茜色に焼かれるのレビュー・感想・評価
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色々な感情がごちゃ混ぜになる映画。
高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違えによる家族の事故死。また、コロナ禍の煽りで営んでいたカフェの閉店。 冒頭から、最近のやるせないニュースが脚本に織り込まれ物語はスタートします。 この映画は終始、理不尽な出来事や悲しい出来事の連続で観ていてとても苦しくなります。しかし何故だろう、見終わった後はなぜかそれでも頑張ろうって勇気が湧いてくるのです。 純平君の飛び蹴りと、中村のフックパンチと、ケイの膝蹴りにスッキリ。 茜空に包まれたふたり乗りの自転車の親子の会話が胸を打ちました。 ラストの主人公の良子のブッ飛んだひとり芝居に館内は笑いに包まれましたが、僕は同時に涙を流していました。 ※最初☆4.5で投稿したのですが、観賞後に余韻がいつまでたっても消えないので☆5に変更させていただきました。
高齢者の暴走事故を思う
池袋で元官僚高齢者が起こした暴走死亡事故。なぜ逮捕されないのか、なぜ公判で無罪を主張できるのか、疑問とともに怒りを感じていた事件だ。ドキュメンタリー番組で、被害者家族である夫が、警察から妻と娘が事故当時着ていた服を返され、言葉につまったシーンが印象に残っている。撮影してるテレビのスタッフがボロ泣きして、こんなところ撮影してすみませんと謝っていた。それを観ながら思うのは、やはりなぜ自動車メーカーの責任などと主張できるのだろうということだった。 この映画では似たような事故が描かれる。どう見ても池袋のあれにインスパイアされたでしょという作り。ちゃんとブレーキではなくアクセルを踏むシーンがあった。でも亡くなった男性の妻は加害者から賠償金を一切受け取らず貧困にあえでいる。加害者家族へ怒りを見せずに淡々と生活している感じ。自分の中にある怒りが刺激されていく感覚だった。彼女は働いているホームセンターやピンサロで、男性たちから舐めた態度を取られても怒る態度を出さない。さらには息子まで舐められいじめられるという始末。観ている側としては怒りを覚えずにはいられない。 でも、いろんな問題が最終的に解決してスカッとすることはない。むしろなんにも解決していない。でも、彼女たち家族が生きていく希望だけは残ったと言える。スッとしないのに、後味が悪いわけではない。妙な終わり方だった。 コロナ禍での女性の貧困を正面から扱っているような作品。こんな映画もないとダメだよな。 あの加害者には映画とは違う形で審判がくだされ、ちゃんと罪を認めて、年齢とかを考慮されずに罪を償ってほしいものだ。
#41 良い男は世界を救う
前半は悲惨な物語そのものだが、どんなに辛くても笑って必死に耐えてた主人公がキレてからはポップで明るい物語に早変わり。 どんなに理不尽なことがあっても、優しくてしっかりした息子のジュンペイがいるおかげで生きる意味を感じれる主人公はしあわせなのだ。 反対にケイちゃんは本当に運がない子。 最後にジュンペイみたいな男の子に会えたのが唯一の救い
映画館で観ることができてよかった
石井裕也監督の作品は「舟を編む」「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」「町田くんの世界」「生きちゃった」を観た。中でも前作「生きちゃった」では、どちらかと言えば表情に乏しい仲野太賀を主役にして、主人公を喜怒哀楽その他の感情が一気に湧き上がるような複雑な状況に追い込み、表情の乏しさを逆に禅問答のような表情に見せるというウルトラCの演出をして驚かせてくれた。その上でラストシーンで主人公の感情を爆発させて、心に渦巻いていたものを一気に吐き出させてみせた。それに応じた仲野太賀の演技も見事だったが、その演技を引き出した石井監督の手腕は大したものである。 本作品でもどちらかと言えば地味な演技をする尾野真千子を主演にして、主人公の田中良子をとことん追い込んで、女優のポテンシャルを存分に引き出してみせた。それほど本作品での尾野真千子の演技は素晴らしかった。 最初のシーンの前に、田中良子(たなかりょうこ)は演技が上手いというテロップが出る。そこに本作品の最大の仕掛けがある。以前女優をしていたことがある田中良子は、私生活でもその場その場で求められる行動や発言や表情をする。そのうちにどれが本当なのかわからなくなってくる。 しかし良子を現実に引き戻してくれる存在がある。息子の純平だ。愛する夫の遺伝子を引き継いだ純平。夫が遺した膨大な本が純平の精神世界を広げてくれている。もはや母には息子が何を考えているのかわからない。息子にも母のことがわからない。だから母と息子の会話には常にちょっとした駆け引きがあり、スリリングだ。もどかしいような、的を得ているような会話。その会話から物語が動き出すこともある。このあたりの脚本が凄い。 本作品は印象に残るシーンの連続だが、最も印象に残ったシーンは、学校で良子が担任から息子の成績を告げられるシーンである。このときのヒロインの表情は天下一品だ。尾野真千子の女優としての面目躍如である。 人間は目的もなく、この世界にただ生み出される。どうして生きるのかという問いかけには意味がない。生きているから生きるのだ。そして生きているから死ぬのだ。この不条理を本作品は真っ向から受け止める。永瀬正敏が迫真の演技で演じたピンサロの店長は、哲学的な言葉を普通に話す。それを聞いて良子は高笑いをする。店長が話した真理は重すぎて受け止めきれない。だから笑うしかないのだ。田中良子は演技が上手いという訳である。 シーンの終わりに毎回使った金額が出るのも面白い。資本主義社会の現実は金だ。あらゆることが金銭で動く。しかし田中良子はそれを拒否する。人生の重さを金銭で計られたくない。夫の人生は3500万円ではないのだ。と思いたいのだが、現実は金を必要とする。そのギャップに本作品の面白さがある。 144分という長めの作品だが、それでも削ったシーンが山ほどあるのではないかと思わせるほど、よく煮詰めている。石井監督作品の中でも最も秀逸な作品のひとつだと思う。映画館で観ることができてよかった。
今観るべき価値のある映画として心に残る。とにかく尾野真千子!
尾野真千子の映画での代表作になることは間違いないだろう。 どこにでもいそうな主婦から風俗嬢、そして「獣」にまで、様々な顔を日々使い分け「お芝居」する一風変わった主人公・田中良子。 腹に一物ありそうで少し痛々しくも映るほど強い母親像がぴったりで、鬼気迫る演技は「圧巻」の一言。彼女にしか出せない色が存分に発揮されていた。 和田庵や片山友希の好演も、彼女に引っ張られて引き出されたものが大きいのではないか。あと若手の「ぎこちなさ」を蒼く魅力的に見せる石井監督の手腕も。 永瀬正敏も確固たる安定感で彼女たちをしっかり支えている。 そして、そこには居ないはずのオダギリジョー夫の面影が全編に渡って感じられるのもこの映画の優しさに繋がっている。 要素がかなりてんこ盛りではあるが、監督の怒りが伝わるからマイナス要素とは思わない。むしろ計算を度外視したところが石井裕也作品の好きなところ。 コロナ禍の日本を初めて本格的に描いたチャレンジングな映画としても価値が高いが、あくまで主体はその中で愚直に生きる母子の物語。安易にすべての問題を解決しようとしない姿勢にも好感を持った。
ちょっとついていけなかった…。
尾野真千子と永瀬正敏の演技力の高さには目をみはるものがありましたが、ストーリー展開に取ってつけたようなところがあったり、ありきたりなイメージに安易に乗っかっていると感じられるシーン(スローモーションでの跳び蹴り、夕焼けと堤防と二人乗り自転車etc.)が気になりました。 主人公に意味不明な長ゼリフをたびたび吐かせる意味が分かりません。何度も出てくる「まあ頑張りましょう」という決めゼリフも、理屈やコンテキストを超越していて当惑するばかり。 終盤に主人公たちが悪者を懲らしめる場面で、加勢する仲間が絶好のタイミングで現れるのがあまりに唐突で不自然に感じました。真実味を持たせる工夫が足りないような気がします。 そんなこんなで、作品の世界についていけないという感覚が最後までぬぐえませんでした。 東池袋で起こった事件を下敷きにしたと思われる設定がありましたが、あれは官僚一般に対する世間の偏見を助長する演出ではないでしょうか? 実際に起きた事件をヒントにするのはかまいませんが、もう少し配慮すべきだと感じました。公務員のみなさんは心を痛めているのではないでしょうか。 それと、事情があって収入が少ない人が公営住宅で暮らす権利はすべての人に保証されているはずです。そのことについて息子から尋ねられたヒロインには、あいまいに言葉を濁して済ますのではなく、「税金に支えられて生活していることをとやかく言われても気にする必要はない。堂々と胸を張っていればいい」ぐらい言ってほしかったです。 コロナ禍でつらい思いをしている人たちのこと心に刻むことの大切さは感じられました。もう少し時間をかけて細部を練り上げれば、さらにすばらしい作品になったのではないかと思います。
こんな理不尽な世の中でも生きなきゃです
これは好きだった。涙が流れた。深く感動した。 7年前に理不尽な交通事故で夫を亡くした母・田中良子と中学生の息子・純平をメインに、厳しい環境で生きる人々を描いた。 母が息子にかける言葉に涙した。 自分も親なんだなあと改めて思う。 息子がいれば生きていけるという母、お母さんのことが大好きだという息子。どんなに理不尽な世の中でもこの二人なら大丈夫。これが幸せというものだろう。 これは尾野真千子さんの集大成となる作品ですね。 石井裕也監督にとっても代表作になるかと。 今年の日本映画のベストワン候補だ。
今、このタイミングで映画館で観る意味のある作品だと思う。ずーっと、...
今、このタイミングで映画館で観る意味のある作品だと思う。ずーっと、世の不条理というか、理不尽なことばかり起こる展開だけど、なんだか前向きな力がある良い作品だと思った。今、映画館で観てほしい。
【不条理極まりない世の中、強い愛を抱える女性が”マア、頑張りましょう。”と芝居をしながらも、人としての筋を通しながら生きる姿を描く。現代社会への警句も盛り込んだ石井裕也監督の手腕にも、脱帽した作品。】
ー 今作には、虫けら以下の男が多数、登場する。だが、田中良子(尾野真千子)は、そんな彼らや様々な不条理を抱える世の中を”芝居の上手な”彼女は”マア、頑張りましょう・・”と言う言葉を頻繁に口にしながら、生きていく。激烈なまでに愛した男の13才の息子純平(和田庵)と共に・・。ー <Caution! 以下、一部内容に触れています。> ◆冒頭、画面の右端に斜めに、”田中良子は芝居が上手だ”と言うテロップが流れ、物語は始まる。 ・田中良子が激烈に愛した男(オダギリジョー)は、7年前に元官僚が起こしたブレーキ踏み間違いの事故で、自転車に乗っている最中轢き殺される。 ー その官僚の葬儀に呼ばれてもいないのに訪れた良子の言葉、 ”何故、彼は30歳で殺されたのに、殺した相手は天寿を全うして、夫の葬儀とは桁違いの立派な葬儀で送られるのか・・” ”謝罪の言葉を一言も言われていない・・。” 遺族たちの迷惑そうな顔。遺族が雇った弁護士(嶋田久作)は、これ以上関わると警察沙汰にする・・、と良子に警告する。 似たような、事件が近年あったな・・。人を殺した側がいつの間にか、被害者になっている・・。格差社会の歪みも描いているシーンである。ー ・田中良子は貧しい仲、昼はホームセンターで、夜は風俗で働く日々。 ー ホームセンターの若き店長らしき愚かしき男。ルールを守れと頻繁に良子に言いながら、本社から来た上役に指示され、上取引先の娘を入社させるために、30日前通告をせずに解雇を伝えるシーン。ここでも、世に蔓延る不条理が描かれる。ー ・良子が働く風俗に来る虫けら以下の男達の姿、言葉。 ・夫のバンド仲間の男(芹澤興人)に、夫の命日にセクハラまがいの事をされても、作り笑いをしてやり過ごす姿。 ー 愛した男の友人だから、我慢したのだろうか・・。ー ・中学時代の恋仲だった愚かしき男クマキに、一時的に惹かれてしまった背景は、キチンと描かれているし、クマキに対しての怒りの理由も・・。 ◆だが、彼女の世に対する姿勢は揺れ動きながらも崩れない。 夫を殺した官僚の”謝罪の言葉を伝えない”息子らしき男からの賠償金は ”汚れたお金だから・・”と受け取らず、 亡き夫と愛人との間に生れた非嫡子の子には養育費を払い、 亡き夫の父親の介護施設費用も全て、自分で働いたお金で賄う筋の通った生き方を貫いているからであろう。 何より、愛した男の息子純平には、”芝居をしながら”夫の口癖、”トップのトップを目指せ”と激励しながら、苛めに遭っている息子を守ろうと、学校に乗り込む姿。 ・・あれは、モンスターペアレントではない。息子を守るための彼女の筋を通した行動である。・・ そこで、担任から告げられた、純平が全国トップクラスの頭脳を持つ事を知った時の良子の驚きと一拍置いた後の嬉しさを隠しきれない、誇らしげな表情。 ”激烈に愛した男との間に出来た自分が全力で守って来た息子は、本好きの父の血を引いた、聡明な子だったのだ!” <風俗の同僚、哀しき女性ケイ(片山友希)との間に友情が育まれていく過程の描き方。風俗店の怪しげな店長(永瀬正敏)の漢気にも、痺れた作品。 何よりも、良子の母としての息子への全力の無償の愛、世の不条理に屈しない気概と気高さを貧乏ゆすりをしながら維持する姿を、圧倒的な演技で魅せた尾野真千子さんには、敬服する。 勿論、冒頭のテロップの入れ方や、夫をひき殺した官僚の弁護士が、最後良子の弁護側になるという現代社会への皮肉も盛り込んだ脚本を手掛けた石井裕也監督の手腕にも、脱帽した作品である。>
始まってすぐに後悔して 帰りたくなった これは苦手なタイプ 苦しく...
始まってすぐに後悔して 帰りたくなった これは苦手なタイプ 苦しくて悲しくて 気持ちが重たくなって 涙が出てくる 今に限らず いつの時代にも 弱者を虐めたり 見下したり つけ込んでくる輩はいるよ カフェを再開する夢と 最愛の息子がいなければ とっくに潰れてしまう ギリギリのところでもがいてる 養育費も養父の施設費も そんなに抱え込むのやめようよ 吐きそうになるほど 辛い風俗もやめようよ 思春期に入りたての純平くんが この先も真っ直ぐに逞しく 成長してくれますように
切実な思い、あの涙の意味を理解する
パンデミック下に嘆かない、投げかける。人が何に生きる意味を見出し生に執着するのか、その深遠を浮き彫りにする心理描写を余す事なく収めた渾身作。ルールに裏切られ理不尽が積み重なる日常に記す“命の家計簿”は、正に現代の闇である「見えざる貧困」ありのままの姿を問いかけた記録だろう。艱難辛苦、その先の沈まぬ夕焼けを目指しペダルを漕ぐ、その横顔に“頑張りましょう”の真意が滲んでいた。
まあ、がんばりましょ。
マスク着用が日常となった昨今。抗いきれぬ不条理という痛みに、ようやく馴れてきた毎日。そんな現実をそのまま切り取った映画だった。ほんと、我慢に耐える人間が損をする世の中だよ。ズルをしてのさばったり、弱い人間にマウントをとってくる奴らは憎らしい。そいつらを庇うつもりはサラサラないけど、そうなっていくのもちょっとわかる。弱さなんだろう。その点、守るものがある人間は、そこで意地を張って踏ん張れるんだろうな。 「まともに生きていたら、死ぬか、気がちがうか、宗教に入るしかないでしょ?」そう割りきって、ケツを捲った人間の強さがここにある。 最近、びっくりするほどの茜色に染まった夕焼けを見ることがある。そう、この映画の空のような。これがこの世の色か!ってほどに見惚れてしまう。これまでだってそんな夕焼けはあったはずだが、その空に気付くようになったのは、自分の中の感情の幅が広がったせいなのだろう。この母子を見つめながら涙がこぼれるのもそのせいだ。 この先この母子が生きていく姿を見届けることはできないが 、たぶん、びっくりするくらいの底力で生きていくんだと思う。そして、いつかまた潰れそうになったら 、その時も励ましあうのだ。精気を得、救われた良子はまたもやこうねだるだろう。「純平、も一回、同じこと言って」と。
田中良子は芝居が得意だ・・・という字幕がでる。 ほどなくして、男性...
田中良子は芝居が得意だ・・・という字幕がでる。
ほどなくして、男性がひとり、交差点で交通事故に遭い、死亡する。
それから7年。
死んだ男性の残された妻・田中良子(尾野真千子)が、元上級官僚の加害者老人の葬式に出席しようとしたところ、遺族から「嫌がらせをするつもりか」と追い返される。
「どうして葬式に行ったのか」と中学生の息子・純平(和田庵)に問われるが、「夫を殺したひとがどんな顔をしていたか忘れないように、最後に顔を観に行った・・・」と答えるが、良子の脚は瘧(おこり)のような震えが止まらない・・・
そして、葬式の帰り道に「香典代 10,000円」という字幕がでる・・・
といったところからはじまる話で、ここまでの冒頭の演出から、社会的弱者である女性のドラマであり、弱者としての根底には貧困があることが示される(ことあるごとに、そこにどれだけの金額がかかったかが示される)。
鑑賞前の予感は、ケン・ローチ的な映画かしらん、といったところだったが、それは半ば的中し、半ば外れていた。
良子の口癖は「ま、(とにかく)、がんばりましょ」である。
彼女は1000円に満たない時給でホームセンターの花売り場で働く傍ら、時給3600円ほどでピンサロで1日6時間働いている。
風俗店で働くというのは、これといった特別な才能や技能を持たない女性たちの最終的な金の稼ぎ方で、底辺といっていいだろう。
職場には、幼い時分から父親から性的虐待を受けてきて、常にインスリン注射が必要な1型糖尿病を患っているケイという若い女性(片山友希)が働いており、良子にとって、「あるところまでは」肚を割って話せる相手だ。
しかしながら、「あるところまでは」という枕詞がつかざるを得ないあたりが、みている方としてもどうにもこうにも、もどかしい。
良子の生きづらさは、夫を亡くしたことだけでなく、ある種の正しさを通そうとしていることにあり、それは、ひとつは事故の加害者から慰謝料を受け取らなかったこと。
加害者側から一言も慰謝の言葉を得ていないのに、慰謝料は受け取れない。
パンクロック(と思われる)で、世間に対して、挑み続けた夫を裏切ることは、やはりできない・・・
もうひとつは、夫が残した「もうひとりの子ども」に対して、養育費を払い続けていること。
もうひとりの子どもは、良子の息子よりも3歳ほど年上で、高校生だと後にわかるが、この年齢関係から考えれば、亡き夫は幼い子どもがいたにも関わらず良子に転心したわけで、ひと昔前に言い方をすれば「略奪婚」。
つまり、後ろめたさ、申し訳なさのようなものが養育費になっているのだろう・・・
と考えていくと、良子の口癖「がんばりましょ」は、「正しく生きていきましょう」なのだろう。
良子は良子なりに「正しく」生きていこうとしているわけだが、それを許さないのは男たちの偏見であり、劇中の台詞「シングルマザーと風俗嬢は簡単にヤれると思っている」に代表される女性蔑視。
とにかく出てくる男どもがろくでもない。
ほとんどが先の台詞のような思考回路で、同性としても唾棄すべき存在。
そんな男たちをやり込めるのが終盤のクライマックスのひとつだけれど、それが溜飲を下げるカタルシスまでに昇華されない。
(ま、昇華されるほど、この世の中は甘くはない、ということなんだけれど)
先に、ケン・ローチ的な映画を期待したが、それは半ば的中し、半ば外れていた、と書いたが、それは、監督の良子に対する距離感で、ローチの初期作品のように突き放すわけでもなく、近作のように共感し抱きしめるわけでもない。
良子に寄り添ったような物語にしたいが、そんな方法は、現在の社会を鑑みると安直で安易である・・・
映画を撮りながらの石井裕也監督のそんな苦悩が映画から溢れているように感じました。
鬼気迫る演技
コロナ禍で示された日本人の悪い部分、日本の闇がすべて詰まっていました。 主人公である一人の主婦・田中良子(尾野真千子)と、その息子(和田庵)と、良子の女友達(片山友希)の3人に、いま日本中で起きている理不尽でひどい事件に似たことが、次々に襲ってきます。 冒頭の「池袋暴走自動車事件」を模したエピソードに始まり、コロナ禍、シングルマザー、DV、親が子をレイプ、非正規雇用不当解雇、新興宗教、不倫、老人介護、風俗・セックスワーカー差別、HPVワクチン未接種、末期癌、いじめ、いたずらの範疇を超えた傷害・放火…… 最初の方は「一人の身にあまりに事件が頻発するのが現実感なさすぎる」と思っていたのですが、途中から違うことに気づきました。 短編映画『隔たる世界の2人』と、構造が似ているのかもしれません。 あれは、いろんな手段で殺された複数の黒人の死に方を、一人の黒人がタイプリープで何度も体験する作品でした。 同様に、本作の主人公は一度きりの人生ではあっても、日本中にいるたくさんいる「社会的弱者」そのものが、一人の人間という形に凝縮された存在なのだろうと。 数千、数万の、怒りながらも媚びを売り、惨めな気持ちを胸に秘めて、笑ってやりすごしながら、歯を食いしばって生き、公助の一切もなく自助だけで懸命に踏ん張っているこの国の人々の化身なのでしょう。 人によっては、一種の活動家向けフィルムと思われてしまうかもしれません。 特に、「日本はすごい」「日本は幸せな国だ」って幻想の中で暮らしたい欲求が強く、長いもの(体制側)巻かれたい人~ネトウヨやレイシストには、「日本を貶めるとはとんでもない奴だ」と嫌悪感を抱かれ、この映画を否定すると思います。 『万引き家族』『新聞記者』へクレームを入れていたような人々ですね。 もしくは、映画にエンタメしか求めない人には、ドラマ性が薄く、メッセージ性が強すぎてつまらない映画にしか思えないかもしれません。 でも、私は尾野さんの魂込めた、いや鬼気迫る演技に引き込まれました。 涙や怒りをため込んで貧乏ゆすりをしながら、気丈に笑う姿に衝撃を受けました。 真っ暗になる直前の時間帯、逢魔ヶ刻の茜色の夕暮れに、まるで地獄の劫火に焼かれて瀕死の姿に見えながらも、笑った顔のまま涙を流し「頑張ろう」という姿。 戦争で何もかも失っても立ち上がった、朝ドラ『カーネーション』での尾野さんにも重なりました。 彼女の姿に、日本はこのまま様々な問題を放置して、弱者を見殺しにし、夜を迎えていいのであろうか、と考えさせられました。
社会派ぶってるけど作家の視点はどこにもない、語る価値もない映画
尾野真千子さんが舞台挨拶で泣いて映画愛を訴えたという話題を聞いて、プレスリリースを見る限り東池袋自動車暴走死傷事故やコロナ禍のことまで描いている社会派な作品に思えましたので鑑賞しました。
しかし、結論から言うと社会派ぶってるけど作家の視点はどこにもない、語る価値もない映画でした。
出てくる社会問題は東池袋自動車暴走死傷事故やコロナ禍だけではないんです。
シングルマザー家庭の貧困
中学校のいじめ
老人介護
正規雇用者から非正規雇用者へのパワハラ
風俗で働く女性の問題
子どもの貧困と教育格差
1型糖尿病
実父による娘への性暴力
DV
堕胎
子宮頚がん(日本でワクチン接種が進まない問題)
若者の自殺などなど
ストーリーは社会問題の幕の内弁当状態ですが、いずれも作者がストーリーを都合良く展開させるための道具でしかなく、わざわざそれを取り上げたことに対する作者の視点は、どの社会問題に対しても一切ありませんでした。
何も考えずに観られてただ面白かった、で終わりのバカリズム作品や福田雄一作品ならこんな野暮なことはいいません。
しかし、被害者もいれば加害者もいる、簡単に解決できないけど今日も誰かが泣いて暮らしているような社会問題をただの娯楽でしか無い映画に引用するのであれば、そこに作者の視点を明示するのが最低限のマナーだし、作家の矜持だと思います。それこそが表現の自由ですよ。
誰もが心に思っている事柄を、再認識させ共感させる。
誰もが知りながら心で見過ごしている事柄を、改めて再認識し実感させる。
人に知られていない事柄を書き表して、そこに意味を発見し光を当てる。
これだけの社会問題を引用しておいて、それらに対しての作家の視点が一切感じられない。
そして、最終的な終わり方が「子宮頚がんを苦にして自殺した子から運よく大金もらえたから、貧困母子家庭でも、なんとか生き延びられます。ハッピー」じゃねぇだろと。
シングルマザー家庭の貧困を舐めてんのか。
正直、この映画監督の薄っぺらさがたまらなく気持ち悪い映画だなと思いました。
他にも、ご都合でキャラとキャラが何度も偶然出会ったり、所々セリフが冗長だったり、ただの説明台詞だったり、テロップやナレーションまで用いて説明過多だったり、片田舎の話と思いきや自転車で渋谷まで行けたり、尾野真千子が死んだ旦那のことを今でも想っているのかと思いきやポッと出のモブキャラを好きになったりと、自主映画みたいにレベルが低い箇所が散見されていました。
上映時間がとにかく長いですけど、もっと描きたいものに焦点を絞れば、編集の精度をあげれば120分には収まったと思います。
まぁ、監督が何が描きたいとか整理できていないから社会問題の幕ノ内弁当状態だったんでしょうけど。ラストシーンもおもくそ蛇足でたまげました。その前で終われるし、終わらない神経を疑います。
この映画はまさに一般peopleの日常である。
不条理を受け入れ、耐えるしか他なく、嫌なら死ぬしかない現代日本の縮図を本作に見ました。 生きれば生きるほど悲しみ、苦しみ、涙が蓄積されていく。 頑張りましょうのフレーズは単なる掛け声なんかじゃなく、何とか生き続けるための結界を保つのに必要な魂の叫びなんじゃないかと思えます。
生きるってのは楽じゃない。けど、生きちゃってるんだもん
いやーなかなかな重っ苦しい現代社会を映し出したような作品ですね。 今の日本の悪いところ洗いざらい出しました!て感じです笑 他の映画で言ってたセリフですが、私たちはルールや法律に守られてるんじゃない、縛られてるんだ。というように、ある意味ではルールは悪用される。そこを利用する人たちのまー胸糞悪いこと^^; でも、人生、わるいことばかりじゃないよ?と、何かしら遠回りに伝えてくれてる…気がする映画でした。 なんでしょうねー嫌な場面ばかり見てるはずなのに観終わった後には何かしらほんわかした気分になれるのは…不思議な映画だ! とりあえず、ケイちゃん役の子、素晴らしい! 今後に注目したい役者さんですね!
エンドロールの尾野真千子の文字に涙
コロナ時代に現実に起こっていることをテーマにした斬新さは満点5点。 こんなことある?ってくらい、これでもか!と試練と不幸の連続。 どれも中途半端で消化不良と言うレビューがあったが、あえてその先の未来は視聴者に委ねてるのかもと、公開初日から数日経って思えるようになった。シリアスな中に息子目線のユーモアもあって、苦しくも救われ、スッキリした気分になる。映画で色々考えさせられるってあまりなかったので、何日もたってもこの映画の事が頭から離れない。 尾野真千子は本当に力のあるすごい役者。 くたびれた主婦にも、人を騙す妖艶な人にも、高貴な品のある人にもなれる稀有な女優さん。 今回は特にこんな難しい役を、静も動も使い分け、力強い演技を魅せてもらった。 彼女なしでは、この作品はない。他の人では出来ない。(嘘っぽくなりそう) エンドロールの大きな尾野真千子の文字を見て、 「この文字に負けてない。当然。」 と思ったのは私だけではないだろう。
題名は何を意味するのかな
茜色は沈んだ赤色で、夕暮れ時の空の形容などに良く用いる、とあります。 この作品の中では、終盤の親子関係の確認の場面を指すのでしょうか。 立場の弱い人を見下し利用しようとするクズの人間だらけの中で、信頼しあう親子関係の描写はちょっとした安堵感と心地よさをもたらします。 ただ、率直に言って、主人公の行動様式が理解できませんでした。 自分達親子の生活を犠牲にして、義父はもとより愛人の子供の世話をする・・・ あと、「まあ、頑張りましょ」と主人公は口癖のように繰り返すのですが、上級国民が決めたルールを守りながら頑張ったとしても、虐げられる立場から抜け出すことはできないのになあ、と思ったのは自分だけでしょうか。 ○○の喪主を務めた鬼畜の父親に対し、何かアクションがほしかった。 放火した△△に対して、何かアクションがほしかった。 感じ方は人それぞれとは思いますが、親子関係の描写を除いて、作品は決して心地よいものではありませんでした。 コロナ禍の中で作品を作るのは大変苦労したと聞きますので評価はちょっと甘目です。
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