流浪の月のレビュー・感想・評価
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これ程、詩的に静寂で感情が狂おしい作品に出会った事はないかも~
長いGWも過ぎて、仕事始めのツライ1週間も無事乗り越えたw
ご褒美に 今日は「流浪の月」を見に行ったよ。
いや~ 前から楽しみにしていたんだけども、
期待通りの作品仕上がりで 私的には満足満足!!!
さすが、李相日 監督。素晴らしい 波動の流れを
全編に組み広げ描き上げ、感情の一寸の途切れも無く
繋がりを繊細に表現し編み上げています。
これはちょっと驚いたかな。予想外に出来が良かったです。
この前見た ”悪人”の類の流れを強く感じたが、
でも別物で こちらの方がラストの持つ画力の波動形成は
高いと感じました。
特に、展開に組み入れている音楽が素晴らしく
絵の流れと合わせて
波動を増し秀逸さを感じましたね。
上映時間:150分
原作:凪良ゆうさん
監督・脚本:李相日さん
音楽:原摩利彦さん
(MC)
家内更紗:広瀬すずさん
家内更紗(幼少期):白鳥玉季さん
佐伯文:松坂桃李さん
中瀬亮:横浜流星さん
谷あゆみ:多部未華子さん
主人公の文は自らの性障害をロリコンと思われ、
周囲の人々や母親からも見放されて行く。
孤独に生きるしかない自身の前に、
同じ境遇を感じる更紗に偶然に出会い
二人は共に 心の拠り所を求め合いながら
暮らし始める。しかし 世間の目が二人を許さない。
やがて警察に見つかり そして罰を受け
それぞれの人生を歩む事になるのだが。
十数年後、偶然の出会いが、
二人の今やっと熟した生活が
少しずつ 月の満ち欠けの如く 暗闇に落ちていく。
月の形は人生そのもの。
満ちたり欠けたり。見上げた夜空に
雲の流れの隙間から ほんのりと現す月・・・
2人はそれを見て、今の境遇と
きっとこの先の運命を感じていたのだろうか。
最後に二人が見上げた月は 消えかけ前の細い三日月だった。
ラストに訪れる、松坂さんの衝撃の場面
渾身の演技に きっと心打たれるでしょう。
※ここは スクリ-ン前方を両目見開いて感じて下さい。
広瀬すずさん、松坂さん とても良く頑張った。
表情も素晴らしく、前に出ていて良いですね。
次回作も 期待しております。
そんな二人の行く末を、
是非 劇場でご覧ください。
「心配」とは利己的なもの
ただただ役者の演技力に圧巻された。表情、目線、息遣い全てが人物像を表しているようで、その人の感情や場面解釈において、いい意味で観客任せの映画だった。
人間誰しも、自分にとって、社会にとっての「異物」に嫌悪感を抱くものだろう。そこから理解しようとするか、排除しようとするかは関係性や期待度によって変わるだろうが。
だが、その言葉は真実を全て映し出せるものなのか。
「異物」の認識がどう影響するか。
「異物」認定された人の内情とは。
そのような点にスポットを当てたストーリーだと思った。
DVなど痛みにまつわるものであれば誰しもが後先考えず、駆けつけて心配する。
一方で性的嗜好や発育に対しては「正しいと思われるもの」を基準として、目を逸らしたり、拒絶してしまう。
周りがどう思おうが、本人が劣等感を抱いてしまえば誰にも相談できず、「外には出ていけないもの」として意識してしまう。
だが、エンタメや噂話ではそのようなネタを笑いものとして盛り上がるのだから、この文化は到底無くならないだろうと思う。
ちりばめられた沢山の問題
更紗は更紗だけのものだ。
人は見たいようにしか見ない。
印象的なセリフです。
世間から見たら誘拐犯。
あの頃の少女からしたら救いの手。
世間から見たらロリコン=気持ち悪いのレッテル。
彼からしたらここまでも悩んできた辛い思い出。
母親からハズレとされて、見てもらえてなかった事から
初めて自分をしっかり見てくれたのが少女だったから、
そこにいつのまにか惹かれて恋心が生まれたんじゃないかとと思いましたが、シンプルにロリコンだっただけじゃないかと言う人もいるかもしれません。
見る人によって受け取り方は変わる作品なのかなと。
本当に心配している人もいるんだよと言ってくれた店長の仕事先に、彼女を本当に心配してくれてる人なんていたんでしょうか?
なにもないと証言しても通らない世界で
週刊誌に好き勝手書かれて、また再び誘拐犯扱い。
沖縄に旅行に行った職場の女の人も、すごく仲良くしているように見えたけど、実際は子どもより自分の恋愛が優先で、連絡も取れなくなり帰ってこず。
小さい子にロリコンってなに?と聞かれたふみくんは
【小さい子しか好きになれない人のことだよ】と。
『じゃあふみくんのことじゃないね、サラサちゃんのこと好きだもんね』
【そうだね】
という会話も印象的ですが、
冒頭で、ふみくんの家にいるとき幼少期のさらさちゃんに
『ロリコンってつらいの?』と質問され
【それよりも辛いことが人生にはある】
みたいな会話をしていたのですが
あの会話は、ふみがさらさちゃんにロリコンを打ち明けていたのか、どういう経緯であの会話になったのかわかりません。
普段全然笑わないふみが唯一すごく嬉しそうに笑ってたのは、預かった女の子と遊んでいる時でした。
スポットが2人に行きがちですが
噂好きの職場の人、少女の母親、ふみの母親、
さらさの彼氏など、色んなところに沢山の
人の愚かさや、悩みや、問題が詰まった作品だなと思いました。
ふみの彼女もすごくかわいそうな結果となってしまって
できない理由は自分がロリコンだから、大人もできるかなと思って試しただけと、彼女を突き放すために
酷い言い方をしてましたね。
半分本音と半分嘘の演技力がすごかったです。
ふみの病気ってどんな病気だったのか
あとで検索しようと思いました。
裸になった時にこの役のために体つくりをしたのかな?
股間部分がおかしいくらい小さくて
その病気が原因で彼女とできなかったんだと
思うのですが、その病気の詳細がわからず。
後から調べて、なるほどなとなりました。
その病気が人に知られることを恐れていたんですね。
ロリコンと言うより、子どもならそういうことも
関係なく、人と人で一緒にいられるからシンプルに子供が好きということあるのかもしれません。
だから楽しそうに遊んでいたのかなと。
すごくガリガリで、肌も荒れてて、目の中も真っ黒で
演技はすぎて、引き込まれます。
横浜流星さんも、目つきの変わり方など
すごい演技力でした。
動くたびに怖いってなりました。
ナイフで刺しに行くのかと思ってハラハラしましたが
自殺をはかってましたね、彼がどれほど追い込まれてたかなんて、こちらにはわかりません。
人は知らないところで知らない悩みを沢山抱えてて
繊細で儚くてもろいけど、一つの光さえ見つければ強くなれるなぁって思いました。
10歳と19歳は犯罪で
25歳と34歳は犯罪じゃない。
分別がつく年齢かそうじゃないかなのか。
なんだか不思議な感覚になります。
原作を読まなければわからないことが
たくさんありそうです。
ラストの唇ケチャップを拭うシーンも
あれだけ見たら、え?ちょっとロリコン?ってなるかと思いきや、小説では
性的興味が沸くのかどうか確かめるためにしたが
特になにも感じなかった、と書かれているそうです。
自分の感情がどういうものなのか確かめていたのですね。
きっと単純に性的な気持ち抜きの好きが、
出てきていたのかもしれません。
この先の2人にどうか幸せになりますように。
そんな作品でした。
あと、広瀬すずさんと、幼少期役の女の子が
とてつもなくそっくりですごかったです。
事件立件の判断は
松坂桃李はもちろんだが、広瀬すずの終始感情を抑えた演技、対照的に感情剥き出しの横浜流星の演技どちらも良かった。
世間的には
児童連れ去り犯の文、
エリート会社員の亮、
幼い頃に事件に巻き込まれた更紗、
三人とも母親との関係で本人が望む満足な愛情を得ずに成長した。
文(松坂桃李)は、変わり者と見放される。
なぜあの小屋で住まわされるのか。忌み嫌われているからか。(母親役疑問)
更紗(広瀬すず)は、父親と死に別れ母親にも出て行かれ伯母の家で厄介者扱い。
亮(横浜流星)、母が男と家出、父や祖父母に育てられ、母には捨てられた、という意識が強い。
そして元嫁(母親)を嫌う祖父母たちの刷り込みか、
女性を下に見るように育てられた。
そのせいか玄関ドアも更紗に開けさせる。
児童連れ去りの罪については、どこから罪となるのだろう、か疑問に思う。
親の承諾なしに違う場所に連れて行けば罪が成立するのか?
被害者?となった児童の証言はどこまで信じてくれるのか。ストックホルム症候群で信用性0なのだろうか。.
この時点で大事にもならず事件にもならなければ二人の人生は違っただろうに、と思ってしまうのである。
二人とも善人であるのに。
公にされなかったが、従兄弟に性的虐待を受けていて厄介者扱いされる居場所の無い家と
優しく制約の無い生活を与えてくれる見ず知らずの男の家と
どちらを選ぶか?
辛い境遇で幼いながらも
人を見抜けるようになった更紗。
更紗が住みたいと思う場所と法律や世間一般が住むべきと考える場所が違い、結果児童の更紗が住みたい場所に住めない。
更紗が亮とつき合わなければ良かったのだろうか。もっと屈託の無い男性なら明るく過ごせて文を見かけても過去のことと忘れることができたのか。
それとも、やはり、文と更紗は出会うべくして出会ったのか?
ただ、二人が上手く一緒にいれるには時間が必要だったのか?
梨花についての事は、警察に説明できると思うのだが。ここまで人の話を聞けない組織なのだろうか疑問。
またどこかに流れて行けばいいよ。 だね。
ハッピーエンドなのかどうか
レンタル110
公開当時は出演者の顔ぶれを見ただけで敬遠してしまった一作
ん 監督は李相日だし原作は本屋大賞と
これは観ておくべきかと思い直した
横浜流星いい
松坂桃李は蘇るだか野獣の松田優作を彷彿とさせる
多部未華子はミスキャストかと
むしろ広瀬すずの方の役かと思った
よく見る映画youtubeでハッピーエンドなのかどうかで言い合っていた
オラは断然ハッピーエンドだと思った
いつもはピントが外れていると感じる映画プロデューサーと珍しく一致
原作を読んで理解を深めたい良作だ
自分でいれる人。
誘拐された可哀想な子とレッテルをはられた女と、小さい女の子を誘拐したとレッテルをはられた男の話。
雨の日に傘もささずに公園のブランコに座る幼い更紗、そこへ通りかかった文、「ウチ来る?」と言った文と「うん。」と頷く更紗、そこから始まるストーリー。
この作品は公開初日に観てます。
今日時間があり自宅にて久々にBlu-ray鑑賞、改めて好きな作品だなと思い今更ながらレビュー。
この作品を観て広瀬すずという女優をホントに好きになれました。
この作品をきっかけに過去作をNetflixにて、海街diary、チアダン、ラストレター、他にも広瀬すずさんが出演してる作品は全て観ました。
流浪の月という作品で今まで幼く見えた広瀬すずが大人のいい女にもなったなと思えた作品。
幼い頃の更紗を演じた白鳥玉季、無邪気さ、可愛さ、こんな幼いのにこんな艶っぽさ出せちゃう白鳥玉季さんが改めていいな思えました。白鳥玉季さんは「ステップ」って作品から応援してます。
個人的好きなシーン、セリフは、文の家での夕飯時、「壁にもたれ掛かって二人でアイスを食べるシーン」、「公園でハンバーガーを頬張る更紗」、更紗のセリフで「あの湖で手を繋いでくれたの覚えてる?...」という描写とセリフは印象的。
コンプレックスを抱えながらも終始優しい文、広瀬すず演じる更紗の文を追う目が切なくて何度観ても泣けてしまう。
広瀬すずさん作品で一番好きな作品です。
これって週刊紙のゲスな解釈が正解だよね
文と更紗の関係って、純愛の仮面を被ったヤベー2人だと思う。横浜流星が「分かりやすくヤバイ奴」であるから相対的に二人は善側な人物に押し出され、好い人っぽく映るだけで。作中では直接言及されてないが、過去の二人はどうやら肉体関係を持ってるっぽい。どこまでの行為が肉体関係に当てはまるかは置いておいて。「文の幸福を願う」はずの大人更紗は間違いなく少女を文に差し出すようなムーヴをするし、文は文でナチュラルに少女を誘う姿に「手慣れている感」があるし、更紗の事件をカウントに含まずとも「同様の手口を繰り返し行っていた」ようにしか思えない。
横浜流星なんかよりダントツにヤバイ二人である。
あと、マンションに中傷のビラをまいたのってファミレスの店長だよね。
松坂桃李さんすごい
原作一気読みして、衝撃受けて
映画化と聞いて楽しみなような辛くて見えないような
でも松坂さんがこの佐伯史という役に命かけたという
話を聞いてガリガリに痩せた姿見てこれは見ないとな…
結局劇場では見れず、家で見た
松坂桃李さんは本当に佐伯史だった
しかしそれ以上に広瀬すずさんの演技が…
元々苦手なので見るの躊躇ってたけど
やはりなにか気持ち悪い。わざとらしい。
私、かわいそうな子じゃないよって台詞では言ってるけど
私、かわいそうでしょ感、を出しちゃってる矛盾。
泣きの演技も。
そんな角度で綺麗に泣くわけないやんと思ってしまう
目に感情がなくて、ただ揺らしたり動かしてるだけ。というか。不自然…。わかってくれる方いらっしゃるかな
もはやアレルギーかもごめんなさい。
更紗の子役の方がずっと上手に感じちゃった
当たり前だけど内容は終始暗い、辛い
カーテンと風、光が印象的
本心は誰も知らない
自分たちだけがわかっていることを、世間には決して理解してもらうことはできない。この苦痛を、嫌というほど思い知らされた。実写の映画となっている分、小説よりリアルに。
自分が育った境遇から、りょうくんのようなパートナーと一緒にいてしまったり、性的な行為を疎む更紗の気持ちも分かるし、寄り添ってくれる女性を求めるりょうくんも頷ける。そして、性的な異常に悩む文も。更紗と文が抱える大きな問題を、ふたりで背負って生きる姿が素敵だと思えた。
とはいえ、重たいので、何度も観られるようなものではない。。。
マトモなヤツがいない
原作未読。
まず、長い。そして、その割には分かりにくい。一番大事な文の病気も映画だけでは「はっ?」って感じ。見ていて、精神か肉体に障害が有るんだろうなと言うのは分かるんだけど、最終盤でいきなり文が脱ぎ始めて、「?」と思ったら、台詞がボソボソだし、当然に股間をアップにするワケにもいかないので伝わらない(見終えてからネットで文の病気をググって分かった)
更紗が恋人・亮の実家に行った時の家族の対応、亮はDV気質、殴って鼻血出してる女にセックスしようとする・・・・・。更紗の同僚は娘を預けて男と失踪。その所為で、単に更紗留守中に子供を預かっている文が警察に踏み込まれて、力尽くで身柄拘束(人権派弁護士出てくる案件)。
じゃあ、文と更紗が不条理に襲われているだけの被害者かと言うと・・・・・。
流浪と言うタイトル回収が一番最後に来たけども・・・・・この二人、一緒に居ない方が良いんじゃね?と思ってしまう。
メインが若手(一番年長の松坂桃李でも34,多部未華子33歳)だけど、役者は良いんよね。
それだけに、冗長な展開が・・・・・原作読んでる人だと違う感想かも。
真相を知らずに
何事も上手くいかないなって感じながら見た。
文は世間から見たら誘拐犯だけど、更紗にとっては救世主だった。15年も経って、どん底にいた更紗のまた救世主のようだったのに、世間はまた傷つける。
一緒にいることが幸せなのかそうじゃないのかは、他人には分からないけど、昔まわりの人に引き離されて、離れ離れになった2人が大人になって一緒にいることを選ぶことが出来たのは良かったのだと思う。
最後の余韻が重くのしかかった
印象に残った部分は自分を押し殺して生きてきた更紗が文に再会して幼い自分を取り戻していくところ。
亮に殴られ行きつく先はキャリコ
文に見つかりあの顔でフッと出た笑顔にぐっときた
湖でハンバーガーを食べるシーンと文との会話もよかった。松坂桃李さんはじめ広瀬すずさん横浜流星さんの細かい演技に鳥肌がたった
松坂桃李は文だったし、横浜流星も亮を生きていた
2人の子役もとても良かった
現実を受け止め、変化しようとする人の想いを描いた深い映画です。
「流浪の月」には、「水」に関するシーンがたくさん出てきます。
「水」に関する場面の共通点は、「人生をリセットしたい」という心情を描いてるのではないかと思います。
清らかなイメージである「水」に関するシーンでは、登場人物の「人生をリセットしたい」という想いが投影されているのではないかなと思います。
そんな思いを抱きながらも、束縛されることなく、自由に空を彷徨う月に憧れている様を描いてるのだと感じました。
いろいろな意味で、「大人に成りきれていない子供」同士が、互いに自立しようと与えあい、「大人になっていく」というテーマが描かれていたように思います。
ラストシーンでは、メンタルだけではなく、「フィジカル的な大人」への憧れまでも描いていたんだなと奥の深さを感じました。
最後まで見ると、すべてがつながる映画です。
胸を打つ150分の心の旅
「俺ははずれだから…」
文が裸になり振り返りながら更紗に苦悩を打ち明けるシーン。
ぽとぽとと落ち続ける文の涙の重さは
更紗には痛いほどだっただろう。
咄嗟に駆け寄り文を抱きしめようとする更紗。
更紗が近くにいるほど怖かったと打ち明け、払い除ける文。
長年、向き合ってもらうことができなかった肉親との関わりや身体へのコンプレックスは文のこころに高く険しい壁を築いていた。
しかし怯まず文に向かう更紗。
彼女自身も心にのしかかっていた過去からの闇を突き抜ける瞬間だった。
慟哭が吹き荒れたあとの静寂。
疲れ果て目を閉じ眠る文と
それをみつめる深くやわらかな更紗の眼差しは
かつて更紗を助けた時にみせた文のそれとおなじ温もりだった。
衝撃的な告白は、行き場を失うような切なさで
観るものの心までも切りつけてきたが
すべての過去を受け入れ成長した更紗がそこにいたことで地面にたたきつけられるぎりぎりのところでふわりと舞う一枚の羽に助けられたかのように展開した。
自分といればまた。。。と、
更紗を大切に思うからこそ臆病になる儚げな文に更紗は言う。
「その時はまた流れていけばいいよ。」
この覚悟ある更紗の言葉の力は
安らぎと強さをもって沁み渡る一筋の光。
文にも、私たちにも。
生きづらさを感じる魂はそこかしこにあることを胸に置く。
同時に、そこに手を添えられるのも私たちであることを伝える。
すこしの希望とたくさんの不安を纏いつつ歩み出した二人の強い絆。
これこそが 紺色の夜を彷徨うときにも淡くやさしく照らして包む流浪の月なのだろう。
原作を読んでからの鑑賞。
原作と映画ではすこし描き方はかわる部分もある。
すべての事象は偶然でなく、必然であることを改めておもう。
心ある人として生きるとき忘れてはいけないものを。
俳優陣の内面から湧き上がる感情の細やかな心の表現に見入る長くて短い150分でした。
松坂桃李と横浜流星にたじろいだ
これは、男性陣が圧巻な一本。暴力的な彼氏は綺麗な顔の人の方が迫力があり、観ていて辛かった。松坂桃李くんは儚げなキャラクターを上手く表現していて、ラストの告白シーンは迫力がすごかった。子役の女の子も可愛い。だけど、アイスクリームあんな大きなものをまんま食べるのは、アメリカじゃないし、違和感あった。いろいろ考えさせられた作品。
声無き声を語る映画。隠された暴力の痕跡が全編に散りばめられていた。
暴力について描かれた映画だった。
声をあげられない性暴力、妻や同居人女性への男からの暴力、ネットの暴力、週刊誌の暴力、養育拒否、母親からの子どもへの無関心と侮蔑、未成年同士の性暴力、公権力の暴力。
前向きに逃げる、という言葉を思い出した。
ぼろぼろになる横浜流星が良かった。彼の行動は父親譲りのものだったのだろう。あの家族の描き方が印象的だった。
切ない
重く、切なく物哀しい…
世間的に誘拐の加害者と被害者の2人。
周りはサラサを一方的に可哀想な子と決め付けて同情、フミをロリコン、変態等と罵る。
けれど2人にとって一緒にいた時間は自分らしくいられた大切な時間。
2人の間にある真実は、他人には理解されることはないんだろう。
観終わった後はなんとも言えない気分になりました。
表現的に分かりづらいかったので、原作を読んでみようかなと思いました。
「多様性」から除外された男たちの話
見終わった直後の印象は「社会派映画かと思いきや、ギリギリアウトな恋愛映画」だった。
更紗と文はくっついちゃダメだろと思ってたら最終的にくっついちゃって、見てる側からするとカタルシスはあるけどモラル的にはダメだよなー、でも面白かったな、みたいな感想だった。
帰り道に色々考えてるうち、違う考えに行き着いた。
一見、この映画の主役は更紗みたいに見えるけど、ほんとの主役は文と亮じゃないかと。
ふたりは線対称の関係で、更紗はその「線」の役割じゃないかと。
文はどうやら小児性愛者、亮はDV癖のある男として描かれている。
ふたりともそれが社会的に許されないと自覚し、それを隠しながらなんとか生きている。が、どうしてもそれを抑えられなくなりそうな瞬間もある。
更紗はふたりの“それ”が発露する対象として存在している、とも言えるんじゃないか。
文と亮の違いは、自分の“それ”を自覚し、向き合ってきたか否か。
若い頃に(何もしていないとはいえ)大きな事件となり、否が応でも“それ”と向き合わざるを得なかった文と、“それ”を無視し続けながら「社会的な幸せ」を掴もうとし、踏み外した亮。
心の中に怪物がいたとしても、人はこの社会の中で暮らさなきゃいけない。
そのためには、“それ”を無視せず、正面から対峙して、飼い慣らし、しんどくても一緒に生きていくしかないんだろう。
「多様性」とか「自分らしさ」とか安易に言うけど、こういう危険だったり汚いとされる「自分らしさ」は社会から除外される。
それは社会の治安や安全のためにはしょうがないかもしれないけど、でも社会が見て見ぬ振りをしても、そういう人もいるんだよ。「いる」ことを否定しても、糾弾しても、いる。
「自分らしさ」を発揮すればたちまち加害者になってしまう人たち。
そういう人たちとどう付き合えばいいのか、社会はまだその術を知らない。
この映画だって、おそらくどうしようもなく受け入れられない人もいっぱいいるだろう。
そんなことは百も承知で、それでもこの映画を作った李相日監督の覚悟を感じたし、私は敬意を払いたい。
一方、すんごい面白かったからこそ、些細なことが気になった。
ああいう生き方をしてきた文が、あんなにきれいな筋肉のついた身体なのは違和感ある、とか、更紗はどうやってあのマンション借りられたんだ?とか。
あと、警察に連れて行かれた梨花ちゃんがその後どうなったか分からず、更紗も文も心配すらしないのか…と思ったけど、二人には梨花ちゃんを心配する余裕なんてないってことかなぁ。
ともあれ、重厚感のある素晴らしい日本映画がまたひとつ誕生したことを嬉しく思います。
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