最後の決闘裁判のレビュー・感想・評価
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史実がどうだったのか調べて驚いた
まずは映画の感想を。
一応史実をベースにしているということだったが、映画の構成に驚いた。
それぞれの視点からみた内容が少しずつ変わっていて、描き方がうまい。
最後の決闘も迫力があり、神の審判はどっちに?というような内容ではあるのだが、よく考えるとスッキリするようでスッキリしない中々モヤモヤもあり、色んな人に満足される映画なのではないかと思う(ただのポリコレと受け取るのは男女どちらの視聴者にとってももったいない)。
映画鑑賞後、Wikiなどで史実はどうだったのか調べて驚いた。
暴漢はマスクを被っていて、実は○○だった?
本人が後で自白した?
つまり、破れた彼は被害者?
だから、決闘裁判は廃れた?
凄く説得力のあり、モヤモヤしているところがすべて解消した気分になった。
これが本当だったら凄い話なのだが、実際、史実がどうだったのかは調べてもよくわからなかった。
日本人が書いた本に書かれているらしいのだが、この本は絶版。
図書館で借りられたらまた追記したい。
ジェイソン・ボーンvs.カイロ・レン
中世ヨーロッパの歴史物と言えば、リドリー・スコットの得意分野だけに、なかなか骨太で見応えのある作品でした。彼は、低迷が続いていたのでファンとしては嬉しい限りです。冒頭から騎馬による決闘が始まり、テンションが上がります。その後、貴族の奥方が乱暴されるスキャンダルから決闘裁判に至る過程を、貴族とその奥方、貴族の旧友の視点で順番に描いていくのが面白い所です。一見、黒澤明の『羅生門』のようですが、裁判での証言の食い違いではなく、視点を変えることで事件やその背景、登場人物のキャラを浮き彫りにしていく感じです。当然ながら同じ画面が続くけど、微妙な視線のやり取りやセリフを言う人物を変えるなど、色々工夫があって面白いです。最後の決闘シーンは、リドリー・スコットらしい迫力あるアクションで見せてくれるし、敗者への情け容赦ない扱いも凄いです。役者では、マット・デイモンもアダム・ドライバーも自己チューでイヤな奴を見事に演じています。でも、何よりも奥方役のジョディ・カマーの硬質な毅然とした美貌には参りました。
ル・グリは部下としたら優秀な人だ
14世紀、日本は鎌倉・室町時代かな。
日本も権力闘争に明け暮れた時代、ヨーロッパは百年戦争。
衣装や小物や武器、武具、装飾品が素晴らしく目をひいた。
ストーリーは人が100人いれば100通りの真実がある、となるのは当たり前で、みんな言いたい放題。
自分は正しい、と思わねば生きていけないのは騒乱の世の常かもね。(同じ期間に上映中「燃えよ剣」もそうだよね)
真実かどうかは神が決めること。
日本は勝てば官軍。
どちらにしろ死人に口なし、なのね。
ジャンのお坊ちゃん気質の自己中な視野の狭さ。
ちっちゃい男だなぁと思った。
かたや、ル・グリの謙虚に自分の出来ることを増やして上司の無理難題をこなしていく柔軟さ。加えて美男子。
謙虚さが続けば最高なんだけど、やはりちょっと天狗になる時はあるよね。
でもジャンとの友情を大切にし、友人支えて影から助けて、良い男だと思った。
友人の妻だから余計に欲しくなった、というのもあるんだろうけど、欲しいものを手に入れる行動力もたいしたものだと思った。ただ、自惚れに身を滅ぼすことになるのは計算外だったんだろうな。まぁ、モテる男は一途な女の気持ちだけは理解できないんだろうなぁ。
でも、世の中できるひとが落ちていく理由って自惚れて足をすくわれて、だよね。
謙虚さ、って大切だなぁ。
ということで、人間はいつの時代も地球上で同じことを繰り返してるんだなぁと思った。
女の扱いは世界中どこもあんなもんでしょ。
男女平等が叫ばれたのは歴史でいったら最近の話だものね。
14世紀にこんな声が通ったのが、確かにドラマになる、語り継がれる話なのはわかる、すごいと思う。
真実はどこに?提示される3視点以外の見方もある
黒澤明監督の「羅城門」をヒントに製作された今作は、史実に残るセンセーショナルな出来事を元にリドリースコットらしいリアルさと映像技術をもってして厚みのあるサスペンスとも歴史物とも取れる作品となっている。
内容は複雑なようでいて単純なのだが、他のレビューにも書かれているように、歴史的な背景を知っていないと読み解けないキャラクターの行動が散見しているため、是にとも簡単でもいいので予習してもらいたい。
我々に提示される視点は三人分。しかしその視点も俯瞰であって主観ではないため、実のところは分からない。ただの戦争馬鹿と罵られているが実は形勢逆転にスキャンダルを利用した狡猾さがあったのだとしたら? 美男で秀才だがクズだとされているが実は本当に罠にはめられたのだとしたら? ラストのワンカットシーンでおや?彼女が座っている場所は? 実はすべて仕組まれていたと勘繰れなくもない。
歴史的なミステリーとしても深く楽しめる秀作です。
伊藤詩織さん事件を思い出した
この映画の舞台は14世紀。
女性が訴え出たのは史上初のことらしい。
裁判の席では女性が傍聴者の前でエロ質問への答えを強要されたり、夫が戦いに負けたら妻は大衆の前で全裸にされて火炙りにされるという訳のわからない条件が言い渡されたり…火焙りはともかく全裸って…
まぁ、800年近い昔のことだから、そんなもんかな?とは思うけど…。
でも今の日本は火焙りこそないけど、レイプされた女性が勇気を出して告発すると異常とも言えるバッシングをされ、胸元が開いた服を着ていたことだけで非難されるわけで…。
しかも加害者とされた山口敬之氏への逮捕状が突然権力者の手により取り消されたわけで…。
800年前と今とで全然変わらないって、どういうこと?と思ってしまった。
人間の意識を変えるって、並大抵のことじゃないんだな…と妙に納得。
映画は一見難解そうに感じるかもしれないが、3人の当事者の視点から同じシーンが繰り返されたりすることもあり、結構わかりやすい。
長時間映画だが、飽きずに疲れることなく見ることができました。
オデッセイ🥔🌱くらいマットデイモンを応援した
予備知識が無かったので、どちらが勝つか分からず、手に汗握る決闘シーンには、とてもハラハラさせられました‼️700年ほど前の時代だから、裁判の審問が酷すぎます。誰も信用できない生きづらい状況なのに、マルグリットさん、勇気のある方!3者の同じシーンで、表情が微妙に違う演出も素晴らしい。
こんなゲスい領主ベンアフと自分勝手な夫マットデイモンは心苦しいですが、脚本を書いたのが、彼らということで、やっぱり才能の持ち主ですね!
ギリギリ劇場で観れて良かった。上映期間短すぎます💦
今も変わらない
男女の格差。
語る人による話の偏り。
1300年代の頃〜現代に至るまで根本が変わらないんだなぁ。
ただこの映画を見てた時後ろにいた人たち(おそらく外国人)が終始ずっと笑ってた。
うるさくてイライラしたけど、マルグリッドのパートのところは笑わず男性がフィーチャーされるところだけずっと笑っていたのはそういう圏内で育った人の独特な笑いのツボなのかな?
役者のうまさが光る
同じシチュエーションで何通りもの演じ分けが観れるだけでも贅沢な作品ですね。
アダムドライバーがメチャイケメンに扱われてるのも嬉しいし、悪代官?ベンアフもハマってるし、ジョディカマーの知的な美しさも堪能できるし、脳筋マットデイモンの残念味の滲ませかたがうまい。
エンドロールで「カルージュ」に”Sir”がついてて良かったです。
極めて現代的な作品
舞台は中世だが、内容は現代。
普遍的であると同時に、#MeTooの影響も受けており、今、このタイミングで作られた意味があると思う。
見る前はてっきり、「行為」自体がないのかな、とか、
アダム・ドライバーは「相手から誘われた」と解釈してるのかな、とか、
マルグリットが夫の復讐のためアダム・ドライバーをハメようとするのかな、とか、
色んな想像をしたが、
結局は、
2人の男の意地の張り合い、というか、
ワガママ、というか、
自己中というか、
男の汚いトコロが明らかになっていく内容だった。
それだけではなく、
女性の自己決定権の無さ、
「女の敵は女」を思わせるシーンとか、
それでも「芯の強さ」を見せ、
男社会で女性にはキツイけど、
「女性への応援歌」的な映画なのかな、と思う。
認知の歪み
2章まではなんか普通に見れたけど女性目線の3章になってからそれまでのキャラが気持ち悪く見える作りは凄いと思った
単純な男性批判だけじゃなくて女性批判というかあのなんとも言えない気持ち悪い空間が心に残った
「地獄に落ちろ」は痛快ではあるけれど結局ここまでしないと尊厳の回復が出来ないのかという悲しさもあった
三者三様を創り出すマジック?
物語は同じ事象を三者の視点で描いたものだが、おそらくは誰の視点も真実で、真実を三者の視点で創り出したのではなかろうか?
すなわち、妻が誘ったのが事実だけど(この時点で間男の視点が正しい)、意外とあんまりだったので夫の優しさに漬け込んで、あるいは夫の方が良かったと騒ぎ出す(こうなると夫の視点が正しい)。でも、いざ、騒ぎ出すと大事になってしまって焦る…(妻の視点?)。最後は決闘で生き残った夫は早く死んで、私の希望は子供だけ…とか?
それをあたかも三者の視点で、観る者に何が真実かは、それこそ神のみぞ知るという風に思わせるマジック!
お見事でした。
最後に子供の髪の毛の色が金髪だったのは、監督の優しさかも知れない。
もう一度観たいかも?
私は語る、故に私あり
父や夫を始めとして男たちの名誉や欲望に翻弄されるマルグリット。
この頃の女性の人権が無かったことは知っていましたが暴行されても暴行罪ではなく夫の所有物に対する器物損壊罪的な扱いには驚きました。
ラストシーンの重厚な決闘シーンは見応えがありましたが一番印象的だったのは決闘中ずっと不安とは違う曇ったような顔をしたマルグリットでした。
ジャンが勝利した後もどこか浮かない顔。
男達の闘いは本人達のエゴによるものでマルグリットにはそれがわかっていたのかと思います。
結果としてジャックの罪が暴かれた形にはなりましたがこの物語もあくまで第三者の視点であり真実と決めることは出来ません。
抑圧されようとも声をあげることをやめないマルグリット、彼女自体がこの物語で示したかった真実のように思います。
私は語る、故に私あり。
所有物ではない、自分の権利を訴える、だから私は人間なんだ。
男たちの争いや欲望なんか関係ない。私と私の子供がいるそれは誰にも否定出来ない真実なんだ。
マルグリットからはそんな力強いメッセージを感じました。
素晴らしい映像美で中世ヨーロッパを体感!
舞台となった1380年代は、日本なら南北朝時代末期、1368年に征夷大将軍になった足利義満が1378年に京都室町に「花の御所」を建設してそこで政務を執るようになったので、むしろ室町時代に当たるでしょう。一休さんが将軍様をギャフンと言わせていた頃でしょうか?でも一休さんの頓智でも、裁判を平和裏に解決するのは困難と思います。
一方、ヨーロッパでは1347年から約5年間にわたりペストが大流行して人口が1/3になり、農業人口が減少して荘園制が崩壊し諸侯や騎士が疲弊・没落してきた頃だと思います。なので100年戦争真っ最中ながら、マット・ディモンは自身の領地の農業従事者減少を嘆き、親友ながらアダム・ドライバーとお金のことで揉めているのだな?と思いました。ちなみにエピローグで、十字軍に従軍、というくだりがあり、「あれ、エルサレム奪回を目指した十字軍は最後の第7回でも1270年のはずだけど?」と思いました。
調べてみたら、1300年代末期、オスマントルコ帝国が東欧に進出し、1396年ハンガリーのニコポリスでハンガリー王とそれを支援するヨーロッパ諸侯・騎士との戦いがあり、これは「ニコポリスの戦い」と教科書に書いていますが、「ニコポリスの十字軍」という表記もあるようなので、おそらくこの戦いを指していると思います。
また、「esquire」を映画字幕では「郷士」ではなく、「従騎士」と訳しており(調べてみたら本来はこちらの意味が先、騎士志願者のこと、さらにバニーガールのいるお金持ちのおじさんがいくクラブの名前だけでもありません)、さらに戦場で「knight」に叙せられることがあるなど、なかなか勉強になる映画でした。
リドリー・スコット監督らしい素晴らしい映像美で、まるで中世ヨーロッパにタイムスリップしたような感覚で映画を楽しめました。ただ、彼の代表作である「ブレードランナー」や「グラディエーター」では魂を鷲掴みされるくらいの衝撃を受けましたが、本作はそこまでではありませんでした。期待値が高すぎたのかもしれませんが、リドリー・スコット監督の歴史大作を期待するな!というのは無理と言うものです。
振り返ってみればハリソン・フォードもラッセル・クロウも強いけど悲しみを抱えた主人公だったので、それが感情移入し易く、映画に没入できる理由の一つだったのかも?とも思います。一方、本作のマット・ディモン扮する主人公ジャン・ド・カルージュは現代の価値観ではやや微妙な人物なので(史実に忠実なのかもしれません)、残念ながら、そこまでの感情移入ができず、一歩引いて観ている感じでした。
とはいえ、観る価値のある映画です。
相対主義的な時間配分に飽きてしまった
多様な読み解きが可能な瞬間を収めるのが映画の目指すとこなのに、それを1/3ずつやられると、だれてしまう。この意見自体がトキシックなのかもしれないが、マット・デイモンの役は喧嘩を吹っ掛けるのが下手過ぎないか?母親がお父さんは、気難しいけれど、社会を見抜く力があったとお小言言われていたけれど、その通りだ。フェミニズムで語られているけれど、エンパワーメントというより、無常感が強い。
14世紀のフランス。 騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン...
14世紀のフランス。
騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)と従騎士のジャック・ル・グリ(アダム・ドライヴァー)が王の目の前で決闘裁判を行うことになった。
勝者には正義と真実の証が与えられ、敗者は汚辱にまみえるというもの。
争う事柄は、ジャンの妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、ル・グリにおかされたかどうか。
ド・カルージュ夫妻とル・グリの告白は真っ向からぶつかり合うものだった・・・
といったところからはじまる物語で、決闘裁判に至るまでの経緯を、ジャンからの視点、ル・グリからの視点、マルグリットの視点から描くというもので、当然のことながら、黒澤明監督『羅生門』を想起せざるを得ない。
となると、おかされたのかどうか、というのが興味の焦点になるだろうし、観る側はそれを期待する。
が、ジャンからの視点、ル・グリからの視点と観進めていくと、そこに焦点があるように思えなくなってきます。
ル・グリからの視点からみても、それはあったに違いないし、それ以外には解釈のしようがない。
ならば、無理やりだったのかどうか、ということになるのだけれど、マルグリットの視点からみても、あきらかに強要されたものとしかみえない。
で、観ながらもしばしば混乱するのだけれど、ラストシーンで腑に落ちない謎が解ける(といっても、謎解き的な終わりではありません)。
ジャンとル・グリの、争いにおける真実は「名誉」に関わることなのだけれど、マルグリットが求めていることは、まるっきり異なる。
マルグリットの心の根底にあるのは、父親が与えてくれると約束していた「小さな荘園」である。
ジャンの許へ嫁ぐ際、マルグリットの持参金の一部としてド・カルージュ家のものとなるはずだったけれども、その「小さな荘園」は地代の替わりとして領主(ベン・アフレック)のものとなり、巡り巡ってル・グリのものとなる。
辺境のやせこけた地にあって、その「小さな荘園」だけが、豊かな、生きるに値する土地であり、マルグリットの生きがいだったから。
この「小さな荘園」に関するエピソードは、ジャンからの視点でも、ル・グリからの視点でも、いくらか異なった形で登場するので、見逃し厳禁。
つまり、マルグリットにしてみれば、
持参金の一部としてド・カルージュ家のもの(つまり、自分のもの(実際には異なるのだろうが))となるはずだった「小さな荘園」、
それをいま手にしているル・グリからの愛の告白(ここで、ル・グリはなにものにかえてもマルグリットを守ると誓っている)、
にもかかわらず、ことが終わった後のル・グリの手のひら返しに対して、裁判で再び取り戻そうとし、
決闘裁判でどちらが死んでも最終的には再び自分のもとに戻ってくる
と信じていたのであろう。
決闘裁判で
ジャンが死んだ場合は、未亡人として土地の所有者になる、
ル・グリが死んだ場合は、ふたたび取り戻せる、
と信じていたのだろう(ジャンが死んだ場合、自分も死に処せられるとは知らなかった、と決闘の直前で言っている)。
なので、ことがあったのか、なかったのか、という興味で観ていると、映画の肝心なところを見逃す可能性が大。
ただし、ことがあったのか、なかったのか、という関心で観進めていてもそれは観客側の責任とは言えず、どうも、脚本と演出の問題のような気がします。
というのも、脚本として3人の名前がクレジットされるが、順序は、ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモンの順。
ベン・アフレック、マット・デイモンが書いたオリジナル脚本(原作があるのだが)を、ホロフセナーが決定稿としてアダプテーションした、という意味の順序と読み取れ、決闘シーンなどのスペクタクルシーンに重点をおいてしまったが故に、マルグリットの真実から離れていったように思います。
監督のリドリー・スコットは、意外と脚本の細かいところに頓着せずに撮るタイプなので、肝心のところがさらにボヤケテしまった感があります。
とはいえ、スペクタクルシーンや美術デザインなどは相当凝っているので、それだけでも観ていて飽きないんだけれどもね。
中世ヨーロッパの空気感て、こんな感じなんだろうな
3人のどの視点に立とうが、現代から視れば不条理なことだらけ。極めつけが、最後の"決闘裁判"ということになる。
ペストという疫病と戦争(百年戦争)に明け暮れる14世紀のフランスで、人々は一様に貧しく、ましてや人権なんてあったもんじゃない。社会的弱者はもちろんのこと、貴族だろうが、領主だろうが、国王だろうが、神にすがるしかなかったのだろう。そうした時代背景の中、愚直で自分なりの正義感の中で懸命に生きる騎士カルージュ。一方、生い立ちには恵まれないものの、才覚で出世していくル・グリ(恐らく人間的にも魅力的だったのだと思う)。
このル・グリは、結果として友人のカルージュを出し抜く形で成り上がり、挙げ句に戦友であるその妻にまで手を出したのだから、とんでもない男なのだが、話はそんな単純なものではない。事実、この映画もその部分で白黒をつけるようなつまらない描き方はしていない。
名誉のため?正義のため?私憤を晴らすため?嫉妬?そのすべてだったのかもしれないが、妻の命を賭してまで決闘を望んだカルージュよりも、個人的にはル・グリに同情してしまう。知性派の彼は、仮に自分に正義があると思っていたとしても、神によるご加護など、信じていなかったと思う。何故自分は命を懸けてまで決闘をしなければならないのか、本当は納得がいかなかったのではないだろうか。同じように知性派だったマルグリットも、自分の死刑を恐れていた。神のご加護など信じていなかったのだろう。
キリスト教がすべてという価値観の中で、正義なるものも、すべてを決してしまう歪み、不条理に怖さも感じた。
しかし、これには、現代にも通ずるものがある。
いまだにそのような宗教観を持って生活している人々は世界中にいる。宗教ではないが、自分の信じ込んだ正義の中で、敵と思う人々、考え方を徹底的に潰しにかかるキャンセルカルチャーなども、その一つと言えるだろう。
重い映画でしたが、いろいろなことを考えさせられる深い映画でした。
その時代の空気感をイメージできる素晴らしい映像。マット・デーモンやアダム・ドライバーなどの俳優たちの演技。鬼気迫る決闘シーンには思わず目を背けてしまった。
そして、飄々とした遊び人の伯爵を演じたベン・アフレックも良かった。
あっという間の2時間半。今年一番の映画でした。
なるほどの出来、長いけど
なるほどの出来。
全体を3部に分けて、最初の2つで典型的な男の物語でありロマンでありファンタジーであるものを描く。1つは良き夫としての男の物語、2つ目は既婚女性とのロマンスに生きる男の物語。どちらも今まで散々に描かれてきた物語であり、さすがリドリー・スコット、映画としても良く出来ている。
そして第3部、女性側から見るとそれがいかにエゴイスティックに脚色されたものであるか。男性への付属物としてしか見られない女性が、男性が作った規範から逸脱すると目された時に、どのような地獄が現出するのかを丁寧に描いていて、男としてはやはり頭を抱えながら反省するしかないのですね…
こうした演出の都合上長くなるのはまぁ理解できるが、それはそれは居心地の悪いものではございましたよ…
脚本のお陰かもしれないが、あの歳になってこうしたアップデートができる御大もさすが。
「Say kiss me 」も男のファンタジーだったんかな、と考えちゃいます…
あ、あと、ベン・アフレックが今回良かったですね。いつもとちょっと違う感じのでもクソ野郎で。見直しました。
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