「孵化したのは何か」ハッチング 孵化 ぴかさんの映画レビュー(感想・評価)
孵化したのは何か
最近の流行りなのでしょうか。
こういう明るくて可愛い映像の中でなにか薄暗いものが潜んでいる映画が大好きです。
ビバリウムやミッドサマーが好きな方にはぜひ見ていただきたい。
生まれてきたのは「自我」という見方もあるとは思うが、そうなるとこの娘の自我には殺意しかないということになってしまわないだろうか。
孵化したのは隠しておきたい黒い感情、殺意なのではないかと私は思う。
誰にでも殺したいくらい憎いと思ったことがある相手が何人かはいるのではないだろうか。(私だけだとしたら失敬。)
毒親の教育や虐めなどは強い憎しみを生み、多くの人は実行はしないが心の中で「あいつが死ねばいいのに」と思う瞬間があるのはおかしいことではないと思う。
憎しみに支配されている人間には、相手との関係性を変える方法など考える余裕もなく、相手の存在を消すのが一番手っ取り早いからそれが殺意という形で現れた。
私の体験談にはなるが私は幼少期、娘に対して暴言暴力が日常茶飯事の自分の母親を殺したくてたまらなかった。
憎しみに支配されたことがない人間も存在するのだろうとは思うが、強い感情に支配されて育った私には孵化した自分がこのうような行動に出るのは全く不思議には感じられなかった。
本来は理性で抑えつけられるはずの殺意が実態となって現れて、抑えられずに行動に出てしまう。
親に自分の感情や行動を認めてもらえず、母親の願望を叶えるための道具として扱われてきた子どもが、感情をコントロールする方法を身に着けられず、そして親の支配から逃れることもできず、目的の邪魔になる動物や人間を「殺したい」と思うのは自然なことのように感じる。
ただ、多くの人はそれを実行できないが、この映画では代わりにやってくれるものがいる。
映画の冒頭で娘は家に迷い込んだ鳥を「逃がす」という選択肢を持っていた。
隣人の子どもと遊びたいと母親へ頼む場面もあった。
これは、もともと自我はあったが抑圧されてきたという表現なのだろう。
母娘の関係に焦点が行きがちだが、この父にも問題がある。
母親の「他人から幸せに見られたい」という欲望を叶えるために娘の行動や思考が抑圧されてきたことに対して何の対策も取らずにただ見ている。
また、母親の不倫を容認し、あろうことか母親が娘を連れて不倫相手の家に宿泊することを許してしまう。
この映画ではそうならなかったが、娘が不倫相手にレイプをされる可能性だって大いにある。
どちらも教育の放棄と言っていいだろう。
弟に関しては「母親に期待されなかった子」としての苛立ちが見られる。
不倫相手とうまく行かなくなった母親が放った言葉によって、父親も息子も母親にとっては駒として使えないものだということが明らかになる。
ただ、期待を持たれた娘が一番辛そうに見えるので、こんな母親からの期待なら、むしろ期待をされないほうが幸せなのかもしれない。
完璧主義者の母親が、実子殺しの犯罪者になる現実を受け入れられるはずもなく、これからこの家族はこのモンスターを娘として育てるのだろうか。