「裏返されたポラロイド写真。 絵合わせゲームのように同じようなショッ...」彼女のいない部屋 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
裏返されたポラロイド写真。 絵合わせゲームのように同じようなショッ...
裏返されたポラロイド写真。
絵合わせゲームのように同じようなショットを合わせていく手。
写っているのは家族の写真・・・
妻クラリス(ヴィッキー・クリープス)はある朝早く家を出た。
置手紙をしようとしたが、なにもかも言い訳がましくなると感じて、書くのは止めた。
残されたのは夫マルク(アリエ・ワルトアルテ)と娘ルーシ(アンヌ=ソフィ・ボーエン=シャテ)と息子ポール(サシャ・アルディリ)。
「いつものことさ・・・」と、ここのところ夫婦間が冷めているマルクは思い、子供たちもあまり気にしない。
気になるのは「金曜日」のこと。
「金曜には間に合うかな」とふたりの子どもたちは考えている・・・
といったところからはじまる物語で、なにかが起こった家族の物語だということはすぐに察しがつく。
また、女性の声でのモノローグが入るので、なにかが起こるのは、たぶん家族の方だろうとも思う。
と、少々ぼやかして書いているのは、チラシなどにマチュー・アマルリックの言葉として、
「彼女に何が起きたのか、映画を見る前の方々には明らかにしないでください」
とあるから。
なのだけれど、観終わった直後の感想としては、「そういう話なのか。ならば、はじめからストーリーを知っていた方が、より愉しめたんじゃないか」ということ。
というのも、時制が複雑で、かつ、クラリスの想像の物語も入り混じるので、後半(特に後半)は、出来事の流れとクラリスの心の変化を追うのに相当骨を折るからです。
で、ここからは《ネタバレ》です。
家族は冬のリゾートとして、スペインの雪山に行くことにしていた。
その初日が金曜日だ。
夫婦仲の冷めていたクラリスは家出したままリゾート地に遅れてしまう。
遅れて到着したクラリスが耳にしたのは「親子三人の雪山登山者が行方不明になった」「雪崩に巻き込まれて捜索は困難」というものだった・・・
というのが前半。
家出したクラリス、クラリスのいない中での夫と二人の子どもたち、行方不明になった三人を待つクラリス、喪失感を抱えたクラリスが思い出す家族そろっての様子・・・
そういう映像が、時制を複雑に入れ子細工にして描かれていきます。
夫たち三人が乗ってきた自動車のフロントガラスに厚く積もった雪を掻き分けるシーンまでを前半とすると、この前半は極めて秀逸です。
ひとりのクラリスの動作(ドアを閉めるなど)がほかの三人の動作とシンクロする、
幼い娘が弾いていたピアノの音が現在とシンクロする、
といった時間空間を越えてのシンクロが映画に深みと瑞々しさと謎めいたやさしさのようなものを与えていると感じました。
さて、問題は後半。
彼女に何が起きたのかを知ってしまった観客(わたし)は、少し緊張の糸が切れます。
事件後の彼女の心の変化をストレートに感じたいところですが、映画は前半と同じく時制を複雑に語りつづけます。
結果、彼女の心の変化と行動が捕まえづらくなりました。
三人は還ってくると待ちわびながらも、やはり還ってくることはないと不安になるクラリス。
春の雪解けまでは、どうにか持ちこたえたものの、実際に三人の遺体に遭遇すると、悲しみと絶望は頂点に達し、その後の喪失感は如何ともし難い。
観光案内の通訳の仕事に就いたりして新しい世界に踏み出そうとするもの、仕事場で見かける父子の姿に激怒したりもしてしまう。
そのうち彼女が浸るようになるのは、空想の世界。
三人が死なずに生きていたならば・・・それも死ぬのが彼ら三人でなく私だったならば・・・
こういう家族になるだろう、というもの。
これが日本タイトルの『彼女のいない部屋』の意味ですね。
娘のルーシはピアニストへの道を進み、息子のポールはわんぱくぶりを発揮してスポーツが得意になるだろう。
夫のマルクは、鉄道保線の仕事が嫌になっていたから、結局、仕事は辞めて別の職に就いているだろう、と。
クラリスの思いは想像だけにとどまらず、マルクに似た男性に夫を見出し、思春期の少女の中に成長した娘の姿を見出し、学生アイスホッケー選手の中に成長した息子の姿を見出していき、それが遠くから見るだけでなく、彼らに関わってしまう・・・と展開していきます。
この後半は、ヒッチコック『めまい』、デ・パルマ『愛のメモリー』を彷彿とさせます。
クラリスが執着した三人の中でも、もっとも執着したのはピアニスト志望の思春期の少女で、少女がピアノを弾く場に現れるだけでなく、少女の受験の場(ピアノの実技の場)に現れ、少女を悲劇的な結果へと導いてしまう・・・
執着が引き起こした悲劇を契機に、執着の源であり象徴でもあった家族4人で暮らした旧邸を処分する、というところで物語は終わります。
この後半、ストレートに時系列に沿って描いたのでは締まらない結末と考えたのかどうか、結果としては掴みどころを欠いたことになったような気がしました。
個人的には、後半はストレートに描いた方がよかったと思うのですが。
クラリスに共感するか、反発するかは観る側に委ねるとしても。
というのが、わたしの解釈なのですが、先に観た妻は、「三人の遺体が発見されるまでの物語じゃないの?」と言っていました。
そのへんが曖昧に受け取れてしまうのは、映画としては欠陥なのかもしれません。
なお、映画的記憶の連想では、先に挙げた2作品のほか、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』『寝ても覚めても』に肌合いが似ていると感じました。