ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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「映画」が好きな人ならぜひ。名作。
2回観ました。
2回目のほうが感動しました。
意外でした。
自分は、2回目は演技や技術的な細部を楽しむために観るので、感動や衝撃は1回目のほうが大きいのが普通なのに。
1回目はそうでもない印象だったのに、2回目で、本当に素晴らしい映画だと、感動しました。
ケイコは言葉は発せず、わかりやすい演出があるわけでもないので、1回観ただけでは、ケイコの心の動きを追いきれなかったのだと思います。
耳が聞こえないということは、常に、透明な薄い膜の中から世界に接しているようなものではないかと想像します。
ケイコがボクシングに打ち込むのは、作中で「殴るのが気持ちいい」とのセリフ(手話)もありましたが、その膜を突き破って、世界に接するダイレクトな手応えがあるからなのかな、と思いました。
女子ボクシングというマイナーなスポーツ、コロナで無観客、親族と知り合い以外なかなか見ないように試合に、これだけの鍛錬、覚悟、努力で臨んでいる姿勢に、アスリートとは本当にすごいと、頭が下がる思いでした。
ケイコ、会長のために、勝ちたかっただろうなあ・・・。
敗戦を見届けた会長が車椅子の上でうなだれるシーンで、思わず泣いてしまいました。
でも会長が「よし」と、妻を待たずに車椅子をこいで行く姿に、スポーツってこうやって人を動かしていくんだなと思いました。
ケイコは、この後どうするのでしょう。
でも、会長の帽子をかぶって、試合の相手から声をかけられて、また駆け出すラストからは、迷いながらきっと続けていくのかなと思いました。
どんな人生でも、そうやって迷ったり負けたり、「もういいんじゃないか」「自分のやってることは無駄なんじゃないか」と思いながら進んでいくしかないけど、それでいいんだ、自分もやろう、という気持ちをもらえる映画でした。
「映画」を観たい人には自信をもって推薦できる名作です。
この映画を作って下さった方々に、どうかこの賛辞が届きますように。
女の子は殴り合いせんほうがええんとちゃうの?(ハリー風)
過去ボクシング場面は幾多の不自然感モノがあったのですが
岸野ゆきのちゃん、静の演技が冴えていて
本作はなかなかリアルでした。
でも主人公がコミュニケーション取りずらい中で頑張る!という
監督の意図はわかるんだけど
ワタシはもう少し心のうちが見えるような演出にしてほしかったです。
70点
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アップリンク京都 20230129
絆の物語
チャンプを継いだりはしない
字幕版で見たが、周囲の音も字幕になっていて、もし字幕になってなかったら私はこの音に意識を向けなかっただろうと思う。当たり前に聞こえることで、音への意識が薄いのかもしれない。縄跳びの音、文字を書く音、雨の音…。
前半、耳が聞こえないことで生じるちょっとした不便や、聞こえる人たちとの間に起きる小さなズレがさりげなく描かれていた。
たとえば弟の友人の女の子が「さよなら〜」と声だけかけて帰ってしまう。聞こえないケイコにとっては、何も言わずに気づいたらいなくなっている。コンビニでのポイントカードのやり取りや、階段でぶつかる男性の悪意など、聴こえることが当たり前と思っている側の傲慢さがすごくよく表現されているなと思った。
ジムの女性オーナーの、善意からの気遣いも少し重荷に感じる気持ちもわかる。
コロナの描き方も、とてもあの時の雰囲気を捉えていた。無観客の静かな試合。
ミット打ちがリズミカルでとても楽しそう。ボクシング映画ということであまり興味もなかったが、みてよかった。日本映画らしく、劇的なことは起こらない。クリードを観た後なのでギャップを感じて面白い。
気になったのは母親役と三浦友和の妻役がだいぶ若いのではということ。特に三浦友和の妻は妙に色気があって、どういう関係なんだ?とノイズに感じた。20歳くらい年齢が違うと思うんだけど。最初、娘かと思った。日本映画って夫に対して妻や恋人役を20歳30歳若い俳優がやることが多い気がする。理由があるならいいけど、不自然に感じることも多い。
静かに人の心に染み入る映画
Amazon Prime Videoのバナーに現れた主演の岸井ゆきのさんの印象的な目を見て、そのまま引き込まれるように鑑賞しました。
聴覚に障害を持つ女性ボクサーの物語を16mmで撮ったという作品。
説明を読んだ後、「耳」でなく「目」を澄ませて、というタイトルに気づく。
岸井ゆきのさんはどこかで見たことがあると思い、調べると「前田建設ファンタジー営業部」で拝見していました。他にも地味ながらよい作品にたくさん出演されているんですね。
自伝をもとにした「フィクション」とは言え、聴覚障害を抱えながら、さらに女性としてプロボクサーになることのリアルが、美しく描かれていました。
美しくと言っても、華々しいシーンやわかりやすい感動のシーンがあるわけでもなく、
しかし、彼女が日常的に直面する葛藤や他人の無理解、人の温かさなどが伝わってきました。
下手な音楽で盛り上げようとせず、日常の音-街なかの雑音や、電車の走行音、ボクシングジムのミット打ちの音などがそれらの映像とともに流れているだけ。観客はそれらが彼女には聞こえないことを感じながら、大切な日常がそこに流れていることを感じ取ることができました。
最後に、河川敷で最後の対戦相手とあいさつした後の、岸井ゆきのさんの表情の演技は素晴らしいです。悔しさ、これまでの努力、それでも前を向いていく決意、それに気づいたことの爽やかさなどを想起させました。
このような映画を作ってくれた製作・役者陣の皆様に感謝します。
この映画のような、静かに人の心に染み入るような映画がもっと増えてほしいと願います。
聴覚障害を乗り越えて
じっくりと魅せてくれる
アイツがあんな事件を起こす前に
音の無い世界から感じたもの
ほぼ全てのシーンで無駄がない
静寂で波立たない
耳の聞こえないボクサー
主人公(岸井ゆきの)は耳の聞こえないプロボクサー、一戦一勝している。
ジムでは愛想のない人と思われているが仕方がない。
ジムの会長(三浦友和)は病気で、そろそろ止めようかと思っている。
二戦目も勝つが、気力が萎えてきたことを自覚し・・・。
人生、自分は自分だ。
これは名作
近年稀にみる素晴らしい映画だった。
ケイコは生まれついての聴覚障害を持っていますが、それを健常者とのハンデだなんだと言い訳にしません。1つも。ただただひたむきに、日々のジム練習と向き合い、日々の仕事と向き合う事の美しさを見事に描いた名作でした。
自分探しとか、自己表現とか、そんなチンケなテーマではありません。頑固なほどに1つの事を愚直にやり切る事の美しさを、淡々と描き切っています。
ボクシング引退?を醸すシーンも出てきますが、そうではない。途中で弟が「心が軽くなるから俺に話してみろよ」も断固拒否。。まるで、人にペラペラ話して気分が良くなるような程度の軽い悩みなんて悩みではない!っとでも言わんばかりに、ケイコは1人で葛藤し、自分で答えを見つけます。ケイコは痛みも悩みも、自分でしっかりと受け止め、戦う強さを持っています。
ケイコは聴覚障害ですから、喋れませんし、喋りません。共演した俳優さんたちも含め、セリフは非常に少ない映画です。その代わり、街の喧騒や生活音がそのまま、気になるぐらいガヤガヤと流れていきます。ただ、ケイコはそんな街の喧騒も聞こえていないんですね。
ひたすらにミットと仕事に向き合うだけの音のない世界の中で、毎日毎日小さな体に不釣り合いなほど大きなドラムバッグを肩に下げ、ジムへとテクテク通い歩く彼女の姿は、他のどの映画のヒロインよりも凛とした美しさがあります。
下町の古い荒川ボクシングジム。。どんどん練習生も辞めて行ってしまいます。辞めて行く者たちは、男女がどうだの、設備の古い新しいだの、大体そんな事を言って辞めていきます。しかしジムに残る練習生たちは、ケイコと同じくひたむきで、真剣で、男女の違いなど気にもならない者たち。。これも良かった。
会長からジムの閉鎖を突然申し渡されても、しっかりと受け止め、またすぐさま自分のやるべき練習に戻っていく描写。。きっと、だからケイコは荒川ジムが好きだったのでしょうね。
モヤモヤと(ダラダラと)悩みだトラウマだなんだと、大した事でもない事をいつまでもこねくり回しながらあっちの女・こっちの男と分別のない目移りを人間ドラマ風に仕立てる軟弱映画に対する強烈なアンチテーゼです、この映画は。
ケイコは生まれてこのかた耳が聞こえてねーっつの!っです。彼女はその障害については葛藤すらしていない。葛藤してるのは、大好きなジムとボクシングに対する自らの姿勢と在り方だけです。素晴らしい・・・。
ひさしぶりに、映画で強い女性の美しさを観ました。
大満足です。
闘う女の肖像
この映画は美談ではない。
耳の聞こえない女性の「リアル」を正しく伝える映画。
障がい者の「悔しさ」、「憤り」、「不公平」、
それがケイコの硬い背中から聞こえてくる。
その鬱屈を、
「ボクシングで闘うこと」に見出したケイコ。
その不条理を岸井ゆきのは、完璧に表現した。
その小さい身体から怒りのマグマが噴き出して来る。
しかしその思いは時に埋もれていく。
ケイコはあまりに無力で非力だ。
彼女はなぜボクシングジムの扉を叩いたのだろう。
「強くなりたい」
「見下す奴らを見返してやりたい」
ただひたすら、痛みを感じ、
その痛みを相手に返す。
この映画は美談ではない・・・と同じに、
サクセスストーリでもありません。
職場のケイコは自信に溢れている。
仕事仲間とも良い関係。
ボクシングジムの会長(三浦友和)も、
ケイコを理解してるし、ケイコも信頼している。
ジムの先輩も優しい。
耳が聞こえないことを知っている人は、皆受け入れてくれる。
しかし通りすがりの人、
そして無理解な人はどうだろう?
そこまでの関係になるまでが、困難なのだろう。
馬鹿にされ、見下され、無視されてきたことだろう。
もっともっと感涙にむせぶような映画に出来たはずなのに、
敢えて監督の三宅唱はそれをしない。
「感動してほしいのではない」
耳の聞こえない女性が生きる上での困難、
そして憑かれたようにボクシングに打ち込む日々を、
ドキュメンタリーのようにフィルムに刻んだ。
映画のラスト近くにある「試合のシーン」
小川恵子(ケイコ)があご下の急所に一発食らって、
ノックアウトされる定石破りのシーンで終える。
負けて終わる。
どう考えても、勝って終わるのが、
《セオリーというか、ふつうは、感動の場面で終わる》
ところがリングに這いつくばって悔しさの頂点で終わる。
底辺で這いつくばる。
でも、ここの所は公平である。
耳が聞こえたって、聞こえなくたって、
不公平なことは世間に無数にある。
ケイコに困難でないバラ色の未来など、
容易くは手に入らない事を、
私たちは誰よりも知っている。
そうなのだ、この世は不公平で報われない世界なのだ。
ジムの会長(三浦友和)との交流はとても良かった。
会長の奥さん(仙道敦子)が病室で横たわる会長に
読み聞かせるケイコの日記。
某月某日晴れ
ロード、10キロ
シャドー、3ラウンド
サンドバッグ、3ラウンド
ロープ、2ラウンド
来る日も来る日も、
走る、
打つ、
闘う、
日記は、言葉は、やはり心を伝えるには雄弁だ。
はじめて生のケイコの声が聞こえた。
しかし、
無言の岸井ゆきのの演技は、
言葉以上の感情を伝えていた。
そこがこの映画の肝(きも)だ。
荒川の土手、
隅田川は大きく太い、
古ぼけたボクシングジム、
見上げる中高層ビル群、
変わりゆく光景、
16ミリフィルムの映像に、とても味があり、
暖かい。
ゆきのちゃん、凄い女優さんだわぁ
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