苦い涙のレビュー・感想・評価
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正気を失うほどの恋
なんか、なにかを書こうにも、堅苦しいことにしか思えず、もう面倒になってしまった。だって、好きが過ぎるんだもの。好きが膨張しすぎて、それを理性で抑えようと懸命で、それでいて身悶えが止まない。気持ちは、まるで高校生の純愛のような一途さ。フランスらしい華美で飾り立てたセリフがその愛を飾り立てるのだが、それは叶わぬ恋となる。それなのに惨めではなくどこか滑稽。そこがキュートで憎めない。たぶん、自分が彼の身内だったら、優しく抱きしめて慰めてあげたい。
笑っていいやつなんだよね?
ファスビンダーといえば、え?マイケル・ファスベンダー?ってなるひとなので、ペトラフォンカントの苦い涙は当然知りません。
フランソワオゾンだからみた、という人の感想です。
高名らしいピーターフォンカントという映画監督が、美青年にメロメロになっておかしくなった?という悲喜劇なんだと思います。
尺も短く、見やすくはある。
アミールは確かに美しいので、ピーターが夢中になるのはわからなくないけど、アミールにいいように扱われるおじさんが情けなくって、これ、笑っていいの?笑うけどさぁ…という、困惑があったです。
カールがピーターに唾をビシャッとぶっかけたのは痛快だった。
そして、ピーター40歳の設定なんだって。え?あたしと同世代?50はいってると思った…
ジントニック作る時に、プシューってやってたポットみたいなん、あれはなんなのかな?
アホでバカでしょうがないんだけど、 なんとなく憎めないのは、 ある...
アホでバカでしょうがないんだけど、
なんとなく憎めないのは、
ある意味、ピュアだから?
狂気からしか生まれない認識があること。
2022年。フランソワ・オゾン監督。ゲイの売れっ子映画監督は恋人と別れたばかりだが、親友の大女優が連れてきた青年に一目ぼれ。同棲を始めて彼の映画をつくろうとする。しかし、やがて独占欲のある監督は奔放な青年と衝突し始めて、、、という話。
恋愛に100%の二者関係と曇りのなく愛される肯定感を求める監督の「幼児性」が強調されていて、愛が破綻したときに見せる周囲への態度、大女優や母親、スイスの寄宿舎に預けている思春期の娘、さらに監督に奴隷のように仕えるアシスタントへの態度は、度が過ぎて狂気じみている。しかしその狂気のなかにある真実がみどころ。
大女優には「仕事をもらいたくて寄ってくる」母親には「金をせびっている娼婦」娘には「子供のくせに」アシスタントには「好きで服従している」と言い放つのだが、それらはブルジョワ的家族で無意識に共有されながら誰も指摘しない暗黙の前提への批判であり、狂気の愛の地平からしか出てこない。この世にない100%の愛を求める男だからこそ、この世のルール、日常生活の前提がばかばかしく見えるのだ。そしてその指摘はある程度は正しい。それは、アシスタントへの態度を改め、恋愛対象として(監督の場合それはカメラの被写体にするという意味だが)扱おうとしたとたんに痛烈に拒否されることに表れている。これは、これまで耐え忍んだ屈辱への抵抗ではなく、監督が指摘したように、自ら望んでいたSM的服従関係(そこには大いなる快楽があった)の終わりを告げられたことへの抵抗、と見るべきだろう。
異性同棲、同性関係、金関係、仕事関係、家族関係、主従関係、といった愛情を巡る複数の関係が複雑に交錯している面白い話だった。イザベル・アジャーニがぶちこわしているのは間違いない。
カール・・・
前のめりに、這いずって泥だらけになりながらひたむきに、けれど深みにハマっていく様は傍から見ている他人にはなんとも可笑しいものです。
しかし人と人は磁石のNとSのように惹かれ合いピッタリとくっつき離れない時期は短くて、いつの間にか同じ極が並んでしまい、結びつきたいのに離れてしまう、ギリギリまで近づいたと思ったら、クルリと背を向けてしまうものなのかもしれないなぁと、ピーターとアミールの関係を見るにつけ思わされました。
それにしてもカール、まさに「ザ・70年代」なファッションが細身のボディにはりついて、なんと素敵なことよ!なのに何故?彼が心から笑える日がやってくることを願わずにいられませんでした。
ピーターのようにひたすら感情を発露することができるのは、一生を振り返ってみた時には幸せな人生だったと言われるのでしょうね、ジェットコースターに乗っているようでワタシは真似したくないけれど。
ラストでピーターがカーテンを引くシーンは、何故かモノクロで「FIN」と字幕が出てきそうなイメージが頭の中に広がりました。
コンパクトな時間の中に色々詰め込まれた面白い作品でした。
カールが可哀想 🎵 みてたはずよ ピーターの心が ぐいーんと アミールの方へ傾いて行くの~ 見てたはずよ~
邦題の苦い涙。考えたのはアタシと同年代の人でしょうか?
スリーディグリーズの苦い涙。山本リンダもカバーしてました。
それはさておき、この映画は舞台芸術の匂いがプンプン。主演のひとり芝居がものをいう演目。
イザベル・アジャーニ目当てで観に来たんですけど、年取ってもさすがに美しかった。若いツバメをゲットして、馴染みの低迷している映画監督に押し付ける黒幕役でした。さすがですなぁ。
この映画はリメイク。女性から男性に替えているコメディ映画ですが、格調高いので笑いたくても回りに気を使って、ガハハ~とは笑いにくい映画なんだなぁと思い始め、つい、じゃあ主演は西田敏行で、イザベル役は浅丘ルリ子、娘役はがらがら声の感じから伊藤沙莉かなぁ。おぶすだし(失礼~🙏)おばあちゃん役は死んじゃったけど市原悦子かなぁとか、アミール役は妻夫木聡かなぁとか、カール役は安田顕かなぁとか考えはじめてしまいました。
身内の優しさに救われる感じも良かったで~す。
観ておいてよかった。
最高にお洒落で格好良くて
観れてよかった!
恋の駆け引きも70年代風ではあるのだが、
思いのほか可愛らしく進むので、
そこまで悲劇的な印象を受けないのも不思議。
歌のセンスも最高だったし、
ずっと浸っていたい世界観だったな、、。
カールの逆襲もよかったね。
おそらくカールもピーターを慕っていたし、
あの名女優のことも敬愛していたのだろうけど、
(あの上着を受け取ってから匂うところがすき)
アミール出現のせいでそれが崩れ落ちたのだろう。
ピーターは多くを失ってもなお、生きている。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの
「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」が観たい!!!
オゾン作品でベスト3に入ります
初期のオゾン作品を彷彿させるポップな映像に色彩豊かなインテリアと衣装、ファスビンダーのリメイク作と、私の大好きな要素が詰まっている作品でした。それにしてもピーターほどの年齢になっても恋愛に打ちのめされるのはある意味羨ましいですが、ピーターはアミールに対して愛ではなく性欲をぶつけていただけなのでは?と思いました。逆にアミールはピーターとのセックスで有名になった。つまり、ふたりは愛という名の下に自分の欲望を交換しているだけにすぎません。悲しいかな、恋愛とは自己愛です。
オリジナルはホモセクシャルではなくレズビアンということで興味津々。この時代にレズビアンを描いた映画作家はほとんどいないので、絶対に観に行きたいと思います。
前作「すべてうまくいきますように」ではソフィー・マルソーが出演していましたが、今回はイザベル・アジャーニが出演ですか!感動。
元々ファスビンダーに影響を受けたオゾンとアルモドバルにしか、リメイクは撮れなそうですね。アルモドバルのリメイクも観てみたいです。
恋で人は幸せになり、愛することで苦しみを覚えていく
恋に堕ちる過程を見ていると人は滑稽で哀しい生き物だなあとしみじみ思ってしまいます。
美少年に一目惚れする映画監督、金と名声はあるけど若さと美貌はない、そんなオジサンが若い青年に恋をする。
人は自分はないものを相手に求めてしまうけど、バランスの差がありすぎるとどこかでぼたんのボタンの掛け違いみたいな狂いが生じてしまうものなんだなあと。
自由奔放に振る舞う青年の態度に苦しむおじさんの姿は見ていて可哀想というか哀れみを感じてしまうのですが。
おじさんも今まで恋愛をしてきたのではと思ってしまうのです。
自分は、こんなに愛しているんだと、だから愛してくれと相手に見返りを求めるのは人間なら当然と思ってしまうのですが、若い恋人はそれに対して束縛しない。
フィフティフィフティ、同等の関係でいたいというのは自分が愛されていることを分かっているから、でも、これって今のうちと観ている側は思ってしまうのです。
愛も恋も永遠ではない、でも恋に堕ちた最初は、それが分からないというか、見ないふりをしているんだと思います。
青年は誰とでも寝て恋愛をすることに恋人かがいても罪悪感など感じない、そういう生活を送ってきたから仕方ないと思いますが。
かたや監督は、そういう恋愛を受け入れられない性分なのが見ていて辛いのです。
この映画は元ネタは女性同士の話を今回、現代でゲイに置き換えたらしいですが、多分女性ならもっと残酷な内容ではと思ってしまいます。
秘書のカールが最期まで無言の演技なのはびっくりしました。
最期、監督が彼に謝り、もしかして彼を恋人にしようとしているなんて思ったのですが。
いくら秘書とはいえ、干拓の態度はちょっとひどすぎないと思っていたので
「ああ、やっぱり」
というラストシーンです。
最期にシドニー、彼女の台詞、「優しくしてあげた」という台詞には。
ああ、二度とこの男二人は会う琴はないんだなと、ちょっと切ない気持ちになってしまいました。
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 人を“恋する”ことの本質を理解する迄の一人の男の魂の彷徨の物語。
①ファンスビター監督の映画で観たことがあるのは正にゲイの監督しか撮れないなぁ、としか言えない『ケレル』のみ。
本作のピーターはファンスビター監督の自画像なのだろうか(前知識も後知識もないので自分の感想のみですが)。
②ファンスビター監督へのオマージュとして本作を演出した(?)フランソワ・オゾン監督もゲイだけどアプローチの仕方は大分違うと思う。
オゾン監督は本作のピーターに自分を投影するのではなくて、かなり客観的・理性的に演出している。だから独りよがりにならずに此処まで感動的な映画になったのだと思う。
③叶わないからこそわかる“恋”のつらさ、成就しないからこそわかる“恋”の苦さ、遠くから眺めるしかないからこそわかる“恋”というものの本質。
片想いこそ本当の恋というけれど、映画の中でピーターは「私はアミールを愛してはいなかった。所有したかっただけだ」と言ったが、勿論愛していたことは間違いない。
ただ、悲しいかな人間は人を好きになると愛すると自分一人の物にしたくなる。一緒にいたくなる。自分だけを見ていて欲しくなる。見返りが欲しくなる。
“恋”“愛”という感情がいつしか所有欲・独占欲との境目を失くしていく。それを愛だと勘違いしていく。
でも人は勿論何かの所有物ではないし、自分の意思と人生を持っているし、必ずしもこちらに靡いてくれるとは限らない。
結局は、自分がただ一筋に相手を想う気持ちだけが純粋に結晶化された“恋”“愛”と云うものだと気付くしかないのだが、そこに至るまでの苦しみ・つらさから来るジタバタ・ドタバタを、ドュニ・メノーシェは絶妙に演じて見せる。
本人は切なくて辛くて苦しくて堪らないのに端から見ればどこか可笑しい。
熊のような身体をしながらその青い目の可愛いこと。
また、そのジタバタ・ドタバタを下卑たコメディに堕とさないオゾンの演出の匙加減。
④ただ、そこまで行っても悟らないのが人間の愚かなところ。
また、自分の気持ちにやっと向き合えた割りには他人の気持ちがわからない身勝手さ。
今まで陰日向なく支えてくれたカールに慰めを求めるも、「なめんなよ」と唾を吐きかけられて愛想をつかされる体たらく。
⑤如何にも大女優然として登場するイザベル・アジャー二、ファンズビター映画のミューズだったハンナ・シグラ、二人が演じるシドニーとローズマリーは大人の女たちだから、恋の苦しみにのたうち回るピーターをあやし叱咤し気持ちの整理をつけさせる。
ぶざまな“恋愛”を描かせても、やはりフランス映画は“大人”だなぁ。
待ってました、オゾン監督!
恋に落ちたときの、あの切なく、苦しく、死にたくなるような感情を、なんともまあ、ユーモア豊かに描いたこと。色彩豊かなファッション、インテリア、音楽は、安定のオゾン監督の世界観ど真ん中。
美しい青年アミール、ふりまわされる太っちょ映画監督ピーター、助手のカールに、3人の女たち。映画ポスターそのまま、キャラが立ち過ぎ。。
ピーターが、娘の相談そっちのけで電話のベルに飛びついちゃうところ(間違い電話多すぎ笑)、音楽に乗せてダンスするところ、好きな場面です。
ピーター役のドゥニメノーシェ、「ザ・ビースト」(昨年の東京国際映画祭グランプリ)の俳優さんだったのですね!演技の幅、広いなぁ、、
恋愛は人を馬鹿にする。恋愛における支配/非支配、先に惚れた方が負け...
恋愛は人を馬鹿にする。恋愛における支配/非支配、先に惚れた方が負けゲーム等、恋愛あるあるをデフォルメ的に詰め込みながら、思いっきり泣いて喚いて怒り散らかす主演のドゥニ・メノーシェがはちゃめちゃにチャーミング。映画界における、権力を盾に関係に服従させてしまう描写には思うところがあるけれど。
元の、今作とは男女逆転版ファスビンダー作「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」は現在公開中のTAR/ターと構造が同じ。ターではノエミメルランの役にあたる、助手のカール役ステファン・クレポンがユーモラスに、熾烈な輝きを放つ。
色彩や絵作りはウェスっぽいというより、アルモドバルっぽい、けどあそこまで緻密で繊細にバキバキなわけではない。
歯磨きしてから
カールとシドニー面白すぎ。
アミールを女性に置き換えたらフランス(に限らないが)映画の定番ストーリーだろう。
ピーターの過剰演技や何度か出てくるアホみたいなラブ・ソングと相まって、悪女物、ファム・ファタール物を軽く鼻で笑ってるのかも。
メノーシェとハンナ・シグラを濃厚に楽しむ室内劇
ひたすらメノーシェの演技を楽しむ映画でした。なんて濃厚で暑苦しいこと!才に恵まれ映画監督として成功し傲慢で愛に飢え涙をポロポロこぼす太ったペーター。写真でしか知らないファスビンダーにそっくり。可愛くもあり情けなくもあり笑わずにいられない。本人は深刻なのに周りはクールというか距離感がある。ママ役の、これまたふくよかなハンナ・シグラが息子ペーターを慰める姿と横顔はきりっとした鼻筋と強さがあって「マリア・ブラウンの結婚」のシグラであることにとても驚いた。
ペーターの衣装も楽しめた。ガウン、白のスーツに白のネクタイに濃い茶のシャツ、南ドイツの民族衣装の革半ズボン、赤シャツに黒革のジレ。70年代でドイツでファスビンダーだった。
アパルトマンの中庭から向こう側にケルン大聖堂が見えた。台詞はフランス語でも地名やカールや時折入るドイツ語のおかげで70年代ドイツ(だと思う)の雰囲気に浸ることができた。
「死は愛より熱い」と書かれたポスターには笑えた(この文句はファスビンダー監督映画「愛は死より冷酷」の単語入れ替え遊び)。
恋に狂う女
若く美しい男性に恋するドゥニ・メノーシェ演じるピーターが完全に女だった
嫉妬したり乙女のように拗ねてみたり
縋るような愛に疲弊し、荒れ狂う息子を猛獣使いのように宥めるハンナ・シグラ演じる母
お見事
酷い扱いをされるアシスタントのカールの潤んだ大きな瞳がとても魅力的
ファスビンダーのほうのペトラ・フォン・カントの苦い涙の上映が今月16日から武蔵野館であるのでとても楽しみにしています
舞台劇!
舞台でのお芝居を観劇したような充実感と余韻です。
選ばれし俳優たちの演技がすごい...。
登場人物は本当にメインビジュアルのとおり少ないのですが、一人一人濃すぎて、かなりパンチ効いています。
おじさんが若い青年に恋に落ちてしまうのですが、
とくに主人公ピーターの演技がすごい。The恋は盲目です。
恋の悲喜劇として、すごく完成度高い作品です。
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