沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家のレビュー・感想・評価
全7件を表示
出鱈目な話に加えて、なんでパントマイムも出来ない俳優に演じさせるの...
出鱈目な話に加えて、なんでパントマイムも出来ない俳優に演じさせるのか?理解し難い。
演者ではないので、主人公の全てを否定したくないが、パントマイムを強調して撮影はしていない。従って、名前だけで彼の偉業を判断する他ない。だがしかし、一人一人の人物設定も眉唾な設定になっている。
レジスタンスは一枚岩ではない。
ドイツ人の自虐的歴史史観であるが、ことごとく否定したくないが、大日本帝国はそのドイツと友好国で、しかも、ドイツからヒトラーがいなくなった後も自由と民主主義のアメリカと戦っていた事をわするべからず。しかも、この映画にも登場するパットンとの地位争いに勝って、大統領になったアイゼンハワーはドイツ系のアメリカ人である。
日本人は誤解していると思うが、この主人公を何人?と聞いた場合。
即座に『ユダヤ人』と答えるだろう。チコちゃん◯叱られる!
ユダヤ系フランス人になる。
但し、日本に於ける在日韓◯人若しくは朝◯人はまた別で国際的にも大変に特殊なアイデンティティと理解するべきだ。ともかく、多くの日本人はそれを分からないで、生活している。
文化人と野蛮人を分けるもの
文化人と野蛮人を分ける一つの指標として芸術を楽しむ、解するがある。
文化を解さないとは人間性を失った蛮人なのである。
視野を広げれば、他者の文化に対する無理解にまで行き着き、人とは思えない蛮行を生み出す。
本作に当てはめるならばそれはホロコーストなのだ。
作品序盤、水の入っていないプールに並ばせられた者たちはサーカス団員のような服装だ。
ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではない。身体的な不具の者や同性愛者なども迫害された。これはナチスの将校がどこかで教えてくれる。迫害されたのがユダヤ人だけではないことを扱う作品は意外と少ないので、これは良い。
話を戻すと、サーカス団員らしき者たちはおそらくそういった身体的不具の人たちなのだろう。彼らはあっさりと殺されてしまう。
サーカスも一種の芸術だ。つまり彼らは芸術の体現者だった。芸術の体現者はもちろん文化人に違いない。
物語を牽引する主人公マルセルは、自分を役者だと言い、パントマイムをする。
ナチスの追及を逃れるためだとしても、子どもたちには歌を教る。
マルセルは文化を伝播させようと努力する人、もちろん文化人ということになる。
ラストはマルセルのパフォーマンス。観るのは連合国の兵士たちだ。
戦場へ赴く兵士だとしても人間性を失った蛮人のような殺戮者にならぬように芸術を嗜む。
迫害される者と迫害する者を文化人と野蛮人として一貫させてラストまで持っていったのは良い。
表層的な物語は数多くあるホロコースト関係の作品と大差なくとも、この一点において独自性を生んでいる。
いくつかの良い言葉があり、そして、映画という芸術を愛する映画ファンとしては、芸術の話をされたら評価せざるを得ないのである。
戦争の恐ろしさと人間の素晴らしさ
戦争映画は あまり見たくない。
銃撃戦や爆弾戦、戦車、飛行機などで国同士、兵士同士が戦う話は 全く観たいと思わない。
でも…一市民達から見た戦争の話は別。
それが、かの有名なパントマイマーのマルセル•マルソーの実話なら!マルセル•マルソーについては幼い頃、何かで見た気がするくらいだったが、マイケル•ジャクソンのムーンウォークのヒントになったという事は知っていた。観たいと思った。
凄く怖かった…
とにかく ずっと 心臓がドキドキして、緊張しっぱなし😨💦
でも、観て良かった!
改めて戦争の醜さ、恐ろしさを感じ
それに対抗する人々の崇高な志に感動した。
[以下ネタバレ含みます]
物語が始まるやいなや、突然に幸せな日常が消されて行く!少女はどうなるの?!と ずっと最後まで、怖いけど見届けなければ!と思った。
マルセルが兄アランと共にレジスタンスになろうとする動機が、少し分かりずらかったけど、親が結婚を勧める相手 エマが一緒にいたというのもあったのだろうか?
最初は孤児達がバラバラだったのが、マルセルのパントマイムに魅せられて みんな笑顔になって元気になって行く…しばし 安からかな時間…でも、
すぐにナチスが迫って来る!どうする!?
大人達は子供達に逃げる術を教える。その中で、マルセルが木になれ!木の一部になって見えなくなれと木登りを教えるシーンが とても面白い。それが、後に生きて来るが、もう…心臓に悪い…。あの時、もう少しずっと木の上でナチスが居なくなるのを待ってたら…どうだったのかな?やはり見つけられた可能性が高かったのかな?
マルセル家族は全員故郷を去って逃げた…
マルセルと父のエピソードが 私は好きだ。
故郷にいた時はマルセルの芸術活動に全く否定的であった父が、何と!客の前で自慢の歌を披露していた!それを見たマルセルは信じられず父に訊く。すると
「歌が好きだった。でも、親もその親もずっと肉屋だった、肉屋をするしかなかった。だが、全て奪われた…だから 歌えた」と言う!そうか…奪われたから叶う夢もあるんだ…不思議な感覚。マルセルに「飢えて欲しくなかった」という親心をやっと知り、良かった!と思っていたのに…😨ナチスの罠に嵌ってしまった父。
マルセルは父の為にも芸術活動を続けたのだろう。
マルセルはパントマイムだけでなく絵画も得意で、パスポートの偽造も出来る人だったんだ…😳
ユダヤ名(マルセル•マンジェル)からフランス名へ それでマルセル•マルソー。終生 その名を使い続けたのは、戦争の記憶を消さない為だったのだろうか…
とにかく、ナチスが怖い。残虐非道なシーンが極力 映像として描かれてないから、私でも見れたが、映像になくても、ナチスの将校クラウス•バルビーの演技が凄まじく恐ろしく(いかにもナチス!のイメージ…本当にドイツの俳優だった!)て、エマとサラが捕まり、拷問を受ける…想像するだけで…😱心が引き攣る…
あの後 エマは釈放される。エマはサラへの拷問に耐えられず 仲間の事を吐いてしまったのだろう。でも…サラは殺された。もしかしたらエマが拷問より死をと訴えたのかもしれない…アランと愛し合えた喜びの直後 またも突然の捕縛!そして、死と恐怖。
そして、そのおぞましい中尉も 生まれた子供を愛する父であるという事実。
マルセル達が逃亡する途中で、子らの合唱に感心して、マルセルに「どうしたら芸術方面に子を向けさせる事が出来るのか?」などと質問していた!残忍な事を平気で出来る事と芸術を愛する事、それが一人の人間の中で共存する姿で有る事が 恐ろしい…違和感。
でも、それが 「戦争」の最も恐ろしい所だと思う。普通の人間が狂わされる!もし 戦争が無く、ナチス党員で無ければ…彼も 普通の良き父親として生きて行けた…かもしれない。
ラスト辺りの緊張感は 本当に息が出来ない程!心臓がなりっぱなし!でも、遂に 子供たちは助かり、エマは…
この後、何とマルセル達?(兄アランは?)は
何回もアルプス越えという難局を経て多くの子供たちを救ったという…
同じ方法だと ナチスに感ずかれてしまいそう!本当にどうやって成功させたのか…
自分なら、あの追われる恐ろしさに怯んでしまいそう!
当時のレジスタンス活動は分からない事だらけ。あれだけの人数の食料を賄うのはとても大変な事だったろう。今のような通信手段も無いのに、外国から物資や資金援助があった事に驚いた!と共に、どんな狂った戦争、世情でも、
人間として在るべき姿を貫こうとする人々が居る事に感動する!
戦争後のアメリカ兵の前でパントマイムを披露するマルセル。その表情が悲しく、でも…力強く…素晴らしい!
戦争の恐ろしさと 生き抜く力強さ、勇気、人間の愚かさ、優しさ、気高さ、色々な想いを抱かせられた映画だった。
Wikipediaで調べたら、マルセルは英語力が優れていた為、パットン将軍の元で「渉外係」という役をしていた…とあった。それで…「兵士たちの仲間」だったんだ…。
でも…今 Wikipediaには マルセル達の映画で描かれた行動は、全く載せられていない。それは、自らは話さなかったから…らしいけど、では 何処から?マルセルに助けられた孤児達からなのだろうか…
【後年の天才パントマイム・アーティストは、若年期は高所大所の考え方を持つ人道主義者だった。マルセル・マルソーと仲間達が子供たちを連れ、スイスを目指す緊張感が凄い作品。】
ー 今作でマルセル・マルソーを演じたジェシー・アイゼンバーグは”あるシーン”を除いて高速台詞トークを封印している。そして、それが効いている。ー
◆感想
<Caution‼内容に触れています>
・ユダヤ系の少年少女が、アルプスを越え、永世中立国スイスに逃げ込む映画では「少女ファニーと運命の旅」が記憶に新しいが、今作の逃亡シーンも相当にスリリングであった。
・ピエロになりたかった肉屋の息子マルセル。彼は、当初はユダヤ系の子供たちを逃がすことに手を貸す事より、自分の夢を果たす事に夢中になっているように見えた。
ー だが、両親をナチスに殺された少女、(冒頭の苛烈なシーン・・。)が笑顔を無くしている時に、笑顔を取り戻させる仕草により、少女が微かに微笑み、子供たちが彼の仕草で大笑いする姿を見て、生来の人を笑わせる楽しさに気付いたのではないかな・・。ー
・恋心を寄せるエマも、彼の姿を見て心が動いて行く。
だが、そんな中でも、ナチスはフランスを占領し、本格的に民族浄化に入る。
ー ナチスのバルビー親衛隊中尉の執拗なまでの追跡。そして、レジスタンス運動に身を投じたエマとミラは市民の密告により、捉えられ・・。
当時、実際に多かったというフランス人の密告。匿う人も多かったが、密告する人もいたのだ。
ナチスの人の心の弱みに付け込んだ行為は、赦しがたい。ー
・マルセルが仲間に言った言葉が素晴しい。
”敵を倒すより、未来を考え、一人でも多くのユダヤ人の子供を救おう・・”
・そして、いよいよ危険が迫り、マルセルたちは列車で子供たちをスイスへ逃がそうとする。この列車内での彼らと、バルビーとの緊張感溢れる遣り取り。
高速台詞で、バルビーの気を逸らそうとするマルセル。トイレに隠れるエマ。
密告により山中に逃げ込んだマルセルたちを執拗に追い詰めるバルビー達。
<テロップで流れた、バルビーの末期。一方、世界的名声を得たマルセルとの対比もシニカルである。
奢れるものは久しからず、である。
バルビーにも可愛い幼子がいたのに・・。
悪行は必ず報いが来る.善行はきっと、誰かが観ている。冒頭とラストでエド・ハリス演じるパットン将軍が多くの連合軍兵士の前で言ったように。
そして、マルセル・マルソーの瞳に涙を浮かべたパントマイム。
あの涙は、エマを思ってのモノだと、私は思った。>
<2021年10月17日 刈谷日劇にて鑑賞>
マルセル・マルソーの願い〜命を繋ぐ
パントマイムの神様マルセル・マルソーをジェシー・アイゼンバーグが、真の心の優しさ、強さを持った魅力的な人物として演じる。ジェシー・アイゼンバーグの持つ魅力と重なって見えた。
恋人エマを演じたクレマンス・ポエジーの豊かな演技力に引き込まれる。
「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビー親衛隊中尉を演じたマティアス・シュヴァイクホファーの怪演は、座席で凍りつきそうになる程。鑑賞後にバルビーの生涯を検索し、大国の強かさに暗澹とした気持ちになりました。
序盤は穏やかな空気感で始まりますが、徐々に緊迫感が加速し、息を潜めるような場面の連続に。制作者、キャストの皆さんの強い想いと願いを感じる作品でした。
映画館での鑑賞
アヴェマリア
パントマイマーとして有名なフランスのマルセル・マルソーがまだ無名の頃の話。ずっと舞台に関わってる私はマルセルの名前は勿論知ってたけど生きてた時代やこのエピソードは多くの人と同じように知らなかった。ドイツに占領されつつある国境沿いに住んでいたマルセルの家族。ひょんなことからナチスに親を殺された孤児たちの面倒を見ることになった芸術家の卵マルセル。ナチスの占領下にあるフランスでレジスタンスに参加し、ユダヤ人の子供たちを国外に逃す実話を基にした作品。今夏はナチスを題材にした作品が多く、切り口は色々でもやはりユダヤ人に対する蛮行のシーンは必ずあり、この作品も例外ではないので劇場鑑賞にはある程度覚悟が必要。でも!すっっごくよかった…😭
親を失った子供たちをパントマイムで笑顔にするシーンは芸術が戦時下で人の心を癒すというこの題材ならでは。
でも意外とパントマイムのシーンは少なく、後半はナチスから流れるサスペンス色の強いテイストになっててかなら緊迫感があり、主人公や子供たちは助かるんだろうなとわかっていても手に汗握るスリリングな展開です。
アルプスを越えるというとサウンドオブミュージックが思い浮かびますが、あれは実際に山越えしてないのはわりと有名ですね(笑)
本作はリアルにフレンチアルプスからスイスへ逃げる実話をもとにしたシーンが終盤で、ラストは達成感があります。
ただ、フランスとドイツの政治的関係等は最低限の説明しかないのでわかりづらくて帰り道ウィキで調べました💦
そして、この一年多くのアーティストが突きつけられた「芸術は不要不急論」を彷彿とさせるマルセルの俳優への道に反対する父親との印象的な会話があります。体が求める、トイレに行くのと同じだと。
マルセルのパフォーマンスと子供たちの歌声で、劇場にいた人たちは何を感じたでしょう…肉屋を営む父が仕事を失ったからこそ舞台で歌を披露し、戦争が終わったら舞台に一緒に立とうという願いは…😭
昨年見たジョジョラビットとはまた違う切り口でカタルシスが得られます。マルセルがユダヤ人の子達を救った事で、その子達が家庭を持ち命を繋いだということも勿論ですが、ユダヤ人が芸術や科学で優秀な人が多いのもよく知られてることでその点でも意義深いと個人的には思います。
そしてヨーロッパ好きとしては、アルプスの山やストラスブールの美しい街並みも素敵でした!あー、いつ海外旅行に行けるのかしら…
自分も救ったマルソー
マルセル・マルソーって話すとこんな戯けた様な喋りかたをするのかと思って映画の途中で彼の英語での講演を聞いてみた。これは米国ミシガン大学で2001年に Wallenberg Medal (第2次大戦中ユダヤ人を救ったと言う人道的な行為のため)と言う賞を受賞したときの感謝のスピーチだった。全部聞かなかったけど、映画では彼の会話のリズムがパントマイムの調子になっているのが気になったけど、いいえ全然違うと思った。でも、講演の話し方と普段の生活で話す話し方は違うし、
ビデオではパントマイムばかりで自然な会話のシーンを見つけるのは難しかった。
この映画は英語になっているもオーセンティックじゃなくて残念。実際彼は英語も含めてドイツ語も大変上手らしい。だから、クラウス(Matthias Schweighofer)との会話はドイツ語でとか、現実に近づけるため、工夫が欲しかった。もう一つ驚いたことは実際のマルセル・マルソーはこの役者より容貌がユダヤ人である。あくまで主観だが、はっきりわかるユダヤ人顔でよくフランスでレジスタンスのグループに入るまでの間の道中でナチスに拘束されなかったなあと思った。お兄さんのアレンは捕まってしまったが。
マルセル・マルソーって芸能界において知名度の高い人だが、ユダヤ人の彼がフランスでユダヤ人でレジスタンスに加わっていてユダヤ人の子供たちを大勢助けたことはこの映画で初めて知った。ナチスの悪行を再認識するよりこの映画を通して、人を助けることにかけたマルセル・マルソーの人道的行動に感激する。なぜかというと、この負の遺産を認めて謝ったり賠償金を払うドイツに、繰り返し繰り返し主にユダヤ人監督の映画やドキュメンタリーが放映されるナチの恐怖政治に疲れてきているのかもしれない。だからこのベネズエラのユダヤ人の監督は「人助け」に焦点を当ててくれているのだと感謝している。あくまで主観だ。
一番好きなシーンは父親がステージで歌うシーンを二階からじっと見つめているマルセル・マルソーの釘付けになった視線。そして父親のいうコーシャー肉屋の仕事には食いっぱぐれがないしこの仕事は家族の伝統だと息子に話すシーン。父親も息子も芸術が生きがいだとお互いにわかり二人の心が始めて通じ合うシーン。いいねえ。でも父親のいう戦争が終わったらは二人ではもうない。あるカトリック教会の裏切りにより、父親はアウシュビッツへ。
自分の思うことは延々と書けるが、ここでやめる。マルセル・マルソーの人道的行為以外は私にとって、よく知っているトピックだったのが、この映画をつまらなくしてしまった。
一つ気になった言葉:フレンチアルプス(Montriand)を山越えしているときのエマの言葉。「マルソーは自分のために何かをする人だと思ってたが、人のために働ける人だ」と。マルセル・マルソーはここで肯定しなかった。ここが圧巻。だって、マルセル・マルソーはユダヤ人である自分自身の命も救ったから。
全7件を表示