「影が重なるとき」死刑にいたる病 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
影が重なるとき
単純に1本の話としてとても面白くみれた、というのが率直な感想である。正直鑑賞前は「どうせこうなるんだろうなあ」とサスペンス映画を見る前にだいたい予想を考えてしまうのだが、終盤にかけての阿部サダヲの演技にまんまと引っかかってしまった。また彼のハイライトが全くない闇そのものの瞳が本当にこの作品にぴったりなのだ。被害者の少年少女を拷問する際の表情もまた見事で眉一つ動かさず慈悲の眼差しを彼らに注ぐ。そこに一つの曇りもなく、役者としての凄惨な光景への戸惑いもあらわさず完全に役になり切っているところはまさに適役だったなと思う。
会う人会う人みな彼を好きになるという設定で男女問わずから人気が出る、という設定だが彼の中性的な顔立ちだからこそ抜擢されたのかな、とも思う。
また岡田健史演ずる寛井は終始打ちひしがれており希望もくそも持っていない。田舎の出身で家庭問題に大きなひずみを持っており実家内の険悪のムードが思わず顔をそむけたくなるくらい切実に迫ってくる。卑屈すぎるだろ・・・と正直思ってしまうところもあったがそれをずらさずずっと保ち続けるのはすごい演技だなあとほれぼれした。
両者とも違う性格の持ち主だがこれが不思議なことに面会を重ねるにつれどんどん姿が溶け合うのだ。鏡越しなはずなのにカメラのポジションを計算しつくして配置しているのだと思うがその境界線がどんどんあいまいになっていく。姿が重なり鏡越しのはずの両者の手が重なり合うところは自然に持っていかれてしまいむしろ美しささえ感じる。また寛井が大学構内を歩くところも、主人公の歩くスピードと背景の同級生の動きを微妙な速度でずらしてカメラを映しているが、周りと打ち解けられず孤独であるという彼の心象風景をより一層引き出している。
しかし見ていくうちに孤独なのは彼だけではなく、登場人物たちはみな何か孤独感を抱えて生きているのかなとも読み取れる。映画の質感はよい意味で邦画っぽくなく、ドライな味を感じたがそれは現代の世界の、どこか他人と距離を置いている我々の世界にも通じるものを感じた。
榛村はとにかく人を褒め、認め、話しかける。我々は他人と積極的にかかわることを控えているからこそ、どこか他人に認められたくて、それを真っ向から手を差し伸べる榛村がみんな好きになるのではないかな。現代の寂しさ、埋められない心の隙間が満ち溢れている寂しさみたいな空気感を醸し出している。それが映画全体のどこか乾いている作風として表現されているのではないか?
やはり終盤の面会室での対峙は見事の一言で実験的な映像手法で見るものを楽しませる。あんなに狭い一室のはずなのに二人の心の中に入り込んだようで一つの精神的世界が形成されていた。プロジェクターで被害者の顔写真を画面いっぱいに映したり、カメラを定点で固定するだけでなく二人の間を行ったり来たりして非常に多面的に見せてくる。まるで演劇や芝居を間近で鑑賞しているようなそんな不思議な感覚を味わえた。