最後の決闘裁判のレビュー・感想・評価
全61件中、21~40件目を表示
やるっきゃ騎士(ナイト)
法廷ものが好きで、「リーガル・ハイ」から「シカゴ7裁判」まで手当り次第に見ているが、この作品は予想に反して裁判ドラマの要素は少なかった。そもそも原題は「最後の決闘」だし。
構成こそ「藪の中」風だが、三者それぞれのパートが証言ではなく回想なので、事実関係の差異はほぼない(“信頼できない語り手”の手法が使えない)。陵辱の行為そのものが観客には明白に示されるので、あとは心理の機微とかの問題になってくる。
それにしても審問におけるセカンドレイプはひどい。決闘に負けたら妻も火あぶりとか、決闘場の観衆の狂騒ぶりとか、中世騎士社会の高潔のイメージとは裏腹のかなりの俗悪さである(そう言えば、同じ百年戦争中にはジャンヌ・ダルクも火あぶりになっている)。
ラテン語はラテン語のまま発しているのに、百年戦争の最中にフランス人が敵国の言語で日常会話しているのはやはり違和感があるな。
当時の再現性は見事と言うしかない。片や日本の風景は近代化が進みすぎて、時代劇のロケーションにはハンディが多い。
老獪な領主を演じたベン・アフレックはなかなか良かった。
ラス前のシーンでの彼女の表情は、
「両方死ねば良かったのに」なのでは。命は助かったけど、これから先一生この男に繋がれて生きていかなきゃいけないのね。バースマシン。
難を言えば、視点を変えて繰り返すなら、もっと認識に差をつけて欲しかった。構成自体は好きだし、ちょっとしたことはなかなか上手く組み立ててあったので、期待したのだけど。アレキサンドリア四重奏とはいかなくても、もう少しこう、世界が反転するような衝撃が欲しかった。
男社会の愚かさ
「藪の中」的アプローチで始まったものの、言うほどそれぞれの認識に食い違いはなし。
特にジャックから見た視点が想像よりもずっと自分が加害者だと認識していたような…。もっと「え、そんなふうに思ってたの⁈」と思わせて欲しかった。
結局は男たちの虚栄心と征服欲の犠牲になって、図らずも命までかけさせられてしまう…日本の戦国時代の女性たちとマルグリッドが話す機会があったら、さぞかし男のくだらなさ加減に花が咲くだろう。
決闘のシーン、上から男たちを見下ろすマルグリッドのあの目はきっとそんな気持ちだったと思う。
考えさせられる、と言う意味では面白かったけど、ストーリーの浅い感じがもう一つだったので星3つです。
マット・デイモン
個人的にマット・デイモンの死闘が見れただけで満足している。
映画館だから見れたが、なかなか長い。
同じ猥褻シーンを2度映すのはいかがなものか。
ジャン、ジャック、マルグリット。
自分に都合のよい記憶を作り上げる主要人物3名の各視点で、決闘裁判までの過程が描かれる。
男同士のプライドに巻き込まれて散々な目に遭ったマルグリットに焦点が当てられている印象だが、
3人とも真実のようで嘘のようにも見える。
とはいえ過程からオチが見えてくる話ではなく、オチがあってその過程を楽しむ作品。
勝つことが大事なのか、生きることが大事なのか、真実が大事なのか。
最後の戦いぶりは一撃ごとにその振動が伝わるほどに重みがあった。
しかし勝利した者が正義というルールでは「なぜ正しいのか」の疑問が消滅する故に、
勝っても負けても心の落とし所を付けられない。
そのためどちらが勝ったところで客観的な違いは無く、結局は当事者が生きるために勝つという話になる。
物理的な決闘を重視した映画では無いようなので、
最後の決着を一発であっけなく終わらせる見せ方もありでは、とも思う。
なんとなくシグルイという漫画を思い出した。
何故?今、中世の「決闘裁判」なのか?
気になっていた作品なので、遅ればせながら鑑賞して来ました。
構成的には、黒澤明の「羅生門」に影響を受けているのは一目瞭然。
黒澤監督の偉大さも感じますネ。
今でもレイプ被害の女性が、その後の迫害や中傷を懸念して事実の公表を躊躇うという心情は良く聞く話ですが、中世ヨーロッパの当時は更に酷かったという事が言えるのでしょう。
裁判という態を為してはいますが、客観的事実が有ったか否かという事よりも、当時の社会の秩序維持といった側面や政治的な思惑も強く感じられました。
勝った方の主張が正当と認められ、負けた死者に全ての罪が被せられる。
今の時代から考えれば明らかに理不尽とも思われますが、勝った側(生き残った側)は英雄と持て囃され、中世の閉塞社会に、一服の清涼感と秩序維持の効果をもたらしたのは事実であったのでしょう。
ラストシーンで、興奮の頂点に達した観衆から、殺せ!殺せ!の大合唱が発せられます。
ローマ時代のコロッセオでの剣闘士同士の殺し合いの結末を彷彿としました。
観衆は自身が安全である限りに於いては、血生臭い事柄が大好きで、決闘はその為の口実の様にさえ見えました。
日本でも江戸時代、敵討ちは許可を得て合法でしたが、お上(行政?司法?)が、自らの責務を当事者に丸投げしていたとも取れる訳で、極論、どちらかが死ねば事は治まった訳ですよネ。
男同士の名誉を賭けた殺し合いと、その狭間で耐えながらも強かに生き抜き、命を繋いで来た女性の姿を垣間見ました。
何故?今どき、中世の決闘裁判?…とも思いましたが、それって、外国の人から見たら「何故今どき、江戸時代末期の新撰組の映画がSF作品の金字塔・DUNEよりも、興行成績が上なんだ!」と同じ位愚問でしたネww
あちらの方々には、自分達を形作ってきた歴史そのものなんですから。
名匠リドリースコット監督による重厚で血塗られた歴史絵巻を堪能しました。
自己中男は滅びればいい
この映画はとりあえず何を置いてもこれだけは言いたい。
自己中残念男は滅びればいい!!!
すみません、こんな壮大な史実に基づくお話の様なのですが1番初めに来た感想がこれでした。
ジャンもルグリも滅べ。
三人三様の真実を辿っていくという手法が、それぞれの視点や捉え方が違っており大変興味深いパターンでした。
ただ、一ついいたいのは、観ている中でルグリ視点でもマルグリットちゃん視点でもまごう事なきレイプだったよ。
ルグリの妄想ヤバくね?
ルグリはあれか?その時すでに頭ヤバかったのか??
ジャンはジャンで妻に対しての扱いや想いよりプライドがなによりも大事だし、ルグリは不遇な身分からの頑張り屋さん出世と思いきやただの妄想野郎だし、一口に言えばこの時代の女性は相当軽視されていたということなんでしょうね。
ジャンの母親も結構残念だったしな。
残念母からの残念息子もこの時代ならではなのかな?
ジャンに対しては、万が一自分が負けたら妻は生きたまま火炙りにされるになぜそんな無謀なことをするのか?
ルグリに対しては、頭おかしくなるくらい好きな女なのに、自分が勝ったら火炙りにされるのにその勝負うけるのか?
結論 自己中残念男は滅びればいい
でした。
ピエールもクソだけど、ベンアフレックとは気づかなかった。
ベンさんナイス演技です!
そして、マグリットちゃん可愛かった。
三者の視点で描かれる三人の人物。
一つの事件について、三者の視点で描かれた作品。
それぞれにとって重要な点、印象的な点を切り取ることで、真実とはそれぞれにあるという一つのテーマ。
もう一つのテーマは女性の社会的進出やmetoo 問題を彷彿とさせる描写。
2つのテーマが合わさることで、加害者と被害者とでは理解し合えない壁があることを強く感じました。
ラストでマルグリットが見せる表情。決闘に勝利し、生き長らえたが、彼女が負った傷が無くなる訳ではないという、事件の真実の先にある本当の真実。
個人的に、この作品を一番評価しているのは、女性問題を取り扱ったことよりも、3人の巧みな演技力です。
3人の人物がそれぞれの視点から描かれているため、それぞれに「夫から見た妻」「友人からみた妻」「妻自身」というように、1人を演じているようで、実は3人のキャラクターを演じています。その微妙な演技の使い分けが実に素晴らしかったです。
私も、友人や家族、恋人など、関わった人の数だけ「私」が存在しているんだろうなあ、とそんなことを感じた次第です。四畳半神話大系とかモテキでも扱われているテーマですね。
良作でした。観れてよかったです。
極めて現代的な作品
舞台は中世だが、内容は現代。
普遍的であると同時に、#MeTooの影響も受けており、今、このタイミングで作られた意味があると思う。
見る前はてっきり、「行為」自体がないのかな、とか、
アダム・ドライバーは「相手から誘われた」と解釈してるのかな、とか、
マルグリットが夫の復讐のためアダム・ドライバーをハメようとするのかな、とか、
色んな想像をしたが、
結局は、
2人の男の意地の張り合い、というか、
ワガママ、というか、
自己中というか、
男の汚いトコロが明らかになっていく内容だった。
それだけではなく、
女性の自己決定権の無さ、
「女の敵は女」を思わせるシーンとか、
それでも「芯の強さ」を見せ、
男社会で女性にはキツイけど、
「女性への応援歌」的な映画なのかな、と思う。
14世紀のフランス。 騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン...
14世紀のフランス。
騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)と従騎士のジャック・ル・グリ(アダム・ドライヴァー)が王の目の前で決闘裁判を行うことになった。
勝者には正義と真実の証が与えられ、敗者は汚辱にまみえるというもの。
争う事柄は、ジャンの妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、ル・グリにおかされたかどうか。
ド・カルージュ夫妻とル・グリの告白は真っ向からぶつかり合うものだった・・・
といったところからはじまる物語で、決闘裁判に至るまでの経緯を、ジャンからの視点、ル・グリからの視点、マルグリットの視点から描くというもので、当然のことながら、黒澤明監督『羅生門』を想起せざるを得ない。
となると、おかされたのかどうか、というのが興味の焦点になるだろうし、観る側はそれを期待する。
が、ジャンからの視点、ル・グリからの視点と観進めていくと、そこに焦点があるように思えなくなってきます。
ル・グリからの視点からみても、それはあったに違いないし、それ以外には解釈のしようがない。
ならば、無理やりだったのかどうか、ということになるのだけれど、マルグリットの視点からみても、あきらかに強要されたものとしかみえない。
で、観ながらもしばしば混乱するのだけれど、ラストシーンで腑に落ちない謎が解ける(といっても、謎解き的な終わりではありません)。
ジャンとル・グリの、争いにおける真実は「名誉」に関わることなのだけれど、マルグリットが求めていることは、まるっきり異なる。
マルグリットの心の根底にあるのは、父親が与えてくれると約束していた「小さな荘園」である。
ジャンの許へ嫁ぐ際、マルグリットの持参金の一部としてド・カルージュ家のものとなるはずだったけれども、その「小さな荘園」は地代の替わりとして領主(ベン・アフレック)のものとなり、巡り巡ってル・グリのものとなる。
辺境のやせこけた地にあって、その「小さな荘園」だけが、豊かな、生きるに値する土地であり、マルグリットの生きがいだったから。
この「小さな荘園」に関するエピソードは、ジャンからの視点でも、ル・グリからの視点でも、いくらか異なった形で登場するので、見逃し厳禁。
つまり、マルグリットにしてみれば、
持参金の一部としてド・カルージュ家のもの(つまり、自分のもの(実際には異なるのだろうが))となるはずだった「小さな荘園」、
それをいま手にしているル・グリからの愛の告白(ここで、ル・グリはなにものにかえてもマルグリットを守ると誓っている)、
にもかかわらず、ことが終わった後のル・グリの手のひら返しに対して、裁判で再び取り戻そうとし、
決闘裁判でどちらが死んでも最終的には再び自分のもとに戻ってくる
と信じていたのであろう。
決闘裁判で
ジャンが死んだ場合は、未亡人として土地の所有者になる、
ル・グリが死んだ場合は、ふたたび取り戻せる、
と信じていたのだろう(ジャンが死んだ場合、自分も死に処せられるとは知らなかった、と決闘の直前で言っている)。
なので、ことがあったのか、なかったのか、という興味で観ていると、映画の肝心なところを見逃す可能性が大。
ただし、ことがあったのか、なかったのか、という関心で観進めていてもそれは観客側の責任とは言えず、どうも、脚本と演出の問題のような気がします。
というのも、脚本として3人の名前がクレジットされるが、順序は、ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモンの順。
ベン・アフレック、マット・デイモンが書いたオリジナル脚本(原作があるのだが)を、ホロフセナーが決定稿としてアダプテーションした、という意味の順序と読み取れ、決闘シーンなどのスペクタクルシーンに重点をおいてしまったが故に、マルグリットの真実から離れていったように思います。
監督のリドリー・スコットは、意外と脚本の細かいところに頓着せずに撮るタイプなので、肝心のところがさらにボヤケテしまった感があります。
とはいえ、スペクタクルシーンや美術デザインなどは相当凝っているので、それだけでも観ていて飽きないんだけれどもね。
中世ヨーロッパの空気感て、こんな感じなんだろうな
3人のどの視点に立とうが、現代から視れば不条理なことだらけ。極めつけが、最後の"決闘裁判"ということになる。
ペストという疫病と戦争(百年戦争)に明け暮れる14世紀のフランスで、人々は一様に貧しく、ましてや人権なんてあったもんじゃない。社会的弱者はもちろんのこと、貴族だろうが、領主だろうが、国王だろうが、神にすがるしかなかったのだろう。そうした時代背景の中、愚直で自分なりの正義感の中で懸命に生きる騎士カルージュ。一方、生い立ちには恵まれないものの、才覚で出世していくル・グリ(恐らく人間的にも魅力的だったのだと思う)。
このル・グリは、結果として友人のカルージュを出し抜く形で成り上がり、挙げ句に戦友であるその妻にまで手を出したのだから、とんでもない男なのだが、話はそんな単純なものではない。事実、この映画もその部分で白黒をつけるようなつまらない描き方はしていない。
名誉のため?正義のため?私憤を晴らすため?嫉妬?そのすべてだったのかもしれないが、妻の命を賭してまで決闘を望んだカルージュよりも、個人的にはル・グリに同情してしまう。知性派の彼は、仮に自分に正義があると思っていたとしても、神によるご加護など、信じていなかったと思う。何故自分は命を懸けてまで決闘をしなければならないのか、本当は納得がいかなかったのではないだろうか。同じように知性派だったマルグリットも、自分の死刑を恐れていた。神のご加護など信じていなかったのだろう。
キリスト教がすべてという価値観の中で、正義なるものも、すべてを決してしまう歪み、不条理に怖さも感じた。
しかし、これには、現代にも通ずるものがある。
いまだにそのような宗教観を持って生活している人々は世界中にいる。宗教ではないが、自分の信じ込んだ正義の中で、敵と思う人々、考え方を徹底的に潰しにかかるキャンセルカルチャーなども、その一つと言えるだろう。
重い映画でしたが、いろいろなことを考えさせられる深い映画でした。
その時代の空気感をイメージできる素晴らしい映像。マット・デーモンやアダム・ドライバーなどの俳優たちの演技。鬼気迫る決闘シーンには思わず目を背けてしまった。
そして、飄々とした遊び人の伯爵を演じたベン・アフレックも良かった。
あっという間の2時間半。今年一番の映画でした。
胸が抉られる。
深傷を負いながら闘いに勝利し、民衆の熱烈な歓迎を受け、妻を勲章のように扱うマット・デイモンが哀れだった。
自分の価値観でしか生きられない男の愚かさが積み重なり、なんだか悲しくなり打ち震えた。
ジョディ・カマーは今作の演技でアカデミー賞を獲るんじゃなかろうか。
3章の描き方が見事。『羅生門』と同じ。まったく長さを感じさせないテンポの良さ。同じシーンを繰り返し見せると思いきや、微妙にセリフや演技、カメラアングルが変わったり、はたまた全く違う新情報が出てくる。『グラディエーター』を小学3年生の頃映画館で観た小生にとってリドリースコット御大の戦闘シーンは格別です。
社会性とエンタメ性を圧倒的な重厚感で描く語り口は黒澤明のようだ。
貴族の衣装や城のセット、馬や甲冑、剣、盾、斧、槍などの小道具、泥や血に塗れた汚しも素晴らしい。これくらいのクオリティの時代劇を日本で作れたらいいんだが。
「真実」の多面性
予習しておかないと楽しめないと聞き、ネタバレ級に知識を仕入れて臨みました。それが功を奏したかどうかは分かりませんが、とても面白かったです。
この時代のヒエラルキーは
① King (Charles VI)
② Baron (Count Pierre d’Alencon)
③ Knight (途中からのCarrouges, 決闘直前にLe Grisも昇格)
④ Squire (出世前のCarrougesとLe Gris)
⑤ その他
です。
そして一連の出来事を「羅生門」の如く、
1. Jean de Carrouges
2. Jacques Le Gris
3. Marguerite de Thibouville
の3者の視点で描いています。
同じシーンであっても、観客が受ける印象は異なり、各人物像が手に取るように分かります。男性達については様々な記述が残っていますが、Margueriteについては、時代背景からの想察が多くを占めているそうです。それでもMargueriteの視点を「真実」と位置付けるのは何故か。
真実というのは関係者の視点や立場で変化します。男性達は自分が見たいものを見たいように解釈し、保身のために記憶がどんなに都合良く滑稽に歪められていたとしても、彼らにとってはそれが真実になっていくのだと思います。ただ、部外者が関与するに当たって大切なのは、誰の「真実」を最も尊重すべきかということです。それは言うまでもなく、世間に自らの恥を曝してでも訴えるMargueriteが体験した真実です。
男性の本性が最も如実に表れる「営み」。Carrougesは妻を性欲処理&跡取り量産機と見なし、Le Grisは女性全般を狩りの対象同然に見ています。同じ経験があっても姑は家名と息子だけを心配し、友人に至っては嫉妬もあるのか、誰一人 Margueriteが受けた心と体の傷に寄り添おうとはしません。唯一憐れむような表情を見せたのは女王だけでしょうか。(女王の最初の息子は生後3ヶ月で決闘前日に亡くなりました。)
大抵被告は同意の上だったとか、誘惑されたとか言いますね。CarrougesがLe Grisを貶めるために妻に供述を強いたという説もありますが、 Margueriteが愛人の存在をカモフラージュするために嘘を付いたのだとか、犯人を見間違えたのだとか、Le Grisを弁護する諸説が後世に沢山発表されたことも、性犯罪を軽視する男性社会の典型的な反応のように思いました。一刻も早く妊娠したかったMargueriteが、仮にLe Grisに色目を使ったのなら、わざわざ告発などしないでしょう。同時期に上手く夫を誘って、父親が違うことをバレないようにすれば良いだけです。
女性は男性の「庇護のもと」にありましたので、もしレイプが明るみに出た場合は、加害者が庇護者に示談金を払うか、被害者と結婚するかのどちらかが多かったようです。(現代でもこういう風習の残る国々が存在していて残念です。) Margueriteのように身分が高いと訴えることができたケースも僅かに(85年間で12件)ありましたが、尋問で少しでも言い間違えれば、偽証罪になったり、却下されたりしたのだそう。Margueriteにとって特に不運だったのは、父親が不名誉な人物であるということ。裏切り者の娘は真実を語るのか…。なお、決闘は他の法的手段で解決できない場合のみに認められました。本件は、確固たる証拠はなくとも、「犯罪行為自体を否定できない」と認められた(←恐らく当時としてはここが何気にスゴイことなのかなと。夫が原告というのもあるが、Margueriteも長い裁判と尋問と屈辱に耐えて司法官達を納得させた)ため、決闘を行って結論を「神に委ねる」ことになりました。
好色なLe Grisの被害者は、名乗らないだけで他にも沢山いたことでしょう。決闘で彼女達も密かに溜飲が下がったかな?!
上司と部下、出世を張り合う同期達、夫の出張、嫁姑、ママ友、ご近所付き合い…。服装が違うだけで、600年以上前とは思えないほど身近な話題でした。
監督のお得意分野?衣装や美術はばっちり、戦闘シーンも大変見応えがありました。
***********************
CarrougesとLe Grisが50代後半の頃の話。
仕える上司がPierreに代わってから友情が壊れました。
Adam Driverがハンサムなのかはさておき…、実物のLe Grisも大柄で目立つ外見だったそうです。結婚歴があり、跡継ぎは複数いました。
先にknightに昇格したCarrougesを妬んでいたとも。Margueriteの証言によると、初めLe Grisは金を渡して交渉しようとしました。彼1人では激しく抵抗する彼女を押さえ付けられず、付き添いの家臣Louvelを呼んで縛り付け、助けを求めて叫び続ける彼女の口に帽子を突っ込みました。これらはどこまで真実かは分かりません(LouvelとMargueriteの女中を、嘘発見器代わりの?何らかの拷問にかけましたが、供述を引き出せませんでした)が、Le Grisのアリバイの証人自身(Jean Beloteau)が、公判期間中にパリでレイプ事件を起こして悪い印象を与えました。また、Le Grisを担当した当時の有名弁護士(Jean Le Coq)も彼の無実を疑っていたことが手記に残っています。映画ではあえてこの辺りをグレーにしたとのことです。
Carrougesが拘ったAunou-le-Fauconという名の土地。1377年にPierreがMargueriteの父から正式に購入していました。CarrougesとMargueriteとの結婚は1380年ですから、ほとんど言いがかりのような…。Le Grisに褒美として与えられたことが余程気に入らなかったのでしょうね。
戦闘経験値が上回ったCarrougesは、決闘でLe Grisを倒すと、先に賞金を貰いに行き、それから妻の元へ歩みました。決闘後は年収が上がり、追加の報酬も貰えたことで訴訟の費用を賄えるようになり、Aunou-le-Fauconを得ようとまたPierreを提訴したとのこと…。
同じ公判で、Margueriteの従兄弟Thomin du BoisもLouvelに決闘を申し込みましたが、こちらの決闘は認められませんでした。
本作では決闘ということもあってなのか火炙りの刑でしたが、一般的にレイプ偽証罪の罰は鞭打ちや私財没収などで、いずれにしても女性にとっては社会的な死を意味しました。
MargueriteはCarrougesとの結婚で、少なくとも3人の子供を産みました。夫の死後は、再婚せず裕福に暮らせたようです。
***
本来なら仏語であるべきですが…、Shakespeare まで行かなくとも、まあまあ古臭い時代劇英語を使っている中で、Pierreが連発する ”fuck!” が雰囲気に合わないように感じ、そもそも fuck という単語がこの時代(の英国)に存在していたのかが気になりました。
Oxford English Dictionary 2nd editionには、1503年に”fukkit”、1535年に現状の綴りで掲載されており、少なくとも15世紀には使われていたであろうとのこと。
ところが、1310年の英国裁判原稿にも記載が見つかり、1278年の封緘書状録(close roll)には、二重殺人で投獄されるも保釈を望んだJohn le Fucker🙄という人物名が記載されています。
意味や使い方は現代と少し違ったとしても、13世紀には既に存在したのかも知れません。
ということで、セーフでしょうか😁
ちなみに、あのお馬さんのラブシーン…。間違いなく「してくれる」熱々の?カップルを撮影に使ったのだそう。ショベルはゴム製で、馬さんに怪我はありませんでした。
Affleckのインタビューコメント:
“With the understanding that your truth may not be somebody else’s truth. There’s a certain arrogance rooted in that assumption.”
“Keep no company with those whose position is high but whose morals are low.”
—- Ge Hong
いろいろな意味で問題作。
大好きなリドリー・スコット監督作品。
物語は登場するメインのキャラクター3人の視点でそれぞれ描かれていきます。
なにしろ女性に権利なんてなかったと思われる時代の話。主役の一人マット・デイモン演じるカルージュの視点で観ると、カルージュガンバレ!悪徳代官になんか負けるな!とつい力が入ってしまうのですが、徐々にいろいろな疑問が湧いてきてアレ?っ思わせるように作られているのがニクいですね。
ただリアルを追求するリドリー・スコット監督。
あの残酷な性描写を何度も見せられると少し胸くそ悪くなってくるのも事実。女性の視点で観た時にあのシーンはホントに何度も流す必要があったのかと思わずにはいられません。
ベン・アフレックを含め役者の演技は迫真で素晴らしいし、ホントは★4から4.5でもよかったんだけど、あのシーンに関する疑問が抜けず3.5とさせて頂く事にしました。
ずっと曇天。
史実を元に描いているが、
ドラマの本質は、今も変わっていないのがよくわかる。
三者のストーリー展開は、
基本的に同じだけど、とらえ方、解釈が大きく違う。
一番の被害である、マルグリットですら、
本当の事を語っているとは限らな所がある。
宗教的、民族的な継承、群衆、
そして曖昧さが、あさましく怖い。
そして権力、力のある者が、
酔いしれ、自惚れるのは、
世界も広がり、複雑になった現在の方が、
おぞましい事を、鑑賞後考えた。
映画の大半は、
この世界観に合った様な曇天、
希望すら感じられない、血の匂いがする様な、
重い青空。
全て終わり、時間がたったラストシーンですら、空は重い。
決闘シーンは、
エンターテイメント的だけど、
戦争、被害者の構図に見える。
勝てば官軍
重厚な時代背景に負けず劣らずの内容だった。
「真実」って言葉はあるのだろうけど、その意味には異議を唱えずにはおられない。
おそらくレイプはあったのだろう。
そこまでの認識に多少の誤差があったにせよ、そこまでは共有してるように思う。
そこから後の絵図を描いたのは誰だろう。
やはり夫なのだろうか?
それとも妻なのか。
…結局のところ明かされない「真実」
今も昔も「真実」の扱われようったら大差ない。
物語は三者三様の「真実」が語られる。
同じ事実を共有するも、その受け止め方は様々で、誰も真実を語ってないような構成だ。
人の数だけ真実がある。
決闘裁判にまで至るそれぞれの言い訳を観る事になる。真実よりも、自分の正当性だ。
知り合いがこんな言葉を残してた。
「自伝なんか信じるな。そいつに都合のいい事しか書いてない。」
まさに、そんな感じだ。
なのだが…3章に入り、少し趣きが変わる。
「真実」を利用し計略を企てるヤツがいる。
…勝者は誰だ?
勝敗はつくものの、モヤモヤ感は晴れない。
そして、執拗に映される敗者の成れの果て。
「死人に口なし」まるでそれこそが「真実」の成れの果てのようだ。
ラストは我が子を見つめる母の顔。
ぶっちゃけ、どちらの子かは分からない。
疑念を抱くもそれを証明する術はなく…ただ一つ分かっているとすれば、この子は愛し合った末に産まれた子ではないと言う事だ。
誰を騙せても自分だけは騙し通せない。
時代劇でもあるのでセットや街並みなんかも見応えある。勿論、現存してるロケ地ではないのだろうけど、めちゃくちゃ存在感があった。
当時の常識なんかも面白くて…女性が絶頂しないと受胎しないなんてホントに信じられていたのだろうか?科学的に証明されてるとまで言っちゃってる。
おそらくなら、現代を席巻する様々な常識も後の世では、同じような待遇を受けるのであろう。そう思うと馬鹿みたいに正論や常識に殉じる連中が可哀想にもなってくるし、それらの信憑性すら怪しいもんだ。
誰にとって都合のいいルールなんだろうか?
騎馬での一騎打ちって、お互いの右側を通るもんだと思ってたんだけど、左側を通るのだな。
力が交錯して逃げちゃうのだけど、ああいうものなのだらうか?
そして、剣の扱われ方が乱暴で驚く。
刀身は握る部署なんだな、アチラでは。
鎧も盾もあるから「斬る」よりは「叩く」って感じで、鉄の棒の方が殺傷力がありそうだった。
色々と見所の多い作品だった。
見応え充分
3人の中で嘘つきは誰なのか?それとも誰も嘘はついていないのか?
ル・グリはただ思い込みが強いだけかも。相手が自分のことを好き、嫌よ嫌よも好きのうち、と勝手に思い込んでいるだけかも。
マルグリットもル・グリの性格は嫌いでも少し惹かれるものがあるようだし、思わせぶりな態度を見せたりもする。言い寄られた時にどの程度拒んだのかは微妙。
カルージュもマグリットを愛しているようだが、持参金目当ての部分も多く、冷たい態度を取ることもあったり、決闘裁判で自分が負けたらマグリットも生きたまま火あぶりになることを黙っていたり、愛情がよくわからない。
決闘裁判はどちらが勝つのかハラハラしながら観ていた。しっかり甲冑を着ているから殺すなら顔か下半身?どちらを狙うにしても想像するだけで恐ろしかったが、思った通り顔でしたね😱それにかわいそうなのは馬。
それにしても敗者の扱いがあまりにも無惨。衣服を剥がれ逆さ吊りで晒し者。
ラストで、生まれた子供の髪が黒くなかったから、子供はちゃんと夫婦の子供だったのかな。マルグリットはカルージュの死後,何十年と再婚をしなかったらしいが、ということは夫を愛していたのだろうか?
イギリスのドラマ「キリングイブ」を観ていて、ジョディ・カマーがとても可愛くて、すっかりファンになり、この映画を観るキッカケに。でもとても面白かった。
子どもは、一体誰の子どもなのか?
嘘つきは泥棒の始まりと言われますが、嘘をつくと罪人になる事、真実は、必ず勝つ事を証明していますね!
正直に言っていればもっと違う結果になっていたと思いますが、何の為に嘘をついたのか?
何故に嘘をついたのか?
親友の仲、信頼関係、自分のプライド、世間の目、自分の慢心があったのか?
夫婦の営みで中々子宝に恵まれず、徐々に冷め切った夫婦の仲!
しかしやっとの思いで妊娠、そして出産したものの一体誰の子どもなのか??
ただただ疑問に残る!
実話だけにリアリティある映画でした!
流石にリドリー・スコット監督だと思いましたね!
白黒の決着をつけにいった女騎士
灰色の世界
表と裏のそれぞれに別の世界が存在する、ヨーロッパ中世が舞台。姑は女が一生を穏便に終えたければ、黒白をつけようなどとせずに、黙して灰色に染まらなきゃダメだと妻を諭す。兵士に犯された村の女たちも、口を噤むし、私も暴行を話さずにここまで生きてきた…と。口を開けば、正しくとも社会からは徹底的に弾かれてしまう。
ハリエット・ウォルター演ずる姑の言葉を、たとえ一瞬でも揺るぎない正しいものに感じてしまうから、演出も演技も凄い。
パリの街や、領主の城や山並みがグレーの霧に包まれて、それはつまり映像美でもあったのですが、結局は白黒つけないで済ませる世界の在り方を象徴していたみたいです。
妻は騎士になる
しかし、灰色世界に決別を告げた潔い妻に、私も改めて心に楔を打ち込まれました。まあ、だから映画の題材になった訳ですが、決闘に近づくほどに、魅惑的になっていく妻の容姿に虜になりました。ジョディ・カマーが本当に綺麗だった。
群衆に紛れて
マット・デイモン演ずる夫を殺せと叫んだ群衆は、勝負がつくとたちまち翻って賞賛の拍手を捧げる。一見、腑抜けのまま舞台から下がると見えた王も、決闘に夢中になってはしゃぎ回るし。どちらも呆れたけど笑いました。
三者三様も理解できますが、自分含めて、人と群衆の身勝手さを、しっかり思い知らされました。
全61件中、21~40件目を表示