スティルウォーターのレビュー・感想・評価
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父親にとっては辛い作品かも
父親が娘のために頑張る作品は大好物。(自分が娘を持つ父親なので)
リーアムニーソンとか、メル・ギブソンとかのジャンル映画とは毛色が異なって、父親にとってはつらい気持ちになる。
異国の地で、娘が有罪判決を受け刑務所に収監される。その娘が、無実であることを訴えいるとしたなら、父親にとって選択肢はない。自分を犠牲にしてできる限りのことをするしかない。
悲しい事に、この娘は結構なワガママで、父親のビルが振り回されてしまう。しまいには逆ギレまで。それにしてもアリソン役のアビゲイルは顔も声も伊藤沙莉に似てるなぁ。
昨日見た『クライマッチョ』に似ている部分があって、ビルにとってつかの間の幸せが訪れる。物語の流れから考えて、何かが起きることへの伏線になってしまうが、主人公に感情移入すると、これが切ない。
タイトルの意味は、最後に近づくとわかるようになっているが、カタルシスはなく、複雑ない余韻が残る。
子役があざとくて何が悪いの?
無実の罪で服役中の娘を助けるために奔走する父の話。マット・デイモンがもう無茶苦茶良くて。歩いている後ろ姿はどこか頼れるしどこか頼れない感じ。構図の作り方を含めて、いわゆる普通の男を大スターが演じているという素晴らしさ。服は全部イオンで揃えてますね。
娘役の子も実に雰囲気が良くて、無実を訴えてるんだけど第三者として見ると果たしてどうなんだ…という危ういラインを攻めた演技をしていたと思います。
そして、ネタバレにも関わるので深くは言いにくいのですが、子役が可愛いのなんの。サッカーを見に行くシーン、マット・デイモンと見つめ合い何かを約束するシーン、彼女が出ると映像の瑞々しさが増していました。
子役と主人公がとある事情で別れるシーン。タブレットに映っているのが思い出が詰まった車の動画というのも素晴らしい。その選択をせざるを得なかったマット・デイモンの表情も必見です。
マルセイユでは酒井宏樹なこんなに愛されてたんだと思いました。確かに屈強な男ですよね。
中盤少しウトウトしてしまったのですが、ストーリーにメリハリも効いていていい作品でした。
マット・デイモンさん目当て。 普通のオッサンでした(笑)
オクラホマ州のスティルウォーターからフランスに留学した娘が冤罪で刑務所に。
マット・デイモン演じる父親のビルがフランス語も喋れないのにフランスで真犯人を探すストーリー。
偶然知り合った女性と娘の家に居候して彼女に通訳をお願いして真犯人を探す展開。
ビルが犯人を探すよりも娘と遊んだりして本当に犯人を探す気があるのか微妙な展開(笑)
娘とサッカー観戦まで行く始末(笑)
偶然、犯人を見つけDNA鑑定をするんだけどかなり強引なやり方。
ラストの思わぬ展開にこの先、どうなってしまうのか?
気になるところ。
地下室にいた人がどうなったのかも気になります( ´∀`)
今週、対抗で押すなら本作品かな。
今年17本目(合計290本目/今月17本目)。
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※ 「コンフィデンシャル英雄編」も観ましたが、この映画はネタバレ要素が極端に強い上、法律(特に民法)上ツッコミどころが多く、減点幅で「誰が犯人かわかってしまう」という好ましくない問題を抱えているので、とばします。
なお、前作(タイだったか東南アジアだったかの島にいく前編)を見ていないと結構きついです。
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ということで、こちらの作品。
そもそも、Stillwater って何ってことになりますが、主人公のビルの住んでいたオクラホマ州の街です(人口4万人ほど)。
このことは映画に何ら関係しないのですが、知らないと「スティルウォーターって何???」という点でハマリが発生しそうです(知らなくても上記のような理由なので、特に「意味はない」が正解)。
フランスにやってきて、無実だと信じる娘を救出するために、いろいろな手立てを考えて証拠を集めて…といったストーリーになっています。
全般的に重苦しい雰囲気や、人種差別を想定できる(○○人だから、といった決めつけ的な内容)部分もありますが、物語の「もう1人の主人公」といえるマヤちゃんがいい意味でスパイスになっていて、この苦しい雰囲気もだいぶやわらぐ感じです(もちろん、マヤちゃんという以上は、親権者の方もいますし、その方との交流シーンもありますが、交流シーンだけをいえば、マヤちゃんとの交流のほうが圧倒的に多い)。
この「無実をきせられている娘さん」が収容されているのはマルセイユにある刑務所と思えますが、諸般の事情があるのか中はあまり写されていない映画です。もっともそれがメインではありませんし…。ただ、日本と違って、収容者の自由がかなりあるようにも見えましたし、「満期が近くなったら1か月に1回は日没に戻ることを条件に外への外出が許される」など、かなり先進的な進みが見られました。
※ 日本ではここをどう解するかは国民感情や法務省の裁量によるところが多いですが、「過失的な犯罪である」「被害者と大半話し合いが終わっている」「一定以上の倫理観がみについたと認められうる」等の条件においては、積極的に認められても良いのではとも思えます。
内容は意外な方向に進みます。ここはネタバレになるので回避します。
ただし、「民間どうしとはいえ、違法な方法で情報収集すること」は認められないし、まだ「疑い段階であるのに個人を勝手に監禁等する」というのは、さすがにまずいです(民事上も刑事上も責任を問われる)。ここの部分のフォローが少ない(こういう方法はやってはいけない(自力救済の禁止、という)という説明も少なかったのは残念でした。
とはいえ、極端に変なことをやっているとは言えないし(自力救済の禁止は当然だとしても、個人レベルでは理解しうる)、「何を述べたいか」という点は描写不足の点はある(確かにあります。説明があまりないため)としても、「親の娘への愛」という点は強く感じられ、そこについて論じる限り、大きな傷なしと判断して5.0にしています。
後半に大きな展開が来る!
何も前情報がないままに鑑賞すると出足は非常に分かりにくい。しかし、言い換えると全ての引き金となる事件の真相が少しずつだが淡々と解き明かされて行き、後半は非常にシリアスなサスペンス的な展開となる。見どころは1.非常に複雑な親子関係、2.フランスのマルセイユでの塀の外での一日が美しい、3.そして、事件の真相、それは映画タイトルに重要な意味があった!
水泥棒?地名でした。(ほぼ出番なし)
2022年劇場鑑賞11本目。
スティルウォーター在住のお父さんがマルセイユで殺人の罪で投獄されている娘の無実を信じて、当てにならない弁護士や警察に頼るのをやめて奔走する話。
とはいえ娘に頼りにできないと言われるだけあってなかなか手がかりにたどり着けず、あれ、これもう諦めた?という展開に。物語としてはちゃんと終わりますがカタルシスはあまりなく、色々な登場人物(主にマルセイユの人たち)にイラつくこと多かったです。もうちょっと親切にしてあげなよ・・・。
【"人生は冷酷だ。"父親とは、娘を助ける為にはどの様な困難にも挑む生き物なのである。そして明らかになった真実。今作品は父娘の重厚なヒューマンドラマである。】
- 娘アリソン(アビゲイル・ブレスリン)が、異国マルセイユで殺人犯として、収監され4年が過ぎた。父親のビル(マット・デイモン)は職を失った事をきっかけにマルセイユへ飛ぶ。娘の無実を証明するために・・-
◆感想
・マット・デイモンの深い哀しみを漂わせた姿が印象的である。今作品の彼は無敵の男ではなく、腕っぷしは強いが普通の男を演じている。
・彼を異国で助けるヴィルジニー(カミーユ・コッタン)と娘マヤが、偶然から彼を手助けする姿は、"人間の善性"を表す象徴であろう。ビルが、マヤを可愛がるのも、昔、自分が娘とキチンと対峙して来なかった想いがあるからであろうと推測する。又。彼女が米国ではなく、マルセイユの大学に入学した理由も。
アリソンがヴィルジニーに言った言葉。
"父は愚かなのよ、私と同じように・・。"
・ビルがアリソンの無実を証明するために、行った事。それがきっかけでアリソンは釈放されるが、ビルを支えて来た、ヴィルジニーとマヤとの間には、埋められない溝が生じる。
- ビルは、男を地下室に閉じ込めた時に、男が苦しそうに言った言葉を、徐々に信じていったのではないだろうか。自分の血を引く娘であれば・・。一方、そうであって欲しくないと言う想いとの葛藤をマット・デイモンが絶妙に演じている。-
<ラスト、故郷オクラホマ・スティルウォーターに父娘で戻り、皆から祝福を受ける中、ビルに笑顔はない。
一人で居る所に入って来たアリソンに哀しげに言った"彼女が旅立つ際に空港で買ってあげたモノ"。
涙を流して詫びるアリソンの姿。
今作品は、資料には、サスペンス・スリラーとあるが、私には重厚な父娘のヒューマンドラマであると思えた作品である。>
コリエ
留学先のマルセイユで殺人犯として収監されている娘の無実を証すべく奔走する父親の話。
娘が有罪となって5年、面会の為に折を見てオクラホマ州スティルウォーターから渡仏する父親に、弁護士に渡して欲しいと娘から手紙が託されて巻き起こって行くストーリー。
噂話程度のことを再審理に繫げるのは難しいというのは判るけれど、アリソンが有罪となった決め手は何でしょう?と、そもそものところが判然としないで進行していくので違和感が。
そして手紙に書かれていた人物を捜し始めたけれど、えっ?4ヶ月後?これはいったい何を主体にした話?
サスペンススリラー…。
スタジアムからの件で話が戻ってきたけれどあっさりゲロするし、最初からではないけれどネタばらし前には既に…。
カタルシスが有る訳でもなく、やられたという程の意外性もなし、胸クソ悪さも足りな過ぎ、と面白くなりそうなのに妙にしっとりさせたことで中途半端になってしまった感じかな。
アメリカ人ってやつは…"人生は残酷"
《祈り》例えばそれはトランプに投票していようがいまいが関係ない、リベラルであっても ---
・世界中どこ行っても英語さえ話せたらいけるだろ、向こうがワールドスタンダードな俺たちに合わせるべきだという考え・確信(どこに行っても我が物顔で、5年も経つのにフランス語を一向に覚える気もない!変わろうとしない体質)。
・アメリカは人種の坩堝って言うくらいで日々色んな考えの色んな人と生きてるから、どこ行ってもやっていけるという甘え・自信。
・そして、アメリカのすることなすこと正しいという思い込みや、それによって最後はヒーローが誕生して国民はそれに熱狂するという一種のお約束めいた驕り。
…そうしたアメリカ人の無意識なナショナリズム愛国心やプライド自尊心を皮肉ったというか、洗いざらい白日の下に晒すような内容だった。自分たちは特別で何やっても許されるという(無)意識を引きずり出す。アメリカの心、もはや信仰心にも近い盲信。しかもそれをアメリカ人の大好き大好物&心の拠り所のような父子(娘)のドラマでしちゃうというのがニクい!
国際社会から見たとき、世界の中心という自負ゆえか、根本的に厚顔無恥な国民性。知らず識らずの内に培ってきた尊大さ/頑固さ(Stubborn)。異文化も確かに障壁として用いられているけど、あくまでそれはアメリカ人側からの主観であって、それ以上に異邦人として海外・国際社会から見たときのアメリカの立ち位置やエゴ・欺瞞、横柄さみたいなものを浮き彫りにする試金石的装置のように思えた。現地の人からすると自分たちの土地で普通に過ごしているだけなわけであって、ある意味で逆ロスト・イン・トランスレーション。怪しさ満点な露店で壊れやすいロボットの玩具買って、勝手に住所聞いて土足で上がり込むなんて、その最たるだろう。他人の庭を荒らしてもお構いなし・お咎めなしか。
観客もまた主人公目線で素人捜査モノとして見ているし、彼の行動を応援 = 肯定しがちになるけど、ふとしたときにその事実の異常さに気付かされるという非常に入り組んだ構造。その巧みさとストーリーテリングにゾッとした。真実など見る人によって如何様にもガラリと変わるので実際無いようなもので、スローペースな過程にこそ意味がある。と思ったら直訳したら「(じってして)流れのない水」という意味になるスティルウォーターという地名・タイトルにも意味がある気がした。
トム・マッカーシー×マット・デイモン
マット・デイモンのすべてをなげうつような熱演がスローペースな犯罪スリラー/サスペンスという皮を被った重厚なドラマを成立させ、観客を引き付ける。彼が演じるのはタトゥーの入った犯罪歴のある現場作業員・肉体労働者で、以前働いていた油田をクビになって、仕事が見つからないまま、娘の無実を信じてマルセイユに降り立つ父親だ。間違いなくトランプに投票したであろうキャラクター。中退したもののハーバード大学にも通っていた優秀な彼とは相反する役柄だが、彼は線の太いゴリマッチョになった肉体改造はじめ見事な役作りでキャラクターにリアリティを与えている。主人公は以前の勤務先ITAのキャップを汚かろうとお構いなしにずっと被り続けている一方で、妻が自殺した後も、男手一つで娘に最善の教育を与えている。それも決して裕福ではない仕事柄で。…という如何にもアメリカ人が応援したくなるようなキャラクター設定・バックグラウンドが見て取れる。けどアメリカは世界的に見たときに紛れもなく裕福な国で世界の中心だ、そして裕福な者は恨まれる。
トム・マッカーシーでしかない作品だった。本作でも普段の彼らしく、ゆっくりと過程が描かれていく。丹念に物語が綴られていく。彼が10年もの歳月をかけて描きたかったものとは?真実などない、あるのは物語だけ。そもそも彼はアカデミー賞受賞した『スポットライト』でも"アメリカらしさ"を拒んでいた。むしろ告発していたと言っても過言ではない。もちろん権力に屈することなく独立した自由な報道の力という意味では非常にアメリカ的かもしれないけど、例えば『アルゴ』のようにアメリカ万歳を謳っていたわけではない。曖昧なエンディングに余韻が沁みる……どころではなく考えさせられる。最後はなんともやるせなくなる、広大な大地にその無力な思いを馳せる(ex.『ノーカントリー』)。そして頭をフル回転させて導き出した自分なりの答えが上述したような本レビューだ、少しでも合っているといいが。アメリカ人の勝ち取った"真実"にこそ意味がある!
"As you wish." "Yes, mom."
P.S. 試写会当たっていたのに仕事で行けなかったの悔やまれるけど、もし行っていたらここまでこの作品について考えて、自分なりの考察に至ることもなかったかもしれなかったから、結果これでよかったのかも。
まだ『クライ・マッチョ』を見ていないのに情感を使い切ってしまいました
私にとっては『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と同じくらいに心を揺さぶられるヒューマンドラマでした。まだ『クライ・マッチョ』を見ていないのにこんなに情感を使ってしまって大丈夫⁈と心配になるほどです。
(以下、ストーリーには触れませんが、ネタバレ嫌いな方はご注意❗️)
父「人生は冷酷だ」
娘「ここは昔と少しも変わらないわね」
父「俺にはすべてが違って見える」
それまで信頼関係を失っていた父娘は最後になっても噛み合わない。
『釈放』という共通の目標(いやらしい言い方をすれば、表面的な利害関係の一致)を達成した後の平穏なはずの日常には、安定よりもぎこちなさのほうが優るという皮肉。
父がこれまでの人生で一番充実していたのは、娘の無実を晴らすための活動が停滞し、当てもなく準備期間としてアルバイトに精を出していた〝かりそめの日常〟の期間。
平和な日常の平凡なルーティン(同居人の娘の送り迎えなど)こそが、何よりの生き甲斐と充足感をもたらすのだ、ということがこんなにも分かりやすく描かれていることにビックリです。
フランスの、どちらかというと知的な階級に属する人たちのアメリカ観などもユーモアにまぶして描かれていてクスっと笑えます。
色々な要素が過度でなく、それでいて分かりやすく、かつ深く沁みてくる。
ヒューマンドラマとしては少し異例と思えるような希望の無さも、実際の人生においての想定としては、むしろ説得力があると思います。
第一印象としてこの映画をどう思うかは人それぞれだと思いますが、しばらく噛み締めたくなるという意味では少しでも多くの方に見ていただきたい映画です。
まるで昭和の親父
マットデイモンだからハードボイルドな娘奪回の強面映画かなと思ったら、どっこい寡黙で正義感強い、ひたすら娘を愛する中年親父だった。
中流以下の学歴なしのアメリカ白人労働者の悲哀をかんじさせる役作り。
マットの役者技量を見せて貰った。
秀作です。
タイトルなし
フランスのマルセイユを舞台に、アメリカ親父マット・デイモンが一人娘のために奔走する。
言葉が通じず、手探りで行動する主人公という構図は「第三の男」を彷彿とさせてハラハラするし、ことの次第は思わず主人公の肩を抱いてやりたくなるほど切ないものだ。
マット・デイモン演じる親父は妻に先立たれ、娘を一人で育ててきた。しかし、娘には信頼されていない。かつてアルコール中毒に悩まされ、妻の遺品も自分のミスで失くしてしまう。逮捕歴もあり、信頼されていなくて当然といえば当然だ。娘を助けるための行動も裏目に出てばかりだ。しかし、それは娘も同様だ。というか、観客を含め人間誰しもそうだ。いや、勿論犯罪はダメだけどさ。人生は自分や他人の様々な思惑や行動が絡み合い複雑になっていく。その混沌が、美しくも雑多なマルセイユという街に重なり、雰囲気は最高だ。
監督はトランプ政権になってからのアメリカ国民の意識の変化という要素も取り入れたかったようだが日本人には分かりにくいし、例えば実際に大切な人が異国の地で危機に直面したとしたら、その人のこと以外なりふり構わず救おうとするのは当然なことであり、アメリカファーストの考えが充満したせいにするのはしっくりこない。
いいなぁ、マット・デイモン。ほとんど全編がフランスのマルセイユ。マ...
いいなぁ、マット・デイモン。ほとんど全編がフランスのマルセイユ。マルセイユの鉄道駅から海への道へとつづく長い階段、地中海の青い海、映像でみられるだけでも素晴らしい。その中で、不遇な主人公と娘、それを助けるフランス人親子とのふれあい、家族、恋愛を考えさせられるヒューマンドラマだった。おススメです。
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