パラレル・マザーズのレビュー・感想・評価
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人生いろいろ、お母さんもいろいろ
印象的な2つの題材から成る映画。ひとつはもちろん主人公ジャニスとアナとその子供をめぐる話、そしてもうひとつは1930年代のスペイン内戦犠牲者の遺骨発掘の話だ。スペイン内戦と子供の取り違えの話とを組み合わせた狙いが少し見えづらい気もしたが、内戦当時から現代、祖母からジャニスに至る3代の女性たちの生き方にまで触れるにあたっては、避けて通れない背景ということなのかも知れない。
スペイン内戦というとピカソのゲルニカを連想する。内戦の状況を具体的には知らなかった私だが、今回少し調べてみてイメージを伝える絵の力を改めて感じたりした。
産院などで子供が取り違えられる話は、ドキュメンタリーやフィクションでいくつかあるが、大抵は当事者の親と、実は血の繋がりのなかった子供の間の葛藤や愛情に焦点が当てられる。本作では、どちらかというとジャニスと周囲の大人たちとの関係が流転する様が中心に描かれる。
その変容の仕方が、日本人の私の感覚からするとかなり寛容というか斬新な部分が多く、へえそうなるんだ、という感じで見ていた。
ジャニスはアルトゥロに実子かどうかを疑われて検査をし、その後密かに取り違えを疑っていたアナの娘が病死したことを知りしばらくは真実を言えなかった。実の子(と思われる)は亡くなり、その上手元の娘までいなくなるという二重の辛さには耐えられそうになかったのだろう。
ここまでは心情が分かりやすかったが、真実を伝えてすぐ(その場で!)アナが子供を連れ帰ってしまうところや(法律上はジャニスの子なのに)、そのアナといつの間にかさっくり和解して一緒に発掘現場に行ったりするところは、何というかジャニス大人だなあ……と思ったりした。産院に直訴するような場面もない。まあ、その辺は本作のテーマを語る上でポイントではないから割愛したということなのだろう。
かつて不倫の末に出来た子を堕ろせと言ってきたアルトゥロとよりを戻してまた子供を作るのも、なかなか腹が据わっている。個人的にはずいぶん勝手な男だという印象を抱いてしまったので……
一方、ジャニスとアナが肉体関係を持つことが当然あり得る一場面としてさらっと描かれていたことに、とてもフェアな印象を受けた。
全ての母親たちの強さも弱さもそのまま受容する、静かな母親讃歌のような作品。いつまでも美しいペネロペ・クルス、ちょっと水原希子風で中性的な美しさのあるミレナ・スミットの2人がとてもスクリーン映えしていてよかった。
自分の感情を殺さずに連帯するスキル。
スペインには情熱の国というわりとステレオタイプなイメージがあって、さりとてアルモドバルやビガス・ルナのスペイン映画を観る限りどれも情熱がほとばしっているので、あながち間違ってもいないのでは、と思ってきた。この映画でも、主人公たちが何かを決断する基準は、やはりロジックよりエモーションで、だからこそおかしな状況に陥ったり、ぶつかり合ったりするのだが、この映画のジャニスやアナには、お互いが感情的な生き物だと認めた上で、ちゃんと話し合って解決を見出す理性が備わっていることが、この映画の美点だと思う。物語の背景にスペイン内戦の悲劇があるからこそ、連帯するスキルの大切さを描いているのだと受け止めた。
母と娘の血筋。民族の“血の記憶”。血を象徴する赤の強調が鮮烈
ともに意図しない妊娠だがシングルマザーとして出産することを決意した写真家のジャニス(ペネロペ・クルス)と17歳のアナ(ミレナ・スミット)。2人は産院で出会い、同じ日に女の子を出産する。
パラレル(スペイン語ではparalelas)は「並行の、同時進行の、相似の」といった意味。出産時のシーンでは、2人がそれぞれ分娩台で産科医らに囲まれ痛みに耐えながら無事に産んで赤子を抱くところまで、ショットが交互に切り替わりながら同時進行で提示される。同じ産院で同時刻に生まれた同性の赤ちゃん2人、という状況でたいていの観客が予想する展開が、まさにその後のストーリーの肝になる。とはいえ、脚本も兼ねた名匠ペドロ・アルモドバル監督は、サスペンスの味付けも添えつつ、母2人の葛藤、連帯、愛憎、喪失といった複雑な感情と関係性を魅力たっぷりに描いていく。
さらに、アルモドバル監督が長年温めてきたテーマだとする、1930年代後半のスペイン内戦時の“共同墓地”をめぐるサイドストーリーが絡んでいく。主義主張の違いだけで罪なき市民が大勢処刑され、まとめて埋められたが、近年その孫やひ孫が墓を開いて遺骨の身元調査などを行うよう働きかける運動を続けているという。こちらは市民同士が憎み合い血を流した痛ましい記憶であり、また血を受け継いだ子孫らが先祖に敬意を表する行いでもある。母と子をつなぐ血、かつて流された血が、衣装やインテリアなどで多用された鮮烈な赤によって強調されている。
この監督ならではの強靭な語り口を堪能した
非常に面白いものを観た。『オール・アバウト・マイ・マザー』から23年。我々はアルモドバルにしか描くことのできない愛の形をどれだけ目にしてきたことか。この映画に関して言えば、写真家と被写体が冒頭5分で内戦の記憶について話をし始め、かと思えば続く数分のうちにセックス、妊娠、出産と豪速球で進む。つまり10分で本作に必要な条件の全てを俎板の上に揃えてみせる。まさにアルモドバルならではの強靭な語り口だ。それらを彩るパステルカラーの壁紙、室内の草花、主人公が着こなす真っ赤な衣服。これらを観ているだけで視覚的な生命力がみなぎってくるかのよう。さらに展開部で明かされる子供の取り違いと、歳の離れた二人の”マザーズ”の間で育まれる絆は決してありきたりの方向には進まず、いつしか内戦の記憶というある種のDNAを絡め、回収するところこそ本作の真骨頂。過去が現在を照らし、現在もまた過去を照らし出す構造がそこにはある。
自分の国の歴史を知るべき
名前も刻まれない共同墓地。集団墓地は人々を〝存在しなかった〟ことにする。ジャニスは冒頭で祖先の写真を見ながら名前を読み上げる。親族に敬意を払い、彼らに名前を返還することで人間性やアイデンティティを取り戻すことを誓っているようだった。
迫害された人々に対して人権侵害の不当性を宣言したのが歴史記憶法であり、遺骨鑑定は名誉を回復する権利の承認。
一方、同じDNA鑑定でも親子鑑定は情愛を切り裂く残酷な承認。しかしジャニスは自分の在り方を妥協しなかった。
父親のわからないレイプ被害者のアナ、その不当性を無かったことにしたり、セシリアの本当の母親を〝存在しなかった〟ことにするわけにはいかない。
ジャニスは共和党の祖先をもち、アナの母親はファシズム勢力の祖先をもつことが示唆されている。二人が遺骨発掘に同席する姿に、監督の国民の和解の希望を見た。
アドモドバルの十八番「母なるもの」を通して伝わるメッセージ。声なき歴史などない!女は口を閉ざさない!
ペネロペクルスを楽しむための映画
ネロペクルス扮するカメラマンジャニスは曽祖父の埋葬地の掘り返しを望んでいた。
何やら謎めいた展開だね。ただ中身は産院で同室だった妊婦との赤子の取り違えだったよ。でも実の母を取り込むとはね。度胸あるな。ペネロペクルス主演作だから期待してたんだけど、まあペネロペクルスを楽しむための映画かな。
そして母になる‼️
是枝裕和監督の「そして父になる」と同じ題材を描いた作品で、子供を取り違えられたシングルマザー二人のドラマ‼️ペネロペ・クルス扮するジャニスはシングルマザーとして出産を決意、病院で同室となったアナとともに無事女の子を出産。しかしDNA検査で自分が一緒に暮らしている赤子がアナの子であることが判明。アナに連絡を取ると、自分の娘は突然死していたことを知る。ショックと悲しみのあまり、アナに真実を伝えられず、苦悩するジャニスだったが・・・‼️この作品の背景には、スペイン内戦の被害者で無造作に埋葬された自分の血縁者を、キチンとした墓地に埋葬し直したいというジャニスの思いがあります‼️こういう活動はスペインだけでなく世界中で広がりつつあるそうです‼️この作品のテーマとしては、この "血縁"‼️ジャニスがアナにきちんと事情を説明し、子供を渡す描写‼️血縁を重んじる、ジャニスならではの決断で、胸に迫るものがあります‼️そしてアナの子供がレイプの末に生まれ、父親が正確にわからないという設定‼️この設定にも血縁というテーマが重くのしかかります‼️子供の取り違えに始まった物語は、ジャニスの血縁に対する思いを交錯させながら、個人的にも社会的にも奥深ーいテーマを提供してくれています‼️ラスト、再度妊娠し、アナを始めとする友人たちに祝福されるジャニス‼️微笑ましいラストで安心しました‼️しかし、さすがはアルモドバル監督‼️今回の二人のヒロイン、ジャニスとアナもまた、監督特有の "神経衰弱ぎりぎりの女たち" でした‼️
DNA検査
シングルマザーになることを選んだジャニスとアナ。ジャニスの別れた彼から、どちらにも似ていないと言われてDNA検査をしたら親子ではなかった。同室で仲良くなったアナの子と取り違えがあったのでは?と疑うが、連絡を断つ。なぜここできちんと話し合わなかったのか!一年後に再開するとアナの娘は死んでいた。一緒に住むことになった2人は同性愛の関係に。このまま2人で住んで2人のママでいいんじゃない?なんて観ていると、アナは内緒にしていたことに腹をたてて出て行ってしまう。
ジャニスは家族の遺骨の問題も抱えていて、先祖の遺骨の発掘をするために親族にDNA検査をしていた。
同じDNA検査を違う角度でみせていくところが面白い。
月日が過ぎて、アナとも仲直りして家族ぐるみのお付き合いをしているらしく、元彼とも復縁して2人目を妊娠したジャニス。円満で何よりだが、映画のラストは戦争時に虐殺された親族の多くの遺骨のアップで終わる。重いテーマもある、なかなか複雑な映画。
さすらいの太陽
日本の隠れた名作アニメ「さすらいの太陽」(1971)。新生児を取り違えられ、一方は裕福な家庭に育ち、他方では貧しいながらもギターと歌で明るく育つというストーリーでしたが、このアルモドバル作品ではそれをプロットに生かしているだけで、重要なテーマであるスペイン内戦による被害者を発掘し遺族とともに改めて埋葬するというもの。さらに、母、祖母、曾祖母と血の繋がりの人類学をベースにした壮大な物語さえも感じ取れるのだ。
DNAによる親子関係の調査という現代科学の精度にも注目したいし、生みの親・育ての親といった普遍的親子関係にアルモドバル特有の同性愛も取り入れ、レイプ被害の問題をもさらりと匂わせる。なんと贅沢な内容。
「歴史記憶法」「時間の感覚が無くなる」というアルトゥロの言葉にハッとさせられたのですが、祖先・家族の歴史というものには時間などない。そしてスペイン内戦のように、同族で殺し合うことの無慈悲さによって反戦メッセージも訴えてくる。
分断という言葉も流行した日本ですが、同時代の主義主張や世相とともに歴史も学ばないととんでもないことになりそうな予感。ともかく基本は母と子の愛!すべて繋がっていることを教えてくれた。
音楽も素晴らしかった。27歳の若さで亡くなったジャニス・ジョプリンの「Summertime」も聴けるのですが、なぜか「マザー」と歌ってたような気がした・・・
新生児取り違え≠スペイン内戦
ペドロ・アルモドヴァル監督が『オール・アバウト・マイ・マザー』『ボルベール 帰郷』に続いてペネロペ・クルスを三度迎えて“母”を描く。
自身を投影させた『ペイン・アンド・グローリー』を経て馴染みのフィールドに戻ってきた。
題材としては“新生児取り違え”。
決して目新しい題材ではないが、このスペインの鬼才が手掛けるとどうなるか…?
定番の血か過ごした時間かとか感動とか病院や社会への訴えなどに非ず。
40歳で妊娠したジャニスと17歳で妊娠したアナ。
同じ病室となり、交流を育み、ほぼ同時に出産。
ジャニスは相手の男性(妻子持ち)から似てないと言われ、DNA検査をした所、親子関係ナシ。
アナと再会。アナの子(つまりジャニスの子の可能性)は僅か1歳で亡くなったという。
死んだのは自分の子かもしれない。今自分が育てているのはアナの子かもしれない。
しかしジャニスはその事を打ち明けず。
子を失った母親と、本当かもしれない我が子の死を知らされながらも全てを伏せる母親。どっちが苦しく悲しいか。
この二人以外にもう一人、母親がいる。アナの母親。
女優業を優先し、育児には非協力。
そんな時ジャニスと再会し、交流再開する。
ジャニスに想いを寄せるアナ。
母娘関係やLGBT多様性などの要素を織り込み、既存のそれ(新生児取り違え題材映画)とは一味違う作り。
これと平行して描かれるもう一つの題材。
1930年代に起きたスペイン内戦。ファシズムや戦争に反対の人民政府に対し、軍部が蜂起。多くの人々が犠牲になった。
この内戦の犠牲になったジャニスの曾祖父。その遺骨を探し、埋葬したい。
その縁で知り合ったのが相手の男性。人類学者。
相手の男性との出会いや妊娠~出産~取り違えも、全て遺骨探しから始まったと言って過言でもない。
そしてクライマックス、集団墓地から多くの遺骨が掘り起こされる。
各々にとって、亡き家族との再会、自身のルーツ、決して忘れてはならぬ自国の歴史と向き合う…。
主軸は新生児取り違えだが、アルモドヴァルが本当に描きたかったのはこちら=スペイン内戦ではなかろうか。開幕と閉幕もそれで、そこからも感じられる。
おそらく本作の評価が高いのもこれだろう。
作品に重層的な深みを与えているが、歴史を知らぬ者にとっては…。
玄人の方には両方を通じて深く語れるのだろう。
が、おバカ無知な自分には両方の関与性がピンと来なかった。
ペネロペ・クルスの名演は見るものあり。
美しさも演技も円熟増し。
アドモドバルらしい愛の世界
苦悩とか葛藤とかは個人的な体験だ、と誰しも決めつけている。
だが、アルモドバルにかかるとそうじゃない。いつのまにか民族や国家にまで発展していく。
愛一つとってもそう。彼にかかると男女とか超えて、全人類的な愛へと発展していく。
そこが逆に理解しにくいところなのだが、観終わるとその裾野の広さにぐっとくる。
乳児の取り違えと言えば、普通はその取り違えたという事実に重きが置かれる。取り違えられた同士の葛藤が半端じゃないからだ。
だが、本作は取り違えた後の母親同士の不思議な交流が続く。
アドモドバル風に、葛藤が全人類的な愛に昇華していく。
アドモドバル作品に数多く出演している、ペネロペ・クルスが、その独特な愛の世界を熱く演じている。
ある意味、「トーク・トゥー・ハー」にも通じる、危険で、一見常識外れと言われがちな愛の世界を。
夫は、妻子があるにもかかわらず、ペネロペ演じる女性に子供を産ませ、クズと言われてもしょうがない。が、私生活ではクズな彼が、スペイン内戦で無念にも亡くなった人たちを新たに弔うナイスガイの一面を見せるのだ。
何がクズで何がクズじゃないのか。それは実は答えがなかったりする。
アドモドバルの愛の世界はやはり裾野が広い。
2つのテーマはぼやけてしまった
同日に産まれた子どもの取り違えという重いテーマ。
このテーマだけじゃなく先祖の埋葬に関するテーマもあり
どちらがメインとしているのかちょっとぼやけてしまった。
取り違えの子どもを育てるストーリーにしては
ちょっとあっさりしすぎな感じがしました。
中途半端感がラストに感じられてもったいなかった。
テーマ2つは、欲張りすぎじゃないかな。
この映画には、「赤ちゃんの取り違え」「先祖の遺骨の発掘」という
2テーマがあるように感じました。最初は、遺骨の発掘でストーリーが
進んでいくのですが、途中から、主人公の赤ちゃんが取り違えられていた
という衝撃の事実が発覚。そこからは、そちらのテーマがメインに
なっていく感じですね。で、最後はまたまた遺骨の発掘で終わる。
という展開。2テーマとも描ききれていないという印象。
先祖の遺骨の発掘も重いテーマだし、いらなかったんじゃないかな。
赤ん坊の取り違えと、先祖の遺骨の発掘という2つのテーマがあるが、遺...
赤ん坊の取り違えと、先祖の遺骨の発掘という2つのテーマがあるが、遺骨発掘はおまけのような感じなので、赤ん坊の取り違えだけに絞った方がよかったと思う。
本件の場合、単なる取り違えにとどまらず、実の娘は突然死していたことが判明。
真実を明かせば娘を2人失うことになってしまう。
主人公の苦悩が伝わってきた。
この監督にしては
つまらないし、中途半端。生後の赤ちゃんを病院で間違えてから始まるのだけど、途中までは理解できる内容も、焦点が急に代わり、見た目の結果でラストを匂わす、しかも安易な方法で(レズ同士くっつく)。
また途中からはスペイン内戦により殺されて遺体もない人達を掘り起こすために。。
なんとも残念な映画、子供を間違えられた母親同士が恋愛対象になるのも不自然。全て残念な映画
すべてが中途半端。でもグッとくるのは何故?
ペネクル出てるんで出来はどうでもいいんですが
オトコもオカンも病院も彼女もナジャみたいな奴も
どいつもこいつも地に足がついていないというか、
赤ん坊の死因まで軽い。
最後の戦争跡もカラミが薄い。
だけど作りが重苦しさから解放されているので
観やすかったのかなあ。
60点
1
アップリンク京都 20221110
幾何学的人間ドラマ
たまたま同じ日に出産を迎えた2人のシングルマザー、ジャニス(ペネロペ・クルス)とアナ(ミレナ・スミット)。けっして交わるはずのなかった2本の平行線が、2人の赤ちゃんにおきたある悲劇によってクロスする時、スペイン内戦の犠牲となった先祖たちの霊が成仏する、といった幾何学的人間ドラマである。
「ジャニスは、劇中の大部分において2つの大きな意図を持って行動している。内なる葛藤と恐怖を胸に秘めているのさ。アナが彼女の新しい役割として適応する反面、罪悪感を増幅する存在にもなる」監督アルモドバルが語っているジャニスの恐怖と罪悪感については、映画を見れば自然と観客に伝わってくる単純明快なストーリー。が、アルモドバルが映画の最後にさらっと忍ばせた、スペイン内戦の悲劇とジャニスの葛藤とが心理的には直接結びつかないのである。
自らゲイであることをカミングアウトしているのにも関わらず、女性を讃歌する作品が非常に多いアルモドバル。部屋のインテリアや衣装、そして登場するガジェットの色使いも相も変わらずビビットであり、70歳を過ぎても依然創造力は衰えていないようだ。タイトルが示唆している平行線とクロス(十字架)の意味に気づけないと映画の真意にたどり着けないという意味では、人間の内面よりもむしろ外面=行動に重きをおいた作品といえるのかもしれない。
シングルマザーであるジャニスとアナの実父も、2人が小さい頃にすでに生き別れており、女手一つで育てられたという共通点を持っている。薬中の母ちゃんが20代で死んだジャニスと、女優業の妨げになるため実母に放置されて育ったアナ。通常ならば自分の母親と同等に赤ちゃんを扱ってしまうところだが、ジャニスとアナは(映画を見ておわかりのとおり)娘たちに無償の愛を注ぎ続けるのである。思っているだけではなくちゃんと“行動”にうって出たのだ。
もしも2人が、妊娠後途中で中絶したり、仕事優先で育児放棄したり、はたまた怠け者のベビーシッターに赤ちゃんをまかせっきりにしたりすれば、ジャニスとアナの人生は平行線のままでけっして交わることはなかっただろうし、先祖の遺骨も共同墓地に埋められたまま、永久に無縁仏となったことだろう。女の出産育児に対する執念とも言うべき強い思いをちゃんと行動で示したからこそ、2人の運命が引き寄せられようにクロスした。そうだそうにちがいない。
私たちにとっての「パラレル」とはなんだろう
赤い色に染まって
赤い色で命に連帯する。
・
アルモドバルには やられました。
映画館の入り口で、「こりゃあまた、ずいぶんと赤いポスターだなぁ」とは思っていたのですが、
赤いスマホ、
赤いメガネ、
赤いリップグロス に、
赤い抱っこ紐。
ジャニスも、アナのお母さんも赤を着る。
宅内のインテリアのここかしこにもビビッドな赤が散りばめられています。
それらの赤い色が、デジタル撮影された本編に実に鮮やかに(!)繰り返し繰り返し映し出されていて、この映画のテーマカラーが「深紅」であることは冒頭から一目瞭然です。
フォトグラファーペネロペ・クルスの仕事仲間のエレナ。⇒まるでピカソの絵が動き出したような大柄な彼女でしたよね!彼女の装いも例外ではありません。黒のスーツに真っ赤な口紅がとても印象的でしたよ。
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Madres paralelas
この映画の原題について ―
【何がパラレルなのか その1 】
・キャリアウーマンのジャニスの妊娠出産と、
vs 思慮の足りなかった17才のアナの妊娠と出産。
・同時並行で出産したふたり。
・生まれた娘と、片や死んだ娘。
・都会で活躍の気鋭のフォトグラファージャニスと田舎に暮らすその母たち。
・生き残った女たちと内戦で死んだ夫、息子、父たち、肉親たち。
こうしていくつもの《パラレル》の並行線と並行同時進行が、作品のほとんどの時間を費やして、繰り返し繰り返し、幾層にも語られて提示されたあとの
最後に
ついに埋葬地に向かう女衆(おんなしゅう)たちの《合流》と行進は圧巻でした。
《パラレル》が、《交差》するのです。
草原の行進。涙が止まらなかったです。
アルモドバルの色彩美学には終始釘付けになった僕です。
画面の色合いからもストーリーの進捗が表現されていて、色がキーとなります。色味が鑑賞者のハートを捕まえてゆきます。
ジャニスがアナやボーイフレンドから身を隠す時の、赤いスマホをくすんだピンクに機種変するくだり。
赤い画面が一転し、アッシュの銀髪で緑を着るアナの登場。
鮮烈な屋外撮影での 緑の草原への場面転換・・
そして土色のラストと黒いバックに白抜き文字で「歴史の記憶法」が。
エンドロールには再び赤色の登場です。赤いペンの筆致がフイルムに踊っていて、出演者たち、スタッフたちを赤い糸で繫いで結びます。
バラバラのパラレルだった出演者たちが、画面の色彩の変化で一点に集中していく様子が、強烈に印象付けられる手法です。
緑と銀のアナが赤い抱っこ紐を手に取った予想外の行動は、その先に起こる出来事を予告していたのです。
【何がパラレルなのか Ⅱ 】
①父祖の最期の地を探し当て、遺骨を取り戻すというという《宿願》をいつかは果たすという「人生最大の課題」を持ちつつ
②日々それぞれの生活は、女たちは普段通りに送ります。それは生き甲斐にして、ルーティン。そして日常の楽しみ。
仕事、恋、出産、友だち、家事、親戚との付き合い
この《宿願》と《日常》の《並行進行》=パラレルが、ああ、成る程と思えて面白い。
つまり
死ぬまでに成すべきことと
日々の よしなしごと(雑事)の《パラレル》です。
両方が なくてはならない人生のパーツ。
【何がパラレルなのか Ⅲ 】
大事な親友となったジャニスの抱える人生の課題は、17歳のアナにとってもかけがえのない自分の問題になっていく。
すれ違いの Parallel distance の距離を取っていたアナが、ジャニスの田舎へ行きました。
ジャニスが使っていた赤い抱っこ紐をアナは使っている。
そしてジャニスに寄り添って土葬を覗くシーンに、僕は強烈に胸を打たれましたね。アナは遺族ではないのに、ジャニスの父祖の墓へ同行する。
《平行線のパラレル》がその先で重なることの事件です。
アルモドバルの女たちは、こうしてその血と魂で繋がっていきます。
エンドロールの「フイルム編集チェック」に踊らせた赤ペンの妙技。
まったくあれは、赤の他人であった出演者とスタッフを交差させ、結び合わせる赤い糸のようでした。
・
終演後、
高鳴る胸を抑えながら客席からロビーに出ると、二階の映写室から「タタタタタッ」と駆け下りてきてくれる音がして、飛び出してきてくれた長身の合木こずえさんと僕は目を合わせます。今夜の映写係は支配人の合木さんが掛け持ちだったのです。
ほらね、やっぱし合木さんも、ロビーのお母さんも(手編みかな?)真っ赤なカーディガンではないですか!
僕は慌てて身繕いを探しまわり、自分のネックウォーマーを差し出して、声も上ずりながら「僕も連帯の赤色ですから!」とお伝えしました。
ここ塩尻市の東座は、女の映画館です。
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それにしても
「WE SHOULD ALL BE FEMINIST」
というTシャツをペネロペ・クルスに着せるアルモドバル。
男子でありながら、じっくりと素敵な女の姿を撮れる あのセンスはどこから来たのだろうか。
きっとお母さんや 姉貴たち、そしておばちゃんたちと、魅力的な女たちに囲まれて 触れ合って、彼は育ってきたに違いない。
前作「オール・アバウト・マイ・マザー」で、劇中、母親についての小説を残すためにメモを取っていたエステバン。
まさしくあの息子エステバンは、アルモドバル本人だったのだろうね・・
(で、もう一言だけ)
僕の母は、辺野古の海岸で6年間座り込みをしていた人なのだが、彼女が海ばたで楽しそうに編み物をしている様子がインタビューされて
「どうしてあなたはここで編み物を?」
それに答えて
「私の日常は誰にも邪魔されたくないの」と母。
たとえ私たちが大きな相手=歴史とか権力とかと戦わなくてはならない時にも、私たちは日毎の自分の生活を見失わないように、お上に私たちの日常を奪い取られてしまわないように《パラレル》も死守して保っていかなければならないのだと、この映画は告げているようにも思ったのです。
熱い映画でした。大好きです。
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追記
映画を観てから2ヶ月。
レビューがまとまらず半分諦めていた頃、ラジオからパブロ・カザルスの「鳥の歌」が流れました。
フランコ政権に抗議して国連総会の議場で演奏されたあのチェロ曲です。
背中をあと押しされた気がして、やっとレビューを仕上げてみました。
当地長野県には「松代大本営跡」があります。
地下の要塞です。どうぞお越しください。
記憶が埋められたまま、隠されたままの土地が日本各地にも、世界中にもあります。
僕も我が身の生活を携えつつ、それらの土地を訪ねてみたいと思っています。
淡々としている。
とにかくまたしてもファッションは楽しめる。
ヒロインも、彼氏も美男美女。
それにしても、設定はショッキングとはいえ、割と平和って言うか
淡々としていると言うか。
実際そんなもん?
アルモドバル映画的な感情の激しい動きはなく、わりと普通に収まっている。
ペネロペ クルスの演技がいまいち気持ち伝わってこなかったと言うか。
もっとドキドキしそうなところでドキドキ感がない。
広告ミスな気がした。
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