流浪の月のレビュー・感想・評価
全526件中、241~260件目を表示
脚本家にシナリオを書いて欲しかった。
脚本家がシナリオを書いていれば、
もっと違った作品になっていたのではないか。
感情にしろ、状況説明にしろ、情報の見せ方が単調に感じられた。
人物の感情中心のシーンが多く、表現が台詞や行動に限られている印象がした。
本来ならもっと多くの事柄が描けるはずなのに、
それを補うため(何とか表現しようとして)
俳優に多くの負担を負わせ過ぎではないか。
俳優陣は頑張っている。
必死に表現している。しかし、顔の表情やセリフの言い方だけが映画ではない。
有名なカメラマンを呼んでも、映画は画面の綺麗さだけではない。
あの2人が最も幸せだった瞬間は、
この作品には描かれていない気がする。
ノワールなのかも
観られ方としては、ずっしり重たいドラマ映画だけれど、ノワールとしても観れる。というか松阪が二回目の連行の時に気がついた。横浜流星は嘘喰いとかキラキラ映画で可愛い男の子として活躍している印象があったが、抑圧、束縛、DV型の男として完璧だった。顔が良い男でありながらこのタイプの男性見掛けたことある。というか、先週の飲み会で嫁が料理作らないことのグチを聞いた。こんなことになってなければ良いけれど。
松阪のコミットの仕方どうでしょう。私ならそもそもこんな固いガチガチのトーンで中学生に話しかけない。もっと面白トーンで話しかける。何より、子供が居る女性に相談するのではないか。そんな社会の窓口を考えられない人も居るのかもしれない。それにしても、この広瀬すずさんが、松阪を追い掛けるような展開事態が男性原理的に感じてしまうような。それにしてもかなり画にはこだわりを感じられる。松阪はこの役柄に近いのをよくやっている印象があるが、横浜流星と広瀬すずは次の年齢層の役ができそう。二人とも賞レースとかでも強そう。
なにもそこまでしなくても・・・・
松坂桃李の演技に星5、優しさの裏に潜む性的渇望の狂気
タイトル通りです。松坂桃李さんが上手くてキモい。
冒頭から生々しいラブシーンでまた濃い作品だなぁと
思ってはいたのですが、それが広瀬すずの性に対するトラウマの伏線だったのですね。
だから性的な見返りを求めず純粋に愛を注いでくれるフミくんに惹かれたのだと思います。
ただ、松坂桃李のあの目。あの空気。
人一倍、少女の肉体に恋焦がれていたのが画面からヒシヒシと伝わって最高に気持ちが悪かった。
少女と無邪気に遊ぶ際のサラサにも見せなかったあの笑顔こそが、彼の本質なんだなと感じました。
純粋に女の子が好きでたまらないのだと、そしてそんな自分を心底嫌悪しているのだと。
サラサのフミへの愛は一方的で、フミはこれから先本当の意味で大人になったサラサを愛せない。
愛し合ってはいるのに通じ合えないお互いの愛のあの終わりが切なくて、涙しか出なかったです
李相日さんの作品は好きだけど、疲れますね。
しかし広瀬すずさんは相変わらず全力で立ち向かうな。
本人は相当の負けず嫌いらしいですね。無茶な要求にも負けるもんか!と思ってしまうのかな。
賛否両論あれど素晴らしい女優さんだと思います。
wip)評価が難しい一作
想定内。
すごく暗い
無理やり不幸にしているような感じがする。警察は無能で、冤罪の誘拐じゃなくて落書き犯を逮捕しろよと思う。横浜流星が一番病んでいる。
松坂桃李のカフェが趣味を煮詰めたような店で、繁盛している感じがせず客席も少なくマンションの家賃は払えるのか。
インポ映画かと思ったら、性器の奇形映画でより深刻で気の毒だった。警察では全裸になって体のチェックをされるだろうし、言えよと思う。有罪率99.9%だけど、不起訴になりそうなものだ。
松坂桃李はロリコンではないのできれいな話になっているのだけど、本当にロリコンで行為が行われていてそれで二人の間に愛が芽生えていたらどうなるのか、それは許されるのか。そういうのが見たい。
広瀬すずさんは演技力は素晴らしいのだけど、どう見ても溌溂としてエネルギーにあふれていて陰鬱な役にマッチしてない。
性愛は喜びと苦しみを与える
何も考えず楽しむ娯楽映画ではありません。主要な登場人物がそれぞれ心に闇をかかえているので、気持ちに余裕のない人は観ない方がよいです。
また、社会的に問題のある異常な状況を話の軸としているため、生理的な不快感や嫌悪感を感じる人も少なくないと思います。
しかし、私にとっては素晴らしい作品でした。密度の濃い映画鑑賞時間を過ごすことができました。
よかったところ。
ひとつは描かれているテーマ。
ロリコンの女子誘拐という、誰しも嫌悪感を感じる特異な事件が、この物語の中心にありますが、描かれているのはそこではなく、性愛という我々全員に共通する人生の課題だと感じました。
人には性愛が本能として遺伝子に組み込まれていて、誰しも逃れられません。
運よくその本能と上手につきあえる人もいますが、様々な事情で悩む人は少なくありません。人によっては絶望したり破滅的な行動に至ったりすることがあります。
しかしそれほど大事な問題であるにもかかわらず、社会的・文化的に性愛を語ることはタブー。恥ずかしいことなので、人は隠します。
この映画に登場する登場人物の悩みの原因は性愛です。誰にも救いを求めることができず、孤独で苦しい人生を送っています。それぞれの悩みにどこかしら思い当たるところがあり、共感できる部分、考えさせられるところがありました。
二つめは役者さんの演技。
特に広瀬すずさんの演技には目を見張るものがありました。最初の長いベッドシーンには賛否あるかと思いますが、あらゆるシーンで、主人公の心が表現できていたと思います。容姿が綺麗というだけでなく、人の繊細な心を表現できる素晴らしい女優さんだと感じました。
松坂桃李さんは最も難しい役どころだったと思います。人物のもつ空気感をスクリーンから感じました。
また横浜流星さんのクズ男っぷりも素晴らしい演技でした。予想できる範囲をだいぶ超えていたと思います。演技指導なのか、もともとの表現力なのか気になりました。
三つめは映像です。
状況を説明するための映像ではなく、観客の感情を動かす抒情的な映像づくりが丁寧に行われていて、撮影・編集の感性と努力を感じました。映画館の大きな画面で観るとよくわかりますね。
原作は未読ですが、そのうち読んでみようと思います。
今年の映画賞をたくさんとりそうですね。
異形の愛のかたち
“誰悪”社会
中々の力作でした。そして色々と考えさせてくれました。
そしてこの作品、まず俳優陣の気合に気圧される。俳優なら挑戦したい作品であることは間違いない。まず、各俳優に対して思ったこと。
・広瀬すず…大人になったなぁ~。最初姉ちゃん(アリス)かと思ったが、本作はすずの役で間違いない。
・松坂桃李…いつも作品チョイスが素晴らしい。優秀なブレーンがいるのかな?
・横浜流星…存在感大。一番の儲け役
・白鳥玉季…新星登場。宮崎あおいの子役時代にソックリ。
・増田光桜…子役の鏡。上手
・内田也哉子…これも上手い。
・趣里…名脇役であり適役
・三浦貴大…同上
・多部未華子…損な役回り(無名女優で可の役柄)
・柄本明…意味なしキャラ(友情出演か?)
って感じで、(下2名以外の)役者映画でした。
物語については、文と更紗の運命的出会いと別れと再会の物語であるのだけど、ラストは別にして、この物語の悲劇は結局誰が一番悪いの?とつい考えてしまいます。
勿論、原因は一つではなく様々な問題や要因が重なり合っての悲劇ではありましたが、過去パートでは“幼児監禁罪”が成立するので仕方ないにしても、現在バートの方は社会が正常で健全であれば、ひょっとしたら避けられたのではないかという苛立ちを、観客目線として感じて辛くなってしまいました。
ここからは、映画から脱線します。
最近“誰得”という言葉がよく使われますが、本作の現代パートについては“誰悪”と言いたくなる様な話でした。
勿論、文の母親、更紗の従兄の“悪”、亮のDVについては他者がどうすることも出来ない問題ではありましたが、問題は現代パートの社会的なバッシングの悲劇にあります。
文、更紗の今のパートナーに対しては、本来はそれぞれの対応(対処)問題となりますが、“SNS”“マスディア”“警察”等々による問題については本人達の力ではどうにもならない。それに、社会が健全であれば、そもそもこういう悲劇は生まれない筈。
なので、こういう悲恋が成立する根本的な要因としては、社会としての民度の低さが一番大きな問題の様に思えますし、現実でもこうしたニュースが絶えないのだと思います。
しかし、“SNS”や“マスディア”の愚行・愚劣はどうにもならないにしても、警察など公的組織がそれを真に受けてしまうってどうなの?
本作の場合“ロリコン”という言葉が一人歩きしていたが、他にも“オタク”“セクハラ”“パワハラ”等々、バッシング対象の曖昧な言葉は山ほどあるけど、結局文はロリコンなのかどうかは別にして性犯罪は犯していないし、公的機関が“SNS”や“マスディア”と同等の判断基準しかないというのは大問題でしょう。
こうした物語やニュースを目にする度にネットやマスディアの信憑性や犯罪性についての判別する公的機関は必要であると思うし、所謂“ネットクズ”や“マスゴミ”と呼ばれているモノに対しての(間接)犯罪に対しての公的な対処機関も絶対に必要だと思いますけどね。
ホント、こういう作品は良い作品でもあるし、嫌な作品でもあるよな。
ちょっと消化不良かな
私太らない体質なの
少女が男に誘拐される。
彼らは幸せだったのだが、周りはそれを許さなかった。
少女が大人になった現在と過去を交互に描写している。暗めの話。
良い点
・子役が声以外はいい感じに似ている
・ピザ
・友人の娘の登場のシーンの切り替わり
・文の彼女
悪い点
・冒頭の男子学生らがいきなり棒演技
・子供の頃の声がやや野太い
・ただでさえ尖った名前なのに名前を変えない
・田舎行きシーンが無駄に明るい
・唐突に場所特定
・唐突に隣の部屋
・そっちが出口
・謎のウインドチャイム設定
・謎の雑貨屋設定
・友人の娘が蔑ろ
・オカンがややベトナム風
・時系列がややめまぐるしい
・オチがややわかりにくい
・街を通るシーンがやや微妙な箇所も
・風刺がやや柔らかい。もう少し強いほうがよい。
なんとなく内容を知って見に行きました
日本の映画!? 人物描写が凄まじく…。
着地に対しての納得の行かなさ
(完全ネタバレなので、必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的には李相日 監督の『怒り』が好きで、久々の監督の長編作品でかなり期待してみました。
しかし、最後の解決の所で個人的には納得感があまりなかったように感じました。
物語は(もちろんそれだけではないですが)、佐伯文(松坂桃李さん)が、家内更紗(広瀬すずさん/(幼少期)白鳥玉季さん)や谷あゆみ(多部未華子さん)に性的な意味で手を出さない理由が何なのか?が明かされるまでが核心だと思われました。
幼少期の更紗は父と死別し母に捨てられ叔母に引き取られますが、中学生の従兄から性的な虐待を受けます。
その叔母の家から逃れる為に雨の中で声を掛けられた佐伯文の部屋に幼少期の更紗は行くことになります。
佐伯文はその後、少女の更紗を誘拐した「ロリコン」として警察に捕まります。
しかし佐伯文は更紗に性的な虐待を行っていた従兄と違って、性的に少女の更紗に手を出したりはしていませんでした。
ここで観客の私としては、性的な虐待をしていた更紗の従兄と違って、佐伯文は、更紗をきちんと1人の人格として尊重しているんだろうな、と受け取られました。
なぜなら、更紗はケチャップをくちびるからぬぐうカットなど、少女としてもエロスを感じさせる描写があり、しかしそれでも佐伯文は更紗を1人の人格として扱いそのエロスへの心を抑制する大人としての態度をとっていると、佐伯文の行動から私は受け取っていたからです。
つまり、更紗を性的な対象としてモノ的に扱った従兄と、更紗を1人の人格として扱った佐伯文との違いです。
更紗は、自身を1人の人格として扱われたからこそ佐伯文を信頼したのだと思われました。
それは簡単に自身を捨てた更紗の母や、性的なモノとして扱った従兄とは、佐伯文は更紗にとって対極にある人物だと受け取られたと思われました。
しかし最後に、佐伯文が更紗や谷あゆみに対し性的な手を出さなかった理由として、佐伯文の身体的な障害(性器の問題)が明らかにされると、果たして佐伯文が(少女の時の)更紗に性的な手を出さなかったのは”更紗を1人の人格として扱ったから”が理由だったのか疑念がわくように感じられました。
なぜなら、佐伯文が更紗に性的に手を出さなかった理由が、自分自身の身体的な障害(性器の問題)であるなら、更紗の人格をどう思うかの問題や関係性は薄まるからです。
事実、佐伯文は谷あゆみとの別れの場面で、谷あゆみを1人の人格として扱った言動をしていません。
谷あゆみへの佐伯文の言葉は、相手をおもんばかる態度が薄く、自分勝手な辛辣さであったと思われます。
この佐伯文の谷あゆみへ言動は、果たして更紗を性的な対象としてモノ的に扱った更紗の従兄と、心情ではどこまで違いがあるのでしょうか?
私は、(佐伯文の身体的な障害(性器の問題)とは別に)佐伯文は相手を1人の人格として扱う存在として最後まで描く必要があったと思われました。
その為には、谷あゆみとの別れの場面で、佐伯文は谷あゆみを1人の人格として扱い別れる必要があったと思われます。
そして、身体的な障害(性器の問題)を更紗に告白する場面も、”この問題は更紗とは関係がないのだ”と切り分けて(つまり更紗を最後まで1人の人格として扱って)孤独にしかし冷静に淡々と告白する必要があったと思われました。
なぜなら、相手を1人の人格として見ない更紗に性的な虐待をした従兄や自身の精神的な傷に執着して更紗に身勝手な暴力を振るった中瀬亮(横浜流星さん)とは、佐伯文は違った存在であると描く必要があったと思われるからです。
仮に、佐伯文も更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在として描いてしまえば、当然、従兄や中瀬亮との精神的な和解などあり得ない更紗が、なぜ佐伯文とは深く精神的に繋がれるのか、観客からは深い理解としては分からなくなります。
更紗が佐伯文とは深く精神的に繋がれる理由が、単に佐伯文は更紗に(モノ的な性的や暴力といった)手を出さなかったからという理由だけでは、更紗の従兄や中瀬亮を既に共感的には忘れている観客にとっては、佐伯文が更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在だという深い理解は曖昧にされたまま映画は閉じられてしまうことになります。
(そんな感想を映画が終わってから持ちながら、ただ身体的な障害の重さについてきちんと理解が及んでないのではないかとも思われたのも事実です。
しかし今の私にとっては、今回の映画は食い足りなく終わってしまいました。)
『流浪の月』は特に広瀬すずさん松坂桃李さん横浜流星さんの演技は素晴らしく、全ての俳優の皆さんの演技が素晴らしかったと思われました。他にも特筆すべき場面も多かったと思われます。
しかし個人的には大変惜しい作品になったなとは思われました。
文が美しかった
松坂桃李さん演じる文が美しかった。
ただ、物語の中盤から、時間が長く感じられた。最後、文の身体の事実が、サラサと視聴者に知れるのだが、
私としては、その事は、既成の事実として、物語の中に静かに存在していて欲しかった。その上で、寄り添い合っていく文とサラサの心模様を観たかった。
終始、松坂桃李演じる文の中には、静かに存在していたと思う。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先かでだいぶ印象が変わる。
原作ファンに申し訳なくなる作品。
原作ではところどころに美しい表現があり、読んでいてウットリするようなシーンがあった。
しかし、映画では人間のドロドロした部分ばかりを出し、原作無視一歩手前。
というかオールドバカラを出すなら過去をフラッシュバックさせるべきだろう…。
原作を読まなければ、主人公は嫌われておしまいの作品。初見向けではないし、原作ファン向けでもない。
人選も悪い。唯一ハマったと思ったのは亮役くらい。
あと濡れ場が長い。重要なのはそこではない。
フラッシュバックも多い。主人公の気持ちを共感させたい気持ちはわかるが、にしても多い。
性器を晒したシーンには引いた。原作にはそんな表現はない。もしやこの人を選んだのは小さいからということか…?
文の元恋人の印象の薄さに驚き。
原作の切れ味の良さそうなボブはどこにいったんだ。平凡な女の人じゃないか。さりげなく心療めいたことを呟いていたがあれが2人の関係を表せるとでも?同じ立場とは限らない。
文の母親はルールブックに沿っていなさそうな至って普通の母親だった。
苗を引っこ抜くシーンは「おっ」となったが、伏線が微妙だったために「?」に変わった。
キャストで遊んで程よく気持ちの悪いシーンを入れたら出来上がり。原作の雰囲気を無視した作品。
唾ローション
愛ってこういうことだ
表面的なものではなく
深い深い愛について考えさせられた作品。
自分以上に愛する人が出来ると、
そこで自分自身と初めて対峙することが出来るんだなと感じた。
そして自分も愛してみようと思えるんだということも。
第三者が客観的にジャッジした現実と本人達の心は全く違うということ。SNSが普及して表面的なことで溢れてるこんな時代だからこそちゃんと心の目で大切なことをしっかり見たい。
とっても苦しい、苦しいけど幸せ
生きるってこういうことだよね、と思った。
登場人物の全員を抱きしめたかった。
それぞれの安心できる場所で笑っていて欲しい。幸せになってほしい。
全526件中、241~260件目を表示