなあ…というのも疑問。
その設定がマストだったのなら、韓国のろうの役者さんをキャスティングすべきだったのでは?
皆が本音を隠して生きている
愛する我が子・敬太を失った母・妙子の再生ドラマかと思いきや、妙子と次郎、夫々の過去の愛憎にまで物語は転じ、最後まで予想できない展開で面白く観ることができた。
監督、脚本は深田晃司。これまでにも「歓待」で移民問題を、「さようなら」で原発問題を取り上げながら、同時代的な社会問題をテーマとして取り入れてきた俊英である。本作では社会福祉や移民、ホームレスといった問題を取り上げながら、一組の家族に起こった悲劇を巡る数奇なドラマを語っている。ちなみに、妙子の義母が敬太の死をきっかけに信仰に傾倒していくが、これも「淵に立つ」との共通性が認められ興味深かった。
このように今回は深田監督の過去作からの引用が幾つか見られ、そういう意味では集大成のような作品に思えた。
物語は中盤で妙子の前夫パクが登場して急転する。終盤の展開が少し雑に映ったが、妙子の”ある選択”がもたらすラストの顛末には、実にいたたまれない気持ちにさせられた。
妙子からすれば、敬太を死なせてしまった原因が自分にあるという贖罪の念があったのだろう。失ったパクとの愛をもう一度取り戻したいという気持ちがあったのかもしれない。しかし、そんな彼女の思いは見事に打ち砕かれてしまう。愚かな選択と一蹴することはできる。しかし、彼女の止むに止まれぬ気持ちを想像すると不憫でしょうがなかった。
観終わって、色々と考えさせられる作品である。一組の夫婦の軌跡の物語、愛についての物語、あるいは手話が印象的に登場してくることを考えると、昨年観た「ドライブ・マイ・カー」のようなディスコミュニケーションをテーマにした物語という捉え方もできよう。
いずれにせよ、観た人が様々な角度から様々に解釈できる作品であることは間違いない。非常に懐の深い作品である。
個人的には、本作は人間の二面性について描いた作品…というふうに捉えた。
ここに登場する人物は皆、本音を隠し、表面を取り繕って生きている。自分を含め人間であれば誰でもそうした面はあると思うが、それをこの映画は痛いほど鋭く突いている。
例えば、次郎は妙子を気遣う優しい夫であるが、その一方で非常に薄情な男でもある。無口な義父も妙子に対する感情を前面には出さない。しかし、自然とそれは態度に表れてしまう。義母も妙子に朗らかに接しているが、何気ない一言から彼女の本音が見え隠れする。
そして、妙子もこの再婚にどこか負い目みたいなものを感じていたのではないだろうか。おそらく彼女は次郎の過去の女性遍歴についてすべて知っていたと思う。しかし、それを一切詮索しないで、現在の平和な結婚生活を壊さないように心掛けているように見えた。
「和をもって貴しとなす」という言葉がある。周囲に波風を立てない殊勝な心掛けは、いかにも日本人らしくて、それ自体美徳と言えなくもない。しかし、自分の意見をはっきりと主張する外国でも果たしてそう言えるだろうか?
パクは在日ホームレスという社会的弱者である。本人が意図していたかどうかは別として、その立場を利用して妙子と寄りを戻していった。彼もまた表裏の顔を使い分けたわけだが、しかしここに登場する他の日本人に比べると随分と図々しい男だと思った。それが個人の性格によるものなのか、国民性なのかは分からないが、実に厚顔にして”したたか”である。
一般的に日本人はシャイで本音を言わない人種だと言われている。その生態を本作は見事に突いていると思った。自分自身にもそうした所があるので、これには余計に納得させられてしまう。
したがって、妙子の顛末にも他人事ならざる憐れさを覚えてしまうのである。
物語・映画としての構成はすごくいいし、考えさせられた、でも共感できない
思いは一方通行
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