「絶望しないラヒムに救いがある気がした」英雄の証明 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
絶望しないラヒムに救いがある気がした
主人公は浅墓で優柔不断で弱気な割に、妙なところで依怙地になったりする。そのくせ人並みに欲望はある。要するにラヒムはつまらない男なのである。しかも頭もよくない。このあたりがなんともリアルだ。身につまされる。
起きてしまったこと、やってしまったことは仕方がない。開き直っていればいい。世の中の悪人は皆そうしている。
しかしラヒムは生来の浅はかさと気の弱さが祟って、うまく立ち回れない。やがて小さな嘘をつく。そして嘘を糊塗するために新たな嘘をつく。嘘が雪だるま式に膨らんで、取り返しがつかなくなってから、驚いたことに名誉を取り戻したいという。
日本なら、こんなことになったら名誉も何もないだろうと誰もが思う場面だ。しかしイランではそうではないらしい。名誉という言葉の重みが日本とは異なるのだろう。そもそも日本では名誉という言葉を使う機会がほとんどない。イスラム教は詳しくないが、少なくとも、利益のためには人格も尊厳もかなぐり捨てて誰にでもへーコラする日本とは、精神性の面でかなり違うと思う。どちらがいいという訳ではない。
日本との違いで言えば、遺失物法がある日本では、私有地で拾った物はその場所の所有者に、公有地では警察に届ける。警察官が横領することは滅多になく、貴重品が落し主に戻る確率は高い。中国人にその話をしたら、中国では拾った人が貰うか、警官が貰うかのどちらかで、落し主に戻ることは絶対にないと言っていた。
本作品でも最初はどうして警察に届けないのだろうと訝ったが、イランでは遺失物法などが整備されておらず、警察に届けると中国と同じことになるのかもしれない。
ストーリーは、弱気になったり強気になったりするラヒムのせいで、やたらと右往左往する。面白くないことはないが、ラヒムに振り回されている感じで、あまり愉快ではない。終盤では、死刑囚の夫を助けたい女性と、お人好しで間抜けなラヒムとの対比が際立つ。ラヒムよりよほどうまく立ち回り、ラヒムの金貨をだまし取り、ラヒムがもらった寄付金までもらい受けたのだ。
イランはイスラム教の国だが、タリバンみたいに原理主義で女性を抑圧するシーンはほとんどない。ネット環境も発達していて、SNSも絡んで、日本と同じようにネットの問題があることもわかる。宗教とは無関係に、個人同士の丁々発止のやり取りが延々と続く。宗教では個人間の紛争は解決されないのだ。同監督の「セールスマン」と同様に、人間はかくも愚かで滑稽な存在だということを描いているのだが、主人公ラヒムは絶望することなく笑顔を浮かべる。そこに救いがある気がした。