トムボーイのレビュー・感想・評価
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【人生の中で僅かしかない第二次性徴期を前にした中性的な雰囲気を持つ少女の、妹を想っての挑戦と葛藤を鮮やかに描いた作品。”ジェンダーって何だろう・・。”と思った作品でもある。】
ー ご存じの通り、今作は『燃ゆる女の肖像』で、世界を驚嘆させた(含む、私。)セリーヌ・シアマ監督による長編第2作である。ー
■夏休みに新しい街に引っ越した10歳の少女・ロール(ゾエ・エラン)。
周囲に「ミカエル」と名乗った彼女は、新しくできた友人・リザたちに自分を男の子だと思い込ませる。
リザからの好意に葛藤しつつも、2人は距離を縮めていくが、夏の終わりはすぐそこまで近づいていた。
◆感想<Caution! 少し、内容に触れています。>
・妹ジャンヌ(私見であるが、ロールのボーイッシュな雰囲気を前面に出すために、可愛らしい女の子が演じている。)から”強いお兄ちゃんが欲しい・・”と言う言葉を聞き、ロールは一夏だけ、男の子「ミカエル」に成り済まそうと決意する。
- 彼女が、決して好奇心だけから男の子に成りすましたとは、私には思えなかった。-
・そして、転入前、級友になる筈のリザたちとサッカーなどをしながら、交流を深めて行く姿。
- 30年位前の記憶であるが、ボーイッシュな女の子はスポーツが得意だった子が多かったと記憶する。-
・けれども、リザから好意を寄せられ、戸惑いながらもそっとキスをするシーン。
- 極、自然に描かれている。
それにしても、「ミカエル」を演じた、ゾエ・エランを見出したセリーヌ・シアマ監督の慧眼と、それに応え、勇気ある(相当な勇気だと思う)演技を披露したゾエ・エランさんには、敬意を表したい。ー
・妹のジャンヌを”ウザイ”と言って苛めた男の子に対し、身体を張って抗議、喧嘩する「ミカエル」。しかも、見事に勝利する。
- が、この一件から「ミカエル」が女の子である事が、周囲に伝わって・・。-
<人間は、男女を問わず第二次性徴期前には、中性的になる瞬間がある。今作は、そのわずかな瞬間を物語性を絡めて、鮮やかに切り取った稀有な作品である。
それとともに、、「ミカエル」を勇気を出して演じたゾエ・エランさんが、現在ジェンダーに関わらず、幸多き人生を送っている事を、遠き日のいずる国から願った作品でもある。>
■友人の人類学者から言われた事であるが、人間は第二次性徴期前と、人によっては(女性に多いらしい・・。)70歳を超えると再び中性的になる方がいるらしい。
成程。
理に適っている気がする・・。
嘘をついてどうするんだとドキドキする
小学生の高学年になってもまだ男の子として通じる女の子が、男の子と嘘をつき新学期が始まるまで過ごすドラマ。夏休みの開放感や思春期の直前のような世界に眩しさを感じるものの、これから新学期が始まって可愛いサスペンスのような嘘をどうするかわからないドキドキがある。
見ている間そればっかりはしょうがない、でも許してあげて欲しい、みたいなことをずっと考えていた。
メタファーとしての森?
森がとても印象的な作品。
ロールの、ミカエルのの、心の中のような森。
迷い込み、駆け抜け、逃げ込み、彷徨う。
自分はナニモノか、意識が芽生えてくる頃の子供の揺らぎを丁寧に描いていて、共感しすぎず、突き放し過ぎず、子供だからと変な気も遣わず、自然体でとても良い距離感の作品。
自分も、小さい頃からスカートや女の子らしいアイテムや女の子らしい遊びが苦手で、なぜ他の子みたいにできないのかと詰められてきた事を思い出して苦しくなった。
生理が始まった時に感じた、人生が終わったような絶望感。女の子か達からカッコいいと言われた方が嬉しかった事。髪の毛は伸ばさず、パンツ(ズボン)しか履かなかった。
そんな自分の子供時代に、ロールの父親のような親がいたら、きっと少しだけ心が楽になっただろう。
そしてロールの母親には、いずれ、ロールをミカエルとして受け入れてほしい。
きっと、ワンピースを森の中に置き去り、タンクトップと短パンで生きると決めたんだろう。
その決意が羨ましくて、眩しかった。
色んなことに絶望し、諦め、今を生きるしかないけれど、ラストシーンは少しだけ希望が持てて良かった。
どうかその希望の火が消えませんように。
ジャンヌ
何者でもない時代は大事!
一言でいえば 良かったのか、悪かったのかLGBTQ前のフランスの男の子か女の子か曖昧さのなかにある子どもの話である。
この監督の「燃える女の肖像」という作品は観ていないが、約10年前に撮ったこの作品にも、ある種の刃を突き付けられるような場面が後半にある。私たちはジェンダーの烙印から逃れられない。しかしそこに人間は”ひとりの個”であり、だれもが自分はじぶんであり、誰にも命令・指示されるものではない。という確固たる個が育つ前の前段階の映画というとらえ方をしてみると主人公(トムボーイ)は愛おしくもあり、周囲の接し方の重要性は肝に銘じなければならない。
途中眠くなったのも事実ですが、子ども時代から遠ざかってしまった、ある種大人のリトマス試験紙みたいな映画です。興味があれば是非観て下さい。
解釈が分かれるところですね
男の子のふりをする女の子のひと夏の冒険。思春期映画なのに幸せで軽やかな味わいは稀少!
非常に爽やかで、視線のあたたかな映画でした。
男の身で性自認がどうの少女性/少年性がどうのといった話をすると生臭くなるので辞めますが、フランスには伝統的に子供映画、思春期映画の系譜があるなか、ことさらセクシャルなほうには振らず、かといってジェンダー論を声高に唱えるでもない、いやみのない清々しい語り口が、じつに心地よかった。
テーマとしては、おおむね監督デビュー作の『水の中のつぼみ』(未見)と近しい問題意識を、別の方法論を用いて再話している感じですが、思っていたよりずっと幸せで優しい映画で、個人的にはとてもほっとしました。
まだ男の子と女の子が未分化ではありながら、お互いを意識しはじめる絶妙な時期を扱っている点で、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』あたりを想起しますが、男の子目線の物語でないぶん、ずいぶん呑み下し易くなるものだなあと。「じつは女の子」って話じゃなくて「もとから女の子」って話なだけで、ドキドキ感が失せて、あっけらかんと見られちゃうもんです。
(そうはいっても、このご時世で、よくちゃんと上映できたなと思わないでもないけどw)
最後にはロールにとって少し辛い試練もありますが、全体的に「悩み」や「苦しみ」「痛み」「切なさ」より、「軽み」「愉しさ」「明るさ」「居心地の良さ」のほうが基調となっているのも、本作の魅力でしょう。
とくに、家庭環境の描写にストレスが一切ないのは珍しい(たいていのフランス製思春期映画では両親は離婚の危機にあるw)。これは、「男の子っぽくしているほうがしっくりくる女の子」を真正面から描くために、それを「家庭からの逃避・反抗」だと取られないよう、監督が先回りして配慮してあるわけですね。
お母さんの「ごっこならいいけど」というセリフや、強制的に女の子の服を着せるところに、保守的な印象を得る人もいるかもしれません。
だけど、お母さんが一番問題としているのは、コミュニティに「噓」をついて参加したことですよね。そこはこのお母さん、ホントにちゃんとしてると思うわけです。
自分の性的志向にそぐわないことをするのは、たしかに本人にとってよくないことでしょう。でも、性別と名前を「偽って」コミュニティに参加することのほうが、もっと致命的に危険なのは自明です。その「噓」は決して維持できるものでもないし、本人を近いうちに必ず大きく傷つけます。
別に性志向に限らず、これから引っ越し先のコミュニティに入るというとき、ちゃんとそのままの自分を見せたうえで相手に受け入れてもらえないと、やがてその人は信用も信頼も失ってしまう。
そこをロールは軽く見て、ついこのひと夏の冒険に乗り出したわけだけど、お母さんは大人だから、そのとっかかりの怖さが十分にわかってる。
だから、お母さんは開口一番「このあとどうする気なの」ってロールに訊くわけだし、
まだ「噓の芽」が小さいうちに、荒療治に出るわけです。
画面には出ないけど、ロールにはちゃんとお母さんの真意が伝わってるから、涙を流しはしても従順にお詫び行脚に同行するわけだし、どちらのおうちでもお母さんは子供を外に出して、父兄だけで部屋でじっくり話をしている描写がある。そこで、きっとこのお母さんは、自分の娘がどういう子で、それを周りからどう扱ってほしいかを、しっかり伝えているのではないでしょうか。
いったん新しいコミュニティにロールが自分で「女の子」だと告げて参加したうえで、その後、男の子の格好をしていても、たぶんこのお母さんは大して問題視しない人だと思います。実際、そういう服で生活することを、これまでだって許してきてるんだから。
その意味では、優しいお父さんや空気の読める最高の妹とともに、きちんと人の道理を説くお母さんもまた、ロールが信頼を寄せる家族の一員であり、決して敵ではないんですね。
(できれば、ロールが妹を守るために戦ったことを妹が訴えるシーンか、お母さんがすでにそれを知っていて褒めるシーンなんかがあると個人的にはよりしっくりきましたが、まあ説明的・道徳的になって野暮だからいれなかったのかな。)
それに、たぶん、外で遊んでいた男の子たちも、最初はとまどうかもしれないけど、最終的にはまた一緒に遊んでくれるんじゃないかな。だって、もともとあの悪たれたちは、「リザといっしょに」ふつうに遊んでたんだから。
ラストでロールは、リザに本当の名前を告げます。
リザはその名乗りを、どうやら受け入れたらしい。
ロールの口元にも、あるかないかの笑みが浮かぶ。
僕はやはり、これでいいんだと思います。
「居心地のいい自分に寄せた噓」ではなく、「あるがままの真実」から始めたフェアな人間関係のほうが、最後は「本当に居心地のいい自分」にたどり着ける可能性が高いはずですから。
私もTomboyだったかも?でも男の子になりたかったわけじゃない
この映画を観て、甘酸っぱくて青い、思春期前の自分のアレコレを思い出しました。で、あっ、私もTomboy(お転婆)だった!と気付きました。
今は平均身長もない私ですが、小学5、6年生あたりは早熟で背も高い方(リザも1番背が高かった)。何故か男の子に対抗意識が強く、勉強もスポーツも負けたくなかったのです。決して男の子になりたかった訳ではなく。普段は大人しいくせに、優等生と見られるのは嫌で、わざと男言葉を練習して頓珍漢なタイミングで先生に試してみたりもしました。
中学生になるとそんな衝動は見事に無くなり、物憂い思春期の乙女?となりましたが。
だからロールの気持ちも少し理解できます。体も心も大きく変化する時期に、性的なことだけでなく、自分でも何故かわからず突拍子もない行動をしてしまうあの時期。ロールは今の段階では、ノーマルでボーイッシュなだけのようにも見えますが、リザとの淡いロマンスを経験して変わってゆく可能性もありそう。
必死で男の子のフリをする涙ぐましい努力と、バレちゃうよーとハラハラするスリルで、ロールが愛おしくて堪らなくなるのです。
もうー、そんなことしたら学校始まってからどうすんの〜? あっ、そんなに激しく遊んだら、水着からアレが落ちちゃうよ〜? 妹ちゃん、上手く誤魔化して〜!(ちょっと本当に上手すぎた。ロールと正反対で、ムチムチして女の子フェロモン溢れていながら、超頭いいし、お姉ちゃん思いで悶絶可愛い)
そして、とうとうお母さんに嘘がバレてしまう。いきなりロールの頬をビンタするのは、少し衝動的すぎるとも思いましたが、臨月近い妊婦だし、転居したてなのに嘘の内容が性的なことで、しかも周りを巻き込むものだったからかな。
お父さんはもしロールが男の子として生きる道を選んだとしても、受け入れてくれそう。というかお父さんが男の子欲しくてロールに接していたのにも遠因あるかも。
お母さんはまだ普通の女の子でいて欲しかったのですね。でもとても仲の良い家族だし、そのような問題も将来上手く乗り越えられそうな雰囲気もあります。
夏の優しいキラキラ輝いた景色が、成長期の子供たちをあたたかく見守ってる感じもいいですね。だから10歳の子のオールヌードは、必要なかったかなあ。
主役のロールは、監督がサッカーをしている彼女を見て一目惚れしたとか。彼女の第二成長が始まる前の貴重な時間が無ければ、制作出来なかった映画ですね。
なんか中途半端な気がする
こどもの世界の描写が絶妙
こんなに子供の股間を凝視した映画は始めてかも
まずは、妹のジャンヌ役のマロンちゃんとリザ役の娘に助演女優賞をあげます。お兄ちゃん(お姉ちゃん)の言うことをよく聞いて、おしゃまで可愛いジャンヌ。
「燃える女の肖像」の女性監督セリーヌ・シアマが2011年に作成した映画とのことで是非見ようと思いましたが、すごい人気で平日でも連日満員でした。やっと、最前列の真ん中のいい席を取れました。
セリーヌ・シアマ監督の原体験そのものなのかなと思いましたが、性同一性障害の理解にはとても分かりやすい良い映画だと思いました。
ミカエル/ロール役のゾエちゃん。下調べなしで見たので、主演は男の子で女の子の役をやっているのだずっと思っていました。それが、赤のスクール水着をハサミでチョキチョキしてからはオヨヨ。タ○スジがくっきり。妹の緑色の粘土をコネ始めて、ありゃー、こんな幼いうちから張形自作。ちょっと立派過ぎないかと、ドキドキ。全力で子供の股間を凝視してしまいました🙏 リザと同級生の設定なのに第2次性徴がまったくないし、男前だなぁと思って最初から観ていたし、妹の方がムチムチして女性ホルモンたっぷりだったので全然わかりませんでした。リザにお化粧されたり、ワンピース着せられると、やっぱり女の子なのかな~?みたいな。ゾエちゃん、あとで調べたら、女優って書いてあり、現在の写真も確認しました。ミカエルは英語だとミッシェル。男女どちらも使える名前です。賢いですね。ローラなら聞いたことあるけど、ロールって名前の女の子は聞いたことなかったのですが、エンドロールではLaureでした。
二人の両親もとてもいい親御さんで、いいご家庭でした。それがまたロールにはツラいんでしょうね。妹はお姉ちゃんのよき理解者でいてくれると思いますけど、子供も増えて、両親の愛情がだんだん下の子に移って行くと、疎外感を感じるようになってしまうのでしょうね。ビジュアル的には息子ですが、お母さんは娘に手をあげてしまった😰 学校始まるともっとツラいでしょうね。リザは全然悪くないのに。リザのことも心配です。あとひきますね~この映画。
【フィクションだと思わずに…】
まず、子供たちの演技が素晴らしい。
そして、この作品は、多くの”大人”、特に頭カチカチの大人に観てほしい。
茶化さないで観てほしいと思う。
一概に「性」とは言っても多様で、自覚する時期も、認識の仕方も様々だと云う考え方が主流になってきている。
幼稚園に入る前から、仮に漠然とでも自覚している場合もあれば、思春期に多い性的指向の表れが決定的な要素になる場合もある。
性については、大きく、
「からだの性」
「表現する性」
「性自認」
「性的指向」
に分けて考えることが多く、”表現する性”が必ずしも”性自認”に結びつかないこともある。
“からだの性”と”対極の性を表現”したい…つまり、服装表現やケンカの強さを競うなどを含む…ケースもあるが、それは、”性自認”や”性的指向”とは関係ない場合もある。ノン・バイナリーなファッションをしていても”からだの性”と”性自認”が一致していることは多いはずだ。
また、当然、結果として性的指向も”バイナリー”なこともあるのだ。
(以下ネタバレ)
ロール/ミカエルは、表現だけで、まだ、ハッキリした自覚はないのかもしれない。
もしかしたら、リザがトリガーになる場合も想定されるんじゃないのか。
まだ、性自認が定まっていないのであれば、なんとかして、”からだの性”と一致させようという親は多いと思うが、それが、どれだけ、子供の心を傷つけるのかは、分からない。分からないこそ、精神的ダメージを大人は理解してあげないといけないのだろう。
最後の、ロール/ミカエルの微笑む顔を見て、これから、どうなるのだろうかと、やはり考えてしまう。
まあ、兎にも角にも、子供たちの演技が素晴らしかった。
この80分ほどの作品で、いろいろなことを考えさせられた。
天才ジャンヌちゃん
5年生になる前の夏休み、引っ越してきたばかりの団地で知り合った友達に男の子のフリをして仲良くなり交流してしまった少女の話。
6歳の妹と両親と4人家族の主人公が家族に知られないように男の子のフリを通す為にあれやこれやと工夫しながら友達との仲を深めて行く展開だけど、なんだか最初に出会ったリザちゃんと良い感じ?
そして妹と口車を合わせて、ってちょっと妹気付いたのもそうだし、その後の対応力も凄すぎません?
壁にもたれて考えふける姿は可愛すぎたしw
重くないつくりなのは悪くないけど、なぜ嘘をついたのか?
そして全否定の母親のリアクション、からのリザ宅に向かう際に声を荒げたけれど、性自認がどうのという件がないから、映画として本当に訴えたかったものが何かよくわからなかった。
自分が何者かを知る、ひと夏の物語
新天地で男の子として過ごそうとする主人公のロール。自我の発芽と性自認のゆらぎ。自分が何者かを知る、ひと夏の挑戦に迸り出る生気。少年集団に馴染もうとする場面や性を超越した恋など、一つひとつの描写が極めて瑞々しく、洗練された美しさがあり、どれもこれも忘れ難い。『燃ゆる女の肖像』セリーヌ・シアマの大傑作。
妊娠間近の母とその父、生意気だが主人公に寄り添うフェミニンな妹との交流は一切の汚れなき純粋無垢な思春期前の様子であり非常に微笑ましい。また、妊娠間近の母=名付け親と赤子を登場させることで名前を偽り、アイデンティティ・ジェンダーで揺らぐ主人公の物語に深みが増している気がする。
全編を通して、思春期の不安定さを面白可笑しく、そして挑発的とも言える描き方をしながらも、心の何処かで共鳴してしまうような作品。また、男と女、それぞれのジェンダーロールに縛られない物語に魅了されるのかも。それも、わざとらしくなく、優しいベールが包んでいて。
そして、なにより出演者の演技、とりわけロール演じるゾエ・エランは全くもって違和感なく、自然に演んじており、自己が確立していない思春期前のキャラクター像を完璧に憑依させていた。ゾエ・エランの牽引力に屈服。とにかく凄まじい。
超絶好きです。
新生児は妹?弟?生まれた🚼️途端に決めつけない世界へ!
妹のジャンヌ(かわいい!クリエイティブ!機転が利く!)、友達のリザ(人を見る目がある)、愛情たっぷり子どもを育てている両親。この環境なら賢く強く優しいミカエル/ロールは誰にでもある悩み多い思春期を過ごして、自信を持って自分を大事にする生き方ができるようになる。そうなって欲しい。
サッカー遊び観察の結果をミカエルが家で再現してみる場面は笑えた。1)男の子は暑くなったら上半身裸になるんだ!2)男の子は唾を吐くんだ!
印象的だったのは妊娠してた母親が出産し、ママが抱く新生児をジャンヌとミカエル/ロールが眺め赤ちゃんの様子がしばらく映るシーン。誰もその赤ちゃんの性に言及しない。観客もわからない。それが新鮮だった。そんなのどうでもいいことだな、と思った。
男の子、女の子、グチャグチャになって一緒に遊んでる場面は懐かしい。夏休みに宿題も塾もないのはいい。ママとパパがあんな風に子どもを抱きしめてくれて、運転席のパパの膝に乗っけてもらったり、ビール一口飲ませてもらう場面も懐かしい。
個室の子ども部屋の意味を改めて認識した。叱られたら行かなければならない、泣きたくなったらひとりになれる、パパやママに何かを訴えたり大事な話ができる。それ以外はこもらないでリビングやキッチンできょうだいや両親とくっつきあって遊んだりおしゃべりしたりご飯食べたり。家の鍵を貰うのは相応の年齢になったってことなのだろうから、ママもミカエル/ロールも誇らしく嬉しそうだった。ミカエルが後で紐を変えたのはかわいかった。
夏が美しかった。森の爽やかな香り、太陽が顔とか体にあたる熱さ、水に飛び込む気持ちよさ、走って汗だくになる感じ。全部が美しい映像から感じとれるようだった。
主人公、よくこれだけぴったりの子が居たなと思った。この子だからこそできた映画だと思うし、妹含めていいキャスティングだった。一緒に楽しい夏休みを過ごしたような気持ちになった。
全38件中、21~38件目を表示











