死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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阿部サダヲの狂気
最初から、グロさ満載のサイコ・サスペンス。櫛木里宇のタイトル同名の小説を、暴力や人の怖さを描いたらピカイチの、白石和彌監督がメガホンをとった話題作。
とにかく、サイコキラー役の阿部サダヲの演技に呑み込まれた2時間。彼は、人情モノの心を揺さぶる役から、笑いを誘うコミカルな演技、そして、今回のような、恐ろしい殺人鬼の役まで、幅広くこなし、主役でも脇役でも存在感を示す、オールマイティーな役者だ。
本作では、決して言葉を荒げたり、威嚇したりすることはなく、何処にでもいる真面目で、穏やかなパン屋の店主として微笑む姿が、その裏に潜む狂気に満ちたサイコキラーとしての怖さを倍増する。逮捕されてからの面会室での描写も、24人もの少年少女を殺してきた殺人犯とは思えないような冷静な態度で、淡々と自分を分析して語る姿は、一層の恐怖をあおる。
ストーリーは、連続殺人犯で逮捕され、拘留中の榛村大和から、三流大学生の筧井雅也の所に、「ぜひ、面会に来て欲しい」という手紙が届く。雅也は、中学生の頃から、パン屋の榛村の店も訪れて顔馴染みでもあった。面会に行くと榛村は、「23人は確かに自分が殺したが、最後の1人は自分がやったのではない」と伝え、雅也に別の犯人を突き止めて欲しいと依頼する。そして、雅也は単独で、その調査に乗り出し、新たな犯人像も見え隠れする中で、雅也自身にとったても、残酷で驚愕な事実へと繋りを見せ始める…。
本作での怖さは、榛村が、人の好い一面を見せ、次第に被害者との信頼を築いてから拉致し、爪をはぎ、骨を砕き、切り刻み、拷問によって奈落の底へと突き落とし、極限の中で惨殺されていく恐怖である。そして、巧みな話術や行動によって、榛村の術中にはまり、犠牲となっていく純真で真面目な少年少女の姿。
こうしたマインド・コントロールとも言える榛村の怖さが、面会室で筧井が榛村が対峙するシーンによく表れていた。犯罪者と犯罪者でない者を隔てる、面会室でのアクリル板。そのアクリル板に反射する榛村の姿を利用し、いかにも、筧井のすぐ横で悪魔の囁きをしたり、心身の中にまで忍び込むように、筧井と重なって榛村を映し出したりするシーンは、白石監督の巧みな映像アングルとも言える。
一件落着後もまた、狂気的な怖さを引きずるような、意味ありげなラストシーンで、エンドロールが流れた。
ただひたすらに怖い
四回くらい目を瞑った
阿部サダヲのあの目はヤバい!
17,8歳の真面目でお利口そうで爽やかな子がいいな。男・女は問わず。あ、爪はきれいでないとね。そして信頼関係を築き上げてから、相手を絶望に突き落とすことに快感を感じる榛村。「そうする事でしか人と関われないから」——!?何ですか、それ。病気と言うより、生まれながらの異常者に思えます。治癒不可能です。
阿部サダヲさんは初対面から変質者の感じが出過ぎじゃないですか。獲物を品定めするねっとりした目つきで、あんなに接近して来られたら、仲良くなる前に「あの人、キモイ」ってなりそうです。近所の人と話すときみたいに自然な感じなら良かったんですが。最初から気持ち悪っ、と感じてしまったし、豹変する場面を見せないので、ショックとか怖いとかより、ずっと不快感がありました。
爪に固執する理由のエピソードもあった方が良かったですね。
「お母さん、決められないから、雅也が選んで」と言う母親。強権的な父親にずっと支配されて来たので思考停止です。(そのお父さんが存在感が薄いので、途中まで親戚のおじさんだと思ってました)
岡田健史さんの演技は良かったと思います。面会のシーンはとても凝っていて、見ごたえがありました。
性癖というよりコレクター
生きてる事に感謝しながら観ました
阿部サダヲの狂気と岡田健史の鬱屈。綱渡りを最高に成功させたみたいな作品
観終わってからも数時間、ちょっとした興奮状態が続く。j
それほどの作品であった。
残虐なシーンも多く、心理的に追い詰められるような描写もあるのだが
そういう問題ではない。
それは、まるで観進めていくうちに、
細い木綿の糸と鋭いナイロンのテグスが絡まって、こんがらがって
どうにもこうにも全く解けなってしまうような。
それを解くために時間も忘れてぐちゃぐちゃに固まった糸の絡まりを
痛くなってくる指先でずーーーっとほぐしているような∙∙∙
少し絶望に似たような鬱屈とした世界がジワジワと広がっていく様は、さすが白石監督だと思わされた。
拘置所【榛村(阿部サダヲ)】とこちらの世界【雅也(岡田健史)】を
線引く面会の衝立のアクリルに重なり写る互いの顔の使い方、
無機質で澱んだ空気感に包まれた面会室という密室の狭い世界から
語られ、探られ、想像しては繰り広げられる
歪んだ人間たちが創り出す現実世界の広がりが恐ろしいこと極まりない。
前半で植え付けられる【榛村】の狂気と相反する普遍性に
「ひょっとして∙∙∙」という思いから
後半に回収されるさまざまな
「え?こいつが?!」
「え?まさか∙∙∙あの人も?!」
「あ!アイツなのか?!」
「え∙∙∙そういうことだったのか∙∙∙」
キリがないほど引き込まれ翻弄されるのです。
観終わった後、
なんだかグラグラの綱渡りを見事に大成功で渡り終わったような
意味不明な解放感みたいな気持ち良さが襲ってきた。
そして最後に思うのです。
なるほど。
タイトル通り『死刑にいたる病』だな。と。
素晴らしい作品でした。
何気ない日常に潜む人間の怖さ
楽しめたが足りていない
阿部サダヲさんが演じたのは残酷極まりないサイコパス/シリアルキラー。24件の殺人容疑で逮捕され死刑判決を受けた。
岡田健史くんが演じたのは進学校に合格するも脱落し三流大学で鬱屈した日々を送る大学生。中学生の頃に顔馴染みだった殺人犯に面会し翻弄された。
結構グロいのに重くなり過ぎないのはサダヲさんのキャラのせいかな。二人の心理戦がエンターテイメントとして成立していた。
そう、十分楽しめたのだが、『羊たちの沈黙』や『ハウス・ジャック・ビルト』のように強烈な烙印が押されなかったのも事実。
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思えば2010年の邦画マイベストテンの第2位に置いたデビュー作『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で強烈な出会いを果たした白石和彌監督。
それ以降、テンに入れたのは2019年の『凪待ち』のみ。レベルが高い作品群だが自分には足りていない。
「正気の悪」が見えてこない
やっぱり目を背けてしまった、、
阿部サダヲだから
白石節はやや控えめだが、見応えのある作品だ。
キャスティングは重要
「刑事施設に収容されている被収容者との面会から事件を振り返る」
このシチュエーションは、映画やドラマで割と定番な設定です。
最近の作品だと例えば、是枝裕和監督の『三度目の殺人(17)』や、堤幸彦監督の『ファーストラヴ(21)』などが思い出されます。
なお、この2作品は「被収容者」は判決が確定していない、いわゆる「未決拘禁者」です。そして、面会者はそれぞれ公的な立場である弁護士、公認心理師であり、刑事裁判を控えて事件の真相を探る(見直す)「必要性」を考慮した面会です。
それに対し、今作は「受刑者(死刑確定者)」との面会という設定です。劇中、岡田さん演じる大学生・筧井雅也は東京拘置所(小菅)にて面会の申込書に「知人(残念ながら、他は確認しきれませんでした)」と記入して提出します。その後、特に何もなかったようにあっさり面会となります。
ちなみに、親族でもなく非弁護士の彼の外部交通(面会・信書の発・受)がこうもすんなり認められるものか?私、やや引っ掛かって鑑賞後に法務省などのサイトで少々調べてみました。結果、よく判らないながら取り敢えず「可能性はあり」そうなのでここは良しとしましょう(笑)。原作未読だし。(参考まで、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律、120条及び139条)
ここで阿部さん演じる榛村大和から「一つの事件は自分の犯行ではない。真実を見つけてほしい」との頼みを受け、榛村の事件を振り返っていきます。
ちなみにこの映画、レイティングはPG12となっていますが、大和の犯す殺人は「拷問」であり、その振り返り映像はゴアを超えて「グロ表現の連発」です。苦手な方はご注意ください。
ただ、このことこそが雅也を事件にのめり込ませ、更には観ている我々をも深く引き付ける重要な演出です。「(残虐な)殺人シーン」と「面会室(という特殊な空間)」を交互に見せつつ、アクリル板に反射して映り込む二人の姿を並べたり、重ねたりすることで、雅也の心理を表現していきます。更にはクリアではなく敢えて僅かにアクリル板越しに反響するお互いの声を観客に聴かせることで、現実的な感覚を惑わせるトリックが利いているように感じます。
少々残念なのは、出演者の何名か(敢えて名前を伏せますが)の演技がイマイチなところ。。。ヘビーな内容だけにむしろ下手さが目立ち、観ながら代役を考えたくなりました(苦笑)。まぁ、それは冗談半分としても、こういうところで勢いみたいなものをそがれると、ついついリアリティラインだとか細かい部分に目が行ってしまうものです。更には、勿体ない(そう思わせるだけのことはある)ことにオチすら蛇足に見えてしまったり。。。
やはりキャスティングは重要です。
榛原の目がずっと怖かった
被害者は何人?
静の邦画のお手本
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