ある男のレビュー・感想・評価
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正体
実際そういう事に悩んでる人はいるのだろう。
なかなかに咀嚼しにくい物語であった。
それが出来たとして、新たな十字架を背負う事になるような気もする。誰に嘘をつけても、自分に嘘をつく事は不可能だ。自分が何者で何をしてきたか、自分だけは全てを知っている。
なんか禅問答みたいな話だった。
調査報告書を読んで妻は言う。
「分かってみたら、なんでこんな事知りたかったのだろうか。」
でも、きっと分からなければソレはずっと引っかかっているもので…自分ではどうする事もできない呪縛の存在を糾弾しながらも、重要視されてる背景を否定しきれないように聞こえる。
仮に「今」が最も重要な結果だとして、過去に囚われる事なく、その結果のみを信じたとしても、その「今」は様々な要因で変わっていく。その「今」が破綻した時に、過去を問わなかった事に後悔はしないのだろうか?
なってみないと分からない。
そうならないように生きていくしかない。
ただ、まぁ、そうやって更生とか自立を阻むものも社会には多い。勿論、人にも。
親の罪とか、先祖代々の因縁とか、ぶっちゃけ自分には関係ないのだけれど、そう思って生きるべきだと思うけれど、そういう人が目の前に現れたら、その事を言ってあげれますか?と問われれば即答できない。
その事がつまらない事だと分かるまで、深く付き合いたいと願うのが関の山だ。
ミステリーだとワクワクしながら行ったのだけど、無茶苦茶社会派な内容だった。
俳優陣は皆さま熱演だった。
江本明さんは流石の貫禄だった。彼が自分の素性をあやふやにした時、背後に禍々しい渦が見えたし、この作品自体の結末が全くわからくなった。
なんて事をしやがるんだ…。
なのだが、その事自体はそれっきり、作品になんら爪痕を残す事もなかった。
なんだろ、他人になりたい訳じゃなく、自分から逃げたいって事なんだろな。
全然、咀嚼しきれてないので、皆さんのレビューでも読んで飲み込めるようになりたいと思う。
ただ、正直に生きようとも思えない。
非情なる真実の刃に無数に貫かれながら、重い荷物を背負って歩く自信はない。
■追記
kossyさんのレビューに「ある男とは誰の事だったのだろう?」って記述があった。
この投げ掛けが、結構衝撃的だった。
「ある男」とは、総称のように思う。
ラストのバーのシーンで、妻夫木氏が素性を偽り話出す。一人称は「私」だ。
彼のプロフィールが彼の口から語られる。
で、彼がどういった人物なのか、何から糸口を見つけて他人は彼のイメージを確立していくのか。
偽りの自分の情報を話した後、最後に話すのが「名前」だった。
名前と出生を聞いて、それまでの時間が瓦解する事はあるものの、彼を理解する上で必要なのは、名前や出生ではないのだ。
名前を告げずに別れたのなら、その人にとって彼は「ある男」としか言いようがなく、それは名前や出生から形成される人物像ではないはずだ。
どんな名前で、どんな出生であったとしても「ある男」っていうフラットな視点が介在するのだと、そんな事を提示したラストに思えた。
と、こんな事をkossyさんのメッセージに直接書き込むのも憚られたので、自分のレビューに書いてみた。
kossyさんのレビューのおかけでちょっとスッキリした。
鏡とDNAとアイデンティティー
米田、武元、谷口、武元・・・3回も苗字が変わるという不幸にも挫けずに健気に生きる明るい悠人。そしてバトンは渡された?悠人視点から観ても面白いかもしれない今作品。城戸弁護士(妻夫木)が在日だったという事実とアイデンティティーの苦悩が中心とはなっていますが、父親不在という不幸にもめげない悠人の表情も良かった。
原作は未読なので知りませんが、そもそも戸籍を交換するなんてのは出来るのか?思えば、横溝正史なんかの推理小説では戦後混乱期に戸籍を変えたり成りすましで混乱させるストーリーが多かった。デジタル化の進んだ現代ではどうなんでしょう。そして、窪田正孝が原、曾根崎、谷口と名を変えてまで過去を消したのなら、武元家に入った方が無難だと思うのですが、と疑問に感じてしまいました。
窪田正孝演ずる原誠がプロボクサーをやっていた過去。偶然なのか必然なのか、里枝役の安藤サクラも『百円の恋』で素晴らしいボクシング演技をしていたが、中学時代からボクシングジムに通っていたらしい。また、安藤サクラの夫・柄本佑と妻夫木聡はボクシング仲間であり、窪田ともボクシングを楽しんでいるようだ。ちなみに仲野太賀もボクシングジムに通っているそうだ。
サブストーリーとして、在日外国人に対するヘイトスピーチだとか、生活保護の問題をいかにも社会派作品として盛り込んでありますが、それほどの効果はなかったように思う。義父(モロ師岡)に在日の嫌味を言われても耐え忍ぶ城戸。そこまでの父親なら、普通なら結婚には猛反対していそうだが、細かな点で不自然さがあった。
しかし、過去を消してしまいたい男と、帰化した在日3世を表明している男はある意味両極。城戸の苦悩というよりも、名前を変えてみることの意義深さに共鳴したラストのバーのシーンが興味深い。
何となく小説は面白そうなのですが、映画にする歳にはもっとミステリー色を濃くしたり、スリリングな展開が欲しいところ。ちょっとパンチが足りないといった感じです。
それにしても「ある男」とは誰のことなのかも気になります。本物の谷口大祐ではなさそうだし、偽物の谷口大祐でもなさそうだし、やっぱり登場しない曾根崎か?
あの絵
考えさせられる映画でした。
また、違和感を残してくれる映画でもありました。
鏡に自分の後頭部がうつる訳ない。
ホントにそうなのかな。
目の前に間違いなくいるのに、他人だと言われる。
恵まれた環境に見えるでしょ、でも辛いんです。
過去は変えられない、生まれてきた事実もまた同じ。
自分の戸籍を捨ててでも、変えたい環境。
死ななかっただけよかった、短くても幸せな日々を過ごせて。
心を抉られる度合いは人それぞれ。
耐えられない時は逃げていいんですよね。
一方で幸せも逃げていきます。
幸せはできるだけ長く離したくないですね。
永遠という言葉はなぜあるんでしょうか。
絵は語る
⚫︎注意⚫︎すごくネタバレですので鑑賞後の方向けです。
………
里枝は子供の死、離婚を経て故郷に戻った。
心の傷はまだ生々しく店番中にもはらりと頬をつたう涙。
気丈にしている隙間からこぼれてしまう苦しみに、たまたま客として訪れた彼は気づいたのだろう。
同じにおいが引き寄せるものを感じさせたのかもしれない。度々立ち寄るようになり友達になってくれませんかと名刺を渡す。
彼の名は「谷口大祐」
停電に遭いブレーカーの様子をみてくれた大祐と距離が近づいたとき、里枝はほのかな気持ちが走るのを自覚した。
そして、その様子を感じた大祐。
彼はすでに里枝に惹かれはじめていた。友達以上に…
付き合いはじめ、飲食店で自分のことを語る里枝。やり場のない思いを吐露するほどに震えてしまうその手をあたたかく包み込む大祐。
車の中で気持ちのままに寄り添うが、窓に映る自分をみて大祐は、自分に似た父を思い出す。根深いトラウマが彼を襲う。その理由を問うことなくおびえる背中を抱きしめる里枝。
二人の空気感は湿り気を帯びた静かな思いやりに満ちていた。「僕がいるから」「私がいるから」と互いの過去をそっとみえない場所にしまってやるように。
二人は新しい家庭を築いた。里枝の長男・悠人も大祐を慕い、娘も生まれた。
穏やかな表情で大祐の出勤を見送る里枝。やさしい笑みを返し出かける大祐。二人は、そして家族は間違いなく安らぎのある幸せを手にしてた。
里枝は目の前の大祐をそのまま愛した。
大祐もそんな里枝を愛した。
思春期に入った悠人も大祐を慕い義理の父との家族愛の中にいた。
そして訪れた大祐の不慮の死。
この死により、大祐がある男〝X〟となり、未来が途切れた男の過去にむかって歩み出す。
里枝は夫の事実を知ろうと、以前世話になった弁護士の城戸に依頼する。調査の過程で城戸は服役中の囚人詐欺師、小見浦と面会する。
(ここで柄本さんの壮絶憑依が炸裂(O_O))
その凄みは圧倒的だった。
社会の裏のさらに奥の暗がりから、知り尽くした俗世をほくそ笑んでいたぶる語り。全てを握りしめたように相手を転がし弄ぶ意味深な目つき。
冷静で穏やかな城戸が完全にペースを盗まれ、落ち着きをなくし、脈を乱されてしまう。
なぜか?
そう…
ある男Xがなぜ大祐として生きていたか という話なのだと思って観ていたら甘かった。
中盤から怒涛の展開がくる。
しかし、あからさまな嵐ではない。
呻めきながらじわじわと手が伸びしのび込んでくるような地下の奥深くに疼く黒い雲のようだ。
小見浦がその暗がりで振り返りながらひっひっひと肩を揺らし、鼻で笑うのが聞こえそうだ。あんたにも覚えがあるやろと。
城戸はある男X をつくりあげた過去の消えない生い立ちと現実社会を夢中で調べながら、オーバーラップする自分の内なる声に気がつく。夢中だったのは共感に近かったからだろう。まるで自分自身の内面に切り込みをいれて剥がしていく作業にみえた。
後から気づく、いくつかの印象的なシーンがある。
城戸が里枝の車で迎えに来てもらい、ハンドルを握る里枝の指に結婚指輪がうつる。
完全に城戸の目線だ。
里枝と大祐に関わりながら
なにか羨ましさのような感覚がみえる。
外食先、妻の不倫を密かに見つけ、知らぬふりをする城戸。既に妻との愛情にすでになんらかの不安定さを肌で感じていたのではないか。妻もだ。
その状況で携帯を置きっぱなしにするのは、確信犯だ。問いただしたりせずに気持ちを置き去りにする夫の姿を確認するだけ。妻がいちかばちかのようにわかりやすく振り向かせたかった為の行動だったのかもと思う。(きっと、咎めて欲しがったんだろうね。)
世間的には、弁護士として不自由なく暮らし妻と子にも恵まれている城戸。
しかし、その肩書きの世界の虚しさと本当の愛情の在り方に自信をもてずに戸惑っていたのだろう。彼のストレスの根底には、脈々と受けてきた国籍の壁の厚みや高さが関係している。
妻の親との何気ない会話に潜むいやらしさや、愚かなヘイトスピーチ、やまない偏った情報、見透かすような小三浦との会話などで溜まり続けていく。
セリフの中で、とうに帰化していることも告白しているが、
「切っても切れないものが世にはある。」ことをさらに強調したのだろう。
また、息子と仲良く遊ぶ優しい父でいたかと思えば、ヒートアップした幼い子の失敗に怒鳴る。妻は息子を擁護しながら、家庭に仕事を持ち込みすぎていると怪訝を示す。
疲労にストレスが重なる状況になれば、理性を失い着火したかのように一転してしまう、人間の弱さ、表裏一体性も顕になった。
あの人が。。。という事件がたまにあるが、きっかけは意外にそこら辺に転がっているかもということがわかる。
(ストレスの影響といえば、大祐が里枝といる車中以外にも、ランニング中に倒れるシーン、茜といる部屋で鏡に映る自分をみて苦しむシーンでコントロールできないくらい体を支配してしまうことを表していた。大祐の場合は殺人を犯した実父とのつながりで、本人の罪ではないのに切り離せずつきまとう悲しい現実だということも。)
そして
大祐の過去を全てを知ったとき。
大祐への愛は愛のままだった里枝。
泣く悠人に正直に話し息子の気持ちを抱きしめてやる里枝。
(そうそう、姿を消していた本物の大祐のことも再会した美涼は許したね。)
僕たちは誰かを好きになるとき
そのひとの
何をみているのだろう
そのひとの
何を愛するのだろう
…あの人と幸せに過ごした事実は事実
本質に向き合った里枝のその気持ちにじんときた。
わずかな歳月、そんな里枝と過ごせた大祐の感情を愛おしくかんじた。
そして、里枝と新しい家族の愛を胸に大祐が安らかに眠ってくれてることを信じたい。
とある美しい夜のバー。
グラスに揺れる氷の透明さ。
はじめて語らう紳士たち。
楽しげな時間がおわり
抽象的な絵画の前で立ち止まる男は城戸。
ある男を眺めるある男
そのある男を眺めるある男・城戸。
その城戸を眺めるスクリーンの前のわたしたちも抽象的で象徴的な絵画の前に立つ。
互いの真実は誰も知らないまま…
(修正済み)
消したい出自
親も、国も、生まれた時には選べない。生まれてくる環境の中で生きていくしかない。それは辛い、過酷な運命かもしれない。自分に対する評価じゃなく、何とかの子だからと、正当な評価じゃない、自分じゃどうしようもない言われようが付いてくる。本当の自分を捨ててでも‥。
ブッキーと窪田正孝、柄本明は役にハマり切っていたと思う。さり気ない表情ひとつにも、その人が現れていて、何か暗いものを隠して悟られないように必死で生きているけど何かあると思わせるような。この3人みているだけでも面白くて、ワクワクしちゃった。
窪田正孝って痩せすぎのイメージあったんだけど、めちゃくちゃ身体作っていてビックリ。ボクサーだったわ!大変だったろうな!
面白かったけど理解するには難しかった
すずめの戸締まりの前に流れた予告が面白そうだったので鑑賞。
面白かったが、予告で期待していたほどではなかった。
本作では差別表現が使われているので人によっては不快感があるかもしれない。
特に、在日やハーフなどで子供の頃に嫌な思いをした人にとってはしんどい表現がある気がする。
PG12にすればよかったのに。
結論から言えば、出生や家系による差別を誇張表現した作品。
今どきの言葉で言えば親ガチャに該当しますね。
親が犯罪者、在日〇世、親が離婚してる、逆に親が地主や老舗の跡取りなど私が小さい時でもこれらの差別意識というのはあったと思います。
自分のせいではないそれらの差別から逃げて新しい人生を歩み出したい人たちの奮闘を覗き見たような作品です。
窪田正孝さんが演じていたキャラが死ぬまでの描写が微妙で、がっつり削るか、もっと詳細にするかどちらかにして欲しかった。
キスシーンからの場面転換で知らん間に小さい女の子が登場して混乱した。
序盤に谷口里枝が石ころを思いっきり蹴って車にぶつけた後逃げるシーンがあるが意図は何だったのだろうか。窪田正孝さんの役が描く絵を子供がそのまま大人になったようと表現したように、谷口里枝もまた子供がそのまま大人になったということなのか。
城戸香織の両親との食事シーンがあったが、香織の父親は過激派の日本人という感じですかね。「生活保護制度がそもそもおかしい。在日は簡単に生活保護を受けれるのに云々。」
日本人からすれば、言わんとしていることは理解は出来ます。ただ、厭味ったらしい日本人のネガキャンなのか在日のネガキャンなのか正直分からなかったです。
城戸章良弁護士の勘が悪すぎる。
「城戸章良はなんで窪田正孝さんの役が戸籍を一回しか変えてないと決めつけてるのか?」
「小見浦憲男は仲介人なら当然本人も変えてるのではないか?」
と私は早々に疑問を抱いてしまった。
柄本明さんは腹立つイカれた老人がはまり役で良かった。
小藪さんは申し訳ないが、つらつらと喋ると新喜劇を思い出してしまって個人的には残念だった、ムロツヨシさんの方がよかったかもしれない。
余談だが、青春時代に見ていたキラキラした俳優さん女優さんもおじさんおばさんになったのだなとしみじみ感じ、自分も年を取ったのだと実感してしまった。
重厚なヒューマンドラマ
「多かれ少なかれ、人は誰しも偽りの人生を生きている」自分に正直な人でも、偽りの仮面をかぶっている人も、相手との関係性の中で何かしらの偽りはあるものだ。本人が意識しなくても、相手の受け取り方で話したことが嘘になることもある。本人が善良か悪人かは関係ない。
なんていう枕はさておき、自分とは何なのかという哲学的な問いを辿るような物語。自分を自分として証明するのに、実は戸籍にある自分の名前は絶対なんてことはなく、そもそも戸籍がない人も(日本では少なくても)世界には沢山いるわけだ。クレジットカード作る時に便宜的に免許証なんかを提示するけど、戸籍制度や住民票の制度がある程度機能しているから成り立つわけで、ホントにそうなの?と疑いはじめたら、かなり面倒くさい世の中になることだろう。
また枕のような話になった。まあいいか。ふたつ枕があるところには、たいてい人生の秘密が隠れていたりするものだ。
さて、そんな視点から観てみれば、かなり挑発的なストーリーだ。一緒に暮らしていた夫の一周忌に、突然夫が戸籍とは別の人間であることが明らかになる。相談された弁護士は彼が誰かを探し、やがてその調査にのめり込んでいく。次第に事実が明らかになるにつれ、Xとされた彼の人生、調査をする弁護士の人生、Xと入れ替わったもうひとりの人物など、何人かの男たちの人生が少しづつ重なって、深みのあるエンディングへと運ばれる。
窪田正孝がX、妻夫木聡が彼の人生を追う弁護士役。劇中2人が対面することはないのだけれど、それぞれが秘めた過去や感情を抱えている役を、見事に演じていた。Xの妻役の安藤サクラが中核として、終始物語を支えていた。ストーリーを運ぶ重要な役割だが、変に目立つ事なく、名司会者のような立ち位置を見事にこなしていた。他にも、榎本明、清野菜名、真木よう子、仲野太賀などなど、骨太のメンバーが物語の骨格を綺麗に形作っていた。
重厚な原作の土台の上に、しっかりとした幹として脚本を立てたように感じた。なかなかに見応えのある作品だった。
間が素敵な映画
旦那さんが亡くなったあとに、しかも親族と会って写真見て「この人誰!?」ってなったら、ショックというか、「エェェッ!!!?」って感じですよね。
奥様はもちろんですけど、自分の家族が亡くなったと思って呼ばれた親族も驚きですよねw
その衝撃のシーンはちょっと笑けたw
幼馴染とか、昔から知ってる相手なら、目の前にいる人が名乗った人そのものだってわかるけど、大人になってから知り合った人だと、目の前の人がホントにその人なのかわからないんだなぁ〜って思うと怖くなった。
謎を解いていくにつれて切ない感情に包まれたのと、ずっとモヤモヤ…。
そのモヤモヤが何だったのかは、最後に分かった。
終わり方が急に『世にも奇妙な物語』かっ!って突っ込みたくなるくらいゾワゾワした。
そのゾワゾワが私の感じたモヤモヤだったんだと思います。
最初から最後まで間が素敵な映画でした。
言葉じゃなく、表情と空気感で演技してて、それがすごく自然な日常に感じられて、私はそこがすごく良かったです。
倍速で見たい作品。
正直ダルい。テンポが遅すぎて度々脱落しそうになる。構成と脚本の問題。窪田正孝が亡くなるところから始まる、くらいの構成じゃないと。
せっかくいい主題なのに、ほんとうにもったいない。今の自分ではない人生を生きたい、「生き直し」たいと思う人は、確かに多いはずだ。格差、差別、貧困。ポンジュノ「パラサイト」、ジョーダンピール「アス」、是枝「万引き家族」らとも通底するテーマ。でもせっかくのテーマを掘り下げきれないまま、冗長なセリフ回しと、意味ありげな(でも大した意味のない)ゆるいカットで、ただただ尺だけが長い印象。
こういう作りしてるから、映画を倍速で映画見る人が増えてるんだろうな。Netflixだったら確実に倍速で見る作品。
誰かも指摘している通り、死刑囚の息子である事の悲しみや苦しみ、在日3世の苦しみ、といった描写がない(弱い)から、観客の想像で心情を読みとくしかない。仲野太賀の苦しみって何なんだ?結局。
一方、役者陣の芝居はしっかり。妻夫木、柄本、安藤サクラ、みな素晴らしい。小籔もいい味つけ。
ラストも腑に落ちない。
その後、妻夫木も戸籍を変え別人として生きている、ということ?妻に浮気されて今の暮らしがイヤになったから?
浮気された夫、と、死刑囚の息子を同列にしちゃっていいのか?
それでいいのか?
妻夫木聡は良い俳優!!
感想として第一に感じたのは、ブッキー良い俳優さんになったなぁーでした。
主人公自身、己がアイデンティティに苦悶しつつストーリーは進んで行く中で、ニュートラルというか自立・自覚しきれない役を好演しています。
逆に窪田正孝氏は、「初恋」が非常に素晴らしく感動したのですが、佐藤健パターン(演技の幅が狭いさま)なのでしょうか…少し心配になりました。
安藤さくらも元人妻の色気むんむんかと思いきや、その後はサッパリ色香で流石でした。
私的には、中学生の息子役の俳優:坂本愛登君が特に素晴らしく今後に期待です!
全体的にフランス 映画っぽいです。何というか、余りストーリーに影響ない日常を描く感じといいますか。
そこの濃淡がまた良いといいますか。
後、清野菜名は最高です。化け物です。カメレオンです。
人間なんて愚かで勝手な生き物で、個人の本質なんて関係ないんだよなと再考させられる作品でした。
(オチ的な最終シーンは中々秀逸。嫁も〇〇、子供、差別主義な義父等々、誰もが最終的にBADエンディング。レッテル貼りは自重せよと自戒しました。)
静かな作品が好きな方は是非観てください。独特な名作です。
差別はなくならない
自分とは一体何か、出自や貼られたレッテルも一生背負って自分として生き続けなければならないのか、本当の自分らしく生きることとは?
これだけ多様性が叫ばれる一方で一向になくならない差別、偏見、不寛容。表に出し辛い空気の中SNSという匿名の世界でえぐいほど叩かれる。全てを捨て生まれ変わって別の人間として生きてみたい…そんなことを考えたことがある人は多いだろうしだからこそみなある男や主人公に共感するのだろう。
この作品には差別や偏見を露わにする嫌なやつとして描かれる人物が何人か出てくる。観客の怒りはわかりやすくそういう人物に向かう。差別や偏見はよくない!なくすべきだ!と。でもそう叫びながらも人は無意識のうちに別の誰かを差別しているかもしれないということを自覚しなければならない。嫌なやつとして描かれる人物たちは自分かもしれないのだ。
この作品は凄惨な事件を起こす犯人の背景として、もはやテンプレ化されているパチンコ・ギャンブル依存症・借金といったものを使っている。人はこの作品を見てやっぱりこういう人はパチンコをやっているんだということをまた刷り込まれる。例えばこういうことは差別にはならないのだろうか。多くの人は言う、だってパチンコだから仕方ないよと。ではその線引きはどこにあり誰が決めるのか?
概ねいい作品だとは思う。けれども差別の問題を扱いながらも一方では別の差別を生み出しているのではないかというモヤモヤがどうしてもひっかかってしまって完全に入り込むことが出来なかった。
知る事が全てではない
ある男
ファーストカットの絵画
奇妙な絵だ。
鏡に顔を向ければ自分の顔が見えるはず
それなのに鏡の中の自分の顔は見えずに
背を向けている
「まるで自分で自分に向き合っていない」気がするし
「自分の顔が見えない」=私は誰なのか?
「ある男」
優しい再婚した夫は
不慮な事故で死亡する。
その後。夫の名前は偽名で「何者」なのかもわからない
離婚の際にお世話になった弁護士に
夫の正体を依頼する。
絶妙なミステリードラマ。
真相に迫ると
過去のトラウマで生まれ変わるしかなかった
心情が心に迫る
個人的な意見で
「本物の谷口大祐」側の物語も見てみたかった。
WOWOWでドラマ化しないかな。4話ぐらいで。
同じキャストで。
そして最後だ。
彼はバーに飾られた絵が目に入る。
ルネ・マグリット「複製禁止」
映画の公式サイトを開くと
まるでこの絵のようなデザインに
なっている
3人の人間の後ろ姿だけが映し出される。
——あっ「複製禁止」
改めてみるとまさにオマージュと感じた。
役者の力が光る人間ドラマ
ワキを固める俳優に至るまで、本当に素晴らしい演技で満ちている。
決して派手なクライマックスがあるワケではなく、最後まで静かに進んでいく人間ドラマ。
その分「ミステリ味」はあまり感じなかった。
重い雰囲気のシーンが続くので、食欲は削がれると思いますが、安藤サクラや息子役の男の子、妻夫木聡も清野菜名も窪田正孝も柄本明もでんでんもきたろうも…。
静かな演技だけに、技術が求められる。
ホントに役者たちの素晴らしさを堪能する作品だった。
結局、曽根崎はどこ?
結婚した相手が偽戸籍だったので誰であるかを調べた結果、やっぱり調べなくても良かった、一緒に暮らした日々さえあればみたいな感想を述べることも、死刑囚の実の孫であることを娘に伝える役を息子に買って出させるのも、被害者ではありますが、無責任な母親だなぁと思いました。
調べる前から、偽戸籍である事情がポジティブであるわけがないとわかっているはずで、自身が犯罪者でなければ家族に犯罪者がいることくらいしか思いつきません。映画の予告編を見た時点でそう予想していましたが、結局その通り。何の罪もない死刑囚の息子が苦しむ軌跡を辿って理解したつもりになっただけ、何も誰も救われません。将来、娘は、戸籍の父親欄が空白になっているか死刑囚の息子の名前が入っているのを知るわけで、父親違いの兄から何言われたとしても、新たな悲劇しか待っていないでしょう。
それと、妻夫木聡扮する弁護士が在日三世と一目で見抜かれるというシーンに驚きました。全く見えないですからね。でも、戸籍偽造業者は会う度に「在日、在日」と連呼して五月蝿いし、在日問題を死刑囚の子供と同列視しようとしているのか、とても違和感がありました。
ラストシーンで弁護士が温泉宿の次男坊を名乗っているのにも呆れました。浮気かつ託卵かもしれない妻に嫌気が差したので、逃げてるんですかね?
で、結局、曽根崎はどこの誰なんでしょう、スッキリしないんですが。
サスペンス?ミステリー?社会派ドラマ? 主人公が途中、里枝から城戸...
サスペンス?ミステリー?社会派ドラマ?
主人公が途中、里枝から城戸弁護士に替わり、心理ドラマっぽくなる。
男の正体が分かってからの後半は冗長。
詐欺師とのやり取りは病んだ心の作り出した妄想のように思える。
無神経な義両親に心を削られ、自分の出自を責める声が聞こえるのかと。
キャリアも全て捨て去るほどに。
本物の谷口大祐の兄も相当な無神経ぶり。
眞島さんの空気読めないっぷり。ああいう人いるいる。
里枝の娘は家族が心優しいのが救い。
名前って何だろう。
_φ(・_・不安になったよ。
考えさせられる映画だった。
対比する映画は『ドライブマイカー』だと思う。
あの映画は過去の辛い思いをどうやって折り合いをつけるかってのが描かれていたと思います。誰かとそのことを話す事でその辛い思いは忘れはできないにしろ昇華していくのが描かれていました。
この映画も辛い過去や出自などの逃れられない事に対してどう折り合いをつけるかっていうのがテーマなのかなぁと思います。折り合いをつけるには現在の自分の状態が正常に存在するか?アイデンティティが確立されているかどうかなのでしょうね。里江が折り合いをつける事ができたのは長男の誰だかわからない父が死んで『さびいしいね』の一言と娘の存在が大きかったのでしょう。誰だかわからない父を憎むのではなく、寂しいという現実が折り合いをつけたのだと思います。息子にとって誰だかわからない父ではなく優しい父だったのですね。泣けました。
問題は弁護士の城戸。在日という逃れられない出自、家族は彼とは真逆の人間。妻は浮気、義理の父は差別主義者。彼は折り合いをつける事ができない。孤立した人間だから。
ラストは孤立した人間はどうしたらいいの?という視聴者への問いなんでしょうね。
どちらかと言うと私も孤立しそうな人間で帰り道車を運転しながら不安になりました。
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