「役者を傷つけてまでやる内容であったか?」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル Wさんの映画レビュー(感想・評価)
役者を傷つけてまでやる内容であったか?
オリジナルキャストが集合し、制作陣も本作縁の面々…にも関わらず「メインキャストが内容を受け入れるのに時間がかかった」という(しかもあえてそこを作り終えた後の本人達が、本心だとしても受け止めづらい側の視聴者へのフォローだとしてもその口から発言している)のが、そもそも完成度の低い筋書だということを示してしまっているのでは?
10周年記念という 多くの人間が祝いの場だと思っていた作品の披露の際、喜びの涙ではない泣き顔や言葉を飲み込むメインキャストを誰が見たかったというのか。
メインキャストの舞台挨拶の涙はどう捉えても喜びの涙ではなかった。少なくとも今までの主演は言葉に詰まるタイプではない。
今作を「完結編」と銘打った上で主人公の死を描いた結果、他キャラクターのスピンオフは出来ても主人公の居る続編はもう二度と作られないという可能性も生んでしまった。これが「いつかの明日」だとすれば「明後日」は来ない。少なくともそこに主人公はいない。せっかく揃ったキャストを笑顔にできず、楽しみにしていたファンの大多数にも渋顔をさせておいて10周年おめでとうとは。もはや10周忌の方がしっくりくる。
私がここに賛否の否のレビューを投稿する理由は何よりも観た周りの人間と「観てよかった」を言い合えない悲しみだ。
キャスティング、スタッフの調整、尺や出さざるを得ないキャラクター、アイテムなどは一度決まれば易々と変更できるものでもない。ただそれをどうまとめるかが構成する脚本家の役割であり、演出する監督の手腕だ。
正直、よく詰めたとは思う。ファンから、制作会社から、スポンサーから要求されたものを出来うる限り全て並べたのだろう。肯定派であるが「この要素は必要だったか」という人、否定派の中にも「この場面はよかった」などと意見分かれが起こるのは多くの要素が盛り込まれたゆえのことと思う。
否定派の一人である私にとっては、その要素の並べ方やマイナスのしかたがまずかった。メインとして出したかったのであろう悲しみの感情を立たせるためか合間にあるはずの些細な演出はかなり削がれ、設定を説明するセリフや根拠となるシーンもことごとく省略。(もしくは初めから入れる予定がなかったのか)本編でのキャラクターを否定、または設定を変えてしまう絵面が残った。そしてその削られた部分はほぼ視聴者の想像力と推察力に頼る形となった。
そうするとどうなるか。制作が劇中で明かしていない苦労など知る由もない、ハッピーエンドを求めていた視聴者からの「何故」が大量に生まれるのだ。多くの否定派の第一声は「どうして」だったように思う。
作品の主人公が死ぬのは珍しいことではない。本作の主人公もどちらかといえば作品の完結として死を迎えてもおかしくないキャラクターである。
しかしながら一度は笑顔でファンに別れを告げ、その後も10年間愛され続けた主人公を1時間で殺すというのなら、その劇中で理由や根拠を示す必要があった。死を目前にした命と引き換えに蘇らせられた彼の涙だけでは、圧倒的に説明が足りていない。なぜなら本編で彼は自身の死を是としていたのだ。それを覆すだけの説得力があったか?短尺ではそれをする余裕がないと言うのならば、そもそも選ぶべき結末ではなかった。もしくは整え方が間違っている。
否定派ではあるが、なかったことにして欲しいとは思わない。涙を飲んで作り上げたメインキャストを讃えたい気持ちもあるし、完成し世に出たものを人々の記憶から消すことは不可能だからだ。むしろ昨今の情勢の中で制作に努めてくれたすべての人に感謝しつつ、また今作を観返すこともあると思っている。
視聴者の声は、明日に活かしていただきたい。