PLAN 75のレビュー・感想・評価
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想像以上に重くのしかかる
年金の問題が話題になっているので本作をまた観たくなりました。
激動の時代を生きて今の日本を築き上げた、たくさんの方々が幸せな老後を過ごせますように…と祈りたい気持ちで胸が張り裂けそうです。
邦画のダメなところ詰め合わせパック
【総合評価】2.4(後味の悪さにより0.5減点)
・意味深なのに別に伏線でもない冒頭
・期待させておいて尺稼ぎか?と思ってしまったトリプル主人公 、なんなら一人蛇足では?
・描写と説明があまりにも不足、字幕での補足くらいしたら?
・テーマはめちゃくちゃ良いし実際考えさせられるシーンとか良い演出とかあったけどラストの着地が最悪
・音響もっと出せ映画館なんだから
まぁある意味面白かったんですけど、映画館で観る邦画に対する信用を見事にぶち壊しました(白目)
映像:4
ストーリー:3
ラスト:0.5
テンポ:2
予備知識:5
重たいテーマを淡々と
重たいテーマを淡々と描いている。正解があるような問題ではないが、生きる権利だけではなく死ぬ権利についてももう少し積極的に描いてくれても良かったのではないだろうか。 また、映画の中で孤独は悪いことであると描かれているが、必ずしもそんなことはないし、簡単に解決できるような問題ではない。映画の中でPLAN75はPLAN65に課題されることが予告されているわけであり、その背景に触れればもっと問題の深刻さが伝わったのではないだろうか。
寅さんが見たら悲しむだろうなぁ~(:_;)
これが長編デビュー作となる早川千絵監督が、是枝裕和監督が総合監修 を務めたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」の一編として発表した 短編「PLAN75」を自ら長編化。 本作は、75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本を舞台に、 その制度に翻弄される人々の行く末を描くものです。 少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会で可決、施行され、当初は様々な議論を呼んだものの、超高齢化社会の問題解決策として世間に受け入れられるようになりました。. 1983年のカンヌ国際映画祭は、老人を山に捨てる今村昌平監督の「楢山節考」に最高賞パルムドールを授与した。そして今年の同映画祭では、再び老人を捨てる邦画が世界の注目を浴びたのが本作でした。しかし、現代の“姥捨”はより狡猾に洗練されていたのです。 物語は、近未来の日本。75歳以上は自身の生死を選べる新制度「プラン75」が導入されました。 夫と死別して以来、誰に頼ることなく、長らくひとりで暮らしてきた78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は、ホテルの清掃業をなりわいとしていて、同世代の仲間たちと寄り添うように、つつましく生きてきたのです。仲間うちでも新制度は話題の的。皆なんとなく現実を受け入れているようでした。 けれども同僚の稲子(大方斐紗子)が勤務中に倒れたのを機に、彼女の暮らしは一変すします。「高齢者を働かせるなんてヒドいじゃないか」という世間からの叱責の声は、ミチたち高齢従業員の解雇という最悪の結末をもたらすことになったのです。さらに団地の取り壊しも決まり、ミチは仕事と住居を同時に探さなくてはならなくなる羽目に。だが高齢者であることを理由に、断られ続ける日々がつづきまます。次第に追い込まれていったミチは、ついに「プラン75」の申請を決意するのでした。 申請窓口では職員が手取り足取り笑顔で指導。「プラン75」による安楽死の奨励は立派な国家事業となっていたのです。 一方、市役所の「PLAN75」の申請窓口で働くヒロム(磯村勇斗)、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)たちスタッフは、上司からは「情が移るから対象者とは交流を持つな」と言われていて、杓子定規的な対応を心がけていました。当初は、た彼らだが、ひょんなことから「プラン75」の対象者たちと接点を持つこととなり、それぞれの思いが交錯。やがて自分の行動に疑問を抱くようになり、それがきっかけで、このシステムの存在に強い疑問を抱いていくように変わっていくのでした。 また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の「PLAN75」関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に勤しむ日々を送ることになります。果たして、「PLAN75」に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。 「死ぬ時くらいは選びたい」。拡散されるスローガンはまるでハーメルンの笛の音。“老人ホイホイ制度”に導かれ、高齢者は自分の足で断崖絶壁へ進みます。若者が老人を山頂までおぶって、罪悪感で苦しむ必要もないのです。同調圧力に弱く、考えることを諦めた現代人の姿がここに映るのでした。今の日本の空気がリアルに漂い、奇妙なほど説得力を持つドラマとなったといえるのでしょうか? 野に咲く花のようなしなやかさと強さを持つ主人公ミチを、倍賞千恵子が繊細に演じていて素晴らしかったです。ただねぇ、大の寅さんファンのわたしとしては、もし年老いたサクラがミチのような孤独で老いぼれた姿になっていたら、どんなに寅さんが嘆くことかと想像してしまいました(^^ゞ サクラとしての倍賞千恵子に馴染んできたものとしては、本作で描かれる冷酷さにはとても違和感を感じてしまいました。彼女の代表作「男はつらいよ」の世界は、言葉は乱暴でも中身は温かさに包まれていたので、その落差の大きさに面喰らってしまいました。 映画の中では、老人に対し、誰もが優しい笑顔と柔らかい言葉で接します。しかし態度とは裏腹に、誰もが冷酷に老人を突き放しているのでした。そしてこんな姥捨山制度にて対して、プラン75のスタッフは何の疑問もなく、使命感を持って働いていること。加えて世間での受け止め方も、もうそれが当然という感じで、強い反対運動は描かれませんでした。さらに「プラン75」を申請する高齢者は、何のためらいも、迷いもなく静かに次々と安楽死を迎えるのでした。 少なくとも最近公開された『スーパーノヴァ』や『ブラックバード 家族が家族であるうちに』などの安楽死をテーマにした作品では、安楽死に至るまでの本人とその家族、友人らの葛藤が色濃く描かれていました。ところが、本作ではプラン75に沿って、老人をホイホイと安楽死させてしまうのです。 ヒロムや瑶子ら遂行する側に立つ若者たちの視点も交えてはいるものの、疑問を持つ止まりでした。現実にそんな立場で疑問をもてば、即刻仕事を退職し、反対運動の先頭に立ってしまうことでしょう。 さらにミチは口数が少なく、尊厳死を選ぶ理由さえ、セリフで説明されません。そのためミチの安楽死の決断が唐突に見え、ラストの不可解なオチにいたる行動にも、イマイチ感情移入できませんでした。 高齢者が一律75歳で自ら望んで安楽死してしまう近未来社会。それをステレオタイプに近い演出で取り組んだ早川監督の意図は明確です。「PLAN75」とは、現在の政府の福祉政策は姥捨山に向かっているという警鐘が鳴らしたいということです。その究極の姿をメタファーとして描いたのが本作です。 いま昨今の福祉政策は、少子高齢化のためピンチを迎えています。長らくつづくデフレの前には、消費税を連続で上げても、かえって景気は冷え込み、歳費の減少は止まりません。その中で福祉や介護が必要とする高齢者は年々増えていく一方です。 こんな状況の中で、景気対策や経済成長の予算を削減して、福祉予算ばかり拡大しては、デフレが増長していき、歳費収入は先細りしていくことでしょう。 極論として、こんな恐怖の姥捨山映画を作って、国民に恐怖の予感を与えるくらいなら、倍賞千恵子が慕う小津安二郎のような家族の絆を強めるような作品を作った方がマシだと思います。少子高齢化とデフレが続く中で、政府が何から何まで国民の生活を公費で賄うことには限界があります。だからこそ求められるのは家族の力です。江戸時代はそうやって子が親を養うのが当然でした。それがいまや政府が養うのが当然と考えている人が増えてきたのはいかがなものでしょうか。 家族のない人には、経済的に成功した人のたしなみとして、高齢者や生活困窮者に手を差しのべる社会貢献活動をもっと定着させていくべきでしょう。 社会には、そんな優しさが必要だと強く思わせた作品となりました。
問題提起だけじゃなんの新鮮味もない 個人的には夢を壊された。何がって
なんてタイムリーな 老人問題の事ではない 冒頭のシーン 考えの浅い自分本位な若者が起こした事件がplan75の発足のきっかけとなった そう、安倍元首相銃撃事件 やった事は許される事ではないが おかげで統一教会と政界の繋がりが暴かれた 犯人にそこまでの深い意図があったか知らないが、マスコミは負けないで欲しい 政治家は未練たらしく二の足を踏んでいるからね 人間には生きる権利と義務があるが、死ぬ権利もあると常々言ってましたから、plan75は当然あってしかるべしと思います それをセンセーショナルに取り上げる監督の意図を知りたくて観たわけです 既に安楽死を認めている国がある現代に 日本でそれを認めた場合、どうなるか 律儀で真面目な日本人 そして、経済発展のチャンスと捉える抜け目のなさ なかなか素晴らしい制度でした 少ないながらも支度金が用意され、メンタルケアまでしてくれるんだから至れり尽くせり さすが日本人が考えた制度です 問題は老人が生きて行けなくなって死を選ぶしか無くなるような社会の仕組みです 高齢化社会がどん詰まりまで来た近未来なのだろうか 政府は無策なまま、この時を迎えてしまったんだろうかと首を傾げてしまう 安楽死を認めるなら希望する人も増えるだろうし 義務を終えた人は自殺する権利を与えればいい 何がなんでも生かす医療も変えないといけない 人工呼吸器を付けない権利 高栄養の点滴を拒否する権利 緩やかな窒息死、餓死は苦しみを伴わない そうすれば寝たきり老人はグッと減る 後は移民の受け入れかなあ 税金と社会保険を払う人を増やさないと そのためなら働き口を作らなければ AIとかで人が働く場所が減っていくだろうからね いや、一人あたりの生産性を上げればいいんだから、AIの進歩でなんとかすれば移民に頼らなくても良くなるかも 子育て世代の優遇も含め素人でもこれくらい策を考えられるんだからなんとかなるでしょう 映画は磯村勇斗の理にかなわない行動と なんで助かったのか意味不明なアクシデントのシーンで収拾がつかなくなって終わる 問題提起しただけ 最後は、監督、何がしたいん?とあきれた かつて、チャールトン・ヘストン主演のソイレントグリーンというSF映画があった ラストは支給されたウエハース状の食料が死んだ人肉から作られていたというオチだった これくらい小洒落たラストを作れんもんかな まあ、マクドのハンバーグのパテがミミズで出来てるとウワサがたってもなんの動揺もなかった側の人間だから、人肉の再生利用は当然と思っただけでしたけどね 倍賞千恵子 昔はとてもキュートでした 永野芽郁が足元にも及ばないくらいにね 原節子のように歳をとってからは人前に出なかった女優の生き方の真逆 考え方は個人の自由なのは理解している ただ、今回はあまりに素を晒しすぎたんじゃないか 歳をとっても存在感がある 大女優の貫禄なんでしょう 変に目立って、82歳の姿が画面から浮き出るのは見たくなかった 批判は承知の上のホンネです
生きるって眩しい。死は決して人間の手のうちにあるものではない
少子高齢化が進む日本。 高齢者が若い人の荷物となり 75歳以上が自らの生死を選択できるシステム<プラン75>。 その政策に様々な人が様々な形、思いで関わっていく。 生きてく事も難しいが、死ぬ事も難しい。 人生の幕引きを選択出来たとしても、自分に何ができるだろう。何がしたいだろう。 人は生まれた時は何もできない。成熟していくごとに様々な事が当たり前に出来るようになり、いつしか社会の中での自身の存在意義や生きがいを見出し、誰かと共存して生きている。 老いていく事は少しずつそれらを手放さざるをえなくなり、出来ていたことが出来なくなり、 いつしか自分の生きてきた人生、そして自分自身と向き合う事が全てとなっていく。 自分だったらどうだろう。は勿論 大切な人だったら、親だったら、ただの隣人なら∙∙∙。 人が人を大切に想い、慈しみ、喜怒哀楽の共有が出来るだろうか。 人の生死に関わるその瞬間、何を思うだろう。 寂しく哀しく。でも生きてるってとてつもなく眩しい。 ラストのシーンは、なんだかよくわからない感情の涙がとめどなく溢れてました。 倍賞千恵子 さん素晴らし過ぎて苦しかった
心が揺さぶられる
観賞中、たくさんの感情で心が揺さぶられ、胸が締め付けられました。同情とかではなく、何とかしてあげたい、どうにかならないのか。でも誰が悪いとかではないし。 登場人物それぞれに感情移入し、戸惑ったり、苦しかったり、すごく疲れる2時間でした…。 主人公のミチさんは、まだまだ頭もしっかりしているし、健康面も問題なし。職場の仲間たちとのお喋りを楽しみ、仕事もこなす。 でもそれが、あるキッカケで全部崩れてしまう。 一度崩れた彼女が普通の生活を取り戻すことがどれだけ難しいか、そして彼女がどんな葛藤や孤独や惨めさを感じているのかが、倍賞さんの素晴らしい演技により悲哀と共に伝わりました。 ミチさんが、あの決断を後悔しないことを祈ります。 感想を言語化するのがとても難しい。 ガツンと来ました…。素晴らしかったです。 ミチさんの「15分なんてあっという間ねー」という言葉が、まだ強く耳に残っています。
近未来の姥捨て山
カメラワークに感動、アングルが素晴らしい❣ 75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本が舞台(昔は家族の“姥捨て山”、これは国家の“姥捨て山”)。登場人物の服装が近未来を予想させ、我が身を考え寒気がした。角谷ミチ(倍賞千恵子)が呟く様に歌うシーン、往年の彼女が唄う透き通った声を知る身としては感慨深かった❣ プラン75カスタマーサポート員の成宮瑶子(河合優実)との心温まるシーン、プラン75社員・岡部ヒロム(磯村勇斗)と叔父の岡部幸夫(たかお鷹)との絡みにも注目。ラストシーンは不可解❓
穏やかで洗練されて、そしておぞましい公共サービスのいかにもありそうな感じが印象的な一作
まったく将来に展望が見出せなくなった、近未来、というよりも実際の日本社会のパラレル世界を描いた一作。一定の年齢に達したり、何らかの基準でカテゴライズされた人々を排除(殺害含む)する社会を舞台とした作品は、『2300年未来への旅』(1977)や『ソイレント・グリーン』(1973)などの「古典」を含め数多く制作されており、特にテーマとしては真新しいものではありません。一方それらの多くは現状の問題が破滅的に進んだ未来社会を描いているため、そのおぞましさにぞっとはするけれども、「まぁ架空の物語だし」とちょっと心理的な距離を保って鑑賞することが可能でした。 しかし本作の基本設定は、明確に現在の「後期高齢者(75歳以上)」という制度的区分を踏まえており、その現実感は前述したような先行作品よりもかなり高くなっています。もし国家が選択式の安楽死を合法化し、その手続きを民間企業が請け負ったらどうなるのか、主人公の女性(倍賞千恵子)含めた何人かの個人的な視点から描いています。実際はこの法案が制度化されてしまったら、かなりの政治家が自ら安楽死を選択しなければならなくなるので実現性そのものはあまり高くなさそうです。しかし理不尽な制度を、まるで社会善であるかのごとく喧伝して既成事実化してしまう手法自体はこれまでも何度も繰り返されてきており、だからこそ作中で、一見洗練された公共サービスであるかのように「PLAN75」を宣伝するCMの語り口に奇妙な既視感を感じてしまうのでしょう。 枯渇した労働力を高齢者や外国人就労者が肩代わりしつつも、都合が悪くなると使い捨てられる状況、老人の孤独死など、一つの物語を核に、よくここまで現状の日本社会の問題を盛り込めたなぁ、とむしろ感心。劇場長編映画の初監督作品とは思えないような、早川千絵監督の抑制が効いて無駄のない演出手腕は見事だけど、「これからの日本社会に希望が持てました」といったような前向きな気分には、残念ながらなりにくい作品だけに、気持ちに余裕のあるときに鑑賞するのがおすすめです。
塚口サロン劇場にて
塚口なんて、めっちゃ久しぶり!
観たい作品やったんで
この作品を今としたら
僕は、14年後だ。ありえる話だ。
この75歳の方々は、戦後すぐ産まれ
国の高度成長を滅法奉仕でささえ
いらんようなったら死んでね。
って!責任者でてこい!
偉いさんが出てこないのが、感じでてます。
戦争や感染になっても死ぬのは、庶民。
僕も賠償さんみたいに、逃げるぜ!😀
SFであってほしいが
古典的名作『2300年未来への旅』(ローガンズ・ラン)と同じ主題。だがこの映画はとてもフィクションとは思えない。今の社会の状況を踏まえれば、世間がそういう風向きになりさえすれば本当に起こる「もう一つの現実」と信じられるほど、背筋が凍るようなリアリティがあった。
老いて家族や他人に迷惑をかけたくないという思い遣りの気持ち、おだやかに旅立つ手助けをしたいという真摯な気持ち、同調圧力の下での「自分の」意思。それらが結び付いて、 (劇中で自賛されていたように)この国の人々は最高に効率的な人口動態制御政策を自ら実行する能力があるだろう。
劇中では対象年齢が下げられる話も出ていたが、やがて窓口も自治体から外注、孫請けとなり、受諾数にはノルマが課せられ、ますますシステマティックに「社会全体にとっての適正なバランス」が追求されるのかもしれない。だがその実態は、遺品略奪のシーンがいみじくも想起させるように、アウシュビッツと同じ国家が線を引いて行う大量殺人と違いがない。
そういう未来の可能性への警鐘として、この作品を完成させ公開してくれた各位に心から感謝を。
追伸:こんな風に悲観的に考えてしまうのは、やまゆり園事件がモチーフと思われる衝撃的な導入が、(製作時はおろか公開時点でも想定外だったろうが)奈良の事件後の展開が含意する「殺人はいけないが犯人が提起したことにも一理ある」といった考え方を許容する空気とぴったり重なるから。悪い意味でとてもタイムリーだった。
静けさが違和感
終盤に描かれる、安楽死させる病院でのシーンで磯村くんがいとも簡単に入り込めて、亡くなった叔父さんを運び出せる事や、
死を免れた賠償さんが簡単に退院?!出来た病院の管理の杜撰さ。
プラン75、いくら本人からの希望でとはいえ、
遺族への事前の通知は無しなのか!
とか、これが本当に、施行されたならば、
連日遺族がこの病院に詰めかけて大変な騒ぎになっているのでは??
静かすぎないか?
とう点が観ていて違和感感じました。
死にたい本人はいいけど、
自分の大切な人に安楽死を選ばれたらどんな気持ちになるかという視点で見ていました。
複雑です。。
PLAN75的空気感は身近にある。絶望から希望を描く映画。
ユーロスペースにて。 ようやく観賞できた。 あり得ないような設定にも関わらず、現在の世相ではあながち存在しないとも言い切れない世界。 独居老人のリアル。 家は借りられない、職もない。 人生百年時代の傍らで。 生きられない人は死を選ぶべきですよ、と国家が煽る。 始終体も心も締め付けられっぱなしなのだが、最後は希望の光を見た気がする。 血縁関係に甘んじることなく、理解しあうことの尊さ。 他人であっても情を通わせ、理解することで人生を豊かにできる。 絶望から希望を描いた映画。 それにしても人生百年時代と言われるよりもPLAN75のほうが責任ある国家の選択だと感じてしまう自分がいる。 この国を覆う異様さもこの映画は際立たせてはいないだろうか。
ぶっささり
小学生だったころ、共働きだった両親に代わって放課後に僕の面倒を見てくれたのはおばあちゃんでした。そんなおばあちゃん子だった僕に、この映画はぶっ刺さりでした。
高齢者が増えすぎた日本で、社会保障などの制度を維持していくために75歳以上の高齢者に対し、本人の意思に基づくとはいえ社会として寿命とは関係のない死を推奨する制度が出来た。
支度金として10万円、そのほか民間サービスを使うと高級リゾートホテルでサービスが受けられるなどなど、特典があります、と。
倍賞千恵子さんら、高齢者たちには雇用、住まい、孤独死、今でも問題になっている高齢者の問題が、僕たちへ分かりやすく突きつけられる。
子どもや孫がいる人といない人での格差もしんどい。一人暮らしと家族のいる人の温度差も、これまたしんどい。
僕は同性愛者なので、ほぼ確実に子どもはできない。パートナーはできるかも。でも死の間際まで一緒にいられるか。家は?貯金は?将来をどうするのか。
まだ日常生活に支障がない程度には元気で、働きたい気持ちもあるのに、働けない。働けないから住む場所もない。行政の援護は期待できない。
そんな状況に自分が置かれたらどうするだろうか。
未来のために死を選ぶと晴れ晴れとした顔で語るムービーが作中にあるが、あんなうすら寒いノリに自分は自分の死という形で同意できるだろうか。
親は?兄は?友人たちは?考え出すと、なんとも暗い気持ちになるし、やるせない思いで胸が満たされる。
この映画はフィクションだ。PLAN75は実在しないし、これが実施されることは、少なくとも僕が生きている間には無いと思っている。
でも、何かが違ったら、何かが変わったら、有り得る未来なのかもしれない。
75歳以上の高齢者、という属性だけで簡単に言うが、一人ひとり、感情があり、歴史があり、希望がある、生きた人間であること。制度構築する際にはどうしても属性で人を語らねばならない。でも、その制度が適用されるのは、実際は生きた人間なんですよね。
うまく言葉にできないけれど、倍賞千恵子さんが、まぎれもない生きている人間で、その人が状況のなかで死を選んでしまう。その決断までの流れに、ひどく心が揺さぶられました。
とても良い心に残る映画でした。重いテーマですが、登場人物が誰もPL...
とても良い心に残る映画でした。重いテーマですが、登場人物が誰もPLAN75について自分の思いを語らず、主張もしません。セリフで語っていたら響かなかったでしょう。 観終わってやりきれない気持ちになるかと思ったら、なりませんでした。世代にかかわらず、みな懸命に考えながら生きていて、みな思いやりの気持ちをもっている、そう感じられる映画でした。
人生○○年時代とは何なのか
ずっとこのことが頭の中に居座っていた。 今は「人生100年時代」と言われて、平均寿命が世界でトップクラスであることを謳いながら、同時に少子高齢化がものすごいスピードで進行していながら何の対策も打てていない現状に問題点を提示するような作品だった。 全体的に説明が最低限で少なく抑えてあるところは良かった。あれはどうなるのだろうか、どうなったのか、観る側に預けられているのがいい。 磯村勇斗と叔父(伯父)さんとの関係は、自分と甥っ子(今5歳、4歳)たちとの関係性を考えずにはいられず、話が進むにつれて他人事ではないと感じながら観ていた。あと30年くらい経てば同じ問題に直面する未来が待っているのだろうか。 河合優実と倍賞千恵子、特に河合優実のパートがもう少し欲しかった印象はある。普段は禁じられている対象者の倍賞千恵子に出会って彼女は変わるのか変わらないのかという描き方のバリエーションも出てくるし、磯村勇斗とは違う向き合い方も見せられるのではないかなと思いながら観ていた。 倍賞千恵子の同僚で孫のベビーシッターをやることに愚痴をこぼしていた人が印象に残る。PLAN75の体験会で豪華なホテルのような場所に行った体験を話し自分も最後はこういうところで迎えたいと言いながら、倍賞千恵子がベビーシッターをさせてもらえないか頼むとやんわり(電話の声は聞こえないのでやんわりではないかもしれないが)断っていたように、PLAN75を自分事として直面していない高齢者もいるんだなと考えると、経済的、あとは地縁や血縁など様々な縁に支えられているかどうかが大きいのかなとも感じるが本当にそれだけだろうか。 家族や共同体の形を規定しすぎてやしないか、それによって人の繋がり方の多様性が阻害されていやしないか、とも考えてしまう。 年齢を重ねることがこれほど恐ろしく感じさせることもないか、そんなに恐ろしく思わないといけないのかなとも同時に思いながら、ギリギリのところでそれでも生きることを選んだ倍賞千恵子の姿に何を見るか。 磯村勇斗がたどり着いた火葬の真実は現実にありそう。映画「ソイレント・グリーン」みたいだけど。 倍賞千恵子と河合優実がボウリングしてストライク取った後、隣のレーンの若者とハイタッチしてるのを見てこういうところに微かでも希望の光を観たい気がした。
そう遠くない未来かも
超高齢化社会を迎えた日本で75歳を超えた人は死を自ら選択できるようになる。 この制度プラン75の当事者たちを描く。 いずれこう言った制度を求める声は大きくなるのではないかと思った。心の中で留めているが求めている人は多い気がする。 死にたくもないが生きたくもない。 衰えた自分に辟易し、貯金を切り崩し生きていくくらいなら、自分だったら死を選んでしまうかも。 展開が雑だなと終盤感じてしまう部分もあったが、 来る未来に向けて大きな問いかけを今作ではできたのかなと思った。
私は、息をしていることではなく、自分らしく在ることを大切にしたいです。
どのようなタイミングで、どんな環境のもとに生まれて来るかは選ぶことができませんが、どう生きるのかは、人は自覚的・無自覚的にでも選んでいます。 この作品は、死ぬタイミングや死に方を、自分に決める権利があったら…という想定の映画です。 日本人が苦手な、死について考えることが、テーマです。 私は、以前、富裕層のレジデンスでフロント業務をしていたことがあります。 150名ほどの70歳以上の自立したシニアの方々が、快適に生活できるようにサポートすることが仕事でした。 お金があっても、家族がいても、スタッフのサポートを受けることができる環境にいても、老いは、待ったなしです。 90代になれば、1日をつつがなく過ごすことが一大事業になります。 ここで働いて、私は、持病や常用する薬がないうちに、まとまった時間をとって国内外の行きたい場所に行こうと決めました(今はコロナとロシアの動向を静観中ですが)。 老後が不安だからと70代まで働き続けていたら、やりたいことをする気力体力がなくなっていた…なんて悲惨です。 そして、私は、今まで祖父母、両親、おじおばたちを見送ってきて、日本で老後を過ごすのはイヤだなと思っています。 インドか東南アジアの田舎で、ひとりで暮らして、生活を回していけなくなったらゆっくりと死に向かっていきたいです。 この考えを言うと、ママ友からは、「子どもに迷惑だよ」といさめられますが、最期くらい、多少迷惑かけてもいいかなと私は思っています。 というか、それを「わがままなおかんらしいな、しょうがないな、最後の親孝行だ」ととらえる子どもであって欲しいです(確信犯です)。 息をしていることが生きることではないと、私は思います。 最期の瞬間まで、自分らしく生きていたいです。 そのための努力を、今もしています。 諦めて、プラン75を選択したら、そこが自分にとっての死である気がします。 20年後、70代の私が、この文章を読んだらどう思うのか、それも楽しみです(*^-^*)
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