「“人間の業”という名の解決不能なテーマ」英雄の証明 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
“人間の業”という名の解決不能なテーマ
この監督作品はまだ数本しか観ていないが、毎回そのストーリーテラーぶりに脅かされ感心させられ、本作もその巧みさに唸らされました。
数本観た結果、この監督の描きたいテーマは簡単に言ってしまうと“人間の業”の様なものだと思うのですが、その描き方が実に巧妙で面白く私好みなので、完全にファンになってしまいました。
何を書いてもネタバレになり感想が書き難い作品なので、少し本作から脱線した内容になると思います。
まず簡単に本作の解説を引用すると「SNSやメディアの歪んだ正義と不条理によって、人生を根底から揺るがす事態に巻き込まれていく男の姿を描く」とあり、ポスターのキャッチコピーは「英雄か、詐欺(ペテン)師か」とあり、ミスリードではありますが、大雑把に本作のエッセンスを伝えていますが、今回はこの辺りの日頃思う事を綴って行く予定です。
この大袈裟な“歪んだ正義と不条理”とか“英雄か詐欺師か”とか、人間という生き物は(個ではなくマスとして)とかく物事や他者に対してのレッテル貼りやマーキングをして識別したがる傾向にあり、それらの対象となる人間個人の悲喜劇が後を絶たない。という、人間は何時でも加害者の立場にも被害者立場にもなる可能性があるという、人間の業を描いた作品になっていました。
例えば、人はよく“頭の良い人(賢者)”“頭の悪い人(愚者)”といった識別をしたがりますが、個人というよりもネット全体、メディア全体、社会全体が“頭の悪い”象徴やメタファーになりつつあり、それに振り回されてしまう人間の悲しさと愚かさが本作ては描かれていて、自分自身を反省させられる構造が彼の作品にはいつも感じられます。
どんなに「人間は機械ではないので、何事も1か0で割り切れるものではない」と言われ頭では分かっていても、上記の識別という意味で、人間って単純に“善悪”“正誤”“白黒”を付けたがる習性があるのは間違いなく、映画でも大衆向けとなると勧善懲悪がハッキリしないと支持されないし嫌悪されます。
今まさに世界の果てで戦争が行われ、様々なメディアの情報から様々な善悪のジャッジが行われていることでしょう。
個人的な意見ですが、基本的に“頭の悪い”というは物事を一面的にしか捉えられず(浅慮)“頭の良い”というのは多面的に捉えて思考出来る(深慮)という風に思っているのですが、野次馬(マス)ってのは“頭の悪い”善悪や白黒のマーキングが大好きですし、個はマスに流されるのも大好きだから、どんな問題に対しても人間(人類?)っていうのは改善出来ない生き物なのでしょう。
更に本作では、必ずしも“頭の悪い”が悪で“頭の良い”が善ばかりでもないという含みも描かれていました。
よぉ~く観察すると“頭の悪い”と思える中にも許せる・許せないの差はあるし、“頭の良い”中にも快・不快の差が出てきます。
本作の主人公は上記で言う“頭の悪い”行動ばかり行いますが、私は決して彼が根っからの悪い人間だとは思えず、それは主人公だけではなく彼の恋人も家族も役人も慈善団体も登場人物全てに対して同様でした。
本作は、登場人物の大半は普通に社会に居る特別に賢くも偉くもなく、その場での言動や行動に流されてしまう凡人の右往左往を描いた作品であって、結局本作の様に“人間の業”(あるいは、人間の愚かさ)を描いて行くと、問題に対する(夢の様な)解決策は決して得られないので(浅慮な)大衆(マス)からは敬遠されるのでしょうね。