流浪の月のレビュー・感想・評価
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感情をもっていく映画
確かに確かに、小児性愛は嫌悪感がある。
それは君も同じだろ?ってのは間違いで、その嫌悪は僕だけのもので
僕の中で完結するべきものと思う。
深く接するか距離を置くか、それは僕が決めることだ。
逆を言えば、誰かがそういう性癖であったとして、
その人に近づく別の人がいて、それをどうこう言うのは
もう本人同士の問題でもあると思うのだ。
という、感情整理させてくれた映画。
松坂桃李がだいぶ痩せて挑んでるみたいだなと。
広瀬すずは広瀬すずぽかった。よくも悪くも。
人はみたいものしか見ない
本屋大賞でも選ばれた作品の映像化作品。
幼い子供をしか好きになる事が出来ない男性とその時に誘拐されたとして世間から見られている女の子の物語。
自分がこうしたいと思う事やこうでなければいけないという世間の常識が1人の人間を重く苦しめてしまう事になる。
自分がなれるものがそうでしかないのに誰にも認められないという孤独を背負いながらも傷つき傷つけて成長をしていく。
役者さんのそれぞれの演技が素晴らしくて時間をあっという間に忘れるくらいに物語に入り込んでいました。
自分の常識と周りの常識は、なんなのかと考えさせられる作品でした。
原作未読
原作を読んでいないので純粋に一つの映画作品として鑑賞しました。
出演者もとても良かったのですが
なんとなく詰め込み過ぎな作品だなと思いました。
そしてひとつひとつが重すぎて、最後は飽和状態。
原作物なので何かを削るというのは出来ないかもですが
せめて二つくらいまででいいのかなと思いました。
更紗は幼いころ誘拐されたけど、実はそれは純愛だった、
なぜなら更紗はDVを受け、それを文は匿った。
だけど世間の信じたいものしか信じない感情がそれを許さなかった。
だけで十分だった気がします。
亮の歪んだ思考による異常な執着、
なのに最後にあっさり手を放すのも?って感じ。
文の最後が大元の伏線回収になるのかもしれませんが
斜め上過ぎて崩壊しました(笑)
文も更紗もしんどい環境で育ちながら
キレイに育ちすぎるのもなんか、、、(容姿も内面も)
都合のいいところだけキレイな映画だな、、、という印象でした。
ここに居ればいい
松坂桃李の文役の入り込みが凄い
もうこれだけでこの作品の
五割(半分)が出来上がっている様な
更紗役のすずちゃん
子供の頃を演じた白鳥玉季ちゃん
見事な演技です
文の前に現れた更紗
そっと近よる文
この出会いが二人にとって
のはじまり
文は
いちばん安心できるところ
安心して眠れる場所
更紗にとって居心地がよかった
文の優しく本を読む穏やかさ
文の眼差しがあたたかい
桃李の気持ちを表に出さない
感情を抑えた雰囲気はスゴいです
犯罪は犯罪なのですが…
再度また出会ってしまった
なぜこうも引き合ってしまうのか
更紗がどこかで文を捜してた
…また会いたいと願ってた
だけど更紗は文と会うことで
文の立場が危うくなる
迷惑をかけてしまうのに
文の優しさに…心が
…求めてしまう
どうしようもできない
いろいろな感情がでてくる
ふたりだけがお互いを
理解できる感情
亮役の横浜流星
好きなのに更紗に伝わない感情
亮がいちばん切なく感じた
流星の迫真の演技も素晴らしかった
知られたくなかった 知ってほしかった
「握ってくれた手の感触を頼りに生きてきた」
詰まるところ、
ありのままの自分を受け入れてくれる存在、が、
やはり大切なんだよな、と
もしあのままさらさが大人になっていったら、
さらさはきっと普通に友達を作って恋人を作って
文には親、もしくはお兄ちゃん、のような
接し方をするようになったんじゃないだろうか
はじめて自分を受け入れてくれた人、が、
家族以外で人生で唯一だったとき、
人はそれを過剰に特別だと思い込んでしまう
まるで刷り込みのように
特別であることに偽りはないし
もし同じ環境で別の人だったとしても
同じ感情にはならない、
本当に特別な人のはず、なのだけど、
それを普通の尺度で測ると「依存」になったりするんだろうな
そういう存在がいる人にはとても刺さる、
作品だったと思う
___________________
物語の進行の都合上省かれたであろう
骨董屋さんが序盤以降出てこないところ、
アルバイトしかしてないのに
すぐ引っ越して家具を揃えられる経済力、
ロリコン と 小児性愛者の境、
文の抱える具体的な病名症状、など
現実的な描写がないことで良くも悪くも
綺麗すぎるまとまりになっていたように思う
掲示板に相談を書き込んで
人生にもがく人を一生懸命応援してたけど、
実は釣りだったことが分かって、
「辛い思いをしている人は居なかったんだね、よかった」
となるときの、
安堵感と取り残される虚しさ、のような
___________________
横浜流星の濡れ場が下手すぎてしんどかった
ああいう顔だけ良くて
中身モラハラのタイプにありがちな
相手のこと気遣えない一方的で気持ち悪い感じ、
とてもリアルだったと思うけど
あまりに見ていて痛々しく、
込み上げる笑いと共感性羞恥のような鳥肌
恐らくあのリアルさは横浜流星そのもので
演技でああいうのだったわけではないんだろうけど、
ストーリーを考えたらあの気持ち悪さは要らなかった
濡れ場の下手さに笑ってしまうは
娼年の松坂桃李以来、しかも圧倒的超えで、
なんとその松坂桃李が同じ作品に出てくるものだから
変なところで感慨深かった
同じ類の気持ち悪さで、
最後松坂桃李、服脱ぐ必要あった…?という疑問
そして松坂桃李の細さがもう…
そんなに細いことある…?
ガッリガリじゃん…うっす…!と
物語のとても大事なシーンなのに
こんなことに意識取られてしまうので蛇足みを覚えた
脱がなくても十分伝わったと思う
脱いだせいでやっぱり頭おかしいやつなんか、
みたいな感じが増してなんか、なんかだった
捉えどころのない重み
この作品自体の難しさはないが、作品がテーマにしている現代社会で生きていく難しさがよく描かれている。
アメリカでは、州にもよるだろうが、7歳を超える娘と一緒に風呂に入ると逮捕される法律がある。
昨今ではLGBT法に代表されるように、個々人の思想を法律によって規制する動きがある。
同時にそれは、自由な思想を持つものに対する攻撃として利用される。
この作品に登場する警察は、どのくらいまでフミとサラサの話を聞き入れたのかは不明だが、少なくとも週刊誌の内容を鵜呑みにはしなかったようだ。
「レッテル」 これがこの作品の根底に流れている主人公二人の苦悩の根源だ。
エンディングの冒頭に、広瀬すずと松坂桃李の名前の直後にタイトルが来るが、これはこの作品が二人の物語であることを強く主張している。
当たり前だが、あえて主張しているのはなぜだろう?
月はモチーフ。さまよえる月。「またどこかに流れていけばいいよ」
少し前、コロナ化の始まりのころ、県で最初にコロナにかかった人を特定してネットで拡散するということが流行った。その人の実家に石が投げ込まれたりしたことを聞いたのを思い出す。
この愚かさ。私は虫唾が走るほど嫌いだ。
「レッテル」 親がつけたレッテル「お前は外れだ」 「異常」「病気」…
フミにとって失うものなど何もないが、いわれのないレッテルを貼られるのはいたたまれないことだ。
そして2度もフミにレッテルを貼ることになってしまったサラサの心中も罪悪感で満たされている。
ただ一緒に居たかった。たったそれだけのことが、フミの幸せを奪ってしまった。
何の事実もないことが勝手なレッテルによってネットに流れ独り歩きしている。誹謗中傷の雨あられ。生きづらさ。
サラサもまた家庭環境の崩壊と、叔母宅の息子によるいたずらに悩んでいた。雨が降ってきても読書を続けている。「帰りたくない」
似た者同士の二人だったが、法律がそれを許さなかった。それは、ごく一般的なことだろう。
サラサの婚約者のリョウは、自殺未遂したことで自分の気持ちを収めたのかもしれない。
それは、人の心は支配できないということを物語る。誰も、他人に縛られたくないし、他人の支配を許してはならないことを言っているのだろう。
フミにも神聖なる生きる権利がある。そして普通の人間だ。しかし染色体の異常で幼児体系と性器が子供のままという設定だ。映画ではよくわからなかった。
彼の苦悩の根源。
フミは当てつけのようにサラサに自分が成長できないことを言う。
そして親によるレッテル。
おそらく検察は、サラサの事件の裁判後にフミの病気を知ったのだと思う。事件を冤罪にせず葬った。しかしその検査結果は残っていた。だから2度目は無罪放免。
レッテルだけが今も付きまとう。
フミはサラサに恋心を抱いていた。
「サラサが近くにいるほど怖くなった」のは、はじめてのことでどうしていいかわからなかったから。
「サラサにだけは知られたくなかった」フミの病気
でも「サラサに知って欲しかった」本当のことを。
「いつまで経っても、俺だけ大人になれない。サラサは成長した」そうフミは言いながら裸になり泣き崩れる。
幼児体系と幼児のような性器。
フミの彼女はおそらく彼に本気だった。「初めから私を信用しなかった」
彼女の言葉にうそぶくフミ。
彼女に本当のことは最後まで言えなかった。
監督はあの「怒り」の監督。
その表現する意味深は多少わかりにくい。その捉えどころのない重みこそが、闇というのかグレーゾーンというのか、私自身が目を背けている部分なのかもしれない。
こういう話だったのか…
私のイメージだとロリコンというのは幼女しか興味が無くて連れ去って弄んで最後には埋めちゃう奴としか思って無かったので確かにこういう事情のある人も居るのかも知れないと。
余談だけど男性の中には危険な方のロリが居て小さい女の子と触れ合えるという目的で保育士を目指すのだとか。
バイト先の同僚(趣里)は旅行に出たまま子供預けて帰ってこないしまたまた文に懐いちゃうから…ややこしいことになる。結局、子供を捨てたの⁈
考えさせられる作品
自分の常識で物事は照らし合わせてしまうのが常で、更紗にたいして大多数は「可哀相な人」と断定してしまう。
物事を上辺だけでしか捉えられないと、そういった判断を簡単にしてしまう。
一つの情報だけで物事を捉えないで、様々な方向から考えなければならないと感じた。
プロセスは結果が大事だが、そこまでに至った過程もとても大切。
そこまでの生きてきた道筋を知ろうとする努力は、誰もがしなければならないと思った。
現実でも、一人ひとり違った人生を歩んできて、その時々で感じたことも違うのは当たり前。
そういった相手の気持ちになって考えて、接することが大切だとこの作品を見て気付かされた
『シュベールの日曜日』の様な純愛を望む
ストックホルムシンドロームでなけりゃ良いけどね。
『シュベールの日曜日』な純愛を望むよ。
松◯桃李さんは『蜜蜂と遠雷』の出ていたので知っている。中性的綺麗な顔をした物理的男性だと思う。老若男女から愛されるお顔立ちの俳優だと思う。
その彼がとんでもない犯罪者を演じてしまう。しかし、彼の行為は純愛を求める行為ではない。
僕の世代は、宮◯勤の連◯幼女◯拐殺人◯件がある。事件はロリ◯タ◯コンプレ◯クスとは言えないペド◯◯◯◯ではあるが。
宮崎◯の行為が純愛などと言える訳が無い。
つまり、それを承知してこの作品を作っているか、全く知らないで描いているかでこの作品の評価は違って来る。勿論、犯罪者が刑期を終えて社会復帰する事が主題であれば、婚約者の男の横暴を訴えている事になるが、話はどうまとめるのだろうか?だから、例えば松◯桃李さんの役を髭面の禿げちゃびんオヤジで置き換えればもっと現実的になったと思う。
多分『シュベールの日曜日』の純愛をテーマにしようとしているのだろうから。
でも、両性の合意取れる年齢に経っしていならなければ、相手の男がどんなに優しく良心的な男であっても、自分の生活圏に、周囲に黙って入れてはならない。
映画は男目線な純愛ではないストーリー展開になっちまってる。原作は多分、そうでは無いと思い、評価はしたい。
幼い少女が男と黙って一緒にいれば、どんな事があっても、第三者は偏見を持つ。そう言った社会である。明るい少女のキャラで描いているが、現実的ならば、それで病むくらいのトラウマに陥る。そんな犯罪歴はアメリカに星の数ほどある。
アメリカに限ったことでは無く、妄想の範疇を含めれば、犯罪者まがいの幼児◯愛者は沢山いる。だから、最後のネタバレはすべきで無い。ストーリーの趣旨が違って来る。それならば、寧ろのLGBTの話にするべきで、そうしないのは純愛を描きたかったからだと思う。性的なコンプレックスを据え置くと、全て性的な衝動になっちまう。
世の中は松坂桃◯ばかりではない。ハゲチャビンの髭面オヤジが純愛語って、信用してくれますか?しかし、歳を重ねるとそんな事は分かって来るものと最近分かるようになった。従って、僕からは恥じらいが消えた。
☆☆☆☆ 〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟 原作読...
☆☆☆☆
〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟
原作読了済み。
正直に言うと、この監督はかなり苦手な人でした。
以前に撮った『悪人』は、私が原作と映画化に於ける比較をレビューをする…キッカケになった作品でした。
但しその際の『悪人』を観た時に、(長尺になってしまうのを恐れたのでしょう)原作部分での《肝》にあたる箇所を描かなかった為か?どうしても出来上がった作品には歪な部分が多々あったのは否めなかったと思っています。
それだけに、観る前にはかなり心配な面があったのですが。出来上がった作品を観て、それは間違いであった事実を知る事となりました。
これは傑作ですね!
原作を読んでいたからこそ、上映が始まって1分程経った辺りで「こ、こ、これは!」と、凄いモノが観れるかも知れない…との予感に胸がドキドキと高鳴りだしたのです。
予め言っておきますが。本屋大賞を受賞した原作を、私は世評程には凄く良く出来た小説だとは思ってはいない…と、宣言しておきます。
勿論、駄作だと言っている訳では無く、良く書かれてはいるとは思いますが。前半部分での更紗が過去を振り返る描写に、少しモタつきを読みながら覚え、なかなか内容にスンナリと入って行けなかったのです。
原作では、そんな大きくなった更紗と、文が偶然にも再会を果たす迄が全体の1/3辺りになります。
でも、そこからは一気呵成にページをめくって行ってしまいます。この似た者同士な境遇の2人の運命に目が離せなくなって行きました。
そんな前半部分を一体どう描くのか?
ところが!本編では、この2人が再会を果たすのは、まだ始まって僅か数分なのです。
「えっ?マジか!」
驚いたのは言うまでもありません。
2人が再会してから、その原作に於ける前半部分の過去の描写を、映像化に於いて〝 出逢って別れ、また出逢う 〟…とゆうモチーフを基に。更紗の苦悩として《大好きだった文への想い》を、溢れさせる描写が以降ふんだんに描かれていました。
以降映画本編は、ほぼ原作を踏襲して進んでいます。
しかしながら、そこはやはり尺の都合でしよう。原作での様々な2人の絡みから、周りやネット・マスコミ・世間が、好奇の目を向けて行く辺りは、最小限の省略にとどめてストーリーを展開させていました。
その辺りの賛否は、観た人によって色々な意見があるかも知れません。
その辺りの【否】として。とにもかくにも、2人は出逢ってしまい。更紗の異変に気付いた亮が、嫉妬にかられた事から。更紗と文の2人は、坂道を転げ落ちる様にネットであり周囲の人達から蔑まれて行きますが。その際に、更紗が唯一心を許せる同僚だった安西であり。文の恋人の谷の描写は大幅にカットされている為。原作を読んでいない人には、多少都合の良い人物像…と思われてしまうのでは?とも感じました。
そんな安西と谷ですが。原作では安西は、更紗の相談相手であり。亮のDVから助けてもくれ、その代わりに…と、何度も娘の梨花を預け。それが最後には、2人にとっての過去と現在との【月と鏡】の関連性に繋がり。悲劇性はより増幅されてしまうのです。
一方で、文の恋人だと思っている谷。
彼女は(原作だと)更紗の事を、文に付き纏う《ストーカー》だと思い込み。諌める為に交番へ連れて行ったり、(年上である事から)更紗を何かと子供扱いします。
その事が、映像化でのオリジナル要素として、最後の最後に凄い展開を見せるのですが。それは映画本編のラスト40分辺りから展開されるパートで明らかにされるのです。
安西と谷のキャラクターは、2人の運命を握る人物像として展開上では重要な2人なのですが。
それぞれ、安西はそのビッチ的な性格。谷は病気により胸を失っている設定ゆえか、ある程度は観に来たお客さんを意識しての配慮なのか?あまり目立たない存在になっている。
主演の2人、広瀬すずと松坂桃李のコンビは本当に素晴らしかった。
会う人毎に「芯の強い人」と言われる更紗。
広瀬すずはまさに更紗そのものだった。
同時に、彼女の若い頃を演じた子役の女の子も素晴らしかった。
松坂桃李は、その見た目からしてもう圧巻の極み。
【幼女趣味のど変態】
世間で言われ蔑まれた辛い日々。
だが本当の彼は、人には言えない病気を抱えていた。
谷に言われて告白する文。
「僕は少女が好きなんだ!」
でも本当は全然違う。
映画のラスト40分は、そんな文から発せられる苦悩の叫びが、映画オリジナルと言えるくらいに爆発している。
男の子として生を受けたものの、「どうして自分は女の子にはなれないのか?」
女の子になりたいのに、どうしても周りには男の子として見られてしまう。
それゆえ〝 男の子になろうとするが、思えば思うほど女の子にはなれないし、そもそも女性を愛する事が出来ない 〟
「母さん…僕は出来損ないなの?」
それを感じながら生きて来た、その悲しさ。
谷に放った言葉の真の意味には、自分を蔑む世間に対する精一杯の怒りが伴っていたのだった。
それを、全身全霊を持ってスクリーンから殺気を帯びながら放つ松坂桃李は素晴らしかった。
映画本編での出番は少ない谷役の多部未華子。
彼女は、確かに先程述べた様に出番は少ない。
でも、最後に彼女の存在自体がこの作品では世間が蔑む【ロリコン変態野郎】の代弁者となっていた。
「少女趣味だから私を抱かなかったのね!」
この時の多部未華子がまた凄かった!
泣き崩れ、怒りに打ち震えなぎら叫ぶその顔の何という醜悪か!
この際のあの醜悪な顔のアップこそ、製作側が狙った〝 世間の偏見と差別による醜悪な姿 〟そのものだった気がする。
最後にもう1人。亮役の横浜流星。
原作以上にDV男を演じており。そのクソっぷりこそは、この作品での最大に見所と言えるかもしれなかった。
原作の最後に描かれる《2人+或る人物》のその後。
映像化では、あくまでも社会から蔑まれた【現在】の2人が辿り着いた、行き場のない閉鎖感で映画は締め括られている。
それにより、原作でほんの少しだけ示されていた(2人にとっての)ハッピーエンディングではなかった。寧ろバッドエンディングと言って良いのだと思う。
しかしながら、この映像化によるエンディングには。原作よりも深い2人の信頼性であり、お互いの境遇を慈しみ会う共有性に溢れ。原作を読んだ時以上の余韻を味合わせてくれるラストシーンでした。
一見すると、月は夜の帳に明るい光を放つ。
夜=裏の顔との存在として。
だけど、決して月は自ら光を放つ事などない。
寧ろ月は存在を主張する事などない。
月は本来、自ら光を放たない為に昼間にも存在しているものの、なかなか気付かれる事もない。
月は地球に引かれ続けながら絶えず寄り添い存在し続ける。
2022年5月14日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン4
※ なお、原作に重要な要素として登場するタランティーノの『トゥルー・ロマンス』は、一切出て来ず。逆に、数本の今敏作品がヒューチャーされており。(おそらくは)そこが監督自身による、原作との1番の違いとしての拘りの1つなのだろう…とゆうのが分かる。
秘密を抱える
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少女時代のすずは父が死に、母が恋人を作って失踪したか何かで、
オバの家に引き取られたが、中学生の息子が深夜に体をさわりに来る。
それがイヤで家を出て、雨に濡れてた所を桃李に救われ、一緒に住む。
桃李は幼い女の子が好きだったが、性的なことは何もしなかった。
やがてこれが誘拐事件として社会で騒がれ、桃李は逮捕される。
すずは上記中学生のことがどうしても言えず、よって桃李を救えず。
そしてすずが大人になり、偶然入った喫茶店の店長が桃李だった。
すずは流星と婚約前提で同棲してたが、桃李に心を奪われる。
幼い頃のトラウマで、肉体関係が嫌いで、普通の恋愛ができなくなってた。
やがて桃李にも恋人がいることを知るが、それはそれで喜んだ。
しかし流星が嫉妬して、桃李を元犯罪者としてネットにさらす。
それを知ったすずが怒り、キレた流星にボコボコにされる。
そして何とか逃げ出したすずを桃李がまた救う。
すずは桃李のマンションの隣の部屋に引っ越して来る。
ところがマスコミがかぎつけ、桃李は世間から心無い嫌がらせを受ける。
こうして桃李は恋人とも破局、流星は流星で自殺をはかる。
すずは同僚の旅行中にその娘を預かり、そのまま音信不通になったりもする。
桃李は警察から怪しまれ、出頭を命じられたり、とにかく色々起こる。
人生に絶望した桃李はすずに自らの秘密を明かす。
よく分からんかったが、後でネット調べると桃李は病気だったらしい。
それは第二次性徴が起こらないという病気みたい。
桃李は誤解され犯罪者になってでも、それを知られたくなかったのだった。
桃李が好きなすずはそれも受け入れ、共に一生寄り添う方向で落ち着く。
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桃李もすずも、色んなトラウマを抱えてるから、どこか不器用。
でも2人とも素直でまっすぐな人で、応援したくなる。
でも世間は気持ち悪いとか色々面倒くさいことを言う。
最後は一つの「自分達らしさ」に到達し、ある意味ハッピーエンド。
もっと酷い終わり方を予想してたから、嬉しかったわ。
それにしても広瀬すずってすごい女優になって来たな。
感情を抑圧して生きてる人が感情を爆発させるシーンは必見。
思わず涙が止まらなくなっちゃったよ。
松坂桃李と広瀬すずの演技が良かった。 この二人は純粋にお互いを精神...
松坂桃李と広瀬すずの演技が良かった。
この二人は純粋にお互いを精神的に支え合っていた。大人同士なら犯罪にならないけど。大人になってからも周囲の見え方が二人を阻む。周囲の目って怖いなってくらい。二人が純粋なだけに周りが違和感にしか思えなくなる。
横浜流星の役は痛かったな。そんな役を挑むところは好感が持てます。
終始暗いですが、最後に二人の未来に希望があって良かったです。
もどかしいところがある
10歳の更紗が雨降る公園で家に帰れないでいると、19歳の文が家に誘う。更紗は家に帰らず文と2か月同居するが、彼は誘拐犯として逮捕されてしまう。15年後、更紗は元被害児童ということを受け入れている亮と同棲していた。そんな時、文と思いがけず再会する。
子供の更紗が、もっと正直な供述をしてもよかったのでは、と少しもどかしい思いになりました。一方、終盤の文の告白には納得。幼いころに父を亡くした更紗は、文に父性を求めていたと思います。しかし心身とも大人になれない文とは、いづれ。
これ程、詩的に静寂で感情が狂おしい作品に出会った事はないかも~
長いGWも過ぎて、仕事始めのツライ1週間も無事乗り越えたw
ご褒美に 今日は「流浪の月」を見に行ったよ。
いや~ 前から楽しみにしていたんだけども、
期待通りの作品仕上がりで 私的には満足満足!!!
さすが、李相日 監督。素晴らしい 波動の流れを
全編に組み広げ描き上げ、感情の一寸の途切れも無く
繋がりを繊細に表現し編み上げています。
これはちょっと驚いたかな。予想外に出来が良かったです。
この前見た ”悪人”の類の流れを強く感じたが、
でも別物で こちらの方がラストの持つ画力の波動形成は
高いと感じました。
特に、展開に組み入れている音楽が素晴らしく
絵の流れと合わせて
波動を増し秀逸さを感じましたね。
上映時間:150分
原作:凪良ゆうさん
監督・脚本:李相日さん
音楽:原摩利彦さん
(MC)
家内更紗:広瀬すずさん
家内更紗(幼少期):白鳥玉季さん
佐伯文:松坂桃李さん
中瀬亮:横浜流星さん
谷あゆみ:多部未華子さん
主人公の文は自らの性障害をロリコンと思われ、
周囲の人々や母親からも見放されて行く。
孤独に生きるしかない自身の前に、
同じ境遇を感じる更紗に偶然に出会い
二人は共に 心の拠り所を求め合いながら
暮らし始める。しかし 世間の目が二人を許さない。
やがて警察に見つかり そして罰を受け
それぞれの人生を歩む事になるのだが。
十数年後、偶然の出会いが、
二人の今やっと熟した生活が
少しずつ 月の満ち欠けの如く 暗闇に落ちていく。
月の形は人生そのもの。
満ちたり欠けたり。見上げた夜空に
雲の流れの隙間から ほんのりと現す月・・・
2人はそれを見て、今の境遇と
きっとこの先の運命を感じていたのだろうか。
最後に二人が見上げた月は 消えかけ前の細い三日月だった。
ラストに訪れる、松坂さんの衝撃の場面
渾身の演技に きっと心打たれるでしょう。
※ここは スクリ-ン前方を両目見開いて感じて下さい。
広瀬すずさん、松坂さん とても良く頑張った。
表情も素晴らしく、前に出ていて良いですね。
次回作も 期待しております。
そんな二人の行く末を、
是非 劇場でご覧ください。
「心配」とは利己的なもの
ただただ役者の演技力に圧巻された。表情、目線、息遣い全てが人物像を表しているようで、その人の感情や場面解釈において、いい意味で観客任せの映画だった。
人間誰しも、自分にとって、社会にとっての「異物」に嫌悪感を抱くものだろう。そこから理解しようとするか、排除しようとするかは関係性や期待度によって変わるだろうが。
だが、その言葉は真実を全て映し出せるものなのか。
「異物」の認識がどう影響するか。
「異物」認定された人の内情とは。
そのような点にスポットを当てたストーリーだと思った。
DVなど痛みにまつわるものであれば誰しもが後先考えず、駆けつけて心配する。
一方で性的嗜好や発育に対しては「正しいと思われるもの」を基準として、目を逸らしたり、拒絶してしまう。
周りがどう思おうが、本人が劣等感を抱いてしまえば誰にも相談できず、「外には出ていけないもの」として意識してしまう。
だが、エンタメや噂話ではそのようなネタを笑いものとして盛り上がるのだから、この文化は到底無くならないだろうと思う。
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