「諸行無常に漂流団地」雨を告げる漂流団地 ひよこさんの映画レビュー(感想・評価)
諸行無常に漂流団地
同スタジオ制作の「ペンギン・ハイウェイ」が好きだった私は、本作品にも興味が湧いて鑑賞した。ティザー等では子供達の絵柄もかわいいように観えたが、映画内容の対象年齢は明らかに高い。20代以上が対象だと思う。「子供がメインの夏の冒険ファンタジー」というテーマから信じられない奥深い考察が得られるのだが、この点が広報にて伝わっていないのが大変残念で、広報戦略として失敗だと思う。よって★4.5を付ける。
誰しも「忘れられない記憶」があると思うが、本作品ではその記憶を喚起する形見として「建物」が大きく採用されている。この点は長編アニメとしては初めての内容ではないかと思う。例えば「柱に身長を刻む」のは典型的で分かりやすいモチーフとなっている。
大切な人と関わる時、当然ではあるが、人は離別するのだから、その形見を残して手元に置きたいと思う。ここでその候補として「物」が挙がる。その1つが「団地」だ。「記憶が残るその瞬間(劇中では例えば夏芽と安じいが関わる時、など)」に「団地」は明らかに背景だが、鉄筋コンクリート造の無骨さら屈強さは、短期間には不変の物に見え、形見としても適当に思える。
しかし人が考える程、建物は強くない。のっぽくんの足から鉄筋が現れたり、髪が草に覆われたりするように、建物も我々と同じ時間尺度を生きている。現実、鉄筋コンクリート造(RC)建築の耐用年数が47年であるように、日本人の平均寿命よりも短命だ。更に、リフォームや再開発等を踏まえると、この年数を全うする(寿命を迎える)建物の方が少ないのではないか。建物としての熟成は「利用する人の世代との乖離」や「性能の遅れ」を呈する原因となる。すると、のっぽくんや観覧車の少女が若いことも説明が出来る。彼らは老いる(建物として機能不全を呈する)ことが出来ない存在なのだ。
脱線したが、こうした建物にアイデンティティを残す人に、この映画は現実を突き付ける。大切な人との思い出を失う事を恐れるのならば、建物は形見として必ず適当とは言えない(そもそも、団地は個人所有ではないのだから尚更だ)。そこで「カメラ」が出てくる、というストーリーに私は観えた。
私は懐古厨なので、この映画の終盤以降で涙が止まらなかった。大切な人との思い出を失いたくないならば、その形見は適切に選ばなければならない。しかし夏芽のように形見(の団地)を失うことも、今後に向き合うための良い経験の1つなのかもしれない、とも考えた。