機動戦士ガンダムSEED FREEDOMのレビュー・感想・評価
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福田監督の信者としては星5
私はサイバーフミュラからの福田監督のファンです。
乗機がぶっ壊れ破片をまき散らしながら、超スピードの中超絶テクニックと魂で戦うメカアクションの演出において世界一だと思っています。
富士見サーキットのSアスラーダ換装からの最後のコーナの戦いとか
OVAのライバルとぶつかりあってもつれあいながらチェッカーフラッグを受けたりとか
SEEDディスティニーで型落ちのストライクガンダムでボコボコにされた後ストライクフリーダムに乗り換えて無双したりとかですね。
そこに関しては孤高の天才のサイバーフォーミュラの主人公、風見ハヤトや
コーディネーターキラ・ヤマトと監督が重なる部分があります。
機動戦士ガンダムのファンでもありますが、
ガンダムSEEDシリーズはどちらかというとサイバーフォーミュラという一大ブランドを作った監督がガンダムシリーズという他人の作ったブランドで他人の作品のリメイクを商品として作らされているイメージが強いです。
仮面の男シャア=アズナブルという道化、客寄せパンダをやっている富野由幸監督。
そのさらに代役をやらされているラウ・ル・クルーゼ=黒福田監督。
それに対して自分の自由に作品を作らせてくれ!と抗うキラ・ヤマト。
ちゃんと売ったんだから次は好きに作らせてくれ!と正義の履行を求めるアスラン・ザラ。
上(企業)が自分を評価してくれると思ってガンダムファンの勘所を研究してやっつけた(商品として成功した)と思ったらただ利用されていたシン・アスカ。=白福田監督。
機動戦士ガンダムそのものを
愚民=ガンダムファン
地球連邦=サンライズ
富野監督=シャア・アズナブルと考えると
非常に良くガンダムを分解して再構成していると思っています。
(個人的にアムロ=星山博之で
富野シャアと星山アムロが邂逅して協力しあったのが
∀ガンダムだと思っています。別の話ですが)
戦いが終わらない(戦争モノのシリーズが続く)のはロボットでガンガン壊しあうのを見るのが大好きな幼く残虐な視聴者の欲望が源泉でありそれを金に換えて儲かる会社がいて、それで延々殺し合うわけですね。それでやりたくもない(?)殺し合いの前線で指揮するのがアニメ監督。
そういった意味でSEEDシリーズを作らされている限り福田監督はガンダムブランドというディスティニー計画から抜け出せないという皮肉な状況が永遠に続くという印象です。
ただ、富野ガンダムの模倣という視聴者サービスに私はあまり興味がなく戦闘シーンの空飛んで大仰に武器を振りかぶって溜めて攻撃バンクにも食傷気味でどちらかといえば女性の生き生きとしたというか生々しい描写がSEEDシリーズでは好きなところでした。
つまり、福田監督と脚本を手掛けていらした奥様両澤 千晶さんとのタッグは女性の描き方
という一点において機動戦士ガンダムに時々優っているというのがこれまでのガンダムSEEDの私の感想です。
前振り長いですね。
で、ここからが本作についてですが。
前半はつらかったです。
自分が好きだった女性の描き方、というのは当然脚本から消えてなんだかどこかで聞いたような強い単語であまり残らない台詞のやり取りがかなり続いてなんだか気が遠くなっていたので前半の下りはこれまでのサイバーフォーミュラは・・・という振り返りを思わず脳内で再生していました。(サイバーフォーミュラも本編のほとんどは今では子供向けのテンプレートみたいなものですが)
政治劇見たいなら銀河英雄伝説かザ・ホワイトハウス見るし
愛が見たいならヴァイオレット・エヴァーガデン見たほうがいいのでは?
その後キラが脳内ハッキングされて戦闘に移行してからは流石に豪華で楽しめました。
それで☆3.5 本編の感想三行
ただ、なんというか白々しい(失礼)セリフの中や芝居の中で例え目を無くしても声を失ってもラクスを愛している。
というようなセリフに関しては両澤 千晶という存在を考えれば
ガンダムSEED、というか両者の携わった作品シリーズから時間が経ってこういったお話を描くなら、単なるサービスではなくポジティブな感情をかかわった人や視聴者に対して持っていると考えてもいいのかなと思えます。
自分から作り始めたものじゃないけど、でも間違いなく自分たちが作ったし自分達じゃないと作れなかったよね、と。
当然ですがここに書いたのはすべて妄想で自分の見方が正しい、という話ではありません。
最後にルナマリアはシンのいいところくらいは言ってあげたらよいんじゃないでしょうか。
自分の感情に正直なところとか、直線の速度は一番なところとか。
相手の子は憤死するかもしれませんが・・・。
機動戦士ガンダムSEEDシリーズのガンダムやモビルスーツは格好良い
ドラグナーや電童、サイバーフォーミュラーやクロスアンジュの福田監督の本領発揮
懐かしのガンダムたちやSEEDの初期にいたデュエルやバスターまでパワーアップまで登場
ド派手なアクションで暴れ回る!福田監督の迫力あるアクションが凄かった、モビルスーツの発進シーンも歴代ガンダムでも最高です
シナリオもシンプルな愛や成長物語を詰め込んで最後まで目が離せない
テンポが良すぎるぐらいに早いので何度見ても飽きる暇がありません、ジェットコースターのような映画で最高でした!
ナチュラルの野蛮な低評価に屈してはならない
まず大前提として、狂ったように低評価を投げ続ける野蛮なナチュラルはこの映画の見方を間違えています。
そもそもガンダムシリーズという星の数ほどの設定が生まれては消えていき、また気づいたら無から生み出される作品において、“あの設定はこうだった”だの“⭕️⭕️の設定は何処に行った”だの言うこと自体がナンセンスです。ガンダム向いてないので他のアニメ見てください。
ほうぼうで言われてる“キラきゅんはこんなキャラじゃない”だの“恋愛脳クソゴミ”などの愚劣な感想についてですが、アニメ本編でのキラくんの心情描写として特徴的な箇所に以下の2つがあります。
❶平和な学生がいきなり戦場にブチ込まれて心も下半身も荒れに荒れた無印種の砂漠編
❷戦いから逃れて隠遁生活してたらギルに暗殺部隊差し向けられて絶望しながら戦いに身を投じた種死
キラくんはこんなんじゃ〜とか抜かしてる野蛮なナチュラルは種死しか見てないんですか?無印種忘れたんですか?
種死で戦争終わらせてコンパス参加して元敵のシンちゃんと和解してラクスとニコニコ笑顔で暮らせてさぁこれから頑張ろう!!!と思ったらなんかブルコスは消えないしザフトも頭CEだからノリノリで殺し合うしこんなクソみたいな戦いにせっかく和解した部下巻き込まないしで諸々抱え込んで荒れ始めたのが冒頭キラくんです。こんな顔は無印種でしか見れなかったはずです。大変な懐かしさを覚えました。
キラのキャラ付けについては以上のとおりです。ヘラる根拠は数多く描写されています。自分は好きです。
んで、恋愛脳ガーとかほざき始める愚劣なうえ童貞まで拗らせたどうしようもないナチュラルの世迷言ですが、福田両澤が描きたかったテーマを微塵も読み取れてない無能の極みなので恋愛脳に至る前のキラくんが絶望する敬意をナチュラルでもわかるように書いていきますと、
【前提❶】度重なる作戦行動でキラは疲弊しており、ラクスとの時間はあまり取れていない。
【前提❷】エンブリw…オルフェからの度重なるラクス匂わせとキラとの夜のレスバトル。(キラ完敗)
①グリフィンがキラに精神攻撃。キラ突撃。
②キラ、軍事境界線突破。威嚇射撃無視。ファウンデーション攻撃開始。
③攻撃開始宣言前に精神攻撃解除。キラ、ラクスの攻撃同意の声を明確に聴く。
④オルフェ、改めてラクスに確認。回線越しでの熱い死体蹴り。
これで絶望しない奴、居ますか?心が無まですり減った種死キラならノーリアクションかもしれませんがここでしっかり絶望してくれるあたり僕は今作のキラくんが大好きです。もう教祖じゃありません。
この後に頭カガリのアスランに修正されて、ラクスを取り戻す!ラクス大好き!ってなるわけですけどここだけ取り上げて恋愛脳!恋愛脳!って叩く人の思考が私はわかりません。無知蒙昧なナチュラルは映像を見たまま把握することもできないのでしょうか。
※ある程度知能のあるナチュラルはここで。『あれ?ラクスの遺伝子的パートナーはアスランじゃ…』とか余計なことを思い出すのですが、それはガンダムなので設定を焼却してください。
そもそも種死からして、『遺伝子で人の可能性狭めるの良くないよね!やっぱ人間の意思とか可能性って大事だよね!』ってのがテーマでしたが、今作もあんまりそのテーマは変わってません。むしろ“愛”にフォーカスして描写されてます。
ラクスとオルフェはアコードとしてなんか精神感応することでいかにも遺伝子操作された“作られたパートナー”感マシマシに描写されますがラクスはそれを人の意思、キラへの愛で粉砕します。これは種死本編でのデステニープランの否定と何ら変わりませんね。
また、これをごくごく小さなスケールで描写したのが
アグネス→キラとシン↔︎ルナマリア
です。遺伝子とか新人類みたいな大層なモンじゃなくても人の意思は能力や社会的地位・役割など他の何かに拘束される物じゃないよね?ってのが、尻軽クソ女のアグネスとルナマリアの会話で描写されてます。
アグネスは清々しいレベルの令和のクェスで典型的クソ女ですが、作劇上の役割は非常に大きいです。良い仕事をしました。
長くなりましたが今回の映画のテーマを私は「“愛”をテーマにした種死の再解釈」としています。
ここまで書いてまだ愛は〜とか恋愛脳はクソ〜〜とか抜かすのなら恋愛が全く絡まないガンダム見てください。あるんですかね?
あとカガリのエロ妄想キモい理論についてですが、確かにすごくキモいですが常に頭カガリなわけじゃないと思います(多分)。当該シーンはシュラくんが明確にアスランの心を読もうとした描写があり、読心が常時発動でないこと自体はアスランはストフリ弐式で接敵した際に把握しているのでおそらく読心ムーブに対して露骨なカガリのエロ妄想をぶつけて精神ブラクラにより反撃したと思われます(多分)。一応映画本編で描写された内容で組み立てましたがいかんせん描写されてないアスランの脳内はわからないので常時おっ立てた状態でコクピット座ってるかもしれません。ここは崇高なるアコードの皆様により補完をお願いしたいところです。
それでもガバガバなところは多々あるので個人的には80点です。が、素晴らしいガンダム運動会により5,000兆点加点なので得点は5,000兆80点です。
ロボットアニメとしては文句なしです
SEED DESTINY最終回で悔しい思いをした当時の10代に贈る完結編。
感情を取り戻したキラ、厳しくも優しい友人に戻ったアスラン。
そして待ち望んでいたデスティニーガンダムに乗ったシン・アスカの活躍シーンは最高の映画体験だった。
自分自身SEEDに残していた後悔が大きかった事に気付かされた。
ロボットアニメ映画としては文句はないのだが、世界をどう導くかという主張に対しては終始個人レベルの価値観で返すばかりで、イマイチ噛み合わない議論になっていてなにも進展しなかったのは残念だったかな。
与えられる役割は仕事レベルの話だし愛うんぬんはプライベートの分野の事で、議論のすり替えではないかと思う。
まあSEEDらしいと言えばらしい会話だったのだが、ラクスは終始保守派でしかなかったですね。
とはいえシンの活躍だけでも見に行く価値はあります!
戦争ドラマであることを放棄し、娯楽作品(恋愛モノ)に舵取りした結果
視聴層は当時は若者でも今となっては早ければ中学生くらいの子を持つ程のいい歳だろうに、昔なら楽しめたであろう子供の色恋を当時のノリでガッツリ描かれていても個人的にちょっとみてられなかった
すべてを悟った世捨て人みたいだったキャラが久しぶりに見たらこじらせた中学生の様になっていたら困惑するに決まっている
また、争いとか人種問題とか思想問題とかそういう現実でも明確に答えが出せない問いに関しても色恋と同じくらいSEEDの一つのテーマだったはずが完全に放り投げてしまっていた
監督にとってはコズミック・イラが戦火に巻き込まれ続けるためだけのただの舞台装置という認識だったんだろう
前半順調だった敵サイドが後半急に小物になり悪者ムーブかましはじめた結果、主人公サイドに手段を選ばない武力行使をされるきっかけを自ら作り、テーマについて何も答を出さず主役男女が生々しく合体して自分達に都合の良い愛を叫びそれを持たざるものを否定(と消去)して、最終的に世界のこと投げっぱなしエンドってだいぶひどいと思う
デュランダルがファウンデーションに変わったけど構造がデスティニーの終盤とほぼ一緒で都合よく強硬姿勢となった相手をただ武力で否定しただけ
強硬姿勢とデスティニープランがセットになっているおかげで主人公サイドに分があるように見えるものの、ファウンデーションが武力行使されるきっかけを作らず暗躍し世界にデスティニープランを提示していたら、武力で武力を否定することしか出来ないキラたちはその思想を抑えられなかっただろう
血が流れるのは嫌、争いが起こらない超高度な管理社会も嫌、デスティニー最期に「覚悟はある」と意気込んだものの劇場版開幕までの間、根本的な解決策を提示せず表面的な武力鎮圧を繰り返す、挙げ句疲れて嫌になってきている
そして今回またしても答えが出せず血が流れ続ける現状維持を選択したに過ぎない
TVシリーズから時が経ち心身ともに成長した主人公たちがなんらかの答えを提示しなければいけなかったのに、安っぽい愛(色恋)で誤魔化すようなオチを見せつけられては文句の一つも言いたくなる
愛という回答で決着させるのであれば、ファウンデーションを一概に否定するだけでなく、どんな相手だろうと相手の立場に理解を示したり思いやりの心とはどういうものか見せるべく自ら歩み寄ったり愛に飢えた心を慮り導いたりと(その結果何らかの心情の変化が相手に起こるなど)いろいろやりようあるはずが、最終的にファウンデーション側をただ全否定して事実上皆殺しって、こいつらの愛とは一体なんだ
社会問題にメッセージが込められないのであればいっそデスティニー後平和になった世界で敵の宰相のやつを恋敵にしての三角関係の恋愛モノでもやっていれば良かった
戦闘とかメカニックとか旧キャラの登場や見せ場とかはよく出来ていただけにメインに描かれた部分が残念でならない
往年の作品がこの時代に復活してくれたことは素直に嬉しかったものの、お祭りモノ同窓会モノと言えどもう少しどうにかならなかったのだろうか
なんだかんだ上映中退屈は全然しなかったんだけど、前半と後半で最早別物と言っても過言ではないし、ふざけたギャグに負けた敵さんたちに至っては不憫でしかたない
ここ最近の映画でいうと例のクレしん映画くらい無責任なメッセージ性が監督と主人公達に見て取れた
だけどもうキラたちも自分たちもあの頃のような子供ではないのだ
あんなに真面目(なSF)だったのに…
私はテレビ版SEED、SEED DESTINYのリアタイ視聴世代で、当時のシンの扱いやアスランの活躍のなさに不満を持ったまま新作映画の公開を長らく待ってました。
その私からすればこの映画はとても楽しめましたし、とにかく待ちに待った完全新作映画を出してくれた事に感謝です。
ただストーリーを成立する為に仕方なかったのかなと思いますが、アコードと言う後付け設定はこれまでの話との矛盾を感じましたし、後半の展開がラブコメギャグメカアニメになってて面食らいました。テレビ版はあんなに真面目(なSF)だったのに…。
むしろSDガンダムでやったほうが内容に合ってるんじゃないかな
よくまとまってて楽しめた
アニメは50話構成だったので、2時間弱の映画で話がまとまるのかが不安に感じていたが、杞憂に終わりきっちり完結させてて良かったと思いました。
今作は運命とは違いアスランが達観モードで要所要所での活躍がありカッコ良かったです。ライフリの危機にズゴックで駆けつけた所が特に好き。迷いがないアスランは強い。
前作闇落ちのシンも今作では良い感じのいじられキャラに落ち着いて好きになりました。
後半も無理に新機体を出さずに旧機体で戦った所が胸熱でした。特にデュエルとバスター。
マイナス上げるとしたら、洗脳系の超能力使う事と良くも悪くもラクスがでしゃばり過ぎてる所かな…。
今回の完結からすると同じキャラでの続編は難しいかなと感じましたが、コズミックイラの世界線で数十年後の世界を描いた作品を希望します。
ステラの扱いが酷いことに
成長していたのはアスランだけでした。シンもキラも全く大人になっていない。新人類アコ-ドもどこが優秀な人材なのか、アスランに余裕に撃破されてあっけなかったです。
First Seedが遺伝子組み換えによっておこる副作用や人種差別などの問題点として、描かれていた重厚作品だっただけにがっかりしました。今作は何が訴えたかったのかな?
ステラも怨霊みたいな扱にされていて、哀れみを感じました。キラとラクスの暴走が凄すぎでどうしたのかな?そんなことで揺らぐ絆ではなかったはずです。
フレイやミ-アのような強烈なキャラも登場しなかったし、ナタルのような壮絶な最期を迎えるキャラも無く、特に感動的な場面がありませんでした。2時間枠だとやはり無理があるのでしょうか? ところで、アスランのセリフで<俺の知っているラクスは>のシ-ンのところで、皆が<ええええ>とか驚くんだけど、元婚約者なの知らないわけないですよね。
バルドフェルドさんがセリフもあまりなく、少し出てましたね。イザ-クももっと活躍してほしかったな。親子の言葉が無くても、通じ合うってとても良い関係ですね。
ラクスのハロお握りは可愛かったです。でも、料理作りすぎでしょう。理論派アルバ-トさんの解説が凄すぎて、面白かった。
恋愛7割、その他3割って感じ
ガンダムで恋愛が見たいんじゃなかったのに残念。
戦闘も良かったし、映像も良かった。
キラシンアスランのそれぞれのらしさ、みたいなものも見えた気はしますがそれに愛を一々絡めないと成長できないのか、となんか悲しい気持ちにもなった。
フリーダム強奪事件とか前振りを含めてを見てみたかった。
ほぼ新キャラが明らかにキララクのブースト剤の当て馬感あって不快だったし、
キラの境界線超えた問題も特にどうすることもなく愛があれば全て解決!みたいな流れ理解できなかった。
まだラクスの力が暴走して世界を破滅に、それをキラの愛の力で、ならまぁまだよかった。
CE世界に戦争がなくなることはないと勝手ながら私は思ってますが、キャラの年齢が若すぎて考えてることやってることがなんか成長してなくて全体的にこんな評価。
また見たいとは思わないな。
何がそんなに絶賛拍手喝采なの分からない。
ニュータイプを完全に倒してしまった
まず、純粋にアニメ、娯楽作品として今作は素晴らしかったです。オマージュとしてギャンやゲルググ、そして、赤いズゴック!が出てきたのは、個人的には楽しめました。
それにしても監督はすごい事をしましたね。
ニュータイプを過去のものにした。ニュータイプを時代遅れの存在として描いたのが今作です。
今作の『アコード』とはつまり、コーディネーターに他者の思考とつながるニュータイプ能力を加えた存在です。
最初にキラは、アコードのニュータイプ能力を活用した思考誘導のような能力で一種の催眠状態におちいり、暴走し敗北します。
これは面白いアイデアだと思いました。
ニュータイプ能力は相手の思考を読む事ができます。さらに発展するとニュータイプ能力者同士で会話もできるようになります。
そこから一歩進んで、ニュータイプ能力を持たない相手に精神的に語りかける事で、特に今回のキラのようにニュータイプ能力の事を知らない無防備な相手に効果的に思考を誘導し、催眠のような幻覚のような影響を与える事ができる、というわけです。
アコードたちは、おそらくキラの頭の中で「あいつだ!」「逃げるぞ!」「逃がしてはいけない!」「追わなければ!」とささやきかけたのでしょう。キラはそれを自分の考えと混同して、誤った方向へ思考を誘導されたわけです。
だが、ニュータイプ能力はそれがあると知られてしまえば簡単に対処できる、と監督は知らしめたわけです。
シンは『思考しない』という方法で。複雑な事を考えず、シンプルに『突撃する』とだけ考え、相手が対処できない程の速さと力で圧倒して勝利します。
アスランは『余計な事を考える』という方法で。思考を読まれていると知ったアスランは戦闘中に急にカガリとの事を妄想して、それを急に読まされたアコードは動揺して隙を作り、そこをアスランは狙って勝利します。
別にアスランが普段からエロい事を妄想してるわけじゃないよ!戦争というタナトスに対して相反するエロスを持って対処したのです。たぶん。
キラとラクスは『圧倒的な大威力攻撃』で。思考を読まれていようと関係無い程の大規模・大威力の広範囲殲滅兵器によって勝利します。
マイティーストライクフリーダムガンダム!名前が長いです。
もちろんそれぞれ強く意思を持つ事で対処が可能になるわけですが、こうも簡単にニュータイプ能力に完封勝利するとは。
ガンダム世界の戦闘において、『ニュータイプ』つまり『富野由悠季』を時代遅れの存在にしてしまいました。
まぁ、そもそも、ニュータイプ能力とは戦闘のための能力ではなく、他者との共感のための、むしろ平和のための能力なわけです。
だから、それを戦闘に利用する事しかできなかったファーストガンダムは悲哀に満ちた物語になった。「悲しいけどこれ戦争なのよね」という名言に集約されます。
さて、一転してガンダムSEED世界は今後、さらに世界は混迷の時代になっていく事になります。
コーディネーターとナチュラルの対立は解消されず、世界中の紛争の種もそのままで、究極の管理社会であるデスティニープランは完全に破棄されました。
愛と自由意志で、という理想だけを持ったキラたちの未来は明るいものではありません。
今回のエンディングはファウンデーションを打倒しただけで、ファウンデーションとはデュランダル議長の残したデスティニープランの残党だったに過ぎません。結局、世界は今作の最初の状態に戻っただけです。キラの悩みは消えず、世界平和は遠く。
しかし、『ファウンデーション』とは、ある意味、示唆的ですね。これはアイザック・アシモフでしょう?
アシモフの銀河帝国シリーズも最終的にはファウンデーションは否定されました。そして『ゲイア』への道が開かれるわけですが、ガンダムSEED世界もゲイアへ向かう事ができるのでしょうか?
ちなみにアシモフの『ゲイア』とは簡単に言うと、人間だけでなく全ての生物・無生物をニュータイプ的な能力でつなげて、個人でもありながら全ての存在をひとつの存在にまとめあげる、というものです。私であり、あなたであり、全体でもある、という究極存在への進化を描いたものです。
個人的にSFファンとしては、監督には責任を取ってそこまで描いて欲しいものです。
人間が大事にすべきは存在性で機能性ではない。
改めて見るとガンダムseedは随分時代を先取りしていたんだな、と感じる映画でした。
昨今、コスパやタイパという言葉が蔓延り、snsには自分のメリットやデメリットがあるかのみを基準に言葉の発信が行われる。
また、進化するAI技術に注目すること自体は良いが、むしろ人間の側がAIに近づいており、機能的、計算的、生産的視点でしか人を見なくなってきている。(出産直前の人を解雇してしまうような、昨今のビッグテックの無慈悲なレイオフにも見られる)
この映画のキーフレーズは、ラクスの「必要だから愛するのではない、愛するから必要なのだ」という言葉。
人が人を機能性でしか見なくなったら、そこにはどんな寂しい世の中が待っているのだろうか。そんなことを考えさせられた作品でした。
唯一引っかかったのは、女性の身体の描き方が男性目線すぎること。カガリは良いとして(笑)ラクスやルナマリアの女体の描き方が個人的に好みではないので4.5としました
SEEDファンのSEEDファンによるSEEDファンのための…
SEED愛が溢れた映画だと感じました。
粗かったり雑な部分も多いので、映画ファンやファーストガンダムファンに不評なのはわかります。
ただ細かいことは無視してでも、SEEDファンを楽しませることを第一に考えているのがビンビン伝わってきました。
前半は重めでしたが、キラの悩みや人間臭い弱さを見せてくれたことで魅力がグッと増しました。正直ディスティニーでのキラは、スカした感じで好きではなかったので…
アスラン登場あたりから盛り上がっていき、ニヤニヤするような展開が散りばめられていきながらどんどんアドレナリンが出てきて、マイティー合体シーンでは脳汁ドクドクでした!
あそこは私の好きな作品のオマージュが上手いこと組み合わされていて最高でした!(ラクスのパイスーと出撃シーンはクロスアンジュ、ミーティアのBGMと共に合体はガンバスターやグレンラガン、マイティーの機体はアストレイシリーズのいいとこどり、など)
他にもシンの暴れっぷりだったり、シンルナ、アスカガ、ムウラミのカップリングだったり、ルルーシュみたいなチートキャラだったり、過去作キャラのチラ見せだったりと、見どころが多すぎてお腹いっぱいです。
残念な点を挙げるとすればライフリ、イモジャがもう少し活躍して欲しかったですね、まあ2時間で納めないといけないので仕方ないですが。
総合的に満足感はとても高かったので、もう一度観に行こうかな。
あと早くガンプラが欲しいなぁ、主役機だけじゃなくてバスター、デュエル、アカツキまで完全新規で出してくれることを期待してます。
期待を裏切らない面白さ!
当時学生として観てファンとなり、20年経った今観ても変わらずの面白さです。
当時のファンなら楽しめると思います。
終盤にギャグ要素はありますが、特に問題ないレベルです。
当時の学生の頃なら文句言っていたと思いますが、いい大人になった今となっては気にならないです。
シンのガキっぽさ
アスランのかっこよさ
当時のまんまで見応え十分です。
今回は愛がテーマでした。
前作までは、キラとラクスがどういう関係なのか、愛し合っているのか微妙な描写しかありませんでしたが、今回の作品で完全に補完されます。
感動しました。
予想以上に、王道な展開とメッセージの入った映画で20年前の種は発芽して傑作になった!
結論から述べると、冒頭からガッツリ見せ場があり、初見でもリテラシーが最低限有れば分かる範囲で、人物や展開もされるので、ファン・サービスムービーのカタチではあるが、割と万人にススメられる傑作。
ネタバレあり
モビルスーツ戦の大きな見せ場も複数あり、冒頭の勝利からの一転して手痛い大敗を受けて挫折する主人公のキラ・ヤマトを仲間たちが支えて、ラクスとの愛により強敵に勝利するのも王道で、愛と精神性を臆面なく語れるのはアニメの良い部分だと思う。
メッセージもナチュラルとコーディネーターの優越を超えて共存を訴えるのは、ヘイトが蔓延した今に必要だと思う。アニメや特撮は、それを訴えてきたはず。(肌や言語や文化は違えど人間の本質は変わらない)
キラとラクスと最後に対峙するオルフェとイングリットの対象的な描写も、定番だが上手い。
声優について
個人的にはオルフェ役の下野紘さんの哀しき強敵振りが特に良かった。(ラーゼフォンの時からキャリアを重ねていて、いわゆる童貞感ある少年役やギャグ担当のキャラが多い印象だったが堂々たる演技)
残念なのはカガリ役の進藤尚美さんが、不参加なのは過去の事情もあるかも知れないが、強引な声優キャスト変更で、往年なファンをガッカリさせたZガンダムの映画版の時から変わらない部分なのは複雑で、作品のメッセージにも矛盾をもたらすので、和解して欲しかった。(代役の森なな子さんもお見事に役割を果たしていたけどね)
気になるところ
ちょいとリテラシーのいる人物描写や敵味方や攻略場所の位置関係が分かりにくい戦闘場面は、もう少し見せ方を、工夫して欲しいとは思う。(戦闘描写や3DCGによるメカ作画は良いと思う)
TVの時から思うのだが、ガンダム系以外の機体のデザイン(ザクやジン)は、ゴテゴテしていて今ひとつ馴染めない。
今回の敵側やジオン系をリファインしたゲルググやギャンなども正直カッコよくない(好きな人にはすいませんがあくまで個人的に)
ただアスランの搭乗するズゴックはオリジナルに忠実で、大昔のマンガ版を彷彿される宇宙戦まで見せてくれるサービスどカッコ良さ。
福田己津央監督作品は、TVアニメ、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』を少々と『GEAR戦士電童』が割と傑作だと思っているので、ガンダムSEEDシリーズは楽しんで見ていたが、展開や演出に少し?妙になクセ(唐突な父揺らし)とかがあり余り熱心な視聴者ではなかったが、当時はとても人気がありソフトやプラモも人気だったが、往年のガンダムファンの一部がアンチ化してエライ叩かれていた印象でもあった。(Gガンダムも同じだけど)
ガンプラなども作っているので、SEEDシリーズの重要性は認知していたが、映画化の話しは途絶え気味でその間に、ファーストガンダムの安彦氏が関わったオリジンのシリーズや「逆襲のシャア」の正式な続編でもある『閃光のハサウェイ』(こちらも良作)などがあり、正直忘れていたが昨年突然公開されると報じられ、経緯を見ていたが、公開初日の感想を見る限り期待出来そうなので鑑賞した次第で、予想以上に、王道な展開とメッセージの入った映画で20年前の種は発芽して傑作になったと思う。
SEED好きでも割り切れないとがっかりします
投稿したレビューが二度も消されました。
レビュー工作ってあるんですね。
SEEDの世界観を大事に思っているファンをこれ以上失望させないでください。
公開初日に見に行きました。
SEED歴20年近くあり、SEEDを経て他のガンダム作品もU.C.中心に複数見てきました。
前半は、説明不足のシーンが多かった。
制作側はそりゃ設定が頭に入っているんでしょうが、視聴者はDestinyの続編と映画の公式HPで与えられた情報しか知らないんですよ?
わかってる前提で話が進められても、視聴者は置いてけぼりです。
でも映画に通う回数を重ねたり、パンフレットや小説を読めば理解できるのかなと思っていたので、まあなんとか見続けることができました。
ですが、キラがいきなり敵に操られてから今までのSEEDの世界観じゃなくなり、付いていけませんでした。
ギアス要素取り入らたのなら前もって言って下さい。
オルフェとラクスが対の遺伝子で〜
はあ?ラクスの対の遺伝子はアスランでしょ。
対の遺伝子としてプラントの婚姻統制のプロパガンダしてた設定はどこいったんだよ?
その設定だったから、Destinyでデュランダル議長はラクス(ミーア)をアスランの婚約者にしたままにしといたんでしょ。
ブラックナイトが乗るハイスペックなMSを作れるほどファウンデーションは技術力、財力があるのに、Destinyで頭角を現さなかったのは何故?
後付はするのはいいけど、もっと綺麗に後付してください。ツッコミどころ満載。
後半に至ってはキャラ崩壊、ネタアニメと化します。戦闘シーンは一昔前の深夜アニメのノリできつかった。
イザーク、ディアッカはDestinyよりも有能に描かれていましたが、メインキャラたちがネタアニメの世界観にいるのに、イザークたちだけC.E.の世界観にいるので、違和感がすごい。
過去二作のC.E.の世界観を好きな人にとって、後半シーンは絶望でしかなかった。
死んでいったキャラたちが浮かばれません。
恋愛面ではシンルナは普通のカップルとして描かれていて視聴者にも受け入れ易かったですが、キララクアスカガは恋愛脳で違和感がすごい。アスランは変態キャラに…
戦闘シーンも一昔前の深夜アニメのノリでキツかった。
新キャラのアグネス、過去二作で桑島さんが演じるキャラたちは主人公の成長に欠かせないキャラだったので期待していたんですが、劣化クェスでしかなかった。クェスのほうがまだ同情できるし可愛げありますよ。
ネタアニメとして割り切れる人なら楽しめるかもしれませんが、過去二作のSEEDの世界観が好きな人は見ないほうがいいです。
こんな映画なら、都市伝説のままで良かったと思います。
★5クラスの作品だけど正確には★4.9?細部の悪ふざけが受け付けなかった全体としては素晴らしかった
中1からSEED見始めて思春期に見たからか記憶に強く焼き付いてる作品でおもしろかった。いまでもたまに見返す。
で、感想。
俺が感じた不満点は2つ。
カガリの妄想いる?見てて冷める。おっさんのギャグ感がある
フリーダム強奪事件とは?とか調べたら製作が鎮座した企画がどうとか
あとは怒涛の転回でした。前半に貼った伏線が一気に回収されていく。
今回の映画でシンが好きになった。
裏切ったパイロットが馬鹿にしてたシンとまったく同じ形で月に墜落するのは伏線回収でおもしろかった。
また前回レクイエムを死守していたシンたちが今回は主人公側のキャラクターとしてレクイエムを撃破するシーンはかなりエモかった。ルナマリアとめおとで戦うのも言葉で表しにくいけどすごくよかった。キラ、シン、アスラン、でそれぞれがパートナーとの愛をテーマにしているかのようで結局遺伝子よりも思想や心が大事っていうところにみんなが漠然と求めてるものを感じた。鬼滅の刃みたいだった。
ズゴックにインジャが隠れてるのも予想してたら本当にその通りだった。
PCからデスクトップ立ち上げるとニュースサイトの情報が表示されていて、そこに新型ガンダムの写真がアップされてる。だからいつ登場するのか考えながら見てしまった。何も知らずに感動したかった。
新型でデュエルとバスターが核エンジン搭載した状態で出て来て、ミーティア使ったのもあって3重、4重の意味でよかった。SEEDDESTINYでイザークとデュアッカがザクに乗るんじゃなくてデュエルとバスターに乗っててほしかった感があって、20年ぶりにそれが果たされて、これが見たかったんだ!って満足感があった。イザークには本来核搭載した新型機フリーダムが渡されるはずで、それをキラにパクられた。その積年のなんやらを核搭載したデュエルを手に入れることで解消してくれた。
アスランは結局メイリンなのかカガリなのかどっちを好きなのかわからなかった。たぶんカガリを愛して大事にしてるけど、肉体的なパートナーとしてはメイリンを愛するって感じかな?それとも特典小説にその辺が保管されてるのか?インジャはリモートでコントロールされてるから戦える。それってアスラン操縦してないの?でも操縦もしてるから最後に頭のソードで攻撃ができたのかな?強さはギュ術じゃなくて気持ち的なこと言ってて、あのシーン格好よかった。
とにかくシンとデスティニーがよかったのとルナマリアが以外とよかった。シン=山猿みたいなやつを愛してくれる。ふところの深い女性なんだと、よかった~。
製作陣と監督に感謝をささげたいのと、ガンダムSEEDシリーズを作ってくれた故人、監督の奥様にも深い感謝を感じています。
最悪な公式設定
・ラクスは人々を導くために作られたコーディネイターを超えた存在
・アスランは命を賭けた戦闘中カガリのエロい事を考えている
色々と突っ込みどころはあったけど、この2つは特に公式が描写しちゃダメでしょ…
キラが一人の少女に少しずつ心を開いていくところも「ラクスがそうなるような存在だったから」ってなっちゃうし、これまでアスランがまじめな顔してるシーンも「でもこいつ今エロい事考えてるんだよなぁ」って可能性が0じゃなくなったわけだし。
ガンダム映画を1作で綺麗にまとめる方が難しいし、話めちゃめちゃな過去キャラ大集合のお祭り的な内容になってもいい。
ただ「この描写入れたらSEED、DESTINYの話がおかしくなる」って誰も思わなかったのか、それが放映されたのがすごく残念でした。
凄く評価するのが難しい作品
何年も待ち続けたSEED世界の完結か、と思って観ると何の解決にもなっていない0点の作品。
ただ単純にガンダムSEEDのファンとして楽しむお祭り映画と考えたら100点の作品。
観た直後だとまだ気持ちの整理ができていないのか、もしかしたらもう1回くらい観て追記するかも。
とりあえず桑島さん生きてて良かったね。
これで完結?
内容的にデスティニーの続編ですが、相変わらずめちゃくちゃ人が死ぬ。本当に一般人が死ぬ。このままいったら地球が壊れるくらいめちゃくちゃやってる。
世界は一向に平和にならないのに、個人レベルで愛がどうのとひたすら言ってた。キラとラクスの絆は深まったんで良かったね、という感じ。あくまで個人レベルで。
悪くないんだけど、20年待った甲斐がこれかぁ…ていう感は否めない。
個人的にはアスラン推しなんだけど前半全然出てこないし。後半インパクト強すぎたけど(笑)
戦争終わったらモビルスーツいらないからアニメとして成り立たないんだろうけど、外交による平和も大事よね。今度こそ平和な世の中を作るべく、アスラン視点で続編作ってくれないかなぁ。
結論としてマリュー・ラミアスがひたすら格好いい映画でした。
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