さがすのレビュー・感想・評価
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【多層的に配置された物語が問いかけるもの】
この作品は、近年起きた事件や社会問題をモチーフに、物語を多層的に配置し、そこから想像される人間の弱さや醜さ、そして、本来ある人間の強さや正しくあろうとする姿をテーマにしていると思う。
ところで、佐藤二郎さんが、舞台挨拶で、「おかえりモネ」に出演している清水尋也さん、森田望智さん、伊藤蒼さんに宛てて、わざわざ手紙を書いてきて読み上げたところが、「おかえりモネ」にやきもちでも焼いてるのか、おかしかった。
ただ、この作品は、そんな面白さとは距離を置く考えさせられる物語だ。
(以下ネタバレ)
この作品は、ALSで尊厳死を望んでしまう妻と、それを苦悩しながら認めてしまう夫、更に、その実行を引き受ける人物がいるということ、そして、それは、尊厳死だけにとどまらず、うわべで自死を望んでいるだけの人間も死に至らしめて半ば楽しむ得体の知れない闇を抱えた人間かもしれないという構成になっている。
サスペンス部分の種明かしは映画をご覧いただくとして、余命幾ばくも無い難病、尊厳死、家族、貧困、孤独、自殺願望、心の闇、正義、道徳、自立......そして、ループする闇など様々なことを考えさせられる構成になっていると思う。
エンディングは残酷だが、絶対に正しい……。そして、困難に向き合う希望でもある。
「おかえりモネ」の三人に加え、佐藤二朗さんの演技は見ものです。
問題作であることは間違いない
さがしものはなんですか
俊英・片山慎三の商業映画デビューを観逃すな。緻密な脚本と練り上げられた映像の圧倒的な完成度!
映画を観終わったら、場内で拍手が起こったのでまず驚いた。
おお、こんなこと昔『ブラス!』で体験して以来じゃないか?
そしたら、終演後、ふつうに監督のトークショーが始まって、さらに仰天した。
なんだ、だからみんな拍手してたのか!! いや、十分拍手に値する映画ではあったけど。
てか、入口の掲示とかアナウンスでも言ってただろうに、よく俺気づかなかったな……(笑)
ふりでふらっと観に入った客とか、あの回で、もしかして俺だけだったりして。
映画自体は大満足でした!
これを褒めなきゃ何を褒めるんだって感じで、大絶賛したいところなのだが、内容をネタバレして観るとおよそ興覚めなタイプの映画なので、どう人に紹介していいのか、結構悩む。
ノリとしては、やはりかつて助監督としてついていた、師匠格のポン・ジュノに近いと思う。
ポン・ジュノの特徴として、「ジャンルオーバー」「先読みさせないことに全力」「社会派だがエンタメ」「心の闇の描写と家族の人情モノの組み合わせ」の四つが常に核にあると思うのだが、片山監督もこの四つの要素を完璧に兼ね備えている。
トークショーでは、霊感源として、ご本人は『セブン』、『羊たちの沈黙』、韓国の犯罪映画など、進行の宣伝マンからはタランティーノや『アモーレス・ぺロス』あたりの名が挙がっていたが、要するに、タランティーノ以降発展してきた「今のサスペンス」の最先端をしっかりとらえているといえるだろう。
多視点の語り直しと時系列の組み換えをギミックとしてもつ緻密な脚本。
1カットごとに考え抜かれた、スタイリッシュで撮影意図が伝わる映像。
細部まで練り込まれた小ネタ、挿入される笑い、時事性、変態性欲、ホラーテイスト。
冒頭、どこかの農村めいた風景。
手前の倉庫で画面端が切り取られた奥の空き地で、
佐藤二朗がトンカチの素振りをしている。スローモーションで。
流れるリストの「愛の夢第3番」。
鮮烈なイメージだ。どこか病んだ、サンチンの型でも見ているような。
これだけで、「ああ、ふらっと観に来て正解だった」と確信が持てる。
続く、少女の疾走。カットを割る、割る、割る。
カーブ・ミラーの巧みな使用から、防犯ビデオのモニターへ。
少女の影が、画面内の小画面のなかを、飛び移ってゆく。
「数秒」のシークエンスを、徹底的に面白く見せようとする強固な意志。
少女のあせる気持ちをきちんと描くとともに、この映画が「個人の激情を外からいったん眺め、分割し、再構築する志向の映画だ」という意志表明にもなっている。
監督が「絵コンテ」の人だと、ひしひし伝わってくる。
こいつは、本物だ。
出だしは、食べ方の汚いうらぶれたオヤジと、口は悪いが利発で愛情ぶかい娘の、大阪・西成での下町暮らしから始まる(ちょっと陰気なじゃりン子チエみたい)。
ある日、指名手配犯を町で見かけたと言い出す父親。そして翌朝、父親は失踪する。
警察は受け合わない。父親がいると聞いた日雇いの現場には別人がいる。その別人は父親の名を名乗り、顔は指名手配犯そっくりだ。
ビラを配っても、貼っても、杳として父親の行方は知れない。
そのうち、担任が施設のシスターを連れてくる。そこに「探さないでください」とのメールが父名義で届いて……。
こうやって序盤で与えられる情報から容易に組み立てられる推測どおりに、しかしながら(当然ながら?)話は進まない。
そして、どう進むかを言った時点でもう台無しなので、ここではあえて触れない。
時系列と視点の切り替えが起きるたびに、話は複層性を増し、表面上語られていたはずの物語は別の一面を見せ始める。それぞれの物語には、それぞれの始まりがあり、それぞれの動機がある。彼らは何を「さがして」いるのか。ほぼ隙なく組み立てられた欲望と情念の織り成す箱根細工は、あたかも一個の芸術品のようだ。
一言言っておくと本作は、2020年の僕のベストである『ミセス・ノイズィ』の「裏」バージョンともいえる構造をとっている。
要するに、『ミセス・ノイズィ』は、有名な時事ネタをベースに作ったというのを表のギミックとしてあらわにしたうえで、そこから予期される以上の展開を用意することで客の度肝を抜いたわけだが、『さがす』はその「逆」で、後半に「有名な時事ネタ」が複数個、隠されているのだ。
表面上オーソドックスな失踪人探しの物語をやるかにみせて、実はきわめて人口に膾炙した「あの事件」と「あの事件」をモロに素材にとっていることが、「観ているうちにわかる」仕掛けになっている。ああ、それの話をやりたかったのか、と。
ちなみにネタバレに直結しないので一つだけ触れておくと、西成地区に指名手配犯が紛れ込んで生活しているというのは、監督の実体験(父親が電車で見かけたと言ってきた)がベースになっているらしいが、実際にリンゼイさん殺害事件の容疑者だった逃走犯、市橋達也が一時期西成で暮らしていたことも元ネタのひとつかと思われる(当時、1000万円の報奨金がかけられていた)。西成地区の活気と猥雑さ、無国籍な怪しい魅力は、映画の重要な背景となっているが、日雇い仕事とドヤが存在し、なりすましが現実に横行する西成でしか撮れない話だという部分も大きいだろう。
片山監督が時事的な問題を扱うさい、あくまで「極限下での人間の姿」を描くための素材として用いて、下世話な解釈や思想的な押し付けに走らないのは立派な姿勢だと思う。さらには、社会派的な視点に立ちながらも、メッセージ性に優先して、何より「面白い映画であること」「技巧的に手の込んだ映画であること」にこだわりをもって、エンターテインメントとして成立させることに注力しているのが素晴らしい。あと、一定の観客がドン引きして離れるのを承知のうえで、タランティーノやニコラス・ウィンディング・レフン同様、ある種のバッド・テイストを仕掛けてくるような(あるいは「仕掛けずにはおられないような」)、にじみ出る彼の「含羞」だったり「矜持」だったりも、じつに僕好みだ。
ある程度、登場人物が「この時点で本当はどういう意図をもって動いていたのか」を、観客の推理と想像にゆだねる作りになっているので、終盤の展開に若干とまどう人もいるかもしれないが、僕が観て感じた範囲では、それぞれの登場人物の行動原理はいちいち腑に落ちたし、とくに某人物が、後悔と贖罪の念を妄執にまで膨らませ、「愛」の形としての●●に目覚めてしまう流れは、個人的にはすっと得心がいった。
驚くほど巧妙に組み立てられた作品だ。
ポン・ジュノ譲りの「意地でも客に先読みさせないぞという情熱」は、ストーリー展開のみならず、キャラクター造形においても一貫されている。
本作で、出てきたときの「お定まり」「お仕着せ」のキャラクターイメージを、最後まで維持する登場人物はまずいないといっていい。
それは、もちろん父親も、娘も、指名手配犯もそうだし、脇を固める人達にも通底する原則だ。
オレンジをおごってくれる朴訥な老農家の一大コレクション(いそう! こういう人ww)。
死にたがりのムクドリが「多目的トイレ」で見せる聖女のような慈愛。突然せまってくる奥さんの生々しさ。実は、どちらのシーンも二朗さんには撮影内容の一部が伏せられていて、あそこで見せる彼の演技は、完全に(原田智として彼がその場で対応してみせた)「生の反応」らしい。
佐藤二朗の父親役は、あて書きだけあって、旧来のパブリックイメージをうまくいかした(あるいはうまく裏をついた)狙いどおりのハマり役。ちょっと遅れていたり発達っぽかったりする感じと、人柄の実直さ・愚直さと、得体の知れない薄気味悪さがない交ぜになった独特の人物像を構築している。てか、この人、堤幸彦と福田雄一のせいで歪んだコミックリリーフ的イメージを押し付けられてるけど、本来は演劇畑の演技を志向するタイプで、こういうクセのある話にはドンピシャで嵌るんだよね。それはそうとして、どうでもいいけど、路上で飯を食うシーンの横顔があまりに大きすぎてびっくりした(笑)。昭和の歌舞伎役者並の頭部膨満感……。
伊東蒼は、あまりに達者すぎて、ちょっと末恐ろしいくらい。『空白』に引き続き、きわめて七面倒くさそうな父親をあてがわれる中学生役をふたたび好演。そういや、二朗さんとはNHKの『引きこもり先生』でも絡みがあったっけ。マジ、天才だろ、この子。とくにラストのあの演技はなかなかできない(ラリーが続くこと自体にも単純に感心したけどw 何テイクかけてる??)。まあ、遠からず他の「天才あおいチャンズ(宮崎あおい、蒼井優、悠木碧)」に肩を並べる存在になるのはまず間違いない。
指名手配犯の清水尋也は、最近の若者によく感じるどこかフラットな印象と、当たりの柔らかさ、そのいっぽうで無表情でたたずむ姿に漂う狂気をうまく演じていた。意外に声がいいよね。そういや、このキャラクターが作中で「名無し」って呼ばれてるのって、もしかして『セブン』の「ジョン・ドゥ」へのオマージュなんじゃない? と思ったら、すでにパンフで評論家が指摘していた。
ちなみに、監督はトークショーで、この主演の三人を一緒に同じフレームには入れないってのを作品のルールとして決めて撮ったみたいなことをおっしゃっていました。本人は「難しいことにチャレンジしたくなるんですよ」とさらっと回答してたけど、この作品はそれぞれのキャラにとっての物語が「きれいには重ならない」「それぞれのコンビでキャラの設定がぶれてゆく」こと自体が重要なテーマとなっているわけで、監督のこだわりが作品の根幹と直結しているのは言うまでもない。
三人の佇まいには、どこか韓国のクライム・ムーヴィーの1ショットだと言われてもおかしくないような雰囲気があり、この監督さんの創作作法のベースはやっぱりその辺にあるんじゃないかな、とも思ったり。タイトルロゴと宣伝ビジュアルには、あの韓国が誇るPROPAGANDAが参画してるしね。
品川徹と康すおんは、相変わらずの持っていきっぷり。とくに前者は天本英世の再臨かと思わせる怪演ぶりで爆笑した。あとラストクレジットで内田春菊の名前を観たけど、なんの役かわからなくって観た後に検索したら、例の施設からきた尼さんの役だったことを知って驚愕。あの人、なんか知らないうちにロマンスグレーの美老女になってんのな(笑)。
なんにせよ、エンターテインメントとしては、一級品。
おそらく好き嫌いは分かれる作品だろうとは思うが、いわゆる「邦画」の辛気臭さや独りよがりなシリアスさとは無縁の作品なので、ふだん邦画に行かない人にもぜひ足を運んでほしい。
世の中には死にたがっている人がたくさんいます。
俳優陣のセンスに尊敬
物語、キャスト、演出、メッセージ等々、どの要素も刺さるものがあり「観た甲斐があった」と心から思える作品。個人的には俳優陣の演技力に同じ人として尊敬してしまった。心の隙間を突かれた人の良いおじさん、テンションの違いが極端なサイコパス、他人に刺々しい自殺願望者など、登場人物は「こういう人、実際に居る」と笑えてしまう程に特徴が出ていて、これは相当に長けた観察力と表現力がなければできないと思う。伊東蒼さんの存在感は佐藤二郎さんが評する通 り高校生とは思えない存在感。原田さんの魅力と中学生故の可愛さが存分に伝わってきた。ラストの卓球ラリーのシーンはよく出来てると思った。(不覚にも一発撮りと思ってしまってそのせいで衝撃を受けてしまった。冷静に思いかえせば編集であろうが、それでも観客の心を射止めるシーンだったと思う)
ダークウォーターでも似たような事を思いましたが、シリアスな作品こそエンタメ性(本作であればユーモアも)があって初めて伝わってきます。シリアスだけではつまらない。
ネタバレあり。
途中でちょっと話の流れがわかりにくかったぶん、後半での謎解きの答えが親切すぎて何も考えなくていいのが暇な時間だったと思います。
佐藤二郎さんの奥さんが病気になってしまったばっかりに。
人生、ツイテないことはありすが、これほどツイテないなら死んだほうがマシ的な映画でした。
残酷な描写はちょっと苦手です。
うーむ、一味足りない。コクが足りない。
「岬の兄妹」の片山監督の作品でダーク(っぽい)二郎さん。期待しないはずがありません。この期待感は二郎さんの監督作品「はるヲうるひと」のそれに似ています。そして、観賞後の「あぁ、残念、足りない」って気持ちも似ているとは。
オープニングからは想像もできないような結末への展開は、物語としての醍醐味が非常にあります。おー、そんな展開かぁって。それに設定・背景がなかなかの暗闇設定。私好みの人間臭くて、ドロッとしたやつです。さらに見進めていくと作品がちょっとずつ、ちょっとずつ味変していくんですね。巧みですよ、その展開。さらに、見せ方(答え合わせ方式、または検算方式と僕は呼んでます(笑))が意外性を演出できているかなぁって。またユーモアの差し込み方もうまかったなぁ。笑の裏側のシビア描写とかね。
でもなぁ・・・でもなぁ、最も大事な心情描写を怠ってませんかね?ジェットコースター展開だからでしょうかね?出来事に人物が振り回されているからなのか?心情の上に成り立つ行動に見えないのです。一番キーになる父親の気持ちが少しも伝わってこないのです。最も大事な彼の心情が!もちろん、その展開は驚愕ではありますが、「なぜ!?」が無いから薄いのです。すごく。だからかなりの不満なんです。
(以下不満の根本を書きますが、ネタバレ中のネタバレですので、これからご覧になる方は絶対に読まない方がいいです。)
父親が殺人の手引きをし、結局再度手を出すというところの根拠が見えないのです。快楽殺人に目覚めたってことだと推測しますが、そこを描かなかったのはなぜなのか?わからないのです。なぜ彼は再びSNSにアクセスしたのか?少なくとも狂気に目覚める、快楽に目覚める描写は必要だったのでは無いでしょうか?そうでなかったら、厄介な過去を捨て、そこそこの懸賞金を入手し、愛する娘との生活を大事にするはず。そーいう父親として描かれてきたと考えます。でもなぜアクセスしたのか?わからん・・・
さらに、父娘の関係描写が薄いんだよなぁ。ラスト、父の関与を知った娘のとる行動がわからん。それを選択する娘かなぁ?って。自ら通報し、父親への親愛も示す描写はただ「感動シーン作りたいだけ」に見えるんです。うっすいよなぁ。
さらにさらに家族が描かれていないところも違和感。母の介護に忙殺され心を削っていく父親と娘の描写が全く無いのが不自然なのです。母のおかしな死を娘はおかしいと思わなかったのだろうか?死にたいと願う妻を介護し心が張り裂けていく父を娘はどう見ていたのか?いや、母を娘はどう思っていたのか?てかさ、娘は看護していなかったの?わからん・・・。母がいなくなってから父娘の関係性はどうなったのだろうか?全く見えない・・・・わからん。
父親のスマホの顛末もなんか違和感です。見られたら困る内容やりとりしてるのにパスワードロックしてないって・・・ありえるかな?スマホ見つからなかったら、やばい情報あるんだから回線停止しないかな?・・・何よりも、なぜすぐに父親にスマホ渡さないの?なんでずっと娘が保管してるの?おかしくない?わかりやすく事実発覚させるための手段にしか見えないなぁ・・・なんか安易。
兎にも角にも、父と娘の心情、娘の心情が全く見えてこなくって・・・唯一見えるのは父親のことを娘は大好きってことだけ・・・ただただ、ジェットコースターヒューマンドラマにしか見えなかったってことです。悲しい結末だなぁ〜って思うけど、心が動かない作品でした。人物の心情が伝わらない故。商業映画だから後味を悪くさせなかったのかな?狂気を見せなかったのかな?
「エグい風」映画でした。残念。期待していたのになぁ〜。
失踪した父をさがすといういい題材
意外性!
意外性全フリ
「さがす」の意味
予告編の印象とかなり異なる映画って意外と多い。本作もそう。連続殺人犯を見かけ懸賞金がほしいと言い残して疾走した父親を探す中学生の娘。父親は見つからないが、連続殺人犯には簡単にたどり着いてしまう。あれ、こんな話なの?と思っているうちに視点が変わってしかも3ヶ月前の話に…。
視点が変わって過去から物語ることで真相を描き出すという手法は嫌いじゃない。伏線回収もキッチリ押さえてきた感じだ。ここらへんはなかなか面白いサスペンスだと思う。清水尋也、伊東蒼、森田望智らがとてもいい演技をしていた。彼ら3人の演技だけで結構満足できる。特に伊東蒼は今後も大注目の女優だろう。
ただ、最後はちょっとわかりづらいのと警察の捜査が甘いと思えてしまうのが残念なところだ。山内が亡くなった後も、父親が死にたい人間の死を手伝おうとした理由がハッキリしない。人助けと思っていたのか?人を殺すことに快感を覚えてしまったのか? そして娘が父親を通報しようと思ったキッカケは何だろうか。父親がシリアルキラーとして暴走しないようにしたのか、母親を殺した人間を捕まえようとしたのか。「さがす」というタイトルは娘が疾走した父親を「探す」のではなく、母親を殺した人間を「捜す」ということだったのかもしれない。そこらへんがわかりづらいと思うのは観る側の力量の問題なんだろうか。
面白いけど!
ワンカット目からこれはもう面白いやつだなと思った。実際ストーリーも雰囲気も演技もめちゃくちゃよかった。ただ、演出がくどいというか安っぽくない?というところが割とあった。山内がロウソクから血を想起して指ピクッ、とか死体で自慰!とか死は救済や!とか言っちゃうところとか、キャラづけ描写として余りに陳腐すぎないかと…いやむしろ陳腐すぎてもはやわざとなのか?とも思った。死は救済って言ってる自分に、サイコアピしてる自分に酔ってる人を描いてるのかな?と。映画に憧れた痛い子を映画で描いてる、みたいな?もしそうならそこはスルーできる。でも、にしても椋鳥の話し方が観客をイラつかせようとしてる感すごいとことか、楓がビニールの紐をハサミで切るとことか、ピンポン玉コツンコツーンとか…なんか全体的な演出のしつこさあったし多分山内のサイコ描写もただの安っぽいキャラ付けなんかなー。でも観る価値は大いにあると思います!!
心が激しく消耗する映画
フォロワーさんのレビューに魅了され急遽観に行くことにした映画。まったくノーマークだった映画なため前情報一切無しで挑んだけどそれが良かった〜非常に惹き込まれました😊
⚠️ジャンル:胸くそBAD⚠️
どんな風に解釈したとしても胸くその悪さは否めないため、そーゆーのが苦手な人にはオススメしません❗️
人生を生きるうえで何度も直面する「選択」の場面。そこで何を選ぶかでその後の人生が大きく変化していく。一度の選択ミスは修正できる可能性は高いけど、間違った選択を重ねてしまうと軌道修正が大変だったり、最悪の場合は後戻り出来なかったり。
また、自分とは関係ないところで自分の選択に及ぼす外的要因が大き過ぎる場合もあったり。
お父さんはいつまでもお母さんの死に囚われていたけど、お母さんを死に追いやった決定打はお父さんのキスを拒む行為だったと思う。あの時お父さんが応じていたら、お母さんをオンナとして見ていると態度で示せていたら、お母さんの絶望に少しの光が差せたのではないかと勝手に思ってしまう。でもそうならなかったから、結果としてのお母さんの決断、お父さんのトラウマ、そして全ての始まり、と些細な選択が大ごとになっていってしまう……
この拒絶の行為に関してはお父さんが悪いわけではないし、みんなの気持ちを考えるととにかく苦しい。
娘の胸チラ場面もそう。あそこに遭遇さえしてなきゃ振り切れなかっただろうに……
こんな話が自分の人生の中で起きるとは到底思えないけど、選択と行動の積み重ねが人生を作り上げるんだと思うと、一瞬たりとも気は抜けないと少しばかり怖くなってくる😱そして、とにかくこの映画は心が激しく消耗する_| ̄|○
余談
内田くんと野坂さんの朝ドラコンビがまさかそーゆー形で共演!?とビックリしてしまった😲
みつける
いや、絶対面白い。
「本当に死にたい人はいなかった。」
連続殺人犯を見たと言ったその次の日に失踪した父を探しに、職場に行ったところ青年が父の名前で働いており、娘の父親大捜索が始まる話。
まずサスペンススリラーとしてとても優秀で、冒頭のカナヅチ(?)を振る父親のシーン、父親の服を着た足が倒れているシーン、白い靴下が全部繋がるところ気持ちよかった。それだけじゃなく、その先にもちゃんと結末があるのも良かった。
そして実際にあった事件をモデルにしてるのも◎。この映画を見るまで座間事件のことは完全に忘れてたけど、SNSを使って自殺志願者を集めていた犯人が「死にたい人なんて1人もいなかった」と言っていたのはめちゃくちゃ鮮明に覚えている。
死にたいとSNSに書いていても、マイナスの気持ちを外に出していることである程度自分の気持ちを浄化する儀式になってる人も多いはず。SNSの投稿だけを見て自殺志願者の自殺を手助けすることが良い事だと信じきってしまった父が、何ともSNSネイティブ世代じゃないおじさん感。SNSはその人が外に出したいものを出してるだけで、全てではないのに。
あと、性的欲求の気持ち悪さも表現されてて良かった。犯人は恐らく"白い靴下を履いた死体の足フェチ"でそれに性的興奮を覚えるタイプの人間。それ自体は全く理解できないけど、私にはエロDVDを大量にコレクションしてる田舎のジジイも付き合ってるならおっぱい見せてと言ってくる少年も同等に気持ち悪かった。
でも、田舎のジジイは誰も傷つけてはいない。それはちゃんとポルノをポルノとして消費しているからで、その欲求を現実世界に持ち込んじゃいけないのに持ち込んでるのが犯人と娘に片思いをする少年。
そう思うと、自殺欲求をSNSに書くという行為は、田舎のジジイみたいに欲求をその中で解消させてるようなもので、SNSでの自殺欲求を現実世界に持ち込ませようとするのは、ポルノの境界が分かっていない性犯罪者と同じようなことじゃないかと思った。
なんでこんなに混んでるの?
私も期待して観に行きました、が、こんな展開とは。
あえて見どころとしてあげるなら教室でお付き合い申し込んでクラスメイトが湧くシーンや伊東蒼(あおい)さんと佐藤二朗さんの長く続くラリーとその間に交わす会話、だけ。伏線回収でさえない回想。
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