土を喰らう十二ヵ月のレビュー・感想・評価
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気付きを与えてくれる人生讃歌
四季折々の食を中心に自然界の素晴らしさを描いた食と人生の物語。日々の忙しさに追われて生きる意味を見出せない人たちへ気づきを与えてくれる人生讃歌。 鑑賞中も自分の生き方についていろいろと考えさせられる。今日という一日を精一杯生きる大切さを実感しました。 2022-208
素敵な映画を観たなぁ
予告編で松たか子が「好い男ねぇ」と言うと、ジュリーが「そうやろ」と答える、それがほのぼのして観たいと思いました。 ジュリーが年老いた手をさらし、飾りを外した素の姿をさらし、一つ突き抜けたのかなと思いました。 流石に心臓が3分の1になった人の体形ではありませんでしたが、それは努力しても痩せないと呟いたライブで聞いてたので、仕方ないかぁと思いましたけどね。 葬式の時のおばさんたちの会話も素人ぽくありましたけど、田舎のおばさんはあんなもんだろうと思ったので、特に嫌な感じも無かったです。 奥さんのお義母さんの家で、ご飯とお汁とタクアンだけで食べてましたけど、あれは身体に悪いなぁと思ったり、奥さんの義弟夫婦の厚かましさに腹を立てたり、犬はどうなるんだろう?と案じたり、恋人の事を思って一緒に暮らさないと言ったのを、相手は理解してないのかと思ったり、映画を観ながら色々思ってました。 最後に主題歌を聴きながら、流石ジュリーだ!と思ったものです。あれだけの姿をさらしたのに、やっぱりジュリーは歌の世界では艶やかなスターです。 自給自足の生活が羨ましくもあり、自分は出来ないだろうと思ったり、観終わって気持ちが良かったです。
季節感が雑で残念
田舎の人間としては、鳥や小動物、農作物や裏山の木々、田の景色等々の映像があり得ない順序で出てきたりして、リアルさが感じられず、内容が入ってきませんでした。調理の食材などもスーパー、卸などで仕入れるのなら季節的にも問題ないとしても、自身が住んでいる土地で収穫するとなると、それはちょっとあり得ないなあ、とか、季節の時系列的に順序が逆だろうとか。また、義理の母(奈良岡さん)の住む一軒家にしても、貧乏であろうが、掘立小屋であろうが、田の畔のすぐわきのあんな場所に人家は絶対に立てないだろうとか・・・細々と突っ込みどころが満載で、間違い探しのクイズ映像を見ているような感じでした。もちろん、映画の諸々の都合で完全に現実と一致させることは難しいと思うのですが、私的には、大変混乱しました。
信州の景色が綺麗
信州の山荘で1人で暮らす作家のツトムは山で採れた木の実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを実感しながら執筆する日々を過ごしていて、時々、担当編集者の真知子が東京から訪ねて来ていた。旬の食材を料理して一緒に食べるのは2人にとって至高の時間だった。そんなツトムは13年前に亡くなった妻の遺骨を墓に納めることができず、一人暮らしの妻の母を時々訪ねて自家製味噌を貰ったりしていた。 そんなツトムの冬から始まり、冬までの1年の料理をみせてくれる作品。 沢田研二が好きなら良いけど、個人的には好きじゃ無いから歳取っても共感できない。 もっと違う役者にすれば印象も違ったかもしれないが、精進料理食べてるのにデブだし、塩分の摂りすぎなのか心臓病になったりで、松たか子に一緒に住もう、なんてつまらない提案したり、謙虚さを感じられない主人公が好きじゃ無い。 信州の山の景色が綺麗だったのと、料理が美味そうだったたけ。 ドキュメンタリーなら良かったのかも。 ラスト、ジュリーの歌は良かった。
大きい方がええって、はいよ!
沢田研二と“土“どうかと思ったが、相性悪くなかった。綺麗すぎな手と体型は如何ともし難いが(ー ー;)日本ってええなーと感じられる料理と四季の移り変わり、死を引き取るという全体的に纏う死生観。こういうの歳をとると沁みるわ(^^; ほやけど、やっぱ歌を歌うと沢田研二やなくて、ジュリーなんやわなーそして グッズ売り場にはジュリーのブロマイドが!(๑˃̵ᴗ˂̵)
【11/16追加:参考情報にネタバレあり】日本で過ごしている外国人の方もぜひぜひ、くらい。
今年327本目(合計602本目/今月(2022年11月度)14本目)。
映画のジャンルとしては…何になるのかな?
二十四節季(すべては出ません)ごとに、その季節にとれるもので料理を作り、その中でいろいろな事件が起き…と進んでいくタイプです。
主人公は設定にあるように山奥で質素な生活をしています。そのため、この前提で食べられる料理はたけのこ等、いわゆる「野菜料理」というのでしょうか、そのようなものが多いというのはありますが、こうした料理は日本料理ではどうしても今では「どこでも」食べられるものではなくなったのが今の状況といえますから(逆に言えばどうしても食べたいなら、山奥などのホテルや民宿などにとまって注文するくらいしかない?)、「日本の文化の一つなんだよ」ということで外国の方で日本語もある程度わかる方がいかれる類型もありうるのかな…という感じです。
ストーリーというストーリーが存在しない(あることはありますが、書くとネタバレになってしまう)こと、さらに食に関するいろいろな古典漢文の引用なども紹介されていて、知らなかった、なるほど…というところも多いです。ある意味「知的な枠」というのがこの映画ということになりそうです。
積極的なストーリーを見出しにくいというタイプはあるにせよ、この映画の視聴者の層として、「高年齢層」が想定されていることは明らかで、あまりあれもこれもと詰め込まず、そうだよね、(戦後の混乱期などで食物が満足でなかったころは)こうだったんだよね、という感じで見る、そういう類型が主に想定されているのではないか…と思います。
この映画を通じて、日本の料理の中でも、特にこの映画が参照しているタイプの料理が見直されれば、と思っています。
特に採点要素として引くようなところは見当たらなかったので、満点にしています。
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▼ (11/16追加/参考/葬式費用は誰が負担するのか)
・ 見られた方はご存じの通り、この映画内では「お葬式」がひとつテーマに入ります。
そうすると、「葬式費用は誰が負担するのか」という論点が気になります(映画内では適当にごまかされている)。
しかし映画内は明らかにリアル日本ですので、日本の民法その他を見ると…。実はややこしい事案です。
日本の民法その他を見ても、「葬式費用を誰が負担するか」については何ら規定がありません。それどころか「葬式」という語すら表立って出てきません。これは、お葬式それ自体がどうしても宗教性を帯びるもので、日本は戦後の日本国憲法で政教分離をうたっているため、その下位法(実質、憲法以外のすべての法)でそれを個々具体的に「何とか式にしなさい」とか「何とか式はいけません」ということを法律で定めることができないからです。
一般的な考え方は、「相続財産からの控除説」「相続人均等負担説」、「喪主全額負担説」がありますが、裁判例(名古屋高裁、平成24年3月29日。日本の司法の頂点にたつ最高裁判所の「判例」に対して、高裁以下の判例を「裁判例」として分ける考え方が普通です)では「喪主全額負担説」を取ります。「喪主が葬式の様式、規模などを決める以上、その負担も喪主に帰するのが妥当」という考え方です(したがって、喪主が全額負担せよという以上、他の相続人に対して立替分の均等額負担額を(当然のようには)個々に請求することはできない)。
※ この論点のややこしいところは、この論点のみならず、「お葬式費用の税金関係(相続税からの控除)」という「税金の論点」が絡む、というところに大半つきます(正しく申告しないと税務署がうるさいのは、ご存じの通り)。
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四季の移ろいと精進料理
原作や登場人物の設定を読まなかったので、主人公の老人の職業が作家とは分からず、てっきり、エッセイが書ける引退した精進料理人、その老人の自宅を訪れる女性の編集者は老人の娘だと思っていました。 スクリーンに映し出された、美しい四季の風景や飼い犬の愛らしい仕草、食材の自然野菜の採取と手間をかけた調理の過程は、チェーン店の食堂の画一的なメニューに慣れた現代人には、とても新鮮に見えると思いました。 また、主人公の老人を演じる沢田研二さんの役作りが見事で、演技というよりも、素の沢田研二さんの立ち振る舞いのように見えました。 沢田研二さんといえば、かつて、一世を風靡したアイドル歌手なのですが、歳を重ねて、重厚な演技力のある実力派の俳優に大成したような印象を持ちました。 私の主観的な感想では、この作品の見所は、沢田研二さんの重厚な演技力、四季の自然野菜から作られる精進料理の魅力だと思いました。 とかく、万事につけ、スピード・効率化が求められる現代社会に生きるビジネスマンに、観て頂きたいと思いました。
山の一人暮らし
執筆をしながら山のくらし 一年間(十二ヶ月)を追いながら 自給自足と季節の恵み を頂いて食ぺる 食材を無駄にせず 手間を惜しまない料理 二人でたぺる食事 が美味しそう 自然に逆らわず自然と共に ゆったりと…時間が過ぎていく 今の世の中忙しく手を抜こうと 思えば何でも手に入る時代 でも。心が満たされない と思うことがある …子供の頃 ほうれん草の根のところは 土の味がした 里芋もごりごり洗っていた様な 事を思い出した …終活もテーマの一つ この頃このテーマの映画が多い 弔い方も …沢田研二 外見は変わってしまったけど 歌は健在でした 色っぽい伸びやかな声 エンドロールが心地いい
質素だが美味そう。静かですが美味しい自然食と四季、と人間の最後を考える飽きない秀作。
日本人に生まれて良かった。誰でも食べることは共感できるから飽きることのない秀作。描写が素晴らしい。 美しい四季の日本。 四季があって素朴な精進料理に近い【禅寺で小僧・「飢餓海峡」の水上勉】自然食 の良さは、いわゆるアメリカ🇺🇸の「ベジタリアン→無理している」とは正反対の 自然体。アメリカ🇺🇸の人には悪いけど、月とスッポン。 そして 枯れた沢田研二【歌手としては枯れてないで暴走老人、スーパーアリーナの醜態】 、ちょっと年齢差に難ありだけども、円熟の域の松たか子が公園。 田舎信州だからこその、四季の移り変わり、山の幸、畑、田んぼの幸。 「極道メシ」だっけ、よくバズビデオに動画上がってる刑務所メシ 山椒「犬の名前」、大根、きゅうり、ナス、茗荷ご飯、ゴゲメシ、あと最後に尻切れとんぼに続く 最高だね。和食精進料理。今だからこそ際立つ。 オヤツも栗と🌰あんぽ柿、ワシの親の世代以前の日本人はみんな柿が大好き。今のZ世代にはわからない感覚 四季の移ろい歳時期的な連関が素晴らしい、個人的に「タケノコ」「胡麻豆腐」食いたくなって、そのものズバリはないけど 普段あんまり食い物買わないワシが帰り道、和惣菜購入。ワシ一人でコッソリコレから食うところ・・ ただ、たまには「動物性蛋白質」取らないとね。でもね素晴らしい食事の描写。 「前述でバラバラだけれども 極道メシに通じる」というか 極道メシ と趣旨は本当は同様、「限定された条件下」「質素なメシ」だからこそ、かえって飽食下の日本だからこそ 美味そう。 押し付けられた「通夜振る舞い」の描写が素晴らしい。 ただ現実には、いくらなんでも坊さん呼ばないことはあり得ない。 かつ、いくら爺さん婆さんとはいえ、通夜振る舞いに勢力をつぎ込めない、自身の親兄弟だからこその憔悴。 仕出し業者に丸投げという方が、死んだ本人は嬉しいと思う。悲しみで料理なんて手が回らない方が良いよ。 涙の数だけ死者は慰められるのだから・・ でもコレは娯楽映画、決して純文学的な硬派な作品ではないので 沢田研二の通夜振る舞いの料理、最高の描写。 土井善晴が監修。 タケノコ、山菜、味噌、胡麻豆腐、梅干し、たくあん
丁寧な暮らしと豊かな自然の恵みと。
こんな生活を送って自分勝手と言われたらそれまでだけどいーよねー。自分は絶対真似できないけれど…。きっと昔はこんな生活が普通でそれが豊かだったんだろーなー。なんでも揃い現代はそれだけで忙しい…。
【”今日、一日を暮らせればそれでよい。”故、水上勉のエッセー「土を喰う」を底本としながら、24節気ごとの自然の恵みを眼で愛でる作品。後半は、氏の死生観も絶妙に描かれている作品である。】
ー 私事で恐縮であるが、故、水上勉氏のエッセー「土を喰う」と「精進百撰」は、30代にたまに読んでいた。料理に嵌っていた頃でもあったし、何より水上勉氏の禅寺の小僧だった時代に覚えたという山菜料理が、氏の姿と共に掲載されており、とても面白く読んだモノである。 自宅の庭で育てた野菜を収穫し、料理し、食する楽しさよ。(現在進行中。) 尚、幾つかの料理は、この作品でも紹介されている。ー ◆感想 ・底本は、エッセーであるが、この映画はそこに編集者で恋人の真知子(松たか子)を配し、素敵な12カ月の自然と山の恵みが映し出された物語にアレンジメントされている。 急なお葬式の対応や、恋人に対する優しき想い。 ”好きな人と、食事をしたいじゃないか・・。” ・登場人物も、山暮らしの事なら、何でも知っている大工さん(日野正平)、頑固な義理の母(奈良岡朋子)、オドオド夫(尾美としのり・・オドオドさせたら、第一人者。)と、強気だが何にもやらない妻(西田尚美)、禅寺の和尚の娘(檀ふみ)など、多士済々で、物語の面白さを上手く引き出している。 ・心筋梗塞になったり(本当です。)、独り暮らしは大変そうだが、余りある自由があるのだろうなあ・・。 <何事も、自分でしなければいけない、大変さと、大切さ。 この作品では人間が、つつましやかに生きる喜びと、死にどのように対応するかが、キチンと描かれている。 食料が賞味期限越えで(消費期限ではない)多数破棄される一方、フードバンクや世界的な食糧不足が喫緊の課題になっている今だからこそ、観て良かった映画であると私は思いました。>
沢田研二と精進料理だけではない
沢田研二と土井善晴の料理だけの映画かと思ったら、初老の男性の人生観も描かれており後味の良い映画だった。24節気毎に画面は展開し、美しい信州の自然もしっかりと描かれている。妻、妻の母親、子供の頃修行したお寺の住職夫妻などとともに、自身の死も描かれている。最後に沢田研二が歌う曲では、美しい声も聞くことができます。演出だとは思うが、松たか子の食べ方がちょっと下品だったのが残念。最後に、山椒という名前の可愛らしい犬も出ているので、イヌ好きの方も楽しめます。
土を喰らう十二ヵ月
沢田研二はかっての格好良さはないが、同世代の者としては当然かなとも思い あるがままに生きる姿はむしろ微笑ましい。これから終活に向かう指針をいっぱいもらえるシーンもあちこちあり、本物の美味しい食べ物を食べたくなる。若い世代より高齢者には特にお薦めしたく初デビューしました。
初日の早朝行きました
今回は初日の1回目、7:45〜鑑賞しました。 去年〜公開を楽しみにしており、今月は“映画の月”と決めて‥‥沢田研二さんのコンサートへ行くのも止めて映画館通いになりそうです。 1回目の感想は、土井先生が言われていた『いい手してはりますねぇ』の言葉通りでした。日頃から調理されているのか??ですが。 私にもお抹茶たてて欲しいし、こんな主夫が欲しい!(冗談)です。 又、今日は違う角度から見てみます。
所詮、人は単独旅行者。ひとりで生きて、ひとりで死んでいく。
たけのこ煮、たくあん、梅干し、ごま豆腐、栗の甘露煮、干し柿、、、。 美味そうなものがどんどん画面に出ている。そしてその手さばきが見事。そこには自然からの恵みのありがたさがある。 道元、西行、吉田兼好、、、。 いにしえ人の言葉が、しみじみと心に沁み込んでくる。この信州の田舎暮らしを見せられながらだからこそ、その言いたいことに気付かされる。 そして、勉は、自分の骨壺を焼きたいと願う。じつは、素人陶芸をかじったことがある僕の、土いじりの動機も「自分の骨壺」だった。できることは他人任せにせず自分の手で、という気持ち。そう、生きていくのも所詮、ひとり。死んでいくのも所詮、ひとり。他人とのかかわりはあるけれど、他人の手をなるべく煩わせることなく。生きていれば、必ず死は訪れる。だから、あるがままに生きるべし。身の丈にあった生き方をしていれば、飯も美味いし、生きているって思えることだろう。そんな、メッセージがある。ぽっちゃりした沢田研二、飾り気がなくてとても素敵だった。まるで、60年物の梅干しのようだ。画面からはただのオッサン(だけど魅力的な多才さはみせる)だけど、エンディング曲の歌声は、かつての艶っぽさが健在だった。 と、ここまでは高評価なのだけど、マチコとの結末がちょっと残念。というか、マチコは、勉の真意を理解していないと思った。それでもひとりで生きていくと飄々としている勉の泰然とした態度を、あえて強く印象付けたいというのであればいいのだが。 それと、おばちゃんエキストラたちの素人ぶりが、映画の空気を台無しにしてたのも残念だった。 ついでとして。 落語好きとしては、滝川鯉八の出演に興味があった。ほんとにちょい役だったけど、やはり表現者だけにセリフ回しが上手いなと思った。もうちょっと物語に絡んでくれたらよかったけど。
人は生まれ死ぬまで所詮、単独旅行者🐈~
ある作家が人里離れた長野の山荘で一人暮らしをし、山の実やきのこ畑で育てた野菜を自ら料理し、季節と共に描かれたスローライフ的な話なのかと思いきや! 映画のおかずや中身は美味しそうな料理だけではなく淡々と映し出す中にもしっかりと味が染み込んだ人間の本質や豊かさ生き方等を散りばめた内容であった 大人になり歳を重ね価値観は四季の様に変化し人間の本質や豊かさ季節を通じその都度触れ合う恵は人間模様の様であり作中主人公が「人は所詮、単独旅行者」という言葉はラストと繋がり成程っと色々な発見ができ丁度悩んでいた自分にタイムリーな作品で救われた気がした! 実家が長野で久しぶりに山や冬の姿等を見れ懐かしく思いつつ、都会で暮らしていると将来こんな風に生きて老いていくのも良いかなと思え、生き方や将来や明日、明後日を考えるのではなく、今日1日を精一杯に生きるという当たり前の事を忘れていたが改めて大事な事と考えさせられた。
沢田研二大好きだけどミスキャスト。
あの食事とあの体型の乖離は説明できない。 更に制作委員を立ち上げて映画を作ると必ず陥るエキストラの罠。 エキストラに芝居させるとそのシーンは極めて醜い。 邦画が得意とする分野の作品だけに心底惜しい。 だけどねエンドロールで流れる歌はピカピカのジュリーそのもの。 ゴージャスで色っぽく唯一の歌唱力こそ沢田研二の世界だ。 プロローグで流れる類家心平のtpも絶品。
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