ココ・シャネル 時代と闘った女のレビュー・感想・評価
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シャネル本人の映像
自分の生い立ちなども脚色しがちだったこと。
貧民層出身の彼女にとって最も優先すべき事項は経済的自立であり、そのためにモラルは二の次であったらしいこと。錚々たる面子との恋愛・交友。
2度の大戦に際しても全く怯まず、動きやすい洋服を考案・販売し続けたり、当時勃興してきたドイツ軍のスパイを担って身の不利を察知すると亡命したりと、己の勘を頼りに切り抜けたこと。
戦後は「退屈しのぎ」のためにパリのファッション界に舞い戻り、アメリカにも進出して大成功をおさめたこと。
逞しすぎて驚いた。
間に挟まれる本人のトーク映像が印象深い。
退屈を嫌い、現状を満足しない 野心的な女性は メゾン(仕事場)で動き回る
冒頭では 彼女のスタイリングに良く似合う すてきな帽子がとても印象的に目に焼き付く
しかしそれが彼女ではない。
最初に出てきた彼女のモードライバル「エルザ スキャパレリ」は今では影が薄いが、
晩年に対峙したディオール や クレージョと言った時代をリードしたライバル達の多くは
今では伝統ある「ビトン」の傘下だ。
それに比べ、野心家シャネルは合理的な経営センスに優れたビジネスマンである。
反ユダヤではなく、政治にも興味がなく、ただ貧困から這い上がった女であり、
それ故、気高くない者を嫌い、彼女は絶えず時代に合った相手を選び、気高い者・伝統名家だけに媚び、寄り添う事で自分の地位を確立して、生き抜いた。
そして最後に選んだのがアメリカハリウッド
それがCoCoだ。
彼女はモードを創作しているのではなく、媚びる為に”痒いところに手が届く道具”として
求める相手が 求めるほんの少し先を工夫しているだけに過ぎない。
すなわち、彼女にとっての 帽子 香水 女性スーツ は型崩れしなかったり、付加価値を付ける事こそ
彼女にとっての合理性の一部であり、
モードはあくまで”権威に取り繕う道具”であり、パトロンを掴めるのが主目的であり、ブランドは後から付いてくる。
今まで シャネルのドキュメントを何本化も鑑賞したが、いずれもシャネルスーツを切り口に語った
彼女の晩年の紹介が中心であったが、本作は生い立ちから、追った事により、
彼女のファッションコンセプトの神髄をよく理解できる 正に完璧なるノンフィクション映画だ。
作品は誇張してあるという最初の但し書きは、彼女自身が 創ろうとした自叙伝 ではない 事を逆説的に述べた事だと僕は理解した。
この完璧なるノンフィクション映画を観たら、「プラダを着た悪魔」よりも「マイフェアレディ」を観るべきだと思った。
ココ・シャネルの戦いは、世界史に載るくらいのレベル
今までのシャネルを題材にした映画とは違って、ドキュメンタリーという部分でかなりリアル。
そして、彼女を美化しすぎずに都合の悪い部分までも描き出しているところがただのドキュメンタリー以上に面白かった。
改めて、彼女のしたたかさ、強引さ、強烈な強さを見た。
多分、今までの女性の中で、無一文から自分の力だけで、初めて実業家として成功したというべきか、一人の女性として力を持った人なんじゃないか。
もちろん、色々な意味で世界を変えた女性はいるけれども、シャネルの世界の変え方は、今のジェンダーの考え方のもとになるくらいの生き様。
そして、自分でお金を稼いで自立したい。それが自由になること。というものすごい強い意志とエネルギーを感じる。
世界恐慌の時も戦時中も戦後も、彼女はどんな汚い手段を使っても自分が自由に生きることに対して貪欲だったと思う。
そして、きれいごとの愛国心なんてまったくなく、人からどう思われるかなんて考えていない。
彼女が亡くなって、50年くらい経つのにも関わらず、CHANELというブランドがなんで、生き続けているのか。
それは、ココ・シャネルが常に戦いつづけてきた、身分とか、常識とか、生まれとか、
どうにもならないことをねじ伏せるくらい、どうにかしてきたエネルギーがそこに生きているからだと改めて彼女のすごさを感じる。
強い女性だったんだな
誰もが知っている
「ココ・シャネル」
の、人生を描いた作品
戦前から、自身の持てるものを生かし
大戦を経験してもなお、強く生きた女性がいたからこそ
今の、シャネルがあり
女性の生き方の一つの在り方として
愛されているのかもしれない
ガブリエル・シャネルを多角的に知る
いくつかシャネルを題材にした作品は観てきたので、本作の駆け足の実映像もすんなり頭に入りました。
・そっくりさんなら、「アメリ」のオドレイ・トトゥ演じる「ココ・アヴァン・シャネル」(2009仏)。
・好奇心たっぷりで気のいいおしゃまなシャネル像なら「ココ・シャネル」(2008英伊仏)、
主演のシャーリー・マクレーンが可愛いの!小森のおばちゃま似で(笑)
・社交界でこれぞと決めた相手の最強のパトロンになったのは「シャネル&ストラヴィンスキー」(2009仏)。
シャネルの交遊エピソードをドラマチックに描いたこの作品が僕は一番好きかな。
ストラヴィンスキー役を今をときめくマッツ・ミケルセンが熱演。
♪
シャネルのパルファムNo.5は、元妻に小瓶をプレゼントしたことありましたっけ。
製造販売の権利問題で、泥沼の闘いがあったんですね・・
ちょっと思い出してしまいました。
スーツがとても似合う人でした。
塩尻市の東座にて二本はしごで鑑賞、
マッツ・ミケルセンの「アナザーラウンド」と一緒に。
・・・・・・・・・・・・
残り香の消えてシングルベッドかな
.
【時代の流れを先手先手で読み、数々の男を踏み台に、どん底から這い上がったファッションデザイナーの寂しき女帝の、数奇な一生を凝縮して描いたドキュメンタリー作品。】
ー 幼い時に、母が死に、父は出奔。そのまま孤児院へ。
フツーだったら、そのまま、底辺生活一直線だろうに、才覚と時流を読む才能、男を道具のように使い、伸し上がって行くココ・シャネル。ー
・第一次世界大戦時に、着やすくお洒落な女性服を開発し、事業を拡大していくココ・シャネル。だが、常に裕福な男性の愛人になり、金は男から出させる。
・第二次世界大戦中は、”仕事にならないので”全店閉鎖”。一方で、ナチスに協力的な姿勢を取る。理由は、共産主義阻止。
そして、戦後はスイスで”ドイツの協力者”として、糾弾されることを畏れ、隠遁生活。
ー アメリカ軍兵士に、香水を配った話などは、凄いですね・・。ー
捕まっても、チャーチルの力により、放免・・。
ー 劇中の”フランソワーズ・サガン”のココ・シャネルに対しての、激しい言葉が印象的である。ー
・70歳になっても、活動は盛ん。且つての自分がされたように、新進のデザイナーをこき下ろしたり、新作ファッションショーでフランスで散々叩かれても、アメリカでは爆発的に売れるココ・シャネルの服。
<あれだけ、男と浮名を流し、利用しながら、生涯独身を貫いたココ・シャネル。
晩年は、ホテル・リッツで暮らし、88歳で独り亡くなっている。
彼女の原動力は、自分を捨てた父や社会への怒りではなかったか。
”自分以外のすべてが嫌い・・”と言う、寂しき言葉。
奪われたモノ(香水製作の権利)は執念で、取り戻す姿。
自立を求め手段を選ばなかった、若き時代。
後年は、狡猾さも増してきて・・。
彼女の人生がファッション業界や政治・文化に与えた影響は大きい事は良く分かったが、孤独を抱えて一人闘う、寂しい人生だったのではないかなあ・・。>
<2021年10月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
本能と独自の美意識で時代を乗り回してきた女帝
因習に囚われないモードファッションと香水「No.5」で一世を風靡し、今なお語り継がれる逸話と名言。
本作はココ・シャネルの生涯を新たに発見された事実と数々の証言を元に改めて振り返る「戦記」である。
彼女は元来抱いていた「世界」に対する違和感にファッションという形で対抗し、数々の「戦い」の中、ついに渇望していた自由と富を勝ち取る。
それは世の女性を因習から解放し、新時代をつくる契機となる。
「コルセットなど、女優や娼婦に身につけさせるものだ」と言い放つ様は特に印象的で、当時としては実に怖い者知らずな発言だ。
伝統はもちろん、未来にさえ牙を剥き続け、
孤独よりも退屈を恐れる生き様は毀誉褒貶あるものの、私はその姿勢に憧れに近い感情を抱いた。
晩年、次の次元たる「死」が楽しみだとインタビューで語っている。
もしかしたら、死してなお、かつて自身の「コレクション」を遠くから眺めていた時のように、私たち次世代がどう着飾り、どう時代を闊歩しているのか退屈しのぎに覗きに来ているかもしれない。自分のことしか興味のないように見える人だったとしても。
寵愛を受けながらも、自立を求め、生涯を
譲れないスタイルで戦い続けた伝説の女帝の存在は、迷える我々「未来人」にとっての指針であり、乗り越えるべき壁なのかもしれない。
シャネルスーツの正しい着方
描き方の問題だが、まったく虚飾がない。
ファッションはそもそも虚飾の世界だと思うが、シャネルの煌びやかなファッションに迫るというよりココ・シャネル本人の実像に迫ろうとしているのだ。
シャネルというブランドの公式を得た映画であればこうも辛辣には描けないのではなかろうか。
孤児であったこと、愛人をしていたこと、儲かってからは芸術家のパトロンをしていたこと、王侯貴族も含む数々の恋愛遍歴、貪欲に 成り上がっていく姿、神格化されていないココ・シャネルの姿が新鮮だった。
シャネルのスーツが戦闘服に見えてきた。
そして世界中の誰よりシャネルスーツが似合うのはココ・シャネル本人だと思った。
スーパーモデルは別として一般人でシャネルのスーツやバッグが似合っていない人のなんと多いことか!
シャネルスーツは戦闘服、バッグは武器だ。ジャンクアクセサリーは銃弾だ。
そのくらいの気持ちでこれからは身につけよう。
ココ・シャネルのような闘う女こそがシャネルを纏うにふさわしい。
混ぜるな危険!
安易に他のブランドとも混ぜてコーディネートしてはいけない気がしてきた。
短時間の映像の中で一番気に入ったのはパトロンに見立てた飛び込みのシーンだ。
ドボン!ドボン!ドボン!ドボン!
たまにクスッと笑わせてくれるユーモアもあり、なかなか興味深いシャネル像だった。
女帝 ココ・シャネル
物凄い急足で、あれよあれよ言う間に終わってしまった。55分で彼女の波瀾万丈な人生が収まっている。それも、彼女の黒歴史も脚色していないから好感が持てる。
シャネルのストーリーを手っ取り早く知る上ではもってこいの作品だ。特にファッション好きは見て損はない。
20代の頃にシャネルのマトラッセ(チェーンバッグ)に憧れた時期があった。ただ、やはり値段が高い上に、まだ年齢的には似合わないと思って購入には至らなかったが、かつての私のように、シャネルのストーリーをよく知らずにシャネルのバッグや洋服などを好んで持っている女性も少なくないのでは?ブランドのストーリーを知ることってとても大切だと改めて思う。
若い頃は“エロス資本”を活用し愛人をしていたココ・シャネルが、自身が歳を重ね富を築くと今度はパトロン側になるというのがなんとも皮肉。平凡で凡庸な私にとって、こんな人生がちょっと羨ましくもあるが、、、。
時代に新たな風を吹き込み、帝国を作り上げ、さらには国家にまで権力を及ぼす“女帝”の並外れたエネルギーと強靭な精神力。そんな彼女が残した多くの名言は現代の女性達のバイブルとなり、伝説となり、彼女は生き続けているんだ。
たけど、私もお友達にはしたくないな笑
あの時代をトップで生き抜くためには強くあるしかなかった
シャネルのこと全然知らんかった。シャネルにとってメゾンはなによりも大事で、そのためならナチのスパイにもなるし、自分の人生も平気で捏造する…。敵も多くて、だからこそ強いけど、孤独な人やったんやな。晩年に向かって顔がどんどん苦々しくなっていく😭
短い時間でみっちり「ココ・シャネル」という人を知りたい人にはオススメです。
脚色のないココ・シャネル。
できるだけ、美化されていないココ・シャネルを描いたということだろうか。
娼婦まがいの描き方とも言える部分があり、出自の貧しさが強調されている。
事実かどうかはわからないが、故人に対しての描き方としては、善意とは言えない部分がある。
伝説は伝説でいいのだ。出自を細々と暴いても、それすら事実かどうかはわからない。
今も、世界で愛されるシャネルスーツをつくり、香水をつくり、イミテーションのアクセサリーをつくり、女性のファッションを開放した。
そんなシャネル像でいいのだ。
人には知らなくてもいいことがある。天下国家に関係しているのなら、話は別だが、こと個人に関しては、すべて事実を伝えればいいというものではない。
この映画には、美しさが欠けている。過去を描きたいのであれば、美を創造したことも描かなくてはならない。
CHANELは、今も世界中の人達に愛されている。それは誰にも否定することはできない事実なのだ。
脚色のないココ・シャネル
ココ・シャネルの人生を描いた映画なども観たことはあるけれど
これは、とても率直?な作品になっていると感じた
映画などでは取り上げられるロマンスもあっさりさっぱり
それゆえに、飾りたてられていないココ・シャネルがいるような感じ
人間くさい、というか
それでも、すごい女性だな、というのは変わらずにある
そして、そばにいたら、友達にはなれないなというのも
いろいろ強烈な人だから
でも、それだからこそ、名を残す存在になったのだろうけれど
それにしても、ラストの方で
流行りを見ながら、時代が変わったと嘆くココが、なんとも人間くさくて笑った
自分こそが、当たり前の価値観を壊しまくって、作品を生みだし、築き上げてきた先駆者なのに
この映画を観れば、Wikipediaが理解できる
シャネルに関しては、ドキュメンタリーも劇映画もいろいろあるようだ。
本作は、シャネル自身が作り上げようとした“神話”には目もくれず、かなり冷たく突き放して描いているのが特徴ではないだろうか。
「金イコール自由」という“たたき上げ”の人間らしい貪欲さは強調され、反ユダヤ的な行為などは断罪される。
原題は「ココ・シャネルの幾多の戦争」といった意味だろうが、たしかに、ロマンチックなストーリーなどは排除され、キャリアを勝ち取り、自分だけの利益を守ろうとする野心家の話である。
ところで、シャネルに関する「Wikipedia」の記事はスゴい。
本作のちらし(フライヤー)をみると、ずいぶんと専門家筋の評価が高く、“新事実”もあるように言われているが、帰宅して「Wikipedia」を読むと、ほぼ全部書いてあったし、「Wikipedia」の方がより詳しい。
自分が理解できた範囲では、この映画で語られて「Wikipedia」に書いていないことは、「18歳までオーバジーヌの修道院にいた」というのがシャネルお得意の“神話”だったということだけか。
自分のように、いきなり「Wikipedia」を読んでも、多種多様な登場人物と情報量の多さゆえに、ピンとこない人間には、本作はとても良い「シャネル入門」だと思う。
ただし、ここまで短時間に詰め込まなくても良いのに、と思うほど、“超速”でまくし立てる映画である。
ドキュメンタリーによくある“インタビュー”は少ない。
うかうかしていると、観た内容もただちに忘れてしまうし、何を観たのすら気付かないかもしれない。
テレビの1時間枠を狙って制作されたためかもしれないが、たった「55分」というのは尋常ではない。ものスゴい情報の密度だった。
心配な人は、とりあえずピンとこなくても良いから、事前に「Wikipedia」を読んでおくことをお勧めします。
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