「ただただ残念な気持ち」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル nomameさんの映画レビュー(感想・評価)
ただただ残念な気持ち
まずはじめに、仮面ライダーオーズという作品を愛し続け、10周年のために集まって最高のヴィジュアルと演技をみせてくださった演者の皆様には感謝の気持ちしかないということをお伝えしておきます。
これだけのオリジナルキャストが集まって良い演技をして下さっただけに……今回のストーリーには残念という気持ちしか出てきません。
端的に言うと、今回の制作陣から火野映司という主人公を殺したいという意図が見えるだけでした。
他の方の感想やレビューにも書いてあると思いますが、キャラクターやストーリーの不自然さ、設定の破綻などが大変目立ちます。
主人公一人とってもツッコミどころはとても多いです。とても火野映司らしいと評する方々は、おそらくTVシリーズ初期の彼の印象が強いのでは。
確かに最初は、昔子供を目の前で助けられなかったというトラウマを持ち、自分の欲望もよくわからずすぐ一人で突っ走って自己犠牲の権化みたいな人間でした。
しかしそこから48話かけて、トラウマを乗り越え、自分自身の大きい欲望と向き合い、人に頼り人と協力することを覚え彼は成長しました。
ですが残念ながら今回のVシネではその成長がなかったことにされ、本編では映司を1人にさせないために必死に頑張った比奈ちゃんや後藤さんも何故か映司に興味をなくしたかのように彼1人を戦わせ、あまつさえ自己犠牲を賛美するようなセリフまで言わされました。
映司が死ぬシーンもガバガバで、何故か突然現れて棒立ちする少女、古代オーズに襲われる少女をかばって映司がボロボロにやられているシーンを見ていたのにその後どうなったかわからないと言う比奈。
かばっていたはずの少女は急に消えるし、その後すぐ古代王立ち去ったのに誰も助けに来ない仲間たち。やられるシーン見てたはずなのに……?
周りで戦いが起こっている様子もなく不思議な力でアンクのメダルを復活させそのまま息絶える映司。
どうして誰も助けに来ないんですかね……?
その後、アンクが憑依したまま身体を回復させればいいのに何故かアンクを追い出す映司。追い出されたところにたまたま置いてあった信吾さんに憑依し直すアンク。そのまま手を取り合い涙ながらに死を見届ける。もうその絵面撮影したかっただけだよねというご都合感。ていうか信吾さん降ってきた瓦礫避けようとして何故かアンクに憑依されたままだったけど大丈夫だったのでしょうか。
そしてタイミングよく映司が死ぬところを助けた少女に見せつける里中さん。
元気な信吾にずっと憑依したままのアンクもおかしいし、比奈ちゃんも話の都合で鈍感にされ、あれだけ本編で描かれていた取り憑かれた兄への心配も皆無。
本編と鏡になったようなオマージュも、怪人のアンクならわかるけど何故人間の映司が?と疑問の残るものだったり……人気だったシーンのこれをやっておけばみんな喜ぶでしょ?というのが透けて見えてしまいました。
今回火野映司を殺す舞台をつくるためには、様々なキャラ改変と設定破綻をさせなければ成立が難しかった。殺すことをテーマに作られただけで、その死は不必要なものであったと感じている人が多くて否定意見が多いものだと思います。
10年のうちに仲間たちは疎遠になっていたという設定だそうなので、(何故かメダルが増えたとかドライバー分裂とかは一旦置いといて)ガバ設定を好意的に解釈するなら、その10年で映司は成長を忘れ仲間たちは人の心を失ってしまったのかもしれませんけど……。
人は簡単には変わらないと主人公の成長は全否定しておきながら、他人に対しては簡単に心変わりして疎遠になり、命の危機にすら目を背けて助けない。人とはそういうものだと言いたいのでしょうか。
確かにそういう思想を持つ人もいるのでしょうけど、じゃあそれをわざわざ仮面ライダーオーズ10周年のファンサービスとしてやる必要はあったのか?と更に疑問を感じます。
演者さんも多くの視聴者も、本来ならもっと10周年を幸せな気持ちで祝いたかったと思うのですけど、これ純粋に大喜びしてる人いるのでしょうか……?
演者さんが泣きながら脚本を受け入れられないと訴えてもねじ伏せられたという話も耳にしました。
どうして設定破綻させてまで本編全否定の作品を出そうと思ったのかただただ疑問です。
仮面ライダーオーズという作品はかの大震災に見舞われた年のライダーとして、特別な作品でもありました。
本来の映司の性格から彼が死亡するエンディングも視野にあったものの、時勢的なものを配慮して希望のあるラストが選択されたと聞いています。
彼はトラウマや試練を乗り越え、他の人と手を繋ぐことで世界中に自分の手が届くことを覚え、成長しました。これからも困っている人がいれば手を伸ばすことには変わりないけど、もう自己犠牲からではなく仲間と助け合って生きていく。欲望とは生きるためのエネルギーであり、みんなもっと欲張って生きていこうという前向きなメッセージがこもった作品でした。
それを、まだ疫病や戦争で不安定なこのご時世に全否定する意味はあったのでしょうか。
大きすぎる欲望を持つのは人として過ぎたこと、業であるから死ぬしかないと、死ぬことでしか救われないのだと、そんな酷いことをどうして言えてしまうのでしょうか。
本編と今回のVシネをカレーに例えていますけど、本編を甘口カレーと評しているのがもはや失礼だと思います。まさか時勢に日和って生存した本編は甘口だから、大人向けの辛口として殺してやろうってことだったのですか?
本編のストーリーで映司たちに与えられた試練はとても過酷なものであったし、そこを乗り越えるまでの苦難は決して甘口ではありませんでした。アンクとの別れも辛く切ないけれど納得のいく終わり方が描かれ、完成された素晴らしい作品でした。
単純に生存が甘口、死ねば辛口なんて思っているのならそれは作品を理解出来ず冒涜していると私は感じてしまいました。
今回のストーリーは一つのテーマとしてはありかもしれませんが、仮面ライダーオーズという作品を全否定して、オーズ10周年のお祝いとして作るべき作品ではなかったと思います。
例えもし納得の行く理由で火野映司の死をテーマにすることが企画で出ていたとしても、本編の時は震災で苦しむ人々の心に寄り添うため、10周年では疫病が流行し疲れた人々に希望を与えるためのストーリーが作られた。オーズとはそういう運命の元に生まれてきたヒーローだったのかもしれない……みたいになった方が良かったのではないかなと私は思いました。