「これまでのシリーズの救済、そして・・・」スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
これまでのシリーズの救済、そして・・・
見る前からある程度は予想していたが、それでもたまげた。もちろんスパイダーマンにフォーカスを当てた作品であるとは思っていた。しかし十二分にサプライズ祭りで最初から最後まで『スパイダーマン』の映画を存分に楽しませてもらった。終盤、二人のスパイダーマンが出たときに「おお!」と声が出てしまった・・・。同じキャラが三人も出れば絶対にかぶるだろうと思ったが、これがまたいい塩梅のキャラ付けで、まったく被らない。ちゃんとキャラクターが確立しているのだ。
最初のスパイダーマン三部作は最後がふんわりとした終わり方でどうも物足りなかった。いや。シリーズものとしてとてもきれいには終わっていたからか?そして次の二部作はいわゆる「俺たちの戦いはこれからだ!」といった感じで終わってしまった。NWHのすごいところはこの二つのスパイダーマンとヴィランを出して両方を「救済」したところに最大の魅力を感じた。ヴィランはこちらの世界に転移してきた形をなるが、一度悪役になっているからこそ、帰っても居場所がない。それは直したくても直せない、救いたくても救えなかった別世界のスパイダーマンの願いをかなえることでもある。 アメイジングスパイダーマンでは大切な女の子であるグウェンを救えなかったアンドリューが今作ではちゃんと一人の女の子を救っている。過去作の紡いできたシークエンスを今作に持ってきて再構築する描き方はフィクションのスパイダーマンの世界と現実の全二作の脚本を同時に救ったように見え、リアルも助けたようなそんな気がした。
セカンドチャンスは与えられるべきと作中で語られるが、悪人をケアして一からやり直させるのもセカンドチャンスであり、トムホランドもすべてを失うが、自分のスーツを作ってもう一度スパイダーマンとしてやり直す姿を最後に映すことでこれはピーター自身のセカンドチャンスの物語である、と伺うことができる。
また、二回もスパイダーマンとしての話を描き切っているのにトムホランド版はちゃんとMCUの歴史を歩んだピーター・パーカーとして作りこんであるのも見事で、思えばMCU版はちゃんと戦っているように見えて実は今まで大人に守られているピーターとして描いていたが今作でようやく真のスパイダーマンとしての現実を見せてもらった気がする。
この物語の最後はエンドゲームのアイアンマンとの比較にもなっていてそこも興味深い。両者とも自分を犠牲にして世界を救うが、アイアンマンの存在はおそらく歴史書や教科書に残り誰の記憶にも残る存在となったが、ピーターは誰も覚えていない存在となってしまった。その対比も狙ったのかなと思う。
ただもっとストレンジとピーターはちゃんと打ち合わせしろよとは思ったし、呪文唱えてる間邪魔してたのは見ていてイライラした。ヴィランを元に戻そうとしてその魔法の箱?をトンズラしたのも少し呆れたけど…まぁピーターが優しい少年だということを描きたかったと思うけど。マルチバースは細かいところを気にするとキリがないので、スパイダーマンという存在にだけフォーカスを当てればとりあえずは見ることが出来た。