GUNDA グンダのレビュー・感想・評価
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☆☆☆★★★ いや〜!とんでもない映像美の作品でした。 冒頭の豚の...
☆☆☆★★★
いや〜!とんでもない映像美の作品でした。
冒頭の豚の出産直後。産まれたばかりの子豚達が、いきなり生存競争に巻き込まれて行く描写からしてもう凄い。
片◯で必死に生きる鶏。
やがては屠殺されてしまうであろう牛の、こちらを射抜く様な目線。
そして、冒頭へと帰還するラストまでが全く目が離せない。
私は以前に、大通りを片◯で必死に餌を探しながら生きる鳩を(某JR駅前で何度も)目撃しているし。おそらくは何かにお腹を引っ掛けてしまい、飛び出てしまった自らの腸を引きずりながら(助けてあげたいこちらの想いを嘲笑うかの様に)逃げ回る鳩も見ている。
生きとし生きる全ての生物には【生に対する執着】に溢れている。
そんな一般的には《家畜》と言われている彼ら。
彼らから我々人間は命を頂き、エネルギーを頂き、明日の生活の糧を貰って日々生きている。
しかしながら、食卓の上に並べられる彼らは当然の如く細かく解体されており、元々の体を成してはいない。
では細かく解体される以前の彼らは、果たしてどうゆう生活をしていたのか?
カメラは余すところなく記録し我々に見せてくれる。
《家畜》と言われる生き物には、【屠殺】されるだけの〝 価値 〟しかなかったのだろうか?
感謝の念を抱かせて貰える作品だったように思えてならない。
(彼らとの言い方が正しいのかどうか?…は今は置いておきましょう。)
そして、一見すると普通の撮影風景に見えるのだけれど。よく見ると、豚の周りを回り込むような移動撮影の撮影方法が、ちょっと凄いんじゃなかろうか。
2021年12月12日 ヒューマントラストシネマ渋谷/スクリーン1
【ある農場で暮らす豚、鶏、牛たちの生きる姿、発する生き物の音をナレーション、音楽、字幕なしに、モノクロームの画面と音響、巧みなフレームワークで抒情豊かに、そして切なく描き出したドキュメンタリー映画。】
ー こんなドキュメンタリー作品は初めて観た。
ナレーション、音楽、字幕は一切なしで、母豚から産まれたばかりの子豚たちが乳房に吸い付く姿。
一本足で力強く立つ鶏の姿。
農場の中を自由に走り回る巨大な牛たち。-
・子豚たちが、何処かに連れていかれた後の、母豚だけが歩き回る姿。
・動物たちが発する”生”の鼓動が観る側に迫って来る音響、フレームワーク。
<“最も革新的なドキュメンタリー作家”と称される、ヴィクトル・コサコフスキー監督とホアキン・フェニックスがコラボした、画期的作品である。>
感動しました
最後の母豚グンダの表情が忘れられません。レビューではあんまり良くない評価が多い印象ですが、見に行ってよかったです。泣きました。人間にしか表情がないなんて嘘です。動物たちみんなあります。分りにくいなら鳴き声とか。豚を食べないとか、経済状況からして無理ですが、命をいただくということに感謝しながら、残さず食べようと思いました。もう少し裕福になったら、そういう生活もありです。
MY BEST1 MOVIEが2つになった🐷🐮🐔
監督の動物目線のLowAngle。
モノクロの音も字もないがかえって雄弁。
🐷豚さん、牛🐮さん、鶏さん🐔の生き生きした
表情が伝わってくる❗
広い農場にで、おいしい空気、風、木々の匂い
を嗅ぎ、伸びたり、羽を存分に広げ、大きく鳴く。
GUNDAの子をみつめる暖かい眼、出産後の快い疲れ
監督、GUNDAのお乳アップ。
皆生き物たちはこのお乳で育ってきた。
鶏の脚のクローズアップ。
土を確かめるように一歩一歩進む。
一本足の鶏🐔さんの力強い歩み、躍動感。
🐮さんの空を見上げた時の気持ちよさそうな表情。
尻尾をブンブンふって
みーんな人間と同じ感情。
特に日本における畜産動物に対する扱いは
考えなければいけないと思います。
スタンガン、執拗に尻尾をひねったり、病気の
子は放置される。
私はVEGANにはなりきれない。
豆乳、アーモンド乳、豆乳ヨーグルト
ケージフリーの卵、大豆ミートを買う。
でもやはり肉を食べる。広い所で育ち、
出来るだけ苦しくない方法でお肉になって欲しい。
コフサコスキーの動物に対する畏敬の念がある
この作品が周知される事を切に願います😊
La Vita e Bellaと同じナンバーワンの映画🎦です。
多くの子ブタが死んだ?
ある農場で暮らす母ブタのGUNDAは生まれたばかりで目も見えないだろう子ブタたちが、必死に立ち上がり乳を求めていた。
親子ブタ意外にも、ニワトリやウシなどが、モノクロで低位値からのカメラ目線でナレーション無く描かれた作品。
素晴らしいドキュメンタリーだとは思うが、なんのこっちゃかよくわからなかった。ナレーションはあった方が良いんじゃないかと思った。
最初は確か13匹の子ブタが居たはずのなんだけど、最後の頃は7匹になっていた。半分は死んじゃったのかな?
おっぱいの張った豚。涙を流す牛。
家畜動物の日常です。(ただし、日本の家畜動物は、24時間、檻の中。)豚・牛・鶏の命そのもの。最後はハッピーエンドではない。家畜動物にとってハッピーエンドはない。最後は殺される。しかも、想像を絶する残酷さで。足を吊るされ、又は、檻の中に入れられ、檻ごと、意識のある間に、熱湯に入れられ、首をかっきられ、体の皮を剥がされ、体を削られ…。私たちが食べているのは(食べていた。私はもう、止めました。)とても、賢く、家族想いな動物です。人間と同じです。福祉のない環境で飼育され、残酷に殺されるのです。人は、他人が殺してくれた、牛や豚や鶏を当たり前のように食べる。しかも、動物を食べないと死んでしまうと思いこんでいる人も居るほど。(自分もかつてはそうでした。)現在は、企業様の努力により、代替肉があります。家畜動物を飼育するために、森林が破壊され、その飼育動物も、食べられるために生まれるのです。そんな事、もう、止めませんか。ヴィーガンである、ホアキン・フェニックスからのメッセージです。
生きるという力強さ、生き物のひたむきさ
子ブタは生きるために母ブタの乳首を吸う。
お腹がいっぱいになると身を寄せ合って眠る。
兄弟と戯れてエネルギーを放出する。
母ブタは絶えず乳を与え子どもを見守る。
鶏はそのか細い足で大地をしっかり捉え、片足でさえ踏みしめて進む。鶏たちに合わせてローアングルで鶏たちを見据えるカメラは、自分が同化したようにさえ感じられる。
牛たちの巨体は轟音をたてて広い草原に放たれ、一時の自由を満喫する。それぞれの顔には個性があり、その目はどこを見ているのか、何を感じているのか、ハエの鬱陶しさは大したことではないようでもある。
子ブタの絶え間ない鳴き声が、トラックが遠ざかるとともに聞こえなくなると、母ブタは鼻を鳴らしながら何度も周辺を探し回る。延々とも思える時間が経過しスクリーンが暗転すると、これは人間の営みの一部を切り取ったものなのだと気づく。BGMもセリフも背景説明も一切省いたモノクロのスクリーンに映し出された光景は、生きるということを繰り返し考えさせる構成である。肉食を揶揄するわけではないが、生きるという力強さ、生き物のひたむきさを強く感じる。野生の本能に、たぶん「感情」というものも含まれているのだろう。
退屈と思うか?のめり込むか?
どうしようか悩んでましたが、観てよかった。
どうやって撮ったんだろう?な映像ばかり。
とても当たり前だけど、生物がいるだけで、
生きているだけで「ドラマ」が生まれるんだなぁと。
生きとし生けるもの、全ての命が奇跡であり
その一生に喜怒哀楽がある。それはもしかしたら
1日、1時間、1分の単位であるのかもしれない。
本作、まぁドキュメンタリーですが、
余計なものを削ぎ落とし、必要な部分を思いっきり
磨いた結果の1本だと思います。
根拠ありませんが「無駄がないなぁ」って思いました。
必要最低限の文字だけで情景と感動を伝える
俳句みたいな作品でした。
例えは思いっきりチープですが、1日酪農家の牧場で
そこにいる生き物をぼんやり観察していたような気分です。
そんな、そんな視点なのに、どうしてこんなに心が
揺さぶられるんだろう?
前述した「ドラマ」が切り取られているからなんでしょうね。
それはそれは素晴らしいです。
ラストのイベントがあってもなくても感想は変わりません。
ラストのそれはある意味「映画っぽくした」ものなのかも
しれません。いや、違うかな?
ドキュメントとして入れるべきシーンだったのかな?
それもこれも、まるっと「その場所の日常」であり
「現実」なんでしょうね。その現実をどう見るか?は
観客次第。
鑑賞後に読んだ監督のインタビュー記事にあった
「ヴィーガンのプロパガンダ索引にしたくない」という発言。
成功していると思います。
ただ現実をしっかりと映し、我々に提供する良質な
ドキュメントとなっていると思います。
もちろん監督は表現者ですから、感情が映っていないという
ことはありませんが、プロパガンダにはなっていないのは
確かです。
戦地の避難民の方々の表情や瞳が気持ちを語るように
グンダも雄弁に語っているのではないでしょうか?
(監督が語らせたとも言えます)
大人にも子供にも、たくさんの方々に見ていただきたい。
そして正解はないですが色々考えてみてほしいなって
思いました。
「退屈」になるか「興味深い」とあるか?は見る方次第。
これまた正解はありません。当たり前ですが。
僕は、また観たいと思いました。
ドナドナ
こぶたはちょうど10頭。
一匹だけ小さい子がいて、気になりました。母親豚に踏んづけられて、キィーと鳴く。ほかの子供と比べて動きが鈍く、右足の太ももが変形していたような気がする。途中で死んでしまうのかなぁと思いましたが、元気に育ちました。骨折しても自然に治るんですかね。
牛が50頭以上出て来ます。カメラをじっと見据えて動きません。こんなに長く牛の顔見たの初めて。牛の顔は結構違いがあって、名前付けて区別できそうでした。
ハエが多くて、牛さんはペアになってシックスナインのかたちで、互いに顔の回りのハエをしっぽで追い払います。
にわとりの足もこんなに長く見たの初めて。「もみじ」っていうんでしたっけ?山村紅葉🍁じゃなくて。
凄い映像を見てしまった
タル・ベーラとアルフォンソ・キュアロンが人を撮らず、演出もなく、光とカメラで作品を仕上げたら、このような素晴らしいものを生み出せただろう。否、現に生み出してしまった作家がここに居る。なんと美しい映像だろうか。ラストの母豚グンダの思いが胸に迫って来て、人間ではなくても感情は同じだと言わんばかりのカメラの視線に思わず涙がこぼれてしまった。これが、私にとって今年一番の作品になった。
ただただ映像のみ。
ナレーションも音楽もないからお話は自分で推測するしかなし。子供を踏みつけるシーンや片脚で生きる鶏とかラストのシーンとか、とにかく動物達の生き方を想像するしかない。自分で感じる内容が正解なんだろうけど…。いつも思うが動物のドキュメント撮影ってどれだけ大変なんだと思う。豚に牛に鶏。ふだん何気なくみている動物がモノクロの中でキラキラしていました。
何のために生まれて、何をして生きるのか(←観終わった後に頭の中で流れた)
正直に言うと、途中で何度か寝落ちしかけた。でも素晴らしい映画だと思う。
ナレーション、BGM、説明一切なし。延々と動物を映すだけ。
ハエがめちゃくちゃ多い。小さくて映像ではあまり見えないけど、ブンブン飛び回ってる音が終始聴こえる。自然には虫がたくさんいるよなあ、と当たり前のことを思った。でも都会に住んでいるとそんなことは忘れてしまう。
そんな小さな発見が随所にある映画。2回3回と観ても、観る度に発見があるだろう。
一応、ストーリーらしきものは追えるようになっている。生まれたばかりの子豚の成長と母豚。
この子豚たちがとにかくかわいい。プギープギーと鳴き、我先にと母豚のお乳を求める。
母豚のお乳に子豚が群がる光景は、まるで母豚が食われているように見えた。
とにかく豚たちは牧場の地面の匂いを嗅ぎまわっている。母豚は餌を探しているのかもしれないが、お乳しか飲めない子豚たちは何をしているんだろう、と思う。
というか動物の行動は謎だ。
豚たち以外にも牛や鶏も出てくるが「こいつら何してんだろう」とずっと考えていた。
書いていて思ったが、人間も何をしてるんだろう。謎だ。
考えれば考えるほど、深みにはまるような映画だった。
ラスト、子豚たちは出荷される。牧場を嗅ぎ回る母豚は、子豚たちを探しているようだった。
パンパンに膨れたお乳を吸う子豚はもういない。カメラがやたら母豚のお乳を中心に撮っていた意図がそこでわかる。
帰りに韓国料理屋で茹で豚を食べた。なにかすごいことが起きているような気がした。
今年はドキュメンタリー映画の当たり年か。
予告編を観てその白黒映画の映像美に惹かれて、鑑賞した。さすがに親豚の生態を追ったドキュメンタリーで、1時間半も親子豚を見続けるのは、ちょっと辛かった。
始めのほうで、親豚が子豚を間引き?するのはびっくりした。生存の厳しさを目の当たりにすることになる。一本足の鶏も生きることの難しさを訴える。
人が一切映らない。微かに聞こえる話声やトラクターや車の音で人間の存在をうかがわせる。最後の子豚を連れ去らる場面では、人間の傲慢さを感じた。
撮影前に、今日は子豚を連れ去る場面を取ると打ち合わせしていたろう。何も知らない親豚は子豚を連れ去らて途方にくれるばかりだ。それを長回しで撮る人間の冷たさが身に沁みる。
良い映画
養豚場?の豚親子(母豚と子豚たち)の様子を、"豚目線"で?カメラが淡々と映していきます…モノクロですが、映像の美しいドキュメンタリー作品でした。
BGMや効果音の類は一切ありません…聞こえて来るのは、豚の鳴き声と草が擦れ合う音などなど…自然下に鳴り響く音だけです…嫌というほど、子豚たちの鳴き声が聞けます…時に断末魔のような声で鳴くので、ちょっとドキッとしますけど…(笑)
産まれたての子豚たちが可愛いです。まだよく目が見えないんでしょうか、10匹以上の子豚たちが我れ先にと母豚のオッパイを求めて押し合いへし合いの争奪戦です…なかなかカワイイです。
そんな中、1匹のはぐれた子豚が母豚の下敷き?になり、右前脚を損傷し"びっこ"になってしまいます。Eテレあたりの教育番組だったら、その子豚をひたすら追いかけるんでしょうけど、この作品では、いきなり鶏や牛の大群へと画面が切り替わります…豚だけでいいのに…笑
その牛ですが、彼らは2匹でペアになりお互いの顔の方に尻尾を向けて、顔にたかるハエを互いの尻尾をフリフリしながらハエを追い払うんですね…初めて知りました。ちょっとした発見でした…(笑)
さて、時間も経ち、子豚たちもまるまると太って来たところで、人間様がどこかへと、一頭残らずみんなさらって行きます…。
急に子豚たちがいなくなって、母豚があっちでもないこっちでもないと探し回ります…。
別れが突然やって来たところで、お時間となります。
予告編を見て面白いと思った方なら、楽しめるかも知れません…でも、間違いなく眠気が襲って来るでしょう…(笑)
豚たちのカワイイ生態を愛でたい貴方なら、きっとこの作品のことが大好きになるでしょう…ブー🐽
*ところで、タイトルの"グンダ"って、なんだ?笑
禁欲的手法で撮られた豊穣なドキュメンタリー。観客が能動的に関わるからこそラストが胸にせまる。
シネマ・カリテで開場前にチラシを漁っていたら、後ろのカウンターで声がする。どうやら予備知識ゼロの飛び込みで来たおばさんが、今日上映している映画について質問しているらしい。で、もぎりの館員さんが説明していわく、
「『ボストン市庁舎』は、ええと、ドキュメンタリーで、ただ仕事のようすを延々映しているだけの映画でして……」
「『グンダ』も、ええと、ドキュメンタリーで、ただ豚の日常を延々映しているだけの映画でして……」
「……そうですか」そして、帰っていくおばさん。
思わず噴いてしまった(笑)。
『グンダ』はたしかに、豚の日常をただ映しただけの映画だ。
正確には、豚とニワトリと牛の日常を映しただけの映画だ。
そうとわかっていても、今回は推薦人のメンツがすごい、というかズルすぎる。
なにせ、ポール・トーマス・アンダーソンにアリ・アスター、アルフォンソ・キュアロンあたりが口を揃えて絶賛しているうえに、ソクーロフとか「ノーベル賞に値する唯一の映画監督だ」なんていっちゃってるし。
これだけのメンツに激賞されちゃうと、こっちも観ないわけにはいかないじゃないか。
本作は、きわめて抑制的な製作スタイルでつらぬかれた動物ドキュメンタリーである。
通例、動物ものというと、野生生物の生活が描かれるが、今回は珍しく家畜がモチーフだ。
前宣伝でもさんざん強調しているとおり、モノクローム、無音楽、環境音だけの仕上げ。実に禁欲的なつくりである。デイヴィッド・アッテンボローのでてくるようなBBCの動物ドキュメンタリーに顕著な、「絵コンテ」の存在(=先に撮りたい絵柄があって、それに合わせて撮影する)すら、最大限に「隠蔽」されているのも特徴だ。
家畜が主役で、モノクローム、よけいな演出をしない、よけいな演技をさせない、よけいな説明をしない、という意味では、ロベール・ブレッソンの『バルダザールどこへ行く』(ロバの話)や、タル・べーラの『ニーチェの馬』あたりを想起させるが、あれらは「周囲の人間の生と愚かさを逆照射するための装置としての家畜」だった。
今回登場するのは、本当に豚と、ニワトリと、牛だけ。
ひととのかかわりはラストで象徴的に扱われるだけで、ほとんど出てこない。
さらには徹底的なローアングルによって、「人の視線の高さ」をレイアウトに取り入れないことで、撮り手の存在すらなるべくなら捨象して、気配を消している。
かといって、動物の生を人間のそれにたとえるような、『シートン動物記』のごとき古めかしい手法も本作ではとらない。ドラマも、イベントも、擬人性も、なにも恣意的にきわだたせることなく、家畜のひと夏(ずっと冒頭からラストまで、カラやヒタキの声に交じってカッコウの鳴き声がしているので、5月から7月くらいの限定的な時期のお話なのでは?)を、ただただ息を殺して、愚直に描き出している。
結論からいうと、大変よく「たくらまれた」良質のドキュメンタリーであり、一見どころか、百見の価値がある。
ただ、しょうじきとっつきやすい映画ではない。
たしかにレイアウトが巧みで映像が美しいから、観ていて飽きることはない。
とはいえ、とにかく長回しのショットが多く、しかもモチーフがなかなか動かない。
特に前半45分は、ずっと観ているこちらも息を詰めるように、同じ絵柄を延々見続けさせられるシチュが多い。小学生以来のバードウォッチャーで、ひとところで息をひそめて動物を見続けることに体感的に慣れている僕ですら、若干じれてくるくらいだ。
だから本作を観通すには、アントニオーニやアンゲロプロスに臨むのと同じくらいの、気構えと忍耐力が必要とされる。
とはいえ、じれながらもじっくり観続けていると、だんだんと新しい「気づき」に襲われるのは、絵画鑑賞と同じである。同じものをひたすら凝視するうちに、細部の気づかなかった何かに、眼と心が開かれるのだ。
そして、その「気づき」はおそらくなら、7時間の膨大なフィルムから、この1時間半を選りだした、監督とスタッフの「気づき」の集積でもある。
たとえば、中盤で出てくる牛の放牧シーン。
牛の群れが、広い農場の奥に向かって、走り出す。
まず、全体に静謐なトーンの映画のなかで、屋外で激走する牛たちからは、動的なアクションシーンとして、純粋に新鮮で鮮烈な印象が与えられる。
で、まず思う。……牛って「家畜」でもこんなにがっつり走るもんなんだな。
なんとなくこちらが持っている、野生動物はアクティヴに生を謳歌しているけど、農場の家畜は檻でじっとして何を考えているかわからない状態のまま死の運命を受け入れている、という「先入観」を、パンプローナ祭ばりに全身を躍動させて走る牛の映像によって、「揺り動かして」くるのだ。
そのあと続く、なんてこともない放牧の風景でも、観客の思考の回転は止まらない。
牛の身体から妙に突き出ている骨って、いったいどういう構造なんだろう。
牛って、前足をいったん折って、後ろ足から立ち上がるんだ。
牛の顔ってこんなに蠅がたかるもんなんだな。
あれ、この牛のペアってもしかして、お互い前後になって、相手の顔の蠅を尻尾で叩き合ってるのか?
いやいや、これ、みんなでやってるじゃん! もともと牛ってこういう習性があるってことか。なんて賢いんだろう!……みたいな。
説明テロップやナレーションがないからこそ、観客は「気づき」の快感を「わがもの」として満喫できる。この観客自らが観察し解釈するよう、作り手サイドから誘導してくるスタイルは、グンダの出産~子供たちの成長を描くメインのシーンでも、檻から解放されるニワトリたちのシーンでも、一貫して変わらない。
こうして90分にわたって、作り手は観客に「能動的な視聴」と「コンセントレーション」と「自分なりの解釈」を要求してくる。
監督たちとともに、覗き穴からグンダたちを「観察」しているような臨場感。
監督の敷いたレール上ではなく、自らの知覚で家畜の生態を「考察」しているという参加感覚。
これらを共有してきたからこそ、ラストの「あれ」がひときわ胸をうつ。
そういっていいだろう。
どういう展開かはここでは明かさないが、事ここに至って、われわれは「ああ、もともとこれが撮りたくて作られた映画なんだな」ということにはっきりと気づかされる。要するに、本作にはきちんとした「筋書」があり、「落としどころ」がある。
考えてみれば、冒頭があの形で始まるのも、しきりにグンダの奇形的に肥大した乳房ばかりが強調されるのも、みんなラストに向けての「伏線」だったわけだ。
でも、そういう「作為感」を徹底的にオミットして、われわれには「素材を提供」しているように見せかけることに成功してきたからこそ、ラストの仕掛けがストレートに(それこそ井上尚弥ばりのストレートで)、われわれの胸の奥にガツンと届くのだ。
監督ははっきりと、こう言い切っている。
「私は私たちが地球を共有している生き物たちについての映画をずっと作りたいと思ってきました。彼らを見下したり、擬人化したりすることはありません。また、感傷的に表現するのは避け、ヴィーガンのプロパガンダにならない映画を目指しました。」
この中立的で禁欲的な「距離感」の設定こそは、まさにドキュメンタリーの本道だといえる。
モチーフにのめり込み過ぎず、情報量を敢えて削ぎ落とし、不偏不党の立場で、なるべくなら手垢のついていない素材を提供する。この姿勢は、たとえば前に観た『ゲッベルスと私』とも共通しているし、総じてヨーロッパのドキュメンタリー作家たちが共有している「矜持」でもある。
ぜひ、日本やアメリカでプロパガンダ・ドキュメンタリーにうつつを抜かす、活動家まがいのエセ監督たちに、彼らの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。
あと余談だが、今回初めて「ドルビーサウンド」の完成形を目の当たり(耳の当たり?)にして、なかなかに興奮した。「ドルビーアトモス」というらしいが、本当にぐるぐる会場内を「音が回っている」。離れたところで動物が立てた鳴き声や、鳥のさえずりが、マジで距離と方角を伴って知覚できるのだ。これは地味にすごい。
この音響体験とセットでこそ、本作の臨場感はフルで満喫できるともいえる。
ラストシーンも、「音が遠ざかっていく」から、胸にせまるのだ。
ぜひ、映画館まで足を運んで、実地で「体験」してほしいドキュメンタリーである。
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