流浪の月のレビュー・感想・評価
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やっと観た
原作を読んで感動し大好きな本になった。映画化されると知り喜んで公開日を待っていたが、映画館へ行くことはありませんでした。いざ行こうと思うと色々な事を思ってしまっていた。結局2年以上も過ぎてようやく観た。観終わって監督が原作を良く読んでいると思えて嬉しかった。とても難しいテーマを良く表せていたと思った。更紗が公園で1人ハンバーガーを頬張っている処を文に見つかるシーンで泣けてしまった。更紗が更紗に戻った時間だと思ったからだ。その他、文や亮の過去もちゃんと伝わる様に描かれていたと思う。この作品は当事者以外に真実は分からない現実を知らされる。そして当事者等も話しても理解されるはずもない、と何も語ろうとしない事が苦しい。世の中多数派の言動が正論な訳では事を突きつけられる。
ムナクソ映画なのか
いきなり結論ですけどムナクソ映画じゃなくてほんと良かった。
悪人といい、怒りといい結構なムナクソシーンがありましたのでどきどきしながら見ました。
今回はムナクソを予感させるシーンはいくつもありましたがどのシーンもムナクソではない展開になっていてほっとしました。
ムナクソ映画は見る時のメンタル状況によってしんどい時がありますので。
結果的にほっとしたわけなんですけど、どんでん返しやムナクソを求める人も多いのではないかと思います。
そういう方からするとイマイチパンチ不足という印象を受けるのではないかと思いました。僕自身もある程度の痛みを覚悟で見たのですが、結局脅されはしたけれど無傷で生還したような気分です。
そういう楽しみ方をする映画でよかったのでしょうか。そんなんだと大衆に向けたなんだか安っぽい印象になってしまいます。
無駄なシーンは無いし、飽きさせるような間延びした感じもない、プロフェッショナルな作りを感じました。横浜流星や多部未華子の演技も良かったし、広瀬すずの体当たり感も良かった。
なのになんだ、この感覚は。僕はムナクソを期待していたのか!?
更紗は文の家で2か月間を過ごした。 その間、更紗は行方不明の女児として、 全国に実名報道されていた。 ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。 文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
動画配信で映画「流浪の月」を見た。
2022年製作/150分/G/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2022年5月13日
広瀬すず
松坂桃李
横浜流星
多部未華子
趣里
三浦貴大
白鳥玉季
増田光桜
内田也哉子
柄本明
小学5年生の更紗(白鳥玉季、広瀬すず)は、母方の伯母の家に引き取られた。
更紗は従兄から性的虐待を受けていた。
家に帰りたくない更紗は学校が終わると公園で過ごしていた。
大雨が降り、それでも公園から動こうとしない更紗を見て、
大学生の文(松坂桃李)は傘を差し出す。
「うちに来る?」
「行きたい」
更紗は文の家で2か月間を過ごした。
その間、更紗は行方不明の女児として、
全国に実名報道されていた。
ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。
文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
その後、更紗は「傷物にされた可哀想な女の子」、
文は「ロリコンで凶悪な誘拐犯」というレッテルを貼られ続ける。
実際には犯罪的な行為は何もなかった。
文はただ更紗を保護していただけだった。
そして「事件」から15年過ぎ24歳になったある日、
更紗は偶然、文と再会する。
更紗は文と一緒に居たいと思う。
更紗の彼氏(横浜流星)は文を犯罪者と決めつけ、
文に様々ないやがらせをした。
150分の映画だが、110分を見終わっても
この映画がどう着地するのか予想がつかなかった。
何も解決しないまま余韻を残して終劇となるが、
いい映画だと思った。
横浜流星がすごく嫌な男をしっかりと演じた。
内田也哉子が樹木希林さんにそっくりになっていて
ちょっと驚いた。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
人と人のつながりの本質に迫る作品
俳優陣の演技と映像美の見応え
心に傷を負った役を俳優陣が熱演
広瀬すずってこんなに演技できるんですね。。。
松坂桃李は相変わらずの演技。淡々とアセクシャルを演じる。映画の中で、世間ではロリコン呼ばわりだが、そうなの?と言う違和感を感じるくらいに演じきっている
そして横浜流星のクズ彼氏ぶりが本当にお見事。あんなにイケメンでも腹立つくらいのくずっぷりでした。
映像も音楽も素敵で、世間から排除され差別される人たちの物語を、意外と淡々と描いており、本当に切ない。
子供がそうしたいと言っても親に断らずに家にかくまったら誘拐。。。そして少年院送り。。。。。人生狂うよね。
文は本当に心から優しい男なんだろう。
小陰茎症という病により、母親にも見捨てられたと感じ、疾患のせいか母親に愛されないトラウマからか、アセクシャルになったのか。。。??(本当になるのかは知らないです)
意味ありげで印象的なシーンを散りばめ、回収していく手法も私は好きです。
最後に、鼻血出てても可愛いすずちゃん、なに本当!
そして本作でも桃李くんは脱ぎます。
もはや脱ぎ芸。。。
期待はずれ
感情をもっていく映画
人はみたいものしか見ない
本屋大賞でも選ばれた作品の映像化作品。
幼い子供をしか好きになる事が出来ない男性とその時に誘拐されたとして世間から見られている女の子の物語。
自分がこうしたいと思う事やこうでなければいけないという世間の常識が1人の人間を重く苦しめてしまう事になる。
自分がなれるものがそうでしかないのに誰にも認められないという孤独を背負いながらも傷つき傷つけて成長をしていく。
役者さんのそれぞれの演技が素晴らしくて時間をあっという間に忘れるくらいに物語に入り込んでいました。
自分の常識と周りの常識は、なんなのかと考えさせられる作品でした。
原作未読
原作を読んでいないので純粋に一つの映画作品として鑑賞しました。
出演者もとても良かったのですが
なんとなく詰め込み過ぎな作品だなと思いました。
そしてひとつひとつが重すぎて、最後は飽和状態。
原作物なので何かを削るというのは出来ないかもですが
せめて二つくらいまででいいのかなと思いました。
更紗は幼いころ誘拐されたけど、実はそれは純愛だった、
なぜなら更紗はDVを受け、それを文は匿った。
だけど世間の信じたいものしか信じない感情がそれを許さなかった。
だけで十分だった気がします。
亮の歪んだ思考による異常な執着、
なのに最後にあっさり手を放すのも?って感じ。
文の最後が大元の伏線回収になるのかもしれませんが
斜め上過ぎて崩壊しました(笑)
文も更紗もしんどい環境で育ちながら
キレイに育ちすぎるのもなんか、、、(容姿も内面も)
都合のいいところだけキレイな映画だな、、、という印象でした。
ここに居ればいい
松坂桃李の文役の入り込みが凄い
もうこれだけでこの作品の
五割(半分)が出来上がっている様な
更紗役のすずちゃん
子供の頃を演じた白鳥玉季ちゃん
見事な演技です
文の前に現れた更紗
そっと近よる文
この出会いが二人にとって
のはじまり
文は
いちばん安心できるところ
安心して眠れる場所
更紗にとって居心地がよかった
文の優しく本を読む穏やかさ
文の眼差しがあたたかい
桃李の気持ちを表に出さない
感情を抑えた雰囲気はスゴいです
犯罪は犯罪なのですが…
再度また出会ってしまった
なぜこうも引き合ってしまうのか
更紗がどこかで文を捜してた
…また会いたいと願ってた
だけど更紗は文と会うことで
文の立場が危うくなる
迷惑をかけてしまうのに
文の優しさに…心が
…求めてしまう
どうしようもできない
いろいろな感情がでてくる
ふたりだけがお互いを
理解できる感情
亮役の横浜流星
好きなのに更紗に伝わない感情
亮がいちばん切なく感じた
流星の迫真の演技も素晴らしかった
知られたくなかった 知ってほしかった
「握ってくれた手の感触を頼りに生きてきた」
詰まるところ、
ありのままの自分を受け入れてくれる存在、が、
やはり大切なんだよな、と
もしあのままさらさが大人になっていったら、
さらさはきっと普通に友達を作って恋人を作って
文には親、もしくはお兄ちゃん、のような
接し方をするようになったんじゃないだろうか
はじめて自分を受け入れてくれた人、が、
家族以外で人生で唯一だったとき、
人はそれを過剰に特別だと思い込んでしまう
まるで刷り込みのように
特別であることに偽りはないし
もし同じ環境で別の人だったとしても
同じ感情にはならない、
本当に特別な人のはず、なのだけど、
それを普通の尺度で測ると「依存」になったりするんだろうな
そういう存在がいる人にはとても刺さる、
作品だったと思う
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物語の進行の都合上省かれたであろう
骨董屋さんが序盤以降出てこないところ、
アルバイトしかしてないのに
すぐ引っ越して家具を揃えられる経済力、
ロリコン と 小児性愛者の境、
文の抱える具体的な病名症状、など
現実的な描写がないことで良くも悪くも
綺麗すぎるまとまりになっていたように思う
掲示板に相談を書き込んで
人生にもがく人を一生懸命応援してたけど、
実は釣りだったことが分かって、
「辛い思いをしている人は居なかったんだね、よかった」
となるときの、
安堵感と取り残される虚しさ、のような
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横浜流星の濡れ場が下手すぎてしんどかった
ああいう顔だけ良くて
中身モラハラのタイプにありがちな
相手のこと気遣えない一方的で気持ち悪い感じ、
とてもリアルだったと思うけど
あまりに見ていて痛々しく、
込み上げる笑いと共感性羞恥のような鳥肌
恐らくあのリアルさは横浜流星そのもので
演技でああいうのだったわけではないんだろうけど、
ストーリーを考えたらあの気持ち悪さは要らなかった
濡れ場の下手さに笑ってしまうは
娼年の松坂桃李以来、しかも圧倒的超えで、
なんとその松坂桃李が同じ作品に出てくるものだから
変なところで感慨深かった
同じ類の気持ち悪さで、
最後松坂桃李、服脱ぐ必要あった…?という疑問
そして松坂桃李の細さがもう…
そんなに細いことある…?
ガッリガリじゃん…うっす…!と
物語のとても大事なシーンなのに
こんなことに意識取られてしまうので蛇足みを覚えた
脱がなくても十分伝わったと思う
脱いだせいでやっぱり頭おかしいやつなんか、
みたいな感じが増してなんか、なんかだった
捉えどころのない重み
この作品自体の難しさはないが、作品がテーマにしている現代社会で生きていく難しさがよく描かれている。
アメリカでは、州にもよるだろうが、7歳を超える娘と一緒に風呂に入ると逮捕される法律がある。
昨今ではLGBT法に代表されるように、個々人の思想を法律によって規制する動きがある。
同時にそれは、自由な思想を持つものに対する攻撃として利用される。
この作品に登場する警察は、どのくらいまでフミとサラサの話を聞き入れたのかは不明だが、少なくとも週刊誌の内容を鵜呑みにはしなかったようだ。
「レッテル」 これがこの作品の根底に流れている主人公二人の苦悩の根源だ。
エンディングの冒頭に、広瀬すずと松坂桃李の名前の直後にタイトルが来るが、これはこの作品が二人の物語であることを強く主張している。
当たり前だが、あえて主張しているのはなぜだろう?
月はモチーフ。さまよえる月。「またどこかに流れていけばいいよ」
少し前、コロナ化の始まりのころ、県で最初にコロナにかかった人を特定してネットで拡散するということが流行った。その人の実家に石が投げ込まれたりしたことを聞いたのを思い出す。
この愚かさ。私は虫唾が走るほど嫌いだ。
「レッテル」 親がつけたレッテル「お前は外れだ」 「異常」「病気」…
フミにとって失うものなど何もないが、いわれのないレッテルを貼られるのはいたたまれないことだ。
そして2度もフミにレッテルを貼ることになってしまったサラサの心中も罪悪感で満たされている。
ただ一緒に居たかった。たったそれだけのことが、フミの幸せを奪ってしまった。
何の事実もないことが勝手なレッテルによってネットに流れ独り歩きしている。誹謗中傷の雨あられ。生きづらさ。
サラサもまた家庭環境の崩壊と、叔母宅の息子によるいたずらに悩んでいた。雨が降ってきても読書を続けている。「帰りたくない」
似た者同士の二人だったが、法律がそれを許さなかった。それは、ごく一般的なことだろう。
サラサの婚約者のリョウは、自殺未遂したことで自分の気持ちを収めたのかもしれない。
それは、人の心は支配できないということを物語る。誰も、他人に縛られたくないし、他人の支配を許してはならないことを言っているのだろう。
フミにも神聖なる生きる権利がある。そして普通の人間だ。しかし染色体の異常で幼児体系と性器が子供のままという設定だ。映画ではよくわからなかった。
彼の苦悩の根源。
フミは当てつけのようにサラサに自分が成長できないことを言う。
そして親によるレッテル。
おそらく検察は、サラサの事件の裁判後にフミの病気を知ったのだと思う。事件を冤罪にせず葬った。しかしその検査結果は残っていた。だから2度目は無罪放免。
レッテルだけが今も付きまとう。
フミはサラサに恋心を抱いていた。
「サラサが近くにいるほど怖くなった」のは、はじめてのことでどうしていいかわからなかったから。
「サラサにだけは知られたくなかった」フミの病気
でも「サラサに知って欲しかった」本当のことを。
「いつまで経っても、俺だけ大人になれない。サラサは成長した」そうフミは言いながら裸になり泣き崩れる。
幼児体系と幼児のような性器。
フミの彼女はおそらく彼に本気だった。「初めから私を信用しなかった」
彼女の言葉にうそぶくフミ。
彼女に本当のことは最後まで言えなかった。
監督はあの「怒り」の監督。
その表現する意味深は多少わかりにくい。その捉えどころのない重みこそが、闇というのかグレーゾーンというのか、私自身が目を背けている部分なのかもしれない。
こういう話だったのか…
私のイメージだとロリコンというのは幼女しか興味が無くて連れ去って弄んで最後には埋めちゃう奴としか思って無かったので確かにこういう事情のある人も居るのかも知れないと。
余談だけど男性の中には危険な方のロリが居て小さい女の子と触れ合えるという目的で保育士を目指すのだとか。
バイト先の同僚(趣里)は旅行に出たまま子供預けて帰ってこないしまたまた文に懐いちゃうから…ややこしいことになる。結局、子供を捨てたの⁈
考えさせられる作品
『シュベールの日曜日』の様な純愛を望む
ストックホルムシンドロームでなけりゃ良いけどね。
『シュベールの日曜日』な純愛を望むよ。
松◯桃李さんは『蜜蜂と遠雷』の出ていたので知っている。中性的綺麗な顔をした物理的男性だと思う。老若男女から愛されるお顔立ちの俳優だと思う。
その彼がとんでもない犯罪者を演じてしまう。しかし、彼の行為は純愛を求める行為ではない。
僕の世代は、宮◯勤の連◯幼女◯拐殺人◯件がある。事件はロリ◯タ◯コンプレ◯クスとは言えないペド◯◯◯◯ではあるが。
宮崎◯の行為が純愛などと言える訳が無い。
つまり、それを承知してこの作品を作っているか、全く知らないで描いているかでこの作品の評価は違って来る。勿論、犯罪者が刑期を終えて社会復帰する事が主題であれば、婚約者の男の横暴を訴えている事になるが、話はどうまとめるのだろうか?だから、例えば松◯桃李さんの役を髭面の禿げちゃびんオヤジで置き換えればもっと現実的になったと思う。
多分『シュベールの日曜日』の純愛をテーマにしようとしているのだろうから。
でも、両性の合意取れる年齢に経っしていならなければ、相手の男がどんなに優しく良心的な男であっても、自分の生活圏に、周囲に黙って入れてはならない。
映画は男目線な純愛ではないストーリー展開になっちまってる。原作は多分、そうでは無いと思い、評価はしたい。
幼い少女が男と黙って一緒にいれば、どんな事があっても、第三者は偏見を持つ。そう言った社会である。明るい少女のキャラで描いているが、現実的ならば、それで病むくらいのトラウマに陥る。そんな犯罪歴はアメリカに星の数ほどある。
アメリカに限ったことでは無く、妄想の範疇を含めれば、犯罪者まがいの幼児◯愛者は沢山いる。だから、最後のネタバレはすべきで無い。ストーリーの趣旨が違って来る。それならば、寧ろのLGBTの話にするべきで、そうしないのは純愛を描きたかったからだと思う。性的なコンプレックスを据え置くと、全て性的な衝動になっちまう。
世の中は松坂桃◯ばかりではない。ハゲチャビンの髭面オヤジが純愛語って、信用してくれますか?しかし、歳を重ねるとそんな事は分かって来るものと最近分かるようになった。従って、僕からは恥じらいが消えた。
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