プリテンダーズのレビュー・感想・評価
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ウソも休み休み言え。
期待値低目で臨んだ、一月振りの劇場鑑賞で御座います。マンボウ破りです。割と面白くて得した気分。
観ているコッチの方が恥ずかしくなってしまうようなストーリーなんですが、何故か嫌いになれない不思議な映画。不快極まりない花梨の描写が続いた後に、甘ちょろくない現実の厳しさが、適度な長さで差し込まれてるからだと思うんです。
気分上げから下げ。下げから更に下げ。ちょっとだけ上向いたかと思いきや、駄々下りからの上げ。的な、エレベーター的な序破急の題材はSNS。真っ向から否定しているのは、自己承認欲求を満たすためなら嘘も厭わない、薄っぺらい理論武装のSNS投稿者。ドキュメンタリーを装うフィクション。
と見せ掛けて。
最後の最後の、エンドロール後にオチがあると言う仕込みが好き。他人を幸せにできるなら、嘘も悪くねーぞと。5歳の女の子が締めるとかw
楽しかった。割と。
ラストが爽快
オープニングの「前へならえ」映像おもしろいんだよね。ただ「俺のセンスを見ろ!」映像が少し多くてちょっと辟易したの。
そこから入学式で主人公がむちゃくちゃすんだよね。そこは面白かった。でも、あそこまでおかしかったら精神異常を疑うよ。そのケアしない学校も問題だろ。
そこから「ん?」という展開なの。主人公、魅力がほとんどないしね。やってることは不愉快だし。
『悪いことやってるのがバレた!』ってなったところで、突然、主人公が感情的になるのね。「なんで?」って感じなんだけど、ここのシーンで小野花梨が脱ぐんだよね。「良くこの流れで脱いだな」って仕事の選び方が心配になったよ。
そこから渋谷スクランブル交差点で主人公が思いの丈を叫ぶ。「70年代の映画なの?」って感じで、「PFFってこういうの好きなんだろうな」と思ったな。
ここから「フェイクってこういうことだよ」という展開になり、しかし主人公がやっていたことを認める人もいて、ラストの流れに。
ラストは子供をゾンビで脅かすと子供は一致団結して戦うので仲間はずれがなくなり、最後は親が出てきて恐怖を乗り越える体験ができるという、都合の良い提案が受け入れられて実施されんの。
「そんなうまい話が!」という展開なんだけど、子供が怖がって、そこに親が来て安心するところは「良かったなあ」って爽快なのね。それで終わるから映画の印象も少し良くなったよ。
この映画『本当はお父さんに認めてほしかった』『本当は嘘だって分かってるんです』って、大事なことを突然セリフで言うんだよね。そこがポカーンとなるとこなんだけど。
役者さんは古舘寛治、津田寛治、村上虹郎、吉村界人とミニシアターで良く観る人たちで良かった。オープニングのお母さんの遺影が「佐藤みゆきだ!」と思ったけど違うかな。
色々とあるけど、ラストの爽快さで、だいたいチャラだったな。
小野花梨!
小野花梨さんの発散するエネルギーを浴びる。小野さんには「鈴木先生」のカーベェ役でぶっ飛ばされ、『SUNNY』の鰤谷役で異次元に引き込まれ、いやもう本当にすごい。
ストーリーも、興味深いものをたくさん孕んでいた。特に、渡辺哲さんたちのところへ謝りに行った場面が好き。炎上=間違った言動の結果、炎上した人=正しくない人、みたいな見方が当たり前になってしまった世の中で、そのいい加減なナンチャッテ多数決にくみしない人たちも、少ないかもしれないけど存在していて、今日もどこかでまっとうに生きている。そう思ったらなんか救われる。
ただ、水着で隠れる部分は人には見せない部分だよ、それは俳優も原則は同じことよ、と私は思っているので、記者との対決シーンは撮り方を工夫してほしかった。脱いだことが分かれば十分では。演じる本人が作品にほれ込んで、そんな細かいことは気にしないと言ってる、みたいなことだったかもしれないけど、そこは冷静にコントロールする人がいるべきだ。
それと、手持ちカメラで激しく揺れながら撮る表現を、私はいいと思ったことがない。今回も酔った……。ソニーはPSVRについて、他のVRゴーグルと比べてどこが優れているんだと聞かれて、性能やら新機能やらではなく、酔わない仕組み作り(コンテンツを審査して酔う可能性を丹念につぶす体制がある)を挙げていたと思う。そういう意識って大事。まず、コンテンツに万全の状態で触れさせてくれ。私の三半規管がゴミなんだとは思うけど。
世界は変わらず、終わらない日常が続いていく
大人になってから、幼稚園~高校までのことを振り返ると、朝礼や各種行事の予行演習、応援歌練習(これは田舎の自分の学校だけだろうか?)等、今思えば全く意味のないことを“強制的に”散々やらされた記憶がある。
だから冒頭から「前ならえ」を拒否する主人公にはとても共感したし心の中で応援した。うん、前ならえなんてアホくさいもんな。あんなもんは軍国教育の名残じゃ。やめろやめろ。
そんな社会不適合でひきこもりな主人公が偶々なした善行から自己肯定感を得て革命を起こそうとする。
だがそれは人を騙す行為だ。そのことを親や友人に指摘されると主人公は社会をよくするためだと手前勝手な正義を振りかざす。それは自身が承認欲求を満たすための方便にすぎないのだが、その目指すところ自体はたしかに正義なのかもしれない。だが、正義をなす手段において醜悪な行為を含む時点でその正義は肯定されない。
また、主人公は己の正義を盲信してしまった。自分のやっていることが間違っているとどこかでわかっているからこそ、正当化のためにより過激な行為に手を染めていく。人間が破滅に陥るパターンであり教訓である。
主人公の父親が主人公のもとをたずねて説教するが、父親の言葉は娘には届かない。当たり前だ。父親は安全圏から上から目線で正論を振りかざすばかりで、この社会の矛盾や疑問については何一つ言及しないし説明しない。というか、父親は言葉を持ってないのだ。日本の一定年齢以上の男性に多く見られるが、彼らは人に語る言葉を持ってない。これでは娘の心には響かない。
主人公を改心させるのは、友人の文字通り“捨て身”の説得によってである。
渋谷のド真ん中で人目もはばからず大声で叫ぶ。その友人の姿を見て、また促されて、主人公もそれまで隠していたちっぽけでみじめな本心を吐露する。他人を本気で救うには、自身も身を切らねばならないということがよくわかる。そして自分のために身を切ってくれる友人がいた主人公は幸運だった。友人にとっても、主人公はたった一人の仲間だったのだろう。
と、ここまでは作品としてすごくよかった。
変態YouTuberに脅されて云々~のくだりは露悪的で生理的に嫌なシーンだった。
主人公が今までやってきたことの意趣返しを意識したのかもしれないが、主人公はもう反省してるし、プリテンダーズが破綻したことや身バレでダメージも負ってるからそこまでの追い打ちはいらないと思った。
幼稚園で妹のために再びプリテンダーズするのもどうかな、と。あの父親が一転して娘に協力的になるのに違和感を感じた。身バレまでしたプリテンダーズを妹のためとはいえ再開するなどと言い出したら「頼むからもうやめろ。学校行け」とあの父親ならなりそうなもんだが。幼稚園側も了承するかな~。普通の幼稚園だったらお断り願うんじゃないだろうか。なので終盤の展開にはご都合的な欺瞞を感じてしまった。
キャスティングは素晴らしい。特に主人公。こう言ってしまうと演じられている役者さんに失礼かもしれないが、あまり美人でないのがよかった。物語上、惨めな展開になる場合でも、演じている役者は美人な場合が多い。それだけで惨めなシーンも美しいシーンになってしまう。これはドラマや映画において問題だと私は思っている。
プリテンダーズは惨めなシーンがしっかり惨めに描かれていて、そこがとてもよかった。
ラストはいい感じに終わったけど、結局世界はなにひとつ変わっていない。
これからも学校は生徒に「前ならえ」を強制していく。
主人公と父親はちょっと和解した。
世界もちょっとは変わったほうがいい。変えていくのは作品を観た私たちだ。
全部他人のせい
現代社会を個性が奪われた世界と嘆く17歳の少女が、人の善意を弄ぶ動画を撮ることにハマり巻き起こる話。
高校の入学式で前へならえに反発する様から、映画として嫌な予感w
自分では何も為さないし、自分の力で生活できる基盤もないのに能書きタレて社会を批判し人を批判し…。
自分では表だったところに上げないけれど、それは所謂迷惑YouTuberと変わらないっすよね。という不快な前半。
自分がやるは良いのにやられるのはダメですか?
やらなくても気付ける人、やってしまって気付く人、やらかしても気付かない人、そして気付いて修正できる人、気付いても変わらない人、気付いて逃げる人といる中で、この主人公はまだ救いがある人だった訳で、渋谷のスクランブル交差点での件はなかなか良くて、ここで終わるのかと思いきや、尺はまだあるよね…。
そこからは蛇足になるかと思いきや、畳み掛けられ更に向き合い…これはある意味風刺だったりする部分もあるのかな。
なかなか面白かった。
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