死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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サイコな怖さよりゴア描写の痛々しさが悪目立ち
ゴア表現がきつめなので、サイコサスペンスというよりホラー寄りの印象だった。PG12作品だが、加害方法がいかにも痛そうなせいか、R15+と言われても驚かない。
阿部サダヲの目から光の消えた表情はよかったが、何か怖さが物足りなかった。漠然とした恐怖感は残ったが、よく考えるとほぼゴアシーンの怖さだった。
いわゆるサイコパスの犯人が、自分は手を下さず周囲を操って殺人をさせる犯罪ノンフィクションの本を何冊か読んだことがある(尼崎連続変死事件や北九州連続監禁殺人事件など)。読後の個人的な感想としては、他人を洗脳して行動までもコントロールするには、優しさだけでなく恐怖も植え付け、その匙加減を絶妙に調整する必要があるように思えた。
榛村はもともと、最終的に相手を力で拘束し、肉体を損壊して残虐な苦痛を与えることを目的とする殺人者で、だからこそ恐ろしい。そのために必要な人心操作の技術は、上記の事件の主犯とは違い、ターゲットに優しさや理解を見せてある程度近づけるレベルであれば事足りる。近づけたらその後は力ずくで目的を完遂するからだ。
だが本作では、彼が既に収監されているところから話が始まるので、榛村は雅也始め主要な登場人物に実力行使をすることは不可能だ。そうすると、面会室での挙動とと手紙と会話だけで今の榛村の恐ろしさを見せていかないとならないのだが、彼は人間を遠隔操作することは本来専門外で、トークスキルはほぼ相手を褒めるだけなので、警戒してもつい取り込まれてしまいそうになる魔性の話術のようなものが全く見えなかった。
そもそも、雅也に嘘をついてあれこれ調べてもらうことの目的がよく分からなかった。真面目な中高生の肉体損壊行為がなければ生きていけないとまで言い切る彼が、その目的達成に全く繋がらないあのやり取りをする意義は何だったのだろう。
榛村の普段の振る舞いは(言っている内容を除けば)終始あまりに普通の善人で、きつめのゴア表現との対比で異常さを表現したかったのだろうが、それ自体創作サイコパスにお決まりのキャラ設定だし、あそこまで狂気の気配がないとかえってリアリティに欠ける。阿部サダヲが特異な人間を演じることにも意外性がない。
もし、虐待を受けた人間の心の傷の深さを描こうとしていたのなら、直接的な残虐描写はせず、榛村と雅也や子供たちとのやり取り描写に重点を置いた方が伝わりやすかったかも知れない。
そんな感じで作品世界に上手く入り込めなかったので、後は細かいことばかり気になってしまった。
犯罪歴のある人間が、自分のパン屋に来る高校生を中心に地元ばかりで、冒頭で語られるような規則性を持って犯行を繰り返していたら、さすがに被害者が24人に至る前に捕まるのではないだろうか。几帳面そうな榛村が、遠景に人通りがあるようなその辺の道で、声を上げる女性を真っ昼間に車に引き摺り込んで殴りつけるのも性格に不似合いな脇の甘さで、唐突な感じがした。
雅也があんな怪しい手紙に始まった榛村の依頼をすんなり受けたのも違和感を覚えた。雅也の描写の流れからして、家庭が機能不全で大学でも馴染めてない人間は、あのレベルの話にも釣られてしまうということなのか。そういう動機付けだとしたら、偏見のようであまり好きではない。
その後、榛村に指示されて担当弁護士に会いに行き、そこでいきなりアルバイト採用される。裁判資料の管理があまりに甘いので、担当弁護士も榛村に洗脳されているのかと思ったが、弁護士は物語後半で殺人鬼榛村への偏見をあらわにするので、そういうことでもないようだ。何だか都合がよすぎて、雅也が裁判資料を見られる状況に持っていきたいという作り手の意図が悪目立ちしたように見えた。それに弁護士事務所の名刺が万能過ぎないか。
拘置所から出す手紙に差出人名を書いてなくても問題ないのか。傍聴席に阿曽山大噴火氏がいるなあ(これは結構気が散った)。ロッチ中岡に見えてしまう岩田剛典(頑張っていたと思います)。
岡田健史は、鬱屈した大学生の危うさが出ていてよかった。彼の存在感で見応えが補われた。
白石和彌は止まらない。
「つながれた犬」というタイトルだった櫛木理宇の原作を見つけたこと。白石和彌監督にサスペンスを撮ってもらいたいと考えたこと、阿部サダヲの映画における新生面を拓いたことに加え、未ださほど顔の知られていない若き俳優、岡田健治を起用したこと。俗に云う“新しさ”を求めたこと。大ヒットの要因はいくつも思い当たる。
葬式で帰省した大学生、筧井に獄中の猟奇殺人犯、榛村から手紙が届く。犯した罪は認める。でも最後の犯行は自分ではない。冤罪を晴らすために真犯人を見つけてくれないか。突然の申し出を受けた流すこともできた。だが、煮え切らない学生生活を持て余していた筧井は面会室へと向かう。弁護士事務所を訪れた筧井は24件もの榛村の犯罪履歴を辿り始める。
犯罪履歴を追い始めた筧井は、若さと情熱、探究心に目覚める。弁護士見習いの名刺を偽造してまで能動的に動き始める。監督は、グロテスクな被害写真を並べた部屋でカップ焼きそばを喰らわせる。青年の変化を瞬時に見せるこの描写は効いている。また、取材の過程における人との新たな関係性が築かれていくことも秀逸だ。
『凶悪』にあった面会室の描写は、より密室度が増した部屋で、より濃密なふたつの人格を重ねる。
その様は、高村薫の問答小説「太陽を曳く馬」のように互いの胸の内を探り、雌雄を競う駆け引きとなる。褒め称えるかと思えばいなし、突き放すかと思えば慈しみを示す。そっぽを向いたかと思えば瞳に涙を浮かべる。これは究極の心理戦だ。どちらが勝つかではなく、どちらが優位に立ち、会話というゲームの主導権を握るのか。しかも、ガラスで隔たれたはずの手が伸びて互いに触れ合うことすらある。鏡に写る相手の影が重なり、ふたりは同一の業を宿した化け物のように見えてくる。化け物、その様はコッポラの『地獄の黙示録』で、密命を帯びてカーツに対峙したウィラードの覚醒を思い出させる。
真実は藪の中。几帳面な字で書かれた獄中からの手紙が依頼する、意表を突いた真犯人探しの依頼。長髪で猫背、常に俯き加減な岩田剛典が演じた青年によるミスリードの妙。自分では決められない母の秘められてきた過去、キャンパスで青年を注視する幼馴染、観客の眼前で凶暴化していく大学生、その先にある獄中からの手紙が支配する世界。
意識のレベルがこの映画の評価を変える。阿部サダヲのチカラを監督は見極めている。画面に出し続けることではない、既に支配下に置いた彼は画面から姿を消すべきなのだ。勇気ある演出、白石和彌は止まらない。
怖かった、鳥肌が
想像を超えて容赦なく残忍で、しかし人当たりがよく一切反省しない犯罪者。
ぞっとした、一旦手なづけてからいたぶるとは本当に酷すぎた。明らかになる真実、でも面会の最後が唐突だった。まさかの彼女まで??
後味が悪すぎた、しかしラストまで見入ってしまったが終わり方がよくわからない。あの後が気になって仕方ない。
殺害方法が残忍過ぎて
他の内容があまり入ってこなかった。兄弟の歴史や養子の歴史や、みんな繋がってたり(洗脳)、そこに十分恐ろしさがあるから殺し方はもう少しライトでも良かったと思う。グロすぎてただただ気持ち悪い。二度と見たくない。
阿部サダヲの狂気良い
漫画で見たいなと思ったファンタジー。洗脳された人多くてリアリティがもっとあると思ってたからちょっと残念だったけど、阿部サダヲがすごい良い人なのと狂気殺人の二面性、二面性というか二重人格とかじゃなくて同じなのが演技ってすごいなーと思った。男の子の顔がいい。中二病って感じだったけど。
なんかニコニコしてて人が良さそうなのになんか怖いなーとか目がやばい人いるじゃないですか、目が濃いガン見してくるおじさん、あれがさらに怖くなっちゃった。
おもしろかったけど、期待し過ぎた
予告見てずっと気になっいてやっと見たが、予告の作り方がうまかったのか、個人的に期待をしすぎた感があった。
全体的には異質な内容でとても面白かったけど、真犯人?や榛村(はいむら)の子どもかもしれない描写が最終的に「なんだ...」とちょっとガッカリな期待の裏切り方だった
ただ、他からも聞いていた阿部さんの演技力は凄まじかった!
たいしたことは
阿部サダオの狂気演技を期待していたが
そんなでもなかったので残念。
最後の女が阿部サダオのことを知ってるのはなんだ?夢か?なんかかかわりあったっけ?
と、思ったら逃げた女しか最後の女に該当しない。
それか届いていた手紙も妄想の中か。。。
話自体は引き込まれた
最大の欠点は、弁護士にとってなんの得にもならない(むしろリスクしかない)のに、なぜ雇用契約まで交わして主人公に捜査をさせることを許したのかという点。
あと、ラストもそれなりのどんでん返しがありよかったが、少し唐突過ぎた印象。彼女の背景には、主人公と同じ中学とか色々伏線があった(作れた)のだから、もう少しその後を予想させるというか、余韻を残せるラストができたのではないかと思われる。
ただ今日観た3本では一番満足度が高かった。
不要な残虐性がノイズ
高校生を24人殺したシリアルキラー。サイコパス。
よくあるサイコパス殺人者の話だが、自分がやってない殺人について調べてほしいと、仲の良かった青年にお願いする話。事件について調べていく過程で、殺人犯について徐々にわかっていく。
正直、肝心の謎の解決があまり面白いものではないし、うまいこと人を操っていくのも、非現実感があって映画時間内で納得できはしなかった。
また、殺しというより人を洗脳していく怖さがあるんだけど、そもそも殺し方があまりに残虐なのでそっちの方が怖い。
残虐性はこの映画にあまり必要なく、ほとんどノイズでしかない。
最後の爪のくだりも、正直意味がわからない。ここまで来て、そこ?
悪魔の囁き。
抑圧されて生きてきたそんな人間の心を解放させて人を自由自在に操る、そんな悪魔がこの世には存在する。
地域で評判のパン屋を営む榛村には連続殺人鬼というもう一つの顔があった。逮捕され現在公判中のその榛村から手紙をもらった主人公の雅也は榛村が立件された殺人罪九件のうち、最後の一件はえん罪だとして真犯人を突き止めてくれるよう頼まれる。
過去に学校と塾との行き来の間で通っていた榛村のパン屋だけが心のよりどころだった雅也は何の疑問もなく調査をはじめやがてのめりこんでいく。
なぜ一介の学生風情が弁護士の真似事までしてあそこまで調査にのめりこんだのか、なぜ刑務官は面会時間の終了を告げながらすぐに打ち切らなかったのか、なぜ中学の同級生だった灯里は雅也の手の傷を舐めてまで彼の気をひこうとしたのか。これらの違和感の正体がやがて明らかになる。
雅也はパン屋に通っていたころからすでに榛村の術中にはまっていた。そして他の人間たちも同様に。すべては榛村の手の上で転がされていた、雅也も金山も、そして灯里も。
榛村は幼少のころからひどい虐待を受けて精神のバランスが壊れたサディストである。と同時に同じ様に抑圧されて育った人間たちの人心を理解し操るすべを身に着けていた。すべてはこの榛村に操られていた。今更九件のうちの一件の無罪が明らかになったところで彼の死刑は免れようがない。彼はそれをわかっていながらなぜ雅也に調査を依頼したのか。なぜその最後の犯行だけあえて殺害方法を変えたのか。
彼は死刑を前に最後の快楽を味わいたかったのではないか。人心を操り人をもてあそぶサディスティックな快楽を。
彼はただ殺すのではない。入念な計画を立てて相手と信頼関係を築いた上で、その信頼していた自分からむごい仕打ちを受ける相手の絶望感を感じて快楽としていたまさに究極の快楽殺人鬼だった。
今回の依頼も雅也や金山、灯里たちの人心を操ることで彼らの人生を翻弄し最後に快楽を得たかっただけではなかったか。
あるいは彼らの抱える抑圧を解放させて自分の後継者にしたかったのだろうか。雅也は抑圧されてため込んだ鬱憤を晴らすかのように通りすがりの人間に暴行を加える。しかし殺す寸前に我に返る。自分は榛村の子ではない、自分は榛村のようにはならない。
しかし灯里との出会いが榛村に仕組まれていたことを知ってしまう。灯里は爪をはがしたいでしょうと雅也を誘惑する。
榛村と関わった人間はすべて人心を操られる。まるで人の心の隙間に入り込み思うがままに操る悪魔のような存在の榛村。
親による子への虐待が後を絶たず、虐待された子はまた自分の子を虐待し、数世代にもわたって抑圧された人間の心が榛村のような悪魔を生み出してしまうのだろうか。
作品はヒューマンミステリー、ホラー、サスペンスの要素を織り交ぜたような作り。二転三転するミステリー部分は興味深く見れたが、肝心のヒューマンミステリーの部分が物足りずあまりはまらなかった。観客に違和感を与えて、その違和感が解消される感覚を味合わせようという脚本はお見事。
アナタのココロの隙間をお埋めしましょうドーーン!!
原作を先に読んで映画観るぞ!って意気込んではみたが、どちらも叶わずアマプラ配信でヒッソリ観る悲しさ。
観た後も原作読みたいな〜ってなった。
個人的にはいろいろとわかりやすい演出が序盤はいいと思ったけど、だんだん鼻につく。
ハイムラと対面したマサヤとの映り込みの変化や絡み合う手、がむしゃらに1人スカッシュしたり周りから浮きまくってたりと鬱屈した心を表したり、しつこいまでの調査、資料の中でご飯を食べる日々、バイトとして雇われてるのに明らかな乱用。明らかなミスリード。
今の世の中、信頼を得るというのはすごく難しいことなのでは〜とひねた私は思ってしまう。
私なら、パンサービス♡とかおっさんに言われてもキモってなるし、自転車間違いおじさん映画館で急接近♡とかなんだかな。
BLTOとかサブイぞおっさん。思春期舐めんな。
そんな違和感ありありなのにやりこなした!ってのは逆にすごいぞって思う。なるほど、これがハイムラ式マインドコントロール!是非ともレクチャーして欲しい。
ハンニバルレクターかな?
だけど、ハイムラとそれに支配されたマサヤを含めた人々の黒々とした瞳は印象に強く残った。
信頼した人たらしによって拷問死させられる人、家庭環境などに問題をもちそこから行動を支配され狂わされていく黒い瞳の持ち主達。
家庭環境うんぬん、どんなバックグラウンドを持っている人達の僅かな心の隙を鷲掴みにして、信じさせられてしまったのだから、どちらに転んでもおかしくなかったと思うんだな〜
なんだか、途中からハイムラの方が正義だと思えてきたような錯覚に陥った私も支配されつつあったのかも。
自分ならどちらになったか考えてしまうよ。
じっと自分の爪を見てしまう。剥ぎたいか?
人を殺す殺せないで親子関係を考えるとかダメだよ。
結局は関わった人々みんな不幸せ。
ハイムラ一人勝ち。
まぁ、エンタメにダラダラ文句言ってはいけませんね。
好みでは無かったというだけです。
カップ焼きそば食べたい。
優しさに飢えている人達
ハイムラがシリアルキラーになったのは幼少期の虐待が原因ですよね。彼の背景をもっと知りたかったです。ハイムラは人の優しさに飢えていたからこそ、逆に善人を演じることがうまかった。救いを求める人達へのマーケティングに長けていて、自己プロデュースも上手い。シリアルキラーとまではいかなくても、もしかして似た様な詐欺師くらいは私達の周りにもいるかもしれないですね。グロいのが苦手なのでいろいろキツかったです。
凄い映画だけど、再視聴は出来ない。。。
「面白い・つまらない」では表現が出来ない。
「好き・嫌い」では・・・嫌い。弱い者が理不尽に惨殺されるという展開、さらには映像描写までされているのは、不快感を感じる。
でも「心に刺さり、凄い映画作品」だと思う。
全く部外者の観客なのに、プロローグでいきなり足を引き摺り込まれるように心掻き乱されて、もう、榛村の思う壺に陥る。。。。
映画という時間制限があるので「何だ?何故?」と思う点もあるので、原作を読んでみたいという気持ちと、もう嫌な気分を味わいたくないという気持ちが3:7くらいの割合。
「よくわからない部分を、観客が考える余白がある」と捉えて・・・・
9件目の「根津かおる」は、個人的に雅也の推理「榛村が犯人」だと考える。
高校生・礼儀正しい・爪を剥ぎ取る・・・などの法則を破り、逮捕されたこと、死刑判決を受けたのに、何故雅也に「冤罪だから君に調べてほしい」と依頼をしたのか・・・・・
個人的な感想は「榛村は趣味である完全犯罪ルーティンに飽きて、自分の死(逮捕と死刑宣告)と引き換えに、新しい遊びを実行したくなったのでは?」と。
雅也を「こちらの世界に引き入れよう」としたり、金山をとことん追い詰めたり、灯里も同様に・・・更には看守すらも支配して、脱獄をもワンチャン画策して楽しんでいた・・・・
勝手にそう考えてます。
「むごたらしい資料映像を見ながらカップ焼きそばを食べる」「面会室までの徒歩ですっかり看守と楽しげに会話する榛村」「血まみれで強引なキスをされているのに、受け入れる」など・・・・数秒で異常さを的確に表現しているなぁと。
「金山はわかりやすいミスリードで、真犯人は母親、もしくは母親がラストに大きく絡んでくるかな」と予測していたのですが、灯里とは・・・
演じていた「宮崎優さん」、そして雅也役の「岡田ささん」も初めて知る役者さんでしたが、素晴らしかったです。
そして阿部サダヲの輝きのない大きな黒目が、本当に凄まじい・・・・つい最近「不適切にもほどがある」を見終えた直後だっただけに、ギャップショックがとても大きいです(笑
これはあくまで物語だけど、考えつき作品にする人間の怖さ。。。。その作品のモチーフとなると数々の現実や歴史がある。。。。特に物語の根幹にある「虐待の負の連鎖」。。。他人事のようで、自分が、家族がいつ巻き込まれてもおかしくないと痛感させられる。
稀代のサイコパス「吉良吉影」とは、根本的に違う話
あぁ、おっかない話だった。最後まで観終えたけど、残虐シーンは少しスキップ。観てられなかった。この手のサイコパス映画から学ぶことは、展開のブレなさ(悪い人は悪い人である)と、理由を存在させる必要のなさ、専門家(今回は弁護士)のリアリティは無くても雰囲気でいい、ってことだ。
阿部サダヲの深さが怖い
阿部サダヲ、『不適切にもほどがある』で久々にしっかり観た流れで、『シャイロックの子供たち」も鑑賞し、今回また違う方向での役どころってことで鑑賞。あかんなぁ、最初にばら撒いてたの「サクラの花びら」と思ってたから。眼が黒くて、奥が見えない。これは怖い。パン屋の殺しの流れが、敵無力化からの拷問殺害、というなんだかズルい感じもする。
『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターだったら?『ブラック・フォン』のグラバーなら?他にもサイコパス拷問殺人鬼ってのはたくさんいるけれど(映画でね)、フィジカル的に強いってイメージ。
※ブラック・フォンの原作はジョー・ヒル。スティーブン・キングの息子。父の名を隠してデビュー。本当に実力のある作家だ。
そういう意味では、阿部サダヲ演じる榛村大和は弱い。無力化したうえでの拷問ってのは、こうなんと言うか。観ていて、もしかしたら被害者が勝って、みたいな展開は封じられている。油断のない残虐なシーンは、ただの暴力だ。なんて、そんなこと言っても仕方ないんだけど。怖い。
久々に早送りした映画だった。
ということで、数々のインサートされる残虐なシーンを早送りして観た。観られない。高校生が殺されていくシーン。文字にすればそこそこのセンセーショナルさ。僕のこの「高校生が殺されていくシーン」てのも、字面だとリアリティもない。だが、映像化された時点で、とても観ていられない。吐きそうだった。
憎むべき相手としてキャラ付けされた榛村大和(阿部サダヲ)は、人を操る術に長けている。そして、サイコパスで、嘘つきで、高校生だけを狙う異常な殺人鬼だ。
原作を知らずに映画を観るという怖さ
基本的に原作を読まずに、映画→原作(小説)というのが僕の好きな鑑賞法だけど、こりゃぁ先に読んどいたほうがよかったんだろうか。白石和彌監督の暴力表現は、原作とどれほど近いのだろう、など興味がわいた。が、これまた原作を読むのに勇気も必要だろうに。こえぇんだよ。
見出しの「原作を知らずに映画を観るという怖さ」ってのは、ごく当たり前のことなんだけど、ホラーやスリラー映画に限らずで。この展開を知らない映画、本来の姿なんだけども、どうなるかわからなさ過ぎて怖いっていう感覚を久々に味わった。ネタバレサイトでも観てあらすじ掴もうかとも思ったけど、禁断の果実なのでやめておいたのだ。
タイパを気にして、原作やネタバレを確認したいという心理よりも、この先が不穏すぎて。つまり、まっすぐ進む道しかないんだけど、徐々に舗装された道じゃぁなくなり、街灯もなくなった。真っ暗で、うしろ振り返るとガサガサとなにか生き物の反応がする。戻れないし、前に進む方が安全だ、みたいな感覚で映画を観るっていう心理。うっすら光のある方へ進んでいけるから最後まで観てられるんだけど、その光がほとんどなかった。
面白いか面白くないかで語る
映画的に、つまり、映画でしかできない、もとい、フィクションでしか構成できないものと考えれば、「面白い」。群を抜いて面白い。ただこの面白さというのが、いつもそばに置いておきたい面白さではない。また、観たいという面白さでもない。複雑なのだが、リピートはない面白さだ。
だが、しかし。「白石和彌」監督ってのは、売れっ子で僕はあんまり意識して観てなかったけど、次観ようと思っていた綾野剛主演『日本で一番悪いやつら』も撮ってたんだ。くぅ。(↓追記:昨日鑑賞終了・おもろかった)
岡田健史(現:水上恒司)がこう、映画の狂言回しのように前に前に映画を進行させていくんだけど。怖いもの見たさなのか、こう、Fラン大学の設定みたいだけど、大学でスカッシュして、帰って探偵して。この、設定というか行動原理に、ピンとこない。サイコパスの気持ちがわからないのと似ている。
榛村大和の弁護士事務所のバイトとして、事件記録を黒塗りつぶしなしで見まくって、写真とって、プリントアウトもしたりと。まぁ、そんな資料を弁護士事務所でホイホイ見られるとも思えないし、でもこの設定が許容されていないと、物語がちっとも前に進まない。
こういう違和感のある設定は最初から、そういうものとして受け入れる必要がある。この設定は許そう。たぶん、現弁護士の方が観ると、うーむとなるだろう。
サイコパスの人が見るとどう思うのだろうか?たとえば吉良吉影が観たら
吉良吉影、『ジョジョの奇妙な冒険・第四部<ダイアモンドは砕けない>』の悪役。女性の手に性的興奮を覚え、殺害して手を収集。腐敗が始まったらまた別の女性を殺害し、手を収集する。スタンド名:キラー・クイーン。
吉良吉影もたくさんの女性を殺害してきた。憎むべき悪役なのだが、少年ジャンプ連載漫画としてはそこまでグロテスクに残虐に表現できなかったのだろう。目的は「女性の手」の収集だから、殺害ではない。手だけ切って手にいれてもいいのだろうが、それでは警察に通報される。そのため、殺害して証拠を隠滅する。榛村大和のように、いたぶって拷問して殺害はしない。
榛村大和は、爪をはぎ、ペンチや万力で拷問を行う。被害者との信頼関係を作り、そこから懐に入り信頼させ、拷問と言う流れ。「こんなに信頼していたのに、なぜこの人は私をこんな目にあわせるの?」という被害者の苦しみを喜びとする。剥いだ爪は収集するが、爪目的なら殺害は必要ない。この一連の拷問プロセスを楽しみとし、喜びとする点が大いに違う。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』はねっとりするが、『ブラックフォン』『ジョジョ第四部』は結末はスカッとする。
『死刑にいたる病』を二度観る気持ちになれないのは、この結末が暗い行き止まりに感じるからだ。
例に出したサイコパス殺人鬼たちは、理屈はあるもののそれは抑えられない自身の衝動のようなもので、あまり理屈めいたものは存在しない。パンを食べるのに、昨日はライスだったから、今日はパンにといったこざかしさもない。パンが食べたいから、パンを食べる。それだけ。
榛村大和は、理屈っぽい。「被害者に信頼を与えてから、拷問で絶望させる・被害者はまじめな17・18歳の高校生」このプロセスを大切にするという設定。自分はこういう形でしかコミュニケーションできないんだという、説明的設定。(作品の批判ではないのでファンの方は、怒り心頭にならずに。どうぞ。)こういう言いっぷりが理屈っぽい。吉良吉影は若い女性の手を収集するという一点に尽きるが、若いころはただの殺人鬼だったし、このあたりを研ぎ澄ましていくと、「女性の手収集」にたどり着いたのだろう。プロセスよりも、結果。そういう点で、この二人のサイコパス殺人鬼は大きく異なる。
刑務所の刑務官まで心を操縦されるという始末
刑務所の刑務官が心を操縦されるって、『グリーンマイル』レベルじゃないと(あれは不思議な力のおかげ)。『グリーンマイル』は心を操縦するのではなく、死刑囚と刑務官が心を通わせる話ね。
刑務官を懐柔するって、この積み上げてきた理屈っぽいサイコパス殺人鬼の設定を覆すような、もう心操る系無双になっている。脱獄すら可能レベルなのではと思うのだよ。
映画は超長い原作の予告と捉えた
映画に関わった人たちには失礼な話かもだが、これは原作を読まねばとなる映画だ。結局のところ結末もピンとこないし(意味はわかる、でも端折りすぎ、最後にガンとひっくり返すのはズルい)。伏線が回収されてる!っていうレビューも多いけど、回収されたというよりも一つに集めなおしたぐらいで集めたパズルはキレイにはまっていないようにも見える。
ということは、原作を読まねばならない。ブックオフ行ってくる!!!
残虐シーンが見るに堪えないが、物語の展開としては観入ってしまうの一作『死刑に至る病』、ぜひご鑑賞くださいませ。(小説版買ってきます!)
最上級のB級映画
最初に、考察もせずただ映画を観て「面白かったー」「怖かったー」を感じたい人には観覧をオススメしない。
何故なら映画である以上ストーリーや設定人物描写などはあるが、製作者側は映画タイトルである「死刑に至る病」とは何なのかをメインテーマに据えて映画を作っているからである。なので、ただ映画の1場面を観て「怖かったー」ではなく、何故その表現をする必要があるのかまでは最低でも考えなければならない。
逆にこの考察が出来るのであればこの映画に最上級の面白さを感じる事が出来る。殺人鬼が主人公に依頼した真犯人の考察、死刑に至る病についての考察の2つを同時進行で行う必要があり、一般的なサスペンス映画では感じられない深さを感じる事が出来る。
一方で上記で話した通りあくまでタイトルを中心に観覧者に考えさせる映画である為、それ以外の部分はおざなりであると言わざるを得ない。元が小説である為こういった「必要ない部分は書かない(表現しない)」ストーリー構成なのはわかるのだが、今時の映画とは思えない程に一部分以外へのこだわりが薄い作品で、映像だけで見ると非常に蛋白なのが残念。
またこれは、ネタバレになるが最終的にこの作品はメインテーマに据えている「死刑に至る病」について具体的な回答は出さない。例えていうと、算数の問題を自分なりに解いたが先生が答え合わせをしてくれない。という感覚。勿論ある程度映画を見れば回答の予測自体は出来るのだが、その答え合わせが出来ないとなるとやはり自分の回答が合っているかどうか知りたいものである。もしかしたら小説版や他の文献を読めば理解できるのかもしれないが、それは余りにもこちら側への要求が高すぎるだろう。
纏めると、面白さは格別だが観覧者側への要求値の高さと配慮の無さが気になる映画の為、評価として「最上級のB級映画」であるように思う。
死んだ目には、気をつけましょう。
2度目の鑑賞になります。
ストーリーは、主人公の大学生雅也かなりの囁き声で、大丈夫かと思わせる。
祖母の葬儀からの、24人の拷問殺人鬼の榛村大和からの一通の手紙が届く。
榛村は、当時地元のパン屋さんで、雅也も当時通っていた。そこから、榛村の面会に足を運び死刑確定であるにも関わらず、1人の女性根津かおるの殺害は自分ではなく他に犯人がいる、その犯人を探してくれと言うものだった。
そこから、雅也は事件の真相に飲み込まれて行き…と言うストーリー。
とにかく、殺人鬼の榛村大和(阿部サダヲ)の怪演は素晴らしい👍
死んだ魚の目をしている時と、やたらと話相手を褒めてるけど心が無いと言うか、サイコパス感が凄かった。人を操る才能があると言うか、自分で決めてと言うセリフは、震えます。
この榛村は、完全に暇潰し感覚で主人公の雅也とゲームを楽しんだだけだと感じた。
榛村は、パン屋を営んでいる時から学生に目をつけて、利用出来る人間の選別し、捕まる事を想定内に置き、徹底的に手紙を送り付けていた可能性も考えさせられる。
榛村の話も、どこまで本当か嘘かも分からず、雅也の母親と過去同じ境遇の中仲良くなり、出産した子供を燃やしたと言っているが、雅也が母親に問い詰めるシーンがありますが、榛村と連絡を取っていると手紙を見せた表情が意外にも懐かしい眼差しで、嫌な表情を出さない事もなんでやと思ってしまいます。子供を燃やした過去があるなら当然だが犯罪です。母親もちょい狂ってる?
この映画は、本当の真実が見えて来ないミステリーでありホラーな映画だと感じます。
ラストは、一見落着でこれから愛を育むはずが〜ですが、このラストも榛村の仕掛けなら天晴れです。
踏み入れたら、沼
感想
史上最悪の連続殺人鬼からの依頼は、たった一件の冤罪証明だった
一件の冤罪事件を巡り二転三転する、真実、深まる謎
誰も予想できないラストがあなたを待ち受ける。
阿部サダヲのサイコパス役最高でした、あの目嫌です。若い時の髪型には笑ってしまいました。
水上恒司の演技もよかったです。
宮崎優は今後注目の女優さんになりました。
元with Bのコージ、阿曽山大噴火も出演してます。
拷問の爪を剥がす、根津の損壊など痛々しい描写ありです。なぜ生傷を舐めれるのか…
冒頭は桜だと思ってましたが被害者の爪で衝撃でした!
ラストはまさか灯里が…鳥肌立ちました。
榛村大和
行方不明になってる少年少女24人の殺害容疑で逮捕。
うち9件立件、起訴されたが、ある1件の事件のみ冤罪を主張。第一審では死刑判決、現在控訴準備中。
計画的に犯行を繰り返す典型的な秩序型連続殺人犯
高い知能を持ち、魅力的な人物で社会に溶け込む
商店街でパン屋ロシェルを経営。客を獲物にすることも
裁判ではのべ殺害人数は覚えてないと証言
成人女性が殺害された最後の事件のみ、冤罪を主張
※BLTO
※分かってくれるよね?
人間の面白い心理
阿部サダヲさんの五臓六腑に染み渡る怪演。素晴らしい以外の言葉が見つかりません。阿部サダヲさんの演技だけでこの映画は良作になってると言っても、過言では無いくらいでした。
ですが、少し邦画ならではの臭い演出が多々あったかなという印象を持ちました。例えばクライマックスの面会シーン。新事実や主人公の推理を披露するシーンでは、プロジェクター(?)を使っており、本作の肝の不気味さが欠けていました。陳腐な表現の仕方で少し気持ちが下がってしまいましたね。
良い所も勿論あり、それは冒頭の拷問シーンです。あういうシーンを邦画で表現しようとするとすぐクラシックを流したり、大袈裟な描写でグロテスクさを引き立てようとするのですが、この映画は少し洋画チックなモノを感じました。まず阿部サダヲさんが着ていたゴムエプロンが似合っていてゾクゾクしました。ただただ淡々と事を進める阿部サダヲさんの目には、人間以外の『ナニカ』を感じさせてくれました。不気味さ、不穏さ、奇妙さがピカイチでした。人間が心の根底に抱える苦痛、トラウマ、狂気の部分は、本当に興味深かったです。本当に阿部サダヲさんの怪演を見るだけで、見てよかったなと感じさせてくれました。
つまらないが、悲鳴は良かった!!
タイトルから、我孫子武丸の「殺戮にいたる病」を思い出しました。普段からYouTubeで、海外の大量殺人犯ものを聴いていますが、何かショボい創作という感じでした。主人公は発声もはっきりせず冴えないし、阿部サダヲは表面的で単調です。大した演技じゃない中山美穂がいるのも謎です。全編に渡って全く面白くないですが、少年少女の悲痛な叫びは良く録れていると思います。
やっぱ、ホラーに近いミステリーは苦手なのかも
何度も裏切り観ている人を飽きさせないが、最後の女の子の部分は理解ができなかった。女の子自身は真面目ではあったかもだが、これまでとタイプが違う気がしたが、意図として親の兼ね合いから自尊心の低い子がターゲットだったから?でも、最初のアルバイトの女の子は違ったような。。いつもの思考系とは違うタイプで理解が難しかった。
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