沈黙のパレード : インタビュー
福山雅治×東野圭吾、実に面白い! 15年間にわたる「ガリレオ」での共犯関係
作家・東野圭吾氏による小説を原作に、福山雅治演じる天才物理学者・湯川学が難事件の謎を解き明かしていく姿を描いた「ガリレオ」シリーズ。その劇場版第3弾「沈黙のパレード」が9月16日から公開される。
主演の福山はもちろん、シリーズを支えてきた監督の西谷弘、脚本の福田靖、「ガリレオ」の映像作品における湯川のバディ的存在である刑事・内海薫役の柴咲コウ、薫の先輩刑事で湯川の親友でもある草薙俊平役の北村一輝ら、強力なチームが9年ぶりに集結。今作では、湯川、薫、草薙の3人がある殺人事件への関与が疑われる男の不可解な死の真相を究明していく姿とともに、草薙の過去にまつわる物語が情感豊かに描かれる。
ドラマ第1シーズンが放映された2007年以来、15年にわたって主演俳優兼音楽・主題歌担当×シリーズ原作者としてタッグを組んできた福山と東野圭吾。2人の作り手が考える「ガリレオ」シリーズの本質とは――。(取材・文/佐藤ちほ)
●目次
■湯川学を演じる上で動機が大事
■小説に書いたのに映画になくて残念だったのは……
■それは我々の完全な“しくじり”です(福山)
■ある人物の心情に寄り添う、KOH+の主題歌がもたらす驚き
■絞り出したのではなく、自然と辿り着いた歌詞
■湯川学を演じる上で動機が大事
――東野さんは映画「沈黙のパレード」をご覧になっていかがでしたか。
東野:これまでも原作を大事にして作ってもらっていましたが、「沈黙のパレード」は特にその印象が強いです。どういうことかと言うと、僕にとってこのシリーズは湯川と草薙の友情の話なんです。今回はそれが前面に出ていたので嬉しかったですね。昔からドラマや映画を観てきた人にとっても、新鮮に感じるところだと思います。
福山:僕としては、湯川学を演じる上では動機が大事です。今回の映画で言ったら、その一つが草薙の存在で。昔からの友人の草薙がとても苦しみ、追い込まれていく姿を見て、これは何か自分もできることをしなければいけない、と。
湯川も草薙も、「容疑者xの献身」の犯人・石神も同じ大学の出身で、湯川にはそれぞれに思いがある。その思いはずっと前面に出ているわけではなく、物語の裏で走らせている感情ですが、湯川のマインドとしてはずっと繋がっています。
東野:屋上のシーンは象徴的だったと思います。湯川と草薙が並んで座り、友人同士の関係性で話している。事件の謎は湯川の推理によって解き明かされますが、最後の選択は草薙に任せる。あの場面で湯川が草薙にかける言葉は原作にはないものですが、象徴的ないい台詞だと思いましたね。
■小説に書いたのに映画になくて残念だったのは……
――東野さんは、福山さんが演じる湯川学の魅力はどんなところにあると思われますか。
東野:ユーモアだと思います。例えば今回の映画で非常に好きな台詞がありまして。風船を使ったトリックについて考えているシーンで、薫と草薙が湯川に対して「リアリティがない」と言ったら、「そうか? カラフルな風船に埋もれて死ぬなんてシュールでなかなか楽しいトリックだと思うが」と湯川は真面目な顔をして答える。
ユーモアというのは、実は柔軟さなんですね。そして柔軟さというのは善悪を決めつけない、嘘と本当も分けられるものではなく行ったり来たりするものだという考え方に繋がっていく。そういう部分が、福山さんが演じてくれたおかげで確立したというのはありますね。
福山:東野さんが書かれるものの根底にはユーモアが常にあると感じています。例えば、小説「沈黙のパレード」の中に、湯川がバーでアードベッグのソーダ割りを注文する場面があります。
あれは以前、食事をさせていただいた時に、「僕、これがすごく好きなんです」と東野さんにお勧めしたウィスキーで。こうしたことがまさに東野さんならではのユーモアだな、と。それを僕らが映像化することで増幅できていたら幸いなのですが。
■それは我々の完全な“しくじり”です(福山)
東野:そう言えば今回、小説に書いたのに映画になくて残念だったのが、湯川が薫に「若き美人刑事が…」と言ったのに対し、薫が「もうあまり若くありません」と返す。それに対して湯川が「美人のほうは否定しないんだな」と。あれはまさに福山さんと柴咲さんによる掛け合いを見たいと思って書いたもので。
福山:それは映像化する際の我々の完全な“しくじり”です(笑)。
東野:柴咲さんが果たしてどんな顔をするのか、観てみたかった(笑)。
福山:(笑)。でも、共犯関係というとおこがましいかもしれないですけど、脚本の福田さんも、西谷監督もシリーズの根底にあるユーモアを、一つひとつをつぶさに演出し、積み重ねていっています。今回の映画で言えば、湯川が薫と草薙と一緒に殺害現場を訪れ、一応「中に入ってもいいか?」と常識人的なふるまいをするんだけれど、一度許可を得たら自由になり、薫や草薙が話しかけているにもかかわらずバンッと扉を閉めたりする(笑)。
ああいうユーモアのある描写は僕がアドリブでやっているわけではなく、西谷監督の演出です。湯川が相手を無視して扉をバンッと閉めるというのは、ドラマの第1シーズンの2話でもあったんですが、そういうことも含めて西谷監督の中に全部設計図がある。そんな細かい言動の積み重ねで、“天才で変人”という湯川の人物造形がなされているんです。
東野:確かに「ガリレオ」のドラマも映画も、そういうところまでちゃんと描いてくれていると思います。それが福田さんなのか西谷監督なのかはわからないけれど、これは面白いと思ってちゃんと拾ってくれる。そうした価値観やユーモアのセンスが一致しているのは、僕からしても嬉しいことです。
■ある人物の心情に寄り添う、KOH+の主題歌がもたらす驚き
――KOH+が担当した主題歌「ヒトツボシ」はいかがでしたか。主題歌も含めて一つの物語だと感じられるものでしたが。
東野:まさにその通りです。
福山:東野さんが初めてこの曲を聴かれたのは、さいたまスーパーアリーナでの僕のライブですよね。
東野:そうです。ライブでは歌詞が大型ビジョンに映し出され、それを見ながら聴いたわけです。福山さんのコメントに「今回の主題歌はある登場人物の鎮魂歌として書いた」とあり、「容疑者xの献身」では石神の心情を歌詞にされていましたが、果たして今回は誰の心情だろうと思っていたんです。この人物を持ってきたか、と正直驚きました。
福山:映画の中で悲劇の犠牲者となる佐織ですね。「沈黙のパレード」のキーパーソンの一人は草薙で、警察とは、善とは、悪とは……ということが描かれます。それと同時に、佐織という女性が理不尽に命を奪われるところも圧倒的なリアリティをもって描かれている。
その佐織の視点で歌詞を書き、佐織の魂を鎮めることで、事件に関わったすべての人の心も救われるのではないか、と。そういう構造にしたいと最初から思っていました。
■絞り出したのではなく、自然と辿り着いた歌詞
――東野さんとしては、ご自身の書かれた物語の“先”が歌詞に書かれたような印象ですか。
東野:“先”というよりは“裏”でしょうか。小説はどうしても亡くなった人よりも、その人を想う、生きている人たちのことばかり書くことになります。“亡くなった人の視点”という発想はなかなか持てない。変な言い方ですが、亡くなった佐織がこの歌によって新たな命を与えられたような……。映画の主題歌という形でしか出てこない発想だろうと思います。
福山:絶対に取り戻せないものがあり、人はどうその苦しみや悲しみとともに生きていくのか。そこは「ガリレオ」シリーズがずっと書いてきたことだと思います。だから「ヒトツボシ」の歌詞も絞り出したというよりは、自然と辿り着けました。
東野:聴いて感動しました。「沈黙のパレード」はやや複雑な話ですが、劇場で最後まで観て、こういう出来事だったのかと全体を理解した上で、ぜひともこの歌を聴いていただきたいですね。