名もなき歌のレビュー・感想・評価
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得体の知れない闇の深さ
モノクロとスタンダードというシンプルながら陰影深い映像手法によって紡がれる本作は、序盤こそ人里離れた地域で暮らす先住民の日常が淡々と描かれるものの、中盤からはまるで不条理の檻に閉じ込められたかのような社会の不気味さが増幅する。メインとなるのは一つの事件。お産のために受診したクリニックと生まれたばかりの赤ん坊が忽然と姿を消し、母親がどれだけ状況を訴えても警察や役所は取り合ってくれない。そんな中、一人の寡黙な新聞記者だけが切実な叫びに耳を傾けるのだが・・・。諦めずに扉を叩き続ける母親と、核心へにじり寄っていく記者。二つの車輪が回転することで事態はようやく進み始める。しかしそれで全てのモヤが晴れたことにならないのが本作の特徴であり、それは当時の闇に満ちた社会状況の現れなのかもしれない。なぜこんな事件が起きたのか。その背景には何があったのか。終幕後、ペルーの現代史について学びを深めたくなる一作だ。
少数派が押しつぶされていく
民族的、性的に少数派の人間や、貧しい者など、人が集団を形成したときに弱者に位置してしまう人々の無力感を描いた作品かなと思う。
富めるものはさらなる富を求めて弱者から奪う。マジョリティに属する者は自分と違う存在を排除しようと圧力をかける。
どちらも本当は、そんな事をしていいパワーは持っていないはずなのに、それをしてもいいと勘違いする。
スーパーヒーロー映画で「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉が出るが、弱者を蹂躙しようとする作中の姿の見えない者には大いなる力なんてない。ないにもかかわらずそれを行使しようとするならば、大いなる責任が伴うはずだが、もちろんそんな気付きはない。
虐げられる弱い人々がどうして黙って蹂躙されることを受け入れると考えられるのだろうか。
混迷の不安定な時代だからこそ先を考えない行動に出るのかもしれない。
地平線が見えるショットが多いのが印象的だ。カメラアングルが低いのだろうか。
いくつかのショットは明らかに意識して地平が入るように撮っていたと思うが、周りに建物がないシーンが多いせいかもしれない。
モノクロの映像なので、黒い地平と白い空にくっきりと分かれる。作中の出来事に対して暗くなりすぎない雰囲気で作っているように思えたが、割れた地と空は不思議な物悲しさを醸し出した。
高い娯楽性とは言えないけれど、アーティスティックな雰囲気はそれだけで中々良かった。
この映画は二回目だった。また、消された?
南米の『千●千尋●神隠●』
日本でもこういった事はある。
果たして今はどうなのか?
『この国で生活しているよりも、海外へ行ったほうが良いね』立法の議員はそう吐く。この時点で民主主義は消えて無くなった。
この議員も司法の判事とグルになっている。三権分立が完全に崩壊している。映画ではそこをもっと強調してもらいたかった。
勿論、不法な養子縁組がどんなものであるかは誰でも知っている事。
また、国は違法と言って犯罪を犯した者だけを捕まえるが、間接的に国体の資金源は確保している。
SFと称した出鱈目な話で、登場する悪の組織は架空の国体か民間会社である。しかし、必ず国はそれに国家レベルで関与している。貨幣(キャピタリズム)(コミュニスト?)とはそう言ったものである。国との契約の上で発行された物が貨幣だからね。
そして、税収とかで国体は利益を取りこぼす事はない。従って、戦争に於ける悪事を国体は逃れる事は出来ない。それが、世界的な常識である。
サスペンスとしては期待外れですが・・・
生まれたばかりの子供を誘拐された母親とその事件を取材する記者の物語。
実在の事件を元にした映画のようですね。初めてのペルー映画です。
サスペンス色が強い作品・・・と期待しての鑑賞でしたが、社会の貧困にスポットを当てた社会派ドラマ。BGMも殆ど使われておらず、全編モノクロ映像を使いペルーの貧困層の苦悩、子供を奪われた母親達の悲哀を描き出した手法は見事でした。
映画として万人受けはしないでしょうし、高い評点は付けにくい作品だと思いますが、とても興味深い作品でもありました。
私的評価は普通にしました。
実話
1988年にペルーで起きた実話をもとにした映画。
苦労して生んだ赤ちゃんを抱くこともできずに奪われて、さあ、家に帰りなさい。そんな理不尽な。翌日から赤ちゃんを返してと、産院に通い、歩き回り、警察や裁判所に。産後の身体でそんなに歩き回ったら産後の肥立ちが悪くなります。ダンナさん、仕事のためにダンスの巡業に行っているようだが、もう少し奥さんのことを考えてそばにいて、もっと必死に子供探しなよ〜。
話を聞いてくれた新聞記者のおかげで赤ちゃんの養子縁組の闇組織のこともわかるが、自分の赤ちゃんを探すといった主人公に言った弁護士(?)の言葉が悲しい。どちらが幸せか?確かに連れ戻しても貧しく辛い生活。養子先の方が豊かに暮らせるかも。でも母親としたらなんとしても我が子を連れ戻したいよな。でも探し出すことはできないだろうけど。
新聞記者の同性愛の描写は必要ないのでは?
人権が蹂躙される世界
真面目な、とても哀しい映画でした。人が人として扱われない世界がある。
超インフレで暗殺が横行するペルーで、貧しい女性が出産したばかりの赤ん坊を拉致されてしまう。個人番号も持たない下層階級の彼女の訴えを、警察も裁判所も取り上げない。
ペルーだから、ってだけではない。日本でも入局管理局(今は別名だが)では、こんな人権蹂躙が当たり前に行われている。目を向けることが大切だ。
産院で出産した母親がそのまま赤ん坊を奪われ、海外に売り飛ばされると...
産院で出産した母親がそのまま赤ん坊を奪われ、海外に売り飛ばされるという衝撃作。
裁判官もグルだったというから驚きを禁じ得ない。
犯人は捕まったものの、赤ん坊は戻ってこないので何ともやりきれない。
記者が実はゲイだったとか、母親の旦那がテロに加担していたとか、はっきりいってどうでもいい。
期待感が高すぎちゃった!
ペルーのというだけで、すでに興味をそそられた。それも、この映画は1988年が舞台で、社会から置き去りにされているアンデスの先住民ケチュア族の女性ヘオルヒナ(Pamela Mendoza)が出産した子供が国際的な乳児売買組織の餌食になるという話だ。それに、ジャーナリストのペドロ(Tommy Párraga)の性への心の葛藤を組み入れた作品になっている。ペドロがアマゾンの上流のイキトスまで行って、乳児売買組織を見つけ出すが、もう手遅れのようだった。それに、ケチュア族の伝
統である祈りや祭も、実はカラーならもっと現実味を帯びるかなと思いながら観ていた。
後半にかけて、ケチュア族の夫、レオ(Lucio Rojas)がテロリスト(Shining Pathペルーの左翼過激テロ組織「センデロ・ルミノソ」(シャイニング・パス、日本語のウィッキーによる)の仲間に足を踏み入れ、ヘオルヒナはより、寂寥感がまし、 (テロリストwere trained to suppress their feelings and cut ties with their families ー監督の言葉を抜粋)一人で、歌を歌う。赤ん坊を奪われた悲しみと夫、レオがテロリストになり、戻ってこないという意味だと思った。
正直なところ期待感が高すぎちゃった。ペルーの1988年の現状、例えば、インフレ、水や電気などの公共利用の不安定さ、テロリストの(Shining Path)暴力、女性の扱い、ホモセクシャルへの理解不足、貧困と格差、人身売買など、社会の問題が、盛りだくさんすぎる。それに、アヤクーチョ(Ayacucho)ワマンガ(Huamanga)に住んでいるケチュア族はID(身分証明書?)を持っていないから、ペルー人であっても、リマではペルー人としてのシステムに入らせてもらえない。
最後のところだが、レオとヘオルヒナの夫婦関係がわかりにくなってくる。レオは初めて違って、赤子を見つけ出すことにも興味を示さなくなり、テロリストの仲間に入る。Shining Pathというテロリストは金持ちも、貧乏も、民族も関係なく殺すテロリストだと監督は言っている。ケチュア族への暴力も、もっと説明がいるし、理解しにくくしている気がする。観賞後、やっぱり納得がいかなく監督の言葉を調べた。(it’s this need to run away from stereotypes, so I create characters that are as complex as possible.)と監督は答えているが、ステレオタイプを避けるため、レオの存在をわざと複雑にしたようだ。なぜステレオタイプを避ける?
監督本人はペルーの出身だから、ステレオタイプの知識も持ち合わせているだるが、私個人として、ケチュア族の男性、夫に対する偏見でもいいのだが、知識が皆無だから、ステレオタイプすらも考えられない。ケチュア族っていったって、モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年製作の映画)Diarios de motocicleta/The Motorcycle Diariesという映画でチェゲバラがケチュア族と会話した知識とインカ帝国の民族。そして、気候変動でケチュア族は主食のじゃがいもなどの芋類の栽培面積が減っていっているというくらいしか知らない。
結局、この映画では何も解決されず、宙ぶらりんで、尚且つ、現代社会でも、この残影を引きずりつつあるのだろうか。乳児売買組織はどうなったのだろう。最後の方で、議員の言葉の、『もらわれた方が幸せに』は強く疑問が残った。
Pauchi Sasaki - La Quebrada
アンデスの音楽とララバイをミックスした作曲家はPauchi Sasaki さんで、ササキさんのお母さんは日本人で、お父さんは日系ペルー人だと監督が。
タダほど高いものは無い
実話を基にして描かれたサスペンスドラマ。闇の乳児売買組織の存在を知る事が出来る貴重な作品でモノクロで描かれいるので独特の雰囲気を醸し出している。タダほど高いものはないの典型的な事例でしょうか。
2021-152
80年代ペルーのどん詰まり。
ペルーの女性監督の長編第一作目。
一言でいうと凄い。
クライムサスペンスじゃないから間違わない様に。
先住民族の女性の乳児売買事件を軸に当時のペルーの闇を浮かび上がらせる。差別問題、同性愛、政治腐敗、貧困、殺人、、、何一つ解決しない閉塞感、、絶望してもまだなお生きなければならない人々を淡々と描いている。決してスカッとする映画ではないよ。
時々入るフォーカスの甘い暗示的な映像。
シフトレンズやデフォーカスを多用するアメリカのマット マッフアーリンというカメラマン(PVの監督もやる)の画を思い出した。そんな表現もするっとぶっ込んでくる監督のセンスがカッコよいと思う。
次回作が気になる。
【1988年、政情不安定で、ハイパーインフレに見舞われたペルーで行われた恐ろしい出来事を、モノクローム画像で哀切なトーンを基調に、淡々と描いた作品。それ故に、恐ろしさ、哀しさが増幅する作品でもある。】
- 序盤は、淡々としたトーンで哀しき出来事が描かれる。だが、懸命に産んだ我が娘と一度も会えずに引き離されたヘオが、執念で新聞記者ペドロの協力の中、我が子を探す姿と共に、当時のペルーの諸問題が明らかになって行く過程に引き込まれていく・・。-
◆感想
・当時のペルーの政情不安から発した、ハイパーインフレ、先住民蔑視(ヘオとレオ夫婦には、有権者番号がない。それ故に、役所や警察で相手にされない。)、テロ、同性愛者でもある新聞記者ペドロへの脅迫状に書かれていた言葉に暗澹とした気持ちになる。
ー 現在、世界各地で行われている事と、余り変わっていない・・・。ー
・暗澹たる気持ちを増幅させる、権力者、小役人達のヘオを含めた貧しき人々に対する愚かしき姿。
ー これも、又、現在と余り変わっていない・・。ー
・そして、レオは、金のためにテロ活動に参画していく・・。
ー これも、テロが頻繁に起きている地域の現状と同じである。ー
<哀しく、恐ろしい物語であるが、少しづつ、少しづつ引き込まれていく。それは、モノクローム画面に映し出される、ヘオやレオを始めとする貧しき人々や、彼女を助ける新聞記者ペドロの姿から発せられる怒りが鮮明だからである。ラスト、未だ見ぬ娘を思いヘオが歌う哀切なメロディと表情が印象的だった作品である。>
中途半端だな。そこが良いのか?
全編モノクロで、物語やカメラワークなど映画館で観るように構成されている。
しかし物語は中途半端、だがあえてななのかもと思う場面も多い。旦那は子供の事よりも政治活動を取り、新聞記者も日常ではゲイの恋人と。日常を大げさに描かない本作は狙い通り?
ある政治家の言葉が貧困の国の(美化した言葉)なのか(現実なのかな)(暴言なのか)
ラストの長回しの子守唄が赤ちゃんに届いていると言いなと思う作品。
映像は綺麗で魅力的、けど不完全燃焼だったかなー?
ペルーという国については何も知らないです。ですが予告編の内容がとても興味深く期待して鑑賞です。
ある事件を暴いていくサスペンス物かな?って思ってましたが、どうやら違うんですよね。物語を描くというよりも、このような国なんですよ(もしくは、だったんですよ)っていう感じの作品でした。
観賞後、映画館ロビーの解説文をいくつか読み、ペルーに内在するいくつかの課題を知ることができました。それを読むと、作品が描こうとしていることがわかった気がします。なんとも弱者には厳しい国ですね。
全体的にひたすらに淡々としています。なんというんでしょうね、画面や映像が綺麗すぎるからかな?新聞に掲載されている記事の写真を見続けているような感じとでもいうのでしょうか?無機質なんですよね。それが良い悪いってことではないですが。ただ、辛い状況を映し出す上では、感情に訴えるわけではないので、あまり気が重くならずに見続けていられるかな。
ドラマティックな話を求めているわけでもありませんが、このようなテイストであれば、ドキュメント作品に寄ってもよかったのではないだろうか?なんて思いました。その方がもっと伝わるものが多かったのではないかな?と。ですが、映像はとっても魅力的でした。
【ペルーという国の…】
世界的なデフレ懸念がやや後退していたが、このコロナ禍を背景に、世界各国の中央銀行が一斉に金融緩和政策を実施し、このところインフレのオーバーシュートらしき状況が起きている。
欧米の金融当局は、物価高進は一時的として静観しているが、過度にインフレが高まれば、結局、経済は打撃を受けることになる。
この作品の時代のペルーは、高インフレの状態だった。
こうした高インフレには持続的に一定以上の高いインフレが続く、クロニック・インフレと、月に50%以上のインフレが発生するハイパーインフレがあると言われているが、このペルーは前者だったのだと思う。
現在のペルーは、非鉄金属を多く産出し、漁業が盛ん、輸出産業が定着し、ナスカ高原の地上絵やマチュピチュなど観光資源も注目されていて、外貨の獲得は安定的と考えられ、高成長とは言えないが、安定した経済成長は続けていて、インフレも一定程度コントロールされているように思う。
しかし、この時代はまだ低成長で、高インフレ、外貨を獲得する手段として、こうした違法な幼児の海外との売買が密かに行われていたのだろう。
また、センデロ・ルミノソについて語られる場面もあるが、南米で有名なペルー拠点の毛沢東共産思想の武装組織で、貧しい人を組織に取り込んでテロなども行っていた。
ペルーは、その後、日系のフジモリ大統領が誕生したり、パワースポット観光地としても人気があり、日本人は注目していると思うが、こうした作品で、ペルーの現代史を、数十年前はこんなことがあったのだということを少し知っておくのも、相手の国に対するリスペクトになって良いと思う。
そして、このようにして、自分達の暗い部分も、人々の葛藤の物語として残そうとする人がいることや、それを後押しする人がいるのだということも。
個人的には、モノクロは良いのだけれど、スタンダードじゃない方が良いんじゃないかと、勝手に思ったりした。
腐った国
産院で産んだ娘を盗まれた20歳の母親と、その話を聞いて取材する新聞記者の話。
1988年8月、郊外で暮らす先住民の妊婦のが、街頭で流れるラジオで妊婦と出産の支援をする産院があることを知り、訪れた産院で…。
ストーリー的には正にあらすじに記された通り、もぬけの殻となった産院を訴え様としても相手にされず、新聞記者に訴えかけてと展開していくけれど…確かにサスペンスな内容ではあるけれど、寄り道が多く、その部分では雰囲気作りの為かテンポもまったり。
どのくらい時が経った体かわからないけれど、いきなり記者の取材が進んでいたり、ラジオで事件のことが流れたり…ここで語られてる記者はペドロのこと?
旦那の「仕事」のこととか嫁のリアクションとか、娘に関しての動きとか、事情がわかって諦めの境地ってことですかね…サスペンスというよりもペルーの世情や国民の事情をみせるドラマという感じがした。
内容も灰色
舞台は1988年で、日本で良く知られたフジモリ大統領の当選の少し前のようだ。
主テーマは3つあると思う。国際的な乳児売買、極左ゲリラによるテロ、そして“有権者登録証”をもたない先住民に対する冷酷な扱いである。
そこへ伝統の「ハサミ踊り」、政界や法曹界の腐敗、経済危機と“ハイパーインフレ”、そして“同性愛”が絡んでくる。
記者カンポスは、ジャーナリストとして、タブーに切り込んでいく。
(なお、“インディオ”という言葉は、侮蔑的な響きがあるため使われなくなっているらしい。)
こう書くと、“社会派映画”のようだが、しかし実際は、“シネポエム”と言っても良いアート系作品の側面を併せ持つ、中途半端な作品である。
なんと言っても、暗いシーンが目立つ。
白黒映画なので、よく映画「ローマ」と比較されるようだが、本作は「ローマ」のような明るくてシャープな映像美とは、全く異なると言って良い。(映画館の大スクリーンで「ローマ」を観ない限り、分からないと思う。)
暗さによる沈んだ色調を意図的に使って、静止画のような構図と、ゆったりしたカメラワークで映像を紡いでいく。
色がないので、背景が海や湖や川なのか、砂漠なのかよく分からないことがある。
関係する舞台は、さまざまだ。
主な舞台は、ペルー中部の海に面した首都「リマ」。ヘオとレオの小屋は山の斜面にあり、街の市場には、長い距離を歩いて通っているにちがいない。レオは「ハサミ踊り」の名手だが、そんなことは全く収入にはつながらない。
ヘオとレオのルーツは、「アヤクーチョ」という南部の県にあるようで(「アヤクチョ共同体」という横断幕が出る)、そこは「センデロ・ルミノソ」という極左武装組織が、当時、勢力を誇っていた地域だ。
そして、リマに次ぐ乳児誘拐の舞台は、北部の「イキトス」というアマゾン川最上流の、ラグーンや小さな湖に囲まれた堆積地である(「陸路では行けない世界最大の町」で、現在は観光地らしい)。水上の建物が目を引くが、ストーリーとは全く関係ないので、それらを映したいだけかもしれない。
このように、“社会派映画”とは言い難い側面をもつ映画である。
実際、乳児売買問題は、あっさりと明るみに出て、それでお終いだ。
貧窮したレオが、ゲリラ組織に仕事をもらってテロ行為を働くが、映像は暗示的で何が起きたかよく分からない。実際の武装ゲリラは、この映画どころではないはずだ。
“同性愛”に至っては、なぜストーリーに組み込まれたのか、自分は全く理解できない。当時の社会問題だったのかもしれないが、本筋と無関係なのに、無意味に尺を割いていると言わざるを得ない。
ラストは、赤ん坊を失い、夫をテロ容疑者として失い、住む家までも失った、ヘオの歌で終わる。
自分は最後まで観ても、邦題の「名もなき歌」の意味が分からなかった。
ヘオのような、社会的に“有って無きがごとき存在”による歌という意味だろうか? もし「nombre」が”曲名”ではなく、”人名”の意味だとすれば、邦題はひどいミスリードを犯していることになる。
議員は、記者カンポスに吐き捨てる。「何も与えられない母親と一緒にいて、子供は幸せか?」と。
だが、そういうヘオの境遇だけにフォーカスした作品ではない。
心にしみる良い作品だが、色調だけでなく内容もはっきりしない、グレー(灰色)で中途半端な映画だった。
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