LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
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人生、山あり谷あり
愚かな行動をして、人を傷つける言葉を吐く。
それが人間です。
心が波立ち、ザワザワして、イライラする映画でした。
が、余韻は残る、そして後味も良かったです。
深田監督は矢野顕子の「LOVE LIFE」から発想したと聞きます。
「どんなに離れていても、愛することはできる。
「もうなにも欲しがりませんから、そばに居てね。
「ほほえみくれなくてもいい、でも生きていてね、ともに。」
発想から遠くへ発展したのかな?
子連れで再婚した妙子と初婚の二郎。
二郎の両親ははじめ反対したが押し切る形で結婚式を挙げて、
3人(6歳の啓太と、)は仲良く暮らしていた。
義父の誕生日の日、啓太は風呂場に落下して溺れて死ぬ。
啓太のいない夫婦はギクシャクしていきます。
二郎は悲しいことは悲しいけれど、妙子と抱き合い共に
泣くことは出来なかった。
後になって、
「早く2人の子供を持とう」
そう思った自分を人で無しだと思った・・・。
そう言う。
義父の何気なく発した「中古」
啓太の遺体の安置を、
「私の思い出の家だから嫌」と拒む義母。
葬儀では4年も蒸発していた妙子(木村文乃)の元夫のパク
(砂田アトム)が現れて、イキナリ妙子を殴りつける。
パクは韓国籍の韓国人で聾唖者だ。
(何故、韓国人でしかも聾唖者?)
この設定は後に韓国へ渡るラストで意味が分かる。
(実際にパクを演じている砂田アトムは聾唖者の俳優です)
パクは生活困窮者で生活保護の申請に二郎(永山絢斗)
の役所に現れる。
そこでの手話通訳を妙子が手伝うことになる。
「放っておけない」「私がついていないと・・」
妙子は夫の留守の自宅にパクを上げて泊める。
入浴しながら、
「殴ってくれて良かった。お風呂の水を抜かなかった私を
「叱ってくれたんだね」
妙子とパクには絆があると知れるシーン。
(入浴シーンは不要と思うが、お風呂場が必要だったのかな?)
妙子と二郎の住む団地の真向かいに、二郎の両親が転居した団地が
向かい合って建っている。
妙子とパクが仲良く洗濯物を干し、ふざけたパクはシーツを被る。
はしゃぐ2人。
それを向かいの団地から二郎が目撃する。
血相を変えて駆け込む二郎。
(妙子も無防備過ぎる。衆人環視なのに・・)
パクに電報が来る。
「父親危篤の報せ」だった。
パクは二郎から旅費を借りてフェリーに向かう。
送る二郎の車を降りて、パクは手話で妙子に話す。
「啓太の死の悲しみから、立ち直らなくてもいい」
「いつまでも、いつまでも悲しんで忘れないで、絶対に!!」
泣かせる台詞で私も凄く感動したのだけれど、
ここからがコメディ。
パクの息子の結婚式からの顛末は詳しく書きませんが、
2度も妻子を捨てていたパク。
ラストに向かい監督はよくもこう大きく舵を切ったものです。
この振り幅の大きさが深田監督の腕前なのでしょうね。
パクの明るさに救われる。
観ている私もすっかり心が軽くなるラストでした。
雑さもあるがセンスが光る
2022年劇場鑑賞65本目 秀作 68点
予告からしっとりした人間ドラマ感が伝わり結構楽しみにしていた作品
振り返ってみると一番印象的だったのは、夫婦役の二人の会話の無い空白が凄く素敵で、それがお互い冷め切っているからなのか、木村文乃が元旦那をまだ想っているからなのか、永山絢斗がそれに耐え切れず若い子に言い寄られ揺らぎ不倫してしまったからなのか、亡き息子に思いを馳せて時が止まってしまっているからなのか、どれも正解だからこそ全シーンの空白が凄く自然で、観客に想像力で解釈を促すのが素晴らしい。
昨今若者が配信等でセリフがないシーンはスキップしたり劇場では2時間耐えきれないなど、映画を冒涜している風潮が満映しており、それに伴い才能ある監督でも商業的に売れないと、監督としての生命線が途絶えてしまうので、時代に順応すべくセリフ過多で表現が一辺倒な作品が増えています。当方まだ二十台前半で、比較的若い方ですが、昨今の作品作りで排出された興行映画が表現がわかりやすすぎて胃もたれしてしまい好みが極端に分かれてしまいますが、今作は観客をある程度限定にし、伝わる人には伝わる表現がされていて、凄く好みでした。
是非
人間それぞれで結局自分で前に進まなきゃ。
女は雨に立ち尽くていた。
韓国という異国で。
あるモノをなくして、あるモノを取り戻そうとして、
あるヒトを手放して、あるヒトを救おうとして、
信仰みたいなものを抱いて自惚れもして。
そして、時に、自分を嘲笑うように、異国で。
愛という感情もそれにまつわる葛藤も、たくさん。
不意に振り返ってみたら、全てが独り言。
人生は自分で選んで進むもの。それだけが寂しみであり、唯一の救いでもある。
『ドライブ・マイ・カー』と共通しているところもある
昨年9月のベネチア国際映画祭でノミネートされ、NHKニュースや『ハートネットTV』"#ろうなん"という番組での取り上げられ方は、当事者俳優が演じたことを強調していた。本作を観てみると、その俳優は主役ではなく、途中から出演し、主役たちの生活に波風を起こす役割を果たしていた。主演の二人は、役所の福祉課と別棟の社協のようなホームレス支援事業を担当している部署に勤務していた。エンドクレジットによると、抱樸の協力を受けているという。妻は連れ子と夫にきかれたくない内緒話を手話で行っていた。妻は夫の両親から認められておらず、息子の事故死にも感情的に拒否を受ける面があった。警察でも虐待死を疑われる面があった。妻の元夫が突然現れたが、韓国手話を使うため、コミュニケーションを取れる者が妻しかおらず、現夫も理解を示す。そのうち妻は現夫に内緒で元夫を守らなければならないと思い込むようになってしまい、韓国に帰ると言い出した元夫についていく。現夫は元夫に背を向けたまま、妻が元夫のことを心配して探し回る活動をしてきたかを説明するが、元夫にはきこえていないというコミュニケーション断絶が表現されていた。釜山行きフェリーが発着する町という設定なのだろうか。しかし、韓国に行ってみると、元夫には家族がいて、妻が付き添う必要性はなかった。韓国手話が多様なコミュニケーションの一つとして使われ、登場人物が韓国に行ってしまうという展開は、確かに『ドライブ・マイ・カー』と共通していると思った。事後に監督の深田晃司氏とアナウンサーの笠井信輔氏のトークがあり、出発点は、深田氏が20代のときに矢野顕子氏作の同名の歌を知ったときに構想をもちながら、中途で保留しておき、近年『淵に立つ』を制作したことから本作脚本の展開を考え、主演二人をオファーしてから、二人と違う言語を使う人物としてろう者に行き当たり、障がい者が出演することの必然性や当事者の考え方を取材してつくりあげていったという。笠井氏は、木村氏の気の強さの表れる場面を評価し、本人に取材して、出産後、映画での子を失うショックよりも、生まれてきた子を大事にしたいという、まさに歌詞の表すような心情を書いてくれたことを報告していた。
覗き込むカメラワークが語りかけてくる
目黒の家族特集で鑑賞。
幸せな雰囲気から一転、二転、三転としていく。
夫婦、親子関係を通じて、血のつながり、人は何に惹かれるのか、何を選択するのか、自分の境遇と重ね合わせて考えられる。
たぶんそれぞれの人生のステージで感じることも違ってくる。映画のタイトルの通り。
カメラワークがとてもよかった。
遠目なアングルからの俯瞰、窓の外、のれんのこっち側など、感情移入というより、ある家族を覗き見している感覚になる。
さらに、冒頭のサプライズの画角を出すことで自然とその視点になるのも上手い。
一見ドロドロな関係になるところに、主題歌の矢野顕子の優しい曲が包み込み、なんとも不思議な感覚になる。
聾唖の人に対して背を向けて話すシーン
結婚式のなんとも言えないシーン
など、印象に残る演出も多い。
飽きない展開、カメラワーク、そして観た後、決してスッキリはしないが考えさせられるとてもいい映画だった。
2023年劇場鑑賞10本目
この映画の本質とは?
(完全ネタバレですので鑑賞してからお読み下さい)
この映画の本質とは、ものすごくイジワルな見方をすると
<例え相手がこちらを信頼のおけない裏切りの人物だとしても、助けが必要な人なら、あなたはそれでもその人に手を差し伸べられますか?>
だと思われました。
この映画が後味悪く私達に迫るのは、主人公の大沢妙子(木村文乃さん)が、耳が聞こえず在日韓国人でもある元夫のパク・シンジ(砂田アトムさん)を、同情からで手を差し伸べたのではないか?同情から結婚し子供をもうけたのではないか?の疑問をわき立たせる帰着をするからだと思われました。
大沢妙子の元夫のパク・シンジは、結局は妙子を裏切り父が危篤との嘘をついて、韓国にいる自分の別の元妻の息子の結婚式に出席します。
妙子はその光景を見るという、自らの子供(敬太(嶋田鉄太さん))を失っただけででなく、元夫にも裏切られるという終盤になります。
そこで妙子と観客の私達に突き刺さるのは、妙子は、耳が聞こえず在日韓国人という不遇な境遇のパク・シンジに同情からこれまで付き合ってきたのではないか?という偽善をはぎ取る事実の刃です。
そんな自分を裏切る相手であっても、あなたは援助が必要なその人に福祉の手を差し伸べることが出来ますか?との厳しい問い掛けの映画だと私には思われました。
そして、もちろん、その厳しい問い掛けに「イエスだ」と答える必要があるのだとも私には思われました。
この映画は、人に手を差し伸べる覚悟のリアルな刃を向けているように感じ、だからこそ、個人的には評価ある作品だと思われました。
しかし本当は、この回答は半分は間違っていると思われます。
妙子の元夫のパク・シンジは、韓国に戻るフェリーの前で妙子に、風呂場の事故で死んだ息子の敬太を君は忘れてはダメだと手話で伝えます。
例え、妙子のパク・シンジとの結婚が、彼への同情から出ていたとしても、2人のそこからの関係性と子供の敬太の存在は、同情を超えた確かなものとして存在していたはずだからです。
妙子が最後、パク・シンジを可哀そうな同情すべき自らが作り上げた存在から、相手をだまし卑怯で相手を裏切るどこにでもいる人間だと認識が変わった時に初めて、人間としてのパク・シンジに対峙出来たのだと思われました。
そして、だからこそ、子供の敬太が亡くなった事実が、同情という幻想が排除されることによって、むき出しの喪失感として妙子に迫って来るのだと思われました。
もちろん、こんなイジワルな映画を作らなくても‥とは個人的にも思われましたし、この映画が受け付けられない観客もいるだろうなとも思われました。
なので個人的にも人に勧めたり傑作の評価をするには躊躇も覚えます。
しかし、このどこまでもビターで厳しいまなざしは、どこか人間に対峙した時のシビアな現実を一方で示しているようにも感じ、個人的には評価出来る作品だなと僭越思われました。
愛し、愛され、振り、振られ
私が観た深田晃司監督の中では、ひょっとしたら一番面白い作品だったかも知れません。
深田監督作品ではいつものことなのですが、登場人物の誰にも自分との共通性を見つけられないし感情移入もしないのだけど「ああ~、こういう人いる」という感じは常にあります。
本作の主人公夫婦などはどちらも公務員であり、世間的には優秀に思える(見える)人達なのに、(これも当たり前だけど)何か人間として完璧さからは程遠く欠点も多く垣間見える人達であり(それは全ての登場人物も同様)、その大きな原因として大なり小なりそれぞれの“後ろめたさ”を隠し持ちながら生きている部分にあり、本作ではある事件でそれが明らかになった人達の後始末の物語でした。
隠していたものが表出することにより人間はどう進むべきか?という、どんな人間にも当てはまる結構大きなテーマを扱った作品だったと思います。
まあ人間、嘘や隠し事のない人なんていないとは思うけど、大切だと思える人には重要なことは知っておいて貰う方が良いのでしょう。それが中々出来ないからこそ、星の数ほどドラマが生まれるのでしょうけどね。
映像から感情がにじみ出ているかのような
観れて良かった。
不覚にも共感
元になった曲は知らず、事前情報もほとんど無しで鑑賞。
始まりから上手い。
登場人物同士の人間関係や日常生活に潜む不穏の種が会話や仕草でとても自然に説明される。
尚且つ、敬太と妙子が二郎に隠れて手話で会話するところが後々の伏線にもなっていてまさに一分の隙もない。
そしてほんの少しギクシャクしながら進む日常、そこに少し誠の誕生日のお祝い、敬太のオセロ大会優勝のお祝いで明るく穏やかな時間が流れている時に突然“そのとき”はやってくる。
事前情報を入れなかったからだろうか、ここが予想外でそれまでも引き込まれていたがさらに引き込まれた。
そして次にすごいシーンが敬太の葬式のシーン。
敬太の実の父、即ち妙子の前の夫パク・シンジがやってくるシーン。
スタッフの声も聞かず(正確には聞こえてないのだが、ここではまだわからない)、妙子を一発平手打ちする、止める二郎、自らを何度も殴りながら泣くシンジ、それに応えるかのように泣き始める妙子、2人の間で立ち尽くす二郎。
たかだか30秒程度のシーンだが、このシーンが後々まで効いてくるし、その時点での3人の立場を端的に表していて秀逸。
そこから何やかんやあるのだが、その過程にも深く共感する。
いや、そんな実体験はないのだが、なんというか悪い時はどんどん堕ちていく。
妙子は子供を失った悲しみで、二郎は敬太は実の息子ではなく葬式でも泣けず妙子と本当に繋がっていないような不安から、堕ちていく。
こういう堕ちていく気持ちは不覚にも共感してしまった。
そして終わりは唐突にやってくる。
この終わりには正直「えっもう終わり?」と感じた。
よく言えばそれまで時間を感じさせなかった、悪く言えば中途半端だろうか?
韓国から帰ってきた妙子と二郎が目を合わせただけで果たしてもう一回歩き始めれるのかに関してはなんとも言えない。
それまでのマイナスが0になって終わるのは余韻があるようにも思えるし、狡いようにも思えてしまう。
だけど何故だか見終わったあとスッと清涼感があり、余韻の中に疲れながら浸っていく。
とても不思議な感覚だった。
どんな形でも愛
ベネチア国際映画祭のある視点部門受賞作である本作。木村文乃だし、見たいな〜。でも映画祭で高い評価を受ける映画って苦手なんだよな〜。そういう葛藤があり、後回しにしてしまったせいで公開からだいぶ経ってしまいました。ハマるかどうか少し不安だったけれど、結果として見てよかったと思える映画でした。
初めて深田晃司監督の作品を拝見したのですが、評判通りの上質で上品な映像で、ストーリーの掘り下げ方がお見事な、確かに外国ウケ・評論家ウケしそうな脚本を書く監督でした。映画祭で受賞する映画って超苦手なので、今回も多分好きになれないんだろうなあと思っていたけれど、意外とかなりいい作品で、久々に受賞に納得がいきました笑
ストーリー展開は早過ぎず遅過ぎずで見やすく、2時間越えにも関わらず目が離せないくらい、見応えがあります。徐々に明らかになる過去、そして各登場人物が抱える本当の思い。だんだんと深刻になっていき、崩れていく「愛」に気持ち悪さを覚えながらも、なぜか居心地が良かった。面白いというのが正解なのか分からないけど、すごく満足度が高かったです。
遠くなっていく、離れていく、溝が深まっていく。そういった心の心情が役者の名演と共に、映像も体現していく。いい意味で日本映画らしくないと感じるのは、このような深田監督の独特な表現からかも。映像作品として圧巻の美しさであり、これからもこの監督を追いかけたいと思える世界観でした。
木村文乃が好きになること間違いなし。
やっぱり可愛くて美しいし、でも演技は今まで以上で衝撃的。ストーリーの掘り下げ方は良くても、キャラクターの掘り下げ方が物足りず、ちょっと残念な感じだったけど、彼女の演技力は一流です。
パンチが弱く、ラストに至っては微妙だったんだけど、個人的には満足のいく作品でした。流行りはしないし、万人受けもしないだろうけど、こういう映画はもっと撮って欲しいなあ。そして、もっと上映館増やしてくれ笑
重苦しいが共感できる良い映画
相手の顔を見て話すということ
冒頭、息子のオセロ大会優勝のお祝い、兼ねて父の誕生日祝いのサプライズと、晴れやかな日のはずなのに、どうも不穏な空気に満ちあふれている。一連のシークエンスで、夫婦と息子の関係、それぞれの職場、親との関係、さらにはキーアイテム(オセロ、手話、ベランダのCD)を描いてみせる手際は鮮やか。そして、不慮の事故で息子が亡くなり、葬儀会場に行方不明だった実の父である元夫が突然現れ、狼藉を働く。
さあこれからどうなる、と本編に入るわけだが、どうもその後の展開が甘い。作者はあえて登場人物の言動に感情移入させないように作っているとしか思えない。元カノのシーンとか要るかな…
元夫は聾唖者であるため、手話を使い、互いに相手の顔を見て感情を読み取りながら会話する。一方、現在の夫は、相手の顔を見て話すことができない。人と人がどうしたら理解し合えるのか(そもそも理解することができるのか)がこの作品のテーマで、ラストシーンに繋がっていくことはわかる。それにしても、手話以外のセリフや独白は、上滑りな感じがしたが、それも作者の狙いどおりか。
「ドライブ・マイ・カー」に続き、韓国手話が使われていたが、元夫を韓国人に設定した意図や効果はわからなかった。妻が韓国行きフェリーに飛び乗ったが、パスポートはあったのだろうか…
役者陣は頑張っていたが、微妙なところ。永山絢斗の役は、誰がやっても難しかっただろう。
ラスト、タイトルが出るタイミングとその後の長回しにじんわりときて、後味は良かった。
リピートするぐらい良かった
此処にあらず
疲れ果てた
映画というのは大体観たら疲れるものだが、この作品は心底ぐったりした。これまで観た深田監督作品の中でもダントツで疲れ果てた。
「幸せ」に潜む痛みと、突然の喪失と、人間が皆持つ「正しくなさ」。エゴ、と表現するにはあまりにも広くて深いもの。
人間だれしも邪な気持ちを持って生きているものだと思うし、それをそっと見ないふりをして平穏に暮らそうとしている。でもこの作品はそれを次々と突きつけてくる。
耳が聴こえない元夫と目を合わせない現夫。「この人は弱いから私がいないと」に潜む依存性。
全てを曝け出すことが正しいとは到底思えない。でも、じゃあ、ひととひととが分かりあうってどういうことなんだろうか。多分根源では絶対分かり合えないけど、分かろうとする努力が人間関係なのかもしれない。
ラスト、あそこでタイトル持ってくるのは美しいと感じた。
しかし、自分自身は矢野顕子の「LOVE LIFE」を聴いても歌詞を見ても、どうやったらこの物語は生まれるのか分からない。深田晃司という人は心底怖い、と思った。こんなに人間の深いところを考えて物語を紡ぐというのは…観ているこちらがこんなに消耗するものを、作り手はどういう心で作るのだろうか。人を分かろうとする試みは、とても尊く、とても残酷で怖しい。
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