沈黙のパレードのレビュー・感想・評価
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早くも続編待望論 福山雅治×柴咲コウ×北村一輝がもたらす稀有な安定感
劇場版としては「容疑者xの献身」「真夏の方程式」に続く第3弾。
今作を観て感じたのは、やはり「ガリレオ」シリーズには福山雅治、柴咲コウ、北村一輝の
相性が抜群に良いということ。
「真夏の方程式」で福山扮する湯川のバディとして奮闘した吉高由里子の芝居も素敵でしたが、
やはり15年という重みがもたらす「あうんの呼吸」には唸らされる。
今作ではさらに、「ずん」の飯尾和樹が素晴らしいパフォーマンスを披露している。
娘を殺害された父親を演じ、振り上げた拳の落としどころが分からず、怒りと悲しみに
支配されていく姿を体現してみせた。
娘役の2人、川床明日香と出口夏希の今後についても、大きな期待が寄せられる。
とにもかくにも、シリーズを振り返ってみても個人的には最も良い出来ではないかと感じた。
引き続き、シリーズは続くだろうなあ……、間違いなく。そして、早く観たい。
いわゆるテレビドラマ映画とは一線を画す「ガリレオ」シリーズ劇場版。偶然と必然性の境界をどこまで許容するかで評価は変わる?
本作は、「ガリレオ」シリーズが好きだった人は、きっと好きになる作品だと思います。
それは、映画化第1弾であり最高傑作と評されることの多い「容疑者Xの献身」(2008年)、映画化第2弾「真夏の方程式」(2013年)を踏まえて、キチンと福山雅治が演じる主人公の天才物理学者・湯川学の成長や葛藤を、より深く感じられるからです。
さらに本作では、湯川と、柴咲コウ演じる内海とのコンビも復活します。そして、北村一輝が演じる、湯川の大学時代の同期である刑事・草薙が脚光を浴びることになります。
いわば「警察が作り上げたモンスター」にどのように立ち向かうのか、という視点も面白いです。
そして、物語は様々な要素が加わり化学反応を起こしていくわけですが、当然のことながら、それぞれの要素は「偶然」なのか「必然性」があるのかと、大きく分かれていくことになります。
そうした視点で考えると、実は「容疑者Xの献身」が一番シンプルで、その次に「真夏の方程式」がシンプルだったと思います。
つまり、本作が一番凝った作りになっているわけです。
その意味では、本作に「最高傑作」や「泣けるガリレオ」といったキャッチコピーが付くことも納得がいきます。
あとは、それぞれの出来事に対して、「偶然」なのか「必然性」があるのかを頭で考え、物語に入り込める度合いによって評価が分かれるのでしょう。
その意味で言うと私は第1弾、第2弾、第3弾の順番で好きですが、これは人それぞれだと思います。
少なくとも本シリーズは西谷弘監督による演出とキャスト陣の演技力は文句なく、いわゆるテレビドラマ映画とは一線を画していることだけは間違いないでしょう。
過去作品をトータルで味わえる、これまでで最も進化した映画版ガリレオ。
福山雅治演じる天才物理学者の湯川が不可解な未解決事件を解決していく、東野圭吾の小説を原作とした「ガリレオ」シリーズの映画第3弾。
湯川のバディ的存在である刑事・内海を柴咲コウが、先輩刑事の草薙を北村一輝が演じるほか、椎名桔平、檀れい、
吉田羊、村上淳らが脇を固めている。とにかく、俳優陣が豪華だ。
だが、湯川が気に入って1人で通っている「お店」で起こった事件でもあるため、今回は「実に面白い」という言葉が少なかったように思えた。
その事件をメインで担当する草薙刑事は湯川の大学同期。いわば友人だ。
「沈黙のパレード」という題名なので、沈黙に包まれたパレードなのかと思いきや、パレードは華やかに淡々と進んでいた。湯川の顔見知りも多い。そこに関わる人々の間には「大事な女の子の死」という悔しさが付き纏っているが、パレードは本当に楽しそうであり、悲しい事件を忘れるかの如く、温かい空気に包まれていた。
映画「ガリレオ」シリーズでは、犯人を予想するワクワク感があり、湯川も物理的な視点で「実に面白い」と流れていき、結果があった。
本作でも同様ではあるが、真相の行方をやや複雑にしたように思え、どこかスッキリとはしなかった。
もちろん湯川が「人の心情」を察し、事件経過について言うべきことは言いながらも、最終的な結論を担当の刑事と有権者に委ねている点は、実に面白かった。
湯川が教授になったこととは何も関係しない謎解きではあったが、少し大人っぽく見えた彼の検証なしでは解決できない事件でもあるというところは、進化する「ガリレオ」シリーズを感じ、次の展開も期待している。
全然おもしろくありませんでした。
「祈りの幕が下がる時」の二番煎じを避けたが為に
小説を読んでから見ると物足りない。草薙と湯川の友情に演出のポイントを置いているので、「祈りの幕が下がる時」のような、最初の事件の少女の母親と増村の秘話「砂の器」が原型の肉親関係を隠す悲話、それでも少女の母親が兄である前科者である兄の増村に夫を紹介する感動的なシーンなどを丸々カットしたのはもったいない。新倉の、医者の家系のボンボンだが、悪意はなく創作活動に執念を燃やす理想家、その妻もかつては音楽活動に青春を捧げたボーカルだった拘りをもっと演出すべきだったと思う。また、捜査を撹乱するヘリウムガスボンベの件は残して欲しかった。 何より、ラスト近く「なみきや」通いの理由は「戸倉社長と同じだ」と被害者の妹に言っているシーンは感動的だったのに。「悔しい友人の想いを晴らしてやりたかった」との発言を、今回のベースに置いたので、今回のような脚本に仕上げたのだろう。 やはり「真夏の方程式」が映画としては一番小説の世界観を表現できていた。ペットボトルロケットのシーンの美しさは邦画では出色の出来だった。 「容疑者Xの献身」は小説は面白かったが、映画は困り物だった。小説は単なる自己犠牲の美談だけではではなく、他人に認められない天才が、己の才能に酔って暴走する哀しさを表現していたと思う。最後に何で?と慟哭するのは、単に「なぜ、俺の気持ちを分かってくれないのか?」だけではなく、完璧なはずの作品を、何故ぶち壊してくれたんだ!との悔しさと怒りが込められていたと思う。小説は読み取れたが、映画は堤真一という良い男にして、醜男の独りよがりの深情けと嫉妬と天才故の自己満足・自己陶酔のカオスが表現出来ていなかった。残念でした。 同じように、横溝正史の「悪魔の手毬唄」も、映画では単に近親婚を避けるため、が犯行動機として描かれていたが、小説を読めば、犯人のリカが自分も元芸人で、その能力を発揮出来ずに田舎で燻らなければならなかった哀しさを、「見立て殺人」という奇想天外な犯罪を演出して見せる自己満足・自己陶酔の賜物だと読み取れると思うのだが。 いずれにせよ、蓮沼が殺されるまで、そのふてぶてしさに「なみきや」常連が歯軋りし、今に見てろ、という煽りがもっと欲しかった。小説よりもパレードまでをはしょりすぎ。もったいない。
凄いな〜と思う所と、う〜んと思う所と…
【78.3】沈黙のパレード 映画レビュー
映画『沈黙のパレード』は、東野圭吾の緻密な原作を基に、西谷弘監督が「ガリレオ」シリーズの劇場版として映像化した意欲作である。その物語は、法では裁かれない悪への積年の恨み、そして愛する者を守るための複雑な隠蔽と計画が交錯する、多層的な人間ドラマとして構築されている。作品全体として、ミステリーとしての巧妙な仕掛けと、登場人物たちの入り組んだ思惑が巧みに提示され、観客を飽きさせない。
しかし、その緻密さゆえに、感情的なカタルシスという点では、一部に物足りなさを感じる余地がある。物語は複数の人物の動機が複雑に絡み合い、それぞれの行動が連鎖して大きな事件を構成するため、個々の人物への感情移入が分散されがちである。結果として、ミステリーとしての知的満足度は高いものの、観客の心を深く揺さぶり、涙を誘うような「圧倒的な感動」には至らない可能性も秘めている。良質なサスペンスとして一貫した緊張感を提供し、現代社会が抱える「法と正義」の問いかけを提示する、意義深い作品であると言えよう。
西谷弘監督の演出は、本作の複雑なテーマを見事に映像化している。祭りの活気と、その裏で進行する不穏な計画の対比は、視覚的にもテーマ的にも秀逸である。賑やかなパレードの描写の中に、人々の秘めた感情や思惑を巧みに織り交ぜることで、物語に奥行きと緊張感を与えている点は特筆すべきである。
湯川学の科学的思考を具現化する視覚表現は、シリーズ特有の魅力を保ちつつ、映画的なダイナミズムを加えている。また、登場人物たちの微細な表情の変化や、沈黙の中に込められた感情の表現は、俳優たちの演技力を最大限に引き出している。多くの登場人物が関わる群像劇において、それぞれの立ち位置や感情の機微を明確に描き分け、物語の焦点を見失わせない手腕は、西谷監督の確かな演出力を示すものだ。しかし、時にその緻密な計画の提示が先行し、個々のキャラクターの感情的な深掘りが抑制される傾向も見受けられ、観客が特定の人物の悲劇に没入する機会をわずかに損ねているかもしれない。
福山雅治演じる湯川学は、冷静沈着な天才物理学者としての知性と洞察力を余すところなく発揮している。事件の真相を科学的に解き明かす彼の姿は、シリーズを通しての魅力を保ちつつ、本作では盟友・草薙や事件に関わる人々の感情に、これまで以上に静かに寄り添う人間的な側面も垣間見せる。福山の抑制された演技は、湯川の複雑な内面を効果的に表現し、物語の進行とともに彼の決意や苦悩を繊細に描き出している。その存在感は、本作の知的ミステリーとしての骨格をしっかりと支えている。
柴咲コウ演じる内海薫は、湯川とは異なる刑事としての視点から事件に切り込み、物語に現実的な重みをもたらす。彼女の持つ正義感と、被害者家族への共感は、力強い眼差しと行動力によって表現されており、観客が感情移入しやすい要素となっている。湯川との信頼関係に満ちた掛け合いは、シリーズファンにとって安心感を与える一方で、事件解決に向けた彼女の真摯な姿勢が、物語に推進力を与えている。
北村一輝演じる草薙俊平は、事件に深く関わることで、自身の正義感と、過去の出来事に対する苦悩に直面する。北村は、刑事としての使命感、そして事件に私情を挟まざるを得ない複雑な感情を、抑制されながらも深みのある演技で表現。彼の内面に秘められた葛藤と、事件への執着が、物語に一層の重厚なリアリティをもたらし、観客に倫理的な問いを投げかける。湯川との関係性も、本作の人間ドラマの重要な軸となっている。
飯尾和樹演じる並木祐太郎は、定食屋「なみきや」の店主として、親しみやすいながらも、過去の傷と秘密を抱える複雑なキャラクターを演じている。飯尾の演技は、一見飄々とした中に、深い悲しみと決意を垣間見せる瞬間があり、観客を驚かせる。彼のどこか掴みどころのない雰囲気と、シリアスな場面での真摯な表情のコントラストが、キャラクターに奥行きを与え、物語のミステリー性を高めている。
戸田菜穂演じる宮沢麻耶は、事件の被害者家族として、深い悲しみと復讐心を抱える人物。戸田は、言葉少なな中にも、娘を失った母親の痛切な思い、そして家族や仲間への愛情を、その眼差しと佇まいから表現している。彼女の存在は、物語に人間的な温かみと同時に、秘めたる強い意志を感じさせ、観客の共感を誘う。
田口浩正演じる戸島修作は、事件関係者の一人として、その言動が物語に不穏な影を落とす。田口は、一見平凡な人物ながら、その裏に隠された動機や感情を巧みな演技で表現し、事件の複雑さを一層際立たせている。
酒向芳演じる増村栄治は、蓮沼寛一の元同僚であり、過去の出来事に関わる人物。酒向は、自身の過去と向き合い、複雑な感情を抱える男を、抑制された演技の中に表現している。彼の演技は、事件の背景にある人間の業や、社会の闇を深く考察させる。
村上淳演じる蓮沼寛一は、過去の事件に関与し、再び不審な死の容疑者として浮上する男。村上は、その底知れぬ不気味さと、どこか達観したような表情で、観客に強い印象を与える。彼の言葉の端々からにじみ出る挑発的な態度と、内面に秘めた闇を、抑制された演技の中に表現し、物語の緊張感を一層高めている。蓮沼というキャラクターが持つ不穏な存在感を、村上は見事に体現している。
椎名桔平演じる新倉直紀は、佐織の音楽プロデューサーであり、物語の真の核心に深く関わる人物。椎名は、表向きの誠実さと、愛する者を守るために罪を隠蔽しようとする複雑な内面を、繊細に演じ分けている。彼の行動の動機となる「妻を守る」という愛は理解できるものの、それが「誤解に基づいた殺人」に繋がるという点は、観客に感情的な葛藤を抱かせ、純粋な感動とは異なる複雑な感情を残す。
岡山天音演じる高垣智也は、佐織の恋人であり、事件に深く関わる青年。岡山は、恋人を失った悲しみ、そして事件の真相を求める焦燥感や無力感といった複雑な感情を、繊細かつリアルに表現。彼の純粋さと、事件に巻き込まれていく中で変化していく表情は、観客の共感を誘う。
東野圭吾の原作小説をベースにした脚本は、その複雑なプロットと多層的な人間ドラマを、映画というフォーマットに巧みに落とし込んでいる。ストーリーは、過去に法で裁かれなかった悪人・蓮沼寛一の死を巡り、湯川学と草薙俊平、内海薫がそれぞれの立場から真相を追うというもの。祭りの準備が進む中で発生する事件は、単なる殺人事件に留まらず、蓮沼が知っていた過去の秘密、そして佐織に縁のある人々が共有する復讐心や、愛する者を守るための隠蔽工作が深く関わってくる。
本作のストーリーテリングの巧みさは、複数の視点から物語が語られ、個々の登場人物の動機と行動が複雑に絡み合いながら、最終的に一つの大きな計画として収束していく点にある。この緻密な伏線回収は、ミステリーとしての知的興奮を提供し、観客に驚きと納得をもたらす。しかし、真の動機が、ある意味で「誤解に基づいた隠蔽と殺人」という、観客が期待するような純粋な「正義の報復」や「究極の愛」とは異なるため、知的満足度が高い反面、感情的なカタルシスにおいては、やや「白ける」感覚を抱かせる可能性も否めない。
脚本は、法の下での裁きと、個人の倫理、そして集団的な感情がどのように対立し、あるいは歪んだ形で共存するのかという、現代社会への問いかけを深く掘り下げている。複雑な人間関係と感情の機微を描きながらも、全体として秩序立った構成を保っており、良質なミステリーとして鑑賞に値する。
映像は、祭りの色彩豊かな情景から、事件現場の暗く静謐な雰囲気まで、多様なトーンを巧みに使い分けている。特に、夜の祭りのシーンは、光と影のコントラストが美しく、幻想的な雰囲気を醸し出す一方で、その中に潜む不穏な空気や、事件の静謐な進行を際立たせている。美術は、事件現場となる町並みや、登場人物たちの生活空間が細部まで作り込まれており、物語にリアリティを与えている。衣装もまた、それぞれのキャラクターの個性や社会的立場を反映しており、物語世界への没入感を高める。
編集は、物語のテンポを巧みにコントロールし、観客を飽きさせない。複雑なプロットにも関わらず、シーンの切り替わりはスムーズで、観客が物語の展開を追う上で迷子になることはない。特に、湯川の思考プロセスを視覚化するシーンや、過去の回想シーンの挿入は、物語の理解を助け、同時にサスペンス性を高めている。事件の核心に迫るにつれて、カットのテンポが速くなり、観客の心拍数を上げていく編集は、まさに職人技である。物語の緩急が絶妙で、観客は常に緊張感の中に置かれながらも、時折訪れるユーモラスな場面で息をつくことができる。
音楽は、物語の雰囲気を巧みに彩り、感情を揺さぶる。菅野祐悟による劇伴は、サスペンスとしての緊張感を高める一方で、登場人物たちの感情の機微に寄り添う繊細な旋律も奏でる。特に、祭りのシーンで流れる音楽は、その場の活気を表現しつつ、どこか不穏な空気感を醸し出し、物語に奥行きを与えている。音響効果も秀逸で、祭りの喧騒、足音、そして沈黙の場面での微かな音まで、緻密に計算されており、観客を物語の世界に引き込む。
そして、エンディングで流れる主題歌「ヒトツボシ」は、福山雅治と柴咲コウによるユニット「KOH+」が歌唱している。福山雅治が作詞・作曲を手掛けたこの曲は、映画の世界観を深く表現し、歌詞は事件のテーマと登場人物たちの心情に寄り添い、映画鑑賞後に深い余韻を残す。また、劇中で重要な役割を果たす劇中歌「Silent Parade」は、事件の鍵を握る少女・佐織の歌声として、若い女性ボーカルが担当している。これら二つの楽曲が、物語の感情的な側面とメッセージを多角的に補強し、作品の完成度を一層高めている。
作品
監督 (作品の完成度) 西谷弘
109.5×0.715 78.3
①脚本、脚色 原作 東野圭吾 脚本 福田靖 B+7.5×7
②主演 福山雅治B8×3
③助演 柴咲コウ B8×1
④撮影、視覚効果 山本英夫 B8×1
⑤ 美術、衣装デザイン 清水剛 B8×1
⑥編集 山本正明
⑦作曲、歌曲 音楽 菅野祐悟 福山雅治
主題歌 KOH+ A9×1
大切な人を守るために. . .
うむっ
ちょっと都合良すぎるような…
容疑者Xの献身は原作を読んでからの鑑賞でもすごく響くものがあったので、その時のキャストさんで期待した分なんだか残念な気持ち…
ジュピターでデビューもなんだか変だし 笑
持ち歌それしかないのかなって、個人の感覚なので細かいツッコミだったらすみません(。> <。)
最初から気になっちゃって入り込めず…
湯川先生の科学にしか興味ない変態っぷりがあまり見られずで、けっこう感情で動いてたのも気になってしまったのかも…
シリーズ通して全部観てるわけではなので、湯川先生の変化なのかな?
ドラマとして観るにはおもしろいかと!
湯川先生を演じれるのは福山雅治しかいませんね👍🏻
記録としてのレビューですのであしからず
。。。
タイトル、うまくつけたな!
ガリレオだー
ガリレオシリーズの劇場版3作目。 色々な人の思いが錯綜し真犯人にた...
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