MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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少々、欲張りすぎの感あり
我々日本人自身が、水俣病問題(事象・リカバリ・補償ケア 等)は過去の一時期の事象であり、既に解決済みと軽んじた薄認識であったところを呼び覚ましてもらえた点は高評価したい。いっぽう、主人公が二人の子供が居ながら何故人生をあきらめようとしていたのかと、一定成果を挙げた後の人生の歩みに触れていなかった点が中途半端でした。チッソ側は社長のみがフォーカスされていて、単なる悪者扱いにすぎず、陰で問題視する社員が居たのではと触れていなかった点も中途半端でした。そしてドキュメンタリーとするのであれば、現在に至る経緯まできちんとしていただきたかったものです。昨年(2020年)のFukushima50の良さが思い起こされました。
被写体とカメラマンの関係
この映画には多面性があり、私は「カメラマンは事実のみを写す」ストーリーとして楽しみました。 「1000の言葉より1枚の写真が雄弁に語る a picture is worth a thousand words」 「百聞は一見にしかず」に近い意味合いで、英語圏や中国語圏の諺(ことわざ)としてよく使われます。 本作中でも、主人公ユージンがこの言葉を口にします。 しかし、SNSで知るように、映像の意味合いを間違って伝えたり、切り取り改竄してコラージュフェイクを流したりできるのもまた映像です。 そんな中で、揺るぎない映像とは、「事実」のみだと。 事実に迫るには、人に対しても自分に対しても嘘をつかないこと。 被写体となる人物をカメラマンが理解し、またカメラマンのことを被写体にも理解してもらう。 被写体へ寄り添い、信頼を得て、初めて偽りのない姿を撮ることができる。 太平洋戦争の従軍カメラマンとしてかつては名声を得たものの、広告収入主体の「LIFE」誌の編集方針と対立し、PTSDを抱えて借金まみれのアル中に身を落としたユージン。 彼の姿を通して、カメラマンの在り方、ひいては国籍性別しがらみなど全てを抜いて、「人と人のつながり」を伝える どうしてもメインのテーマに政治性を含む作品ではあり、批判や反発を招くのも分かりますが、カメラマン視点で見てみるのも一興だと思います。 =========== あえて政治を含めて踏み込むと、ドラマチックな仕上がりにすることが主体で、多少の誇張や事実改変はあるものの、「よく調べたな」というのが率直な感想。 事実改変といっても、ユージンが企業側に暴行されたのが水俣の工事として描かれていたが、実際には千葉工場であるなど。 短い時間に収めるための工夫に止まる、という印象。 水俣で撮影が許されず大半が海外のロケとなったのが「リアリティがない」と批判されがちだが、撮影許可を出さなかったのは日本の政府や自治体側のせいなので、映画スタッフを責められないと思う。 撮影に協力しなかった理由として、「今更、水俣を掘り返さないでほしい」という意見も、この地にはあるのもわかります。 感染する病ではないのに、「うつる」と差別に使われてきた経緯も知っています。 しかし、未だ同一症状に苦しめられながらも、水俣から少し離れた地域の人々は被害者と認定されず、十分な補償が受けられていないのも事実。 1960〜70年代に被害者が多数出ながらも企業や国が揉み消しを計った時と同じように、再び自治体や国が水俣病を「なかったこと」にしないか? 東日本大震災では「ここまで津波が来たことがある」という言い伝えを無視して、街や原発が水に沈みました。 事件の風化により、日本で、また世界のどこかで同じことがまた起きないのか? 実際、タンザニア、モンゴル、ブラジルなど、世界中で水銀、鉛、重金属の違法排出や、水道への混入事件が起きています。 そんな中で、水俣病の事件を忘れさせ風化させることは、本当に「国益」に叶うのか? そんな不安すら抱かせる内容とも捉えられ、意義のある作品とも受け取れました。 =========== それはそれとして、坂本龍一の音楽がうるさくて、少々興醒め。 感情誘導が露骨なのと同時に、騒がしくて、作中から現実世界に引き戻されました。 もう少し、寄り添うような音の大きさで使用すればいいのに、とも思いました。
現代の日本人全員が観るべき映画
私は、現在18歳の高校生です。
正直、水俣病のことは小学校の授業で少し習った程度で、自分が生まれる何十年も前のことだったので自分には関係のない遠い昔の出来事ぐらいの認識でした。
でも違った。水俣病に苦しんでいる人は今でも沢山いて、そしてこのような公害は世界中のいつどこでも起こり得る出来事だった。
そして今、私たちが当たり前のように新鮮な食物や安全な水が飲めるのは、間違いなく水俣病含め公害に対して戦ってきてくれた人達がいたから。
公害の原因を作ったのは人間ですが、それを止めてくれたのも人間。もし当時の人達が戦うことを放棄し、泣き寝入りするような状態だったら被害はもっと拡大していたでしょう。それこそ、現代を生きる私たちも当事者になっていたかもしれない。
だから、あの時諦めずに戦ってくれた人には感謝しかありません。
ですが、今が平和だからといって必ずしも公害が起こらないとは限らない。
地球温暖化のようにゆっくり着実に来る公害もあれば、福島第一原発事故のように突然来る公害だってある。
私たちは、私は、きっといつか必ずそれらの当事者になる。その時、はたして水俣病に立ち向かった人々のように戦うことができるのか?いや、本来ならば今すぐにでも立ち上がって公害が起こらないように戦うべきなのでは?
最近よく耳にする持続可能な社会という言葉。ずっとこの言葉を聞いては偉い人が何とかしてくれるだろうと他人任せにし、環境問題についてのニュースを見てもどこか他人事だった。
でもきっとそれじゃダメなんだ。水俣病に立ち向かった人達のように、これから先の未来を生きる自分が、そしてこれから生まれてくる新しい命が笑顔で暮らせるように行動しないといけない。
そこに関係のない人なんかこの世のどこにもいなくて、誰もが加害者であり同時に被害者で。
上手く言葉にできませんが、今のこの世界の問題から決して目を背けてはいけない。そう思わせてくれる映画でした。
特に最後のエンドロールで流れる世界中で起きた公害の写真がその思いを強めてくれました。
私が知らないだけでこんなに多くの公害が起きて来ていて、そしてきっと今もどこかで苦しんでいる人がいると思うと心がとても痛みました。
公害はもはやその国の問題だけじゃない。世界の問題で、国とか人種とか関係なくその問題にみんなで立ち向かって助け合えるような社会。それこそが本当の意味での持続可能な社会なのかなとふと思いました。
勿論そんな簡単なことではないということはわかっています。でも、簡単じゃないから、限りなく不可能だからと言って何もしなければ本当に不可能になってしまう。
一人一人の力がどれだけちっぽけでも、行動しなきゃ何も始まらない。そんなメッセージも感じられた映画でした。
大切なこと
水俣病を世界に知らしめてくれたのは、キャリア終盤のアメリカの老カメラマン・名カメラマンだったことを初めて知った。 自分が公害の被害者でなければ、目の前の生活だけしか見えなくなるかもしれない。お金が大事。経済が順調に回る事と、環境が破壊されていく、生き物にダメージを与えていく事。前者は分かり易いが後者は気づきにくい。全て他人事になってしまうかもしれない。 ましてや何も知らなければ、無用の騒ぎを起こしている人たちが、自分の生活を脅かしているように感じてしまうかも知れない。 真実を知らせる事、知る事は切実に大事なことだ。 素晴らしい映画だった。勉強になりました。
心に焼き付く入浴の写真
女性の子守唄ではじまるシーンが印象的でした。後半でそれがあのようにつながるとは。
小屋に火をつけられたり、大ケガをさせられたり、本当に大変な目にあったユージン・スミス。
外国から来た人に写真を撮られたくないと感じた人も多かったのだと思います。
あれらの写真が撮れたのは、やはりアイリーンの仲立ちがあったからでしょう。
アキコちゃんと一時間お留守番をするシーンも心に残りました。
あの入浴の写真は忘れられません。
ジョニー・デップがこの映画を作ってくれて本当によかったと思います。
色んな意味でショックを受けた
昭和四十年台生まれの私は 小学校の時に 社会の授業でだったか水俣病とかいたいいたい病を習いましたが 怖かった記憶が蘇りました。 正直な話し あの当時は今より差別が当たり前のようにあって それは身体障害者に向けても。 なので水俣病の方たちの写真に衝撃をうけてしまった記憶が蘇り あの当時は自分もかなりの無知で 学校の先生が相当な日教組よりの思考の持ち主で 偏見教育をうけてきたことも 色んな意味でショックだ。 ちょっと小学校教育に話がそれたが 障害者に対しての差別が根深くあった時代 家族にいたら隠すように暮らしたりしていた。 なので、家族の写真を撮られる事はとても勇気のある事だっただろうし 実際、水俣病に認定される前はかなり差別されただろう。 それにも戦いながら チッソの会社とも戦い その姿に震えが止まらなかった。 かなり心にささりすぎる 映画の内容でした。 それでもいまも世界のどこかで起こっている。 弱きものは弱いままなのか。 考えさせられる
写真を撮ると魂を奪われる
水俣病。教科書に写真が載っていた様な気がします。当時、テレビでも騒がれていて映像から驚きとショックを受けました。汚水を海に流して汚染された魚を食べた人達が犠牲になった事件。水銀中毒 痛ましい事件 忘れていた記憶が蘇ってきて大きな事件も年月が過ぎて忘れ去られて終うと思った。裁判で勝利したところもテレビでみて解決したと思っていました。 世界の国々で沢山の公害がありますが日本では福島の原発事故での大気汚染と土壌汚染そして海も汚染されました。人が住む所には公害が付き物なのかもしれません。後の人達にこの悲惨な思いを写真や映像を残す事が。大切なことですね。
ジョニー・デップから教わる日本の真実
社会の教科書で見た記憶がある水俣病の写真。アメリカのフォトジャーナリスト、ユージン・スミスが撮ったものだと初めて知りました。 日本の負の歴史に対して誠実に向き合い真摯なメッセージを届けてくれる意義のある作品だと感じました。スミスの写真が無ければ、スミスが戦ってくれなければ水俣病の問題は別の結果を生んでいたのでしょうか…? 日本では失われつつあるジャーナリズムの重要さを強く感じました。 森友問題。桜を見る会の公職選挙法、政治資金規正法の問題。国連からも指摘される入管の人権問題、スリランカ女性死亡の問題。納得出来る真実が明らかにされることはあるのでしょうか? 今の与党が当たり前のように繰り返す虚偽、隠蔽。「答えは差し控える」が常態化した不誠実な答弁。権力の監視役としてジャーナリズムが機能しているとは思えません。 エンドテロップで世界で起きている産業公害が紹介されます。忘れてはいけないことは、自分もそんな加害企業や日本政府から恩恵を受けている事実。 そして毎日買う買うペットボトルをはじめ多くの消費が環境汚染に加担している事実。
最後の一枚
最後の一枚の美しさがただただ印象に残る。
美しいというと語弊があるかもしれないが、本当に美しく感じたのだ。
公害によって痛ましい姿になり、介助がないと生きていけない体になってもその一枚の写真から感じるのはそれらを全て超えた普遍的な親子の愛だった。
映画はこのラスト一枚に向けてドラマチックに構成されている。
水俣病患者とその家族の苦しみ、ジャーナリストとしての苦悩、企業の妨害それらを乗り越えて撮影されたあの一枚だからこそあんなに感動できるのだろう。
正直な話水俣病は義務教育で習った「歴史上の出来事」といったイメージだった。
しかし、この映画がきっかけで調べてみると現在でも水俣病関連の裁判や水俣病と認定されるかどうか、患者家族の生活の困窮など水俣病という公害はまだ終わっていない事を知った。
そういう問題提起の映画として偉大な役割をこの映画は果たしたとおもう。
が、やはり一部には脚色もあったようで写真の現像をしていた小屋が燃やされるなんてことは無かったらしい。
後、アイリーンとは水俣で愛を育んだように描かれていたが、実際は結婚してから水俣にきたらしい。
ユージンスミスが暴行を受けたのも水俣ではなく千葉県五井の工場だったらしい。
このように脚色されているということも念頭に置いておく必要があると思った。
(´-`).。oO 世界は理不尽だ、、、、。
レビュー高評価!試聴してみました。 邦題の通り、水俣病告発と米フォトグラファーのユージンスミスの奮闘の話。 水俣病の娘とその母の入浴写真を撮るユージン、自身傷ついた身体で大切に写真を撮るシーンはこの映画の見せ場。 魂が震えた。イオンの駐車場でレビューを書きながら号泣です。 ユージンの有名な写真。 マリアがキリストの亡骸を抱えるピエタの構図。聖母の慈愛の眼差し、罪なく朽ち果てようとする娘。どうしようもなく拳を握る私。理不尽だ。 出来る事なら代わってあげたいと思うのであった。 そしてエンドロール、、、世界で今も続く公害薬害を紹介。 怒りに震えるのである。
なぜ水俣でロケが出来なかったのか?ただそれだけが残念
かれこれ35年水俣の甘夏を買い続け支援してたので非常に楽しみにしてました
ドキュメンタリー映画ではないとは言え水俣の美しい海や山の風景がまったくないのには残念でしたが、俳優の演技は素晴らしく、内容も水俣のことがわかりやすく表現されており多くの人に観て欲しいと素直に思いました
追記
冒頭で「史実に基づくものである」と大きく画面に表示されて始まり
現存するチッソ株式会社の法人の実名や固有のロゴを登場させて
あたかもドキュメント風に映画を作ったまでは良かったにしても
事実に反した完全な大きなフィクション(創作)が2つあり
一つはユージンがチッソ工場内に入って社長から金を出された事実はない
もう一つは作業場が放火にあった事実もないということ
これは観た人なら解かるはずですが大きな映画のポイントになっていて、いうなればプロパガンダ的な演出と言われても仕方ないと思われます
ロケ地についてもすべて海外と言う中途半端なものになってます
せめて冒頭で「史実に基づく事件ではあるが、内容についてはフィクションである」とでもしてけば娯楽映画として楽しめたのに残念である
歴史を噛む
水俣病は、歴史の授業内で何度も聞き、その度にどのような症状が出るのかということは学んできました。ただ、深いところまでは学んでいなかったので、今作はとてもタメになりました。
今作の主人公ユージン・スミスは1人のカメラマンですが、酒に溺れ、かつて所属していたライフ社とも揉めており、死を考えるほどになっていました。現実のジョニー・デップもここまでとは言いませんがゴタゴタしているので、かなりリンクしていてナイス配役だなと思いました。
今作はなんと言っても、病と同じくらい病に苦しんだ人やその家族について強く描いています。特にユージンかま撮影した写真、風呂場で母親と娘がもつれ合っている写真、観賞後に実際の写真を確認しましたが、衝撃的なものでした。他にも目が左右に寄れている子供や、指の関節がままならない人など、見ていて辛い、けど背いてはいけない現実を目の当たりにしました。
ユージンも最初は水俣や土地についても無関心でしたが、段々と人の優しさに触れ、協力的になっていくのも、ユージンが元々持っていた優しさと辛抱強さが垣間見える瞬間でした。
訴訟も無事に勝訴し、一件落着とは思いましたが、エンドロールで流れた根本的な金銭問題などはまだ解決していないということです。安倍元総理の発言もピックアップされ、65年続いてもなお、闘いの歴史は続いているということを痛感しました。
とても難しい内容のはずですが、そこまで気負いする事なく観れました。日本のことなのにまだ分かっていないことも多い、色々と調べてみようと思いました。
鑑賞日 9/26
鑑賞時間 13:55〜16:00
座席 G-2
水俣病も世界の公害問題も現在進行形
苦悩し、もがきながら様々な障害を乗り越え、水俣病を世界に知らしめ、原告団に寄与したユージン・スミスの行動に感銘。「水俣病も世界の公害問題も現在進行形」な事を実感(エンディングテロップ前に、“世界の公害実例“が流れた)! アイリーン役の美波さんが印象に残る。
ユージンの魂を演じたジョニー・デップ
ユージンが活動家のリーダーであるヤマザキの通訳を介して真摯な気持ちを自分の言葉で伝える。このシーン以降、最後まで魂の震えが止まらなかった。ユージンは、フォトグラファーとしての使命だけではなく、人間として歩むべき道が見えたのだと思う。 ユージンがとった写真は、水俣病の悲惨さを説明なしに伝えることができる。この写真を見て、今すぐ行動を起こすべきと理解するまでは、たった数秒。写真が持つ力を再認識した。 水俣病が単なる歴史的な事実に置き換えられてしまいそうな今だからこそ、映画化された意味があると思う。水俣市の対応が皮肉にもそれを証明している。 エンドロールで示されているが公害は撲滅されていない。今なお、世界各地で現在進行形で起きている。
晩年の写真家の眼を通して
写真家ユージン、晩年の彼を通して見る水俣。
年老い堕落した彼と情熱をもつ女性そして水俣に住み苦しみながら生きる人々との触れ合いを通して、もう一度写真家として戦いに身を投じようとする彼の姿に共感を覚えました。
何かを伝え変えようとする人々、そこで平穏に暮らしたい人々、そして接することを遠ざける人や家族、いろいろな思いを体験することで、弱く脆いけど何かに突き動かされる彼の姿がとても人間らしく捉えられてると思いました。
また彼が写真について語る「撮られる側もそうだけど、撮る側も魂を削る…」という言葉に写真家としての自負が垣間見えるシーンが好きです。
最後にデップのユージーンの似せ方はやはり凄いなって思いました。
メインのカメラはminolta
64年生まれの自分、70年代初頭の水俣病についての基礎知識はもちろん持っていたが、モノクロ画像の影響か、前世代の話というようなとぼけた記憶。そういえば当時は全国で公害が大きなニュースになっていた。だが事態の展開にユージン・スミスが大きく関わっていたことや、デモの中でユージンがひどい怪我を負っていた事などは認知しておらず、子供ながら所詮その程度の知識でしかなかったということだ。今回改めて理解していく中で、日本の企業・村社会の体質というか、確かにこういうことをやりかねないな、と感じた。 役者では、美波は認知していなかったがミックスらしく御本人の気丈なイメージを再現できていた。 しかし國村隼と浅野忠信はつい最近NetflixのKATEで対決してたけど、ハリウッドものでの日本人役者、少ないなあ。 ちなみにメインのカメラはminolta SR-T101、実家に同型まだあります。
アルコール依存のユージンは、最近のデップのヨレヨレ演技と重なった。...
アルコール依存のユージンは、最近のデップのヨレヨレ演技と重なった。 冒頭、テンポがよく、映像も美しかった。ロケは水俣ではなかったのだ。 すでにドキュメント映画も撮られているとはいえ、ハイコンテクストすぎるきらいもない。 社長の雰囲気は似てたかも。 真田くんも加瀬さんもすごく良かった。ただ、現場にはもう少しユーモアとかあった気もする。 アイリーンとの関係ももう少しリアルだと良かった。 ユージンが暴力を受けるシーンは、ひどく暴力的。 写真が運動と重なり、この映画も水俣を伝達するメディアなのだということは、この映画の重要な主要なテーマだし、智子さんの写真のシーン、他の写真のシーンは感動的。でも、デップは頑張ってたとはいえ、彼のとりとめのなさが、結局、ユージンがどうだったのをわからなくさせている。 NHKのドキュメンタリーで、少女を撮り悩んだというユージンの肉声の方が、彼が選んだ一枚の写真の方が、よほど彼の本質を見せている。その意味では、一流の作品にはなれていない。メロドラマでしかなくなっている。映画としてのレベルは高いと思うので評価は高くしたけど。
うーん、公害をテーマにした作品について厳しいコメントしにくい
水俣病を語る際に出てくる有名な写真を撮った方の物語です。 その入浴させる写真は見たことがありますが、外国の方が撮ったと初めて知りました。 水俣病はチッソという会社が原因の公害病ですが、原因を特定するまで長い時間が必要であり患者・家族の方が苦しんだと聞いています(工場廃液は公害の原因ではないと主張した東大の偉い学者先生がいたそうです)。 また、患者・家族は同じ地域に住む住民からも、①原因企業の従業員・取引先といった関係者から敵対視されたり、②水俣市に悪評がたったことで発症していない住民からも差別されたりといった、言葉で言い表しにくいことがあったそうです(さらには、お金が給付されるとなると差別していた人も自分も支給対象に加えろと言ったりしたとか・・)。 水俣市が映画に非協力的と聞きましたが過去の暗部をさらけ出されるのを恥じたのでしょうかね・・ 映画に関して厳しいコメントはしにくいのですが、少なくとも助手となるアイリーンさんについては描き方が不十分かと思います。 なぜ、彼女が取材に積極的に取り組んだのか描かれておらず、親族・知人がいるからかなと勝手に自分の頭の中で脳内補完をしましたが、確認するとそうではないようです。 (ついでに言えば、彼女はさらに△△になりますが結局□□します)。 主役のジョーニーデップは製作にもかかわっています。エンドロールにはいろいろな企業公害の例が流れます。環境保護活動のイメージがかなり強く感じられてちょっと鼻にツキました。 あくまで有名な写真を撮った写真家の物語として描いた方がよかったと感じました。
ユージンよりMINAMATAメイン、当然か…
あくまで環境汚染を強く啓発するための作品だと思いました。故に、過剰演出と思えるところが、後半にゆくにつれて─ あのショットを捉えたユージン・スミスには尋常ならざる融合性を感じるし、その一端も幾ばくか垣間見ることが出来ましたが、どうしても変わり者風情が強かったような印象。彼の事柄はあくまで脇であり、当然タイトルが如くの内容です。個人的にはそこが少し残念なところではあるのですけれど、「MINAMATA」ですからねぇ。
環境問題について考えよう
ジョニー・デップが伝説の写真家の遺志を継ぎ、水俣病を題材にして製作した伝記ドラマ。現在も絶えず発生し続けている環境問題を鋭い切り口で表現している。一人でも多くの方に環境問題について考えるきっかけになれば嬉しいと感じます。但し一本の映画として観た場合は物足りない印象を受けた。 2021-141
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