人と仕事のレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリー映画
保育士を題材にした映画として下準備をしていた中突然のコロナで、映画そのものがなくなってしまい、人と仕事が生まれたわけですが 志尊淳さんと有村架純さんのお二人が戸惑いながらも、知らなかったソーシャルワーカーの方たちの現状をお二人を通して少しでも知ることができ、人と人の繋がりやこのご時世だからこそ有り難みを知ったり みることができて良かったです。
俳優さんの気持ちも知ることができました。
コロナ禍の色々な職業の方に、 俳優の有村さん、志尊さんがインタビュ...
コロナ禍の色々な職業の方に、 俳優の有村さん、志尊さんがインタビューした ドキュメンタリー映画 色々なお仕事の方のお話を聞いて、 想いを受け取り、 現実を受け止めきれず心が苦しくなったり、 よかった!とホッとしたり、、 色々な感情が生まれました。 やはり、この映画を観て、言葉は大切だと思いました。 観ていて、コロナ禍になってからの 自分自身の確認というか、 これはやっていて良い、良かったんだ。 これは、もっと知識を深めていかないとダメだなとか、気づきを与えて貰いました。
題材は良いがノンフィクションとしては微妙
登場人物をはじめ、頑張っている人には敬意を表したいしエールを送りたい。しかしノンフィクションとしては浅いというか、切り込みが足りないような印象を受けた。そもそもの発端が、撮影予定だった映画がキャンセルになったからという理由で、その流れで主演の二人に本作に出演して貰ったというネガティブな印象が拭えなかった。その二人も自分の言葉で語っているとは思うがどこか浅い。いやその等身大が良いんだろうけど。市中の登場人物もどういう出会いがあって登場したのかというストーリが欲しかった。副業?でモデル活動をしているという美人ヘルパーや美人シングルマザーという、一般的にはレアな存在を引っ張って来た不自然さも感じた。監督の趣味か?ホームレスや風俗嬢などには、謝礼は幾らかな?という邪な詮索をしてしまった。あと、要所要所に挿入される「ひとぉーつ」「ふたぁーつ」という歌が不快で堪らなかった。ちなみにそのカウントは「とぉーお」(10)まであった笑。
撮らなきゃもったいない
そりゃ、元々の保育士Tの映画がコロナ禍で撮れなくなったからって、志尊淳と有村架純のスケジュール押さえられてたらなんか撮らなきゃもったいないわ。
もったいないお化けでるわ。
ということで、アイデア勝負のドキュメンタリー。
色んな仕事があるものだ。
コロナ禍で世界中、みなしんどい気持ちはあるけれど、そんな中でも人によって感じ方も、やってる行動も違う。
保育士、介護施設など、メモを取りながら見たい部分もあり、なかなか興味深かった。
難を付けるとしたらうたが2つともダメ。
数え歌が暗い。数え歌に希望が感じられない。
児童施設の就職する子の旅立ちは希望に満ちていたんだけど、歌が良くないな。
あと、ホームレスの人の歌を聞くのは罰ゲームかと思った。長く歌わせすぎ。
もう無理なんだろうけど志尊淳と有村架純の保育士姿を本来の形で観てみたくなった。
う〜ん…。
試みとしては良いと思うが…否定はしたくないのだが…。 カネを払って観るものか?と言われると…。 TVのドキュメンタリー以上のものを求めたから、わざわざ映画館に行って、お金を払って見たのだが…。 ちなみに志尊淳さんはしっかりした人物で言葉に説得力もあるけど、有村架純さんは、イマイチこの仕事は向いてなかったように感じました。
全人類必見!
映画を観る前は、きっと観た後にあの緊急事態宣言の時を思い出して苦しくなるんだろうなって思っていました。 3回目の鑑賞後、オンラインイベントでの手塚マキさんや森ガキ監督のお話を聞いて見方が変わりました。 コロナ前コロナ後とか関係なく、自然と出来ていた社会の構造に問題があったって言うことに改めて気付かされました。 偏見なんかしちゃいけないことは頭でわかっていても、この映画を観ると自分は何も知らないのに穿った味方をしてたんだって思い知らされた。 私は人と仕事を観たことによっていろんな引き出しを増やしてもらえた気がすします。そしてこれからの人生が豊かになるように感じています。 上映された当初とはだいぶ映画に対するイメージが変わりました。 ひとりひとりの価値観や生き方はそれぞれで、その生き方に正解不正解などなく、知らない世界の人の話を聞くことで自分の引き出しを増やして行けたらいいのかなと。 有村さんも志尊くんも有名で発言にとても責任がのしかかる中、自分の言葉で一生懸命絞り出して話している姿がとても印象的でした。 人とのつながり、社会とのつながりをこの機会に見つめ直すことができて本当によかった。 有村さんの最後の言葉…自然と人や社会に寄り添っている方なんだなって感じました。 役を背負っていないお二人の言葉はとても貴重だと思います! 本当にたくさんの人に観てもらいたいです!
誰もが一度は考える、人と仕事
期間限定公開ということで鑑賞してきました。
コロナ禍で製作中止になった映画から派生した作品。
深夜の渋谷で座り込む看護学生から児童相談所、風俗店で働くシングルマザーに農家などなど、幅広い仕事に就く人たちに、心の内を話してもらう。
メディアで報道される文字・数字から、表面上の情報だけで意見することへの恥ずかしさを感じました。
そのニュースの中には必ず人の生活が実体として存在する、
そんなことを有村さんと志尊さんの対談から教えてもらった気がします。
100%わかることはできないけれど、寄り添うことはできる
志尊さんの思いを多くの人が持てたらいいのに。
ふわっとした内容に感じた
主演の2人は若さゆえか、立場ゆえか核心を突くような言葉がなかったと感じた。
2人の立場で真剣に考えて言葉を絞り出していたとは思ったけど。
正しい結論なんて人それぞれだし、結論を出せないことも多い。
本来対立する必要のなかったそれぞれの立場の人達が対立する構造になってしまう、
そういう時代感を如実に表現していると思った。
その中で、有村さんはシンプルに生きているように感じた。
“ 大切なものが以前よりくっきりみえるようになった”
というような言葉が作中で1番心に残りました。
十人十色
観賞のきっかけはキャスト。有村架純さん・志尊淳さんが役を演じるのではなく、そのまま“自分”としてレポートをしていく。 テーマがテーマなだけに、正直少し身構えていたが。とにかくお二人の人柄が素晴らしく、意外とすんなり...様々な〝声〟が存在する今を受け止めることができた。 むしろ心がほぐれ、自然と振るいにかけられるような...大切なものがクリアに残るイメージ。 今、この作品に出会えてよかったと、強く強く感じる。ぜひ円盤化も期待したい。
映画は生活に必要です
これを映画と捉えるのかは置いておいて、TVの特集の様な作りなのに、角度が少し違うだけで寄り添ってくれてる感が暖かかったし、胸にズキンとくるものがあった。 二人が等身大なのも良いし、主人公である其々の人達も変に力が入ってなくて良かったです。 自分もコロナ禍直前の台風被害から生活が闇落ちしましたが、都度都度ギリギリ生き延びて、ようやくケセラセラな立ち位置まで戻れたので、応援され応援する相互関係的作品として、腹に落とし込みました。 余談としては、ずっと流れてる耳心地好い歌。エンドロールで作曲家が岩代太郎と判明して「おおぅ」と声が漏れました(笑)。
あと一歩踏み込めたなら
全体的な空気感、控えめな音楽や日常の風景の切取りは市川準風で好みであった。取材対象に対する踏み込みが足りないのは、ひとえに俳優さんが二人とも若いからだと思う。どちらかが、もう少し人生経験が長い俳優であれば、作品に深みが出たのではないか。監督のインタビューにより補うも、足りなかった。例えばモデル業と介護業を両立されている方の、その仕事を選んだ動機を知りたかった。辛いだけど勝手に思っていたエッセンシャルワーカーに就く方々の仕事に対するブライドや使命感には感服しました。インタビュアーである二人でさえ、本質本音にたどり着けなかったのだから、観ている我々は尚の事、表面的な事実だけを観せられているような感覚でした。志尊、有村両名の人の良さは伝わって来るので、ファンには良い映画だったかも。
ほのあたたかい
灯籠、とか、ぼんぼり、とか、間接照明みたいな作品だな、と思った。ピンスポットのように当てるのではなく、色温度の低い、和紙などを通した柔らかい光みたいな。冒頭の、ただ街の中で働く人々を写してるだけで、なんだか切ない気持ちになってしまった。自分もどこかしら、疲れたり病んだりしてるのかもしれない。 インタビュー数はそんなに多くない。かなりカットもしてるだろう。だけど、自分では直接聞けない声を聞けた。あと、インタビュアーの俳優二人の、俳優という仕事についても、それぞれの考えを知ることができた。架純ちゃん、言葉を選んで、じっくり話すので、聞いてるうちに「かわいい…」とボーっとしてしまい、結局ちゃんと聞いてなかった。志尊くんもかわいい顔だなぁと、また見惚れてしまった。役に立たないレビューですいません。 最後の、就職で養護施設を出る男の子に、幸あれと願う。きっといいこと、たくさんあるよ。がんばれ。 あと、「うた」はなかなか強烈。帰り道、脳内でリピートしていた。
言葉が変われば現実が変わる
コロナ禍は世界大戦と同じくらいのインパクトを与えたと思う。コロナ禍の前と後とでは、世界がまったく異なる。コロナ禍の後の世界を如何に生き延びるか。もはやコロナ前の生き方は通用しなくなっている。市場は縮小し、仕事はなくなって、税収も乏しいから福祉も行き渡らない。これが世界中で起きている。 しかしすべての人が困っているわけではない。経済が縮小するとき、最終的にしわ寄せが行くのは最も弱い人々のところだ。ある程度以上の収入がある人は、多少減少しても生きていけるが、ギリギリの生活だった人は、収入が減少したら生きていけない。子供の教育費にと爪に火を灯すようにして蓄えていた僅かな預貯金を取り崩して、その日暮らしをするしかない。蓄えが底をついたらどうなるのか。 「最後は生活保護がありますから」と総理大臣のスガは言い放った。生活保護を受けるのにどれだけハードルが高いか、実態も知らないはずだ。「働けるでしょう、選ばなければ仕事はありますよ」というのが役所の職員の口癖である。だったら役所で雇ってくれ。代わりにあんたが辞めて、生活保護を受けに来ればいい。言ってやりますよ「働けるでしょう、選ばなければ仕事はありますよ」 「三密」や「不要不急」という言葉を売り文句にして、映画館や飲食店を悪者にすることでコロナ無策の批判を逃れた都知事。コロナ禍にこの都知事でなければよかったのにと思っていたが、迎えた都知事選で、小池百合子はまたも圧勝した。テレビに出て「三密と不要不急の外出を避けてください」と、都民税を湯水のように使って働いてますよアピールのCMを打てば、他の候補者は手も足も出ない。 医療関係者は休みなしのハードワークで、欲しいのは休息と収入増だったが、政府がやったのはブルーインパルスの飛行を見せただけだ。典型的な「パンとサーカス」の「サーカス」の方である。安易に感動する人々が多かったのは驚いた。国民は政治を見抜く力を完全に失っているのだ。 本作品は志尊淳と有村架純という若手の俳優が人々の話を聞くスタイルで、謙虚な姿勢には好感が持てたが、もう少し踏み込んだ聞き方をしてもよかった。インタビューを受けた人々の話から本質が浮かび上がってこなかったのが残念である。志尊くんが着ていた胸に「DESPERATION(絶望)」の文字のあるシャツは何かの意図があったのだろうか。 それでもひとつ解ったことがある。言葉の問題である。福祉施設の保母さんが児童に自分のことを「先生」と呼ばせている。そして命令口調だ。この保母さんが一生懸命に仕事をしているのは分かるが、どこかで子供たちに言うことを聞かせたいという無意識の願望がある。だから自分のことを「先生」と呼ばせる。意識せずに上下関係と差別を生み出しているのだ。 日本国憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と書かれてある。 学校の教師、弁護士、政治家などを「先生」と呼ぶことがそもそもおかしいのだ。ちなみに中国語で「先生(センション)」は英語の「ミスター」と同じで「~さん」程度の意味である。全員を「先生」と呼ぶなら問題はないが、一部の人だけを「先生」と呼ぶのは差別である。「先生」と呼ばれて嬉しがる低劣さこそが、日本人の精神性の本質なのだ。 当方は仕事でも「先生」は使わない。相手が弁護士でも税理士でも「先生」ではなく「~さん」と呼ぶ。社内でも肩書ではなく「~さん」だ。新入社員に対しても「~さん」と呼んでいる。小さな子供も「~さん」と呼ぶ。それに命令口調は絶対にしない。敬語は使うが、丁寧語だけだ。尊敬語と謙譲語は使わない。格差を重んじる言葉だからだ。言葉遣いの基準となる目上や目下という考え方自体が、すでに憲法違反である。現代文の授業から、尊敬語と謙譲語を削除していいと思う。不要不急の言葉であり、不自由で不平等の有害な言葉である。 たとえば誰に対しても「~さん」と呼び、誰に対しても丁寧語を貫く。これを家庭や学校や仕事場にまで押し広げたらどうか。親子も相手を「~さん」と呼ぶ。「おかあさん」や「おとうさん」はそのままでいい。しかし父も母も子供をさん付けで呼ぶのだ。教師も生徒も互いに「~さん」とよび、社長も社員も互いに「~さん」と呼ぶ。そして互いにですます調の丁寧語で話す。「先生」は廃止する。 コロナ禍で児童虐待が増えたのは、人と人とが近づきすぎると不快になるからである。自分のコンフォートゾーンに他者が長い間入りっぱなしになるのは、誰にとっても不愉快だ。距離を取るのに最も簡単なのが、言葉を変えることである。テレビドラマの「相棒」がずっと支持されて高い視聴率を取り続けている理由のひとつは、水谷豊演じる杉下右京が常に丁寧語で話しているからである。気づいている人もいるだろう。あの距離感が、杉下右京を孤高の存在にしている訳だ。 丁寧語は自動的に相手の人格を尊重する話し方である。そして犯罪の本質は他人の人格を軽んじることにある。児童虐待も同じだ。世の中の全員が杉下右京の距離感で話せば、犯罪や児童虐待が減るのではないか。もちろんそんなに簡単には行かないだろうとは思うが、少なくとも世の中から暴力や喧嘩、それにハラスメントは減るだろうという気がする。コロナ禍後は尊敬語と謙譲語と「先生」の廃止、それにですます調の丁寧語の普及が望まれる。言葉が変われば現実が変わる。「はじめに言葉ありき」(ヨハネ福音書第一章)なのだ。
【未来】
表現は少しうろ覚えだけど、ホストクラブの経営者の発言が驚くほど印象的だった。 “コロナ禍でこの業界(夜の街)の問題が炙り出されたみたいに言う人はいるが、もともと、この業界は、社会問題の縮図のようなところだ。 でも、そこに人の繋がりを求めてくる人もいることは理解して欲しい。 ただ、コロナ禍で、人を揺動(ようどう)するような人間が評価され、まじめに考えて論理的に話す人が隅っこに追いやられる状況が、変化したことは良いことだと思う” 確かにその通りだと思った。 コロナ禍で、エッセンシャルワークの大切さが再認識され、どのようにそれを維持するのか熟考が迫られると同時に、多くの無駄も炙り出され、如何に社会や企業が非効率であるのかも分かった。 ただ、社会の歪(ひずみ)の一端として、人々の犯人探し好きや、吊し上げる傾向は変わらず、飲食業への風当たりが強くなった。 しかし、新規感染者は簡単には減らなかった。 派遣切りやリストラが民間で多くなったものの、公務員への給与は不変で、政治家には夜の街通いをするものや、中央官庁の公務員の宴会も明らかになってクラスターも出た。 逆に、人も給与も増やした方が良い保健所は労働時間が長くなって、仕事のプレッシャーは増えるばかりだった。 逼迫した医療現場は更に過酷だった。 僕の周りの友人や、元同僚、先輩、後輩、部下から、業者、顧客まで、様々な働き方の変化はあったが、自分の職場は、割とリモートに適した業種だということが明らかになった気がする。 無駄に、都心で賃貸料を過剰に払う必要がないように感じた。 実は、この作品、自分の周りを見直してみて、これまでの自分も含めて過去を振り返ったり、自分を取り巻く社会や環境を熟考したり、今後の僕たちの世界の未来をふと思料するような映画じゃないのかと思う。 やっぱり、冒頭で紹介した、ホストクラブの経営者の言葉は的を得ている。 あれに尽きると思うのだ。
仕事すること、生きること…見つめたあらゆる視点から感じるそれぞれの声
コロナ禍で誰もが考えた「仕事」のこと。学生でもそうだし、社会人なんかはもっとそうなのだろう。広義なテーマを上手くバランスよく掘ったドキュメンタリーに思わず唸る。 森ガキ侑大監督の最新作となる予定だった『保育士T』がコロナ禍で中止になってしまう。そこで空いた時間を使い、有村架純と志尊淳と3人であらゆる職業の方にインタビューしていく。ドキュメンタリーを大学時代撮っていたこともあり、かなり引き込まれた。有村架純も志尊淳も引き出し方が上手く、それぞれの言葉から本質を探っていく。 それぞれの職がコロナ禍によって1度立ち止まった。それぞれの立場や事情から仕事の本質を見つめていく。保育士からホームレス、ホストに風俗嬢、妊娠中絶した人やこれから仕事に就く人…コロナ禍で与えた心の変化というのが形として現れていく。皆きちんと考えている。ただそこに光を当てるのがいかに難しいのが伺えた。 有村架純と志尊淳が共にインタビューを通じて役者としての在り方を模索していく。色々な職を演者として寄り添えると思いきや、「表面的しか知らなかった」と有村架純は言う。志尊淳も「一挙手一投足注目されるだけにどうしたらいいか分からない」と葛藤していた。走り続けた2人が緊急事態宣言で1度立ち止まったからこそ見た景色があり、言葉がずっしり来る。 悪い所を挙げるなら、少しチャプターが多くて長く感じた。テーマも広範なので分からなくもないが、そこは勿体無かったと思う。 私は現在就活中で、これから社会人として働くことになる。このコロナ禍で見つめた思いが仕事にどう影響するだろうか。仕事をすることは生きること。切っても切れないこの難しさを改めて考えさせてくれた。
ドキュメンタリーと劇場映画
俗に言うエッセンシャルワーカーであったり、シングルマザーやホームレス、施設入所者など社会的弱者と言われる人達のコロナ禍での生の声を伝える完全ドキュメンタリー。 いかにも、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」あたりで取り上げそうな題材だし、実際、何度も扱われている。 わざわざ、劇場作品にするのなら、内容的に差別化を図っても良かったのでは? 例えば、コロナで苦しむ人々ばかりでなく、全く影響を受けずに暮らしてる人や逆に好機にして、利益を享受している人達だっているはず。制約のある中でもそういう人達あるいはそういう仕事も取り上げるという選択肢は無かったのか? 本来、撮影されるはずだった作品の主演2人(有村架純、志尊淳)をインタビュアーにして、市井の人々の声を拾う事の意味も今一つピンと来なかったのも残念。 それと後半部分はコロナ禍以前から社会構造的問題で取り残されがちな層の人たちが中心になって、コロナの影響とは離れてしまった印象。 全体的な感じとしては、見た人にコロナ禍の中での自分自身の立ち位置を見つめ直したり何かを感じ取って欲しいというメッセージ性よりも 森ガキ監督がエンタメ業界の一業界人として、制約だらけでがんじがらめの中でも何か発信をして自己表現をしたいという自慰的な印象が拭えなかった。
"見て見ぬふりをしてきた"世界にどう向き合うべきか
パッと思い出せる限りのこの映画で取り上げられたお仕事↓ 保育士、介護士、バスケ選手、モデル(でシングルマザー)、農家、児童相談所職員、ホスト、風俗嬢、空き缶拾い、児童養護施設職員(と施設で暮らす子ども)、学生、元スタイリスト志望のフリーター、俳優 どちらかと言えば、コロナ禍以前も立ち位置や収入的に安定していない、もしくは世間の矢面に立たされやすい職業にスポットが当てられている。 一見して、コロナの蔓延によって浮かび上がってきた問題と思いきや、実はコロナ流行以前からこの問題は存在していた。 困窮する母子家庭。両親の不和から家を逃げ出さざるを得なくなった子ども。路頭に迷うリスクを回避するため、夜の世界に居場所を求める人。 私達、大多数の人間が"見て見ぬふりをしてきた"社会問題が、コロナによってより明確化された。 この映画が訴えようとしてるのは、コロナによって変わった世界の話ではなく、何故、シングルマザーは困窮状態に陥りやすいのか、何故、児童養護施設の出身者は3年も経たずに離職してしまうのか_を、みんなで考えるべき、ということなのではないか。
見えない事は見ようとしなければ見えない
志尊淳さんと有村架純さんが出演するはずの映画が、この事態で制作されなくなりました。でもそのスタッフさんとこの二人が街に出て多くのテレワークできない所謂エッセンシャルワーカーに会い、話を聞いていくドキュメンタリーです。
保育士、看護学生、ホスト、シングルマザー、農家、介護士、スポーツ選手、ホームレスの缶回収者などなど。
スクリーンでは、映像の中に入り込みやすいので、二人と一緒に様々な人に出会い、驚いたり、発見したり、納得したり。気づいたら二人の視点を共有しているような気がしてきました。
たくさんのことを学び、二人は少し変わります。それは、自分も同じようにかわっているのだろうと思います。
浮かび上がる社会の不条理、分断、差別。そんな中で「生きていくんだ」という優しくも強い人々に、感謝と拍手を送りたくなります。ありがとう、私ももう少し頑張る。
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