もちろん、本作の肝(きも)は、フィギア選手として渾身の努力で立ち直ったナーシャと、そのナーシャのバートナーとしてのサーシャではあるのですけれども。
しかし、この作品では、ナーシャのコーチであるイリーナも、欠かせない要素になっていたと思います。
例えて言えば、イリーナという「香辛料」かあって、初めてのナーシャとサーシャの「味」が引き立っているというような感じでしょうか。
その点、イリーナが、終盤で見せる「ガツッポーズ」が、評論子には、忘れられません。
それがら彼女の人柄そのものを表していたかのようで。
思い起こしてみれば、何とかナーシャとサーシャの「番外コンビ」に演技をさせようと、大会の審判委員(?)に食い下がるシーンも、素敵でした。
どちらも、多くのフィギア選手を育ててきた、指導者としてのイリーナの人間性の表出であったことは、疑いのないことと思います。
そういう彼女の人となりを垣間見ただけても、本作は観賞の価値があったと思っています。評論子は。
充二分な佳作であったと思います。
評論子は。
〈映画のことば〉
訴える?
国連にでも、どこにでも訴えればいいわ。
それより、今は音楽を!
(追記)
寡聞にして、評論子は知らなかったのですけれども…。
フィギアスケートの選手は、こんな「壁登り」とか「匍匐(ほふく)前進」のようなトレーニングもしているのでしょうか。
目隠しをして、早くスケート靴の紐を編み上げるというトレーニングも実際なのでしょうか。
まったく想像すらしていなかったので、ちょっと驚いてしまいました。
(追記)
「神よ、私に忍耐力を。」
事態が自分の思うとおりには展開しないときに、ナージャのコーチであるイリーナが、よく呟(つぶや)く言葉です。
実生活の中でも、色々と使いでのありそうなセリフだと思うのは、果たして評論子だけでしょうか。
彼女と同じような状況に追い込まれてしまったときに、評論子がいつも思うことにしているのは、「天使のくれた時間を大切にしよう」ということです。
出所は、文字通り『天使のくれた時間』(2001年、ブレット・ラトナー監督)なのですけれども、その評論子か置かれてしまった不遇は、試練として天使が与えてくれた時間だと考えると訳です。
その意味では、意外なところで、意外な作品を思い起こしたとも言える一本でもありました。評論子にとっては。
(追記)
そのイリーナが、一時期はフィギアから不本意にも離れてバナナ売りをしていたナーシャから、バナナを買うシーンがありました。
ロシアでは、バナナは、それだけ売って商売になるような「高級くだもの」なのでしょうか。
買手のイリーナが、フィギアの指導者と知ったときの、サーシャの対応の変化も、評論子には、面白かった一本でした。