最後の決闘裁判のレビュー・感想・評価
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3度の接吻
当時の風習かもしれないが、現代においても洋の東西で受け取り方に違いのある行為。ジェンダーの在り方に深く切り込んだ本作において象徴的なシーン、この異様な行いを三者の立場から見る。行いに変化をつけずに、切り取り方で表現するリドリースコット。羅生門的な作品において、これは新しい発明。自供におけるマットデイモンと他者の供述におけるマットデイモンが完全に地続きで、他者のようには映さない。「あっ、やっぱりお前やってたな」そう思わせる、演技が一貫している。
夫婦の性行為における表現の違いも目がひく。それには触れぬ男と触れる女。受け身だけでよい訳ではないと思うが、宿すことを目的としている行為としての認識が影になる。馬をモチーフとしてもってくる巧さ。
同性による性差別とセカンドレイプについてもかなり切り込んでいる。プロミストヤングウーマンにおいても描かれていたが、現代的なメッセージだろう。
戦闘や決闘における活劇としての充実度は、既にグラディエーターで実証済みであるが、それにも劣らぬクオリティ。窓の少ない中世の館における日光や暖炉などの光表現の卓越ぶり。14世紀のパリの絵の説得力が物凄い。建設中の大聖堂とセーヌ川の組み合わせは絵葉書の定番か。こういう絵作りは、日本でも試みて欲しいところ。
晴れの日はない中世にあって、決闘後も重たさがひきづる。ラストはどうしてもグラディエーターとの比較になってしまう。それでも役割が続く。漸く光が差し込むラスト。さて、これも物議を呼ぶところかな。絵の選び方はあったはずだが、その絵だけは少し凡庸かも知れぬ。
最後の決闘裁判はニーチェの「悲劇の誕生」から?
この映画は、単なる善と悪の闘いを描いているのではないと考える。決闘の事実をもとにニーチェの「悲劇の誕生」を下書きにして作られた映画なのだと私は思う。ニーチェはこの書でギリシャ悲劇がアポロン的な造形、形象世界と、ディオニソス(バッカス)的な心象、情念の融合によってもたらされたと書いた。
この2つの観念を人間の性格的な概念に当てはめると、アポロン的とは意識的で、かつ理性的、秩序だっていて、論理性に優れた性格を言い、ディオニソス的とは無意識的で、情動的、陶酔型の激情的性格のことを言う。この2つの性格は「理性と感性」、「静謐と狂乱」のように本来相反するものなのだ。
この映画では、マット・デイモンの演じたカルージュがアポロンであり、アダム・ドライバーの演じたジャック・ル・グリがディオニソスそのものなのだ。カルージュを突き動かす行動原理は理性と秩序であり、キリスト教的絶対正義である。他方ル・グリを動かすのは、情動と感性、激情的なアンチキリスト的行動原理である。
ニーチェは反キリストの立場を取ったが、ここで示されたル・グリの行動は明らかにアンチキリストである。その点からもこの映画の意図は明らかだと思う。つまりカルージュにより示されるキリスト教的絶対正義が、アンチキリストのル・グリを打ち負かし、正義と秩序を世界にもたらすのだと。だがしかし、本当にそれだけなのだろうか?それならばなぜマルグリットは命が助かったにも関わらず、晴れやかな顔をしないのか。
ここからは私の独断とある種偏見なのだが、ディオニソスはギュンニスとも呼ばれている、女男という意味だ。今でいえばLGBTともいえる。つまりある意味、性において自由なのだ。他方アポロンであるカルージュのセックスといえば目的が子作りにあるのは明らかだ、それが悪いと言っているのではない。しかしこの先死ぬまで名誉のために秩序と正義に生き、厳格なキリスト世界の中で暮らすことが、本当に自分にとって幸せなのだろうか。彼女はきっと疑問に思ったはずなのだ。其疑問の象徴が建設中のノートルダム大聖堂のように思える。キリスト世界の勝利の聖堂が、なぜか暗く幽霊屋敷のように描かれているのは一体なぜなのだろうか。
昨年見逃してしまったのですが、ようやく見れました! 時代背景がわか...
昨年見逃してしまったのですが、ようやく見れました!
時代背景がわからなくても話にはついていけますが、背景がわかっていた方がよりこの物語を深く理解出来そうですね。それぞれのシーンはそれぞれの立場からの振り返りがあり、心のあり様がよくわかります。最後の決闘シーンは圧巻でした!それにしてもジョディーカマーの美しいこと...
羅生門の手法で描いた中世版「テルマ&ルイーズ」
昨日、黒澤の「羅生門」を観て、翌日に本作を観ることになった。すると両作とも手法が「羅生門」スタイルだったので、出来すぎた偶然に驚かされた。何よりも今にしてもなお、その映画手法が世界に影響を与え続けている黒澤監督の偉大さに頭が下がる。
「羅生門」は平安時代の強盗殺人レイプ事件をめぐって、被害者とその妻、犯人と、最後に目撃者の証言をそれぞれ映像として描き、人間のエゴをむき出しにしていく作品だった。
本作は、中世ヨーロッパの封建領主間におけるレイプ事件をめぐって、領主と被害者の妻、加害者の領主の3人の証言を、やはり別々に映像化して、どれが真相なのか観客に想像させるものである。
これは黒澤作品と違い、3人の証言がまったく異なるわけではなく、「妻と加害者に合意があったか否か」だけが争点となっている。そして時代背景、宗教裁判の実態を考えれば、状況証拠としては真っ黒だから、羅生門手法は①妻の証言で犯行に至る経過やその後の反響が徐々に明らかになっていく点や、②領主双方の人間性が別々の観点から膨らみをもって描かれている点――に効果を生んでいる。
両者とも自己の非を認めないことから、最後は領主同士が戦って「真実」を決定することに。中世騎士の戦いはリドリーには手慣れたもので、今回も最後の決闘シーンは息をのむ迫真性に満ちている。
その中でレイプに対し泣き寝入りせずに、世間や家族と戦いながら真実を貫く女性の姿を描くことが本作の狙いであり、女性にとっては痛快極まりないだろう。中世版「テルマ&ルイーズ」といった趣が面白い。
この時代には強い女性が
期待せず歴史も知らずに鑑賞。
日本もそうだけど女性の主張や自立が出来ない時代に、立ち向かった彼女に圧倒された。
強い者が真実の証。
真実は戦いで証明されるのか(..)
子供が金髪で安心した。
アダム・ドライバーの殺されっぷりが良い
上映時間が長いので、多分途中から寝るな・・と思っていたら、まさかの3部構成。
それぞれの視点で見たストーリーになっていました。
結局のところ、誰の言うことが真実なのか分からないのがミソですね。
しかしアダム・ドライバーの殺されっぷりには、感服しました。
可愛そう・・でなく、ざまあみろ、と思わせる演技でした。
スターウォーズを見た時は、何だこの役者は?と思っていましたが、今回はハマり役だったのではないでしょうか。
14世紀+MeToo運動+羅生門
14世紀、欧州百年戦争の真っ只中、女性の権利など話題にもならなかったであろう時代、夫婦関係と富と名誉、人間のエゴイズムのごった煮を見せられた。既婚者なら何とも言えない感情をくすぐられたはず。
古い物語に見えなかったのは、MeToo運動を思い起こさせる内容だったからか、リドリースコットの手腕か。その時代に生まれた運命と、人の善悪と、自分の人生を貫く力を描いた力強い脚本と演出。
リドリー・スコットの美学は健在で、コントラスト高め、濃い色調の重厚な画作り。綺麗な絵本のような美しいカットばかり。物語の緩急とアクションの見せ方はいつもながらの出来で、最後の決闘シーンもなかなか印象深い。羅生門形式はあまり好きではないけど、退屈な映画にはならず、またも巨匠は秀作を生み出した。
日本なら南北朝時代‥
この頃の中世西洋の風俗や雰囲気がよく伝わってくる物語でした。彼らも我が国の戦争・政治プレイヤーたちと同じく「戦になったら絶対殺すマン・そこで死んだらしゃーないが、不名誉でカッコ悪いのはイヤ」「家とは領土と名跡」だったのですね、勉強になりました。
その一方で話の進め方がまるで現代の「客観・多角的犯罪捜査」映像みたいだったので、対比的にとても新鮮でした。
話の内容の味やその深淵性・芸術性については、それらを含めて観た観客それぞれでかなり差がありそうです。私的には、その部分正直↑の総合評点4.0程ではありませんでした。描写手法上どうしても物語世界に没入しにくく、まるで第三者意見を求められて捜査資料を見せられている他所の刑事みたいな気分になってしまいました。リドリー・スコット監督はその辺観客がどう観る(べき)と思ったのか聞いてみたい気分。
最後の決闘裁判シーン
最後の決闘裁判シーンは手に汗握って観れました。
つまりラストに向かって振りがちゃんと効いてたという事。
マット・デイモンもベン・アフレックもアダム・ドライバーもとても良かった。
当時は良しとされてる事や信じられてり物が今と違ってて、
アダムドライバーなんて言い訳してる悪いやつのように
見えるけど、彼なりの正義があったのではないか?
とも見られるし、
奥さんも素敵な人と思ってるだけで罪と思ってる部分も
あったのかもしれないし、
マット・デイモンはただただ無骨で不器用なやつ、
だけどアダムドライバーに一泡吹かせたいと言う気持ちも
あったのかもしれない、
と3章に分かれてて色々登場人物の正義を考えて観ると
面白かった。
ラストの決闘裁判も手に汗握って観る事が出来た。
どちらが勝つのか?と言う事だけでも楽しめると思います。
にしても快楽を覚えないと妊娠しないからとか、
神が決めるから決闘しようとか、
なかなか不気味な映画でした。
余計なラストのメッセージが気に入らない
長い映画だけどそんなこと全く感じない映画。めちゃくちゃ面白い。アダム・ドライバーが格好良すぎる。
エンドロールで『no animals were harmed』を必死に探したのは私だけじゃないはず。
唯一「幸せに暮らしましたとさ」みたいなラストのメッセージ、あれいらないというか、幸せかどうかは他人が決めることじゃないので、事実だけ書いてろって思いました。
人も馬も血統 人も馬も決闘
中世が舞台。
ジャンヌダルクのような者覚醒はよ、と思いつつ何とも勘違いな鑑賞。全く無関係である。
戦争やら身分やらに女性の人権を絡めている内容。
主要キャラのそれぞれの視点で同じシーンが描かれる。
CGに見えない圧巻のリアルな映像や魅力的なキャラの面々は見どころ。
最後の決闘シーンも息をのまずにはいられない。
良い点
・男のキスをいやがる馬
・語らない王妃
悪い点
・同じシーンの繰り返しがややくどい。
・二人目の視点のオチがやや弱い
・女性の人権に焦点が当てられている気はするが、戦争に駆り出される男らもなかなか不憫に思える。
その他点
・男の五人に一人がキリストに見えなくもない
中世ヨーロッパはお好きですか?
わかるよ、わかるのよ、映画的な面白さは。
いわゆる“羅生門スタイル”は嫌いじゃないし、三者の視点から繰り返される映像には見入ってたし尺の長さは全く感じませんでした。
でもねぇ、あまりの男尊女卑!女性をモノとして扱い、妻に人権は無く、騎士たちの粗野というよりむしろ野蛮な振る舞い。女性が感じれば妊娠し無理矢理(レイプ)なら妊娠はしない、という意味のわからない論理。勝てば真実、釈放、英雄。負ければ処刑、偽証、火あぶりという決闘裁判の酷さ。中世という時代とは言えストーリーの胸糞悪さに霹靂。
そう、人は自分に都合良く記憶するし三者のどの視点もまた真実なのでしょう。そして現代社会も本質は何も変わってないよね、っていう監督の意図もすごく響きました。
だけどそもそも中世ヨーロッパがダメだったんだわ私。
まぁ世界史全般苦手でしたけど特に中世の貴族や王の人名のややこしさに教科書放り投げてました。
あの時代が好きかどうかもこの作品評価に多少は影響ありそうですね。あとはリドリー監督との相性かな。
ともあれ高齢になってもこんな大作を作っちゃう巨匠の凄まじいエネルギーと、マット・デイモン&ベン・アフレックの久々共同脚本ということで二人の変わらぬ友情に敬意を。
全男性に観て欲しい映画
「最後の決闘裁判」
リドリー・スコット監督の女性像は「テルマ&ルイーズ」から一貫している。
それは黙らない女だ。
ではナゼ彼女たちは声をあげるのか?
それは我慢の限界だから。
この作品は主人公マルグリットが我慢の限界に至る過程が丁寧に描かれる。
まずはマルグリットの夫カルージュの視点の物語、次にマルグリットをレイプするル・グリの視点の物語、そして最後にマルグリットの視点の真実。
変わる視点に、見ているものの違い、男性には不快かもしれない。
けれど女なら誰しも知っている不条理。
600年前の話で、今は男女同権になっているとのファンタジーを語る人にこそ観て欲しい。
結婚したら別姓もできず、合格点を取っていても入試で落とされる女の世界を少しでも感じてほしい。
ウディ・アレンの話でもしたけれど、レイプで嘘の報告があるのは全体の2〜8%。
しかも中世では偽証は死刑だ。
言わない方がいい。
けれどマルグリットは命をかけても言わずにはいられなかった。
女はか弱く、時に性的で守らなきゃいけない存在ではなく、知性も感情もあり自立して生きていける存在だという証明のために。
私はこの映画を理解する男性と付き合いたい。
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