母性のレビュー・感想・評価
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そこにアイ(愛)は、あるんか?
良い題材なのに、完全にキャスティングミスの作品ですね。制作陣の中に、テレビコマーシャルを見ている人が居なかったのかな?某俳優さんが、前半の大事なシーンで「愛」を含むワードを連発するとコメディになってしまうんですよ!惜しい作品でした。
“母親“という役割
感想 歪んだ愛の親子物語に重苦しさと切なさの感情を抱きました。 ・物語構成 母→娘→クライマックスという様に視点を切り替えて年代別に描く脚本が小説の世界に入り込んだ様な感覚にさせてくれました。 予告編を観た印象としては、母と娘の意見の解釈違いがテーマに見えたのですが、実際は親子の役割に翻弄される女性陣がテーマに感じました。 娘に愛情を注ぎ込んだ“母親“と自らが母になっても、母の愛を求める“母親“になりきれない娘。この構図が終始描かれていく物語には、生々しさと重苦しさの両方を感じ、流石は湊かなえ原作だ!と感心しました。 ・演技 今作の重要な役回りとなる女性陣の演技は皆さん素晴らしかったです。“母“と“娘“という役割に葛藤する姿をリアルに感じる事ができました。 ・主人公親子の配役について 正直年齢差が近すぎるのでは?と観る前は思っていましたが、思いの外役になりきっていたので、あまり違和感を感じる事なく観れて驚きました。 総評 母と娘という役職に振り回されながら愛を求める続けるという安定のイヤミス作品。終始集中して鑑賞できたので、個人的には楽しめた。
母性とか育児を考えさせられる映画
原作未読。予想通りの重苦しくなる内容だった。 自分が受けた愛情を自分の子にも同様に注ぐ、とはいかず、母に認められるようにするにはどうすればいいのかを常に考えてしまうのが焦点。 戸田恵梨香さんの、可愛らしい娘から若いママ、歳をとり疲れたママへと変化し、また娘への怒りを見せる顔の演技力が凄い。姑役の高畑淳子さんもこういうタイプいる!と思いながら見てた。
爽快感はないが見応えあり
原作は未読である。湊かなえの小説は、読了しても爽快感といったものはあまりなく、むしろスッキリしない置き土産のような重いものを貰うことが多いのだが、この映画もまた然りであった。登場人物たちの抱える問題を一つ一つ丁寧に炙り出すものの、ほとんど解決することなく、見た者たちに問いを投げ付ける。 登場人物はそれぞれが何らかの問題を抱えている。現実的に良くいそうな人もあれば、こんな人は現実にはいないのでは?という人もいた。前者の代表は高畑で、本当に自分のことばかりを優先させて他人には嫌な思いしか与えない。他人の思いなど一考だにしていないのであるから、相手になるものがどんな気持ちになるのかなどどうでもいいという人間で、こういう人物を好む人はまずいないだろう。高畑の怪演がリアリティを激増させていた。 一方、最も現実にいないだろうと思わせたのが戸田である。女性のマザコンというのが現実にいるのかどうかはともかく、娘より母親を偏愛するという例を私は一度も見たことがない。自分の能力や実績を信じられない「インポスター症候群」という精神病があって、女性に多いらしいのだが、それなのかも知れないとか思わせるものがあった。今昔物語にも、洪水で自分の母親と我が子が流された時に母親を助けた男の話があるが、それとも違うようである。 永野は戸田のせいで大人の顔色を窺ってばかりいるような性格に育ち、母親からも父親からも無償の愛を貰えていないのが可哀想で、そのために潔癖症のような資質を見せている。こういう子供は現実にいそうな気がする。一見すると自分の価値観をしっかり持ち、他人の行動の問題点を図星で指摘する聡明さを持っているが、無償の愛を知らなければ自分が子育てをする場合の価値観の基盤が心配である。 若い頃の革命ごっこ時代の影響を引き摺っている父親も現実には多そうである。マザコンで母親に何も言えず、頭の中で考えただけの価値観で行動して、本当に重要なのは何かということが全く分かっていない。親の面倒も嫁に任せっぱなしで何一つ手伝おうとしないなど、見ていて腹が立つばかりの男である。娘の指摘に何一つ反論できない浮ついた行動には同情の余地は一切ない。 高畑の娘はマザコンではないようだが、世間知らずで自分の可処分所得以上の経済的活動を行おうなどとするのは無邪気なものであって、先行きが危ういばかりで同調はしにくい。 大地が演じた女性は唯一マトモな人物に見えるが、娘の戸田が偏向してしまった原因は母親にあるのではないのかという疑問が消えなかった。火事の時の彼女の行動も異常であり、じわじわ焼け死ぬよりはと考えたのかも知れないが、あの場面でまず考えるべきことは如何にして孫娘を助けるかということであり、そのためには最後まで意識をはっきり持つべきではなかったかと思う。 役者はいずれも期待以上の熱演であり、非常に見応えがあった。特に高畑の憎々しさは特筆もので、戸田の現実離れした人物も、リアリティを感じさせたのは熱演の賜物であろう。永野は最も切なさを感じさせる人物で、やはり好演であった。ただ、大地に愛の話をさせてしまうとあの CM が容易に頭に浮かんでしまうのを、製作陣は一考だにしなかったのだろうか?という思いも拭い切れなかった。 音楽は緊張感を高めるべきところで弛緩してしまう場面が散見された。ストーリーにカタルシスがないのに、演出は良く頑張っていたと思う。 (映像5+脚本4+役者4+音楽1+演出4)×4= 76 点。
そんな奴いる?
休日だったからか、けっこうお客さん入ってました。 映画に出てくる人たち、全員が「そんな奴いる?」って気がして、まったく入り込めなかった。 物語の元凶のはずの大地真央に狂気がなくて、あれで娘があそこまで狂うかな? 平成の田舎の田んぼ持ちの女性が、あんなに嫁を嫁扱いするかね? オレは関係ないって感じの夫もありえないでしょ。 普通の人間が一人もいないから、狂ってる人たちが狂った生活をしてるだけの話。 なんか女性に対する偏見すら含まれているような気がする。 不快。 達者な人たちの演技合戦として観れば星1つあげられる。
The Selfish Gene
『リチャード・ドーキンス』は〔利己的な遺伝子〕の中で 遺伝子の振る舞いについて書く。 生物は遺伝子の乗り物(ビークル)であり、 自己の、或いは自身の属するグループの遺伝子の複製を残すための最適な選択をする(かなり意約)。 それは愛情とか、本能と表現されるものか。 母親が我が身を犠牲にして子を救う、 または同族の年長者が身を挺して年少者を助ける等が挙げられるわけだが、 近年はこれに反する事例もまま見受けられ。 子供をネグレクトする、または虐待死させてしまうなど、 これは果たしてイマイマの社会が生んだ病理なのだろうか。 本作は三代に渡る母娘の物語り。 『ルミ子の実母(大地真央)』~『ルミ子(戸田恵梨香)』~『ルミ子の娘/清佳(永野芽郁)』の 世代の流れの中で、とりわけ『ルミ子』と『清佳』の愛憎が 時には母の視点で、または娘の視点と入れ替わり描かれる。 とは言え話者が変われば、見え方や感じ方も変わるのは当然。 一概に、どちらが正でどちらが誤とは断じられず やや曖昧模糊とした語り口。 唯一明確なのは、「すわ鎌倉」の際には 『ルミ子』は自身の娘よりも 母親を助けることを選択する、 母子密着も極まったスタンスであること。 雛鳥のように母親に庇護されての暮らしの温かさが忘れられず、 長じてもその余韻を求め続けているようにも傍目には見え。 妊娠が判った際のモノローグからも明らかなように、 自己の遺伝子の複製を生み出すことに嫌悪感さえ覚えている 先の理論とは真逆な言動に唖然としてしまう。 また、年上の女性への恭順が、実母だけでなく、 形を変えて『義母(高畑淳子)』にも向けられた時には 猶更の違和感。 一方、そうした環境で育った『清佳』も 周囲の、特に年長者の言動を気にしてしまうのは致し方のないところ。 氏より育ちとの格言にある如く、 周囲の環境が人格形成に大きく寄与するのは当然のことであるけれど。 終盤に明かされる「衝撃的な真相」も それ以前に複数回仄めかされはしていたので さして驚きはせず。 女性達の相克についての表現は十分も、 そもそも義母との同居の件や 『清佳』の選択の唐突さについては首を捻る流れ。
出てくるキャラ皆、こういう人いるいるな話
出演者の演技は全員素晴らしかったです。 母性ってなんだろう…とつくづく考えさせられました。 母と娘って…下手すると独特の世界ですもんね。家族なのに父親も入れない感じや、母息子ではこうはならないんじゃないかな。 娘側の人生観、恋愛観にかなり影響してくる関係性だと思います。 でも一つ言えるのは毒親になるも賢母になるも娘が社会に出てであった事象や人間次第です。ようするに親を超えるような生涯かけて大切にしたい友人、仕事、伴侶。この3つのうちどれかを見つけられたら、その子の親は賢母になります。その上で子供が選んだものを応援する親は賢母。反対して突き放したり、子供が思い通りの人生を辿らなかったと子供を責める親は毒親になる可能性大です。 親を超える者に出会わせる機会を親は積極的に与え応援してあげて、その先で親を超える出会いがありさえすれば、子は産んでくれた親に自然と感謝します。だから、子には旅をさせたほうがいいです。 今の世の中の社会問題、全部この母性に関わる気もしてちょっと怖いですね。可愛い子には旅をさせよを合言葉に、あまり親子でべったりしすぎるのは考え直したほうがいいです。 ※全部、個人的な感想です。不快に思った方はすみません。 真面目な社会問題をここまでエンタメに仕上げられたのはすごいので星4。
よく理解できませんでした
大地真央さんは未だに美しさを保っているなとか、学生運動についてまともに理解できていないのではないかとか、いろいろ感じるところはありましたが、作品を通して何が言いたいのかよく分かりませんでした。
不思議な感覚になった
女子高生が自宅の庭で首を吊る事件が起きた。通報したのは女子高生の母で、事故なのか自殺なのか不明だった。そこにいたるまでを母の視点、娘の視点と移り変わり同じ出来事でも捉え方が違うところを見せてくれる。 母は祖母(母の実母)が大好きで、祖母の気にいることをしろと娘に言って育ててきたという背景が有り、娘を愛しているようには見えない。さて、顛末は、てな話。 母性という題が適切なのか最後までわからなかった。 登場人物みんな本音で語ってないような、何を考えてるのか、口に出してる言葉を全く信じれないような人たちばかりで、気持ち悪かった。 母役の戸田恵梨香、娘役の永野芽郁は素晴らしかったし、祖母役の大地真央は異様に若く愛に溢れてた唯一の人に見えた。 ちょっとおかしな母の義母役の高畑淳子も存在感あった。 全体に暗くて意味わからず面白くはないし、なんともスッキリしないのに女優陣の素晴らしい演技で、不思議な感覚になった。
もっとどろどろしたのが見たかった
原作未読ながら、作者は湊かなえさん、メインキャストは戸田恵梨香さんと永野芽郁さんのハコヅメコンビ、予告もミステリアスでただならぬ雰囲気を醸していた本作。期待に胸膨らませて公開初日に鑑賞してきました。 ストーリーは、女子高生が自宅の庭で自殺したことをきっかけに、自身の過去を振り返る娘・清佳の内言と、その同じ瞬間や出来事を別の視点で捉えていた母・ルミ子の懺悔の言葉で、歪んだ愛に育まれた二人の関係性を描いていくというもの。とはいうものの、ルミ子と清佳の親子の関係性以上に、ルミ子と実母や義母、あるいは夫や義妹と義母との関係を描き、ラストは清佳自身にもスポットを当て、様々な角度から母性を描き出そうとしています。 作中、清佳が「女には母と娘の二種類がいる」というようなことを言います。あるいはそんな分け方もあるかもしれませんが、人はそんな単純なものではないように思います。母の前では娘、娘の前では母、夫の前では妻…と、人はいくつもの顔を自然に使い分けているのではないかと思います。それは家族の中での役割にとどまらず、社会に出ればまたそこでの役割があり、その新たな役割もまたいつしか自分のものとしていきます。「立場が人を作る」という言葉があるように、それにふさわしい人格や資質などは、体験からフィードバックし、情報から知識として備わり、経験によって育まれていくのではないでしょうか。そういう意味では母性も同様で、必ずしも生まれながらに誰にも備わっているものではなく、それが必要になった時に少しずつ育まれていくのではないかと思います。長い時間がかかりましたが、ルミ子も清佳も歪んだ愛から抜け出し、無償の愛に裏打ちされた母性を感じさせるようになり、ラストの後味は悪くなかったです。 ただ、予告からもっとどろどろした人間ドラマや、その果てに一生ものの十字架を背負うような展開を予想していたのですが、思ったほどの衝撃はなかったです。中でも、ルミ子の親友の存在を強調したり、夫が留守がちなことを印象づけたり、実母の死の真相が曖昧にされていたり、そのシーンもハサミを入れたアングルで撮ったりと、前半の布石がわかりやすくて、後半の衝撃が軽くなってしまったのは残念でした。 主演は、戸田恵梨香さんと永野芽郁さんで、自分の欲する愛を必死で求めるお二人の演技に引き込まれました。脇を固める大地真央さん、中村ゆりさん、山下リオさんら女優陣もなかなかよかったのですが、ひときわ光っていたのは間違いなく高畑淳子さん!最近の朝ドラで見せた涙を誘う母親役とはうってかわり、憎々しい義母役が秀逸でした。あと、忘れてならないのは清佳の幼少期を演じた子役の子。母の気持ちを敏感に察して見せる、作り笑い、感情のない言動、微妙な表情の変化等がすばらしかったです。
母性ではなく母親依存
戸田恵梨香はやっぱ上手いね。 今回の役もゾクゾクするくらい上手かった。 ただ話はかなり気味悪い。 気味が悪いというより、気持ち悪い。 ある意味常人ではないいっちゃってる人の話だから黒板に爪を立てて引っ掻いているような不協和音をずっと聞かされているみたいな感じの映画だった。 女性は共感できるのかなぁ? 自分はただただ気味悪かっただけだけど。
ある意味壊れてる。かなり酷い。
本年度ワースト1確定。こりゃひどい。ここまですっちゃかめっちゃかな映画はなかなかない。どうしてこういう映画ができあがるのか知りたい。むしろそこがミステリー。 脚本がひどい。演出が酷い。芝居も酷い。撮影も酷い。あらゆるパートが酷い。20代から婆さんになるまでを演じる戸田恵梨香、高校生から20代後半?を演じる永野芽郁、特に高校生には見えない永野芽郁と婆さんには見えない戸田恵梨香のシーンは映画的に何のメリットもない。なぜこの配役なのか。モノローグバックのお花畑的世界でのお芝居は狙いなのかもしれないが、チープ過ぎて観るに絶えない。あの箱庭で父親が夜勤の鉄工所に勤めてる設定はギャグかと思う。肝心な祖母の死に至る出来事もチープで、生死をかける瞬間の出来事なのに何の感情も呼び覚まさない。スペクタクルすら演出できてない。そしてここが最も感情を揺さぶる出来事に直結するのだから始末に追えない。イヤミスだかなんだか知らないけど、祖母も母も娘も義理の母も、怪しさをはき違えてる。大地真央と高畑淳子はギャグでしかなかった。全編に渡ってまったく興味の持てる人物像は提示されず、それがイヤミスの世界なのだとしたら全失敗だろう。「告白」を見習ったほうがいい。 大地真央と高畑淳子かほぼコント合戦の域に達してるのが見どころかもしれない。
女には二種類ある。母と娘です。
「何をすれば母は私を必要としてくれるのだろうか。私を愛してくれるのだろうか。」違うと思う。母の愛を得るために、娘は母の顔色を窺いながら機嫌を取らなくていけないのか。嫁と義母という関係ならば、それもあるだろうが、実の母子でその必要があるのか。そうして育った娘は気の毒としか思えない。 「母性とは、学習によってあとから備わっていくものではないでしょうか。」これだって違うと思う。母として子にもつ愛は、学習という努力を要するというのか。もしかしたらそんな人もいるかも知れないが、人間の根本は違うと思う。この世に生まれた瞬間から自然に湧いてくる感情ではないのか。 母性はひとつの形しか存在しない、ということはない。だから、いくつもの形があり、ここにも母の数だけの母性が登場する。そんな彼女たちはなぜだか皆、自分は正しいと信じている。そして皆、他者との衝突や齟齬を生んだとしてもいっこうに構わないようだ。それって世間的にはクソ女、クソババアって言われる人たちだよ?いや、祖母役の大地真央は違うか。だけど、彼女の無償の愛にしても、ある時何かのきっかけがあるまでは他の母たちと同じだったのではないのか?と疑心が生まれてくる。 女性目線の物語のせいもあり、男はほぼ添え物だ。それを大目にみても、男の自分としては、共感を得られない言葉の数々。原作者は「これが書けたら、作家を辞めてもいい」と言った。たぶん、これじゃまだまだ作家を辞めるわけにはいかないんじゃないの?
予告編は作品内容とはあっておらず観客をミスリードさせるもの。正直嫌いです。その他いろいろ気に入らない。
予告編は作品内容とあっていません。観客の予想をわざとミスリードさせるもので嫌いです。 あと、同一原作者(湊かなえ)の「告白」(名作)を超えるとか、この作者が熱望して書き上げた凄い原作とか、煽りに煽ったほど凄い作品には思えませんでした。 登場人物は大地真央(永野芽衣の祖母)以外、ムカつく人ばかりです。 そういう意味で、目茶苦茶ムカついた高畑淳子は演技がお上手ですね。 永野芽衣は高校生から〇婦まで演じていましたが、高校生はチョッとキツイかも。 一言で言えば、意識高い系の女性向けの作品です。 予告編みて「告白」と同種の作品なら見てみたいと思った方(特に男性)は、ハードルさげてごらんになった方が良いかと思います。
様々な母性
男なので共感できませんが、戸田恵梨香に大地真央に高畑淳子。特に戸田恵梨香が嫌~な母親を演じきってます。 永野芽郁も良かった。高畑さんキャラ濃かったなぁw 湊かなえの作品好き。にしても性格に難ありなキャラばかりだったなぁ😅
美しい小物や表情に隠された意味を如何に理解していくか。
原作の本を読み映画を見た。 原作を読んだことで先の展開が分かってしまうという点もあるが、キャストがセリフに出さなくても映る背景で原作を表現している部分に気付くことができて、更に楽しめた、と個人的には思う。 映画の良い点としては、キャストが来ている服や小物がとても美しく、そのような細部を見ているだけでも十分楽しめることだ。 また、原作を読んでいたからこそ理解できた部分もあったと思う。 映画終了後に周囲の方が疑問を持っていた箇所は原作の本を読めば理解できていた点もある。 原作を見ることなく映画を見る場合、結構な読解力や理解力が必要になると思った(自分が映像やキャストの表情等から感じ取る能力が低いのかも知れないが、、)。 誰の人生にも母親は存在し、その母親との関係がその後の生き方や人生に大きな影響を与えるのは間違えない。 この映画を見て、今後の人生をおくる上で、特に配偶者との関係性を考える上で大きなヒントを与えてくれたと思う。 見に行って良かった。
「母性」だけの問題ではない気も。
今年340本目(合計615本目/今月(2022年11月度)27本目)。 映画の予告編などからで展開が読めるのは3割くらいで7割はどうやっても展開がわからないというところに飛びます。ただ、ジャンルだましという筋ではないので大丈夫です。 結局、映画の中では「母親の子(=娘。映画内では女性しかでないため)にこめた思い」ということばかりが意識されますが、何らの利害関係のない人どうしであっても、「あの人、ああしてもらえるとうれしいな…」というときって感じたことありませんか?それも「超広義」にとれば母性だとも言えます(きわめて広範囲にとった話)。 この映画に出てくる登場人物はみんながみんな(映画のタイトル名の関係から、大半女性です)何かを抱え込んでいて…そしてそれを救っていって…というように成り立っています。つまり、タイトルは「母性」ではあるものの、「人を思いやる気持ちそれ自体」というより普遍的なことが当然上位に来ます。 この「人を思いやる気持ち」はあっても、「相手立場ではそんなものはいらないし、実はこっちの色のほうがよかった」とかと言われるかもしれません。コミュニケーションって「修正による連続の繰り返し」です。何らの言い争いも発生しないコミュニケーションのほうがむしろいやな気がします。 採点に関しては、法律的な観点からどうかな…と思った点はあるものの(あのような状況なら、通常は要支援・介護認定がどうとかという話になる)、この映画は「家族の中」だけでものを収めたいようで、それは趣旨上理解できる以上、そこは減点なしにしました。 ---------------------------------------------------- (参考:ストーリーの理解について) ・ 結婚しても離婚しても、その(元)祖母の家に住まなきゃいけないという民法上のルールは存在しません(住みたいなら住んでもいい、程度の扱い)。特にこの映画「言っていることがそれぞれちょっとずつ変」な面があり、この家さっさと出てどこか探したほうがよかった気が…とはいえ、それすると映画が成り立ちませんし。 ・ 「大きな文字で書いてもらうために(お寺に)300万円くらい寄付する」 → これ自体は自由な行為(寄付行為)ですが、民法上の詐害行為取消権を満たす場合、取り消すことも可能です(条件あり)。寄付行為は「財産権を目的とした行為」だからです。 ただ、詐害行為取消権は裁判上行使する必要がある(対して、債権者代位権は必ずしも裁判上行使することを要しない)上、「財産権を目的とした行為」であるとはいえ、「寄付行為」という宗教性の強いものについて詐害行為取消権で争うのは、ちょっと今の民事訴訟が想定する範囲を超えているかな、と思います。 ----------------------------------------------------
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