プリテンダーズのレビュー・感想・評価
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軽い気持ちで動画配信するリスク。
2023年に起きた回転寿司チェーン店で
客の高校生が醤油差しや湯呑みを舐めて、どの動画が拡散した事件を
思い出しました。
高校生は店に訴えられて6700万円の賠償金を請求された。
この額は見せしめのものだったらしく、実際には100万円程度を
高校生側は支払って治ったようだ。
引きこもり高校生のカリン(小野花梨)は、
「ゴッホ」になりたい・・・、自分を世界から認めてほしい、
などの承認欲求が肥大して行く。
コロナ禍の鬱屈した状況を打開すべく、憂さ晴らしに
手取りは早く、他人を欺いて、親切に接する人の好意を撮影した
動画に取りそれは拡散する。
徐々に動画はエスカレートして、
血を吐いて倒れる人物を模倣したり、
その男が起き上がってゾンビに変わったり、
徐々に愉快犯のようになっていき、
再生回数が増えることが生きがいになっていく。
実際に「プリテンダーズ」の動画は有名になっていく。
しかしカリンのスポンサーとも言える親友のフーコ(見上愛)が
良心の呵責に耐えられず、週刊誌記者にカリンの個人情報を
リークしたことにより、カリンは絶体絶命のピンチに陥り、
今まで騙した男からリンチを受けることになる。
軽い気持ちで配信する動画の怖さが、身に染みる結果となる。
まあ、菓子折りを持って父親(古舘寛治)とフーコの三人で
頭を下げることで、一応収まるのだが、妹のアカネが幼稚園で
仲間はずれにされたことにカリンは心を痛める。
“なんとかせにゃならん“
と、打った手は、ゾンビの幼稚園児襲撃作戦。
賑やかに元気な画面からは、もう引きこもりのカリンの面影は無い。
小野花梨は脇役から良く観ていたが、主役を張っているのは
初めて観ました。
お盆に目鼻みたいな、平べったい顔。
美人女優とは一線を画す存在感と熱量。
重宝されるのがよくわかりました。
ネット社会では、プロもアマチュアも同じ土俵に上がります。
リスクもアマだからと、許されるわけでは無い。
その点では厳しい世界だとも言えると思いました。
若者の成長
生前は社会から相手にされず1枚しか絵が売れなかった画家ゴッホに共感する17歳の花田花梨は、父親と言い争いをして家を飛び出し、親友の風子のところに転がり込んだ。ある日、電車の中で病気の人に席を譲り、その時に感じた感覚をきっかけに、現実にフィクションを加えて、みんなに喜んでもらえる事をしようと考えた。親友の風子とともにプリテンダーズと名乗り、SNSを使って、電車での争いを喜劇にしたり、ゾンビを町に出現させたりと、次々とドッキリを仕掛けていった。協力者を増やし、リツイートが増え、バズることに成功するが・・・という話。
人と同じ事を強要されるのが嫌なのはわかる。前へ倣え、をしたくないのも、まぁわかる。フィクション込みの動画投稿で非難されるユーチューバーみたいだなって観てた。
若者の成長を描いたのかな、って思った。
途中のトップレスでレイプもどきの制裁を受けたところがよくわからなかった。
小野花梨が体を張って頑張ってた。
風子役の見上愛が可愛かった。
ウソも休み休み言え。
期待値低目で臨んだ、一月振りの劇場鑑賞で御座います。マンボウ破りです。割と面白くて得した気分。
観ているコッチの方が恥ずかしくなってしまうようなストーリーなんですが、何故か嫌いになれない不思議な映画。不快極まりない花梨の描写が続いた後に、甘ちょろくない現実の厳しさが、適度な長さで差し込まれてるからだと思うんです。
気分上げから下げ。下げから更に下げ。ちょっとだけ上向いたかと思いきや、駄々下りからの上げ。的な、エレベーター的な序破急の題材はSNS。真っ向から否定しているのは、自己承認欲求を満たすためなら嘘も厭わない、薄っぺらい理論武装のSNS投稿者。ドキュメンタリーを装うフィクション。
と見せ掛けて。
最後の最後の、エンドロール後にオチがあると言う仕込みが好き。他人を幸せにできるなら、嘘も悪くねーぞと。5歳の女の子が締めるとかw
楽しかった。割と。
そういや「前へーならえ!」ってヘン
映画としてどうなのか。。。
現代の息苦しい世の中に物申す、みたいな触れ込みだったので、
かなり社会を切り裂いてくれるのかと思ったら、なんか若者の炎上目的の下衆な動画を観させられた感じだ。
前倣え、でみんなと同じものを叩き込まれ、みたいな集団意識の強い日本社会に対する反抗心は共感できるが、主人公の訳の分からぬSNSでのやり口と、結局友人に説教され、
『私を返して』と叫ぶ様も、よくわからなかった。
この『私を返して』(渋谷の真ん中で言った)という言葉がすごく引っかかっているのだが、
他の人と自分は違うな、と思ってるのだが何もその人の個性は奪われてないのだが。
若者目線での言葉なのか。ただ、あまり伝わらなかった。
そもそも、演出が下衆いというか、観ていて不快なシーンが多かった。
あと2020年3月にロケしてた、と言うからコロナ関連の言葉も聞かれたが、
正直、いまだ深刻な問題なのに軽率に扱い過ぎていた。
ここまで長引くとは思ってなかったのか。ここも不快だった。
期待していただけに残念しか残らなかった。
ただ、最後の保育園のシーンの保育士さん役の佐藤玲さんが可愛かった。
今年ベストかもしれない
この作品を楽しめるかは人によると思う
共感か?拒否感か?という宣伝の この作品。
共感したかったけど、個人的には拒否感の比率多めだった。
でも音楽は最初から最後まで良かった。懐かしいような、かっこいいお洒落感で好みだった。
そして、プリテンドしてない子供たち。本気の子供には弱いので泣いた。
役名とか、エンドロールに名前がいっぱいとか、映画愛を感じて
辛くて重かったけど、最後は意外に清々しく立席した。
映像がドキュメンタリーっぽくて、演技が上手くて、、現実っぽくて。
だから不快感を感じた。
この作品の実験的な試みの面白さは、きっと分かる人には分かるんだと思う。
分かりたかった。時間と気持ちに余裕がある時にリベンジしたい。
世界を変えるためにゴッホ=特別な人間として振る舞う必要はない
古舘寛治と津田寛治という世界三大寛治のうち二人の競演が観られる作品。
…はともかくとして、ありがちなSNSを題材にした話の割には、炎上後の贖罪までを描き切った丁寧な作品だと思いました。
同時に『炎上しなければ話題にすらしてもらえない』今の情報社会に疑問符を投げかけた作品でもあったかと。
別に己の主張や存在価値を認めてもらうために、特別な人間であろうとする必要はないんですよね。
当初エキセントリックな人間として"プリテンド"していた主人公は、ある出来事を機にようやく自分の言葉で話すようになるのですが。
親切な人達も、何も親切である自分を"プリテンド"しようと思ってたわけじゃないんですよね。
あるがままで良いじゃん、ということを説教臭くなく伝えてきてくれた良作でした。
多くの方に見てほしい映画。今週(大阪市は2週間遅れ)本命かな。
今年158本目(合計222本目)。
今週は2日で8本も観ました。最初の「アイの歌声を聞かせて」がとても良かったのですが、前評判でもこの映画は着目していました。ただ、大阪市では2週間遅れで、まだ名前も知られていない監督の方なのか、かなりのミニシアター(ナナゲイ)でしかやっていないという状況のため、本映画がとても気になり、他を排してでも見に行きました。結果、正解だったと思います。
内容としては多くの方が書いていらっしゃる通り、(元)女子高生たちが「プリテンダーズ」をたちあげ、そこにあることないこと動画サイト(youtubeなどを想定している?)に投げたら、その虚偽がバレてしまいしっぺ返しを食らってしまい、彼女なりに(高校3年生のはずなので、18歳か17歳?)考えて「何をすべきなのか」を考えていく、という趣旨になります。
この類型の映画(SNSでバズる→不正が発覚する)は最近もありましたが(最近だと、「メインストリーム」)、本映画はこの「発覚したあと、迷惑をかけた方たちに何をしていくべきなのか」という点についてかなり強烈な問題提起と解決策が示されています。それ(映画内で描かれているもの)が最適解かどうかはわかりません(それは、神しかわかりません)。ただ、大人でもなく子供でもなく、高校3年生(相当)の子が考える内容としては妥当だし、しかも、主人公の心の成長が感じられるすがすがしい内容です。
多少、性表現などについて不穏当な表現がある(この映画、G指定です)ものの、それをおしのけてもかなりの高評価になるのでは…と思えます。
監督が名の知られていない方とのことで、公開されている映画館がとても少ないのですが、このように「内容的に考えさせる映画」がどんどん公開されることを願ってやまないし、そのような新人監督さんを受けいれてくださるミニシアターさんの存在にも感謝です。
下記の内容を考慮した上で、5.0を振り超える7.6(基礎点5.0+3.0 - 0.2 - 0.2)という評価にしました(5.0を超えることはできないので、便宜上の5.0扱い)。
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(加点3.0) 上記に書いてあることが全てで、とても考えさせる内容です。あまり名前など知られていないとのことなので、確かに不自然な点はあります(描写が途中途中、取り直しをしたのか接続が不自然なところなど)。一方で、「SNSがバズる→不正が発覚する」という趣旨の映画は、ここ1~2年で多く出ており、何番煎じになるの?という部分もあります。それは覚悟されていたと思います。しかしこの映画は、「そのあと、彼女たちがどのように何をすべきか考える」という部分の描写がとても練られており、非常に良質な映画だな、と思いました。
なお、「プリテンダーズ」(pretender(s))には「(特定の地位などを)(証拠もなく)主張するもの」のほか「偽善者」という意味があります(参考:ジーニアス大英和)。この意味は2つ含まれているのかな、と思います。
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(減点0.2) 序盤に、彼女たちが「バズるため」に、白杖をついて歩くシーン(それを助けてもらうシーン)があります。しかし、道路交通法上、白杖については、
・ 視覚障害をお持ちの方 → 義務
・ その他、政令で定める障がいをお持ちの方(聴覚障害、肢体不自由など) → 所持してもよい
・ それ以外 → 使用してはならない
…のであり(道路交通法)、本条文は罰則規定はありませんが、趣旨は「主に視覚障害をお持ちの方の交通アクセス権の保障」と考えるのが妥当であり(みんながみんな、それを所持して歩いたら、交通秩序が大混乱する)、また白杖自体はネット通販でも買えるものです。換言すれば、いたずらをしようと思えば(リアルでも)できるものであり、この点についての注意書きが最後になかったのは残念でした(罰則規定はなくても、法の趣旨を考えると真似をするのは妥当とは言えない)。
(減点0.2) 「プリテンダーズ」の虚偽がバレると、視聴者からの「仕返し」が始まります。しかし、これは私刑(わたくしけい)以外の何物でもありません。そして、動画配信者と視聴者の間には何らの関係もありません(たとえば、課金して見ているなどという事情なら、やや異なる)。それに憤慨するのは自由ですが、私刑はいかなる場合でも許されるのではなく、それ単独でも刑法や民法(ほか、行政法規一般)に触れるようであれば、「個別に」罰せられるものです(かつ、それを想定するような不穏当な仕返しを行っている)。
事実、実世界においても「何ら関係のない第三者が勝手に憤慨し勝手な正義感で無関係であるのに突如炎上させて仕返しをする」というのは問題視されているところであり(直接の被害者が民法上損害賠償を求めるのは理解できても、何ら関係のない人は、そもそも何の訴えの権利も利益もない)、この点についてはリアルでも問題視されているところであり、この点に関しても、問題提起がない(このようなことは許されない)というのは、やや描写不足には映りました。
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ラストが爽快
オープニングの「前へならえ」映像おもしろいんだよね。ただ「俺のセンスを見ろ!」映像が少し多くてちょっと辟易したの。
そこから入学式で主人公がむちゃくちゃすんだよね。そこは面白かった。でも、あそこまでおかしかったら精神異常を疑うよ。そのケアしない学校も問題だろ。
そこから「ん?」という展開なの。主人公、魅力がほとんどないしね。やってることは不愉快だし。
『悪いことやってるのがバレた!』ってなったところで、突然、主人公が感情的になるのね。「なんで?」って感じなんだけど、ここのシーンで小野花梨が脱ぐんだよね。「良くこの流れで脱いだな」って仕事の選び方が心配になったよ。
そこから渋谷スクランブル交差点で主人公が思いの丈を叫ぶ。「70年代の映画なの?」って感じで、「PFFってこういうの好きなんだろうな」と思ったな。
ここから「フェイクってこういうことだよ」という展開になり、しかし主人公がやっていたことを認める人もいて、ラストの流れに。
ラストは子供をゾンビで脅かすと子供は一致団結して戦うので仲間はずれがなくなり、最後は親が出てきて恐怖を乗り越える体験ができるという、都合の良い提案が受け入れられて実施されんの。
「そんなうまい話が!」という展開なんだけど、子供が怖がって、そこに親が来て安心するところは「良かったなあ」って爽快なのね。それで終わるから映画の印象も少し良くなったよ。
この映画『本当はお父さんに認めてほしかった』『本当は嘘だって分かってるんです』って、大事なことを突然セリフで言うんだよね。そこがポカーンとなるとこなんだけど。
役者さんは古舘寛治、津田寛治、村上虹郎、吉村界人とミニシアターで良く観る人たちで良かった。オープニングのお母さんの遺影が「佐藤みゆきだ!」と思ったけど違うかな。
色々とあるけど、ラストの爽快さで、だいたいチャラだったな。
え?私は面白かったですよ笑 相当こじらせてる主人公の成長物語で、 ...
小野花梨!
小野花梨さんの発散するエネルギーを浴びる。小野さんには「鈴木先生」のカーベェ役でぶっ飛ばされ、『SUNNY』の鰤谷役で異次元に引き込まれ、いやもう本当にすごい。
ストーリーも、興味深いものをたくさん孕んでいた。特に、渡辺哲さんたちのところへ謝りに行った場面が好き。炎上=間違った言動の結果、炎上した人=正しくない人、みたいな見方が当たり前になってしまった世の中で、そのいい加減なナンチャッテ多数決にくみしない人たちも、少ないかもしれないけど存在していて、今日もどこかでまっとうに生きている。そう思ったらなんか救われる。
ただ、水着で隠れる部分は人には見せない部分だよ、それは俳優も原則は同じことよ、と私は思っているので、記者との対決シーンは撮り方を工夫してほしかった。脱いだことが分かれば十分では。演じる本人が作品にほれ込んで、そんな細かいことは気にしないと言ってる、みたいなことだったかもしれないけど、そこは冷静にコントロールする人がいるべきだ。
それと、手持ちカメラで激しく揺れながら撮る表現を、私はいいと思ったことがない。今回も酔った……。ソニーはPSVRについて、他のVRゴーグルと比べてどこが優れているんだと聞かれて、性能やら新機能やらではなく、酔わない仕組み作り(コンテンツを審査して酔う可能性を丹念につぶす体制がある)を挙げていたと思う。そういう意識って大事。まず、コンテンツに万全の状態で触れさせてくれ。私の三半規管がゴミなんだとは思うけど。
噂のモンスター女優よ殻を破れ!応援シテマス
小野花梨(おのかりん)は、きれいのくに、ホメられたい僕の妄想ごはんなどの最近の夜ドラでちょっと気になった女優さん。ドラマではわからなかった面をみれた。
唯一無二の存在でありたいと、もがく女子高校生役は彼女にぴったりだった。ゴッホに憧れているちょっと屈折してみたい娘。
ブサイク、チビ、まんまる顔の16歳、花田花梨でーす。
てぃんくる てぃんくる リトルスター
いいぞ! いいぞ! もっとやれ!
スマホ。SNS。簡単に世界に発信できる環境にある。スマホ動画のクオリティも高い。人を騙して驚かす動画を作る理由は人びとの自発的な善行動を促し、この世界を変えると鼻息も荒いが・・・
親切にしてくれる人は他人に親切にする自分が好きなだけ。ほら、この顔嬉しそうで、満足げでしょ。と、上から目線。
イタズラはやっぱり楽しい。
義足の役者さんを使った芝居は面白かった。
電車に半裸のお祭り男が大勢乗り込んでくるのも、あんなローカル線なら被害も最小だが、企画物のAVの手法。
柳ゆり菜が父親役の古舘寛治にからむのはドッキリ目的だったが、後味悪すぎた。柳ゆり菜のお顔もよくわからず、残念だった。
渡辺哲を出してきたあたりからさすがにヤバくなる。韓国映画をディスるぐらいはセーフだけど。
電車で席を譲り、自己肯定感に酔った相手との再会。とっても紳士的な対応の奥野瑛大とのシーンではなんとパンイチ姿に。大人を舐めているJKの表現のひとつだが、体を張ったわりにPG12にもしてくれないのに御本人はご不満かもしれない。けど、まぁ、しょうがない。
見上愛。映画初出演ながら花梨を甘やかさないイイ友達を好演。急にクソ呼ばわりするのはどうかと思いましたが。
渋谷の交差点のシーンがよかったよ~👍
だる~い感じのアコースティックBGMもよかった。
世界は変わらず、終わらない日常が続いていく
大人になってから、幼稚園~高校までのことを振り返ると、朝礼や各種行事の予行演習、応援歌練習(これは田舎の自分の学校だけだろうか?)等、今思えば全く意味のないことを“強制的に”散々やらされた記憶がある。
だから冒頭から「前ならえ」を拒否する主人公にはとても共感したし心の中で応援した。うん、前ならえなんてアホくさいもんな。あんなもんは軍国教育の名残じゃ。やめろやめろ。
そんな社会不適合でひきこもりな主人公が偶々なした善行から自己肯定感を得て革命を起こそうとする。
だがそれは人を騙す行為だ。そのことを親や友人に指摘されると主人公は社会をよくするためだと手前勝手な正義を振りかざす。それは自身が承認欲求を満たすための方便にすぎないのだが、その目指すところ自体はたしかに正義なのかもしれない。だが、正義をなす手段において醜悪な行為を含む時点でその正義は肯定されない。
また、主人公は己の正義を盲信してしまった。自分のやっていることが間違っているとどこかでわかっているからこそ、正当化のためにより過激な行為に手を染めていく。人間が破滅に陥るパターンであり教訓である。
主人公の父親が主人公のもとをたずねて説教するが、父親の言葉は娘には届かない。当たり前だ。父親は安全圏から上から目線で正論を振りかざすばかりで、この社会の矛盾や疑問については何一つ言及しないし説明しない。というか、父親は言葉を持ってないのだ。日本の一定年齢以上の男性に多く見られるが、彼らは人に語る言葉を持ってない。これでは娘の心には響かない。
主人公を改心させるのは、友人の文字通り“捨て身”の説得によってである。
渋谷のド真ん中で人目もはばからず大声で叫ぶ。その友人の姿を見て、また促されて、主人公もそれまで隠していたちっぽけでみじめな本心を吐露する。他人を本気で救うには、自身も身を切らねばならないということがよくわかる。そして自分のために身を切ってくれる友人がいた主人公は幸運だった。友人にとっても、主人公はたった一人の仲間だったのだろう。
と、ここまでは作品としてすごくよかった。
変態YouTuberに脅されて云々~のくだりは露悪的で生理的に嫌なシーンだった。
主人公が今までやってきたことの意趣返しを意識したのかもしれないが、主人公はもう反省してるし、プリテンダーズが破綻したことや身バレでダメージも負ってるからそこまでの追い打ちはいらないと思った。
幼稚園で妹のために再びプリテンダーズするのもどうかな、と。あの父親が一転して娘に協力的になるのに違和感を感じた。身バレまでしたプリテンダーズを妹のためとはいえ再開するなどと言い出したら「頼むからもうやめろ。学校行け」とあの父親ならなりそうなもんだが。幼稚園側も了承するかな~。普通の幼稚園だったらお断り願うんじゃないだろうか。なので終盤の展開にはご都合的な欺瞞を感じてしまった。
キャスティングは素晴らしい。特に主人公。こう言ってしまうと演じられている役者さんに失礼かもしれないが、あまり美人でないのがよかった。物語上、惨めな展開になる場合でも、演じている役者は美人な場合が多い。それだけで惨めなシーンも美しいシーンになってしまう。これはドラマや映画において問題だと私は思っている。
プリテンダーズは惨めなシーンがしっかり惨めに描かれていて、そこがとてもよかった。
ラストはいい感じに終わったけど、結局世界はなにひとつ変わっていない。
これからも学校は生徒に「前ならえ」を強制していく。
主人公と父親はちょっと和解した。
世界もちょっとは変わったほうがいい。変えていくのは作品を観た私たちだ。
趣味の悪い遊びでしたね
前ならえを拒否してるファーストシーンからイヤな予感してたんですが、的中でしたね
主人公が幼稚すぎて、ちょっと観てられませんでした
他人と同じことを強制されたくない、私は私、だから社会に反抗する、世界を変えてやる、というのはテーマとして別に珍しくもないので分かるんですけど、主人公を女子高生にしたのがいただけません
これではただの反抗期です
反抗期なんて誰にでもあるから珍しくもないし、大抵の人にとっては黒歴史そのものです
そんな恥ずかしいもの、恥ずかしい行為を延々とみせられるこちらはしんどい、しんどすぎます
90分ぐらいになったら親友のお説教で改心しますが、他人のお説教で改心するならその前に父親や教師の説教でも改心すればいいじゃないですか?
なぜ父親や教師の説教ではダメで、親友の説教なら改心するんですか?
このシーンをご都合という言葉以外で説明できるなら説明してほしいです
他人の説教で改心するっていうのが実に古臭いドラマ的な手法ですよね
ドキュメンタリータッチでリアルに拘ってるんでしょうけど、根本的な脚本が嘘臭いので白けました
リアルで他人に説教されて改心する人を見たことがないですよ
みんな上下関係や世間体を気にして表面上は改心したふりをするだけです
根本的には変わりません
にも関わらず、親友の説教で改心する主人公
ダサいなぁと思いました
せめて村上虹郎の逆ドッキリで酷い目にあったから、された側の気持ちを知ったから改心するとか
その方がまだ理解出来ます
実際は順番が逆、改心後に逆ドッキリだし、まぁ村上虹郎の逆ドッキリ自体、だいぶ蛇足ですけどね
蛇足の理由は、エンドロール後に同じような逆ドッキリが明かされるからです
ポジティブとネガティブの違いはありますが、逆ドッキリ自体はほぼ同じ種類の展開だし、同じ事をするぶん尺も無駄だし、同じ展開がさっきあったから、また逆ドッキリがあることが推測できて驚きが減ってます
同じ逆ドッキリがあることが象徴的ですが、構成もすごく下手です
ドッキリにかけた人たちへの謝罪やそれ以外でも、似たようなシーンが何度も繰り返されるし、同じシーン内でも会話がダラダラ続いて見ていてしんどいです
もっと脂肪を削ぎ落とした会話と編集にしてください
無駄が多すぎます
オシャレなカットも過剰でうっとうしいです
例えば洗車シーンの会話
導入で洗車器の泡をオシャレに撮る必要がないです
ドッキリの協力者と考えの相違が明らかになる、が必要な情報なら泡遊びはカットしてください
泡遊びをオシャレに描きたいなら、会話をカットして音楽でも流していてください
そもそもなんですが、
主人公設定とストーリーラインが大間違いなんですよね
応援できる主人公に次々と苦難を与えて、最後にはハッピーエンドなら分かるんですが
この映画は応援できない性格ブスな主人公が親友の説教で改心してハッピーエンドなんで、見ていてまったく共感できない応援できない状態で2時間が過ぎていくんですよ
それとほぼテーマに近い、「他人と同じことを強制されたくない、私は私」という主人公の訴え
その割には独り善がり反抗期JKがYouTubeで世界を変えようとして渋谷のスクランブル交差点で改心するという設定やロケーションがすごく在り来たりだなと
あとゾンビ
インディーズ映画って渋谷でロケしなきゃいけない決まりがあるんですか?
ゾンビ出さなきゃ逮捕されるんですか?
JKがYouTubeやるって、そんな子が多すぎてすごく没個性だと思いますけど
まるでテーマと真逆です
誰に強要されているわけでもないのに、その辺の映画に勝手に前ならえして、同じような在り来たり設定とロケーションにしているセンスがやばいです
全部他人のせい
現代社会を個性が奪われた世界と嘆く17歳の少女が、人の善意を弄ぶ動画を撮ることにハマり巻き起こる話。
高校の入学式で前へならえに反発する様から、映画として嫌な予感w
自分では何も為さないし、自分の力で生活できる基盤もないのに能書きタレて社会を批判し人を批判し…。
自分では表だったところに上げないけれど、それは所謂迷惑YouTuberと変わらないっすよね。という不快な前半。
自分がやるは良いのにやられるのはダメですか?
やらなくても気付ける人、やってしまって気付く人、やらかしても気付かない人、そして気付いて修正できる人、気付いても変わらない人、気付いて逃げる人といる中で、この主人公はまだ救いがある人だった訳で、渋谷のスクランブル交差点での件はなかなか良くて、ここで終わるのかと思いきや、尺はまだあるよね…。
そこからは蛇足になるかと思いきや、畳み掛けられ更に向き合い…これはある意味風刺だったりする部分もあるのかな。
なかなか面白かった。
映画に出来ること
ぴあフィルムフェスティバル2021 クローズド上映
最後の最後に、ものすごい映画キター(・∀・)
フィクションが出来ること。
フィクションだからこそ出来ること。
むしろ、フィクションにしか出来ないこと!
そんなフィクションが持つ力を見せつけてくれて、表現の閉塞感に風穴を開けてくれる作品でした!!
最初は自主制作で始めた企画だったそうです。
=誰も傷つけない映画=
多様性を意識し、コンプラやポリコレに配慮することは決して悪いことではないけれど…PFF第二回大島渚賞は該当者がいなかった。
審査員でもある坂本龍一氏のコメントの中で、学生から『自分の作品が誰かを傷つけるのが不安です』と言われ『そんなことなら作るな。必ず誰かを傷つけてしまうのが作品というものなんだ』と反論したエピソードが紹介されていました。
学生の自主制作映画ですらお行儀良くなっているなか、大きなお金が動く企画になればなるほど各方面への配慮が必要になり、表現の幅が狭められるのは仕方のないことなのかもしれない。
プロの監督が自主制作で映画を撮る。
自分のケツは自分で拭く。
その覚悟の凄まじさ。
そこまでしても伝えたい事がある。
そこまでしても表現したいことがある。
その熱量に、観る側も突き動かされます。
けど。監督だけに責任を押し付けているようじゃぁ〜日本の映画文化は衰退する一方よ。
テレビマンユニオンが賛同して、スポンサーが付いてくれて本当に良かった。
作り手を応援するPFFで上映するに相応しい招待作品だったと感じます。
映画のオープニングで撮影監督の名前の紹介順が早くて、あれっ?と思いましたが
とにかく撮影がすごい!!
カメラが語ってくる感じは、山崎裕さんのよう。
それもそのはず。南幸男さんはドキュメンタリーでは有名な撮影監督さんなのだそうです。
さすがテレビマンユニオン。
この撮影の生っぽさは、“リアルのなかのフィクション”のテーマにピッタリ!!
短編の『醒めてまぼろし』に続き、小野花梨ちゃんが主演!
役名も花梨ですが、そもそも小野花梨ちゃんありきの企画で、もちろん脚本も当て書きだそうです。
家族全員が『南極料理人』のファンで、とくに次女とは事あるごとに彼女の魅力を語っていたので、本当に嬉しい。
てか、彼女を主演に据えられるような映画が作られて本当に嬉しい。
リアルに持ち込んだフィクションで、騙し騙され
最後の最後まで気を抜かずに観てほしいですww
以下、ネタバレではありませんがテーマバレ
↓↓↓
『トゥルーノース』のレビューでも書きましたが、清水ハン栄治監督のお話しで
素晴らしい活動がSNSで拡散されることで、強く賛同する人々が集まれるようになった。
しかし、活動の熱量が高まれば高まるほど、それ以上の広がりは難しくなる。
人の心を動かすのは“強い訴え”ではなく“感動”なのだ。
今も現実に12万人が収容されている強制収容所の事を知って欲しいけれど、リアルに描くとトラウマになりかねない。
(適度にリアルだけど一定の距離を置いて観られるように調整した結果、あのデザインになったそうです。)
リアルすぎないフィクションだから、安心して心が動き感動に繋がる。
まさにコレ!『プリテンダーズ』にも通ずる。
リアルにフィクションを持ち込むと「騙す」ことになるけれど
最初から騙す前提でも、しっかり心は動く。
むしろ安心感の中での擬似体験こそ、相互理解の近道。
“安心感の中での擬似体験”は、最も映画が得意とするところ!
映画に出来ることは、まだまだあるぞ〜!!
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