流浪の月のレビュー・感想・評価
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すごく暗い
無理やり不幸にしているような感じがする。警察は無能で、冤罪の誘拐じゃなくて落書き犯を逮捕しろよと思う。横浜流星が一番病んでいる。
松坂桃李のカフェが趣味を煮詰めたような店で、繁盛している感じがせず客席も少なくマンションの家賃は払えるのか。
インポ映画かと思ったら、性器の奇形映画でより深刻で気の毒だった。警察では全裸になって体のチェックをされるだろうし、言えよと思う。有罪率99.9%だけど、不起訴になりそうなものだ。
松坂桃李はロリコンではないのできれいな話になっているのだけど、本当にロリコンで行為が行われていてそれで二人の間に愛が芽生えていたらどうなるのか、それは許されるのか。そういうのが見たい。
広瀬すずさんは演技力は素晴らしいのだけど、どう見ても溌溂としてエネルギーにあふれていて陰鬱な役にマッチしてない。
性愛は喜びと苦しみを与える
何も考えず楽しむ娯楽映画ではありません。主要な登場人物がそれぞれ心に闇をかかえているので、気持ちに余裕のない人は観ない方がよいです。
また、社会的に問題のある異常な状況を話の軸としているため、生理的な不快感や嫌悪感を感じる人も少なくないと思います。
しかし、私にとっては素晴らしい作品でした。密度の濃い映画鑑賞時間を過ごすことができました。
よかったところ。
ひとつは描かれているテーマ。
ロリコンの女子誘拐という、誰しも嫌悪感を感じる特異な事件が、この物語の中心にありますが、描かれているのはそこではなく、性愛という我々全員に共通する人生の課題だと感じました。
人には性愛が本能として遺伝子に組み込まれていて、誰しも逃れられません。
運よくその本能と上手につきあえる人もいますが、様々な事情で悩む人は少なくありません。人によっては絶望したり破滅的な行動に至ったりすることがあります。
しかしそれほど大事な問題であるにもかかわらず、社会的・文化的に性愛を語ることはタブー。恥ずかしいことなので、人は隠します。
この映画に登場する登場人物の悩みの原因は性愛です。誰にも救いを求めることができず、孤独で苦しい人生を送っています。それぞれの悩みにどこかしら思い当たるところがあり、共感できる部分、考えさせられるところがありました。
二つめは役者さんの演技。
特に広瀬すずさんの演技には目を見張るものがありました。最初の長いベッドシーンには賛否あるかと思いますが、あらゆるシーンで、主人公の心が表現できていたと思います。容姿が綺麗というだけでなく、人の繊細な心を表現できる素晴らしい女優さんだと感じました。
松坂桃李さんは最も難しい役どころだったと思います。人物のもつ空気感をスクリーンから感じました。
また横浜流星さんのクズ男っぷりも素晴らしい演技でした。予想できる範囲をだいぶ超えていたと思います。演技指導なのか、もともとの表現力なのか気になりました。
三つめは映像です。
状況を説明するための映像ではなく、観客の感情を動かす抒情的な映像づくりが丁寧に行われていて、撮影・編集の感性と努力を感じました。映画館の大きな画面で観るとよくわかりますね。
原作は未読ですが、そのうち読んでみようと思います。
今年の映画賞をたくさんとりそうですね。
異形の愛のかたち
“誰悪”社会
中々の力作でした。そして色々と考えさせてくれました。
そしてこの作品、まず俳優陣の気合に気圧される。俳優なら挑戦したい作品であることは間違いない。まず、各俳優に対して思ったこと。
・広瀬すず…大人になったなぁ~。最初姉ちゃん(アリス)かと思ったが、本作はすずの役で間違いない。
・松坂桃李…いつも作品チョイスが素晴らしい。優秀なブレーンがいるのかな?
・横浜流星…存在感大。一番の儲け役
・白鳥玉季…新星登場。宮崎あおいの子役時代にソックリ。
・増田光桜…子役の鏡。上手
・内田也哉子…これも上手い。
・趣里…名脇役であり適役
・三浦貴大…同上
・多部未華子…損な役回り(無名女優で可の役柄)
・柄本明…意味なしキャラ(友情出演か?)
って感じで、(下2名以外の)役者映画でした。
物語については、文と更紗の運命的出会いと別れと再会の物語であるのだけど、ラストは別にして、この物語の悲劇は結局誰が一番悪いの?とつい考えてしまいます。
勿論、原因は一つではなく様々な問題や要因が重なり合っての悲劇ではありましたが、過去パートでは“幼児監禁罪”が成立するので仕方ないにしても、現在バートの方は社会が正常で健全であれば、ひょっとしたら避けられたのではないかという苛立ちを、観客目線として感じて辛くなってしまいました。
ここからは、映画から脱線します。
最近“誰得”という言葉がよく使われますが、本作の現代パートについては“誰悪”と言いたくなる様な話でした。
勿論、文の母親、更紗の従兄の“悪”、亮のDVについては他者がどうすることも出来ない問題ではありましたが、問題は現代パートの社会的なバッシングの悲劇にあります。
文、更紗の今のパートナーに対しては、本来はそれぞれの対応(対処)問題となりますが、“SNS”“マスディア”“警察”等々による問題については本人達の力ではどうにもならない。それに、社会が健全であれば、そもそもこういう悲劇は生まれない筈。
なので、こういう悲恋が成立する根本的な要因としては、社会としての民度の低さが一番大きな問題の様に思えますし、現実でもこうしたニュースが絶えないのだと思います。
しかし、“SNS”や“マスディア”の愚行・愚劣はどうにもならないにしても、警察など公的組織がそれを真に受けてしまうってどうなの?
本作の場合“ロリコン”という言葉が一人歩きしていたが、他にも“オタク”“セクハラ”“パワハラ”等々、バッシング対象の曖昧な言葉は山ほどあるけど、結局文はロリコンなのかどうかは別にして性犯罪は犯していないし、公的機関が“SNS”や“マスディア”と同等の判断基準しかないというのは大問題でしょう。
こうした物語やニュースを目にする度にネットやマスディアの信憑性や犯罪性についての判別する公的機関は必要であると思うし、所謂“ネットクズ”や“マスゴミ”と呼ばれているモノに対しての(間接)犯罪に対しての公的な対処機関も絶対に必要だと思いますけどね。
ホント、こういう作品は良い作品でもあるし、嫌な作品でもあるよな。
ちょっと消化不良かな
私太らない体質なの
少女が男に誘拐される。
彼らは幸せだったのだが、周りはそれを許さなかった。
少女が大人になった現在と過去を交互に描写している。暗めの話。
良い点
・子役が声以外はいい感じに似ている
・ピザ
・友人の娘の登場のシーンの切り替わり
・文の彼女
悪い点
・冒頭の男子学生らがいきなり棒演技
・子供の頃の声がやや野太い
・ただでさえ尖った名前なのに名前を変えない
・田舎行きシーンが無駄に明るい
・唐突に場所特定
・唐突に隣の部屋
・そっちが出口
・謎のウインドチャイム設定
・謎の雑貨屋設定
・友人の娘が蔑ろ
・オカンがややベトナム風
・時系列がややめまぐるしい
・オチがややわかりにくい
・街を通るシーンがやや微妙な箇所も
・風刺がやや柔らかい。もう少し強いほうがよい。
なんとなく内容を知って見に行きました
日本の映画!? 人物描写が凄まじく…。
着地に対しての納得の行かなさ
(完全ネタバレなので、必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的には李相日 監督の『怒り』が好きで、久々の監督の長編作品でかなり期待してみました。
しかし、最後の解決の所で個人的には納得感があまりなかったように感じました。
物語は(もちろんそれだけではないですが)、佐伯文(松坂桃李さん)が、家内更紗(広瀬すずさん/(幼少期)白鳥玉季さん)や谷あゆみ(多部未華子さん)に性的な意味で手を出さない理由が何なのか?が明かされるまでが核心だと思われました。
幼少期の更紗は父と死別し母に捨てられ叔母に引き取られますが、中学生の従兄から性的な虐待を受けます。
その叔母の家から逃れる為に雨の中で声を掛けられた佐伯文の部屋に幼少期の更紗は行くことになります。
佐伯文はその後、少女の更紗を誘拐した「ロリコン」として警察に捕まります。
しかし佐伯文は更紗に性的な虐待を行っていた従兄と違って、性的に少女の更紗に手を出したりはしていませんでした。
ここで観客の私としては、性的な虐待をしていた更紗の従兄と違って、佐伯文は、更紗をきちんと1人の人格として尊重しているんだろうな、と受け取られました。
なぜなら、更紗はケチャップをくちびるからぬぐうカットなど、少女としてもエロスを感じさせる描写があり、しかしそれでも佐伯文は更紗を1人の人格として扱いそのエロスへの心を抑制する大人としての態度をとっていると、佐伯文の行動から私は受け取っていたからです。
つまり、更紗を性的な対象としてモノ的に扱った従兄と、更紗を1人の人格として扱った佐伯文との違いです。
更紗は、自身を1人の人格として扱われたからこそ佐伯文を信頼したのだと思われました。
それは簡単に自身を捨てた更紗の母や、性的なモノとして扱った従兄とは、佐伯文は更紗にとって対極にある人物だと受け取られたと思われました。
しかし最後に、佐伯文が更紗や谷あゆみに対し性的な手を出さなかった理由として、佐伯文の身体的な障害(性器の問題)が明らかにされると、果たして佐伯文が(少女の時の)更紗に性的な手を出さなかったのは”更紗を1人の人格として扱ったから”が理由だったのか疑念がわくように感じられました。
なぜなら、佐伯文が更紗に性的に手を出さなかった理由が、自分自身の身体的な障害(性器の問題)であるなら、更紗の人格をどう思うかの問題や関係性は薄まるからです。
事実、佐伯文は谷あゆみとの別れの場面で、谷あゆみを1人の人格として扱った言動をしていません。
谷あゆみへの佐伯文の言葉は、相手をおもんばかる態度が薄く、自分勝手な辛辣さであったと思われます。
この佐伯文の谷あゆみへ言動は、果たして更紗を性的な対象としてモノ的に扱った更紗の従兄と、心情ではどこまで違いがあるのでしょうか?
私は、(佐伯文の身体的な障害(性器の問題)とは別に)佐伯文は相手を1人の人格として扱う存在として最後まで描く必要があったと思われました。
その為には、谷あゆみとの別れの場面で、佐伯文は谷あゆみを1人の人格として扱い別れる必要があったと思われます。
そして、身体的な障害(性器の問題)を更紗に告白する場面も、”この問題は更紗とは関係がないのだ”と切り分けて(つまり更紗を最後まで1人の人格として扱って)孤独にしかし冷静に淡々と告白する必要があったと思われました。
なぜなら、相手を1人の人格として見ない更紗に性的な虐待をした従兄や自身の精神的な傷に執着して更紗に身勝手な暴力を振るった中瀬亮(横浜流星さん)とは、佐伯文は違った存在であると描く必要があったと思われるからです。
仮に、佐伯文も更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在として描いてしまえば、当然、従兄や中瀬亮との精神的な和解などあり得ない更紗が、なぜ佐伯文とは深く精神的に繋がれるのか、観客からは深い理解としては分からなくなります。
更紗が佐伯文とは深く精神的に繋がれる理由が、単に佐伯文は更紗に(モノ的な性的や暴力といった)手を出さなかったからという理由だけでは、更紗の従兄や中瀬亮を既に共感的には忘れている観客にとっては、佐伯文が更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在だという深い理解は曖昧にされたまま映画は閉じられてしまうことになります。
(そんな感想を映画が終わってから持ちながら、ただ身体的な障害の重さについてきちんと理解が及んでないのではないかとも思われたのも事実です。
しかし今の私にとっては、今回の映画は食い足りなく終わってしまいました。)
『流浪の月』は特に広瀬すずさん松坂桃李さん横浜流星さんの演技は素晴らしく、全ての俳優の皆さんの演技が素晴らしかったと思われました。他にも特筆すべき場面も多かったと思われます。
しかし個人的には大変惜しい作品になったなとは思われました。
文が美しかった
松坂桃李さん演じる文が美しかった。
ただ、物語の中盤から、時間が長く感じられた。最後、文の身体の事実が、サラサと視聴者に知れるのだが、
私としては、その事は、既成の事実として、物語の中に静かに存在していて欲しかった。その上で、寄り添い合っていく文とサラサの心模様を観たかった。
終始、松坂桃李演じる文の中には、静かに存在していたと思う。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先かでだいぶ印象が変わる。
原作ファンに申し訳なくなる作品。
原作ではところどころに美しい表現があり、読んでいてウットリするようなシーンがあった。
しかし、映画では人間のドロドロした部分ばかりを出し、原作無視一歩手前。
というかオールドバカラを出すなら過去をフラッシュバックさせるべきだろう…。
原作を読まなければ、主人公は嫌われておしまいの作品。初見向けではないし、原作ファン向けでもない。
人選も悪い。唯一ハマったと思ったのは亮役くらい。
あと濡れ場が長い。重要なのはそこではない。
フラッシュバックも多い。主人公の気持ちを共感させたい気持ちはわかるが、にしても多い。
性器を晒したシーンには引いた。原作にはそんな表現はない。もしやこの人を選んだのは小さいからということか…?
文の元恋人の印象の薄さに驚き。
原作の切れ味の良さそうなボブはどこにいったんだ。平凡な女の人じゃないか。さりげなく心療めいたことを呟いていたがあれが2人の関係を表せるとでも?同じ立場とは限らない。
文の母親はルールブックに沿っていなさそうな至って普通の母親だった。
苗を引っこ抜くシーンは「おっ」となったが、伏線が微妙だったために「?」に変わった。
キャストで遊んで程よく気持ちの悪いシーンを入れたら出来上がり。原作の雰囲気を無視した作品。
唾ローション
愛ってこういうことだ
表面的なものではなく
深い深い愛について考えさせられた作品。
自分以上に愛する人が出来ると、
そこで自分自身と初めて対峙することが出来るんだなと感じた。
そして自分も愛してみようと思えるんだということも。
第三者が客観的にジャッジした現実と本人達の心は全く違うということ。SNSが普及して表面的なことで溢れてるこんな時代だからこそちゃんと心の目で大切なことをしっかり見たい。
とっても苦しい、苦しいけど幸せ
生きるってこういうことだよね、と思った。
登場人物の全員を抱きしめたかった。
それぞれの安心できる場所で笑っていて欲しい。幸せになってほしい。
高評価がずらり。私にはそれほどの作品とは思えない。
本屋大賞を受賞した小説の映画化である。立ち読みで原作を読んでみたら、冒頭の一文がつまらなくて購入を断念した。だから、原作どおりなのか、脚色を加えているのかわからない。
孤独と性がテーマだ。広瀬すずは家庭環境と義理の兄?による性的いたずらが原因で、性に対して嫌悪感を持ち、自分の居場所が無くなってしまった。これは理解できる。
松坂桃季の孤独は何だろうかと思っていたら、他の投稿レビューでそういう病気があることを知った。病気が原因だなんて、私には夢オチに等しくガッカリした。恥ずかしいのは解るが、治療してもらえよと言いたい。
同性愛が当たり前になった今、セックスを忌棄する人がいてもおかしくない。男と女がいれば、セックスがするものだという先入観がかえって怖い。ロリータコンプレックスも、例えば私に娘があってその子が幼い頃に死んだとしよう。亡くなった娘を想って、小さい女の子に執着してもおかしくない。勿論、性的なものは介在しない。
15年前の女子誘拐事件など、世間はすぐに忘れているに違いない。身代金誘拐事件或いは身代金誘拐殺人事件なら別だけど。
原作批判のようになってしまったが、これを3時間近く付き合わされるのは、苦痛であった。丁寧さもほどほどにして、2時間くらいに編集してほしい。
感心。感動。そして深い反省。
正直に言おう。不遜な話だが、最近の俺は広瀬さん(すず)の将来を少し危惧していた。(いや、実際に書くと顔が真っ赤になるな。思っていた以上に不遜なコメントだわ)
「海街ダイアリー」「怒り」「三度目の殺人」…いつでもどこでも広瀬さんは見事な演技をみせてくれた。妹でも少女でも娘でも、それはいずれの映画でもそれぞれキーとなる難しい役どころだったが、広瀬さんは映画の流れを停滞させないどころか明らかに増幅する素晴らしさに満ち溢れていた。一方、主演では、「ちはやふる」「チアダン」と、爽やかにエネルギーに溢れて周囲を変えていく主人公をこの上なく魅力的に演じてみせてきた。
広瀬さん、凄い。しかし、最近ふと感じた。広瀬さん、この後どこへ行くのだろう。少女を完璧に演じる広瀬さん。でもいずれその季節は過ぎ去る。というか過ぎ去ろうとしている。あまりに早くから輝き続けていた広瀬さんだから、考えたこともなかった「この後」…
そこへ本作! いやあ、見事なまでに、俺は阿保だ、なんも見えとらん、と思い知らされました。広瀬さん、やっぱ凄い、凄い、凄い!!!
「被害者」に位置付けられた彼女には、暖かくはあるが、自分の想いと正反対な言葉や視線が、かけられ続けてきたであろう。
そんな十数年を経た後の彼女。当時の原因となった辛い記憶に夜な夜なうなされ目を覚ます。その奥に壮絶な贖罪の気持ちを秘め、それでいて周囲とは(彼氏を含め)平静に達観しているかのように付き合い続ける。
抑えに抑えた表現。感情も必要最小限で。想いがほとばしるシーンですら、じっと耐えるかのように。
対となるのが、更紗と文が二人で足漕ぎボートに乗るシーン。この映画で唯一、広瀬さんがその明るい笑顔をふんだんにふりまくシーン。ここと全編との対比が鮮烈で、この映画の重さをまた際立たせる。これが本当の更紗なんだと、普段更紗が被らずにはいられない殻の厚さを、観ている俺たちに気づかせるシーン。上手い。
松坂さんもまた同じ。最小限のセリフ、最小限の動き。それは、この映画の全体をしっかり包むトーン。
実はものすごい怒りのエネルギー。それが、静かに静かに。噴火する前に地下でグツグツ音を立てているほどだが、まだ地表はひんやりとすらしている。そんな絵が、エンドロールを観ている俺の頭の中に描かれる。
こんな映画を成り立たせてくれた広瀬さん、松坂さん、俺、堪能しました。ありがとう!! そして、広瀬さん、冒頭のたわごとを心配してた愚かな俺を許してください。深く深く反省してます。
月。太陽ではなく、月。陽ではなく陰。陰ではあるが影(罪・病気)ではない、あくまで光(個性)の一つ。であるのに、世間はそれを「気持ち悪い」と許さない。それは文(松坂さんの役)の母親すらも。本人すら見る病気だと思い込んでいる。
精神的な意味まで含めて居場所がなかった、そして今でもない二人が、流れ流れてでも寄り添いあうことは素晴らしい。だが、彼らの居場所を奪うのは他でもない。この映画を観ている俺が、俺たちが、観終わった瞬間から戻ってしまう、常識という皮を被った偏見だ。本来の自分で考えようという努力をせず、世人の声に盲目的に従ってしまう俺なのだ。それをこんな静かに、それだけに深く深く抉ってくる原作者、李監督、凄い。その怒り、伝わりました。参りました。
そして、白鳥さん(玉季)。よかった。松坂さん、広瀬さん、白鳥さんの年齢差があってこそ成り立つこの映画。その奇跡にも乾杯、です。
追伸0
小松さん(菜奈)が中島監督に鍛え上げられたように、広瀬さん(すず)は李監督に鍛え上げられるんだね。全ての女優が、監督達に鍛え上げられたらいいのに、と日々無理な希望を感じる俺です。
追伸1
更紗にだけは知られたくなかった… 知ってほしかった。…俺、知ってる。それって、恋だよ。
追伸2
150分あったのか、気がつかなかった。
追伸3
横浜さん、多部さん(未華子)、柄本さんと周囲も見事でした。特に、多部さんをほぼ終盤の泣き顔だけのために使う贅沢さに、この映画に込められた想いを感じる。
追伸4
「大河への道」、「ハケンアニメ」と観て本作を観た。今週は凄い週だなと思いながら観たが、本作を観る前は昨日とは逆順だったかなと思っていたが杞憂だった。本作が四番バッターだった。それにしても凄い週だった。幸せだ。
追伸5
備忘録。日中の薄い月を水中から見上げた、あの日から…
文、見て。月。
更紗は更紗だけのものだ。誰にも好きにさせちゃいけない。
お尻、百叩きだな。
私、リョウくんが思ってるほど、可哀想な子じゃ、ないと思うよ。
原作、読み終わった。面白かった。というのは不謹慎な言葉だろうか。読めた。読まされた。
原作から
彼が本当に悪だったかどうかは、彼と彼女にしかわからない。(北極星)
最後に
病気だったのか。そこは、原作読むまでわからなかった。そういう病気があることも知らなかった。監督にとってもそこはどちらでもよかったのかも。この映画は、勝手な解釈、勝手な同情といったもので、周囲から孤立させられる人たちの立場に身を置いた、やはり怒りの映画だったのだと思う。
そう、事実は真実とは違う。「…誰も、なんも、知らないくせに」
李相日らしいと思った
パトラッシュ(この手の話は)もう疲れたよ・・・
原作を超えた素晴らしい作品
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