流浪の月のレビュー・感想・評価
全512件中、241~260件目を表示
日本の映画!? 人物描写が凄まじく…。
各出演者の感情表現と、所々の自然のカット、過去と現在のフィードバック、観ごたえアリアリの作品となってます。
松坂桃李さんの演技が怖いです。(^_^;)
肉体改造、目で感情を魅せる演技、怖すぎです。
北米等の海外ドラマや映画では見ないアジア圏特有の感情表現!?
色々と考えさせられる作品でした。
着地に対しての納得の行かなさ
(完全ネタバレなので、必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的には李相日 監督の『怒り』が好きで、久々の監督の長編作品でかなり期待してみました。
しかし、最後の解決の所で個人的には納得感があまりなかったように感じました。
物語は(もちろんそれだけではないですが)、佐伯文(松坂桃李さん)が、家内更紗(広瀬すずさん/(幼少期)白鳥玉季さん)や谷あゆみ(多部未華子さん)に性的な意味で手を出さない理由が何なのか?が明かされるまでが核心だと思われました。
幼少期の更紗は父と死別し母に捨てられ叔母に引き取られますが、中学生の従兄から性的な虐待を受けます。
その叔母の家から逃れる為に雨の中で声を掛けられた佐伯文の部屋に幼少期の更紗は行くことになります。
佐伯文はその後、少女の更紗を誘拐した「ロリコン」として警察に捕まります。
しかし佐伯文は更紗に性的な虐待を行っていた従兄と違って、性的に少女の更紗に手を出したりはしていませんでした。
ここで観客の私としては、性的な虐待をしていた更紗の従兄と違って、佐伯文は、更紗をきちんと1人の人格として尊重しているんだろうな、と受け取られました。
なぜなら、更紗はケチャップをくちびるからぬぐうカットなど、少女としてもエロスを感じさせる描写があり、しかしそれでも佐伯文は更紗を1人の人格として扱いそのエロスへの心を抑制する大人としての態度をとっていると、佐伯文の行動から私は受け取っていたからです。
つまり、更紗を性的な対象としてモノ的に扱った従兄と、更紗を1人の人格として扱った佐伯文との違いです。
更紗は、自身を1人の人格として扱われたからこそ佐伯文を信頼したのだと思われました。
それは簡単に自身を捨てた更紗の母や、性的なモノとして扱った従兄とは、佐伯文は更紗にとって対極にある人物だと受け取られたと思われました。
しかし最後に、佐伯文が更紗や谷あゆみに対し性的な手を出さなかった理由として、佐伯文の身体的な障害(性器の問題)が明らかにされると、果たして佐伯文が(少女の時の)更紗に性的な手を出さなかったのは”更紗を1人の人格として扱ったから”が理由だったのか疑念がわくように感じられました。
なぜなら、佐伯文が更紗に性的に手を出さなかった理由が、自分自身の身体的な障害(性器の問題)であるなら、更紗の人格をどう思うかの問題や関係性は薄まるからです。
事実、佐伯文は谷あゆみとの別れの場面で、谷あゆみを1人の人格として扱った言動をしていません。
谷あゆみへの佐伯文の言葉は、相手をおもんばかる態度が薄く、自分勝手な辛辣さであったと思われます。
この佐伯文の谷あゆみへ言動は、果たして更紗を性的な対象としてモノ的に扱った更紗の従兄と、心情ではどこまで違いがあるのでしょうか?
私は、(佐伯文の身体的な障害(性器の問題)とは別に)佐伯文は相手を1人の人格として扱う存在として最後まで描く必要があったと思われました。
その為には、谷あゆみとの別れの場面で、佐伯文は谷あゆみを1人の人格として扱い別れる必要があったと思われます。
そして、身体的な障害(性器の問題)を更紗に告白する場面も、”この問題は更紗とは関係がないのだ”と切り分けて(つまり更紗を最後まで1人の人格として扱って)孤独にしかし冷静に淡々と告白する必要があったと思われました。
なぜなら、相手を1人の人格として見ない更紗に性的な虐待をした従兄や自身の精神的な傷に執着して更紗に身勝手な暴力を振るった中瀬亮(横浜流星さん)とは、佐伯文は違った存在であると描く必要があったと思われるからです。
仮に、佐伯文も更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在として描いてしまえば、当然、従兄や中瀬亮との精神的な和解などあり得ない更紗が、なぜ佐伯文とは深く精神的に繋がれるのか、観客からは深い理解としては分からなくなります。
更紗が佐伯文とは深く精神的に繋がれる理由が、単に佐伯文は更紗に(モノ的な性的や暴力といった)手を出さなかったからという理由だけでは、更紗の従兄や中瀬亮を既に共感的には忘れている観客にとっては、佐伯文が更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在だという深い理解は曖昧にされたまま映画は閉じられてしまうことになります。
(そんな感想を映画が終わってから持ちながら、ただ身体的な障害の重さについてきちんと理解が及んでないのではないかとも思われたのも事実です。
しかし今の私にとっては、今回の映画は食い足りなく終わってしまいました。)
『流浪の月』は特に広瀬すずさん松坂桃李さん横浜流星さんの演技は素晴らしく、全ての俳優の皆さんの演技が素晴らしかったと思われました。他にも特筆すべき場面も多かったと思われます。
しかし個人的には大変惜しい作品になったなとは思われました。
文が美しかった
松坂桃李さん演じる文が美しかった。
ただ、物語の中盤から、時間が長く感じられた。最後、文の身体の事実が、サラサと視聴者に知れるのだが、
私としては、その事は、既成の事実として、物語の中に静かに存在していて欲しかった。その上で、寄り添い合っていく文とサラサの心模様を観たかった。
終始、松坂桃李演じる文の中には、静かに存在していたと思う。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先かでだいぶ印象が変わる。
原作ファンに申し訳なくなる作品。
原作ではところどころに美しい表現があり、読んでいてウットリするようなシーンがあった。
しかし、映画では人間のドロドロした部分ばかりを出し、原作無視一歩手前。
というかオールドバカラを出すなら過去をフラッシュバックさせるべきだろう…。
原作を読まなければ、主人公は嫌われておしまいの作品。初見向けではないし、原作ファン向けでもない。
人選も悪い。唯一ハマったと思ったのは亮役くらい。
あと濡れ場が長い。重要なのはそこではない。
フラッシュバックも多い。主人公の気持ちを共感させたい気持ちはわかるが、にしても多い。
性器を晒したシーンには引いた。原作にはそんな表現はない。もしやこの人を選んだのは小さいからということか…?
文の元恋人の印象の薄さに驚き。
原作の切れ味の良さそうなボブはどこにいったんだ。平凡な女の人じゃないか。さりげなく心療めいたことを呟いていたがあれが2人の関係を表せるとでも?同じ立場とは限らない。
文の母親はルールブックに沿っていなさそうな至って普通の母親だった。
苗を引っこ抜くシーンは「おっ」となったが、伏線が微妙だったために「?」に変わった。
キャストで遊んで程よく気持ちの悪いシーンを入れたら出来上がり。原作の雰囲気を無視した作品。
唾ローション
話の内容的には面白く考えさせられる映画でした。ただ1点ベットシーンで横浜流星演じるりょう君が唾ローションで下をいじっていて真似する人が増えるのでやめてほしいと思いました。りょう君自体クズなのでしている人はそういうことです。
愛ってこういうことだ
表面的なものではなく
深い深い愛について考えさせられた作品。
自分以上に愛する人が出来ると、
そこで自分自身と初めて対峙することが出来るんだなと感じた。
そして自分も愛してみようと思えるんだということも。
第三者が客観的にジャッジした現実と本人達の心は全く違うということ。SNSが普及して表面的なことで溢れてるこんな時代だからこそちゃんと心の目で大切なことをしっかり見たい。
とっても苦しい、苦しいけど幸せ
生きるってこういうことだよね、と思った。
登場人物の全員を抱きしめたかった。
それぞれの安心できる場所で笑っていて欲しい。幸せになってほしい。
高評価がずらり。私にはそれほどの作品とは思えない。
本屋大賞を受賞した小説の映画化である。立ち読みで原作を読んでみたら、冒頭の一文がつまらなくて購入を断念した。だから、原作どおりなのか、脚色を加えているのかわからない。
孤独と性がテーマだ。広瀬すずは家庭環境と義理の兄?による性的いたずらが原因で、性に対して嫌悪感を持ち、自分の居場所が無くなってしまった。これは理解できる。
松坂桃季の孤独は何だろうかと思っていたら、他の投稿レビューでそういう病気があることを知った。病気が原因だなんて、私には夢オチに等しくガッカリした。恥ずかしいのは解るが、治療してもらえよと言いたい。
同性愛が当たり前になった今、セックスを忌棄する人がいてもおかしくない。男と女がいれば、セックスがするものだという先入観がかえって怖い。ロリータコンプレックスも、例えば私に娘があってその子が幼い頃に死んだとしよう。亡くなった娘を想って、小さい女の子に執着してもおかしくない。勿論、性的なものは介在しない。
15年前の女子誘拐事件など、世間はすぐに忘れているに違いない。身代金誘拐事件或いは身代金誘拐殺人事件なら別だけど。
原作批判のようになってしまったが、これを3時間近く付き合わされるのは、苦痛であった。丁寧さもほどほどにして、2時間くらいに編集してほしい。
感心。感動。そして深い反省。
正直に言おう。不遜な話だが、最近の俺は広瀬さん(すず)の将来を少し危惧していた。(いや、実際に書くと顔が真っ赤になるな。思っていた以上に不遜なコメントだわ)
「海街ダイアリー」「怒り」「三度目の殺人」…いつでもどこでも広瀬さんは見事な演技をみせてくれた。妹でも少女でも娘でも、それはいずれの映画でもそれぞれキーとなる難しい役どころだったが、広瀬さんは映画の流れを停滞させないどころか明らかに増幅する素晴らしさに満ち溢れていた。一方、主演では、「ちはやふる」「チアダン」と、爽やかにエネルギーに溢れて周囲を変えていく主人公をこの上なく魅力的に演じてみせてきた。
広瀬さん、凄い。しかし、最近ふと感じた。広瀬さん、この後どこへ行くのだろう。少女を完璧に演じる広瀬さん。でもいずれその季節は過ぎ去る。というか過ぎ去ろうとしている。あまりに早くから輝き続けていた広瀬さんだから、考えたこともなかった「この後」…
そこへ本作! いやあ、見事なまでに、俺は阿保だ、なんも見えとらん、と思い知らされました。広瀬さん、やっぱ凄い、凄い、凄い!!!
「被害者」に位置付けられた彼女には、暖かくはあるが、自分の想いと正反対な言葉や視線が、かけられ続けてきたであろう。
そんな十数年を経た後の彼女。当時の原因となった辛い記憶に夜な夜なうなされ目を覚ます。その奥に壮絶な贖罪の気持ちを秘め、それでいて周囲とは(彼氏を含め)平静に達観しているかのように付き合い続ける。
抑えに抑えた表現。感情も必要最小限で。想いがほとばしるシーンですら、じっと耐えるかのように。
対となるのが、更紗と文が二人で足漕ぎボートに乗るシーン。この映画で唯一、広瀬さんがその明るい笑顔をふんだんにふりまくシーン。ここと全編との対比が鮮烈で、この映画の重さをまた際立たせる。これが本当の更紗なんだと、普段更紗が被らずにはいられない殻の厚さを、観ている俺たちに気づかせるシーン。上手い。
松坂さんもまた同じ。最小限のセリフ、最小限の動き。それは、この映画の全体をしっかり包むトーン。
実はものすごい怒りのエネルギー。それが、静かに静かに。噴火する前に地下でグツグツ音を立てているほどだが、まだ地表はひんやりとすらしている。そんな絵が、エンドロールを観ている俺の頭の中に描かれる。
こんな映画を成り立たせてくれた広瀬さん、松坂さん、俺、堪能しました。ありがとう!! そして、広瀬さん、冒頭のたわごとを心配してた愚かな俺を許してください。深く深く反省してます。
月。太陽ではなく、月。陽ではなく陰。陰ではあるが影(罪・病気)ではない、あくまで光(個性)の一つ。であるのに、世間はそれを「気持ち悪い」と許さない。それは文(松坂さんの役)の母親すらも。本人すら見る病気だと思い込んでいる。
精神的な意味まで含めて居場所がなかった、そして今でもない二人が、流れ流れてでも寄り添いあうことは素晴らしい。だが、彼らの居場所を奪うのは他でもない。この映画を観ている俺が、俺たちが、観終わった瞬間から戻ってしまう、常識という皮を被った偏見だ。本来の自分で考えようという努力をせず、世人の声に盲目的に従ってしまう俺なのだ。それをこんな静かに、それだけに深く深く抉ってくる原作者、李監督、凄い。その怒り、伝わりました。参りました。
そして、白鳥さん(玉季)。よかった。松坂さん、広瀬さん、白鳥さんの年齢差があってこそ成り立つこの映画。その奇跡にも乾杯、です。
追伸0
小松さん(菜奈)が中島監督に鍛え上げられたように、広瀬さん(すず)は李監督に鍛え上げられるんだね。全ての女優が、監督達に鍛え上げられたらいいのに、と日々無理な希望を感じる俺です。
追伸1
更紗にだけは知られたくなかった… 知ってほしかった。…俺、知ってる。それって、恋だよ。
追伸2
150分あったのか、気がつかなかった。
追伸3
横浜さん、多部さん(未華子)、柄本さんと周囲も見事でした。特に、多部さんをほぼ終盤の泣き顔だけのために使う贅沢さに、この映画に込められた想いを感じる。
追伸4
「大河への道」、「ハケンアニメ」と観て本作を観た。今週は凄い週だなと思いながら観たが、本作を観る前は昨日とは逆順だったかなと思っていたが杞憂だった。本作が四番バッターだった。それにしても凄い週だった。幸せだ。
追伸5
備忘録。日中の薄い月を水中から見上げた、あの日から…
文、見て。月。
更紗は更紗だけのものだ。誰にも好きにさせちゃいけない。
お尻、百叩きだな。
私、リョウくんが思ってるほど、可哀想な子じゃ、ないと思うよ。
原作、読み終わった。面白かった。というのは不謹慎な言葉だろうか。読めた。読まされた。
原作から
彼が本当に悪だったかどうかは、彼と彼女にしかわからない。(北極星)
最後に
病気だったのか。そこは、原作読むまでわからなかった。そういう病気があることも知らなかった。監督にとってもそこはどちらでもよかったのかも。この映画は、勝手な解釈、勝手な同情といったもので、周囲から孤立させられる人たちの立場に身を置いた、やはり怒りの映画だったのだと思う。
そう、事実は真実とは違う。「…誰も、なんも、知らないくせに」
李相日らしいと思った
まずは広瀬すずがやっぱり良いと思った。
セリフがないシーンもすごく好き。
原作を読んでたから最初から肩に力が入ってしまった。
ちょっと意外だったのが2人に恋愛感情があったという事。
私の本の感想としては普通の恋愛感情とかではなく行き場のない孤独な2人が初めて心安らぐ相手に会えた、、、って感じだったんだけどな。「愛ではない。けれどそばにいたい」
だから本質は当事者しか分からないのも理解してたんだけど。
映画は愛が強く出てると思った。うーーん、、、
パトラッシュ(この手の話は)もう疲れたよ・・・
最初は、
「広瀬すずがかわいそう・・・つらい・・・」
だったのが、不幸系の話にありがちな展開が続き、
「この映画、深さで言うと足湯くらいやな・・・つらい・・・」
つらさのタイプが変化する一粒で二度おいしいグリコキャラメルのような映画でした。
松坂桃李がポーの詩集を朗読するとロリが落ちる謎の法則は結構好きです。
原作を超えた素晴らしい作品
この作品は、小説で読むと部分部分で展開に無理感があり、現実感が伴わない。想像力が足りないと言われるかもしれないが、小説といえども、違和感が拭いきれず、没入できないことは弱点と感じた。だから、映画で何処まで表現できるか疑問だったが、この映画はその弱点をかなり克服している。それは演技であり、音楽、画像、脚本を含めた映画の総合力の賜物だが、小説を上回ることのできたことは間違いなく、監督の手腕によるものだが、もしかすると映画にすることが難しくとも、磨きがいのある作品であるのかもしれない。
その悪意と善意の知ったかぶりが二人を深く深く傷つける
唯一の秘密を共有する二人なのに、手を携えて”ふつうの男女”の形を取りることは叶わない。そして何より、”悪意ある、親切な世間”がそれを許さない。
要所で挟まれる濡れ場シーンが禁忌感に満ちて痛々しく、終盤にその謎が明かされて、二人が背負う十字架の重さに観ているこちらも打ちひしがれます。
こういったちょっと暗い感じの役は松坂桃李がハマりますね。減量もした...
こういったちょっと暗い感じの役は松坂桃李がハマりますね。減量もしたのかな。広瀬すずも難しい役どころを見事に演じてると思いました。きっと原作では、二人の心の動きや様々な場面の背景も、より細かな描写がされてるのでしょう。原作も読んでみようと思いました。映像も美しかったです。
話題性はあるけど・・・。
広瀬すず・松坂桃李・横浜流星等と人気と実力のある俳優でのキャスティングでしたので、映画として成立はしていますが、原作が難しい内容ですので、あまり期待せずに観た方が良いでしょう。
抑々、映画化すること自体の難易度が非常に高い作品ですから、この手の作品がお好きな方には良いかもしれません。
自分のことを人に伝えたい人ばかりではない、という事
何故ちゃんと説明しない?何故否定しない?
作品観賞中、何度かそう感じたシーンがあった。但し、自分だったら・・・とは容易に考えられない、心にあまりに深い傷と闇を抱えた二人だから想像が追い付かない。死ぬほど知られたく無いこと、というよう事をフミは言っていた。敢えて説明しなくても2人は互いが抱えているその闇の存在を理解し、そっと思いやる事が出来た。事実を明らかにし適切な判断を下す、というのがいつも正義とは限らないのかもしれない。他人に避難されても、大切な人の心を守りたい、そんな切ないシーンが幾つかあった。自分にはそんな選択が出来るかはわからないが、そういう人もいるのかもしれない、と考えさせられた作品だった。
観たあとの嫌悪感
反対の意見、お叱りの反応に
なることを覚悟で投稿します。
役者がうまい、画像が綺麗。
いい映画なんでしょう。
でも、見終わった後の、
嫌悪感が今まで見てきた映画の中で
最大値。
広瀬すずの役者の成長を
見させられてるような、
プロモーション映画の要素が
激しくてまずは辟易。
多様性への理解、多角的視点を
問いたいのは充分理解しました。
しかし、映画を見終わったあと、
何も楽しい、幸せな気持ちになりません。
深淵なことが理解できない人と
いわれても、
やはり映画を観に行った観客としては、
少しでも幸せや楽しい気持ち
心を温かくする要素がほしいのですが、
この作品は全編に辛い要素ばかりで。
観ていて悲しく辛い気持ちにばかり
なり、見終わったあとの暗くなる気持ち。
ただ一言、見なければよかったとしか
思えませんでした。
映画自体は、綺麗にできた作品だと
思いますが、今日一日、憂鬱に。
邦画ってこういう志向なの?
だったら近づかないようにしようと
思ってしまうぐらい
嫌悪感のある作品でした。
個人の感想です。
映画としてはよくできてるので、
年末のショーレースで
主演女優、男優賞をとれる
作品だと思います。
点数つけられないほど、、です
嗚咽が止まらなくなるほど、久しぶりに刺さりました。オープニングで男と女の「音」の描写にリアル過ぎて少し戸惑ったのですが、それは一瞬のことで初めて観るというより、聴くということに集中して声や足音、自然の音、生活の音全ての音がすーっと体に染み込んでいく感じ。何より音楽が一番素晴らしく好きでした。女の子は彼のいる世界でしか生きられなかった。それゆえに生きる喜びを知ってしまったから、求めてしまう。彼のバックボーンが少し弱かったんだけど映画という枠では仕方なかったのかな。原作読んでみよう。白鳥玉季ちゃんは最優秀賞だし、樹木さんが確かにいた。
あの公園で雨が降らなかったら…
池袋グランドシネマサンシャインにて鑑賞。
偶然に出会った青年と少女の長年にわたる物語であるが、150分にわたって心揺さぶられる李相日監督の力作。
まずオープニング場面が素晴らしい撮影。…ブランコに乗る少女の「揺れ」に同期して揺れるカメラが素晴らしい。
その後は、過去と現在が交互に描かれていき、居場所のない少女が公演で傘を差しのべてくれた青年(松坂桃李)から「ウチに来る?」→少女「行きたい」という形で青年と少女のささやかな幸せ時間が続く。
しかし、世間はこれを「少女誘拐事件」として報道しており、警察に二人は引き裂かれる。
15年後、事件を背負いながら生きてきた二人(松坂桃李と広瀬すず)が偶然再会する。
そして様々な出来事が起こっていく物語。
この映画で「たいしたものだ!」と思ったのは、広瀬すずの同棲男(横浜流星)との激しいディープキス場面。コロナ禍になってから、これほどのディープキスは映画で観ていない気がする。素晴らしい役者根性。
また、ちょっと下世話な話になるが、広瀬すずは彼に乳揉みされるあたりも「大人っぽくなってきた感」あり…(笑)
印象的なセリフは沢山あったが、広瀬すずの「湖の時、手をつないでいたのを覚えてる?あの感触をずっと頼りにして生きてきた」なるセリフは、一人の女性の人生を背負う言葉として素晴らしい。
劇中の過去パートで青年が少女に見せている映画がチラッと映るが、『東京ゴッドファーザーズ』(or『パプリカ』)だった。李監督の今敏監督へのリスペクトが感じられた。
李相日監督の映画は、『69 Sixteen Nine(2004)』・『フラガール』・『悪人』・『許されざる者』・『怒り』など…付き合いの長い映画監督の一人であるが、本作は「眼を見張らされるショットが多かった」気がする。
交差点を映した俯瞰ショット、DV受けた広瀬すずが街中を彷徨う移動ショットなどなど。
個人的には、「あの時、あの公園で雨が降らなかったら、どうなっていたのだろう?」と思わせられる「偶然」をきっかけに、見事で重厚、また現代における様々な問題(ネット上の誹謗中傷、DVなど)も描いた映画。
実に見応えのある作品だったが、(ネタバレは避けるが)オチがちょっと惜しい…(^^;
それでも全体的には、かなり頑張った佳作だと言ってよいと思う。
<映倫No.123108>
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