PLAN 75のレビュー・感想・評価
全384件中、121~140件目を表示
怖くて泣いた
「住民票がなくても大丈夫」
この文字に寒気がした
年寄りをこの世から追い出す制度は優しさと節度を持っているように装っているが、無慈悲で節操がない。
高齢者の健康診断会場、炊き出しの公園、
この世から追い出したい人が集まる場に容赦なく置かれる【プラン75】ののぼりやポスター。
希望者には10万円。好きに使っていいと言いながら、お葬式の費用にする方もいらっしゃるとさりげなく誘導する担当者。
お年寄りのさみしさを知っていて、
そこにつけ込み絡めとり、
孤独だし、生きてても仕方ない、に追い込む手法。
コールセンターからの電話、15分でチャイムを鳴らしそれ以上お年寄りの相手をさせない制度を作った人は、
自らの親はプラン75の合同プランに送ったりしない。
最期はこれを身に付けたいと思い入れのあるものを手に
最期の場所に集まった人もいるだろうに、
こと切れれば、服以外ははぎ取りゴミ。
そういうやり方を決めた人は、自ら孤独なお年寄りの相手をすることもなく、彼らの現状に目を開くこともなく、心を痛めない。
ユダヤ人だという理由で殺すことを肯定したナチスとどう違う?
磯村勇斗が演じた役人は、
自らの叔父を自ら手を貸して会場まで送ったのでなければ、この制度の恐ろしさに目覚めなかった気もしてしまう。
公園のベンチに横になれない排除グッズをみつくろうとする場面でそう思った。
「いつでもやめられる」の言葉通り、本当の直前になって制度の手にかかるのをやめたミチ。
彼女は部屋の中も持ち物も自分でキレイに処分していた。
これから生きるよすがもなく、
頼れる人も
眠る場所もなく、
どうやって生きるのだろう。
それを考えると怖くて怖くて。
キレイな景色や
他人の一瞬の優しさは
生き続ける術にはならないと思えてしまう。
つらい。
まともな人間なら、プラン75に関わる仕事をすることは辛いはずだが、
こういう制度があっても、などと言う人は自分が実務者として死を選ぼうか迷う高齢者に向かい合うことはないし、絶対に自分の親はプラン75に送らない。
年寄りは集団自決を、なんて絶対間違ってる。
ひきこもりの子を、世間に迷惑かける前にと親が殺めるのも、それを他人が絶賛するのも、絶対間違ってる。
たとえ死ぬとき孤独で
その人が死んで泣く人も悲しむ人もいないとしても、
死んでいい人なんていない。
倍賞千恵子が「今は孤独だけどきちんと真面目に生活してきたごく普通の一老婆」だけど「配偶者に先立たれ子はなく、解雇されて家も仕事も探せず、死ぬしかないと思い至ってしまう孤独な老婆」になっていて、
大好きな倍賞さんの最後の映画がこれなのは嫌だと思ってしまった。
演技は最高です。
この映画も最高です。
人生は良いことや楽しいことばかりじゃない。
重いことをそのまま描いて見せてくれたこの映画はすごいです。
だけど、大好きな俳優さんの最後の映画は
幸せそうな笑顔が見たい。
そう思ってしまうくらい、この映画は誤魔化さず、逃げずに、今の日本のうしろ暗い闇を描いてました。
重たいとか暗いを嫌がる風潮だから、
茶化してしまう映画も多いのに、暗い物語を暗く撮ってくれてありがとうと思います。
観て損はなかった。
河合優実さんの最後の電話の演技
がこの映画中一番グッと来ました。
最初はチョイ役の若い女性かな〜、
喋り方も今時の若い女性っぽいし、
と思って観ていたらビックリした。
受話器から出てくる声だけで
グッとなりました。スゴイ。
私自身よく思いますが、
当たり前だけど、亡くなった人は
次の日の朝日は見れないんだよね。
倍賞千恵子さんは、
次の日の朝日を観て鼻歌口ずさんで
ましたが、やっぱそうだよね。
太陽は何か人間に明るい影響や
誰にでも感動を与えますよね。
と改めて思いました。
倍賞千恵子さんを観ながら
高倉健さんの隣が似合うな、
ハウルだな〜と、勝手に想像。
シガニー・ウィーバー、
マギー・スミス等思わせる
キリッとした大女優。
河合優実さんがその後、
韓国映画のザ・ウィッチ張りに
施設に侵入して来るのかと勝手に
想像。雰囲気がキム・ダミに似てる気が。
PLAN75の青年が車で引き返す
シーンは、タランティーノの
パルプ・フィクションなら
Uターンした瞬間事故で血だらけ
だな、と勝手に想像。
勝手に深読みすると
PLAN75は申し込み時の説明通り、
亡くなった人達を集団火葬しては
いなくて、上司にはぐらかされた
リスト掲載の産廃業者に、
遺体を何かに再利用していた。
それを知った青年職員は、
亡くなった叔父を車で連れ出した
のかなと。
外国人介護士さんは
社会情勢的な要素で登場したのかな。
観て良かったと思いました。
色々考えさせる映画でしたし、
SFチックなストーリーに
倍賞千恵子さんが主演を演じた
のも興味を引きました。
優しい社会を願う
プラン75。確かになと。
プラン75。確かになと。介護保険料の半分は国や市町村の税金から取られる。被保険者の本人達の負担は1〜3割(殆ど1割)。最初の男性みたいにこ◯しはしないが、若い世代からしたら高い金を税金で徴収され、見ず知らずのお年寄りに使われるのに不満があるのもわかる。自分らは年金がもらえるのかさえもわからないのに。ある意味今の若者は自分を犠牲にしてボランティアしているともいえるのでは?それに負い目がある年寄りがいるのもわかる。プラン75があれば国の負担減り、若者の負担は減る。たしかに。たしかに。しかし残された遺族や関わった人が悲しむのも事実。現実になれば、◯◯さんはしたのにどうして◯◯さんはプラン75してないの?あのおっさん、なんで生きてんだ?はやくプラン75使えよ。と半ば強制的に死す人も出てくるだろう。泣けた場面は一緒にボーリング行ってくれた姉ちゃんが泣くのを我慢しながら最後の電話をした時。「長い話に付き合ってくれてありがとうね」って言われたらそりゃ泣けるよ。自分と重なった部分があるからだと思うが。んー、そうですね、感想は、やっぱり主が死ぬ場所から逃げ出して朝焼けじっくり見る場面あったけど、自然の道理に逆らっちゃだめ!ってことかな!うんうん。
やるならとことん、年寄りに食わす米は勿体ない!と叫べ
生産性のない高齢者が日本の財政を圧迫している。とにかく年寄りに死んでもらって頭数が減れば、払わずに済む年金は浮くし、介護従事者は他の生産的な仕事に就けるし、親の介護で介護離職を余儀なくされる人も減る。もちろん医療費も減ると。
そんな発想をしたことがないとは言えないです。社会が発展して競争力が高く、豊かな国になるために使うべきリソースを、死にゆく既に意識のない寝たきり老人に流し込む栄養剤に使っていては勿体ないと。
この映画は当然、その種の発想を否定するための映画です。
まず始めに冒頭で、老人施設で大量殺人をした男が震える声で思想を語りますよね。「この国は年寄りが増えすぎて財政を圧迫して…」というような。そして語り終えたあと自殺します。まず、堂々と言え!と思いましたね。震える声じゃなくて。コントラバーシャルな映画になるしかないんだから、徹底して「年寄りを殺して頭数を減らせば国がよくなる」理論を叫んだらいいのに。映画の中で、「そうした発想は間違ってるよー」って示さなくったって間違ってるのはわかります。いかにプラン75が欠陥があるのかが示されますけど、逆に「え、プラン75は本当に国がよくなるかも知れない」と思わせてくるくらい狂った説得力を持って、私たちの心の隅にいる悪魔に栄養を与えるような映画が観たかったですね。とても常識的な人たちばかりで、いまと変わらない社会で、ならなぜこんな制度が始まんだって。
最後叔父の遺体を盗み出して別の場所で火葬をしてもらおうとするシーンは面白かったです。情がある叔父。すでに亡くなっていたとしても、死体としてone of themとして処理(荼毘に伏すのでなく)されるのは耐え難かった。多くの日本人同様、ひろむ君は自覚的に宗教に厚くはないと思いますが、遺体の扱いにおいて耐え難いことがある。ここでは日本人の無意識には確かに、超越に関する共通認識がある、という気づきを得た気がします。そこに今よりは繋がれるヒントがあるように思いました。
また日曜日の昼下がりに映画館で鑑賞したんですが、私以外の客がお年寄りの方ばっかりで。まさに70歳前後だという方々がこんな映画見せられて、何を思ってるんだろうと思うと気まずくて仕方なかったです。映画が終わったあとお年寄りの方が話しているのが聞こえました。「内容が内容だから、私なんか身につまされて」「最後があったからよかったけど」「若い人に観てほしいわね」などなど。
声を大にして言いたかったですね。身につまされることはないですよ!フィクションだと吐き捨ててください!こんな制度ができたら「利用した方がいいのかなあ」等と考えないで!ふざけんなと看板を蹴っ飛ばしてください!と。
想像通りの思考と展開
今年一番の“がっかり”映画
10万円(笑)
設定が矛盾してる気するけどいい映画。
老人が増えすぎて自分で選んだ体にして社会から弾き出す制度ができた、近未来の日本が舞台。
老人が増えすぎて、若い子の負担がーってのはわかる…今まさにそれだもんね。でも、増えてるんだから老人が働いて何が悪いねんってことちゃうの?
みちたちがいきなり解雇されたのが理論破綻してない?ってなり、引っかかった。少ない若い子と後期高齢者未満の中高年だけで社会維持できる?って。そこは外国人労働者で補填ってことなんかな?
とはいえ、ずしんと我が身に響く、見るべき映画だったと思います。
わたしは2022年に41歳になるんです。若者の立場では見れませんでした。もっと若ければ、そうでもなかったかもしれないけど、老いを感じてる今は、もう気分はみちさんですよ。
いつかは後期高齢者になるやん?わたしもあなたもみんな。それぞれの事情の中で、精一杯生きた果てが、「あんた役立たずだから死んで?」って言う同調圧力ってさぁ、酷すぎん?みんなのために、国のために喜んで死ぬなんて、ぜったいイヤっておもった。
自発的な安楽死は、ほんのり賛成で、なんならスイス行ってゴダールみたく終わりを迎えたいと思わなくもない。でも、プラン75みたく、自分以外の決断をあたかも自発的な決断のように見せかけるやり方で殺されたくない。
みちさんはなんで生き残ったんでしょうね。薬が効きにくい体質だったんかな?彼女が生きていく道がありますように。
想像以上に重くのしかかる
年金の問題が話題になっているので本作をまた観たくなりました。
激動の時代を生きて今の日本を築き上げた、たくさんの方々が幸せな老後を過ごせますように…と祈りたい気持ちで胸が張り裂けそうです。
邦画のダメなところ詰め合わせパック
【総合評価】2.4(後味の悪さにより0.5減点)
・意味深なのに別に伏線でもない冒頭
・期待させておいて尺稼ぎか?と思ってしまったトリプル主人公 、なんなら一人蛇足では?
・描写と説明があまりにも不足、字幕での補足くらいしたら?
・テーマはめちゃくちゃ良いし実際考えさせられるシーンとか良い演出とかあったけどラストの着地が最悪
・音響もっと出せ映画館なんだから
まぁある意味面白かったんですけど、映画館で観る邦画に対する信用を見事にぶち壊しました(白目)
映像:4
ストーリー:3
ラスト:0.5
テンポ:2
予備知識:5
重たいテーマを淡々と
寅さんが見たら悲しむだろうなぁ~(:_;)
これが長編デビュー作となる早川千絵監督が、是枝裕和監督が総合監修
を務めたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」の一編として発表した
短編「PLAN75」を自ら長編化。
本作は、75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本を舞台に、
その制度に翻弄される人々の行く末を描くものです。
少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会で可決、施行され、当初は様々な議論を呼んだものの、超高齢化社会の問題解決策として世間に受け入れられるようになりました。.
1983年のカンヌ国際映画祭は、老人を山に捨てる今村昌平監督の「楢山節考」に最高賞パルムドールを授与した。そして今年の同映画祭では、再び老人を捨てる邦画が世界の注目を浴びたのが本作でした。しかし、現代の“姥捨”はより狡猾に洗練されていたのです。
物語は、近未来の日本。75歳以上は自身の生死を選べる新制度「プラン75」が導入されました。
夫と死別して以来、誰に頼ることなく、長らくひとりで暮らしてきた78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は、ホテルの清掃業をなりわいとしていて、同世代の仲間たちと寄り添うように、つつましく生きてきたのです。仲間うちでも新制度は話題の的。皆なんとなく現実を受け入れているようでした。
けれども同僚の稲子(大方斐紗子)が勤務中に倒れたのを機に、彼女の暮らしは一変すします。「高齢者を働かせるなんてヒドいじゃないか」という世間からの叱責の声は、ミチたち高齢従業員の解雇という最悪の結末をもたらすことになったのです。さらに団地の取り壊しも決まり、ミチは仕事と住居を同時に探さなくてはならなくなる羽目に。だが高齢者であることを理由に、断られ続ける日々がつづきまます。次第に追い込まれていったミチは、ついに「プラン75」の申請を決意するのでした。
申請窓口では職員が手取り足取り笑顔で指導。「プラン75」による安楽死の奨励は立派な国家事業となっていたのです。
一方、市役所の「PLAN75」の申請窓口で働くヒロム(磯村勇斗)、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)たちスタッフは、上司からは「情が移るから対象者とは交流を持つな」と言われていて、杓子定規的な対応を心がけていました。当初は、た彼らだが、ひょんなことから「プラン75」の対象者たちと接点を持つこととなり、それぞれの思いが交錯。やがて自分の行動に疑問を抱くようになり、それがきっかけで、このシステムの存在に強い疑問を抱いていくように変わっていくのでした。
また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の「PLAN75」関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に勤しむ日々を送ることになります。果たして、「PLAN75」に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。
「死ぬ時くらいは選びたい」。拡散されるスローガンはまるでハーメルンの笛の音。“老人ホイホイ制度”に導かれ、高齢者は自分の足で断崖絶壁へ進みます。若者が老人を山頂までおぶって、罪悪感で苦しむ必要もないのです。同調圧力に弱く、考えることを諦めた現代人の姿がここに映るのでした。今の日本の空気がリアルに漂い、奇妙なほど説得力を持つドラマとなったといえるのでしょうか?
野に咲く花のようなしなやかさと強さを持つ主人公ミチを、倍賞千恵子が繊細に演じていて素晴らしかったです。ただねぇ、大の寅さんファンのわたしとしては、もし年老いたサクラがミチのような孤独で老いぼれた姿になっていたら、どんなに寅さんが嘆くことかと想像してしまいました(^^ゞ
サクラとしての倍賞千恵子に馴染んできたものとしては、本作で描かれる冷酷さにはとても違和感を感じてしまいました。彼女の代表作「男はつらいよ」の世界は、言葉は乱暴でも中身は温かさに包まれていたので、その落差の大きさに面喰らってしまいました。
映画の中では、老人に対し、誰もが優しい笑顔と柔らかい言葉で接します。しかし態度とは裏腹に、誰もが冷酷に老人を突き放しているのでした。そしてこんな姥捨山制度にて対して、プラン75のスタッフは何の疑問もなく、使命感を持って働いていること。加えて世間での受け止め方も、もうそれが当然という感じで、強い反対運動は描かれませんでした。さらに「プラン75」を申請する高齢者は、何のためらいも、迷いもなく静かに次々と安楽死を迎えるのでした。
少なくとも最近公開された『スーパーノヴァ』や『ブラックバード 家族が家族であるうちに』などの安楽死をテーマにした作品では、安楽死に至るまでの本人とその家族、友人らの葛藤が色濃く描かれていました。ところが、本作ではプラン75に沿って、老人をホイホイと安楽死させてしまうのです。
ヒロムや瑶子ら遂行する側に立つ若者たちの視点も交えてはいるものの、疑問を持つ止まりでした。現実にそんな立場で疑問をもてば、即刻仕事を退職し、反対運動の先頭に立ってしまうことでしょう。
さらにミチは口数が少なく、尊厳死を選ぶ理由さえ、セリフで説明されません。そのためミチの安楽死の決断が唐突に見え、ラストの不可解なオチにいたる行動にも、イマイチ感情移入できませんでした。
高齢者が一律75歳で自ら望んで安楽死してしまう近未来社会。それをステレオタイプに近い演出で取り組んだ早川監督の意図は明確です。「PLAN75」とは、現在の政府の福祉政策は姥捨山に向かっているという警鐘が鳴らしたいということです。その究極の姿をメタファーとして描いたのが本作です。
いま昨今の福祉政策は、少子高齢化のためピンチを迎えています。長らくつづくデフレの前には、消費税を連続で上げても、かえって景気は冷え込み、歳費の減少は止まりません。その中で福祉や介護が必要とする高齢者は年々増えていく一方です。
こんな状況の中で、景気対策や経済成長の予算を削減して、福祉予算ばかり拡大しては、デフレが増長していき、歳費収入は先細りしていくことでしょう。
極論として、こんな恐怖の姥捨山映画を作って、国民に恐怖の予感を与えるくらいなら、倍賞千恵子が慕う小津安二郎のような家族の絆を強めるような作品を作った方がマシだと思います。少子高齢化とデフレが続く中で、政府が何から何まで国民の生活を公費で賄うことには限界があります。だからこそ求められるのは家族の力です。江戸時代はそうやって子が親を養うのが当然でした。それがいまや政府が養うのが当然と考えている人が増えてきたのはいかがなものでしょうか。
家族のない人には、経済的に成功した人のたしなみとして、高齢者や生活困窮者に手を差しのべる社会貢献活動をもっと定着させていくべきでしょう。
社会には、そんな優しさが必要だと強く思わせた作品となりました。
問題提起だけじゃなんの新鮮味もない 個人的には夢を壊された。何がって
なんてタイムリーな
老人問題の事ではない
冒頭のシーン
考えの浅い自分本位な若者が起こした事件がplan75の発足のきっかけとなった
そう、安倍元首相銃撃事件
やった事は許される事ではないが
おかげで統一教会と政界の繋がりが暴かれた
犯人にそこまでの深い意図があったか知らないが、マスコミは負けないで欲しい
政治家は未練たらしく二の足を踏んでいるからね
人間には生きる権利と義務があるが、死ぬ権利もあると常々言ってましたから、plan75は当然あってしかるべしと思います
それをセンセーショナルに取り上げる監督の意図を知りたくて観たわけです
既に安楽死を認めている国がある現代に
日本でそれを認めた場合、どうなるか
律儀で真面目な日本人
そして、経済発展のチャンスと捉える抜け目のなさ
なかなか素晴らしい制度でした
少ないながらも支度金が用意され、メンタルケアまでしてくれるんだから至れり尽くせり
さすが日本人が考えた制度です
問題は老人が生きて行けなくなって死を選ぶしか無くなるような社会の仕組みです
高齢化社会がどん詰まりまで来た近未来なのだろうか
政府は無策なまま、この時を迎えてしまったんだろうかと首を傾げてしまう
安楽死を認めるなら希望する人も増えるだろうし
義務を終えた人は自殺する権利を与えればいい
何がなんでも生かす医療も変えないといけない
人工呼吸器を付けない権利
高栄養の点滴を拒否する権利
緩やかな窒息死、餓死は苦しみを伴わない
そうすれば寝たきり老人はグッと減る
後は移民の受け入れかなあ
税金と社会保険を払う人を増やさないと
そのためなら働き口を作らなければ
AIとかで人が働く場所が減っていくだろうからね
いや、一人あたりの生産性を上げればいいんだから、AIの進歩でなんとかすれば移民に頼らなくても良くなるかも
子育て世代の優遇も含め素人でもこれくらい策を考えられるんだからなんとかなるでしょう
映画は磯村勇斗の理にかなわない行動と
なんで助かったのか意味不明なアクシデントのシーンで収拾がつかなくなって終わる
問題提起しただけ
最後は、監督、何がしたいん?とあきれた
かつて、チャールトン・ヘストン主演のソイレントグリーンというSF映画があった
ラストは支給されたウエハース状の食料が死んだ人肉から作られていたというオチだった
これくらい小洒落たラストを作れんもんかな
まあ、マクドのハンバーグのパテがミミズで出来てるとウワサがたってもなんの動揺もなかった側の人間だから、人肉の再生利用は当然と思っただけでしたけどね
倍賞千恵子
昔はとてもキュートでした
永野芽郁が足元にも及ばないくらいにね
原節子のように歳をとってからは人前に出なかった女優の生き方の真逆
考え方は個人の自由なのは理解している
ただ、今回はあまりに素を晒しすぎたんじゃないか
歳をとっても存在感がある
大女優の貫禄なんでしょう
変に目立って、82歳の姿が画面から浮き出るのは見たくなかった
批判は承知の上のホンネです
生きるって眩しい。死は決して人間の手のうちにあるものではない
少子高齢化が進む日本。
高齢者が若い人の荷物となり
75歳以上が自らの生死を選択できるシステム<プラン75>。
その政策に様々な人が様々な形、思いで関わっていく。
生きてく事も難しいが、死ぬ事も難しい。
人生の幕引きを選択出来たとしても、自分に何ができるだろう。何がしたいだろう。
人は生まれた時は何もできない。成熟していくごとに様々な事が当たり前に出来るようになり、いつしか社会の中での自身の存在意義や生きがいを見出し、誰かと共存して生きている。
老いていく事は少しずつそれらを手放さざるをえなくなり、出来ていたことが出来なくなり、
いつしか自分の生きてきた人生、そして自分自身と向き合う事が全てとなっていく。
自分だったらどうだろう。は勿論
大切な人だったら、親だったら、ただの隣人なら∙∙∙。
人が人を大切に想い、慈しみ、喜怒哀楽の共有が出来るだろうか。
人の生死に関わるその瞬間、何を思うだろう。
寂しく哀しく。でも生きてるってとてつもなく眩しい。
ラストのシーンは、なんだかよくわからない感情の涙がとめどなく溢れてました。
倍賞千恵子 さん素晴らし過ぎて苦しかった
心が揺さぶられる
観賞中、たくさんの感情で心が揺さぶられ、胸が締め付けられました。同情とかではなく、何とかしてあげたい、どうにかならないのか。でも誰が悪いとかではないし。
登場人物それぞれに感情移入し、戸惑ったり、苦しかったり、すごく疲れる2時間でした…。
主人公のミチさんは、まだまだ頭もしっかりしているし、健康面も問題なし。職場の仲間たちとのお喋りを楽しみ、仕事もこなす。
でもそれが、あるキッカケで全部崩れてしまう。
一度崩れた彼女が普通の生活を取り戻すことがどれだけ難しいか、そして彼女がどんな葛藤や孤独や惨めさを感じているのかが、倍賞さんの素晴らしい演技により悲哀と共に伝わりました。
ミチさんが、あの決断を後悔しないことを祈ります。
感想を言語化するのがとても難しい。
ガツンと来ました…。素晴らしかったです。
ミチさんの「15分なんてあっという間ねー」という言葉が、まだ強く耳に残っています。
近未来の姥捨て山
カメラワークに感動、アングルが素晴らしい❣ 75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本が舞台(昔は家族の“姥捨て山”、これは国家の“姥捨て山”)。登場人物の服装が近未来を予想させ、我が身を考え寒気がした。角谷ミチ(倍賞千恵子)が呟く様に歌うシーン、往年の彼女が唄う透き通った声を知る身としては感慨深かった❣ プラン75カスタマーサポート員の成宮瑶子(河合優実)との心温まるシーン、プラン75社員・岡部ヒロム(磯村勇斗)と叔父の岡部幸夫(たかお鷹)との絡みにも注目。ラストシーンは不可解❓
全384件中、121~140件目を表示