「ゲーム原作って難しいのかね」バイオハザード ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
ゲーム原作って難しいのかね
プレステのバイオハザード1, 2はやったが、昔過ぎてストーリーは全く覚えてない…。
しかしとにかくゲームは雰囲気が怖く、たくさんびびらされたので、それが再現されてるといいなーと思って観た。
酷評が多いが、思ったほど悪くはない。
シーン単体、映像単体で観るとよくできてると思う。
序盤の孤児院のパートはホラー映画として丁寧な導入になっていると思う。
しかし脚本が悪い。ゲームの1と2を合わせたストーリーなのだろうが、やたら散漫。
いたるところに説明不足があって、シーンとシーンがつながらない。キャラたちの目的が明確に示されていないか、あっても弱い。
いろいろな疑問点を保留したり、気にしないように意識しながらでないと観れないので、集中できなくて疲れる。
ゾンビとのファーストコンタクトはもっと丁寧に描いてほしかった。
ふつう、怪我だらけの人が襲ってきたとしたら、それを攻撃していいのかどうかは葛藤があるはず。
それがどういう存在なのか、まず知ろうとするはず。そういうあたりまえの心の動きがない。
また、攻撃してもまた復活するのを認識したら、普通はどうしたら致命傷を与えられるのか考えるはず。
そういう、「この世界のルール」を、推測したり試したりしながら徐々に理解していくところが、シリーズもの第一作目の醍醐味で、絶対に面白くできるところなのに、なんてもったいないんだ~!と思った。
ゲームのバイオハザードもそうだけど、定番のホラー映画の構造って、「隔離(隔絶)された場所」を舞台にして、脱出(もしくは生き残り)が目的となり、限定されたメンバーが一人ひとり殺されていく、というもの。この映画は、場面がたくさんあって、いろいろ移動するので、「隔絶されている」感が弱くなっている(ただし、いちおうラクーンシティそのものからの脱出が目的なので、ホラーの構造は維持されている)。
また、キャラが多すぎて、1人1人の掘り下げがないから、誰にも感情移入しにくい。ウィリアムは、妻と娘には良いパパなのに、残酷な人体実験をしているマッドサイエンティスト、という設定が非常にドラマになりそうなのに、全くストーリーに活かされなかった。娘は父親が化け物になって襲ってきたというのに、完全にモブの反応しかしない。
リサ・トレヴァーも、まるで彼女の存在がストーリーの核心をにぎるものであるかのような演出で登場するわりには、単なる助っ人キャラとして出てくるだけ。
こうしてみると、ゲームの1のストーリーをふくらませる形で、ホラーの雰囲気を丁寧に演出した映画にした方が良かったんじゃないかって思う。バイオハザードというゲームは、戦闘時は動的な恐怖が大きいけど、非戦闘時はジャパニーズホラー的な静的な恐怖がある点が秀逸だと思うので。
ほかのレビューを観ていると、どうもゲームのファンからすると、「~~が再現されている」というような点がこの映画の見どころのようだ。そういうのは全然気づかなかったな…。タイプライターも映画のどこに登場したのかさえ気づかなかった。
人気のゲームやアニメを原作とした映画って、難しいものだ。「映画としても面白く、原作も再現されている」ことが理想だし、ファンはそういうものを望む。しかし、予算の都合とか、監督の力量不足でそれが難しければ、「映画単体としての完成度を高めるために、原作の要素は限定的にする」か、「原作を再現することを優先して、映画としては体裁を保てる範囲の完成度で妥協する」のどちらかの選択をしなければならない。
前者は、結果的に面白い映画にならなかったら、「原作を再現していない上に面白くない」という悲惨な結果になるという、非常に大きなリスクがある。それに比べると後者は、映画としての面白さがいまいちだったとしても、「原作が再現されている」ということで、少なくとも原作ファンは満足できるので、比較的リスクが小さい。この映画はどちらかといえば後者よりなのかな。
個人的には、映画は純粋に単体としての面白さを(リスクが大きいとしても)追及するべきだと思っているので、「~~が再現されている」という視点では評価したくない。良い原作であればあるほど、原作を表面的になぞるだけではなく、原作の本質的な面白さとは何か、ということを深くつきつめることが大事になってくるのだろう。