流浪の月のレビュー・感想・評価
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社会は誰かを常に排除する
世の中は多様性を認めるようになったのだろうか。それとも、排斥される人間が変わっただけだろうか。群れて生きざるを得ない人間は、常に何らかの属性の人間を排除する。時代によって排除の対象が変わるだけかもしれない。この映画を見るとそういう気分になる。
虐待されていた少女をかくまった青年は世間からロリコン扱いされ、隠れて生きている。ロリコンやペドファイルと呼ばれるものは精神疾患だという研究がある。心の病の定義は常に変わる。かつては同性愛も病気だと主張されてきた。病気だろうが精神疾患だろうが、差別はされてはいけない。しかし、ロリコンは社会に認められない。何もしていなくても存在だけで悪とされる。
本作がロリコンを描いた映画と言えるかどうかわからない。だが、ロリコンを断罪したいという欲望を持った人はそう認定し、断罪するだろう。一方、彼を許したい人はロリコンではないと思いたがるだろう。断定していないからこそ、解釈には観客自身の歪んだ欲望が反映される。澄んだ池の水のように、観客自身を映し出す見事な構成。
【本屋大賞原作×李相日監督×「パラサイト 半地下の家族」撮影監督×演技派俳優たち】の化学反応の結果は?
本作は見る前の段階では期待感が非常に高かったです。
それは、【本屋大賞原作×李相日監督×「パラサイト 半地下の家族」撮影監督×演技派俳優たち】と、傑作になる要素が十分すぎるほどあったからです。
実際それぞれのシーンでは「画」になっていて、名作としての十分な雰囲気を醸し出しています。
広瀬すず、松坂桃李の演技も良く、これまでの印象から大きく変わった横浜流星の演技も良かったと思います。
ただ、改めて考えながら見ると、李相日監督作品にしては珍しく、監督自身が書く脚本にリアリティーの物足りなさを感じてしまいました。
・10歳の少女の更紗(さらさ)が、家に帰りたくなかった理由を警察に話せなかったのはどうしてなのか。これは映画では少女時代の比率が少ないからか、少なくとも映画だけでは伝わりにくいです。
(これは私見ですが、たとえ最初の方は言い出せなくても、あれだけ離れたくなかった文を助ける発想が生まれなかったのかは不自然な印象でした)
・週刊誌の件は、本人への裏トリ取材が無いと「訴訟リスク」が高いため今は記事にできません。
そのため週刊誌サイドは本人コメントを形式的にでも記事に反映させるのが必須で、少なくとも記事掲載後に勤務先から知らされる状況は起こり得ないのでリアリティーに欠ける展開に見えました。
・柄本明が良い味を出していた1階のアンティークショップのオーナーはどうなったのか。
落書きの被害はアンティークショップが大きく、彼の位置付けが不明瞭すぎて勿体無く感じました。
以上の点などが、もう少し深く練り込まれ整理され構築された脚本であれば、150分という上映時間に値する名作になったと思うと少し残念でしたが、役者の最大限の演技を引き出させる能力は健在だったので次回作に期待したいです。
本屋大賞受賞小説✖️ 李相日監督が描く、愛より切ない物語がしっとりと誕生
雨の夕方の公園で、びしょ濡れの10歳の更紗に傘をさしかけてくれたのは、19歳の大学生・文。帰りたがらない更紗の意を汲み、文は「うちに来る?」と声をかける。このようなふたりの出会いから、とかく犯罪的な想像をしてしまうが、ふたりで暮らしている2ヶ月間、更紗は自由な生活をおくることになる。明るく自由奔放な更紗と、何事も規則正しく地道に行う文は、まるで太陽と月のようだ。
しかし、世間では誘拐事件と扱われ、警察によって離れ離れに。
それから15年後、更紗と文は意図せず再会する。
ここからは想像を越える展開で、ふたりの葛藤やお互い言えなかった秘密に迫っていく。李相日監督作品『悪人』(2010年)や『怒り』(2016年)のように、劇中内での時間が経てば経つほど悶々としたボルテージが上がっていくため、うまく嵌ると時間を感じない作品になっている。
変なフィルターを通さずに真っ新な心で見れば、生きづらさのある中での究極の愛のようなものを見つけられるかもしれない。
許されないふたりを演じた松坂桃李と広瀬すず、緊張感の走る難しい役どころを演じた横浜流星と多部未華子、内田也哉子の融合は本作ならでは。
原作と映画では描き方も違うので、更紗と文しか知らない真実と宿命を劇場でも確かめる価値はあると思う。
月と水のコントラストが秀逸 広瀬すずと松坂桃李が奏でる静かな旋律に酔いしれる
本編150分と聞くと尻込みするかもしれないが、派手さのない「流浪の月」という作品にあって長さを全く感じないほどに作品世界に没入できるのは、やはり李相日という突出した能力を持つ映画監督だからこそ成せた業といって過言ではない。
そして李組の妥協する事なき作品への愛情を一身に浴びた広瀬すずと松坂桃李のパフォーマンスが素晴らしい。あくまでも個人的な見解だが、両名ともこれまでで一番の芝居といえる。
繊細な作品ゆえ、受け入れられない方もいるかもしれないが、月と水のコントラストも含めて、鑑賞後は余韻に浸り誰かと話をしたくなる、大人のための映画という貴重な側面も無視できない。
また、横浜流星と多部未華子の芝居も素晴らしかったと特筆しておく。
まだ明るい空に薄く見える月 、月は自らでは輝やくことはないのです
流浪の月
2022年公開
重い作品でした
自分のなかで消化仕切れていません
監督によって、説明しすぎないように注意深く製作されている作品と思いました
こうであると一面的な見方をされないようにしてあるのだと思います
私達が、様々に考えて多面的な見方をして欲しい、それを望んでいる作品だと思いました
表面的にこうだから、こうだとか、わかったような気になってこういうことだと、いうのは差し控えて欲しい、
そんな映画だと思いました
まるで映画のキュビズムのようです
あなたの観た角度からだの見え方だけではなく、違う角度から考えてみると、本作は、右顔にも、左顔にも、正面からにも上から観た形にもさまざまに見えています
それをずっと求められた作品でした
流れる水
明るく暖かな日差しをうけて、風に揺れるカーテンがなければ大変に疲れてしまったと思います
まだ明るい空に薄く見える月
月は自らでは輝やくことはありません
照らされて初めて輝くのです
輝くためには、自分を照らしてくれる相手はどこにいるのか、それを探し求めて互いに流浪する登場人物達
松坂桃李の文の演技は素晴らしく、文そのものでした
まるで岸田森を思わせる佇まいでした
ラストシーンの手前
更紗の赤い唇から赤いケチャップがはみ出している
文が注意してやると更紗が乱雑に拭ったのでもっと広がってしまう
文がティッシュでとろうと唇の真ん中に指を近づけてケチャップを拭うとさらに広がってしまいます
やはり文には性的なものに見えなかったようです
並んで寝ていて更紗が文の手を握っても何も起こりません
そうしたことは説明されません
「このまま流れて行けばいいよ」と更紗はこの関係を肯定します
今までの流れる水の心地よさがこの最後に流れるシーンで結論めいて提示されます
青空に三日月が輝いて映画は終わります
月どうしが互いを照らしあっても輝くものなのでしょうか?
輝かなくてもよいのかもしれません
揺らめくカーテンのような心地よさがあれば、輝いているのとどれほどの違いがあると言えるでしょう
納得できました
入り込めなかった
暗い
生きにくい社会
2人の抱える“孤独”と“居場所”
当事者以外の人間が知る「事実」。当事者である更紗と文だけが知る「真実」。
事実と真実の間には、渡れそうで決して渡れない断絶の川が流れる。
最終的に、彼らは、真実が事実になることを諦め、真実を知る者同士で生きる道を選ぶ・・・
既に読んでいた原作小説。
読み進めるにつれて、浮かび上がってくる孤独という2文字。「誰もが他人にはわからない痛みを捨てられずに抱えている」という意味の表現が出てきたとき、「ああ」と思わず溜息が出た。
2人はもう十分すぎるほど、わかっているのだ。それを分かった上で、居場所を求めている。苦しみや悲しみを分かち合いたいなどとは、最初から考えていない。ただ、そばに居ることで、息をすることができるから、そこに居たい、というだけなのだ。
私は原作小説の文章から、生々しく、鋭い痛みを感じた。この小説が、どんな風に映像化されているのか、とても気になっていた。
映画は、印象派の絵画のように原作小説を映像化していたように思う。重要な場面をクローズアップして、余分な話はカット。説明を極力排し、静かで印象的な風景と寡黙な俳優の演技だけで1つの物語が紡ぎ出されているように感じた。語弊を恐れずに言えば、ある種のイメージ映像を観ているような感覚になった。雨、川、湖、堀といった水と、空と月。その映像が残像のように残った。
俳優について言えば、何と言っても白鳥玉季。無邪気さと、どこか大人びた雰囲気が同居した不思議な存在。これは彼女の素ではなく、演技力のなせる技ではないかと思った。末恐ろしい。
大人の更紗を演じた広瀬すずは、暴力を振るわれて家を飛び出したシーンや感情を爆発させ、エネルギーを使い果たしてぐったりするシーンに、ぐっと魅入ってしまった。こんな演技もできるのかと思った。
松阪桃李は、アップで顔が映し出される度に、目で訴えかけるものがあった。ほとんど目で語っていたように思う。
映画では、更紗の家族の話と、抱えている傷がほとんど描かれていない。
しかし、それはそれで、よかったのではないか。原作を忠実に映像化しようとすると、なんだか非常にバタバタした作品になっていたと思う。
監督の脚本と演出、俳優達の演技が光る、とても印象的な、絵画のような作品だった。
相手の思いを聞かないでの勝手な善意は、もはや悪意 個人的には、りか...
演者の見事な芝居力
上映以来久しぶりにWOWOW放送にて鑑賞
相変わらず原作未読ですが原作はきっと沢山の美しい文字で表現される深い物語なんだとおもいます
この映画は実力者の演者陣の言葉少ない台詞と映像だけで、原作に描かれているだろうそれぞれの想いが見事に表現されているのが本当に凄いよね
今作では広瀬すず、松坂桃李、横浜流星がアカデミー賞にノミネートされていましたね
最優秀賞を逃したのが残念すぎる名演でした
少ない台詞で演じる演者と映像で語る秀逸な場面だらけなのですが、例えばベッド越しのアングルで現在の彼女に背を向けて座る松坂桃李
無言で座っているだけなのに性的行為を受け入れられない松坂桃李の苦しい気持ちが痛いほど伝わる
そんな台詞なしで感情が痛いほど伝わる場面が本当に沢山ある
自宅に造られた離れと言う名の掘っ立て小屋のような部屋で雪の降る空を眺める松坂桃李の胸を押しつぶされる苦悩の見事さよ
上げればきりが無いほどの名作でした
重くて痛い子ども時代のトラウマから社会に溶け込めずに流浪する2人の物語は本当に傑作です
映画が見事すぎて原作を読む気になれず本棚に積読状態の原作
いつかは読まなければ
純愛ものと考えれば良い映画だったかも
役者は一流
ただただ心打たれた物語でした
ネジの締めそこない。
なにしろ凄いスタッフが揃っています。カメラはホン・ギョンピョ(『パラサイト』『母なる証明』『バーニング』)。美術は種田陽平(『キル・ビル』『悪人』『空気人形』)。
カメラでいえば、執拗な「水」の反復(冒頭で少女が見下ろす濁流、澄んだ湖、何度か広瀬すずが雨の中で立ちつくすシーン、等々)、それから晴れた空を背景にカーテンが舞って散乱する光で、現在と過去を切り返すショット。往事の日本映画みたいに画面半分を思いきりよく開けた画角や、溝口健二にオマージュをささげた湖入水シーンなんかも、すばらしい。
美術では、あのカフェなんかすごいですね。広瀬すずと松坂桃李も、決してタレント俳優だよと馬鹿にすることのできない熱演です。
が、どこか重要なところでネジを締めそこなった映画という印象はどうしてもぬぐえない。それはいろいろ細かな理由があるにしても、決定的には、やはり脚本のリアリティのなさなんですね。とくに2人を追い詰める「世の中というもの」のイメージが、薄っぺらいのです。社会の圧力といえばネット掲示板とか週刊誌とかさ、黒沢清の『Cloud』もそうですが、なんか出てくるだけで辟易してしまいます。
そして細かな設定でいえば、後半の警察・週刊誌の振る舞いは完全にアウト。だって冒頭の事件は少年犯罪だったのになんでそんなことができるのか。本人が慎重に振るまっていれば、そんなに簡単に過去の犯罪が回りに知られるもんか。…というところがご都合主義だから、だんだん白けてくるのです。
主演2人の演技も、残念ながら感心するのは中盤までで、後半は演技・表情の引き出しの少なさがどうしても気になってくる。それは俳優だけの責任ともいえなくて、もともとありえない無理な設定を説得できるだけの十分な演出をしていないから、そう見えるんですよね。
そんなわけで、へえっと感心しながら見始めるものの途中から雲行きが怪しくなってきて、あーこれで終わらせちゃうのかよ…と溜息をついて見終わる。そういう映画でした。
諦めの後に見えるもの
全405件中、1~20件目を表示