ハッチング 孵化のレビュー・感想・評価
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毒親の駒だった「よい子」の葛藤と自我の目覚め
一見ホラーだが、主人公ティンヤが母親の精神的な束縛から抜け出し、自我に目覚める物語に見えた。
母親の太腿の傷は、昔彼女が怪我で自分の夢(スケートだったっけ)を諦めたことを匂わせる。その反動が、家族も巻き込んだインスタ映え生活と、娘への過剰な期待だろう。当初ティンヤは体操の大会入賞へと邁進することに疑問を持っていなかったが、ためらいなくカラスの首を捻る母の姿を見たことをきっかけに、彼女の心にわだかまりが宿る。
彼女が拾い、どんどん大きくなってゆく卵は、そのわだかまりが投影されたものに見えた。ティンヤ自身、そのもやもやとした気持ちが何に対するものなのか自分でも明確には分からない段階が、卵として表されている。
卵の孵化は、母親の言動に対する違和感や反発心、人間が当たり前に持つ負の感情をはっきりと自覚したということ。理想的な家族としての生活を母親から実質的に強制されてきたティンヤは、そういった感情を意識の下に押し込めて生きてきたのだろう。その自覚は自立心の芽生えだが、母に言われるままに育ってきた少女にとっては、これまで信じてきた母親と自分自身のあり方の否定にも繋がる、恐ろしい考えでもある。序盤のアッリの外見の不気味さは、その恐ろしさを象徴している。
アッリはティンヤの心に浮かんだ負の感情の対象に危害を加えてゆく。自分の手を噛んだ隣人レータの飼い犬、自分より体操が上手くて母を不機嫌にさせたレータ、自分よりも母親の愛を引きつけた浮気相手テロの子供。アッリの所業を恐れつつも、ティンヤは本当の親鳥のように、吐き戻した餌をアッリに与えて育む。成長するにつれ、アッリの外見はティンヤに近づいてゆく。アッリは感覚的にティンヤと繋がっていて、アッリが傷つけられるとティンヤも痛みを感じる。それは、彼ら二人が一体であることを示唆している。
最後に母親がアッリに気づき、ティンヤとともに包丁を持って立ち向かおうとする場面は、一見母娘の和解と共闘のようにも見えるが決してそうではない。母はアッリさえ倒せば全て解決すると言っていたが、アッリは母のねじれた欲求の捌け口にされ押し潰されたティンヤ自身でもある。母はそのことに目を向けず、娘の心の思惑通りにならない部分を消そうとしたに過ぎない。
そもそも、本作で一番恐ろしいのは母親だ。キラキラ生活を動画で晒すのは好みの問題だからあえてどうこう言わないが、浮気のことまでキラキラ要素であるかのように娘に(娘の反応も仔細に確認せずに)話すし、ライバルに負けると体操の大会のライブ映えが悪くなるからと娘にスパルタ。浮気相手に振られてハンドルに頭を打ちつけるのはもうドン引き。もはや母親がメインキャラのサイコホラーだ。映画の締めだからといって、こういう毒親と茶番のような和解をする必要は一切ない。
ラストで、母が育てた「親の言うことを聞くティンヤ」が刺され、見た目までほぼティンヤに変貌したアッリが覚醒する。いい子を演じる親の操り人形から脱する苦悩と自立の物語としては、痛快なハッピーエンドだ。
家族は知らない、私だけの秘密。
原題
Pahanhautoja/Hatching
感想
無垢な少女のもとでそれはやがて狂気に姿を変える。
誰もが羨む“幸せな家庭”で少女の抑圧された感情が<卵>に満ちる時、悪夢は生まれる。戦慄の北欧イノセントホラー。
不気味さ気持ち悪さはあるものの怖くはなかったです。
ですがなんか精神的にやられました…。
あと動物が殺されるのは観ていて辛いですね。カラス、犬と…。
そしてよくこんな気持ちの悪い鳥のバケモノが生まれたもんだと思いました笑
ティンヤの負の感情全てで形成された者です。
なんか家族全員が気持ち悪いです。母親は毒親ですし、父親は見て見ぬふり、父弟は容姿似すぎです笑
吐瀉物シーンは嫌ですね。
ティンヤ役の少女は美人さんです。
ラストは鳥人ティンヤをどうするんですかね?
あの母親なら普通に育てそうですね笑
※チャンネル素敵な毎日へようこそ
カットしたもの
美しい家具、優しい夫、可愛い子供達、特に体操に励む娘を献身的に励まし自慢する
そんな配信者あるあるは普通
「それはカットするから大丈夫」
何が大丈夫なのだろう?
そんな美しい我が家の裏側は序盤で母親が平気でカラスの首を折る行為でわかりやすく観客に教えてくれる。
選手に選ばせる為、ティンヤへの猛特訓。
母親の練習への執着で友人と共に帰る事もできない。
すべては母の為、母の愛情を受ける為。
ティンヤは森で瀕死のカラスを見つけ、母の行い通り「苦しまないように」と石で殴りつけその亡骸の下で卵を拾う。
ティンヤはふつふつと溜まっていく暗い澱を卵に注ぐ様に抱きしめる。
浮気をしても悪びれない母親。
それはエスカレートする一方。
ティンヤの涙が卵に伝わった瞬間、大きくなった卵は孵化する。カラスの様な産声と共に
恐ろしい姿のそれは母を求めてティンヤにすり寄る
それに対してティンヤも吐き戻しでご飯を食べさせ着飾る。
それは徐々にティンヤの心の揺れを察知し片付けていく。
うるさい犬、自分より優れた演技のできる少女、ついには浮気相手の赤子まで手にかけようとする。
母親の赤子に対する異常なまでの愛情が気持ち悪く、赤子の泣く声から変わる喘ぎ声、美しく愛ある家庭はティンヤの家にはないもの。
母はその子さえも撮影し、「手元はカットするから大丈夫」と。
ティンヤの心の連動からそれはどんどんティンヤに似てくる。
それのせいで最愛の浮気相手も彼の子供も奪われた母。絶望に満ちていても幸せな配信を続ける。
ティンヤが産み出したそれは母に抱きつく。しっかりと。
不満や悲しみの奥には母からの愛情を求めたティンヤがいた。
それを始末する前に抱き合うティンヤと母。
それは丸い鏡に映る光景。鏡に投影された親娘の間には愛はあったのだろうか。
個人的にはわかりやすい支配的な母親よりは事なかれ主義の父親に問題があると苛立った。
支配されることに慣れ、見下されていても良い夫を続ける。浮気を知っていてもスルー、母親の事は尊敬していると。
隣人にはにこやかに挨拶をしながら掘り返した土を隠す。
手のかかる下の男の子を押し付けられる。
別に男が支配的だったり男らしくせねばとは思わないけど人間的にどうなの?ってなった。
ジャケットの通り、カットしたものは家族。
ホラーというより寓話的な作品
北欧的な中二病さ♥
究極のネタバレしますので。レビューは映画を見てからが良か!
北欧ホラー第二弾。
話の展開はめちゃくちゃですが『同じ少女の中に別の人格がある』まさにエクソシストなわけですよ。
純真無垢な少女と天真爛漫を通り越して空気が読めない出鱈目な母親。その二人が同じ身で繋がっている。その母親が娘を!すると、純真無垢な少女は死んでしまう。しかし、かの方の如く復活を迎える。別の形で贖罪は残るが、代々引き継がれた贖罪は払拭され、純真無垢な心は再生されたと思われる。
フィンランドと言う国は多民族国家で、経済的には裕福だが、文化も多様だし、政治に関しては大変に複雑である。隣国との関係もロシア、スウェーデン、バルト三国、そしてドイツとの関係は複雑極まりない。
さて、そのフィンランドがNATOに加盟した。この映画はタイムリーにこの時期に上映された。単なるホラーなのだろうか?
浮気相手が『テロ』見え透いた御冗談を♥
人間が一人も死なないのが、その冗談に磨きを掛けたかなぁ?
この主演のお嬢さんは本当に器械体操が出来る様だ。ぜひ、アクション映画に挑戦してもらいたい。
追記 フィンランドと言えば、ムーミンたが、トーベ・ヤンソンさんはスウェーデン系のフィンランド人。ムーミンの物語もスウェーデン語で書かれている。また、南北格差が大きいのはアキ・カウリスマキ監督作品に登場する。そして、ラップランドには原住民がいる。また、隣国のエストニアの30%くらいがロシア系で、首都のタリンはフィンランドのヘルシンキから90kmしか離れていない。
それはエッグ(エゴ)を育て続け、肥大化させた人間の姿。
一見誰もが羨む理想的な家庭、しかしそれはまるで洗剤のCMでも見てるかのように妙に白々しい。それもそのはず、その姿はあくまでも母親の願望でしかない。母親は自身が望む理想的な家族の形を動画配信することで幸せアピールをし、自らの欲望を満たそうとする。
彼女の前では夫と息子はもはや記号化した存在でしかなく、実際夫は妻の不倫を知りながら妻の貪欲さを尊敬しているとまで言い放つほど主体性が感じられない。息子に至っては定期的に駄々をこねるだけのかきわりに成り下がっている。
そして母がかなえられなかった夢の実現に向けて日々プレッシャーを感じてるのが主人公のティンヤ。
母の願いをかなえるためひたすら体操の練習に明け暮れる彼女だが、そんな彼女をしり目に母は不倫を楽しんでいる。
母への鬱屈した思いを日に日にため込んでいた彼女はある日森で拾った卵をこっそり温め始める。その卵はまるで彼女の鬱屈した思いを養分とするかのようにどんどん大きくなっていった。
ティンヤも自らの鬱積したエゴを育てるように卵を温め続ける。そうして彼女の肥大化したエゴは巨大な卵となり、やがてそこから禍々しい怪物が生まれる。
アッリと名付けられたその怪物は彼女の思いに呼応し、彼女の心の底で蠢いていた願望を実現していく。彼女にとって邪魔な存在に次々に危害を加えていくのだ。次第にティンヤもアッリが自分の分身だと気づくが、アッリの暴走は止まらない。
彼女のエゴが創り出したもう一人の自分、なんとかしてそれを消し去ろうとするが結局ティンヤはアッリをかばい命を落としてしまう。
ティンヤの血を飲んだアッリはティンヤの姿に。唯一理性的な部分を持ち合わせていたティンヤが消え、エゴの塊のようなティンヤがここに孵化した瞬間だった。
しかしそれは驚くには値しない。ティンヤの母もそうして大人になったのだから。自分の欲望を満たすことしか頭にない母親、彼女もティンヤのように孵化して今の自分になったに違いない。
北欧スリラーといえば、直近では「ボーダー」なる傑作もあったけど、本作はサイコスリラーとしては少々中途半端な出来。
劇場にて鑑賞。再投稿
北欧・美少女ホラー
怖かったです。
主人公の12歳の少女・ティンヤがあまりにも無垢で
美しくて、《卵の中から悪い分身を孵化させる?》
森で拾ってきた卵を温めると、みるみる大きくなる。
やがて殻を割って嘴のある大きな鳥
(私には恐竜のように見えた)
が、現れて、少女はアッリと名付ける。
そしてアッリはティンヤの嫌いな犬や、体操クラブでティンヤの
ライバルになる隣の女の子を襲う。
そしてアッリはやがて人間の外見でティンヤそっくりに成長する。
(鳥の化け物が人間の少女に変化するのは、納得出来ない)
そしてその分身はまるで生体離脱したように、どこにでも現れる。
なので最初この生き物は《意識が作った存在しないけれど、ティンヤにだけ見える》
のかと思ったけれど、実際にティンヤと化物は一緒の空間にいる。
ティンヤは摂食障害があるらしい。
体操選手だからかな?
アッリの餌を貪り食べたり、
やることが異常。
一番ティンヤの異常性を嫌悪したのは、
母親の浮気相手のテロ。
ティンヤは体操のコンクール、
アッリはテロの家で幼い子に斧を振るって殺そうとしている。
その場面が心に浮かんだティンヤは鉄棒を落下して
それを阻止する。
別の場所で自分から孵化した怪物が赤ちゃんを殺そうとする?
なんか嫌な映画でした。
自分の娘がこの役を演じるなら、反対します。
それも親のエゴでしょうか?
ティンヤの母親が怪物で、嫌いでした。
思っていたよりシンプルなホラーより
主人公の母親にとってまわりのことは全て自分を輝かせるためのアクセサリーだ。夫も娘も娘のバレエの実力も。
実力以上の期待を寄せてくる母親に対して主人公は応えようとする。母親に愛される娘になるために。
しかしもう純粋なだけの子どもでもない主人公は自分でも気づかぬうちに負の感情を蓄積させていくこととなる。
主人公が拾ってきた卵は彼女の中のもう一人の彼女。
溜まっていく負の感情を背負った自身の半身。
主人公が子どもから大人へと成長していくのと同時に、負の感情である卵も育っていく。
全く同一になってしまった主人公と鳥が入れ替わってしまうエンディング。
元鳥だった彼女は母親の望む娘になるのだろうか。それとも、つのらせた負の感情を爆発させるのだろうか。
残された家族はすっかり娘の姿になってしまった元鳥に危害を加えられるのだろうか。
白いホラー
抑圧されたストレスがもう一人の邪悪な自分を孵化させるという話。
面白い設定ではあるがイマイチ盛り上がらない。
母親は承認欲求が強い割と居そうな人。
異常であるけどありそうな感じ。
でも娘のティンヤは確かにストレスではあるがそれを爆発させるには
どれも要因としてはちょっと弱い気がした。
隣の犬がうるさかったことも演出的にはそれだけで?寝てたやん。。って感じだし、隣の娘が体操でライバルになったのも、その危機感が伝わってこない。もっと「私ヤバくない?」という演出がないと危害を加えるに動機が弱く見える。
またそのくらい欲望に歯止めの効かないもう一人の自分に焦りがあまり見えない。
もっとティンヤは焦っていいはず。危機感がなさすぎるので見ている側にそれが伝わってこない。
ラストもなんだかぐだぐだな感じでどうもメリハリのない映画だった。
90分なのがまあよかったかな。
何が怖い?母親だよ
完璧な家族を世界に発信する事に夢中な母親、特に自分と娘ティンヤは特別。この母親の愛情の偏りが半端ない。息子にはかなり冷たく、お土産もかってこなかったりとかなり冷たい。ダンナには優しいように接するが、心の中で蔑み、浮気相手がいる。ダンナに知られても、平気で休みの日には「彼の所へティンヤと行ってくる」と出かける。その時の父を気遣うティンヤの表情も悲しいが、ダンナが「ママは個性的だから、彼もいい男だし」と笑うダンナがなんとも気の毒。引き攣った笑顔がなんとも可哀想。
孵化したある生き物が生物学的になんなのか?それはわからないけれどティンヤの心のままに行動するもう1人のティンヤなのかな?ママのお気に入りのティンヤでいなくちゃ、と自分を押し殺して我慢してきたティンヤ。友達と遊びたいのも我慢して、手のマメが潰れても練習を続けたり、友達に嫉妬しながらも仲良くしたり、その抑圧された感情をもう1人のティンヤが思う存分発散したのか?
それともある生き物はいないのか?とも思ったが、同じ時間帯に確かに2人いる訳で。
最後にティンヤが育てた生き物をかばって死んでしまったティンヤ。あの後どうなったのか、、、、きっと怖いママは憧れの生活を送るママの動画を配信するために、ある生き物をティンヤとして育てて、自分が娘を殺したことは隠し通すのでは?言いなりのダンナは黙認。
ああ、ホラーだな。恐ろしいママだわ🥶
いやラスト!
犬に厳しく隣人に厳しい映画
とても嫌な母親と、良い人そうで不倫されても怒らない父親とうざい弟が家族
がっつり卵から異形のカラスがでてきて、そういう映画!?って思ったらだんだんティンヤ(主人公)になってきて痛覚リンクしたり視界ジャックしたり、主人公に危害を加えそうな人物に勝手に襲いかかるというアッリちゃん
テロさんがまとも枠and味方枠かなって思ったけど、全然嫌われた。ゴートゥーヘル言われてた笑
いやそもそも初っ端から人ん家でイチャイチャしてたしてたからとんでもねぇやろうだったわ
でも、テロさんとティンヤとの関わり方はいいお父さんだな〜ってなった(不倫相手)
こういう嫌な母親ネタ色んな作品であるんやろうけど、これは解像度が高くてうざかったなぁ
そしてラストは好き
てか卵でっかくなりすぎ!
ティンヤの憎悪とか負の感情を溜めたのか!?
鑑賞動機:あらすじ10割
また変なの出てきたー。いや、変なのだから日本に持ってきたのかな。
自撮り棒の元についてるのが苦手。
途中ちょっとドラえもんの某エピソードを連想する。
単純に「私を見て」という衝動かと思ったら、自分でも制御できなくなっていく欲望というか心の澱のようにも見え。あれは何。
独特の世界観
北欧ホラー、ビデオジャケット(ポスター?)の美少女とあやしげな卵が妙に美しく、どんなのか気になってしかたなかったのですが、自分のまあまあ好きな世界観でした。
母親の期待を裏切らないように、常に親の顔色をうかがいながら生活している主人公のティンヤ。気持ちを抑制した感じがよかったです。時には憂いある大人っぽい表情をしたり、あどけない笑顔を見せたり。母親から浮気相手との「恋話」を聞かされたときの困った表情(戸惑っている)なんかも、うまく表現していました。(それにしても、おとっつあんといえば、「ママは個性的だ、尊敬している」「テロ(愛人)もいい男だ」などと容認してしまうのが、気色悪かったです)
少女が温めていた卵が割れて孵化したとき、まさに「鳥」だったのですが、いつのまにか、人間のように変化し、ついには、「もう一人にティンヤ」になってしまう展開は中々、大胆でびっくりしました。
ティンヤがもう一人誕生した時点から、「もう一つの自我」なんだなと気付かされました。ティンヤの嘔吐したものを食する「その鳥」を見て、最初は気持ち悪〜いと思ったものの、あれは、ティンヤ自身が「吐きだしてしまいたかったもの」の象徴かなと思ったり。また、卵を大事に育てて、「アッリ」が暴れて困ってしまうティンヤでしたが、面倒をよく見て大切に育てる健気な姿が印象的。奥の深さを感じます。
最後、母は娘のティンヤを刺してしまいますが、ティンヤともう一人の自我が結局は合体(中和)?して、一皮剥けたティンヤが誕生したのではないかと自分は考えてしまいました。あの母は、生き残ったティンヤとともに、また、やりたい放題やるんだろうなあと思うと、ゾッとします。
余談ですが、愛人のテロはいい男でしたね。側転を失敗したティンヤに自分の格好悪い側転見せて、ティンヤの緊張を解いてあげたりで。テロはあんな母親と別れてよかった。よかった。笑
毒親が過ぎる
ジャンルは「ホラー」なのでご注意を(サイコホラーだと思ってた)
北欧系独特の不穏な雰囲気がたまらない
おかん→自己愛系毒親
おとん→発達系毒親
弟→境界線系KY
主人公→美少女
かな!
解釈の違いはあると思いますが
愛されたい主人公と自分のコピーを作りたい母親
我関せずの父親、めんどくさい弟
その環境で育ててしまった「自我」
ラストも象徴的
冒頭のカラスを笑顔でやっちゃうシーンは
「完璧にカスタマイズされた家」を「壊す」ものは「要らない」という暗示なのかしらとも
90分にまとめあげてるのも良き
孵化したのは何か
最近の流行りなのでしょうか。
こういう明るくて可愛い映像の中でなにか薄暗いものが潜んでいる映画が大好きです。
ビバリウムやミッドサマーが好きな方にはぜひ見ていただきたい。
生まれてきたのは「自我」という見方もあるとは思うが、そうなるとこの娘の自我には殺意しかないということになってしまわないだろうか。
孵化したのは隠しておきたい黒い感情、殺意なのではないかと私は思う。
誰にでも殺したいくらい憎いと思ったことがある相手が何人かはいるのではないだろうか。(私だけだとしたら失敬。)
毒親の教育や虐めなどは強い憎しみを生み、多くの人は実行はしないが心の中で「あいつが死ねばいいのに」と思う瞬間があるのはおかしいことではないと思う。
憎しみに支配されている人間には、相手との関係性を変える方法など考える余裕もなく、相手の存在を消すのが一番手っ取り早いからそれが殺意という形で現れた。
私の体験談にはなるが私は幼少期、娘に対して暴言暴力が日常茶飯事の自分の母親を殺したくてたまらなかった。
憎しみに支配されたことがない人間も存在するのだろうとは思うが、強い感情に支配されて育った私には孵化した自分がこのうような行動に出るのは全く不思議には感じられなかった。
本来は理性で抑えつけられるはずの殺意が実態となって現れて、抑えられずに行動に出てしまう。
親に自分の感情や行動を認めてもらえず、母親の願望を叶えるための道具として扱われてきた子どもが、感情をコントロールする方法を身に着けられず、そして親の支配から逃れることもできず、目的の邪魔になる動物や人間を「殺したい」と思うのは自然なことのように感じる。
ただ、多くの人はそれを実行できないが、この映画では代わりにやってくれるものがいる。
映画の冒頭で娘は家に迷い込んだ鳥を「逃がす」という選択肢を持っていた。
隣人の子どもと遊びたいと母親へ頼む場面もあった。
これは、もともと自我はあったが抑圧されてきたという表現なのだろう。
母娘の関係に焦点が行きがちだが、この父にも問題がある。
母親の「他人から幸せに見られたい」という欲望を叶えるために娘の行動や思考が抑圧されてきたことに対して何の対策も取らずにただ見ている。
また、母親の不倫を容認し、あろうことか母親が娘を連れて不倫相手の家に宿泊することを許してしまう。
この映画ではそうならなかったが、娘が不倫相手にレイプをされる可能性だって大いにある。
どちらも教育の放棄と言っていいだろう。
弟に関しては「母親に期待されなかった子」としての苛立ちが見られる。
不倫相手とうまく行かなくなった母親が放った言葉によって、父親も息子も母親にとっては駒として使えないものだということが明らかになる。
ただ、期待を持たれた娘が一番辛そうに見えるので、こんな母親からの期待なら、むしろ期待をされないほうが幸せなのかもしれない。
完璧主義者の母親が、実子殺しの犯罪者になる現実を受け入れられるはずもなく、これからこの家族はこのモンスターを娘として育てるのだろうか。
洋風妖怪
多分、この手の作風やレトロ感のあるホラーを好きな層は日本には多いと思う。成人映画でもこの手の
作風は必ず作られる。CGで作っても、アニマトロニクス技術を配してもやはり現実の映像にはなかなか溶け込めなくて、それでもその違和感を補正する能力は日本人は高いんじゃないかと思う。そういう意味で今作品を引っ張ってきた配給会社の狙いどおりなのだが・・・
但し、別の視点での受容れられる土壌を持っている日本ならではの悪質な世界観も、もたらしてしまったのは計算外であろう。その内容はここには敢えて評しない。聞きつけた好事家達の餌食にされるから・・・
この考察、見落としありますか??
他の方の考察コメント、レビュー見たけど、私と考察が違ったので、コメントいただきたいです!※割と前半ボーッとしてたので、見落としあったのかも。
最後の場面って、母親も元は化物で主人公みたいに変化した経緯があるって事の暗示だと思ったんですが、違いますか??
娘と母親の傷って場所は違えど、色と質感同じでしたよね??
話の流れで、否定できるような部分なかったように思ったんですが、、、
元化物ならあの狂気性も納得できますよね??
よかった
カラスの化け物が女の子の化身でもあり、実際のところ実在したのかどうかも定かでない感じもするのだけど、体操の大会に出場中に赤ん坊を襲うことはできないのでやはり実在したと見る方がいいのだろうか。
お母さんの顔の圧がすごい。彼女は浮気相手に捨てられるより、あのつまらなさそうな動画がまったくバズらないことや、クソコメに発狂する方がリアルだと思う。
卵のうちは主人公も可愛がっていたのだけど、いざ孵化すると見てくれの不気味さに引いている。それでもケアするので、すごくいい子だなあと思う。
弟が主人公に意地悪を言うのが姉弟らしい。
名前の付けられない、自分でもよくわからない感情というものは、不安の...
名前の付けられない、自分でもよくわからない感情というものは、不安の対象でもあるし、恐怖の対象でもある。
少女のそのような名付け不能な負の感情が大きく育って生まれたのが、あの、鳥のような分身である。だからこそ、あの鳥は、言語を話すことができず、声にならない不快な音で叫ぶ。まさに、名付けできない(言語化できない)複雑で恐ろしい感情そのものの具現化なのかもしれない。
母が娘を自分の理想通りに育てようとしたように、ティンヤも鳥を理想通りに育てようとする。
娘は母に喜んでもらいたくて、体操の練習をするけれど、なかなか上達することができず、母を喜ばせることができない。娘は悲しい。
鳥はティンヤに喜んでもらいたくて、近所の犬を殺したり、友だちや赤ちゃんを襲ったりするのだけれど、もちろんティンヤは喜ばない。鳥はなぜ彼女が喜ばないのかを理解できずに悲しい。
なんともおぞましく、悲しい連鎖。人は自分が教わったようにしか、人に教えられないし、愛されたようにしか愛せないのかもしれない。
クローンを作ろうとする行為のなかに潜むおぞましさがすべて、母、娘、鳥のつながりのなかに現れていたように思う。
最後はティンヤ(少女の善の部分)と鳥(彼女の言語化できない悪の部分、言語化してはいけないようなおぞましい感情を担っていた部分)がひとつの身体に統合してしまう。ティンヤが死んで、鳥が生き残ったように描写されるけれども、彼女たちはそもそも、分身状態にあっただけで同じ個体なのだ。ふたつの個体としてはっきり分けられていた善/悪が混ざり合って曖昧になる。だけど、それは、わたしたちすべての人間の状態と同じ。ほんとうにこわいのは、わたしたちが、そのようなおぞましい悪の感情を誰でも等しく持っていて、理性で制御しているから行動に表さないだけということ。なにかをきっかけにそれは暴走してしまうことがありうるのだ。
人間は自分の悪の部分をなかなか受け入れることができない。だから彼女はなんども嘔吐してそのような自分を吐き出そうとする。だけど、吐き出しても吐き出しても、自分の汚い部分が臭い匂いを伴って、目の前に嘔吐物として可視化されるだけである。自分の嫌な部分と向き合い続ける真摯な姿とそのつらさもまた、丁寧に描き出されていたように思う。
フィンランド版毒親➕自撮り大好き女➕動画配信好き死んじまえ映画(ホラーですから)(私の悪意もハッチング)
①このくらい徹頭徹尾母親が悪者の映画も珍しい。どこか同情・共感できるところ(有望なスケート選手だっのが怪我で挫折して心に傷を負っているとか)を探したが、どこを切っても出てこない。②ホラーということだが(そんなに怖くない。始まって3分の1くらいの辺りで少しだれるし)、この映画で一番ホラーなのは、卵が大きくなるところでも、卵から孵った“あれ”でも、“あれ”が隣の犬を殺したりレーヤを襲って重傷を負わせたり、赤ん坊を殺そうとするところでもなく、ほぼ冒頭で家に飛び込んできたところを捕まえた鳥の首を母親が平気で折って殺すところ。あれが母親の本性を表している重要なシーンであり、全ての怪奇現象の発端である。(アガサ・クリスティの『殺人は容易だ』に殆んど同じ様な描写があり、それが連続殺人の遠因になっている。真似たのかな?)③卵から孵った“あれ”がいずれティンヤにとって替わるだろうことは想定内(昔、日本の少女向け恐怖マンガによく似たものがあった様な)。④「自分が幸せになることを外(自分の家族であれ他人であれ)に求めているうちは誰も本当の意味で幸せにはなれませんよ、ママ。」⑤あの母親であれば入れ替わったティンヤを入れて、また見せかけの幸せ家族の動画を撮って配信しそう。それが一番ホラーだ。
私は一体何を育ててしまったの…?
「毒親は怪物を育て上げてしまうのかもしれない…」という強烈に突きつけられるテーマ
今年度最高のホラーかもしれない…
北欧的な独特な空気感、最高…
すべてのシーン、セリフ、描写に意味がある
終盤に繰り返される「私が育てたの」=「お前が私を育てたんだぞ」という二重の意味
意図せず成功してしまう“托卵”
全てが完璧にまとまる素晴らしい映画だった…
最高…
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