LAMB ラムのレビュー・感想・評価
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考察見る前と見た後
あまりにも狂気に満ちた映画でした。
チンプンカンプンでしたが考察を見る前に思ったことを残したい。
まず弟の存在は一体…。
こいつもいなくてもなりたった気も。。。
羊娘は終始無表情なため何を感じたのかが分からないはずなのに、愛おしい仕草もするのでなぜか感情が伝わるのが面白かった。
半身人間の羊は翼がついていれば西洋で悪魔の表現に用いられるから、その引用?なのかも。しかしその辺りの背景が分からずミスリードしているかも。
ラストの表情は何を表しているのかは全く分からず。そもそも妻があまりに無表情だったが、文化の違いなのか演出なのか分からず。
久しぶりに最初から最後まで分からない映画を見た。羊は可愛かった。
(考察閲覧後・・・)
半身が羊の神はサテュロス、パーン、ファウヌスといるようだが西洋画を見ると角や足が羊化していて顔は人間のままのため、ギリシャ神話に明るい現地の人がどのように感じるのかは結局分かりかねた。
生まれてきたときにあまりに自然に受け入れた一方で、弟の「あれは何だ?」というセリフや、「神からの授かりもの」的な表現があったので異常なものであることは認識しつつ、日本人にはなじみがないが、ギリシャ神話に明るい人は神の化身に近い感覚で見ていたのかもしれない。
最初は悪魔かなと思ったら、悪魔(バフォメット)はヤギでした。とんだ勘違いをしていた。
サテュロスは性の象徴でもあるようなのでその辺りも分かると弟が登場する必要性がわかるし、ラストの表情は懐妊を感じた演技と思えばさらに説得力が増す。
「子羊がもし普通の人間の子供だったら」と想像すると、自分の色々な思考の矛盾に気づかされた。
なぜ人間を食べてはいけないか、みたいな一般的なお題もあるが、動物が持つ愛情と人間が持つ愛情の違いは何か、という問いにも本質的な要素がありそうで、この映画はそのテーマを言葉数少なめに、動物ではなく神(サテュロス)として表現して伝えたのかなと感じた。
映像はとても綺麗だった。半身羊の子供が普通に生活している様に狂気を感じたものの、上記テーマを問うために必要な要素だったのかもしれない。
期待しすぎたかな?笑
予告を観て期待しすぎていました。
上映している映画館が少ないので少し遠征して観たがその価値はないと思ってしまった。
内容がよくわからないし、第3章まで分けた意味もわからなかった。
セリフがすごく少ないし謎の濡れ場
R15なのは濡れ場せいか??って思うくらいの内容。
ツッコミがどころ多数あり期待して見ない方がいい。
羊
人より動物の方が登場していた印象
アダがひたすら可愛い
おじも、最初あんだけ悪く言っていたのに、いつの間にか仲良くなってる
ラストそうきたか、、、
因果応報
旦那の弟とマリアの関係とか
子供を亡くしている夫婦だけど
羊頭の赤ちゃんアダをすんなり受け入れる事
なんか共感出来ない笑
アダを受け入れるなら、お母さん羊から引き離さなくても良いじゃないかと思ってしまう
子供を愛でる気持ちは分かる夫婦じゃないの
自分良ければ良いのか
もうアダは
自分の亡くした子供の生まれ変わりと信じていたのだろうけど
なんかなぁー
"なんとも気味の悪い…"な映画
羊の頭をした子供の手を引く衝撃的な予告編を見た時から、もう気になって仕方がなかったんです、この作品!
で、本編は…
さらに衝撃的な…
最後は、開いた口がポカンでした(笑)
正直、ネタバレを調べてみない事には、この作品の意味は、???…。
羊は"悪魔の使い"?
自分の不幸な境遇を憂いて、他人の幸せを奪うな…そういうこと?
でも、娘を失った羊農家の敷地に最初土足で入って来たのは、あの"悪魔"のはずでは?
急に帰って来た"弟"には何か意味ある?
宗教的なお話?それとも、政治的なお話?
インパクトのある作品やホラー好きな方、後味の悪い、というかよく分からないお話が好きな方にオススメ!笑
*この作品、舞台となる自然が素晴らしい…IMAXとかどでかい劇場で観ると、もっとテンション上がるかも…と思うのは私だけ?笑
愛の亡骸が腐臭を放ち始める時…
亡き娘への思いを断ち切れずにいる夫婦。 高山で牧羊を営む二人の日常は、それでも平穏に見える。 しかし、受け手を無くした愛は、もはや魂を失った肉体と同然。 腐敗し、変質していく。 執着してはならなかったのだ…。
腐り始めた愛は、喪失感に形を変えて二人の心の中に留められていた。 そんなある日、その腐臭に引き寄せられるように、悪魔が近づいてくる。 あまりにも深過ぎた娘への愛の亡骸は、悪魔の誘惑に簡単に惑わされ、歪んだ欲望へと変質してしまうのである。
作品の核には、宗教的なメッセージが据えられているように見える。 最後に出てくる、おそらく羊ではなく山羊の化身は、サタンの具現化だろう。 ラストカットは演劇的で、人間の業の深さを感じ入らせてくれる終わり方だ。 画面は、終始灰色がかったトーンで覆われており、行き場を無くして彷徨う夫婦の心象を、過不足なく写し出していた。
決め手になっているのは、見事な特殊映像である。 子羊のアダちゃんを、ここまでリアルに愛らしく表現できたからこそ、この作品が成立したと言っても過言ではないと思う。 一方、この物語の中心人物となるのは、母親マリア役のノオミ・ラパス。 彼女の繊細で起伏に富んだ感情表現も素晴らしかった。
バルディミール・ヨハンソン監督の長編一作目ということだが、全体的に統一感があって、かなりの出来ではないだろうか。 もはや異常をきたしてしまっている夫婦の精神状態を、夫の弟を介在させることで浮き上がらせるあたり、脚本もうまく練り上げられている。
純粋なホラーとは言えないが、人間の奥深い部分を見せられるという点において、非常に怖い映画である。
愛と欲望は、表裏一体。
親の愛といえども、またしかり。
よーわからん
羊が産んだのは半人半羊
その子を自分たちの亡くなった娘の代わりに育てる羊飼い夫婦
自分の子供を取られた母羊が毎晩鳴いて五月蝿いので、羊飼いの嫁が銃で殺してそこらに埋める
なんやかんやで仲良く三人で暮らしてた
(旦那の弟が来るけど途中退場するから割愛)
旦那と半人半羊の子供が外出してたら、多分その子の親(羊のオッサン)が旦那を銃で撃ち殺して、子供と一緒に帰っていく
あらすじをざっくり書いてみても、何が伝えたいんだか、よくわからない
因果応報?
それだけ?それだけの映画なの?
記憶に残るっちゃ残るけど、映画館で見る映画じゃない
とても面白い
頭と右手が羊で、他が人間の子どもを我が子のように育てる、里親映画だ。その子が特に手が掛からないいい子に見えるけど、感情も描かれず、空疎な感じもする。おじさんのドラムに見入っていて、音楽が好きなようだ。
それほどドラマチックな事件や展開がないまま地味に進むのに、退屈しない。岡田索雲さんの妖怪の漫画のようなテイストだ。特に最後の羊おじさんが岡田索雲さんの漫画に出そう。
羊の赤ちゃんが可愛い。
観た率直な感想
え?これで終わり?????、羊の赤ちゃん可愛い
でした。
全体的に俳優さん達の台詞が少ないので静かに進んでいく。たまにエンジン音とかでドーンとうるさくなりますが、寝れる人は寝れると思います。
物語最後になるまで、恐怖に感じるところはほぼないです。雰囲気ホラーみたいな感じでホラー映画苦手でも大丈夫だと思います。ビックリさせるシーンもないです。
私的にはもっと、羊人間と暮らしていく内に不可解な事が起こっていくのだと思ってました。(羊人間が不思議な力を持っているとか、他の羊達と話しができて自分という存在がなんなのか悩むシーンとか)
最初のシーンで吹雪の中、小屋の中にいる1匹の羊が"なにか"によって襲われる。
↓
春?になり、その羊が奇怪な子供(羊人間)を産む。
↓
しばらくは羊人間子供と幸せに過ごす。
(全1時間55分ですがここまでで1時間半くらい)
↓
物語最後に、羊人間と一緒にいた育ての親の父が、大人バージョンのムキムキ羊人間にライフルで撃ち抜かれて亡くなってしまう。→妻が銃声で駆けつけるも、すでに羊人間大人は羊人間子供を連れ去っていて、亡くなった夫を見て、謎の時間だけが流れる。
妻の心情を表現したかったのかもしれないが、物語はそこで突然終わる。
しっかり計ってませんが感覚で、ここだけで30分もしないくらいでした。
結果、??????とあの羊人間大人は何??で謎で終わりました。
羊は悪魔にもいるから、悪魔のなんかだとは思いますが、にしてもライフルで物理的にやるんだ…と。
もう少しオカルト的にやってほしかったです。
しかも今までほぼ伏線もなく突然出てくるので尚更です。(一番最初のシーンのみですが、伏線といえばそうかも)
恐怖を味わいたい人には向いてないかもしれません。
怖くなく羊が可愛い映画です。
怖くて美しいR15指定の童話。
怖いと言うよりは不穏、雄大で美しい大自然は孤立した場所としての不安と神秘を感じさせる。ホラーというよりリアルで美しいR15の童話だと思った。
賛否分かれるらしい半人半獣の出てくるラストもわたしはすごく好き。いろんな子ども向けの有名な童話も、リアルに描けばこんな感じで不気味なものなんじゃないかな。本国イタリア製作の「ほんとうのピノッキオ」も美しくも不気味だった。このラムは血も流れるからもっとほんとに怖いけど。
静かで台詞も説明も少なく、変にショッキングにも作らず、何か起こりそうでも最後までは起こらないで淡々と見せる。そして「娘」の見せ方がうまい。わたし、片手以外はすべて「羊」の身体だと思ってたので、あの抱っこされたときのぬるん、とした背中やお尻があまりに異形で忘れられない。「羊」だからしゃべれない、でも可愛らしい声は出す。人間が言ってることはわかる。
ふだんはきっと「わたしはパパやママに愛されてるニンゲン」と思って暮らしてきたんだろうけど、成長してきて、家にいる動物たちの顔を見たり、鏡で自分の顔を見たり、羊の群れの写真等を見て何かを感じ、気づき始める…そこへあの「お迎え」。突拍子もない物語なんだけど、その辺は丁寧に描いていて好感が持てるし、お陰で地に足ついたお話になっている。徐々に可愛くなって可愛がり始める叔父とか、トラクターの中でいろんな思いが溢れて泣いてしまう夫とか。
勝手な想像だけど、マリアはアダちゃんを探しに行きそうな気がする。
パンフ買えばよかったなー
アダちゃんの可愛さよ
終始不穏さとシュールな空気感が漂い、なにが起こっても飲み込むというか受け入れる雄大な自然のスケールを感じずにはいられない。シュールとスローライフは相性がいいのだろうか。
人間社会の中でなら大騒ぎの出来事なんですが、人里離れた山奥なら家族の問題でさわぐほどでもなくなってしまうし。罪も誕生も死も記録されることなく平等に訪れるし、それは人間と動物にも関係ないと言わんばかりの終わり方。
あの自然の景色と環境音の嵐は映画館のスクリーンがおすすめです。私の場合、家で見るにはゆったりすぎる感もあるので劇場で現代の民謡のような空気感に集中できたのが良かったなと。
それとアダちゃん可愛いすぎて、最高だったのですが異質が交わると何であんなに罪を感じざるえないのか不思議ですね。普通にしているほど不穏が際立ちそれをおさめる代償はいつ支払われるのかゾクゾク。
映画を通して人社会が介入しない場所に入る事で自然の力とそれと人を繋げる役割の必要性が古来あったのだと感じられました。
動物の演技が良すぎてどうやって撮ったの?って凄く気になったんですがパンフレット売りきれてました。
羊好きなら見るべき
「羊がセーターを着てる」それだけで観たいと思った。そして当たりだった。
とにかく羊が可愛くて、ジッとこっちを集団で見てるうまく使ってるなーと思った。
羊がラムウールのセーター着てコート羽織ってもうホントにかわいい❤
セリフが少なくて映像をガン見して満喫できる。
最後の方は集団羊の出番がないのが物足りなかった。
お父さん羊人間が出てきた時には笑いそうになったけど、子羊をあそこまで可愛がって育てたから殺さなくてもよかったのにな。
最後マリアは何か決意してたような顔してたけどどうするんだろう?
なぜ冒頭のラジオにだけ字幕訳が付いているのか?
冒頭のシーン。
羊舎の扉が開き、羊が画面のほうをじっと見つめている。
“なにか”が入って来たのだ。
ラジオが鳴っている。
アナウンサーは、この日がクリスマスイブだと告げる。
鳴っているラジオに字幕の訳が付くのはここだけである。
なぜか?
クリスマスはキリストの誕生日である。
そして、キリスト教における羊は犠牲の象徴だ。
キリストは人類の罪を背負う者とされ、その象徴が羊なのである。
たびたび映るアイスランドの大自然。
そのカメラは単に自然を映していたのではない。
その中に棲む人智を超えた存在を映していたのだ。
自然の中に棲む“なにか”は雌羊を孕ませ、自分の子を産ませた。
ところが、雌羊が産んだ“なにかの子”は人間が奪ってしまう。
その雌羊を飼っている人間の夫婦のイングヴァルとマリアは子どもを早くに亡くしていた。その埋め合わせをするかのように、夫婦は、その“なにかの子”を自分たちの子どもとして育て始めてしまったのだ。
亡くした子どもと同じ「アダ」という名前を付けて。
アダを産んだ雌羊は、我が子を返せと夫婦の家の近くに来て、訴えるように鳴く。
思い余ったマリアは、その雌羊を殺してしまう。
やがて、夫婦の家に夫の弟ペートゥルが現れる。
彼はマリアに言い寄る。
すなわち、この映画には聖書にある十戒のうちの3つの罪が描かれている。
汝、盗むなかれ。
汝、殺すなかれ。
汝、姦淫するなかれ。
上に書いた疑問に戻ろう。
なぜ、冒頭のラジオにだけ字幕訳がつくのか?
それは、その内容が本作に関係するからだ。
つまり、この映画はキリスト教の知識を念頭に置いて読み解く必要がある、ということである(妻の名前がマリアであることにも注意)。
夫婦の家は、大自然の中に抱かれるように建っている。
そして、彼らが飼っている羊もまた、自然の一部だ。
イングヴァルは、アダのことを不審に思ったペートゥルに対して「あれは幸せだ」と説明した。
だが、それは人間の側の勝手な都合に過ぎない。
その勝手で犯した罪を、自然は見逃さなかった。
そう、本作のテーマは「罪と罰」なのだと思う。
ラストを「羊の復讐」と捉える向きもあるだろうが、僕は違うと思う。
あの「なにか」は、人間や羊も超越した存在で、むしろ自然に近い、神のようなものだろう。
だから、神の存在を「見せる」ために、たびたびカメラは自然の風景を映し、嵐の中の儚い存在として彼らの家を描いた。
だから、あのラストは犯した罪に対して、罰が下ったのだと解釈したい。
いや、現実に雌羊を殺したのはマリアではないか、という指摘があるだろう。
いや、だからこそ、「犠牲」というモチーフが生きるのではないか。
羊から生まれた子を可愛がり、暮らしたイングヴァルとマリア。
だが、その過程では盗み、殺すというおぞましい罪を犯していた。
繰り返しスクリーンに映される美しい自然。
だが、それはいつでも人間を超えた存在であり、人の暮らしの都合など気にも留めない。
人間は、自然を開発し、破壊し、奪い、文明を発達させてきた。
それらすべては、どこまで行っても人の身勝手に過ぎない。
イングヴァルとマリアのしたことは、冷静に捉えれば身勝手としか言いようがない。
身勝手が度を越したとき、罰が下ったのだ。
さて、本作。
上記のメッセージを伝えるにあたり、この不気味さと可愛らしさのミックス具合が絶妙だ。
アダ、そして、アダと日常生活を送る異様なビジュアルはインパクト十分。
しかも、それはペートゥルが現れて初めて描かれる。その異常さを見せるために、ペートゥルの視点が上手く使われているのは巧みだ。
夫婦を演じた俳優の演技には、狂気を帯びながら淡々と日常生活を送る不気味さを感じさせた。特に妻マリアを演じたノオミ・ラパスが素晴らしい。
ホラーやスリラーというよりも、どちらかというと「怖い民話」のような味わい。
本来はアダも、羊たちも、そして何よりこの夫婦も相当不気味なはず。
それだけに、アダの異様なビジュアルや、群れでいる羊の気持ち悪さも活かしきれていないのが残念。
どうでもいい事だけど気になった点
ホラーとして期待して観たが
怖さはまったくなく
ほのぼの不気味なダークファンタジー。
ただ、アダにはラム肉を食べさせていたのかがとても気になった。
幼児に成長して家族で食卓を囲むシーンでは
当然、肉を食べていたはず。
主人公の夫の弟が好奇と侮蔑の意味を込めて
アダに草を食べさせようとした時に、夫は激怒していたことからも、人間として普通に育て食べさせていたという事は、、、。
その1点が後からジワリと不気味だった。
奪ってはならない。って話だったんだと思う。
マリアの、
過去に失った子どもを求める気持ちは、
分かる気はする。
それでも、
奪っては駄目だったんだと思う。
「幸福な未来は訪れないだろう」という気配が、最初から結末まで作品全体を包んでいて、
それでもこのまどろみの中にいたい気持ちも、
分からないとは言えなくて、
自分達の子では無いアダを、奪って、
自分達のものにするために、アダの母親を殺して、
その上での生活を幸福だってことにして、
アダも
旦那も
失ったマリア。
マリアのアダの母親に向けた殺意が、作品内で、浮き上がって見える様が、すごくよかった。
我利私欲。という感じで。
ぼんやりと、事実の言及を避けて、夢の中みたいな感じにしてて、でも、それはどこから始まってるか、って言ったら、私欲なんだっていうのが、
あのシーンで、避けがたく浮き彫りになってしまってて。
禁忌。
って、多分、アレのことだな。
って弟とのやりとりを見て、思った。
多分弟は、そのモチーフだったんだろな。って。
北欧ダークファンタジーの中では中の中レベル。
何かと話題の北欧ダークファンタジー。つい最近も「ハッチング」という作品を鑑賞。
北欧ダークファンタジーのマスターピースとして作家性、エンタメ性でバランスが取れていた秀作「ボーダー」を基準に本作を評価すると、かなり評価は厳しくならざるを得ない。
「ボーダー」は社会的マイノリティーの孤立と危険性という相反する性質の描き方が絶妙でダークファンタジー作品として得られる教訓が多かった。続く「ハッチング」も人間のエゴを重視して描いた点は評価に値する作品。
では本作はどうかというと、正直前二作ほどの深みは感じられなかった。作り手が羊飼いの夫婦の間に半羊半人の子供を授かったらどうなるか、という単純な発想で生まれた作品としか思えない。つまり出オチ作品である。
ラストに出て来た異形の存在はキリスト教で言うところの悪魔の化身バフォメットのようにも見える。しかし、本作をどう見てもキリスト教的示唆に富んだ作品とも思えない。あ、バフォメットは山羊だったか。
演出や役者の演技は一級品だが、いかんせん作品に深みは感じられなかった。
不思議な世界観
とある羊飼いの夫婦が、顔が羊で体が人間の
子供の出産に立ち会う。
一瞬戸惑った表情をするもすぐに受け入れ、自分たちの子供の様に育てる。
理由は娘を失った過去があるからと判明。
本当の母羊が鳴いて子供の元へくるも、妻が射殺。
夫の弟が一緒に暮らしに戻り、違和感を指摘するも、聞く耳持たず。
弟は子供を射殺しようとするも、愛情が湧きできない。
最後は屈強な羊人間が現れて犬を殺し、夫も射殺して子供を連れ去っていく。
ラストシーンは妻のひとりの映像で終わる。
前半はなかなか掴みきれない印象だった。
そんな簡単に受け入れる?(子供のこととか)とか
そういう感情がよく湧いてしまった。
終始セリフが少なかったことが印象的。不思議な世界観を醸し出していた。
3人の大人が子供に愛情注ぎ出した中盤は、
不思議な家族の違和感に包まれながらも幸せな感じが不思議で面白く感じられた。
最後の羊人間はCG丸出しでちょっと冷めた。
姿出さなくてよかったのになーとも思った。
えっ えっ えっ。
なんで!!
動物たちがすごく良い演技をしている
(若干痛いシーンがあるので、苦手な人は注意)
しかし……
ラストは母親が殺されたんだから当然の報いか?
結局、何だったんだ!?
みなさん、オシエテー!!
奇妙な世界をうまく表現されてるが。。。
何かの存在をチラつかせつつ、
現実と奇妙な世界を行ったり来たり、
演技も良く、濡れ場もあり、人間ドラマのように進むが、
唐突に崩され、結末に向かっていくのは、
良くも悪くも斬新で、酷い仕打ち。
私は神的な何かと推測してたけど、
あーだったので、何となく残念だった。
ベルセルクで、斬られちゃう人にも似てるしね。
ただ、深く世界に引き込むやり方は、物凄く評価できる。
きっと、みんな、ひきこまれて、色々想像を膨らましたところ、
あれに一撃でやられるんだろな。めぇ~。
ラムとは親子ではなく捕食関係でいたい。
この映画は、おそらく振り返った時にどんなストーリーか、
記憶から抹消される可能性が大なので、登場人物と
あらすじをまとめておくことに。
▼登場人物
・頭と右腕?が羊で、左腕?とそれ以外が人間の子羊人間
・子羊人間を産んだ母羊
・育ての親である羊飼いの夫婦と夫の弟(いずれも人間)
・パパ羊人間
▼あらすじ
母羊から小羊人間が産まれて、その子羊人間を人間(夫婦)が育て、
生んだ母羊を人間(妻)が銃殺し、その後パパ羊人間が人間(夫)を
銃殺し、パパ羊人間が子羊人間を連れていく。そして、残されたのは
人間(妻)のみ。 *弟は途中離脱
▼ラストの人間(妻)の恍惚感について
(おそらく不妊だった)愛する夫を殺した「何某」と
近いうちに会えるだろうと想像し、性的興奮を
覚えているのではないだろうか。近い将来
彼女は子羊人間を出産することになるような気がする。
▼山羊なら理解できる
繁栄と繁殖の象徴として、更にギリシア神話のパーンの山羊なら理解できたけど、羊の必然性が??
何も「羊」じゃなくても・・・。
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