「「普通」に対する憎悪」死刑にいたる病 maruさんの映画レビュー(感想・評価)
「普通」に対する憎悪
過酷な環境で育ってきたであろう榛村(阿部サダヲ)は、きっと「普通」に憧れていて、なんで自分の周りには・自分にはこんな簡単な「普通」なんてものが手に入らないのか。愛し求めていたが手に入らず憎しみに変わり、その気持ちも振り切って絶望となり無感情になる。愛の反対と言われる無関心や憎しみやらで心が染まり、「普通」を持つ青春真っ只中の輝く少年少女をターゲットにして「痛み」という非日常で被害者から「普通」を削りとる実感を得て、生を感じ取り、自分のものにしていた気がする。その殺人が続いたことで榛村にとって連続殺人とその残虐な行為が「普通」となっていった。榛村がその「普通」に無意識か意識的にか気づいたがために、これではいけない俺もその普通の人間になってしまうという焦りから、これまでの殺人とは異なる殺人を犯した。ようにも見えた。
榛村は死産で生まれた赤ん坊の処理については、子供の幼稚さとその環境で生きていくための対応だったように見られるが、その描写や殺人シーン拷問シーンがなぜあれほどリアルにする必要があったのか。「ホラー映画」なのかとおもうくらい。「残虐な行為を(見た目)普通の人間が行う」という掛け合わせが不気味さを演出するのだと思いますが、死産の赤ん坊を処理するシーンは榛村の無感情さを見せるための演出かと思いますが、見てられないほどリアルな描写をされていた。
「死刑にいたる病」という「病」の意味は、病気の他に悪い癖。欠点。気がかり。苦労の種などがあった。タイトルは意外とシンプルなんだなと思いました。