劇場公開日 2022年1月21日

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「俊英・片山慎三の商業映画デビューを観逃すな。緻密な脚本と練り上げられた映像の圧倒的な完成度!」さがす じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5俊英・片山慎三の商業映画デビューを観逃すな。緻密な脚本と練り上げられた映像の圧倒的な完成度!

2022年2月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

映画を観終わったら、場内で拍手が起こったのでまず驚いた。
おお、こんなこと昔『ブラス!』で体験して以来じゃないか?
そしたら、終演後、ふつうに監督のトークショーが始まって、さらに仰天した。
なんだ、だからみんな拍手してたのか!! いや、十分拍手に値する映画ではあったけど。
てか、入口の掲示とかアナウンスでも言ってただろうに、よく俺気づかなかったな……(笑)
ふりでふらっと観に入った客とか、あの回で、もしかして俺だけだったりして。

映画自体は大満足でした!
これを褒めなきゃ何を褒めるんだって感じで、大絶賛したいところなのだが、内容をネタバレして観るとおよそ興覚めなタイプの映画なので、どう人に紹介していいのか、結構悩む。

ノリとしては、やはりかつて助監督としてついていた、師匠格のポン・ジュノに近いと思う。
ポン・ジュノの特徴として、「ジャンルオーバー」「先読みさせないことに全力」「社会派だがエンタメ」「心の闇の描写と家族の人情モノの組み合わせ」の四つが常に核にあると思うのだが、片山監督もこの四つの要素を完璧に兼ね備えている。
トークショーでは、霊感源として、ご本人は『セブン』、『羊たちの沈黙』、韓国の犯罪映画など、進行の宣伝マンからはタランティーノや『アモーレス・ぺロス』あたりの名が挙がっていたが、要するに、タランティーノ以降発展してきた「今のサスペンス」の最先端をしっかりとらえているといえるだろう。
多視点の語り直しと時系列の組み換えをギミックとしてもつ緻密な脚本。
1カットごとに考え抜かれた、スタイリッシュで撮影意図が伝わる映像。
細部まで練り込まれた小ネタ、挿入される笑い、時事性、変態性欲、ホラーテイスト。

冒頭、どこかの農村めいた風景。
手前の倉庫で画面端が切り取られた奥の空き地で、
佐藤二朗がトンカチの素振りをしている。スローモーションで。
流れるリストの「愛の夢第3番」。
鮮烈なイメージだ。どこか病んだ、サンチンの型でも見ているような。
これだけで、「ああ、ふらっと観に来て正解だった」と確信が持てる。
続く、少女の疾走。カットを割る、割る、割る。
カーブ・ミラーの巧みな使用から、防犯ビデオのモニターへ。
少女の影が、画面内の小画面のなかを、飛び移ってゆく。
「数秒」のシークエンスを、徹底的に面白く見せようとする強固な意志。
少女のあせる気持ちをきちんと描くとともに、この映画が「個人の激情を外からいったん眺め、分割し、再構築する志向の映画だ」という意志表明にもなっている。
監督が「絵コンテ」の人だと、ひしひし伝わってくる。
こいつは、本物だ。

出だしは、食べ方の汚いうらぶれたオヤジと、口は悪いが利発で愛情ぶかい娘の、大阪・西成での下町暮らしから始まる(ちょっと陰気なじゃりン子チエみたい)。
ある日、指名手配犯を町で見かけたと言い出す父親。そして翌朝、父親は失踪する。
警察は受け合わない。父親がいると聞いた日雇いの現場には別人がいる。その別人は父親の名を名乗り、顔は指名手配犯そっくりだ。
ビラを配っても、貼っても、杳として父親の行方は知れない。
そのうち、担任が施設のシスターを連れてくる。そこに「探さないでください」とのメールが父名義で届いて……。

こうやって序盤で与えられる情報から容易に組み立てられる推測どおりに、しかしながら(当然ながら?)話は進まない。
そして、どう進むかを言った時点でもう台無しなので、ここではあえて触れない。
時系列と視点の切り替えが起きるたびに、話は複層性を増し、表面上語られていたはずの物語は別の一面を見せ始める。それぞれの物語には、それぞれの始まりがあり、それぞれの動機がある。彼らは何を「さがして」いるのか。ほぼ隙なく組み立てられた欲望と情念の織り成す箱根細工は、あたかも一個の芸術品のようだ。

一言言っておくと本作は、2020年の僕のベストである『ミセス・ノイズィ』の「裏」バージョンともいえる構造をとっている。
要するに、『ミセス・ノイズィ』は、有名な時事ネタをベースに作ったというのを表のギミックとしてあらわにしたうえで、そこから予期される以上の展開を用意することで客の度肝を抜いたわけだが、『さがす』はその「逆」で、後半に「有名な時事ネタ」が複数個、隠されているのだ。
表面上オーソドックスな失踪人探しの物語をやるかにみせて、実はきわめて人口に膾炙した「あの事件」と「あの事件」をモロに素材にとっていることが、「観ているうちにわかる」仕掛けになっている。ああ、それの話をやりたかったのか、と。
ちなみにネタバレに直結しないので一つだけ触れておくと、西成地区に指名手配犯が紛れ込んで生活しているというのは、監督の実体験(父親が電車で見かけたと言ってきた)がベースになっているらしいが、実際にリンゼイさん殺害事件の容疑者だった逃走犯、市橋達也が一時期西成で暮らしていたことも元ネタのひとつかと思われる(当時、1000万円の報奨金がかけられていた)。西成地区の活気と猥雑さ、無国籍な怪しい魅力は、映画の重要な背景となっているが、日雇い仕事とドヤが存在し、なりすましが現実に横行する西成でしか撮れない話だという部分も大きいだろう。

片山監督が時事的な問題を扱うさい、あくまで「極限下での人間の姿」を描くための素材として用いて、下世話な解釈や思想的な押し付けに走らないのは立派な姿勢だと思う。さらには、社会派的な視点に立ちながらも、メッセージ性に優先して、何より「面白い映画であること」「技巧的に手の込んだ映画であること」にこだわりをもって、エンターテインメントとして成立させることに注力しているのが素晴らしい。あと、一定の観客がドン引きして離れるのを承知のうえで、タランティーノやニコラス・ウィンディング・レフン同様、ある種のバッド・テイストを仕掛けてくるような(あるいは「仕掛けずにはおられないような」)、にじみ出る彼の「含羞」だったり「矜持」だったりも、じつに僕好みだ。
ある程度、登場人物が「この時点で本当はどういう意図をもって動いていたのか」を、観客の推理と想像にゆだねる作りになっているので、終盤の展開に若干とまどう人もいるかもしれないが、僕が観て感じた範囲では、それぞれの登場人物の行動原理はいちいち腑に落ちたし、とくに某人物が、後悔と贖罪の念を妄執にまで膨らませ、「愛」の形としての●●に目覚めてしまう流れは、個人的にはすっと得心がいった。
驚くほど巧妙に組み立てられた作品だ。

ポン・ジュノ譲りの「意地でも客に先読みさせないぞという情熱」は、ストーリー展開のみならず、キャラクター造形においても一貫されている。
本作で、出てきたときの「お定まり」「お仕着せ」のキャラクターイメージを、最後まで維持する登場人物はまずいないといっていい。
それは、もちろん父親も、娘も、指名手配犯もそうだし、脇を固める人達にも通底する原則だ。
オレンジをおごってくれる朴訥な老農家の一大コレクション(いそう! こういう人ww)。
死にたがりのムクドリが「多目的トイレ」で見せる聖女のような慈愛。突然せまってくる奥さんの生々しさ。実は、どちらのシーンも二朗さんには撮影内容の一部が伏せられていて、あそこで見せる彼の演技は、完全に(原田智として彼がその場で対応してみせた)「生の反応」らしい。

佐藤二朗の父親役は、あて書きだけあって、旧来のパブリックイメージをうまくいかした(あるいはうまく裏をついた)狙いどおりのハマり役。ちょっと遅れていたり発達っぽかったりする感じと、人柄の実直さ・愚直さと、得体の知れない薄気味悪さがない交ぜになった独特の人物像を構築している。てか、この人、堤幸彦と福田雄一のせいで歪んだコミックリリーフ的イメージを押し付けられてるけど、本来は演劇畑の演技を志向するタイプで、こういうクセのある話にはドンピシャで嵌るんだよね。それはそうとして、どうでもいいけど、路上で飯を食うシーンの横顔があまりに大きすぎてびっくりした(笑)。昭和の歌舞伎役者並の頭部膨満感……。

伊東蒼は、あまりに達者すぎて、ちょっと末恐ろしいくらい。『空白』に引き続き、きわめて七面倒くさそうな父親をあてがわれる中学生役をふたたび好演。そういや、二朗さんとはNHKの『引きこもり先生』でも絡みがあったっけ。マジ、天才だろ、この子。とくにラストのあの演技はなかなかできない(ラリーが続くこと自体にも単純に感心したけどw 何テイクかけてる??)。まあ、遠からず他の「天才あおいチャンズ(宮崎あおい、蒼井優、悠木碧)」に肩を並べる存在になるのはまず間違いない。

指名手配犯の清水尋也は、最近の若者によく感じるどこかフラットな印象と、当たりの柔らかさ、そのいっぽうで無表情でたたずむ姿に漂う狂気をうまく演じていた。意外に声がいいよね。そういや、このキャラクターが作中で「名無し」って呼ばれてるのって、もしかして『セブン』の「ジョン・ドゥ」へのオマージュなんじゃない? と思ったら、すでにパンフで評論家が指摘していた。
ちなみに、監督はトークショーで、この主演の三人を一緒に同じフレームには入れないってのを作品のルールとして決めて撮ったみたいなことをおっしゃっていました。本人は「難しいことにチャレンジしたくなるんですよ」とさらっと回答してたけど、この作品はそれぞれのキャラにとっての物語が「きれいには重ならない」「それぞれのコンビでキャラの設定がぶれてゆく」こと自体が重要なテーマとなっているわけで、監督のこだわりが作品の根幹と直結しているのは言うまでもない。

三人の佇まいには、どこか韓国のクライム・ムーヴィーの1ショットだと言われてもおかしくないような雰囲気があり、この監督さんの創作作法のベースはやっぱりその辺にあるんじゃないかな、とも思ったり。タイトルロゴと宣伝ビジュアルには、あの韓国が誇るPROPAGANDAが参画してるしね。

品川徹と康すおんは、相変わらずの持っていきっぷり。とくに前者は天本英世の再臨かと思わせる怪演ぶりで爆笑した。あとラストクレジットで内田春菊の名前を観たけど、なんの役かわからなくって観た後に検索したら、例の施設からきた尼さんの役だったことを知って驚愕。あの人、なんか知らないうちにロマンスグレーの美老女になってんのな(笑)。

なんにせよ、エンターテインメントとしては、一級品。
おそらく好き嫌いは分かれる作品だろうとは思うが、いわゆる「邦画」の辛気臭さや独りよがりなシリアスさとは無縁の作品なので、ふだん邦画に行かない人にもぜひ足を運んでほしい。

じゃい