百花 : インタビュー
菅田将暉&原田美枝子が色付けしていった、川村元気監督の“人間味”
映画プロデューサーで脚本家、小説家としても活躍する川村元気氏が、自著「百花」(文春文庫刊)を映画化する企画で、長編監督デビューを果たした。母と息子の愛と記憶を主題に据えた物語を正真正銘の“映画”にするため、川村監督が主演オファーしたのは菅田将暉と原田美枝子。映画.comでは、1シーン1カットでの撮影を課した川村監督と主演ふたりによる特別鼎談をお届けする。(取材・文/大塚史貴、写真/江藤海彦)
「百花」は、川村監督が認知症の祖母に関する非常にパーソナルな体験をもとに、人間の記憶に迫りながら、とある事件をきっかけに離れてしまった親子のドラマを描いた自著を映画化するもの。コロナ禍の自粛期間中、原作を直接手渡していた菅田からは読了後、「読みながら気づいたら泣いていました」と出演を快諾する電話がかかってきたという。一方で、原田が監督、撮影、編集、制作、出演を兼ね、認知症の進む実母の姿をとらえた短編「女優 原田ヒサ子」を観た川村監督は、「これだけ近いところで、愛する人が記憶を失っていく様子を目撃した俳優ならば一緒にやって頂けるのではないか」と思い立ち、オファーをしたとキャスティング経緯を語っている。
■主演2人から見た川村元気監督
菅田は記憶を失っていく母と向き合う息子・葛西泉、原田は全てを忘れていくなかで様々な時代の記憶を交錯させる母・百合子に扮し、親子の愛と記憶を巡る物語を紡いでいる。まず単刀直入に聞いてみた。「川村元気監督はいかがでしたか?」と。
原田:作品に入ってすぐの頃って、自分の芝居がこれでいいのかどうかも分からないし、スタッフもほとんど初めての方でしたし、とにかく漠然と不安なわけです。監督は最初から「1シーン1カットで撮る」と言っていたので、それは分かっていたのですが、とにかく撮影を始めてみなければ、どうなるか分からないですよね。序盤で一体何が撮りたいのか、どうやって撮りたいのかが分からなくなって、不安の境地に陥りました。
だけど、監督が撮ろうとしていることが私の思っていることの先にあるんだなと感じられるようになって、じゃあその先まで行ってみようかなと思えた時があったんです。そこまでは大変でした。でもそれは、初監督だろうが、10本目だろうが、100本目だろうが同じだと思うんです。
菅田:今まで何度も仕事でお世話になっている人だし、話す機会もありましたけど、それはプロデューサーという役職での川村さんでした。その時は、エモーショナルになるのは僕らの仕事で、川村さんはその外でドライに形を作ってくれるみたいな関係性だったわけです。
それが、第一線に立って感情的になりながら現場を作っていくって、どういう感じなんだろう? と想像がつかなかったんです。川村さんには、そういう匂いがしないから。でも、電話で初めて川村さんのパーソナルな体験、監督をすることの理由をちゃんと聞けたので、どうなろうとその思いに共感した僕の負け。現場で物理的な問題は色々ありますが、最後までやり切りたい一心で進んでいった感覚です。ただね、川村さんは人に意見を聞きながらも、自分の中で隠しているものがあるから……、意地悪なんですよ(笑)。
■川村元気監督が危惧したこと
川村:意地悪……なんだろうなあ。まあ、小説を書くような人というのは、意地が悪いんです。人間が言われたら嫌だろうなということや、わざわざ隠していることをほじくり返して文章にして読んでもらうわけですから。物語ってそもそも、そういうものなのですが……。
今回怖かったのは、原作も脚本も書いているから、自分の中でガチガチにイメージがあること。それで現場に臨んだとき、イメージ通りのものを俳優に押し付けて撮れたとして、何が面白いんだろう? という思いがあったので、前半は特に具体を言わないようにしていたんです。原田さんから「何が撮りたいの?」と言われた時に、一気に話してしまいそうになったんですが、言った瞬間に面白くなくなると……。そういう状況下で、原田さんと菅田くんの中から、どうしたら僕の想像を超えるものが引っ張り出せるんだろうかと、新人演出家として困っていたし、悩んでいたというのが正直なところです。
■菅田将暉は紫、原田美枝子は黄
――本編を拝見し、菅田さんの衣装が紫、原田さんの衣装が黄色で構成されていることに気づき、物語と共に色を追っていく作業は興味深かったです。菅田さんと原田さんを色で表現するとどのような色が思い浮かびますか?
川村:原田さんは映画通り、イエローでしょうか。ずっとお仕事を拝見してきて、「青春の殺人者」や「愛を乞うひと」など激情的な部分と、ドラマで見せるお母さんとしての顔が両方とも自然に成立していることが不思議で仕方がなかったんです。やはり撮影現場では、激しくて血がたぎっている印象でした。けれど、撮影終了後に乗馬クラブに連れて行っていただいたとき、馬と触れ合っている表情を見て驚きました。まるで幼児をあやす優しい母のようで。激しいレッドと穏やかなブルーのあいだの色がイエロー。危険信号でもあるし、花のように、のどかにも見える。そういう意味合いがあったんです。
菅田君もやはり、映画通り紫のイメージがありました。今回演じてくれた泉は、子どもの頃から、ある部分がまったく育っていない人間だと思っています。最後の最後で母を許せるようになって、初めて大人にも、父親にもなれるのかな……という映画にしたかったんです。紫って、美しいけれど不気味さも含まれていて好きな色なんです。夜明けの青紫とか。今回の撮影では、青紫の空をいっぱい撮影しました。
■「必死に生きる」の繰り返し(菅田)
――川村さんに以前取材した際、「人間の脳の働きをそのまま映像化している。僕らの生きている実人生に当然ながらカットはかからないので、全て1シーン1カットで撮った」と聞きました。菅田さんと原田さんには、相当な困難が待ち受けていたのでしょうね。
菅田:漫画のコマとコマを渡されて、そのあいだを全て自分で埋めなくちゃいけなかったという印象なんですよ。まず必死に生きて、そこから求められているものを探して、また生きる。その繰り返しでした。
原田:確かにそこは大変でしたね。カメラマンとの呼吸もあるし。私たちは後ろから撮られているから、どんな画が撮られているのか分からない。それでダメと言われたら、「どこがダメなの?」と聞きたいじゃないですか(笑)。直さないといけないから。後になって、エッセンスのようなものが出て来るのを待っていたんだと分かったんですが、その時は生きていくだけで必死って感じでした。
■集中力が切れるのを待っていた(川村監督)
川村:原田さんに対しては、確かにOKとNGの基準が難しかった。僕のおばあちゃんもそうだったんですが、認知症の方と話していると、はっきりしている瞬間と何処へいっちゃったの? という瞬間と、数分間のなかで天気みたいに変わるときがあります。そのフォーカスが合ったり、合わなかったりという揺らぎを撮りたかったんです。
原田さんの前で初めて話しますが、集中力が切れる瞬間を狙っていた時がありました。長澤まさみさんとの、炎天下の庭でのシーン。原田さんは凄い集中力で臨まれるから、全て芯が通っている。でもあそこは、天気のような不安定さを撮りたかった。とはいえ、集中力を切らしてください、という演出は出来ないので、そうなるのを待っていた。原田さんがバテてきて、集中力が繋がっている瞬間と切れる瞬間とがあって、「これこそが天気のような表情だ」と思ってOKを出したら、原田さんがブワーっと走っていらして……。
原田:「どこがOKなのよ!」って(笑)。
川村:「全然集中出来なかったんだけど!」と言われて、「それを待っていた」とは言えないから、大丈夫ですって答えたんですよね。
■神戸・大丸前で大女優からの洗礼
原田:私たちは、本番に向けて合わさなければならないという風に育ってきている。ピークを持って行った本番ではなく、監督はその先を見たかった。そこになかなか辿り着かないことに苛立ちも感じましたね。
川村:神戸の大丸前で、エキストラの方もたくさんいる前で「何が欲しいのよ! 分かんないわよ!」と怒られたとき、大女優に洗礼を受けている……と感動したんです。
原田:どの瞬間も真剣勝負じゃないですか。個人的なケンカではないわけです。現場でどういうことが起きているの? という話だから、全員に届いてくれないと困りますよね。個人的なケンカだったら、ちょっとちょっと……といって裏に連れて行けばいいだけですから(笑)。
その場にいる全員に共有するには、大きな声で言った方がいい。いまはインカムで話すことが一般的になって、隅々の人にまで何が起きているのか共有できなくなっていますから。小さなグループで分かり合うんじゃなくて、全体として見えてこなければ意味がないんです。
■菅田くんとは「団地の戦い」(川村監督)
川村:神戸の乱のほか、横浜の乱というのもありましたね。
原田:横浜はひどかった(笑)。でも、あれがあったからこそクリアになったんです。本当に信頼していいんだと思えたから。あの局面を避けていたら、終わらなかったでしょうね。
川村:原田さんに「私は自分の人生のラストチャンスだと思って死ぬ気でやっているから、あなたも本気でやってくれないと困るのよ!」と言われて。人の「死ぬ気」をもらえるなんて、こんなにありがたいことはないなと思って感動しました。そこからは、僕も遠慮せずに相談をするようになりました。
そして、菅田くんとは「団地の戦い」というのもありました。菅田くんとの最初のシーンは団地の公園の場面だったのですが、それぞれがイメージしていた泉とちょっと違ったんです。どうしようかなあと思っていた時に雨が降ってきて……。ラッキーレインでした。
撮影が中断したので、ふたりで2時間くらい話をしたんですね。「こんなに意見が合わないのか!」と途方に暮れていたタイミングで腹を割って話せたのが大きかったですね。何が大きかったかというと、菅田くんの実人生の悩みや葛藤をそのまま泉という役にもらっちゃえばいいんだと気づけた。原田さんもお母様にカメラを向けて対話を重ねた。それも全部もらっちゃおうと。自分のイメージをそこで壊して、楽になれたんですね。
■菅田将暉、最初の記憶
――「女優 原田ヒサ子」は、20年2月の「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」でお披露目された後に、劇場公開されました。原田さんは、お母様との思い出で最も古い記憶ってどのようなものでしたか?
原田:幼稚園に迎えに来てくれた記憶くらいしかないかもしれませんね。それ以前は……、覚えていないなあ。あれは3歳くらいだったはずです。
菅田:3歳の頃のことを覚えているんですか? 凄くないですか。僕は3歳の頃のことなんて覚えていないです。人生最初の記憶は……、幼稚園に通っていた5歳くらいのことかな。
幼稚園の隣に園長先生の家があって、誕生月の子は園長先生の家でお菓子食べ放題という形でお祝いしてくれたんです。僕は2月生まれなんですが、他に誰もいなくて、ひとりでお菓子を食べてもあまり楽しくないっていう記憶でしょうか(笑)。今回の取材で「記憶」について聞かれることが多いのですが、悲しいことばかり出て来るんですよね。
川村:僕も、切ないことしか思い出せない。表現する人というのは、切ないことや悲しかったことばかりを覚えている人が圧倒的に多いと思います。その欠けた何かを取り戻そうとして何かを生み出すのだと思うんです。幸せなことが、ものづくりの原動力になるって、あまり聞いたことがない。
菅田:「エルヴィス」(バズ・ラーマン監督)という映画を観たら、まさにそんな構図になっていました。幸せそうな楽しいシーンはダイジェストで、基本的に悲しいシーンばかりでした。
■言語化できる“愛”とは?
――川村さんは、菅田さんを「『共喰い』の頃からずっと“ほの暗さ”を持っている」と話しています。菅田さんは、その認識はありましたか?
菅田:当時はよく言われましたね。「菅田くんの家は大変だったの?」「いつでも連絡してきてね」「大丈夫、ひとりじゃないよ」って(笑)。めっちゃ愛されて育ったんだけどなあ……って思いながら。ほの暗い部分に飢えていたのは事実なんでしょうけどね。
――先日の会見では、「原田さんに怒られた」という部分が各メディアにピックアップされていました。怒るってパワーを使いますから、考え方次第では“愛情”だと思うんですよね。菅田さんと原田さんが考える、言語化できる“愛”とは?
菅田:「怒られた」って部分ばかり切り取られていましたよね。おっしゃる通り、本当に嫌いな人には怒ったりしないと僕も思います。
■生きていることそのものが楽しい(原田)
原田:今は残り少ないのがちゃんと見えているから、生きていることそのものが楽しいですよ。あと残り、これくらいだな……と逆算が出来るから。
川村さんとケンカというけれど、ケンカではなくて分かり合いたいだけなんです。映画を撮ることについても、「次はもうないかもね」と思いながらやっていますし、そういう中で人と出会うってすごく素敵なこと。そういうことすべてを楽しめるようになっています。いまは、生きていること自体が愛おしいし、全肯定できるんですよ。
菅田:いまおっしゃったこと、改めて文章で読ませていただきます。僕が音楽を始めたきっかけって、表舞台で傷ついたりストレスを受けたことを、プライベートでは発散出来ないなと思ったときに、表舞台で痛みや傷を消化出来るものを作ろうと思ったからなんです。
楽しいことはラジオで発散し、しんどいことは音楽。毎回、形のない友愛、家族愛、自己愛……、色々なことを話し合いながら音楽に向かっている。1回もうまくいったこと、ないですけどね。でも、うまくいかないながらも、自分の中でしっくりきたものもあって。そういうものを人が聞いたとき「あ、そっちの愛情なんだ」みたいな解釈をしてくれることがあったりすると、思わぬ形のものが出来ていたりしますよね。
■川村元気監督は知覚過敏
川村:いまの話を聞いていて、なんで菅田くんに惹かれるのかが分かる。菅田くんは、最初に会った頃から、とっても傷つきやすい人だろうなと思っていた。表舞台で傷ついたことをラジオや音楽で消化って言ったけど、傷つく前提じゃないですか。僕はめちゃくちゃ知覚過敏だから、よく分かるんです。
菅田:猫舌ですしね。
川村:冷たいものはよくしみるし(笑)。ちょっとした人の悪意でも、100倍くらい拡大して受け取りますから。
原田:可哀想に、大変な女優に……。怖かったでしょうね(笑)。
全員の爆笑で鼎談を締め括る形となった。作品世界を生きる登場人物にしろ、役を生きる生身の人間にしろ、どうしたって平常心でいられないこともあれば、一方で我に返ることもある。そういう瞬間を垣間見ると、1600年代を生きたフランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフコー公爵の箴言(しんげん)集にある「自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である」という1文を思い出す。
長編初監督作を1シーン1カットで撮り切った川村監督は、明確な意図を隅々にまでちりばめ、クリエイターとして新たな一面を体現することに成功した。ただ、まだ何色にも染まっていない新人監督と真っ向から対峙し、“人間味”の部分に色付けしていった菅田と原田の心象風景もまた、かけがえのないものであると言い切ることが出来るのではないだろうか。